点滴を連れて病院を徘徊する。包帯だらけの身体に少しだけ血が滲み、すれ違う子供が此方を指さしクスクス笑った。親はそれを見て子供の目を隠しそそくさとどこかへ行く。あぁ、何処かでそんな歌があったなと、頭の中で考える。
宮崎の高千穂。其の山に建っている病院に、私は入院している。東京から態々此処に入院した理由は、私の担任、夜蛾正道の紹介だ。此処に腕の良い医者が居るのだとか。見舞いもない、知り合いもいない。人間との折り合いも悪い私にとっては、此処は窮屈な所だった。
私にとっての数少ない暇潰しというのは精々病院に設備されている図書館で本を読む事だ。それも
呪術高等専門学校。宗教関係の全寮制の高校——というのは表向きで、実際は人の『負』の感情から流れ出た『呪い』を祓う為に、呪術師を育てる養成学校。それが呪術高専なのだ。
私は先の任務で負傷をしてしまい、不本意乍ら此処で療養させてもらっている。此処は呪術師系列の病院で、表向きには普通の総合病院だが、密かに呪いの研究が行われている。それも一部の看護師と医師しか知らされていないが。
ともあれ、だからこそ此処の病院には特別な結界が張られており、呪霊の姿を見ることはない。
「あ」
私はある事を思い出し、踵を返し病室に戻る。先生のご厚意で個室にして貰ったのだが、それが良かったのかも知れない。
病室のドアを開け、長らく使われていない見舞い用の椅子に腰掛けテレビをつける。其処に映し出されたのは紫の髪をした可愛らしい少女だった。
私の、数少ない趣味。それは偶像崇拝だ。画面の中の彼女は笑顔を貼り付け、歌って踊っている。其の動作に無駄がなく、偽物の笑顔や台詞だとしても狂わずにはいられない。
『貴方のアイドル。サインはBー!』
アイ。B小町の絶対的エース。歌えて踊れて誰もが認める完璧で究極のアイドル。顔良し、ダンスも上手い。おまけに歌も上手い。秘密主義者。それに何より人を惹きつける天性の〝瞳〟。
あぁ、彼女はキラキラ輝いていて、目が潰れる程に眩しい。
そんな彼女に見惚れていると、ガタンと、音がする。それは出入り口の方からだった。珍しく同級生が来たのかと思い振り返ってみると、女の子が此方をジッと見ていた。私に気付いたのか、慌てて駆け出す。
私は扉を開け、少女が去った方角を見てみると、地面に女の子が倒れていた。恐らく転けたのだろう。
「……大丈夫?」
「あ……えっと……」
「よいしょっと」
私は少女の脇を掴んで立たせる。ニット帽を被っており、大きい瞳をぐるぐると動かしている。
「私に用事があったんじゃないの?言ってみな」
そう言うと、少女は口をモゴモゴしだした。なんだ?言い難い事なのか?
「あ、あの、さっき見てたのってアイですよね!」
「……え?」
「へぇ、じゃあさりなもアイ好きなのか」
「うん!大好き」
さりな……天童寺さりなは顔に満面の笑みを貼り付けそう言った。さりなは私のコレクション基、B小町のCDやぬいぐるみ、ポスターをまじまじと見ている。私の周りでアイドル好きがあまり居なかったので、少し新鮮な気持ちだ。まさかこんな老人しか居ない病院で同志に出逢えるとは。
一通り見終わったのか、今度は此方に向けて興味を示し、様々な事を聞いて来た。何歳だとか、何処から来たのとか。
「……お姉さん、なんで入院してるの?」
「逆になんで入院してないと思ったの?」
私は手を挙げ、全身を見せる様に聞く。手を挙げた拍子に傷口が開いた様でじんわりと赤い模様が広がる。さりなは血に耐性が無かった様で、少し青ざめている。
「なんで怪我したの?」
「喧嘩……かな?」
「うわぁ不良じゃん」
「なにおう?私はこれでも優等生だったんだぞ」
暫く無言で見つめ合って、二人して同時に吹き出す。こんな喋ったのも久しぶりで、私はどことなく浮き足立っていた。家族も同級生も、先生も見舞いに来ないし、少し、ほんの少しだけ寂しかったのかたのかもしれない。まぁ忙しいだろうし、仕方ないっちゃ仕方がないのだが。
「そういえば、お姉さん名前なんて言うの?」
「ん?私の名前はねぇ——」
私が其処まで言いかけると、病室の扉が音を立てて開かれた。其処には眼鏡をかけた男が一人、此方を睨みながら立っている。
「五条さん!あんたまた病院抜け出したでしょ!」
「あ、雨宮先生。お疲れ様です。研修医なのにようやりますよ」
「疲れさせてんのはアンタでしょうが」
雨宮吾郎。産婦人科の研修医。私が問題を起こす度に元気良く駆け回っている医者の卵だ。
「せんせ、お姉さんの事しってんの?」
さりなは目を輝かせて駆け寄った。此の二人は元々面識がある様で、妙に親しげだ。
「お前も居たのか。やめとけ、此奴に関わると碌な事にならねぇぞ」
「うーん。酷い言い草ー。」
失礼な男だ。私が万全だったら泣かしてるからなマジで。
「何しに来たの?」
私がそう聞くと、雨宮先生は前髪で隠れた額に血管を浮ばせながら口の端を痙攣させていた。
「お前が病院を抜け出して麓の商店街で食べ歩きしてるからだろうが。初めて見たわこんな奴」
「お腹空いちゃって」
「購買があるだろ」
「ご当地ならではの食べたいじゃないですか!」
「じゃあお得意の通販で買えばいいだろ」
そう言い私の後ろにあるぬいぐるみ類を指さして言った。そう、此処にあるグッツは全てB小町のオフィシャルサイトで買っているのだ。然もパソコンで。
看護師さん達ももう私に何を言っても無駄だと悟ったのか、最近では何も言わなくなって来た。私の数少ない暇つぶしの一つ、麓の商店街まで行って食べ歩きをする事だ。高千穂牧場にも行きたかったが、何故か高千穂町と高千穂牧場は名前は同じでも真逆の方にあると知って絶望した。退院する時に行ってみようか。
「馬鹿だねぇ、雨宮先生。本場で買うから意味があるんじゃん。若しかして旅行した事なぁい?勿体無いよ。人生百年時代。いろーんな所に行かなきゃ。まぁ私も忙しくて旅行なんて行った事ないけど」
「お前が此処に居るのは旅行じゃなくて療養な」
私と雨宮先生が言い合っていると、さりながプッと吹き出した。如何やら今のやり取りが面白かったのだろう。子供はこういうのが好きなのだろうか。
「取り敢えず勝手に外を出歩くな。分かったか」
「はいはい。善処しまーす」
私はそう言いベットに寝転がる。恐らく今の私は最低最悪の糞餓鬼に見えるだろう。然しそんな事を自覚していても直そうという気力が湧かない所が、私はもう既に
雨宮先生は額に手を当てながら深く溜息をつく。溜息を吐くと幸せが逃げるというが、此の人の人生、幸せとは程遠い人生だったのは見るだけで一瞬にして分かってしまう。これは呪術師をやっているから身についたのか、はたまた天性のものなのか。
「おい。そろそろ病室に帰るぞ」
そう言って雨宮先生はさりなに手を差し伸べる。さりなはこれでもかと言うくらいに顔を輝かせて首を縦に振り手を握った。成る程。余程懐かれているわけか。可愛いな。
私は元来子供が嫌いなわけではない。純粋な物は好きなのだ。動物然り、子供然り。其処に裏表がないのは私にとって心地が良く、都合が良い。それに最近歳の離れた弟が居るからね。
「あ、まだお姉さんの名前聞いてない。五条なんて言うの?」
さりなは雨宮先生の手を握りながら此方を振り向いた。そういえば言っていなかったな。
私はさりなと雨宮先生の方を体ごと向いて教えた。
「五条
それからさりなは毎日とは行かないまでも、高頻度で私の病室に来る様になった。私からは態々出向かないが、高頻度で会っていると言っても過言では無いだろう。会って喋る事といえばB小町のアイの話題くらいだ。その他には近況報告をちらほらするが、本当に雀の涙程度だ。其のほぼはアイの話題で持ちきりだ。
私もさりなと話す事に少しの楽しみを見出していた。次はいつ来るのかとか、新しく買ったDVDを見せようだとか。いつしかさりなと話す事が己にとっての最高の暇つぶしになっていた。
「ふーん。珍しいじゃないか。君が誰かに興味を持つだなんて」
傷も癒えて、完治だとは言えないまでも、ある程度目立たなくなってきた時期、守銭奴の同級生に突然言われた。其の友人は今日の為に態々休暇を取り、こんな田舎まで見舞いに来てくれたのだ。お金大好きな彼女が仕事を休んで見舞いに来るなど何かあるに違いない。
なんて、時間を割いて来てくれた学友に対して思う事では無いと自覚しつつ、彼女のこれ迄の行いを見れば致し方ないと納得する自分も居る。
「私割と人に興味はあるよ。ほら、B小町のアイとか。彼女は良いよ。自分では分からない愛を必死に愛を伝える姿が健気で愛おしい」
私が見舞い品の高千穂牛乳を飲んでいると「君の偶像崇拝は一風変わっているね」などと言われた。心外だ。私はファンの模範性だろうが。
「大体のファンは盲目になり、本心で自分達に愛を振り撒いていると思っているからね。まぁ企業側も上手い商法だと思うよ。自分自身を売って完璧な嘘を吐いてまで金儲けだなんて私も見習わなきゃならない。……あぁ、誤解しないでくれ。別に芸能界を否定している訳じゃ無いんだ。これで最高の賛美を送っているつもりだ」
分かっている。何よりも、最悪命よりも金が好きな彼女にとって、今の言葉はこれ以上にないくらいの賛美なのだろう。彼女と出会って数ヶ月。たった数ヶ月だが、彼女の内面は驚く程にお金の事で一杯だった。なんなら呪霊は金のなる木とも言っていたから。
冥冥。それが彼女の名前だった。と言ってもそれは偽名らしく、いくら聞いても頑なに本名を教えてくれない。まぁ私も然程本名には興味は無く、彼女を〝冥冥〟として接している。
「で?今日はなんで来たの?」
「冷たいねぇ。それとも私が冷たいとでも思っているのかい?学友に会いたいと思うのは自然な事だろう?」
「うわぁ、信用出来ない」
「酷いねぇ」
日頃の行いだろう。と、私は大口で冥が買ってきたアイスを食べる。態々高千穂牧場まで行って買ってきてくれたらしい。私が電話でアイスが食べたいと溢した故だからだろうか。
「そういえば長らく弟君とも会っていないじゃないか。如何だい、関係性は」
「普通だよ。まぁ、普通の中でも中は良い方かな。いつも女中に私に会いたいって泣きついているらしいけど。あー。早く退院したい。それに術式も判明したしね。それもお祝いしなきゃ」
「おや?なんの術式だったんだい?」
「私と同じ無下限呪術。良かったよ。これで少なくとも無下に扱われることも無いでしょ」
無下限呪術。五条家相伝の術式。こう続けて無下限呪術を持って産まれることは珍しく、そもそも無下限呪術は数百年ぶりだ。
然も悟は私には無い〝六眼〟を持っているという。当初は私を当主にしようとしていたらしいが、悟が生まれた際、私では無く悟に継がせた方がいいと上で決定された。
というか発案者は私だ。まぁ押し付けてしまった手前、私もできる限り協力をするが。
「先ずは悟に無下限を教えなきゃね」
「じゃあ安静にしとかないとね」
ハハァ。バレてらぁ。冥は此方をにっこりと見ている。うぅ、其の笑顔が怖い。
「で?本当の理由はなんなの?」
私がそう聞くと、先程の笑顔とは一変。鳩が豆鉄砲を食ったように目をパチクリとした。なんだ其の顔。私はなんか拙い事でも言ってしまったのだろうか。
すると其の表情を変え、俯きがちに笑った。
「別に。理由は無いさ。ただ本当に会いたかっただけ」
「へぇ、珍しい」
そう言ってニヤニヤしていると、私の両目に鋭い物が刺さった。目潰しだ。冥の照れ隠しは大層危険であると言うのは数ヶ月で分かっていたのだが、何故か私は同じ過ちを繰り返してしまう。
「さて、飛行機の時間もあるし、そろそろお暇するよ」
「えぇ、止まっていけば良いのに」
「そうしたいのは山々なんだけど、生憎明日は任務が入っているからね。失礼するよ」
そう言い冥冥は私の返事を待たず扉を閉めて出ていってしまった。一人取り残された私は傍にある買い物袋や見舞い品に目をやる。冥が誰かにこんなに尽くすというのは珍しく、案外心配してくれたのかと少し嬉しい気持ちが込み上げてくる。
ぬいぐるみに食べ物。花などが沢山置いている。
「だからってこれは無いでしょ?」
そして一枚の報告書の紙。曰く、私が先の任務で壊してしまった建物についてだった。今からこれを書いて郵送で送れと。無茶言うな。こちとら怪我人だぞ。
私は溜息を付きペンを手に取ると、扉がノックされた。コンコンコンと、三回程。私は冥が忘れ物でもしたのかと、無警戒で返事をしてしまった。
本当に無警戒だった。呪術師であるのにも関わらず、なんの疑いもなく、冥か看護師と決めつけ〝奴〟を中に入れてしまった。長らく呪いから離れていたからだろうか。いや、今更どんなに言い訳をしたとて現実が変わる訳でもない。
気付けば目の前に真っ黒の服を着た男が一人、真顔で此方を見つめていた。私よりいくつか上の年齢だろう。鍛え上げられた筋肉とは裏腹に、其の手に持っていた物は血塗れの〝呪具〟だった。いや、呪具だったのなら私が術式を発動した所で無意味だっただろう。
彼が持っているのは
腹に熱が広がる。痛い。熱い。痛い。
男は右側に傷の付いた口角を上げ私の死を見届ける。こんな時叫び声でも出せれば普通の人間なのだが如何にも声が出ない。
白いシーツに赤い模様が広がる。そういえばこいつの顔は見た事がある。何処だっけ。……あぁ、思い出した。
「禪院……甚爾」
「不正解。婿入りしたから今は伏黒だ」
呪術界御三家の禪院家の……フィジカルギフデット。
確か義務教育が終了したと同時に家を出たと言っていたが、いやはやまさかこんな最悪な形で再開するとは。
考えろ。今此処で死ぬ訳にはいかない。
私はバランスを崩して地面に転がる。其の際なんらかのボタンを押してしまったようで、部屋の中に警報が響き渡った。流石の甚爾もそれには驚いた様で、一瞬固まっていた。
そしてそれを見逃す程私は伊達に一級術師をしていない。
甚爾の太い身体に抱きつき、足を絡めながら手を離す。
術式反転『赫』
甚爾は窓を突き破り吹き飛ばされた。最後の最期で術式を使ったからなのか腹から大量の血が流れ出てくる。
あぁ、これは駄目かもしれない。
私はぼんやりとしながらその場に倒れる。其の時、私の脳内に三人脳内に人物が走馬灯の様に浮かんでは消えていった。夜蛾先生と、冥と……悟。
あぁ、みんなと一緒に居たかったなぁ。冥と一緒にお買い物して冥の貯金額に驚いてさ、報告書を出し忘れて夜蛾先生に怒られたりとか。
悟に術式を教えて凄いって言われたり。あ、思い出した。なんで私がさりなの事あんなに可愛がって居たのか。
きっと悟と重ねてたんだ。
ごめんね、さりな。さりなの事さりなとして可愛がってあげれなくて。
薄れて行く意識の中、私を呼ぶ声が聞こえた。雨宮先生だ。叫びながら誰かに話しかけている。包帯を持ってこいとか、輸血だとか。はは、五月蝿いなぁ。そんな顔を顰めると皺が増えるよ。なんて。そんな悪態をつけるほど私はもう駄目なのだ。
私は雨宮先生の手を握る。
「先生、さりなを、頼む」
そうして私の十六年にも及ぶ呪われていた人生が幕を閉じた。甚爾は死んだのだろうか。いや、あれで死ぬ程甚爾はやわじゃ無い。それはそれで悔しいが。
そしてなんの因果か、私は第二の人生を手に入れた。然も第一の人生の記憶を持ったままで。いやはや、神様も随分意地悪なお方だ。また生きるという地獄を味合わなければいけないなんて。若しかしたら神様と閻魔大王は同一人物かもしれない。
誰かが私をあやす声が聞こえる。良い声だ。うん。私はあんたの声が好きだよ。高く可愛い声だ。まるで——
「あ、起きた。おっぱい飲む?」
アイだった。
私の目の前に居る、私の〝母親〟と呼ぶべき人は、アイだった。
神様、あんたは矢張り神様だったよ。