絶園の商人 作:ポーシャ
唐突な事ではあった。
この二人が唐突でないことなどこれまでただの一度も無かったような気もするが──唐突だった。
「マヒロ」
「愛花」
仮拠点で二人。図らずもか、誰かが仕組んだか。
不破愛花と不破真広は二人きりになってしまって、だから前々から言われていたことを実行せんと口を開いたのだ。
全く同時に。
「……んだよ」
「いえ、先にどうぞ。大したことではありませんので」
「大したことの無さで言えば俺の方が上だ。お前が先に言え」
「大した事ではないのなら私に声をかけないでいてくれませんか?」
「お前だって大したことじゃねぇのに声かけて来ただろうが」
膠着。
性格の悪い、性根のひん曲がった、横暴で暴虐で──素直じゃない二人。
血は繋がっていないのに似た者同士のこの二人だ。こうなってしまえば長い。
けれど同時、二人の脳裏に別々の面影が浮かぶ。
だからやっぱり同時に「はぁ」と溜め息を吐いて。
「では、私から。マヒロ、あなたは私と喧嘩していますか?」
「俺に聞くことかよ、それは。……だが俺もそれをお前に聞こうと思ってた」
「察するに、吉野さんですか。私とマヒロが無自覚ながらに喧嘩をしている、と言ったのは」
「そこまでお見通しかよ。つーことはなんだ? 吉野の奴、お前にも仲直りしろとか言ってきたのか?」
「いえ、私は別口からです」
喧嘩など。
していない、というか。
常時している、というか。
「……こういう場合、お互いの不満点をぶつけ合うのが合理的且つ効率的な解決方法です。それで納得できなければそれまで。家族の縁が切れるわけでもありませんから、そういうもの、として距離を離せばいいでしょう」
「だな。んじゃ、まずは俺から言ってやる。俺がイラついてたのは絶園の魔法使いとお前の確執が無くなってたことが不合理に感じたからだ。……が、それもちょいと前に合点が行った。だからもうお前に苛立つことはねえよ」
「ならこちらからも不満はありません」
「どういうことだ」
「たった今解消されたからですよ。私のマヒロに対する不満点は、私がジェシカと共に行動することを蛇蝎の如く嫌っていたことですから」
言えば。
聞けば。
真広は後頭部をガジガジと掻いて、ソファにドカッと座り直す。
「結局は俺がガキだった、ってことか」
「情けないですね、と言えたら良かったのですが、この場合全ての原因はジェシカにあるので、私からはなんとも」
「……なぁ、愛花」
「なんですかマヒロ」
「ジェシカ……絶園の魔法使いは、やっぱりお前の知り合い、なのか?」
「どうしてそう思われたのですか?」
「少し前、吉野と話したんだよ。お前にとっても翔花を攫った悪、敵だったはずのジェシカをそうも許せる理由が何か、ってな。俺じゃ考えても考えても無理だったが、アイツはすんなりと答えを出した。ジェシカとお前が元から知り合いなら、確かに辻褄が合う。富士山麓での戦いの時までアイツは誤認の魔法とかいうのを使ってたらしいしな」
その、得心が行った、というような声色を受けて、愛花は──なんでもないことであるかのように、あることを言う。
「知り合いと言いますか、ジェシカは翔花ですから」
「……どういう。肉体の話なら今更言われることでも」
「そんなことを今更言う私じゃないですよ。ジェシカは翔花です。乗っ取っているとか、翔花は眠っているとか、適当なことを言っているだけの、私の妹」
急速に思考が巡る。
真広は馬鹿じゃない。むしろ頭のいい方だ。思い込みが激しいから真実が見えなくなることが多いけれど、前提と結論を出されて、式まで出されたのなら──それを組み合わせ、今まで見つけて来た「あり得ないことはない解」より「もっともらしい最適解」であると判断するのに、そう時間は要さない。
「なんでだ」
「なぜ、とは?」
「俺に言わなかったのは、なんでだ」
「本当は誰にも言わずに消えようとしていたみたいですね。私が確信を持って翔花に答え合わせをしに行かなければ、あの子ははじまりの樹消滅と共に世界から消えていました。記録からも、記憶からも」
ドン、と真広がクッションを殴る。
「そんな不合理があってたまるか! だったら、だったら翔花はなんのために俺達の前から姿を消した! 名前や姿を偽ったのはなんでだ!」
「はじまりの樹を復活させるためでしょう。気付きませんか? 翔花がいなくならなければ、私もマヒロも旅に出ることは無かった。当然、葉風さんと出会うこともなかった。あるいは吉野さんといつものように学校へ行って、私は高校生活の始まりに思いを馳せて──黒鉄病に罹っていたかもしれません。絶園の力が突然消えた事には多少驚きもしたでしょうが、代替わりする、というシステムも知っていましたから」
「じゃあなんだ。翔花が絶園の魔法使いとして振る舞ったことでさえはじまりの樹の意思だとでもいうのか」
「逆ですよ。はじまりの樹を消滅させるためには、はじまりの樹の本体を出す必要がある。あの子は未来視ができるのですから、その手組み、手順を理解して、最も被害の出ないやり方を選んだに過ぎません。自分が去ることでマヒロと私を旅立たせ、葉風さんに出会わせ、適当な理由を付けて鎖部一族に私達を守る理由までつけさせ、怪我や死を近づけないように見張り、見事私達に葉風さんを復活させた。そしてはじまりの樹を葉風さんの制御下に置くほどまで弱らせ、今こうして着々と消滅のための準備を進めている」
はじまりの樹の掌の上というより、翔花の掌の上、ですかね。
そんな風に、愛花はさらっと言う。あまりにもなんでもないことかのように。
「……」
こうも言い切られてしまえば、真広も反論が出ない。
だって合理的だったから。真広と愛花程行動力のある人間はそうそういないだろう。真広と愛花程合理で物事を考える人間はそうそういないだろう。何より翔花に縁があり、吉野というブレインとも繋がっている。
適材だ。何もかもが。
「……ッ、待て、消えるってのは」
「そういう契約だそうですよ。私から絶園の力を奪った際に、絶園の樹と交わした契約。血縁者だからと言ってそう簡単に絶園の力は奪えません。だから翔花は、自身の存在を質、あるいは贄にしました。必ずこの試練を乗り越えると誓うから、絶園の力を寄越せ、と。代償は己自身。ジェシカと名乗っていた時に言っていたように、はじまりの樹が消えれば絶園の樹も消え、伴って翔花も消える」
「なんとも……思わないのか、愛花」
「思わないと思いますか、マヒロ」
「……俺がおかしいな、これは。俺がおかしい。……今までジェシカに怒りを持ち続けていられたのは、翔花の全てをジェシカが不当に奪ったから、その不合理が許せなくて……だから心底アイツが嫌いだった。だが、もし、ジェシカが翔花だっていうのなら……辻褄が合っちまう」
だから、おかしい。
急速に冷えていく感情がおかしい。何とも思わないのは真広の方になりつつあるのがおかしい。
何故か。
なぜこんなにも、真広は。
「"いざという時、翔花より愛花を優先する"」
「!」
「これでわかったでしょう。あの子には本当に未来視の力があって、そのいざという時が今なのだということが」
そうだ。
だって、今の状況は、それなら、あまりにも合理的なのだ。
不合理が一つもない。不条理が一つもない。
今や誰からも疎遠に思われているジェシカがはじまりの樹を消滅させ、それと同時にジェシカも翔花も全員の記録、記憶から消えるというのなら──
「私は思いますよ。あの子は唯一の家族なので」
「……だよな。そうだ。そうであってくれないと、困る。……ここまで冷血な奴は、俺一人でいい。愛花までそうなる必要はねぇ」
そして、だからか、と真広は納得する。
ジェシカと愛花が急激に仲良くなった理由。楽しそうに笑い、嬉しそうに話し、まるで親友かのように外へ出かけ続けていたのは、ただ姉妹だったからだ。
「良いワケがあるか莫迦者!!」
突如の話だった。
どこにいたのか、隠れていたのか、あるいは今帰って来たばかりなのか。
とりあえずどこでもいいけれど、怒りに震える葉風の膝が真広の顔にぶっ刺さる。高速移動だ。
「ぶっ……!?」
「黙って聞いていれば! ジェシカが翔花!? なんだそれは! 前提をそう軽々と覆すな愛花! そしてお前もお前だ真広! わかっているのか!? このままだと翔花は消滅するのだぞ! お前の妹は破滅の未来を避け、世界を救い、誰に記憶されることもなく消えていくのだぞ!! 何が合理的だ! 兄としてもう一度考え直せ! 一人の人間としてもう一度考え直せ!」
「ッ、ってぇな葉風! じゃあお前がやれよ! 絶園の魔法使いを俺達の前に引きずり出して、翔花を連れ戻すまでが契約だろうが! けどお前の力じゃ翔花には敵わねえ! 話はそこで終いだろ! ……じゃあ何ができんだよ! 怒ったところで、翔花は止まんのかよ!」
取っ組み合いの喧嘩、というのはこういうものを指すのでしょうね、と対面の愛花はどこ吹く風だ。言うか言わないかは自由にしていいと翔花が言っていたから言っただけなのに、まさかこんなにも混沌を引き起こすとは欠片も思っていなかった。
して、真広のその正論に、葉風は不敵な笑みを浮かべる。
まるでできることがある、とでもいうかのように。
「そのための話をしに来たのだ。──愛花。吉野とジェシカ……翔花を呼んでくれ。皆の前で話をしたい」
「構いませんが、ジェシカが応答するかはわかりませんよ」
「最悪吉野だけでも構わん。頼む」
「はあ。まぁ、わかりました」
コールコール。
愛花がケータイで吉野とジェシカに呼びかける。
けれど、応答なし。
仕方がないのでメールを送る愛花。
「電話に出ないので、メールを送っておきました。少しばかり待ちの時間ですね」
「……おい葉風。とりあえず退け。重いんだよ」
「不破真広! 姫様に向かって重いとは何事だ!」
「あぁ? んだよ左門、帰ってたのか」
「まぁ重いんじゃないですか? 無駄な脂肪がついているようですし」
「アナタはついていなさすぎなんじゃない? 愛花ちゃん」
「……二十八歳無職の方にはわからないでしょうが、高校一年生なんてこの程度のものですよ」
「うーん、まぁ揺れない乳は乳じゃないからなぁ」
続々とセーフハウスに帰ってくる面々。
その中に吉野とジェシカはいない。
言葉に言い表せない、なんだか嫌な予感が──愛花を抱いて放さなかった。
*
「君は、翔花ちゃんだよね」
時を少し遡って、ひと気のない公園。
そこに吉野と──ジェシカはいた。
「……なんでそう思う」
「愛花ちゃんが大好き、って気持ちが伝わってくるから。ジェシカさんのフリをしていた頃は確信が持てなかったけど、今にして思えば愛花ちゃんを気に掛け過ぎていたし、僕たちに攻撃してくることもなかった。むしろ守らせる方便まで付いていた。それを経て今のジェシカさん、愛花ちゃんといる時だけ妹モード全開だし。僕じゃなくてもわかるよ」
はぁ、と。
深い深いため息を吐くジェシカ。
いいや、翔花。
「姉さんといい吉野といい、どうしてこう……もう少し我慢ができないんだ」
「ああ、やっぱり愛花ちゃんは先に気付いていたんだ。彼女の態度からも薄々わかってはいたけれど」
「……それで。ジェシカが私だったら、何」
「何、という程大したことじゃないんだけど、二、三、確認したいことがあってさ」
「対価を要求する」
「えぇ……まだそれ言うの?」
「冗談。何、吉野」
冗談が冗談に聞こえないんだよなぁ、なんて頬を掻きながら、吉野は言葉を編む。
「ジェシカさんが翔花ちゃんなら、ジェシカさんに起こるとされている全ては翔花ちゃんに起こるってことでいいんだよね」
「ああ、そうだ。私は消える」
「そっか。それを止める手立てはないの?」
「無い。むしろ止める手立てがあった上での契約など、何の重みもない。絶園の魔法なんていう絶大な力を姉さんから奪うのに、そんな保険の利く手段が通じるわけがない」
「確かにそうか。……決意は固い、というか、ずっとずっと昔から硬かったんだね」
「前にも言ったはず。雪と火は共に暮らすことはできない」
「……うん。そうか、それは……二人のことでもあったのか」
けれど、と。
吉野は落ち込んだ顔を見せなかった。むしろ不敵な笑みを浮かべる。まるで鎖部左門と問答をした時のような笑みを。
「君に言われた通り、思考を止めるつもりはないよ。考え続けて悩み続けさせてもらうつもり。愛花ちゃんが望んでいるのが、君の持つ正解じゃなく僕の答えである限りはね」
「……勝手にして。でも誓いは忘れないで」
その時吉野のケータイが着信音を鳴らす。
数秒鳴って、鳴りやんで。
今度は翔花のケータイが着信音を鳴らした。
「出ないの?」
「どうせ姉さんからだから、いい。……吉野。一つだけ、これは誓いではなく、お願いがある」
「なんだろう」
「姉さんから目を離さないで。今の吉野と同じで、姉さんも何か変なことを企てている可能性がある。私を救うとか、私を止めるとか……そんなことのために姉さんが不幸になることを、私は絶対に受け入れられない」
「……君がいなくなっても、愛花ちゃんは不幸になるよ」
「ならない。ならないように準備してきた。いいや、仮になったとしても、死ぬよりはいい。不幸も悲劇も、生きているのなら乗り越えられる。──死んだらその先は無い。それがどれほど美しくとも、儚くとも、まるで芸術作品のような死であっても……死は死だ」
必死だった。
頼むから。お願いだから、と。
翔花は吉野に縋るように言う。
「……ああ、やっと腑に落ちた。君が見たっていう破滅の未来。──愛花ちゃんが死ぬ未来、だったのか」
ざぁ、と風が強く吹く。
まるで嵐の前触れかのように。空は晴天。快晴。けれど、風は確かに吹いた。
「多分姉さんは、なんでもない日常会話レベルのトーンで、真広や鎖部葉風に私のことを話す。そうしたら多分、鎖部葉風が突拍子もないことを言い出す。──たとえば、また過去に飛んで、私が姉さんから絶園の魔法を奪うのをやめさせる、とか」
「……できないことはない、か。タイムパラドックスが発生して因果がねじれてしまいそうだけど」
「真広と姉さんなら、そして葉風なら、それでもいい、と言う。あの三人は世界なんかどうでもいいから。姉さんは絶園の魔法使いであった頃なら世界破滅の回避に注力しただろうけれど、今は……わからなくなってしまっている。私は間違えたんだ、吉野」
「間違えた?」
「もっと嫌われておけばよかった。もっと嫌な妹であればよかった。姉さんにとってどうでもよくて、大したこと無くて、つまらない誰かであればどんなに良かったか。……姉さんの愛は吉野だけに注がれるべき。私なんか気にしないで幸せになるべきなのに、私は間違えた」
また着信音。
今度は電話ではなくメールの着信音だった。二人とものケータイから、それが鳴る。
「愛花ちゃんからのメール。葉風さんが話したいことがあるらしいから、集合だってさ」
「……お願いはした、吉野。──後は頼んだ」
「え、ちょっと、翔花ちゃん?」
「鎖部葉風がはじまりの樹の消滅を決意したことで、はじまりの樹はそのコアブロック……はじまりの樹の本体を露出させるはず。世界各国の艦隊が集まったところで私は撃ち落とされたりしないけど、余計な被害を出したくないのは事実。コアブロック。あるいは御柱と呼ばれるだろうそれが出現した瞬間から、私はそれに攻撃を仕掛ける。仕掛け続ける」
もう、縋るような目の翔花はどこにもいない。
ただ暗い目をしたジェシカがいるだけだ。
「さようなら、と。真広と姉さんに言っておいてほしい。吉野、姉さんと幸せになって」
「ダメだ、翔花ちゃん! そういうのは自分で、ッ!?」
消える。
忽然と、まるで元からそこには何もいなかったかのように。
ジェシカは。
不破翔花は。
「──急がないと」
吉野は愛花にメールを返しつつ、高層マンションへ走る――。
*
久しぶりの大鎌を構える。
まだ御柱は出現していないけれど、時間の問題だ。
──世界各地のはじまりの樹はそのほとんどを滅することができた。その際、北千里桜子の遭遇した発狂状態にあった女性の佇んでいた樹も消したし、懲りずに古書巡りをしている林美森も見かけた。
それと、まだ工事現場でフリーターをしている羽村めぐむも。
うん。
世界は私がいなくても、当然のように回り続けるのだろう。
あの分だと、吉野は多分鎖部葉風を止めない。
彼も私を思ってくれている一人だから。そして姉愛花と共謀し、私をどうにか取り戻す策を考えるのだろう。
わざわざ止めはしない。
その時間とて、二人には大切な時間だろうから。……ああ、しかし、そうだな。
さっきの話し合いの時、キス以上もしていいよ、と言っておくべきだったか。
共に高校生。多感な時期だ。
私への焦燥感から生存本能が、ということもあるのだろう。
真広とは結局何も話せなかったけれど、まぁそういう部分は納得してくれるだろうことを祈る。
最後に「面倒をかけた」とだけメールしておくか。
「……来たか」
まずは手始めに、姉愛花が見せていたそれよりも遥かに大きく鎌を巨大化して──横に、薙ぐ!
瞬間、まるで元からそこに在ったかのように巨大な樹が出現する。絶園の鎌による斬撃はベストタイミングでその幹を丸々切り裂き──。
「……それはもう樹じゃないだろうに」
斬られたそばから、再生した。
そして、出るわ出るわの防衛機構。枝、枝、枝。
さて、我慢比べと行こうか、はじまりの樹。
契約を、試練を──履行する。