「(気まずい……なんてレベルじゃないよぉ……!)」
その日、星野ルビーは半泣きだった。机があるなら、地震が来たかのごとく下に隠れてしまいたい。それが今の彼女が抱えた心境だった。
沈黙……いや、一番近い表現は、『重力』だろうか。まるでその場にいる全員の身体に、上からのしかかるかのような……。思わず身震いしたくなる威圧感が、一時間200円で借りれる会議室に満ち満ちていた。
「いいね。やる気になってくれて嬉しいよ」
そんな中で同じ空間にいた不知火フリルだけは好戦的な笑みを浮かべながら、プレッシャーをバシバシと放ってくる人物――。黒川あかねと対峙していた。
でも、ルビーは見ていたのだ。
そもそもこのおっかない状況を作り出したのは、他ならぬそこで楽しげにしているフリルだったことを。
「(てか、あかねちゃんに何言ったのさフリルちゃ〜ん!)」
事は遡ること数分前。
個人間によるオーディション。
そんな名目で、フリルによってルビーとあかねはこの場に集められた。内容はシンプルに、三人にとある映画で主演の話が出ているが、それにふさわしいのは誰かを、自分達で決めないか。というもの。
何でもその映画、今まさに主演を巡って揉めている……らしい。
“例の映画”の件だろうなと、ルビーは推測した。
他ならぬ、アクア自身から、五反田監督と映画を撮るということを、ルビーは内容を含めた色々な話を既に聞いていたからだ。
あの面接と審査はそういうことだったのか〜。と、その夜は思うと同時に、「いや! 先に言わんかい!」とアクアに飛び蹴りをかましたのを覚えている。
そんな訳で、個人的な事情からオーディションの実施についてはルビーは願ったりかったりだったので、既に了承していたが、渋ったのはあかねだった。
「正直興味ないなぁ」と最初は乗り気ではなかった上に、そのまま帰ろうとしたのだが……。
フリルの「相方はアクアさんだよ」の言葉に足を止めて。その後に何かを耳打ちされた途端に――。
「審査内容は? そもそも誰が審査するの?」
――何故か分からないが、急に雰囲気が魔王みたいになってしまった。
控えめに言っても超怖い。
ルビーは妹で長女だから耐えられた。兄で長男なアクアだったら多分耐えられなかった。
「(震えてちゃダメだ! 逃げちゃダメなんだ!)」
頑張れ! 頑張れルビー! と己を鼓舞する。
ルビーにとって、星野アイは特別だ。そして今は……“アクアがこの映画で成したいこと”も聞いてしまっている。
「(実際、フリルちゃんにも言ったけど、役者さんは実力で選ばれるべき。その考えは……変わらない)」
有馬かな。脳裏に同じB小町の仲間であり、芸能界における先輩でもある人物の姿が浮かぶ。
あそこまでの技量は、間違いなく自分にはない。あれは何年も努力を重ね、数多の辛酸を舐めながらたどり着いた、ある種の境地なのだ。
自分がそう安々と追いつけるものではないと分かってはいる。アレに並び立てそうなのはそれこそ、この場にいる自分以外の二人くらいだろう。
分かってはいるのだ。でも……。
ルビーは涙目になりながらも前を向き、キッと能面のようなあかねの顔や、フリルの背中を睨みつける。
フリルが提案した個人間オーディション。
これは間違いなくチャンスだ。これにさえ勝てれば……アイ役になれる。
復讐はもはやなく。残されたのは盛大な死体蹴り……のように見えて、話はそう単純なことではない。
でも、アイの気持ちを。アイとは何かを伝えるべきなのは……間違いなく自分なんだから。
「(負けない……! 負けるもんか……! お兄ちゃんだって戦って、遺そうとしている! なら私だって……!)」
数日前の出来事を思い出す。
兄と膝を突き合わせて話し合ったこと。星野アイの子として成すべきことを。二人は確認しあったのだから……!
※
取り敢えず、五反田監督の所から帰ってきて、色々と打ち明けてきた兄に飛び蹴りをかました後、二人は本日二度目になる形で膝を突き合わせて、アクアの部屋にて二人きりの家族会議と洒落込んでいた。
活動に関わることだから社長であるミヤコにも話には加わって欲しかったが、事務所で書類の山を切り崩していたのを見て、二人はそっと扉を閉じた。
後で差し入れを持っていくことにしよう。そう頷きあった。
「ママの映画……一応聞くけどお金儲けの為じゃないんだよね?」
「ああ。というか、アイが生きていた時に、五反田監督に打診していたのが、そもそもの原型だったんだ」
アイやB小町の歩み。そのドキュメンタリー映画。実際に、五反田がアイにインタビューした内容も残っており、ある意味で壮絶な。アイドルとして歩んだ彼女の生涯と、誰にも見せていなかったアイの真実がそこにはあった。
だからそれを……かの男への刃として使う予定だった。
そこでふと、アクアは復讐をすると言ってはいたが、具体的な手段はルビーに話していなかったことに気がついた。
「真実を映画にて暴露する。鑑賞した個人が、ちょっと調べれば分かる形で。それでいて事件を調べたくなるように。同時にネット上で様々な情報を流す。かつて炎上を沈下させた手法とは真逆。火をつける側に回るつもりだったんだ。日本中が奴の敵に回ればいい。奴がアイのファンを焚き付けたように。誰かが奴を殺してくれてもいい。出来るだけ惨めで無価値に……軽々しく死んで欲しかった」
でも、それだけではまだ足りない。炎上しても、山火事がいずれ鎮火させられるように、いつまでも消えない炎とは概念的なものを除けばこの世には存在しない。
「だから、二の刃は俺にした。映画の中で、俺は殺害予告をするつもりだった。犯人役ってのは……奴の事であり、俺が……星野アクア個人が成すべき役割も指していた。“カミキヒカル殺人事件の犯人”としてだ」
「……炎上を見届けてから、アイツを殺しに行くつもりだったんだ?」
「ああ。前も言ってたが、自分を使い潰すつもりだった。俺が殺されてもよかったんだ。ちゃんと証拠も残すつもりだったからな。そうすればもう奴は逃げられない。妊娠させた女を他人の手で殺して、その息子も殺した最低野郎になれる。余罪は他にも多分あるんだ。シャバには二度と出させない。縛首か電気椅子がお似合いだ」
壊れたように嗤うアクア。それを見つめながら、ルビーもまた、胸の内にある激情を必死に抑え込んでいた。
ああ……よかった。死んでくれていてよかった。
ママをせんせーを殺して。アクアを……自分達をこんなに苦しめた奴。
アクアはちょっと優しいとルビーは思う。ただ殺すだけで。死刑にするだけでいいの? 日本中で白い目に見られるようにして、満足? 全然足りない。
生まれてきたことを後悔させなきゃ。
毛穴全てに針をねじ込んで。穢らわしいカミキヒカルのヒカルカミキを切り落として。なんならヒカル木の実を二つともペンチで潰しちゃおう。
その後は首から下を海岸に埋めて、潮の満ち引きの元でじっくりこの世から退場して頂く。
死肉をカラスに啄ませて、骨になっても誰にも見つけられない場所で……。
「ルビー。ルビー。戻ってこい」
「……っ、うぅ……」
目を潤ませるルビーの頭に、ポンと優しく、アクアの手が乗せられる。少しだけ困ったような顔をする兄の姿がそこにはあった。
「奴はもういない。恨んではいるさ。死んでもこうして俺達をムカつかせているんだから、相当だ。けど……昔の俺なら絶句しそうだが……今は復讐ごと消えてくれてよかった。そう思えるようになったんだ。だって復讐は……俺達二人を引き裂いていただろうし、間違いなく不幸にしていた」
「………お兄ちゃん……!」
「前は不幸になったってよかった。それでアイの無念を晴らせるならって。でも、今は……俺達は違うだろ?」
「……復讐、多分これ無理だぁって、話だったもんね。具体的に殺したい手段はめちゃくちゃ浮かぶけど」
「……さっきの、マジで凄みがあったぞ。サイコパスな殺人者役とか出来るんじゃないか?」
「じゃ、初めて殺る相手はお兄ちゃんがいいな〜」
「ハハッ、コイツめ……ガチめにトラウマになりそうだが?」
わざとらしく身震いするアクアを見ながら、ルビーは静かに。さながら小刀を鞘に納めるかのように激情を消失させた。
うん、これでいい。自分達はこうすることを選んだのだ。
でも……ならば、アクアは、どうしてこの映画を撮ろうとしているのだろうか?
「色々とあるが……まずは、アイツを殺した犯人が捕まっていないことだ」
「……何か関係あるの?」
「あるさ。事情を掘り下げられていないから、アイツは今もただの被害者だ。若手のCEOが不幸な事件に巻き込まれた……このままでは、それで終わってしまう。だが、そうはさせない。死体蹴りなのは承知だが、アイツがやったことを闇に葬ったまま……は、流石に俺が嫌だ」
「……俺が。じゃなくて、私達」
「……ああ、そうだな」
アクアの言葉にルビーは頷いた。これに関しては全面的に同意する。あの世へ逃げようとも、許してやる気はさらさらなかった。
「次に……そうだな。残りは正直に言ってしまうと、俺の個人的な我が儘と、打算や下心がある」
「……何かいきなり俗っぽいこと言ってるけど、まぁ続けて」
頭ごなしに否定する気はない。何故ならそう言うアクアの顔は戸惑いや恐怖。苦渋に……確かな決意で彩られていた。
「アイの遺言……といっていいのかな。生前にドキュメンタリーを撮りたいって話を持ち出したのは、何も会社が提案していたから……だけじゃない。明確な願いがあったんだと思う。それを叶えたい」
「ママが……?」
「ああ。それが俺の我が儘だ」
「……打算と下心は?」
ルビーの言葉に、アクアは少しだけ渋い顔になる。あ、これ言うの気が進まないのと……ちょっと恥ずかしがってる? 長年兄妹をやってきた背景もあり、ルビーはそう直感した。
「まず、少しだけ我が儘に通ずることになるが……アイの言葉が、正確に世間に届いていないから」
「嘘はとびきりの愛……?」
「そうだ。かつてドーム公演直前までのし上がったが、不幸な事故で殺された。そのアイドルには、実は子どもがいました……誰も知らないとこで有馬がやらかして、俺が更にやらかした結果、世間では美談になってはいるが……彼女の真意や覚悟がしっかり語られていないんだ。……推測というか、いつかにアイがくれたビデオレターを見てて感じたことなんだが、彼女は自分の思いの丈とかを、いつか世間にぶちまけたい。……そう考えていたんだと今は思う」
「ママの願いが、私達との関係の公表だったって言いたいの?」
「それも願いの一部なんじゃないかな。下手したら本当に色々なことを全て語りきって……それでもいつか、何もかも手に入れようとしていた。欲張りな彼女が今も生きていたなら、それくらいのことをしていたのかもな」
「……手に入れたいのは……」
「アイドルとしての幸せ。母親との幸せ。アイ自身が思い描く幸せ……たぶん全部だ」
アイドルとして大成して、母親としての自分がいて。その子どもたちがいつかアイドルや役者になって……。それは、当時の彼女では想像もできないことではあるが、手に入れたい何かだったと思う。
「こんな型破りで。でもどこまでも眩しいアイドルがいたんだって、俺は伝えたい」
そう締めくくるアクアをルビーは黙ってみつめたまま。軽く。優しい拳骨をアクアに落とした。
「えっと……」
「これはそんな想いを汲み取れるくせに、ママを題材にした映画で復讐と心中しようとした分。他色々っ!」
ペコン。ペコンと三発アクアを叩いてから、ルビーはプクッと頬を膨らました。
「アイ役って……候補いるんだよね?」
「……ああ。想定キャストはあかねか……フリルだ」
「…………うぐぅ」
競合相手の強力さに、思わずルビーは呻き声をあげる。流石にそこには勝てないのでは? 何て弱気が鎌首をもたげかけるが、そこでアクアが「監督はお前を推していた」という言葉を聞き、どうにか己を奮い立たせる。
尚、今意欲を見せても既に面談は終わっているので本来はもはやどうにもならない事態なのだが……ルビーはそれに気づいていなかった。
「お兄ちゃんは、何やるの?」
「犯人役だ」
「………………え、大丈夫?」
純粋にアクアの体調と精神面が心配になり、ルビーはおずおずと問いかける。
ただでさえトラウマで不眠を誘発してるのに、そんな役までしたら一生眠れなくなるのでは? そんな懸念があった。
「わりと大丈夫じゃなかったな。さっきも監督にゲロふっかけちまった。……悪いことをした」
「ダメじゃん! どうすんの!?」
「……どうにかするさ。これを乗り越えないと、ゆくゆくは俳優を廃業しなくちゃいけなくなるからな」
それは……ちょっと遠慮したい。アクアがそう口にすると、ルビーは目を見開いた。
「……俳優、ちゃんとやる気になったんだね」
「……ああ。贖罪というか、アイも喜んでくれたらって」
ルビーはその時、アクアマリンの瞳に確かな一番星を見た。久しく目の当たりにしていなかったその輝きは、いつかアイがそばにいた時の幸せな時間を思い出すかのようで……。
少しだけ、込み上げてくるものがあった。
「うん。うん……! 絶対。絶対喜ぶよ。……なんなら私が共演したら、ズルい! って悔しがりそう」
「それはお互いに。だな。二人だけ共演してズルい! って具合に」
「あはは……言えてる〜」
夜はふけていく。兄妹は笑い合いながらも、これより進むべき道を確認しあった。
暗い道ではなく、一緒に明るい方を目指して。
「……頑張ろうね。お兄ちゃん」
「……ああ。まぁ、お前はまず役を貰えるかどうかすら分からん訳だが」
「そこは何とかしてよアクえも〜ん! それよか、本当にどうするの? お兄ちゃん。……大丈夫? おっぱい……もとい、みなみ呼ぶ?」
「……無茶言うな。寿にこれ以上迷惑かけられるか」
「見える……見えるよ。おっぱい休憩しながら頑張るお兄ちゃんの姿が。メイキング映像も合わせて撮ったら、晴れてお兄ちゃんのおっぱい星人ぶりも全国デビューに……」
「やめろ。俺が炎上して、日本に味方がいなくなるだろ」
……限りなく前途は多難ではあるけれども。
※
今更説明するまでもなく、黒川あかねの頭脳は優秀である。例えばそれは、僅かな情報だけで、その場の大体の情報を把握してしまう程度には。
故に彼女は、不知火フリルに呼びだされた場所にルビーがいて。主演を巡って個人オーディションをする。という事態を耳にした時……まるでスーパーコンピュータもかくやに彼女は答えを弾き出した。
「(多分、映画はアクアくんが一枚噛んでいる。ルビーちゃんが関わるなら、介入していない筈がない。でも、何のために? 俳優の仕事に本腰を入れた? ……それなら嬉しいけど、そこは情報が足りない。――なら、何をしようとしてる? このタイミングでの映画。本来はやろうとしてたこと? 主演……。フリルちゃんは言動からして、自分を役に抜擢されたい訳じゃない。私も呼んだ理由……ルビーちゃんを主演にしたいか、降ろしたい? 前者が自然そう。あの不知火フリルが自分の主演を蹴ってまでルビーちゃんを推したい理由……以前の通話では、少し快楽主義みたいな側面あり。楽しいこと、美しいもの、人同士の関わり……ああ。元が復讐で、あの時のアクアくんがやりそうなこと……総合的に考えたら、この主演は……星野アイ役を決めるもの)」
アンタ役者以外でも食っていけるわ。絶対に。そう断言する有馬かなが脳裏にチラついたが、あかねは気の所為と思うことにした。
そう気づいた上であかねが思うことは……。
「(興味は……なくはない。アクアくんも何らかの役はする筈だから。でも、私も主演候補なのだとしたら、フリルさんかルビーちゃんが引き受けたとしても、多分何らかの役の打診はこちらにありそう。アイ役は自信はあるけど、そこまでこだわっている訳じゃない)」
だからこそ、フリルの説明にあかねは「興味ないなぁ……」と、素っ気無く答える。
この映画は、アクアの復讐が終わったのだとしたら、既に消化試合のようなものだ。恐らくは本来の計画を進めていた以上、取り下げる訳には行かなくなったのだろう。
責任感がある彼なら、ちゃんと成し遂げるに違いない。ならばこのような場に付き合う意味はなく。あかねは適当に辞退してフリルの思惑通りルビーに主演を……。
「主演の相方はアクアさんだよ」
「…………」
踵を返しかけた所で思わず立ち止まってしまったのは、半ば条件反射のようなものだった。
その瞬間、フリルは音もなくあかねに忍びより……その耳元で囁いた。
「因みに、ベッドシーンもあるよ」
「審査内容は? そもそも誰が審査するの? 詳しく」
今なら手のひらにドリルが付いていると言われても構わなかった。
まさに劇薬にして悪魔の囁き。
国民的小娘にいいように踊らされているのは自覚している。それでも……。
「(や、やりたい……! 贅沢なのは承知だけど……! 初めて(ベッドシーン)はアクアくんがいいもん……!)」
恋に惑う乙女にとって、その願いは切実なものだった。
ベッドシーンがある(アイ役のとは言っていない上に、明確な濡れ場とは言っていない)Byフリル