『不知火フリルの人生ゲーム』
不知火フリルは上機嫌なまま、マネージャーが運転する車の後部座席にて、今日の仕事を振り返っていた。
動物ドキュメンタリー番組の収録だった。ライオンの小屋を掃除させられる男性アイドルの図はなかなかに楽しめたし、フラミンゴの特集は純粋に美しいものを見れたからよかったように思う。最近の朝ドラヒロインの女優さんと交流を持てたのも収穫だった。
だが、今日のお勤めを終えた時に一番に思ったことは……やはりワクワクは人に活力を与えるし、推し活は心を豊かにしてくれるということだった。
星野アクアと寿みなみ。今日の朝に学校にて生まれた、フリルの中で一番熱い組み合わせだった。
匂わせ(物理)を何食わぬ顔で学校で行ったことの衝撃たるや……。
一般科でアクアが密かに人気を集めていることを知っているフリルは、朝に彼の教室で起きたであろう静かな阿鼻叫喚を想像するだけで涎が出そうだった。
一体何人の女子生徒が膝から崩れ落ち、気づいた男子生徒が嫉妬と想像で歯噛みしたのだろうか?
というかあの二人、ほぼ初めてな二人きりの状況でアレだけの進展を見せるとは……素質がある。
ちょっと前に知りあった同人作家さん、モチーフにして制作してくれたりしないだろうか? R18でも構わんから。
「(っと、いけないな。暴走した。流石に生モノは駄目だよね)」
こういうのは余程親しい相手に話す以外は、自分の内にてひたすら熟成させて楽しむのが一番だ。
だから今日は正直、滾って滾って仕方がなかった。仕事の楽しさが六割増しになったくらいだ。
「(ああ、いいね。今私、人生楽しめてる……!)」
芸能界には当たり前ながら様々な人間がいる。その中でもフリルがこう有りたいと願う女性タレントさんの一人は、かつてこう言っていた。
『若さや元気の秘訣は毎日十回は感動することだ』
感動。心を揺さぶりうる何か。それは意外とその辺にありふれている。例えば花でもいいし、動物でもいい。誰かとの出会いや関わりもきっかけになるだろう。情動を呼び起こすものは総じて生きる糧になるそうだ。それが齢八十にして現役を走り続けている彼女の持論だった。
『フリルちゃん。心を動かし続けることよ。お肌の張りでは勝てなくなってしまっても、私、楽しむことに関してはまだまだ貴女に負けないつもりよ?』
そう言いながら彼女はその日の現場のADと俳優でカップリングを楽しんでいた。因みに両方男性だった。どっちがタチかネコかでフリルと論争にハッテンしたのは今思い出しても笑えてしまう。
人生は一生遊んでいける。
単純かつ捻りがない言葉に見えるが、そうあることがいかに難しいのかをフリルは知っていた。
だからこそ挑みがいがある。どんな仕事も。どんな役も。どんなしがらみも。
「……おや?」
何の気なしにスマートフォンを操作していたら、自宅のパソコンにDMが届いている通知がポップアップする。
どうやら仕事の依頼。それも映画出演の仮オファーらしかった。
「マネージャー。今、映画の仮オファーが来たから情報転送しといた。面白そうだから私は前向きって伝えとく」
「了解。後で確認する。……ちゃんと情報見たか? 判断がやけに早いじゃないか」
「実はまだ、読んでる途中なんだ。でもその時点で面白そうなんだよね。推しカプは見れなそうなんだけど……これ、脳破壊は見れるかも?」
「……ま、まぁ君が楽しく遊べるなら、なんでもいいさ。」
バックミラーごしにマネージャーが苦笑いしているのが見えたが、フリルは知ったことかと言わんばかりにもたらされた依頼内容をじっくりと咀嚼する。
「十五年の嘘……か。なかなかに意味深げだね。知らんけど」
フリルは今宵も。明日も挑み続けるのだ。
だって人生って素敵で楽しいから。
※
『ママなグラドルの倒し方〜敵前逃亡編〜』
愛しい彼が羽織っていたグレーのカーディガンを、彼女は欲望が赴くままに勢いよく剥ぎ取った。眠くなるお薬で昏倒した彼はきっと今頃、可愛い恋人を夢に見ているのだろう。
分かるのだ。
彼の眼球が動く。レム睡眠状態。だがこの薬は彼を現実に還すことを許さない。
口元がだらしなく緩み、鼻の下が伸びていた。
知っている。これはコイツがあの女にだけ見せていた表情だから。
ギチリと歯が軋みをあげ、知らないうちに口の中で鉄の味が広がる。下唇が切れてしまっていた。うっかりさんだなぁ私は。なんて考えながら、彼女はカーディガンに続き、彼のワイシャツとズボンすら拝借する。
女性もののスカートとブラウスが床に落ちた。数秒後、そこには彼から剥ぎ取った衣服を身に纏い、恍惚の表情を浮かべた女が立っていた。
「エヘ。エヘヘヘヘッ……」
パンツ一丁になった彼が映るように自撮りの角度を調整する。ワイシャツの胸元は三つほどボタンを開けて。
いかにも美味しく頂きましたという表情を作り……。カシャッという小気味良い音と一緒に、彼女はあの女に宛てたメッセージの送信ボタンを押した。
さぁ、私達を見ろ。何もかも壊れちまえ。ザマァミロ。
「――カット! はい、有馬さん以上になります! お疲れ様でした!」
「……お疲れ様でした〜」
なんだこれ。
有馬かなはそんな表情になりそうになるのを必死に堪えていた。映画のワンシーンの撮影だったのだが。振られた配役がとんでもないものだったのである。
「お疲れ様〜やっぱりかなさんなら問題なくこなせたね!」
「……いや、ナニやらせてくれてんですか。何ですかこの……彼女持ちの好きな人を昏倒させて、追い剥ぎプレイの画像を恋敵に送る女……とか」
「正直、かなさんの恋愛経験……あっ、片想いだったか。の話を聞いてから、ビビっと来ていてね。いやぁ、いい画が撮れたよ」
「私の体験談聞いて生まれた話がこれなんですか!?」
撮影を終えたかなの傍に、その男は歩み寄ってくる。今回の元凶だ。
しかもわざわざ片想いと言い直して傷を抉ってくるオマケ付き。人の心はないのだろうか。
じっとりした恨みがましい視線を、その男に向ける。
ラフながらも清潔感のあるファッションと、適度な長さや濃さで整えられた髪と髭。
島政則監督――、通称シマカン。今年の映画賞を受賞した、今一番勢いがある映画監督と言っても過言ではない男であり、今回の仕事をかなに振ってくれた人物でもあった。
苦い経験で得た縁ではあったが、役者としての舞台はかなが最も望むところでもある。なので心中は複雑だったが……。
こうして人の恋路をネタにして金を稼がれたなら、文句の一つくらいは言ってもいい筈だ。……それを芸と飯の種にしてる自分も大概だけど。
「まぁまぁ、そう睨まないで。やりやすくはあっただろう? 彼とその恋人を思い浮かべれば……」
「全っ然! なんならその男、少し前に破局したみたいですしぃ?」
「えっ? そうなのかい? やったじゃないか! チャンスだよ! 動きがあったらぜひ聞かせて欲しいな!」
まるで自分のことのように喜ぶシマカン。……いや、違うな。コイツ、ただ楽しんでいるだけだ。最悪。
「…………なんかアイツ、別の女と。胸がめっちゃデカイ、淫乱ピンク女と昨日寝たみたいで。てか調べたらその女グラドル? グラモ? どっちもかな。やってたみたいで……うん」
「………………ッ、ブフォッ!」
「――笑ってんじゃないわよぉ!」
「いや、だって……! ヤバい、呼吸がっ……! かなさん、持ってるなぁ〜! 君が今アイドルってのがまた……ブフフッ!」
シマカンはひー、ひー、と涙目で腹を抱えている。それに飛び蹴りをかましたくなる衝動を必死に抑えながらも、かなは二、三回深呼吸した。落ち着け。まだブチ切れる時間じゃない。落ち着け。
今日はせっかくだから聞きたいことがあったのだ。
「それはまだいいんです。ねぇシマカンさん。今回の役でも思いましたが……男って多少ぶっ飛んだ女が好きなんですか? こんなスリーアウト留置みたいな奴」
「――っ、地味なギャグ挟まないでくれよ。……なんでそう思う? 件の彼、また何かやらかしたのかい?」
「実は……」
勿論名前は出さずにかなは話した。アクアがママプレイをみなみとしていること。やらせるアクアもアクアだが、受け入れるばかりか、包み込もうとしているのがみなみだということ。
それを踏まえた上で自分はアクアを正気に戻したいこと。今はママしか見えてないだろうから預けておく。いずれ取り返そうと決意していることを話す。
因みに、シマカンが内心で「(そりゃ悪手だろ……かなさん)」と呟いていたことをかなは知る由もない。でもなんか面白いから黙っとこう。そんな気持ちもあったらしいが……やっぱりかながそれを悟るのには無理があった。
「ちょっと業が深すぎないかい? その彼とグラドルちゃん、まだ高校生だろう? ……何か興味わいてきたな。セットで使えたりしないかな」
「ちょっと」
質問に答えろや。そう催促するかな。シマカンはそれなりに経験が豊富そうだから聞いてみたのだが……帰ってきたのは「そんなの人によるとしかいえないよ」という、はっきり言って役に立たない返答だった。
「まぁ、だから恋と映画は面白いんだけどね。性癖を探るって意味で」
「めっちゃ下世話ですね」
「男と女なんてそんなものさ。……じゃあ、年上のお兄さんからアドバイスが欲しかったかなさんに、これだけは言っておこうか。男はね。余程の異端者じゃないかぎり……いくつになってもおっぱいが大好きだ」
何言ってんのコイツ。といった顔をするかな。だが、シマカンは妙に真剣な顔だった。
「取り返したいなら、急いだほうがいい。特定の谷間……もとい港を定めてしまった男は……オトすのには手強いぜ」
そう言うシマカンに、かなはオズオズと頷いた。
何だろう。妙な胸騒ぎがする。やはりあかねにもアクアがママに堕ちたことを言っておくべきだった? 自分で知って呆然とするあかねを、後ろから笑いながら見たくて黙っていたけれど……。
「ま、まぁアイツもいずれ正気には戻りますよ。頭、悪くはないんで。あと私が働きかけますし。――よし、次の役と撮影の日教えてください! 完璧な役作ってきますよ!」
妙に声を震わせながら、かなは何度も頷きつつ、次の仕事へ切り替える。アクアのことも気になるが、あのあかねでも駄目だったアイツが、本当に相手を定められるとは思えない。時間はかかる筈だ。
それに何よりも今、かなは役者として走りたかった。
「……うん、ダメそうだ。けどそれすら可愛くて、面白いのは……才能ってやつか」
「何か言いました?」
「いいや、何も。かなさんは最高の女優だよって話さ」
「そうやってすぐ調子いいこと言う〜」
軽口を叩きつつ、かなは次の感情のラインを整える準備をする。
何でも来いだ。今の自分ならきっと――。
「次は好きな男の髪の毛を料理して、美味しそうに食べる女の役だよ」
「……シマカンさん、やっぱ性癖ねじ曲がってません?」
仕事を取るためとはいえ、たとえ一時でもこの男に抱かれに行ったのが、かつての自分だ。
今なら迷わず蹴り飛ばすわね。そう思いながらも、かなは取り敢えず、アクアの髪の毛を何処かで引っこ抜くことを検討するのだった。
※
『恋人にはねちっこくなる女』
足りない。
自宅に帰ってきた黒川あかねは、ベッドの上でぼんやりと枕を抱きしめながら、今日の出来事を振り返っていた。
アクアと一緒にまた食べに行けたクレープは、とても美味しかった。そのままもっとデートしたい〜。とおねだりするあかねに、アクアはちょっと困った顔をしながらも付き合ってくれた。ぶらりと街を散策し、買おうとしていた新刊が出てるので書店にも寄って。
流石にクレープだけだとアレなので、最後は互いに気になっていたイタリアンのレストランで軽めな夕食を楽しんで、自宅まで送ってもらった。
こんな幸せでいいのだろうかと、あかねが密かに震え上がっていたのは彼女だけの秘密だ。
でも……足りない。
たとえば恋人同士だったら……もう少し二人きりで、長く過ごせたかもしれないのに。
外に出たのが早すぎたのもあった。せっかく久しぶりにアクアの温もりを堪能していたのだ。ネカフェで二人きり。もうちょっとくっついていても、バチは当たらなかっただろうに。
お仕事を頑張って、会いに来たのだ。
昔みたいに疲れた〜と抱きついていたかった。よしよしと、撫でて欲しかった。キスをして、互いの熱を交換して、混ぜて合わせて。そのまま――、貴方を飲み込んでしまえたら。
「〜っ!」
枕を抱きしめる力が強くなる。
足りない。圧倒的にアクアが足りない。
自分でも少し暴走気味な感じはするけど、許して欲しい。
こんなになるとは思っていなかったのだ。だけど……悪い気はしない。今なら完璧以上の極上な演技が出来そうだから。
『今の黒川さん、とても魅力的よ。可愛らしさやフレッシュさだけじゃない。氷みたいなオーラを纏った、素敵な女優さんになったわね。……でも』
最近まで共演していた大御所女優さんが口を濁したのも分かる。
アクアと破局してから、わりと無理をしていたのは否めないから。だが、皮肉なことにそれ以降に演技の幅がより広がり、芸に凄みが出るようになったのも事実だった。
「……頑張るよ。アクアくん」
役者も恋も。だからこそあかねは、“何事”にも手は抜かないのだ。
「(寿……さん。一般科か芸能科かはわからないけど……何かで見たような、気がする。髪の色とかも一緒に検索してみる?」
タン、タン、タン。と、スマートフォンをタップする音が部屋に響いていた。
「(いた。寿みなみさん。年齢はアクアくんと同じ。キャノンファイア所属。ミドジャン表紙のガールズキャラバンでセミグランプリ。結構人気なグラドルさんなんだ。芸能科なのは確定かな?)」
掘り下げたいが、スマートフォンだけで引き出せる情報には限界があった。活動もグラビアや雑誌企画のコスプレ。後はインスタグラムでの個人撮影くらい。ネット上だけの情報と、おそらく事務所に管理されているであろうSNS等だけでは得られる情報は少ない。
「(アクアくんとのかかわりは……あまり見えてこない。でも妙に距離が近かったような? けど何だろう。男性との接触が頻繁にあるようには見受けられない。にもかかわらず……どうして? ……同じ芸能科だし、ルビーちゃんと関わりはあるのかな。ならそっちの方が関係が深い? 密かにいいな、程度は思ってた? あるいは……最近に距離が縮まるような、何かがあった? あっ、今週のミドジャンで表紙なんだ。……ミドジャン……)」
書店でのアクアの様子を思い出す。雑誌コーナーに視線がチラチラ向かっていたのが3回だけ。無意識に、多分私に悟られないように。偶然かな。考え過ぎ?
あかねの目がスッと細くなる。
「次は、アクアくんのお家に遊びに行こうかな。ミドジャン読めるかどうか……聞いてみよ」
ウフフ……。と、あかねはほくそ笑む。
アクアに今は恋人はいない。なら友達として部屋に遊びに行くくらいはいい筈だ。……中で何かが起きるかもしれないが、そこは男と女だから、未来はわからないとだけ言っておこう。
ただ、当面は仕事の嵐だから、果たして次がいつになることか。まぁ、アクア自身が今の環境に慣れるのもいつになるかわからない以上、焦りは禁物なのだけど。
「(アクアくんと共演……またしたいなぁ。でも演技が復讐だったアクアくんを苦しめたくはないし。……役者さんの仕事について、今はどう思ってるのかな?)」
それも今度聞いてみよ。そうあかねは決意して、そっと柔らかな唇を指でなぞる。無意識の行動だった。
ああ……早くまた会いたいよ。アクアくん。
そんな独白を飲み込んで、あかねはゆっくり起き上がる。彼に火照らされた身体はシャワーで鎮めて。後はゆっくりと眠ることにしよう。
マネージャーからパソコンに送られた『十五年の嘘』の仮オファーにあかねが気づくのは、もう少し先のことだった。