陽東高校の敷地は広く、それでいて閉鎖的だ。
芸能科という他の高校に比べて非常に特殊な学科を有しているだけあり、セキュリティ面が何重にも強化されているのは勿論のこと、購買や食堂なども東西などに分かれて何軒か構えられている。
多忙な芸能人のプライベートにおいて少しでもストレスを減らすためだとか、単純にお金がありあまってるからだとか、諸説はあるが、総じて言えるのは、ほぼ確実に煩わしいパパラッチ等のカメラが許可なしに入ってこないおかげで、秘密の話をするのに誂え向きな環境だということ。
互いが芸能人なので、こういう場が貴重なのだと理解が出来る。万が一ヤバい話を聞いたとしても、お互いに聞かなかったフリをする。100%安全とは言い切れないものの、それが暗黙の了解みたいなものなのである。
故に。昼休みが始まるやいなや、不知火フリルによって校内庭園の一つへ連行された寿みなみは……逃げ道を完全に失っていた。
そこは大き目の噴水を取り囲む形で、いくつかの白いベンチが安置されていて、それらを更に覆い隠すようにしてトピアリーが迷宮のごとく大量に配置されていた。
『噴水園』
内緒話や、ここだけの話だが学園内で逢引の場にも使われる、遮蔽物まみれなスポットの一つだった。
「さぁ、みなみ。色々と吐いてもらうよ。主に私が午後から行く、仕事のモチベーションの為に……!」
「めちゃくちゃ私情はいっとるぅ〜」
普段はどことなく上品なシャム猫を思わせる彼女だが、今この時は違う。ベンチにて隣同士で座りながら、こちらにグイグイ迫る姿ときたら……。極上の獲物を見つけたライオンにしか見えなかった。
「そ、そもそもウチ、彼氏が出来たなんて一言も……」
「私、実は教室に来る前にアクアさんと偶然会ったんだ。私服姿の」
これ、アカンかもぉ……。
みなみは内心泣きそうだった。
「あれれ~? おっかしいぞぉ〜? 何で制服がないのかなぁ? ロッカーに予備はあったみたいだけどぉ」
「し、仕事から直接来たとかやないの? ほら、急な予定変更でぽっかりオフになる……とか」
「え、何? 新手の匂わせなの? アクアさんの言い訳と完全に一致してるんだけど」
「――っ!? い、いやぁ! 偶然! 偶然やろぉ……! よくある話やん。言い訳なんて決めつけるのは……」
「いい匂いがしたんだよね。女の子の香りが」
「お、お兄さんがそういう匂いなんちゃう?」
「マドレーヌや、ワッフルみたいな……フワフワ優しい。それでいて上品な香り。ちょうど私の目の前にいる女の子と……全く同じ匂い」
こう見えて、勘も鼻もいいの。と、フリルは胸を張りながら自分の鼻を得意げに指でつついた。
ウチ、そういう匂いしてるん? 全然わからへんのやけど……。
みなみはつい、自分の身体に向けて鼻を動かしてみるが……残念ながら何も分からなかった。
「なんでかな〜」
「あ、あう……」
「気になるよね〜。そうそう匂いなんて身体につかないと思うんだけどな〜長時間ピッタリくっついてたとか……そんな事がない限り」
フリルの追求は続いていく。めっちゃ楽しそうやんと口を尖らせれば、楽しいよ。お弁当のご飯が足りないくらい! なんて台詞が返ってくる。ただの無敵な人だった。
「……その、誰にも」
「言わないよ。当然でしょ。……ただ、ここまで言っておいてごめんなさい。みなみが本当に嫌だったなら。話したくない事があるなら、これ以上は聞かないよ」
「……え?」
さっきまでの勢いは何処へ行ったのか。みなみはフリルの真意が読めず、思わず首を傾げた。
するとフリルは、少しだけ肩を竦めながらも、魅力的に微笑んだ。
「だって、ある意味で友達の一大事だよ? 気になるじゃん。騙されてないかな? とか。酷い目にあって泣き寝入りしてないか心配だな。とか。……エッチなお話をぜひ詳しく……とか」
「さ・い・ご!」
抗議するみなみに、フリルはクスクスと笑う。
「冗談。興味があるのは嘘じゃないけど、ただそれ以上に心配だっただけなの。……本当だよ」
そう言ったきり、国民的マルチタレントは黙って聞く体制になる。采配というか、話の回し方うまいなぁ……なんて漠然とした感心がみなみの中に芽生える。
「……えっと、本当にフリルが想像したような、エ……エッチな事は何もなかったんやで?」
断片的に語るならばいいだろう。実際恥ずかしいことはあったが、やましいことがあった訳ではないのだから。
みなみはそう結論づけて、取り敢えずアクアが自宅にお泊まりした。という事実だけを告げることにした。細かい話の内容は当然伏せる。アクアの人生の秘密は、たとえフリルが相手だったとしてもしっかりと、隠し通すつもりだった。
すると……。
「なるほど、部屋に二人きり。お泊まり。つまり……いいね。滾ってきた」
「たぎ……!? えっとフリル? だからウチとお兄さんは……」
「皆まで言わなくていいよ。みなみはアクアさんと……寝たんだね」
「――――いや、言い方ぁ!」
間違っていないのが恐ろしい。するとフリルは「えっ!?」といった顔で口元に手を当てる。
「まさか……何もしなかったの? みなみと一つ屋根の下で? 二人きりで? アクアさんが?」
「そ、そんなお兄さんが女の敵みたいな言い方せんでも……」
「……うん、確かにそう。ごめんなさい。少し言い過ぎた。で、本当に何もなかったの?」
「……えっと」
思い返すのは深夜の出来事。
悪夢に苦しむアクアを抱きしめたこと。胸に顔を埋められた時、何だか可愛いと思ってしまったこと。そのまま一緒に一夜を過ごして。朝起きたらまるで恋人同士のように抱きしめ合っていて……。
「(って、言えるわけないやろこんなのぉ!)」
顔を真っ赤にしながら頭をブンブンと振るみなみ。一方、それを眺めていたフリルは「ああ、お茶がうまい。最高の日」と和んでいた。どこまでも自由で、猫みたいな少女だった。
「てか、どうしてお泊まりになったの? 部屋に招いたのも、実は結構衝撃的だったけど」
「えっ? せ、せやなぁ……」
話題を逸らしてくれた。そのことにみなみは内心でホッとする。距離の取り方をしっかりと心得ているから、エキセントリックな話をされても、こっちは好意的になれるんかなぁ。そんなことを考える。
……だとしたら、この会話はわりと勉強になるのでは? 今更ながらみなみは相手の偉大さに衝撃を受けていた。
因みにフリル当人は、そこまで考えていなかったりする。良くも悪くも彼女は本能型だった。知らないとは幸せなことである。
「えっと、詳しくは言えへんけど……お兄さん、結構落ち込んでたねん。で、ほっとけ無くてウチが引っ張って……」
「……雨の中? 二人はずぶ濡れで?」
「い、いんや。傘はウチが持ってたんよ。あっ、でも最初お兄さんはずぶ濡れやったなぁ。だからつい声掛けたんやけど」
「……相合い傘。手繋ぎ。――――フゥ。ありがとう。続けて」
「え? うん。で、家ついたら……」
「シャワー!?」
「あ、浴びてもろて……お話ちょいとして。お兄さん……そのやっぱり元気ないなぁおもて」
「完璧なシチュエーション! 私だったらそこで元気になるあの台詞を推す! ――っと、失礼。取り乱した。私の願望出ちゃった。みなみ、続けて。……みなみ?」
例の台詞。その単語でみなみの黒歴史(最新)が発掘された。
『ほ、ホンマに大丈夫? ウチのおっぱい揉む?』
……今思い出しても、テンパっていたとはいえ、とんでもないことを口走ったものである。
恥ずかし過ぎたなぁアレ。というか七割くらいはフリルのせいちゃうか? なんて回想に浸りつつ、みなみはその時のポカンとした表情のアクアと、彼が直後に笑って少しだけ元気になってくれたのを楽しげに思い出す。……よりにもよってフリルの目の前で。
「……言ったの? あの夢の台詞を、私以外の奴に」
「はぇ?」
むんずと、みなみの両肩が掴まれる。
恐る恐る彼女の顔色を伺うと、逃さないと存外にフリルの目が語っていた。
「みなみ、説明を求める。私は今、冷静さを失いそう」
「(ど、瞳孔めっちゃ開いとるぅ! てか怖いわぁ! 美人が静かに怒ると怖いわぁ!)」
恐れ慄くみなみの目を、フリルはじっと見つめる。さり気なく嘘発見の手法だったりするのだが、みなみはそんなこと知る由もなく。観念したようにコクコクと頷いた。
「え、羨ましすぎる。なんなのあの男。ぶっ殺したいんだけど」
「そ、そこまでなん!?」
「だってズルい。みなみのGカップをふにふにグニュングニュンしたんでしょう!?」
「グ、グニュ!? い、いや……その……」
「…………え、嘘でしょ? もっとその、凄いことしたの?」
「あー、えっと」
みなみは分からなかった。揉むんと、顔埋めるのって、どっちが凄いことなんやろ?
流石に口には出せず、みなみが目を回していると、フリルは三回深呼吸してから「教えて。私の燃えと萌えの為に」と興奮気味に聞いてくる。
恥ずかしいのに〜と思いつつ、みなみはフリルの耳元に口を寄せて……。
「あっ……ああっ……!」
何故そうなったのかはぼかしつつ、内容を話す。変な声を出されたから多少びっくりしたが、フリルは無言で親指を立てて幾度も何かを噛みしめるように頷いた。
「みなみ、ASMR音声出して。絶対売れる。てか私が買う。――供給過多で人ってトベるんだね。私の脳大丈夫かな? 仕事中に爆発しなきゃいいけれど」
「AS……? てかそれただの大惨事やん。……あの、で……どうなんやろ?」
話の内容で理解できなかったものは置いておき、モジモジしながらみなみは問い掛ける。もっと上目遣いで。という謎の注文が来るが、それはサクッと無視した。
「そう。みなみはアクアさんにママにされちゃったんだね」
「フリル、頭おかしくなったん?」
「……あの、正論は時に人を傷つけるんだけど。まぁ聞きなよ。嫌ではなかったんでしょ?」
「え……?」
「彼に抱かれて。嫌じゃなかったんでしょう? みなみからも泣いてるアクアさんを抱きしめて。カッコ悪いなんて思わなかった。……違う?」
泣いてるとまでは言ってないんやけど……あ、これ勝手にストーリー作ってるやつや。そう内心で正解にたどり着きつつ、みなみは苦笑いする。
実際には確かに涙を流してはいたのだけど、それはみなみだけの秘密であり、教えてあげる気はなかった。
「……うん。嫌や、なかったよ? 私からしたのやって……何か甘えん坊なとこもあるんやなぁって。可愛いなぁって……。こういうの、ギャップ言うんやろか?」
「……大丈夫? アクアさんが可愛いって、重症じゃない? 頭診てもらう?」
「急に正気に戻るのやめぇや」
そこで何となく二人で見つめ合い、みなみとフリルは謀ったかのように同時に吹き出した。
何だか愉快で楽しかった。やっていることは、とある男の子をネタにした世間話に過ぎないのに。みなみは何となく、ずっと話してたいな。なんて感じてしまう。
すると、不意にフリルのスマートフォンが鳴動する。アラーム音は、タイムリミットを示していた。
「残念仕事。せっかく発掘した推しカプで盛り上がってたのに。……電話して仕事延期にしたり出来ないかな?」
「なんてこというねん」
「さすがに冗談。じゃあね、みなみ。また話そう」
キュッとみなみの手を両手で包むように握ってから、フリルは歩き出す。颯爽とゆくその後ろ姿は、やっぱり凄く格好良くて……。
「あっ、みなみ! 進展あったらまた供給よろしくね。次はよりエッチなのを望むよ」
「――っ!? 台無しやん!」
「うるせぇ、お前がママになるんだよ! アクアさんと!」
「はよ仕事行かんかい!」
「はーい。行ってきます。――あっ、そうそう。今更だけど、今日のみなみは……いつも以上に素敵だよ。どうしてかなぁ?」
おちゃらけたかと思えば、完璧な美少女に変身し、フリルは流れるように、ウィンクを見せる。
同性なのにドキン! とみなみの心臓が高鳴って……何か言おうとした頃には、フリルの姿はトピアリーの向こう側へと消えていってしまった。
「…………もぉ。ズルいわぁ」
パタパタと、熱くなった頬を手で扇ぎながら、みなみは目を閉じる。
脳裏に浮かんでくるその顔は……金色の髪が眩しい宝石の名を持つ男の子だ。
「昼休みは……もう終わってまうな。放課後は……」
会えたりするやろか? 何となくワクワクする胸を抑えながら、みなみは一人でニヘッと笑う。
フリルにバレてもうたよ。と話したら、お兄さんはどんな顔をするだろうか? それがちょっとだけ楽しみだった。
少し離れた位置から自分を見つめる視線があることに気づかずに。みなみはスカートについた葉っぱなどを払い落とし、軽やかな足取りで教室へと戻っていった。
※
――それは、数分前の出来事だ。
彼女がそこにいたのは、全くの偶然だった。最近は仕事の嵐で、ろくに学校に通えていない。それ故にたとえ午後からまた仕事だったとしても、僅かな出席日数を穴埋めするために、本日は登校していたのである。
正直面倒くさいが、学生という身分の関係上しかたがない。卒業も近いのだから、まぁそこは耐え凌ごう。そんな面持ちで午前授業を経て、人の気配が少なめな庭で昼食を取ろうとした矢先のことだった。
個人的穴場には、先客がいた。
「なるほど、部屋に二人きり。お泊り。つまり……いいね。滾ってきた」
「たぎ……!? えっとフリル? だからウチとお兄さんは……」
何だ恋バナか。くだらん。
他人の色恋沙汰には興味が……そうやって話をシャットアウトしようとした所で、会話している女子生徒の片方は、“あの”不知火フリルらしいと気がついた。……現金な反応かもしれないが、なら興味はある。だいぶある。
ところが、よくよく見ると話を聞いているのがフリルの方らしい。……まるでジェットコースターね。鼻を鳴らしながら、少女……有馬かなは嘲笑する。なら実りありそうな話は期待できまい。
ただ、フリルの会話術には興味があるので、そこだけはしっかり吸収しよう。芸能界では、貪欲になるべし。そうしないとあっと言う間に色々と持っていかれて……。
「皆まで言わなくていい。みなみはアクアさんと……寝たんだね」
もっ、て。行かれ……て……。
――アクア、さん? ……………寝た? 誰と?
「………………………………………は?」
死ね。と、辛うじて口に出さなかったのは、乙女のささやかな意地だった。