都内に乱立するビルの一角。その一室を使ったスナックバーは、知る人ぞ知る会員制の店だった。
かつて姫川と金田一敏郎で入った店とはまた違う場所。業界に在籍してこそいるが、それだけでは生活が成り立たない者達が働くそこは、以前も感じたアンダーグラウンドさをより濃く匂わせるようだった。
というか……。
「…………」
星野アクアは、顔に手を当てそうになるのを必死にこらえていた。
はっきりと言うならば、昼間から入るのは躊躇われる店だったのである。
相談がある。と連絡したら「わかった。最近開拓したイイ店がある。そこへ行こう」そう返事が来て、当日ホイホイついてきた結果……ここへたどり着いた。
スナック『ワンダフル・マウンテン』
給仕スタッフは全員女性。どことは言わないが、非常に起伏に富んだ……もとい。ワンダフルなものがある者達で構成されていた。
「景色がいいんだよ、ここ。都会でも有数の山脈が見られる隠れスポットだ」
「窓ねーだろが。この店」
「窓なんていらねーだろ。そこに可愛い女の子がいればな。何? フォ前、ビルナンテ見テ、タノシーノ?」
「メルトはもう許してやれ」
「……根性あるし、見てくれも華やかだから、実はファンなんだよな」
「それは初めて知ったぞ」
軽口を叩き合う。東京ブレイドの一件以来、殆ど会ってはいなかったが、定期的に連絡は取りあっていた。
それこそ、主演やドラマ役が決まった時に「おめでとさん」と一声かけ合う程度ではあるけれど。
「……で、どした? 相談があるんだろ? あ、ナポリタン頼むか? ここのは美味いぞ」
「……ああ。相談ってか……質問っていうか……ナポリタンは……」
「……迷うなら食っとけ。奢ってやる。かなり無茶してんの? 顔色悪いぞ」
「睡眠不足、三日目なだけだ。定期的に回復してるから問題ない」
「睡眠負債抱えてる時点で宜しくないって気づけ。――ナポリタン二つ。一つは大盛りで」
姫川の注文にスタッフは「はぁ〜い」と甘い声で返事をしながら、独特の歩調でカウンターへ引っ込んでいく。
“意図的に大きく揺らす”歩き方だった。一応サイズがある子は別に意識しなくともほんのり揺れることはアクアはよく知っている。だからこそ、それに気づいたのだが……。
「(いかん。余計な事を考えてるな……)」
指で眉間を揉みながら、アクアは小さくため息をつく。これではルビーやかな。あかねに言われている納得がいかない悪口が現実になってしまう。
切り替えねば……。そう思いながら顔を上げると、姫川が笑いを堪えるかのような表情でこちらを見ているのに気がついた。
「……なんだよ」
「別に。ただ、腹違いの弟がおっぱいマイスターに目覚めかけてるのを見たら……ははっ、笑える」
「笑えねぇよ。てか、勝手に変な称号つけるな」
「もっといいものを俺は知ってるぜ。って顔しといてか?」
「してねぇ。…………え。してない、よな?」
「……すまん、そこは冗談だったんだが。何か分析するみたいな顔してたもんで…………え。なんなの? ガチなの?」
みなみの方がいいと感じたのは確かだが、それは最初から圧勝だからであり、比べて批評などする必要はない。
ただ、今頃写真集に向けて頑張っているのだろうか。だとか、今度美味しいパワーサラダでも作ろう。位しか考えていないのである。
「……そんなわけないだろ」
「目を見て話せや愚弟。有馬……は、ないな。黒川……は、破局してたか。何お前、もう別の……暫定巨乳な女転がしてんの? 遺伝的な因果が怖すぎるんだけど」
「言いたい放題だなぁ、お兄ちゃんよぉ」
「お兄ちゃんは止めろ、鳥肌が立つ。せめてお前の妹に言わせろ」
「ビルから叩き落とすぞ愚兄」
「残念。ここに窓はねーんだよ。あるのはナポリタンと、ふわふわで抱き心地いい女達くらいだ」
「……いらん」
「え〜? ナポリタンいらないの〜? 私の自信作なんだけど〜?」
「…………」
「おっ、来たか。サンキュ」
ヒートアップしかけた所で、ナポリタンを手にしたスタッフから横槍が入る。黒髪ショートボブに、目元の泣き黒子が印象的な、大学生くらいの女性だった。
ナポリタンと一緒にアクアの方にオレンジジュース。姫川の方にジンジャエールが並べられる。
「今日は飲まねぇんだな」
「相談内容によるがな。一応夜に稽古あるから、余程のことがなきゃ飲むつもりはない。……それこそ」
何故かアクアの隣に陣取ろうとした黒髪スタッフに「悪いな。内緒の話なんだ」と言って退席を願いつつ、姫川はもう一度、周りをグルリと見渡してから小声で呟いた。
「俺達の父親関連の話じゃなきゃな」
「……っ!」
目を見開きながら、アクアは姫川の方に視線を向ける。すると姫川は静かに肩を竦めながら「マジか、俺んちにしとくべきだったか……」とボヤいていた。
「……何というか、お前が俺達の父親を知りたがっていた時の雰囲気は、ただ事じゃなかったからな。急にまた接触を取ろうとしてきたから、もしかしたら……くらいには思っていたが」
「……正直、話すべきかどうかは迷った。知らないほうがいいかもしれないが……何となくアンタなら、事が動いたら勘付きそうだったから……嗅ぎ回って秘密を暴いた俺が話すべきかもって、思ったから」
「……そんな顔するな。別に今更……例えば父親が別の男だった……なんて話が来ても驚かねぇよ」
自嘲するようにシニカルな表情を浮かべる姫川。アクアはグッと拳を握り締めながら、項垂れるより他になかった。
自分の兄は、思っていた以上に鋭い人物だったらしい。アクアはやりきれない想いを抱えながら、静かに話を再開した。
「――っ、気づいていたんだな」
「………………え? マジ?」
「………………え?」
ポカンとした顔で二人の青年が見つめ合う。
嫌な沈黙がその場を支配していた。
やがて、アクアは一気に青ざめていき、姫川は顔を引きつらせていく。
「そこも冗談かよ!」
「いや、適当に言っただけだったんだが……マジか。マジかぁ……」
闇深ぇなぁ芸能界。と、まるで他人事のように姫川は口にした。
「確かなのか?」
「俺の母親――アイは……実の父親が扇動したストーカーに殺された。当時の住所を知っていた者は限られていたし、色々な背景は省いてしまうが、アイが連絡を取るとしたら父親くらいだった」
「証拠としては……少し弱いな」
「裏付けは取れている。それに父親の経歴は調べたが……真っ黒だったよ」
「なるほど。お前の母が星野アイで、その父親に殺されたって事は……結果的に、俺の父親もソイツってことになるのか。じゃないと時系列がおかしくなるもんな」
「……ああ。そういうことだ」
何であの時は、そんな単純な落とし穴に気づかなかったのか。まぁ、理由はもう大体察してはいるのだけれど。
「で? 相談と俺らの父親がヤベェ野郎だったって話に何の関係がある?」
「……少しだけ長い話にはなる」
「食いながらでいい?」
「勿論だ」
そうしてアクアは話し始める。映画を撮ること。今更ながら、姫川にも許可を取るべきだったという謝罪。自分が成そうとしていたこと。既に自分達の父親はこの世にいないこと等を、ゆっくりと。
尚、ナポリタンはオススメするだけあり、絶品といえる出来だった。
シンプルな料理ほど、細かい工夫で味が格段に良くなるんだとか。ここでは料理上手なスタッフの一人が作り方を他の子に広め、以来名物メニューになったり、彼氏の胃袋を掴むのに一役買っていたりもしたんだとか。
「大変だったんだね〜アクア君。よくわからないけど」
「てか、姫川さんと兄弟なの〜? ウケル。あっ、でも雰囲気は似てる?」
「話の流れはよく分からないけど、姫アク。……アリかも」
「あってたまるか。胸もぐぞ」
「いや〜ん」
「…………………オイ待て」
話して、顔を上げたら、何か人だかりが出来ていた。
姫川の左右と後ろに引っ付くようにしてお店のスタッフ。
更にはアクアの隣にも、ちゃっかりさっき姫川が追い払った黒髪の女の子が陣取っていた。
「お店、今客は俺らだけだから、暇だったらしい」
「暇って理由だけでこの雰囲気に突撃して来れる人が四人もいるとか、勘弁して欲しいんだが?」
「聞かれちゃ不味い話だったか? 死んだと思ってた親父が親父じゃなくて、マジモンの親父はもう死んでいて。……まぁ何も知らなかった俺はともかく、お前はだいぶ人生振り回されてたっぽいが……」
「アクア君、大変だったんだね。お姉さんがギュッてしてあげようか? Fカップだよ〜?」
「はい、サバ読み乙〜。ホントはEでしょうが。アクア君、私は〜? 私はホントにF……いや、Gあるよ?」
「嘘つきしかいないよねぇ。芸能界って。アクア君、姫川さんの雄ぱいはどう? バスト90くらいは……あるかな? ないかな?」
「測ったことねぇから、知らん」
何だろう。結構シリアスな話をしていた筈なのだ。なのにアクア自身も少しだけ毒気を抜かれたような気分になる。
すると、横にいた黒髪ボブの女性が、クスクスと口元に手を当てながら笑い始めた。
「そこ三人は胸に栄養と脳みそを持ってかれてるの。三歩歩かなくても忘れちゃう、ニワトリ以下の子達だから、心配しないで」
「酷いですね」
「でも、そんなとこに助けられたりもするのよね。馬鹿だけど思いやりはいっぱいある子達よ。馬鹿だけど。あっ、私は口堅いから、そこは安心して?」
「あーっ! ズルいぞノンさん!」
「そーだ! そーだ! 自分だけインテリ感出しやがって! ……実際そうだし、ここで一番売れてるけど!」
「寧ろここにいるのもちょっと変だけどね! いなくても充分食べてける……嘘です! ここにいてください!」
勉強教えて! 仕事仲介して! 料理教えて! 恋愛アドバイスよろ!
きゃいきゃいと騒ぐスタッフ達。騒がしいが、ノンと呼ばれた女性との、確かな信頼が見えてくるかのようだった。
「ね? 可愛いでしょ?」
「慕われているんですね」
「ここには忙しい時以外は、出来るだけ来るようにしてるの。端から見たら、ただの安っぽいビル中のスナックだけど……私にとっては思い出の……オリジンって言っていい場所だから」
君も初心を忘れないように……ね。
そう言ってこちらにウインクしながら、彼女は他の三人を姫川から引き剥がし、カウンターの方へと引っ込んでいった。
「…………」
「…………まぁ、アレだ。結局、俳優として歩みたい。そう思ってるって解釈でいいか?」
「そうだな。……ああ、その通りだ。ただ、この映画については話すべきだと思ったし……多分そっちにオファーも行く」
「なるほどな。まぁ、なら来るのを待ってるよ。どんな役でも完璧にこなしてやるさ」
「……ありがとう」
一先ず、目的としていた一つは果たせたのでアクアはホッとする。
実のところ、ほぼ無いとは思っていたが、万が一姫川が父を掘り返すのは止めろ。と言ってしまった場合、少しだけ面倒なことになっていたからだ。
「……で。お前は大丈夫なのか?」
「………………何がだ?」
「隠すなよ。これでも東京ブレイドで共演した仲だろ。時々体調悪そうだったのは見てる。……まぁ、この背景を省みりゃ納得だが」
「………っ」
隠していたつもりだったが、演技のプロ……その中でも最上位に位置する男には、お見通しだったらしい。
「お前の役は何だ?」
「……犯人役」
「成る程。つまり俺達の父親か、あるいは実行犯役か」
「……万が一、俺が駄目だったら、アンタにこっちの役が回って来ると思う。……だけど。……だけど、この役だけは……!」
乗り越えねばならない。そういう類いのものだ。
そう宣言するアクア。これがもう一つの、姫川を呼び出した目的だった。
彼の覚悟であり……仮に倒れてしまったならば、きっと迷惑をかけてしまう。その謝罪でもあった。
姫川はそんなアクアを黙って見つめて……やがて、どことなく眩しげに破顔した。
「ああ、そうだよな。……これはお前が始めた舞台だ。幕を引くのは……お前であるべきだ」
そう言った後、何故か大事に取っておいていた、フォークにたっぷりと巻かれたナポリタンを、姫川はパクリと咀嚼した。
「……以前、パニック障害を抱えた主人公の役をやったことがある。そいつは時々逃げながらも、道中どんなにみっともなくても、自分が少しずつ克服出来ていると信じて、進み続けていた。最後まで、戦った。まぁ俺は専門家じゃないし、参考になるかはわからんがな」
「戦う……」
「必要だろ? お前の感情演技……ブレイドの時も凄え良かったが、出すまでが苦労しそうだった」
「……流石。よく見てるな」
「周りの力量も測れなきゃ、いい演技や作品は出来ねぇからな。で、お前に今必要なのは……不本意だろうが、父親についての考察を重ねること」
「…………ああ」
薄々気づいてはいた。いい演技をすることが必要で、この映画をより良いものにするには……アイの人生が変わるきっかけの一つにもなった、カミキヒカルの理解を深める必要があった。
当初の予定ではただ、真実を白日の下に曝す。それだけで良かった。復讐という燃料もあり、ある意味で演技に感情も乗せられたことだろう。
殺すべき相手。それだけでよくて、そのルーツや何を考えていたかもどうでも良かった。映画の主役は、あくまでアイなのだから。
「……アンタから見た、父親はどんな奴だ。俺の話を聞いた上で」
「てか逆算すれば、父親になった年齢エグすぎるな。父親も嫌いだが、母親も恐怖の対象になりそうだ。まぁ、そうだな……正直、思うことは何もないよ。間違いなく酷い奴なんだとは思う。見えてくるほんの一部では、同情すべきものがあるのかもしれない。けど、別にって感じだ」
「ドライだな」
「いや、こんなもんだよ。昔の出来事に関してはもう折り合いがついてるからな。勿論これは俺のペースだからお前は気にしなくていい。だから役者目線での話になるが――」
――カミキヒカルは元々壊れていたのか。壊されたのか。もし奴の背景や行動を演じるならば……それを俺は、どうしても考えてしまうな。
※
「色々と、助かったよ。ありがとう」
「気にすんな。頼ってくれて嬉しかったよ。複雑だが、兄弟であることに変わりはないからな」
飲み物を飲み干し。何故かスタッフのノンさんにプリンパフェを勧められるというハプニングはあったが、アクアは来た時に比べれば憑き物が落ちたかのような心境だった。
気は重い。重いに決まっている。奴が考えたことを考察するなんて吐き気がするが……それでも必要なことなのは間違いないのだ。
「アクア君っ」
姫川と店を連れだって出ようとした矢先、くいっと袖を引かれる。何だと振り返れば、ノンさんがすぐ傍まで近づいて……そのまま、アクアの腕をその豊満な胸に抱く形で引き寄せた。
「“キャノンファイア”所属、ノノン。私の名前よ。良かったら、探してみてね」
「……何でそんな、正体をバラすような事を俺に?」
「えっ? ただタイプだから……じゃ、ダメなの?」
みなみと同じ事務所の名前。それに反応しかけた身体を、アクアはどうにかして押し留めた。
一方ノノンはこちらの腕を離さずに、小首を傾げつつ流し目を送ってくる。アクアはその姿に目を細めた。
「嘘だな」
「あら、ざっくり」
「根拠はないさ。でも、一目惚れにしちゃあ、アンタの視線から、そんな熱を感じない」
「それも根拠ないんじゃない? 内に隠すタイプかも?」
「ならこんな大胆な行動しないだろ」
沈黙が流れる。やがて、降参〜。というようにノノンはアクアを解放した。
「アクアくんさ。彼女いたりする? あるいは好きな人」
「さぁな」
「あ~いるかぁ。姫川さんの考察からしたら巨乳なの? あるいは美乳? それとも貧乳派?」
「胸の話題から離れろ」
「だってさぁ、こうも興味ありませ〜ん。あの娘がナンバーワン。って反応されたら……気になるし、悔しいじゃない」
それで男を誘惑するのはどうなんだ? と思いはしたが、わざわざ指摘してやる必要もないので、アクアは黙ることにした。
「私ね、Gだよ?」
その言葉に思わず反応してしまったのは……男の性ではなく、単にみなみを思い出してしまったからだった。
「ふむふむ、彼女さん(暫定)はGカップかそれ以上と」
「……まぁ、勝手に考察しててください」
「私のおっぱいと、揉みくらべてみる? 同じGでも色々あるの。私の方が――」
「それはない」
寿がいい。と危うく口にしそうになったが、気合いで抑える。名前出しは流石に洒落にならない。ただ条件反射で答えてしまったのは、反省すべきだろう。
「あはは……うん。今度は嘘じゃなく。ちゃんと君に興味が湧いたかな。――また会おうね? “星野アクア”くん?」
チュッと投げキッスしてくるノノンを無視して、アクアは先に入口から出ていた姫川と合流する。
何だかどっと疲れた気分だった。
するとそこで、姫川がどことなく苦笑いしながらこちらを見ているのに気がついた。
「何だよ」
「……いや。カミキヒカルに関して、もう一つ言えることがあった。色々やらかしてるが、これだけは間違いねぇ。奴は女好きでスケコマシだった。ああ、そうだろうとも」
「……根拠は?」
「血。俺は可愛い女の子好きだし、お前もまぁ、一人に決めてるっぽいが、生粋のおっぱいソムリエときた。これ以上ない証明じゃねぇか。――笑える」
ホント、絶望しかねぇよ。
そうボヤく姫川大輝は……それでもどことなく、愉しげな顔だった。