絶園の商人   作:ポーシャ

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第一幕 誓いを、ここに

 今までの暮らしからは考えられない程高級なレストラン──そこでの食事。

 ただ、今食事をしているというわけではなく、人を待っている状態にある。

 

「……緊張してるの?」

「いや……緊張はしてない」

「でも手が震えてる」

「武者震い」

「こんなレストランで、何をどう武者震いするの?」

 

 姉。

 姉。姉。姉。

 

 ──今は未だ、ただの愛花という名の少女。

 

「……母さん、遅いね」

「さっきメールがあったわ。一時間遅れるって」

「……再婚相手の奴も遅い」

「こら、翔花。相手方を悪く言わないの」

 

 めっ、と口に指を当ててくる少女は──酷く、普通の女の子だ。当たり前のことを当たり前のように叱る少女。姉として、当然の行いをする少女。

 彼女の命の勘定に、私は入っているのか、どうか。

 

「よぉ、お前らが愛花と翔花か? 悪いがウチの父さんは急用で来られなくなった」

 

 不躾に、唐突に。

 私の姉の座る席に近づいてくる、二人の少年。

 

「うちの母も一時間ほど遅れると。それで、こちらの方は?」

「え……っと。あー、うーん」

 

 少年らは私達の正面に座る。

 

 見る。

 今はただ、普通の少年だ。いや、未来においても特別な道具が無ければ普通の少年であることに変わりはない。性格が少し、突き抜けているというだけで。

 

「オイオイ警戒されてんな」

「翔花、睨むのやめなさい。……ごめんなさい、この子、人見知りが激しくて」

「別にいーんじゃね。つか当然だろ。母親の再婚相手の息子なんざ、フツーは警戒して然るべきモンだ」

「あ、あはは……」

 

 不破真広。滝川吉野。

 この物語の。この世界のキーマン。それは姉愛花もそうだけど。

 

「だが」

「……だが、なに」

「いいぜ、それ。お前もそう来いよ。じき家族になるんだ。遠慮も距離感も要らねえだろ。気に入らないことがあれば気に入らないって言え。直すかどうかは別だがな」

「では、家族になるにあたって貴方のことをなんと呼べばいいです? お兄様でしょうか?」

「やめろ気持ち悪い。他のにしろ」

「では……」

「真広」

 

 言葉を奪う。

 役目を奪う。

 

「オイ、いきなり呼び捨てかよ」

「家族になるのなら、敬称は要らない」

「……ふむ。それもそうだな。いいぜ、それで。俺も愛花と翔花って呼ぶ」

「構わない。姉さんも、それでいいでしょ」

「私も特には構いませんが……だったらそろそろ、警戒を解いてあげて、翔花」

「だな。家族になるんだ。いつまでもそーピリピリされてんのは色々不都合あんだろ。別に完全に打ち解けろって言ってるワケじゃねえ。ちょっとでもいい、俺を兄だと認めろよ、翔花」

 

 何を警戒しているのか。

 何をピリピリしているのか。

 

 決まっている。はじまりの樹が、この場に私を居合わせることを許したことについてだ。超常の条理を操るあの樹にとって、私は邪魔者なはず。であるならば、例えばこの二人のどちらかから手を付けていてもおかしくはない。

 今はまだ、そうなるように世界はできている。

 

「コリャ重症か?」

「ごめんなさい、翔花は昔からこうで……」

「でも、気持ちはわかるよ……怖いよね、真広」

「あぁ?」

 

 一番怖いのはあなただけど。

 ……わかっている。これでは話が進まない。

 

「吉野は、真広を名前呼びしているのに、真広は吉野を苗字で呼ぶ。なんで?」

「こら、真広はともかく初対面の男性をそんな風に……本当にごめんなさい、吉野さん」

「いや、吉野は名前だよ。コイツは滝川吉野」

「あはは……良く間違われるよ」

 

 私と違って貞淑な姉愛花は取り乱す。初対面の男性を名前呼びすることは馴れ馴れしいと、そういう倫理があるから。

 私は私で、知っていたことを知らなかったかのように聞くために、随分と集中力を使った。

 

「ごめんなさい、私、ずっと馴れ馴れしく名前で!」

「ああいや、愛花ちゃんがそれでいいなら構わないよ。勿論、翔花ちゃんもね」

「ちゃん……?」

「わかった。……危なっかしい姉だけど、よろしく頼む、吉野」

「お、よくわかったな翔花。俺がここに吉野を連れて来た理由。そーそー、お前らはいざという時コイツを頼れよ? コイツ俺なんかよりよっぽどタチ悪いからな、なんだって解決してくれる」

「いやまぁ、できることとできないことはあるけどね?」

 

 未だちゃん付けされたことに姉愛花が戸惑っている内に話を進める。

 私が越えるべき山場は三つ。一つ目を超えた時点で私は私であるというアドバンテージを失う。そのために生きて来た。

 だけど、だからこそ、未来以上にこの二人には姉を守ってもらわないといけない。

 

「真広」

「なんだ」

「お前にも、姉を頼む。見ての通り細っこい、今にも折れそうな姉だから守ってやってくれ」

「頼まれなくても守るけどよ。翔花、お前だってその範疇だぜ?」

「いざという時は姉を優先しろ。いいな、真広。吉野もだ」

「え……っと、これは度の過ぎたお姉ちゃん好き、なのかな?」

「良いと言わなければ私は警戒を解かない。むしろ強める」

「いい加減になさい、翔花。……もう、黙って聞いていれば」

「いーぜ。いざという時とやらが来たら、お前より愛花を優先する。そう約束すれば、お前は警戒を解くし、俺と家族になるんだな?」

「そう。吉野も誓って」

「誓うって……仮にいざという時が来たとしても、僕はどっちも見捨てたり蔑ろにしたりはしないよ」

「いいから誓え、吉痛ッ!?」

 

 ゴン、と殴られた。

 貞淑な姉愛花に、グーで。頭頂部を。

 

「い・い・加・減・に・な・さ・い」

「っ……こればかりは嫌だ。いいから誓って。いざという時、私より姉さんを優先すると。もしどちらか一方しか助けられない岐路に立った時、迷わず姉さんを選ぶと」

「翔花、本当にどうしちゃったの? 今日ここへ来てからずっとそんな調子で……。本当にごめんなさい、真広、吉野さん。この子、本来はもう少し聞き分けのある子で」

「つーことは、ここでそんだけ強情になる理由があるってワケだ。そっちの方が辻褄が合う」

「ある。言わないけど」

 

 さぁ、選べ。

 はじまりの樹よ。この二人が命に代えてでも彼女を守ると今誓ったのなら──変わるはずだ、未来が。

 

「吉野、誓ってやれよ。理由があるならいいだろ、別に」

「その理由というのは、いつか話してくれるのかな」

「いざという時が来たら、話す」

「またそれかぁ。……ん。わかったよ。愛花ちゃんと翔花ちゃん、どちらかしか助けられないと決まったら、愛花ちゃんを優先する」

「ちょっと、吉野さんまでそんな」

「でも、その次に君を助けるし、守るよ。これでいいかな?」

「俺だってそうだ。家族になる以上、どっちか片方を取りこぼすなんて真似はしねえ。取りこぼさせたいなら辻褄を合わせてから来い。良いな?」

 

 ──本来であれば。

 こんな誓い、掃いて捨てるようなモノだ。初対面の姉妹の妹から、「何があっても自分より姉を優先すると誓え」なんて要求。

 けれどこの二人はそれを飲んだ。

 であるならば。

 

「……地震?」

「ん。まぁ大した震度じゃねーな。東京じゃそこまで珍しかねーよ」

「それは日本のどこでもそうです。……では、よくわからない翔花の暴走も止まったようなので、改めて」

「おう」

 

 今日から家族として、よろしくお願いします。

 

 

 

 *

 

 

 

 それから、時は目まぐるしく過ぎて行った。

 その、ある日の、ある夜の寝室。私にも姉愛花にも自室があるけれど、今日は珍しく姉愛花が私の部屋に来て、一緒に寝よう、と言い出した。

 この時点で、薄々は、わかっていたけれど。

 

「翔花」

「なに、姉さん」

「これは、マヒロには秘密にしてほしいんだけど」

 

 ドクン、と心臓が跳ねる。

 明確な時期は明かされていなかった。だからいつ来るのかわからなかったし、いつか来るのだと思っていたし、私の知らない間にされるのは困ると思っていたから──都合よくは、あったのだろう。

 

「……私ね、吉野さんと付き合うことにしたの」

「そう」

「あら? 興味ないの? 貴女の大切なお姉ちゃんが男性とお付き合いをするのに」

「吉野なら大丈夫。在学中に手を出してくることはない。ヘタレだし」

「もう、そんな知識どこで覚えたんだか」

「……姉さん」

「なあに」

「真広にバラさない代わりに、二つ約束してほしいことがある」

「ちょっと、脅迫?」

「うん、そう」

 

 近い。

 山場は近い。そして、だからこそ警戒を強めねばならない。

 

「置いていかないで」

「……ああ、成程。私が吉野さんに取られちゃうって思ったのね」

「そして、ちゃんと吉野を愛して。大義も、使命も、運命も放り出してでも、ちゃんと」

「愛する……かぁ。実を言うと、まだ付き合ってみた、という段階で、愛かどうかははっきりしてないの。好きなのは、事実だと思うのだけど」

「吉野は、姉さんが……たとえどれだけ理不尽な理由で彼をフっても、不合理な理由で彼から離れても、文句の一つも言わないで抱え込む。約束して、姉さん。彼が好きなら、彼を愛して」

「翔花はまたよくわからないことを。というか、なに? もしかして私より恋愛に詳しいつもり? あなた、彼氏とかいたことあった?」

「じゃあ、おやすみ」

 

 不条理。不合理。合理的であるかどうか。条理に反していないかどうか。辻褄が合うか合わないか。

 真広も吉野も愛花も、そればかりで動く。羽村の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。

 

「あ、こら翔花……ホントに寝てるし。全くもう」

 

 不貞腐れたように、私に背を向けて眠る愛花。

 ここから、私は邪魔できない。もしもの時を、いざという時を迎えた瞬間に、少しでも未練を残してほしいから。それが来ないように画策しているんだけど。

 

 ……恋愛。愛恋。 

 無論、知っている。その暴走感情の行く末くらい、知っている。

 

 願わくは、とは言わない。

 願う神が敵なのだから、願わない。ただ、抗うだけだ。

 

 

 

 

 その翌日の、翌日の、翌々日くらいのことだ。

 

 ようやく与えられたケータイに、吉野からメールが入った。件名は「ちょっとお願いがあるんだけど」。駅前のファミレスで待ち合わせ、と。

 珍しいことだと思う。彼は主体性や積極性を持たない人間だ。だから、こうして自分から一歩を踏み出すなんて。

 

 メールには「対価を要求します」とだけ返した。

 

 して。

 

「待たせた」

「そんなに待ってないよ。そもそも僕から誘ったんだし」

「それで、何用? ──姉さんと付き合っておいて、私にも手を出す気?」

「えぇっ!? な、なんでバレて……って愛花ちゃんか。はぁ、なんだ、今日殴られる覚悟で来たんだけど、取り越し苦労だったか」

「ファミレスより、カラオケがいい」

「あ、うん、それは良いけど……ってあ、ちょっと翔花ちゃん、待ってって!」

 

 ファミレスなんて目の付きやすい所で二人きりなど、もし愛花や真広に見られたらどうするんだ。特に真広は交友関係が広い。人伝口伝に彼の耳に入ることは大いにあり得る。

 彼が愛花への恋慕を自覚していないがゆえに、逆に吉野と私が付き合っていると勘違いする可能性だってある。それはそれで隠れ蓑として利用できるけれど、今度は愛花が面白くないだろう。

 

 カラオケルームに入って、部屋で流れている音楽を全部切る。

 

「な、なんだか手馴れてるね」

「密談には最適だから。この店はそこまでお金がないから、監視カメラもないし」

「まるで日常的に密談をしているみたいな……」

「それで」

 

 それで。

 

「お願いとは、何?」

「あ、うん。……その、さっきも……言われた通り、僕、愛花ちゃんと付き合ってて」

「前提は必要ない。要求だけでいい。その要求に対し、こちらも相応の対価を要求する」

「翔花ちゃんって、効率人間だよね……」

 

 時間は有限だ。

 西暦こそ明かされていないものの、時期だけはわかる。姉愛花が受験勉強に追われながら迎える11月23日。そこが一つ目の山場。

 そこに至るまでに、私はあらゆる手を尽くさねばならない。ならないし、吉野と愛花の時間も有限だ。私に使うくらいなら姉愛花と過ごしてほしい。

 

「愛花ちゃんの好物って、何かな」

「……好きな食べ物くらい、自分で聞いて」

「勿論聞いたよ。でも教えてくれなかったんだ。"さて、なんでしょうね"とか言ってさ」

「なら自力で聞きだして。話はそれで終わり?」

「ううん。もっと、色々なことを聞きたい。愛花ちゃんの好きなもの。翔花ちゃんなら、知ってると思ったから」

「姉さんの先回りをしたいってこと?」

「そう、なるかな。まだ付き合って数日だけど、ずっと振り回されっぱなしだからさ……」

「じゃあこの話は終わり」

「え」

「姉さんは、先回りして振り回したい人だから。いきなり吉野が姉さんの先を読んだら、必ず私の関与に気付く。雪と火は共に暮らすことはできない」

「えっと、ヴェニスの商人? ここで引用する意味って……」

「今の吉野は試されている。考えることを放棄して答えを聞くか、考え続けて悩み続けるか。答えは確かにここにあるけれど、欲すかどうかは別の話」

 

 どんな状況でも思考を止めない。

 それが滝川吉野の長所であり特技であり欠点だ。それを失ってしまえば、事態は最悪に転がりかねない。

 

「けど、安心していい」

「安心?」

「姉さんが望んでいるのは吉野の答え。私の持つ正解じゃない。存分に悩め、若人」

「若人って、僕の方がずっと年上なんだけどな」

「話は終わり。対価を要求する」

「いや、お願いなんにも聞いてもらってないんだけど……」

「対価は二つ。吉野に許されたのはキスまで。それ以上は許可しない。ただ、キスまでなら何度やっても構わない」

「き、キス!?」

「もっとも、吉野からしよう、と言えるわけがないのは知っている。姉さんから求められたら応じるだけでいい」

「そりゃ、……愛花ちゃんがしたい、っていうなら、僕だって勿論……」

「二つ目の対価はここでの話を漏らさない事。姉さんにも真広にも」

「それは対価になってないよ……。どっちに言ったって僕が割を食う未来しか見えないし」

 

 カラオケルームの音量をもとの状態にまで引き上げる。

 一時間300円。必要経費だろう。

 

「お金は払っておく。一緒に出ていくところを誰かに見られるのは困る。吉野は後で出てきて」

「あ、うん……」

 

 カラオケを出る。

 周囲をしっかりクリアリングして、帰路に就く。

 

 ……クリアリングはしたけれど、視線には気付いていた。カラオケを出た時点で見つかっていたからどうしようもなかった、というだけだ。

 

「妹をストーキングは、流石に趣味が悪い」

「んだよ気付いてたのか」

「そんなにもガン飛ばされたら誰だって気付く。何用?」

「知り合いからな。お前が男とカラオケに入っていくのを見たって連絡があった。が、さっき出てきたのはお前だけだった。男はどうした?」

「妹の交友関係にそこまで突っ込んでくる理由は何」

「……お前、ずっと俺になんか隠してるだろ。それ絡みか」

 

 野生の勘、か。

 本当に。

 

「そうだと言ったら、何」

「別に隠し事の一切をするなとは言わねえよ。ただ愛花を悲しませるようなことすんじゃねえぞ」

「言われるまでもない。そっちこそ、妹の動向を逐一報告させるような知り合いとは縁を切った方が良い。真広に友達なんてものがいたことが驚きだけど」

「ほれ」

 

 真広は、なんでもないかのようにケータイの画面を見せてくる。

 そこには。

 

「……え」

「俺にこんな一報を入れて来たのは愛花だよ。結構心配してたぜ? "翔花は歯に衣を着せない口調だから、変な人に捕まっていないか心配だ"ーってよ」

 

 送り主は姉さんで、ギリギリ暗がりになって見えていないものの、私が男性と共にカラオケに入る様子がばっちり写された写メ。

 あの時点から、見られていたのか。

 だとしたら──。

 

「姉さんは、それ以外に何か言ってた?」

「別に。ただしきりに心配してたよ」

「そう。それだけなら、いい」

「あのな、翔花。お前が愛花を自分より大事にしてるのは知ってるし伝わってるが、お前だって大事にされていることを自覚しとけ。で、男はどこに行った。つか誰だ」

「言わない」

「理由は?」

「言う理由がない。報告する義務もない。勝手に心配した姉さんと真広が悪い」

「……」

「ただ、理由も義務もなくても、義理はある。だから言わない理由は言う。──私は姉さんに幸せになってほしい。それは真広が思っているよりずっとずっと、ずーっとそう。これで納得できないなら、それまで」

 

 振り返って、睨む。

 真広の赤い眼は此方を鋭く見ている。ガンを飛ばしていた時から知ってはいたけれど、彼は彼で私を相当警戒している。

 当然ではある。だって彼の自覚していない恋慕において、もっとも邪魔となるのが私なのだから。

 

 それこそ、野生の勘。

 

「お前が、知らねえ男とカラオケに入って、お前だけで出てくることが、愛花の幸せのため。……ね」

「不合理に思うのなら、情報が足りないだけ。その情報は私が握っているけれど、真広に渡さないだけ。真広の中でQとAが繋がっていなくとも、私の中に式がある」

「もういいよ。わーったわーった。これ以上は聞かねえし問い詰めねえ。愛花には俺から言っといてやる。あー、だが一個聞かせろ。彼氏とかじゃねーんだよな?」

「絶対に違う。全身全霊を賭けて全否定する」

「それならいい。……帰るなら、俺もそのまま帰る。どうすんだ」

「帰る。どうせ姉さんが待ってるだろうし。やきもきしているだろうし」

「だな」

 

 左手を少し開く。

 そこにあるのは──赤い光。すぐに握り潰して、また帰路に就く。

 

 会話は無かった。

 

 

 *

 

 

 夏休みの最終週。

 例年のように行っている別荘への家族旅行に、滝川吉野が呼ばれた。

 

 またドクンと跳ねる心臓。

 邪魔はさせない。愛花には未練を残してもらわねばならない。山場の一つを何としてでも乗り越えるために。

 

「翔花。あなたは階段を──」

「もう終わってる。二階は全部綺麗になった。あとはそこでぶつくさ言ってる真広がやっている棚と、姉さんと吉野がやってる一階の床掃除だけ」

「えっ、翔花ちゃんもうそんなに……ごめんね、僕効率悪くて」

「気にすんな吉野。翔花はそういう奴だ。他人が使えねえと判断したら全部自分でやる。その方が効率がいいから。だろ?」

「真広は特に効率が悪い。目先のものに囚われすぎて、全体が見えていない」

「んだと? 毎度毎度のことながら、喧嘩売るのも大概にしろよお前」

「ハタキで蜘蛛の巣取るとかどうかしてる。棒にティッシュ巻いて絡めとって、ティッシュごと捨てるのがベスト。ハタキが使えなくなる」

「……まぁ、そいつは合理的だな」

「わかればいい」

 

 何事も合理と辻褄で判断する真広。

 これは真広の長所であり特技であり欠点だ。

 

「姉さんも、ずっと同じところ掃いてないで、隅から順にやって行って。吉野もそう。落ちない汚れは後回しで、まずは全体を綺麗にして」

「は、はーい……」

「翔花、これは私なりの効率で」

「というか、三人とも夕食の用意してきて。掃除は私がやる。三人に任せてたら明日になる。肉焼くのは吉野がやって。この二人絶対喧嘩するから」

「あはは、うん、その未来は手に取るようにわかるよ」

「んじゃ任せたわ翔花。あんま根詰めすぎるなよー」

「……」

「今、掃除を始めてから一時間経ってる。三十分で終わらせてそっちに行くから、お肉は残しておいて」

 

 とても不満気な姉愛花からモップを奪い、吉野から雑巾を、真広からハタキを受け取る。

 

 そうそうに出ていく真広と吉野。

 そして未だ不満を……頬を膨らませる、なんて古典的な方法で訴えてきている姉愛花。

 

「姉さん」

「はいはい、邪魔者はすぐに」

「夕食の後。真広、なんとか引き留めておくから」

「!」

 

 未練と満足。

 そのどちらもを持っていて欲しい。間に合わせるし、間に合わないことは絶対にさせないけれど、だからこそ。

 向日葵にも星々にも見られていないあそこで、どうか。

 

 

 

 夜。

 それなりの量を食べた後、真広がトランプを取り出すのが見えた。……アニメ版も混じっているか。まぁ、それはある程度理解していたけれど。

 

「真広」

「ん? あぁ、これか? 別荘っつったらトランプだろ」

「姉さんと吉野に挑むならやめた方が良い」

「別に挑むとかじゃねーだろ。家族と吉野でわいわい楽しくトランプ、で何か悪いことあるか?」

「ある」

「……また言えない合理か?」

「違う。一度、勝負をしてみたかった。真広。一対一での、スピード勝負」

「へえ? そりゃ、面白そーな挑戦じゃねえか。いいぜ、どんな気でそういうアイデアに至ったかは知らねえけど、乗ってやる。スピードなら駆け引きも要らねえしな」

 

 よし。 

 この内に、とっととロマンチックなキスを済ませやがれ。

 

 

 

「あれ……真広と翔花ちゃん、何してるの?」

「うっせ話しかけんな今! ッ、くそ!」

「四十一戦四十一勝ゼロ敗──駆け引きの無いスピード勝負なら勝てる、って言ってたけど」

「だぁーっ、うるせぇ! 今のは吉野が話しかけて来たから負けたんだ! 今のはノーカンだろ!」

「どちらにしろ四十勝。途中から五十先なんてルールを変えておいて、まだ一勝ももぎ取れていない時点でそろそろ気付いたらどう? ──私の方が強い」

「うるっせぇってーの! つか、おい愛花、吉野! お前らも参加しろ! コイツスピードバカ強ぇんだよ」

「三対一でも構わない。勝てる」

「へえ? それは、私へも挑発しているってことでいいの?」

「そう聞こえなかったら私は姉さんの学力を心底疑った」

 

 キスは、済ませたのだろうか。

 吉野の頬がちょっと赤いのは、済ませた余韻が、しなかったことへのドギマギか。

 

 ……わかりづらい。

 けど、美しい時間は過ごせたらしい。

 

「そこまで言うんだ翔花、五十先とかもうどうでもいい。こっちが一勝でもしたら、明日からの朝飯当番はお前だからな!」

「いつもあれだけ理不尽や不合理を嫌っておいて、自分の負けが込んだらルール変更。でもまぁ、構わない。そのリスクを背負っていても勝てる」

「愛花、吉野。本気でやれよ? 手ぇ抜くんじゃねえぞ!」

「はいはい。じゃあ翔花ちゃん、ごめんね。本気でやるから──」

「吉野さん。翔花を舐めない方が良いです。翔花はできないことをできると言い張る子じゃないので──本当に私達三人を相手取って勝てるのかもしれません。ここは本気で、挑む気持ちで行きましょう」

 

 感情的だ。

 そうなるように挑発したとはいえ──ここまでか。

 

 良い。良い。

 それならこっちも、もっともっと、もっともーっと。

 愛花を人間味で包んでやる。不合理で不条理な世界の審判を跳ね除けるために、もっともっと、もっと、だ。

 

 もっと──。

 

 

 *

 

 

 さて、そこからさらに目まぐるしい時が流れて、ついにその日が来た。

 

 11月23日。

 あと一月でクリスマス目前。

 

 私は一人、記憶にある限りの道を歩く。

 

 そこに。

 

「──」

 

 こちらを驚愕の視線で見つめる、年上の女性の姿があった。

 

「……お姉さん」

「う、ぁ、……な、なんだ」

「ちょっとカラオケ行こう」

「な、なんだいきなり! というよりダメだ! 私には時間が」

「本当に一瞬だから。一瞬、会話をするだけだから」

「……お前は、何を」

 

 鎖部葉風。

 この日、この時に一番いて欲しくなくて、一番いて欲しかった女性。

 

 彼女を拘束してさえしまえば。

 

「こら、翔花」

 

 背筋に冷たいものが走る。

 背後の声は、いつもの声だ。

 

「初対面の人をカラオケに誘うなんて、何を考えているの?」

「──今すぐに帰って、姉さん。そして何も考えずに寝て」

「はい?」

「この人は、危険だから。早く帰って」

「き、危険!? オイ私は別に何も」

「はいはい、人を指差さないの。それに、危険って……今貴女がカラオケに連れ込もうとしていた人なのに?」

 

 考えろ。

 そうならないことが最善だ。考えろ。そうならないために何をすべきか、考えろ。

 

「──聞かせて欲しい」

「なに、を?」

「そっちに、私はいる?」

「!」

 

 困惑と驚愕。

 ……これ以上は読み取れない。

 

 ならば。

 

「姉さん、帰ろう。一緒に」

「それはいいけれど、まずこの人に謝ってからよ」

「勘違いで迷惑をかけた。謝る」

「い……いや、構わない、が」

「じゃあ、いこう姉さん。早く」

「ちょっと、あんまり引っ張らないで、翔花」

 

 最善手は、愛花を一人にしない事。

 この夜さえ凌げばいい。彼女に何も聞かせず、彼女がその可能性に思い至らなければそれでいい。なら、私がずっと一緒にいれば、それで。

 

 ずんずんと手を引いていく。繁華街を抜けて、ひと気のない住宅街まで来て、あと少し、あと少しで。

 

「翔花」

「なに、姉さ──ッ!」

 

 バックハンドスプリング。

 所謂バク転でその赤雷から逃れる。

 

「もう、むやみやたらに勘が良いんだから。ちょっと眠っていてもらおうと思っただけなのに」

「……なんで」

「あの人が誰なのかは知らないけれど、あの人が翔花が今までずーっとひた隠しにしてきた合理の一部、なんでしょう?」

「それが、どうして私を気絶させることと繋がる」

「だって、あなたはずっとそのことを話してくれない。でもあの人は素直そう。だから、あの人に事情を聞けば、今日この日まであなたがずっと我慢していた何かが知れるのかな、って」

 

 余計なお世話だ。我慢なんかしていない。

 ただ警戒していただけだ。

 

「でも、ちょっと驚いたかな。これを見ても驚かないのね」

 

 これ。

 それは、赤。赤く光る、赤く迸るもの。

 破壊の力。

 

「それにさっきの言葉。"そっちに私はいる?"だっけ。成程成程……」

「考えないで、姉さん。学力低いんだから、考えたっていい答えは出せない」

「"考えることを放棄して答えを聞くか、考え続けて悩み続けるか。答えは確かにここにあるけれど、欲すかどうかは別の話"……だっけ。翔花、あなたが吉野さんに言った言葉」

「ッ、誓いを破ったか……」

 

 これは、何の意思だ。はじまりの樹が私に無駄を通告してきているのか。

 お前の努力は全てが無駄だったと。お前の全てが意味のないものだったと。

 

 未来(そっち)に、姉さんはいるのか。

 

「そんなに私をあの人と引き合わせたくないのなら、教えて? 貴女が何をずっと抱えていたのか」

「言わない。ただ、だからこそここに宣言する。ここに誓いを立てる」

「翔花、何をそんなに」

「絶園の樹! 当主交代だ! 今、幸福を享受し続けている姉さんにその役割は相応しくない!」

 

 左手を強く強く開く。

 そこに。

 

 そこに、愛花の操るものと同じ赤が現れる。

 

「それは」

「試練は私が受ける! 私が担う! これは鎖部葉風に告げられたことではない。ゆえに時間的矛盾は起きない! 私が、他の何を犠牲にしてでも対価を払う!」

 

 だから。

 

「寄越せ!」

 

 掴み取る。

 それを。その黄金を。

 

 伴い、姉愛花の手から──赤が消える。

 

「待──待て、不破翔花!」

 

 背後の声。

 鎖部葉風のその悲痛な声は。

 

 ──まさかとは思ったけれど、そういうことなら、私は嬉しいとさえ思う。

 

「樹の中の樹、大樹の中の」

「そういう未来なら、喜んで受け入れる。──じゃあね、姉さん。今まで楽しかった」

「どういう」

 

 飛ぶ。

 飛び去る。

 

 二人の記憶の一部を絶縁して。

 

 

 この日。

 不破翔花は、行方不明になった。

 

 

 *

 

 

 海に面した墓地。

 そこに、三人の男女の姿があった。

 

「……死んだ、って。思ってるか?」

「思ってないよ」

「……」

 

 不破家の墓。

 ただ、墓参りに来た、というわけではない。

 

 お願いをしに来ただけだった。

 

「聞いてるか、父さん、母さん。──翔花が行方不明になった。誰かに攫われたって線が濃厚だ。ただ、アイツはそう簡単に死ぬタマじゃねえ。だから」

 

 不破真広は、心の底から不機嫌そうに、言う。

 

「アイツを守っててくれ。俺達はアイツに誓わされてる。だから、頼む」

「……幽霊は信じないんじゃなかったの?」

「ああ、信じねえ。んなもん生者が願う幻想だ。だが、不可解で不合理なことが起きた以上、不可解で不合理な相手に頼むのは辻褄合わせになるだろ」

「……」

 

 三人。

 不破真広、滝川吉野、そして不破愛花。

 三人とも、手を合わせる。

 

 どうか。

 あの、どこまでも身勝手で生意気で、独善的な少女が──無事であるように、と。

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