絶園の商人   作:ポーシャ

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第五幕 魔解き放つ、時間

 夢なのだろう、と。愛花は思った。

 

『置いていかないで』

 

 それはいつかのこと。彼女が自らの妹に男性との──吉野との交際を打ち明けたあの日の事。

 昔からだ。お姉ちゃん子、と呼ばれる類の妹だった。常に愛花の身を案じ、常に愛花第一で考える。妹だというのに我儘を言うこと無く、むしろ進んで愛花へと唯一を譲る。

 姉さん、姉さんと愛花を呼び慕う翔花は──けれど。

 

 いつか。

 いつか、邪魔になるかもしれないと、愛花は思っていた。

 

 愛花は絶園の魔法使いだ。元がつくけれど。

 故に真広よりも合理的に、吉野よりも冷静に物事を判断する。真広が動きやすいように母親も父親も殺したのがその証明だろう。そして、もしそのまますんなりと──はじまりの樹復活まで翔花が共に居たら。

 愛花は、自らの身軽さのためだけに翔花を殺していた可能性がある。はじまりの樹の加護を受けた鎖部一族と違って、絶園の魔法使いは孤立無援。幼き頃からその役目を自覚していた愛花からすれば、自らを引き留めたり、あるいはその情報の大半を持っている半身というのは危険分子でしかない。

 

 無論。

 そんな日が来なければいい、とは願っていた。願っていたし、けれどいつかは必ず来ると割り切ってもいた。

 

 ──だからこそ、その覚悟を横合いから殴られて、愛花は揺らいでいる。絶園の魔法使いでなくなったことも関係しているのだろう。そして愛する吉野と、家族である真広と共に旅をしている今だからこそ、揺らぐ。

 合理的に物事を考えすぎることができない。条理に対しての正常な判断ができない。

 

『そして、ちゃんと吉野を愛して。大義も、使命も、運命も放り出してでも、ちゃんと』

 

 あの日言われた言葉を反芻する。

 やはり、もしかしたら、というか──確実に。

 翔花は愛花の絶園の力を知っていたのだと思う。事あるごとに誓いを立てさせていたのもそのためだろう。愛花が絶園の魔法使いだと知っていたから、少しでも彼女を繋ぎ止めようとしていた。

 

 だから、そういう意味では。

 彼女──翔花にとっても、自身が攫われる、という結果は見えていた未来ではなかったのだろう。

 

 ジェシカ。

 そう名乗る現在の絶園の魔法使い。その名から愛花が連想するのは、シェイクスピア著ヴェニスの商人の登場人物だ。偶然か否かは論ずるまでもない。名前の一つをとっても「全てのことには、わけがある」。それは愛花の哲学にも等しいのだから。

 なれば彼女は、悪の手駒で、けれどそれを嫌って恋人と駆け落ちをする役割、なのか。

 

『考えることを放棄して答えを聞くか、考え続けて悩み続けるか。答えは確かにここにあるけれど、欲すかどうかは別の話』

 

 これは愛花が直接言われた言葉ではない。

 いつか、愛花と吉野が付き合い始めてすぐの頃のこと。真広の目の届かない範囲であればいつだって一緒にいたいくらいの華やかな気持ちが愛花にはあったのに、吉野はあろうことか妹の翔花と二人きりでカラオケに入る、という暴挙に出た。

 正常な判断ではなかったのだろう。一応犬猿の仲、のような素振りを徹底していた真広に対して、吉野に被害が行かない程度の証拠写真を真広に送り付けるなんて行動は、恐らくのところ嫉妬からだ。

 嫉妬。あの時初めて湧き上がったそれに、愛花は面白くてたまらなかった。それほど吉野に入れ込んでいたことを自覚したからだ。

 だけど、その後になって思い返せば、果たしてどちらに嫉妬していたのか、まではわからない。だって愛花は翔花にカラオケへ行こうとか行きたいとか、誘われたことは一度だってなかったから。

 愛花を第一に考えるけれど、愛花の行動を縛る要求はしない。少なくとも不破の姓を得るまでの翔花はそういう子だった。ああも誓いを立てさせたり脅しを使ったりするようになったのは不破家の人間になってからだ。

 

 つまり真広の悪影響ですね、なんて夢の中で独り言ちる。

 

 例の言葉を吉野から聞き出したのは、共に入ったはずの翔花が一人だけで出てきて、その後周囲を窺うようにこっそりこっそりと出て来た吉野をひっ捕まえた時だ。

 翔花と何を話したのか。付き合って四日目で浮気とは良い度胸ですね、とか。当然そんなことはない、というかそんなことをする主体性のある人じゃないのはわかっていたから、からかい半分ではあったけれど。

 

 吉野は項垂れるようにして洗いざらいを吐いた。

 キスまでならしていい、なんて許可を出された事と、翔花との話を漏らさないこと。吉野曰く「お願いなんて何も聞いてもらってないのだから要求を飲む理由もない」らしい。彼らしい悪辣さだった。

 

 そして──そう、そして。

 

『夕食の後。真広、なんとか引き留めておくから』

 

 もう苦笑しか漏れなかった。

 全て見透かされていたのだ。この日、この夜に吉野とキスをするつもりだったこと。そして、真広が野生の勘を働かせて二人を止めに来るだろうことまで。

 

 でも、その甲斐あって──愛花は、吉野と。

 

 

 

『愛花、愛花! 起きろ!』

「……すみません。気を抜いていました」

『お前は大丈夫なんだな!? ではすぐに真広と吉野を探せ! お前が寝ている間に襲撃があった! こちらは音でしか確認できなかったが──』

 

 覚醒する。

 焚火を囲んでいた真広と吉野とは違い、徒歩の旅で体力を使い果たしていた愛花は少し離れた場所で眠っていた。それが功を奏したのだろう。

 二人がいた場所に急行すれば──地に倒れ伏す真広と。

 

 忽然と姿を消した、吉野。

 

「マヒロ。マヒロ。起きてください。マヒロ」

「……愛、花……?」

「ええ、私です。それより、吉野さんは?」

「……っ痛……それより、とはご挨拶だな……」

 

 気絶させられていたのだろう、真広が頭や腹部を摩りながら、けれどすぐに立ち上がる。

 愛花も周囲を見渡す──けれど。

 

 落ちているのは特別な魔具の入ったアタッシュケースだけ。

 

「……俺達に対して誘拐を選ぶたぁ良い度胸だよな」

「そうですね。──逆鱗と言っても差し支えないです」

『あ、ああ、そうか。そうだな、お前たちにとっては』

 

 不破翔花は誘拐されている。

 真広と愛花にとって、こと「身近な人間を攫われる」というのは文字通り怒髪冠を衝く行為だ。

 

 なれば。

 

「無理をするな。相手は丸腰の一般人だろうと関係なく犠牲を強いる政府の狗だ。魔具を無駄にするな、はじまりの姫宮の手駒」

「ッ!?」

 

 覚悟を決めようとしたその瞬間、樹上から声が響いた。

 夜闇の中だというのに赤黒いローブは妖しく揺れて、背負う大鎌が月よりも凄惨な笑みを浮かべるその姿。

 

「絶園の魔法使い……なんでテメェがここにいやがる! いや、まさかあの襲撃はてめぇのッ!?」

「合理で物事を考えろ、はじまりの姫宮の手駒。私がここに来たのは不破翔花の精神状態に乱れが出たからだ」

「翔花の?」

『まさか、吉野が連れ去られたことを感知したのか? ……しかしどうやって』

「アレらは私が始末する。滝川吉野のは必ずお前達の前に返してやる。だからここは手を引け。前にも言ったが、お前達に死なれると困るのだ」

「はん、だったら魔具も使わずに銃弾の雨の中に突っ込んでったら、テメェが守ってくれるってわけか」

「そんなことをするのなら、お前達をここから動けなくさせる。暴れてどうなるものでもない、完全な拘束──指一本、眼球の欠片も動かせない程の拘束がこちらには可能だ」

 

 愛花はふと、考える。

 それをしない理由を。

 

 絶園の魔法使い。その存在理由を知っている愛花からすれば、そうも「安全に拘束しておける手段」をあちらが有しているとなれば、初めから使ってこない方がおかしい。ジェシカと愛花たちの目的は必ず衝突する。その上でジェシカが愛花たちを傷つけられないのだとすれば、その手段を以てもっと早くに身動きを封じていたはずだ。

 けれど今までそれを使ってこなかった。不合理だ。

 

「私達を絶園の樹に近づけさせたい理由がある、ということですか」

「……それは質問か?」

「いえ、整理です。絶園の樹復活のために奔走している貴女が、私達を見逃す理由。今まで拘束をしてこなかった理由。それらは全て、私達……あるいは葉風さんを鎖部左門さんと引き合わせたかったから、なのではないですか?」

『私を?』

「……成程。鎖部左門が何かを画策してるのはわかっちゃいたが、その何かに関してはてめぇでも破ることはできねぇんだな? だから俺達を泳がせた」

「良い判断だ。そして正答には不必要な対価を要求することはない。正解だ。鎖部葉風には鎖部左門と相対し、やってもらわなければならないことがある。ゆえにこのようなところで死なれては困るし、お前たちの攻撃手段である魔具を消費されるのも困る。不破翔花の精神状態を安定させるために滝川吉野は必ず無事に連れ帰る。──まだ説明は必要か?」

『私にさせたいこととは何だ!』

「鎖部左門に会えばわかる。まぁ、ヒントという程でもないが──お前たちが星村潤一郎から聞いた話に関することだ」

『!』

 

 星村潤一郎から聞いた話。

 それは、鎖部葉風が既に死んでいる、という──あまりにも荒唐無稽な話。けれどこうして実際に通信魔具があって、声が聞こえている以上、何かが起きているのは間違いない。

 その何かが左門の画策していることであり、ジェシカの破れないことであるというのなら。

 

「……辻褄は合うな」

「一つ、いいですか? ジェシカさん」

「飽きたやり取りだが、それは取引か?」

「いいえ。ただ──政府側の人間を始末するのは止めて欲しい、という話です。無論吉野さんは取り戻してもらいたいのですが、政府の人間も必要な駒。今はまだ情報共有が行われていないだけで、共闘関係を結べる間柄にあると思っています」

「愛花。吉野を攫った奴ら、ってのがわかった上で言ってんだよな」

「当然です。その報いは必ず受けてもらいます。ですが、それでも戦力は多いに越したことはない。──狙う者が多ければ多いほど当たる確率は分散する。この意味、わかってくれますよね」

 

 真広にはわからない話。

 だけど、ジェシカには──伝わったらしい。彼女はクツクツと笑いを浮かべる。

 

「流石だ、先代。そうだな、そちらは失念していた。そういう考えもあるか」

「貴女は絶園の魔法使いになってから日が浅いので、致し方のないことかと」

「……そこの妙な共感はどうでもいい。おい、絶園の魔法使い。取引は成立だ。俺達は葉風を左門のもとへ連れて行き、その破れない何かとかいうのを破らせる。代わりに吉野を無傷で取り返せ」

「お前たちが政府との戦闘に参加しない、というのも飲め。でなければ成立させん」

「わーってる。いざという時は翔花や吉野より愛花を優先させる。そういう誓いがあんだよ、俺には。丸腰の一般人を銃弾の雨に晒すような連中の前に愛花を連れて行くわけにゃいかねえ」

「良いだろう。取引成立だ。──必ず無事に連れ戻す。約束しよう」

 

 ジェシカの姿が消える。

 はじめからそこには何もいなかったかのように、枝葉の一つが揺れることもない。

 

「……マヒロ」

「行くぞ、愛花。絶園の魔法使いは信用ならねえが、確かに無策に突っ込むのは合理に適ってねぇ。軍用ヘリ数十機とマトモにやりあえるアイツをぶつけんのが正答って奴だ。その間に俺達は富士山麓近くを目指す」

「わかりました」

 

 二人は移動を開始する。

 悩み、悩む、葉風に声をかけることなく──。

 

 

 *

 

 

 少し笑ってしまった。

 私は「政府の人間が集まり切らない方がいい」と思っていた。多く集まり過ぎるとはじまりの樹から守り切れないから。だけど姉愛花は「人数がいた方が個々の狙われる確率が下がるから多い方が良い」と言ったのだ。いや、いや、なんと効率的な思考か。

 人間を数としてしか見ていない。流石としか言いようがない。

 ただ姉愛花もわかっているはずだ。はじまりの樹の狙いはランダムではない。しっかりと用済みである人間を狙って殺しに来る。だからその言い分は通らないのだけど、もしかしたらエヴァンジェリン山本や鎖部夏村らは「不要な人間」とされる可能性があるし、どこかの街中にいるのだろう林美森が死ぬ可能性もゼロではなくなってしまう。

 なら、攻撃的な意思を持つ、持つ可能性のある人間を集結させて、全体的な被害を減らした方が良い。

 

 素晴らしい考えだ。

 

 なんてことを考えながら、飛翔をやめて落ちる。

 装甲車の真上に、ということも考えたけど、姉愛花との約束──始末する、という考えをやめろ、というのを思い出して、地面へと着地した。

 

「な、何者──いや、その恰好は!」

「対象、絶園の魔法使い! 退け、距離を取れ! 遮蔽物に身を隠せ!」

 

 おや。

 絶園の魔法使い、という呼称が伝わっている。

 ……漏らしたのは吉野かな? いやしかし、アニメ版と漫画版がごっちゃになっているせいで、どこに吉野がいるのかが分かりづらい。

 早い所急発進してくれないものか。

 

「滝川吉野を返してもらいに来た。──大人しく引き渡さないというのなら、ここで全滅も視野に入れろ、政府の狗」

 

 鎌を向けてそういえば、一台の装甲車の中から手を縛られた状態の吉野が出て来た。

 ……まぁ、一応拉致した、という体だからか。よくこの一瞬でそこまで綺麗に縛れたものだけど。

 

 彼の後ろにいるのはエヴァンジェリン山本。作中屈指の身体能力の持ち主。

 

「初めまして、絶園の魔法使いさん。私は」

「御託は良い。政府の狗と交わす言葉など持ち合わせてはいない。滝川吉野を返すというのならこちらも手出しはしない。だが、滝川吉野を返す代わりに、などと言った取引を持ち掛けて来た時点で敵と見做す」

「……オーケー、わかった」

 

 吉野がとん、と背を押され、こちらに歩いてくる。

 駆け寄らないのは、私を信用していないからか。それとも何かの時間稼ぎか。

 

「断っておくが、私には狙撃も通用しない。核ミサイルであっても敵ではない。──時間稼ぎなどつまらないことを考えるのはやめておけ」

「考えてないわ、そんなこと」

 

 そうして、何事もなく吉野が私の元に来る。

 ……吉野が暗器の類を持っている、ということもなし、か。

 

「滝川吉野」

「……なんですか」

「こういうことは控えろ。不破翔花が動揺する」

「……気付かれていたんですか。真広たちには?」

「言っていない。お前たちの不和はそれこそ不破翔花へのダメージだ」

「そうですか。貴女なりに大切にしてくれているんですね、翔花ちゃんのこと」

「必要なものを大事にしない理由はない。──行くぞ」

 

 吉野を保護しつつ、長距離高速移動を行う。

 目的地は例のバス。念のため私の痕跡は絶縁しつつ、音もなくバス前に降り立つ。

 

「っ、吉野!」

「吉野さん」

「真広、愛花ちゃん……ごめん、心配をかけたみたいだ」

「ったりめーだろ! 怪我はしてねぇな?」

「……腕を縛られているようですが、これは貴女の仕業ですか? ジェシカさん」

「違う。こんな物理的なもので縛る程私は魔法に困っていない。──それと」

 

 これは余計なことだとは思うけれど、万一はあるから。

 

 バスを絶園の魔法で一時的に包む。効力は朝日が昇るまで。

 効果は保温とか断熱とかそういうの。完全に断熱すると却って危険なので、しっかりそういう配分はした上での魔法。「破壊」と縁遠いなどと、まぁその通りだけど。

 

「風邪を引かれたら困るから、ですか?」

「言の葉の先を読むな、はじまりの姫宮の手駒。……私はもう行く」

「待てよ」

「なんだ」

 

 一瞬でバスに何を施したのかを見抜いた愛花も流石だけど、今までの私とのやり取りからまだ私を引き留めようとする真広もさすがだ。これ以上、特に要求するものないんだけどな。

 

「礼は言っておく」

「……何を馬鹿なことを。私はお前たちの敵だぞ」

「あぁそりゃ俺が一番わかってる。だが、吉野を無事に連れ帰るってのは、もしかしたら俺と愛花だけじゃできなかったことかもしれねえ。いや、俺は……愛花を優先していた可能性が高い。だから礼だ。お前は知らねえだろうが、この世には取引の関与しねぇ礼のやり取りってモンがあんだよ。大人しく受け取っておけ」

「そうですね。ありがとうございます、ジェシカさん」

 

 ──……。

 ……。

 

 まさかこの二人に、そんな不合理なことを言われるとは思ってもみなかった。というかそんな道徳的なことを。この二人の頭の中に道徳とか入っていたのか。平成最大の驚きである。

 

「が、そーいうのもテメェとの取引を成立させるまでの話だ。葉風がこっちに戻ってきて、テメェを俺の前に引き倒させて、翔花を解放させたあと必ずぶち殺す。覚えとけよ」

「ああ、できるものならやってみるがいい」

 

 去る。

 

 さあ──明日が、山場の二つ目だ。

 

 

 *

 

 

 絶園の樹の枝の上に立つ。

 結界なんか意味はない。壊さずにすり抜ける方法なんていくらでもある。

 

 ……復活は、やはりまだか。

 今ここでやってしまうのもありだ。そうすれば──あるいは、愛花たちが辿り着く前に終わらせられるかもしれない。

 

 けれどこの山場は不確定要素が多すぎる。

 鎖部葉風は復活させなければならない。何故ならあの日、あの時鎖部葉風が私と愛花の前に現れていた。つまり鎖部葉風は復活した、というわけだ。そこを変えようとすれば、タイムパラドックスに巻き込まれて何か別の被害が出かねない。

 あの時の鎖部葉風の顔を思い出すに、愛花より不破翔花という存在に対しての驚愕が強かったように思う。だから愛花は死んでいない──死んでいたのなら真広や吉野がもっと躍起になっているはずだし、鎖部葉風ももっと沈痛な面持ちをしていただろうから。

 

 気になるのは、私を見て、私の顔を認識して驚いていた、ということ。

 ──いざという時に備えて、私はあらゆるメディアに映らないよう生きて来た。家族写真もケータイの写真も、小中学校の卒業アルバムにさえ私の顔は載っていない。名前は流石に消せなかったけれど、そうなるように避け続けて来た。

 だから、鎖部葉風は知らないはずなのだ。真広や愛花がとんでもなく絵が上手い、とかでなければ、私の顔を見て私の名前と一致させることは不可能に近い。

 その鎖部葉風がああいう反応をしたということは──未来での私は、顔を晒している、ということだろうか。だとしたらなぜ。そしてそれは、絶園の魔法使いとして、なのか。それとも架空の「契約書」としてなのか。

 後者だとすれば面倒極まりない。前者であっても面倒極まりないが。

 ……どちらにせよ鎖部葉風のあの反応は、「不破翔花が誘拐されるのを止めに来た」か「不破翔花が絶園の魔法使いになるのを止めに来た」のどちらかに思えた。

 過去に飛んでまでそうしなければならない事象が未来で起きている、ということだ。

 

「今絶園の樹も鎖部一族も敏感な時期だ。そうむやみやたら結界をすり抜け、樹に触れる、などということをしてくれるな」

「……各地に散らばっていた鎖部一族の全術者を集めて尚間に合わせられないとは、落ちたものだな」

「それについては返す言葉もない。姫様の加護がそれほど条理を動かしているということだろう」

 

 私のいる枝葉に飛び乗って来たのは鎖部左門。

 この人結構な歳のはずなんだけど、本当に若々しいな。

 

「言うことは二つある」

「なんだ」

「気付いているだろうが、はじまりの姫宮の手駒が結界のすぐ近くにまで来ている。そして鎖部夏村から伝わっているだろうが、私はあの三人に手出しができない。及び、お前やお前たちがあの三人に手をかけようものなら、私が敵に回ると思え。無論、手をかけようとした時点で絶園の樹の狂乱が始まるだろうが」

「……ああ。わかっている。こういう状況に陥ったことさえも、姫様の強運としか思えん」

「だが策はあるのだろう。時間の檻。私から見ても見事な魔法だ」

「すべてお見通しか。恐れ入るな」

「話を整理する。つまり、私はお前たちの問答に手出しができず、且つお前たちが間違いを犯しそうになった場合止めなければならない。よって私は気配を消してお前たちの近くで待機する」

「随分と譲歩してくれるものだ。今ここで、今この場で絶園の樹を復活させる、ということもできるのだろう?」

「できる。だがその場合、はじまりの樹が地表に現れない可能性が出てくる。鎖部葉風は今お前の策によって揺れているし、その鎖部葉風が完全覚醒した絶園の樹を認識した場合、はじまりの樹は"次代"を探すかもしれない」

「……それは」

「だからこその譲歩だ。鎖部左門。お前はお前のやり方で鎖部葉風を屈服させろ。絶園の樹を復活させ、未覚醒状態のはじまりの樹を私の前に引きずり出しさえすれば、必ず私があの樹を消滅させる。はじまりの樹による文明のリセット──お前の懸念は当たっている。その背は押してやる」

「……やはり、か」

 

 はじまりの樹。

 この世の理を創り、守る樹……とされているけれど、その実「この惑星の文明発達具合を管理するシステム」と言った方が正しい。高度に発展し過ぎた文明ははじまりの樹が食い尽くして再起不能にし、やり直させる。その後絶園の樹、及び絶園の魔法使いによってはじまりの樹を停止させ、そのサイクルはまた一からに戻る。

 それがはじまりの樹であり絶園の樹だ。

 ──けれど、それは試練でもある。故意に対立構造にさせられているはじまりの樹の縁者と絶園の樹の縁者が手を結び、そしてそれらのどちらにも属さないこの惑星の民が手を取りあえば、はじまりの樹と絶園の樹という管理システム自体を消し去ることができる。

 

「それと、不可視の結界と防御の結界は最低限にして、絶園の樹復活のために術者を回せ。軍からの攻撃は全て私が叩き落してやる」

「大盤振る舞いだな。……いや、これ以上は言うまい。感謝する。──はじまりの樹の根絶は我々の悲願でもある。何もかもを頼り切ってしまうのは心苦しいが──」

「気にするな。そもそも、これが私の使命だ。だが、鎖部左門」

「まだあるのかね」

「言うことは二つだと言ったはずだ。そのもう一つ。仮に鎖部葉風の復活を許した時の話だ」

「……そこも、知られていたか」

「彼女が復活した場合、はじまりの樹ははじまりの姫宮の手駒らを用済み扱いするだろう。はじまりの樹にとって鎖部一族以外は不要な存在だからな」

「それは……いや、そうか。そういうことも、あるのか」

「守れるか?」

 

 シンプルな問いかけ。

 それに対し、左門は。

 

「無論だ。姫様の手勢とはいえ、彼らも守るべき条理の一つ。はじまりの樹が牙を剥くというのなら同じ被害者であると言える。何より、姫様を含めて彼らは何も知らない子供だ」

「鎖部葉風はもう19だろう」

「二十歳になるまでは皆子供だ。その点で言えばジェシカ、お前もそうなるな」

「私を一般人の尺度で測るな。私は見かけ通りの年齢ではない」

「……絶園の魔法使いは年齢をも超越するか。いや、未来視が可能な時点で……何より我々も時間の檻を使っている。成程、そういうことか」

 

 転生したからだ(全く違う)けど、そういう解釈をしてくれるならそれでいい。

 

 ──そろそろだ。

 

「そういえば、気配を消して私達の近くで待機する、と言っていたが……どうやって軍からの攻撃を防ぐつもりだ?」

「……まぁ、もういいか。はじまりの姫宮の手駒が結界に入った、という連絡は来ているな?」

「ああ」

「ならこうするだけだ」

 

 結界を張る。

 ──巨大。赤く、四角く、そしてあまりに強固な結界。

 

「独力で……か」

「ああ、外に鎖部の術師がいるのなら伝えておけ。触らない方が良いことをな」

「触ったらどうなるのかね?」

「肘から先が無くなると思え」

「……厳命する」

 

 さて、では。

 ──開戦だ。山場の二つ目。来い、はじまりの樹。

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