というわけで、マートの躾である。
獣人、奴隷、呪われた聖痕付き。
様々な要素こそあるが、それでも彼女の躾というのは非常に困難であった。
一瞬、そもそも躾なんてしなくてもいいのでは?と思うかもしれないが、そんなことはない。
なぜなら、この彼女にかけられた隷属の聖痕は、一応自由意志を奪って操ることこそできはするが、それは基本的に魔力消費が必要だ。
しかも、その状態では基本的に命令の融通は利かないし、下手したら事故が起きるためあまり使う気も起きない。
それに、まぁ人格面は怪しくはあるが、それでもベネちゃんの妹なため、あまりひどいことをする気にもなれない。
だからこそ、なんとか彼女をある程度自分からこちらの言う事を聞かせ、きちんとした娘へと更生させる必要があるわけだ。
「というわけで、手始めに鼻っ柱をへし折ってみよう!」
そうして、最初にやったのは戦闘訓練である。
改築によりそれなりに大きくなった中庭。
そこで自称高貴な血やら獣人のエリートなら何とか出来るだろというわけで、ヴァルターの組手の相手をしてもらったわけだが……。
「んびゅ!」
「……ん~、まぁこんなもんでしょ」
当然ながらこの戦いはヴァルターの圧勝であった。
一応ヴァルター側は木刀であり、マート側は木刀ならぬ木ナイフという違いはあったが、それでもその差は歴然であった。
構えや動き、その技の鋭さ、どれをとってもヴァルターのほうが上であり、その力量の差は武術素人の自分の目から見ても明らかであった。
「さすが!ヴァルター、かっこいい!!
そして、マートもよく頑張りました」
「へへ~、まぁ褒められてうれしいけど?
もっと強い相手じゃないと張り合いがないかなぁ」
「……ぐぎぎぎ!も、もう一回だ!!
もう一回やらせろ!!」
お互いの健闘をほめると、ヴァルターは嬉しそうにしながらも複雑そうな顔をし、マートは悔しそうに、再戦を申し込んでいた。
「で、結局ヴァルター的に見て、この娘の強さはどのくらい?」
「初心者冒険者以上、熟練盗賊以下。
肉体的素質は感じるけど、技術やらなんやら全てがなっていない感じだね。
まぁ、鍛えればそれなりに物になりそうだけどね」
新しく入った双子の奴隷から、タオルを受け取りつつヴァルターはそう言った。
ヴァルター曰く、この周辺地域の同条件での単純な近接戦闘力評価は、彼自身が一番上、その次がトガちゃん、その次にクッコロ。
その下に熟練冒険者や地域全体に遍在する強めの盗賊などがおり、そこからさらに下ってこの娘、といった程度の強さだそうだ。
「まぁ、そもそもこれはあくまで正面から同じ武器を持って、同じ耐久力だったらのお話だから。
トガちゃんとかは、アンデッドゆえの強い不死性がネックだし、クッコロも馬上戦闘なら話が変わってくるかもしれない。
それに、ボクだってまだ奥の手はあるんだからね!」
そう言いながら、胸を張るヴァルターの様子に、心強さよりも微笑ましさを感じるのは彼の人柄からだろうか?
まぁ、彼だって無数の人間を一瞬で葬り去った実績がある。口調こそ穏やかではあるが、敵対者にとってはガチで恐ろしい事実である。
「それに~?どうやら、彼女もまだまだ奥の手があるみたいだからね」
「……そうだ!貴様、よくわかっているではないか!
そう、私は選ばれし真の獣人、その真の力が発揮できれば、貴様らこそ……」
「それじゃぁ、見せて」
「え」
「お互い最後まですっきりやりたいでしょ?
だからその真の力とやらを見せてよ!」
ヴァルターがはっきりとマートに向かって言う。
そして、恐る恐る彼女はこちらの顔色を窺ってくるので、私もはっきりこう宣言した。
「いいよ、全力でやっても。
まぁ、どちらかが互いを殺しそうなら何とか止めるけど。
そうでないなら、治せるからね、全力でやってもいいよ」
自分たちの間に不思議な静寂が訪れる。
おそらく、その奥の手を知っているのか、ベネちゃんが不安げながらも力強い瞳でヴァルターを見つめ、静かに手を組む。
そうして、マートは静かに笑い始め、そして、高らかに声を上げてこう宣言した。
「はは、ははは、はははははは!
言ったな、言ったなぁ!いいだろう!ならば貴様らに見せてやる!!
獣人の真の力を、恐るべき、狂える獣人、その真の本性を!!」
彼女がそういうと、その言葉と共に、彼女の輪郭に変化が現れる。
口角が伸び、頭蓋が変形する。
全身の体毛がざわざわと伸びていき、その爪や牙が伸びていく。
その身から陰の魔力があふれ出し、その邪悪な気配に、こちらの聖痕の残滓もわずかにうずく。
マートの全身の隷属の聖印が赤く光り警告を発し、何よりも彼女の額には邪神の邪印がはっきりと浮き出していた。
「ぐぎぎ、ぎるぎるぎる!
きゅきゅきゅきゅきゅ!!!!!」
かくして、その場にいたのは一匹の巨大な獣であった。
獣人というにはそれはあまりにも獣寄りであり、獣というには、あまりにも邪悪過ぎた。
その眼にはいくらかの知性が垣間見えるが、理性はなく、それでいて獣が持ち得ぬ邪悪さと残虐さが見られた。
獣に持ちえぬ邪悪さや残虐さがみられていた。
「……わ~お、これは思ったよりもやばいのがきたね」
「……っ!!」
化け物に変形してしまったマートを、やや焦りながら観察するヴァルター。
その様子を悲しげな眼で見るベネちゃん。
「アルティメットモフモフ……!!」
なんか別の感想が出てくる我が脳みそ。
いや、仕方ないやん。あれすごい毛量なんやぞ?絶対現代人が見たら顔を埋めたくなること必至やぞ?
おもわず、触っていい?って言いたいけど、今はタイミングが悪そうなので後にしよう。
「くくく、こ、ここまで来たらもう私でもこの体を制御できん!!!
壊し、暴れ、全てを葬る!!
はは、はははは! あの襲撃の際にも解放しなかった、いや、私自身恐れていた力を!!
見せてしまったからには、もう止めることはできん!!」
「そう!この【
たしか、話にだけは聞いた事がある、邪悪で危険な獣人種。
ただ人より身体能力が高いだけではなく、文字通り邪神の加護を生まれながらに授かっている獣人であるとか。
そして、この獣人の何よりの特徴は、【獣化】とよばれる理性を犠牲にその身体能力を大きく上げる能力と、【獣化の呪い】という感染性の呪いをその身に宿していることにある。
「え~っと、つまりマートちゃんは……」
「そう!我が母は、我らと同じ
この呪いを持ちながら、人として生きることを望んだ臆病者だ」
「そして、我らの教団は、この力を使い、全ての人類を
この世界全てを我が神様の名のもとに、獣人の国に、獣人の世界へと染め上げるのだ!」
究極毛玉と化したマートが陰の魔力とモフモフを揺らしながらそう高らかに宣言する。
「そして、我が姉よ!この血を、この呪いを受け入れろ!!
なぜこの神の祝福に身を任せないのだ!
この祝福を、この新たな誕生を世に広げぬ!
人ではなく獣人の世界を、
「……あなたは、母さんの遺言を忘れたの!?」
「あれは我が母が間違っているのだ!!
なぜ、獣人の中でも特に優れた我らが、牙も爪もない人間ごときに頭を下げねばならんのだ!!
臆病者は黙っていろ!」
ベネちゃんとマートが口論を繰り広げ、束の間空気が一触即発になる。
しかし、一番初めに動いたのはこの2人のどちらでもなかった。
「……っ!!貴様?」
それは小石。
その巨獣と化したマートに対して、ヴァルターが投石。
しかも、わざと鼻先をかすめるように投げ、直撃しないぎりぎりのコースでだ。
「ねぇねぇ?よそ見はひどいんじゃない?
一応は模擬戦だよ?相手はボク!その辺、わかってる?」
「……貴様、この姿を見て、なお、そのような戯言を言うつもりか?
すでにこれは試合ではなく、殺し合いに……」
木刀を構えながら、不敵に挑発するヴァルターに向かって、マートは忌々しげに、力強くにらみつける。
「いや?これは、まだただの模擬戦だよ?
なにせ、君ごときが、ボクの体を傷つけられるとは思わないからね」
しかし、それでもなおヴァルターの余裕は崩れず。
片手で手招きしながら、こう宣言した。
「それより、さっさと始めようよ!
ボクは試合でも死合でも構わないからさ!」
「さっきからうだうだ言って、一向にこちらに攻めてこないじゃないか。
それともなんだい?そんな恰好、そんな図体をして……怖いのか?」
「……っっ!!!言ったな貴様!
覚悟しろぉおお!!!!!」
かくして、邪獣と化したマートと今なお木刀を振るうヴァルター、両者による模擬戦の第二幕が開始されたのでした。
なお、結果。
「きゅ~~」
「はぁ、はぁ!ぜ、ぜんぜん!超全然余裕だったし!!!
これぐらい楽勝に勝てると思っていたし!」
なんとそこには、無事とは言わないが、汗だくだくながらも無事に無傷で勝利したヴァルターの姿が!
「おつかれ~、呪いや怪我に関しては……。
まぁ大丈夫みたいだね」
「と、当然だし?
彼女からの攻撃は傷一つ受けていなくて……がほっげほっ!!」
渡された水を、咽ながら飲むヴァルター。
一応本人は無傷と言ってるが、その服はぼろぼろであるし、靴だってこの一戦だけで穴あきだ。
何よりも10本以上あったはずの木刀のストックがこの一戦だけでなくなったといえば、この戦いの激しさがよくわかるというものだろう。
「え、えっとその、お風呂沸きましたけど……」
「うお~!あ、ありがとう!
……ありゃ?」
さらには、模擬戦が終わったことで気が抜けたのか、ぺたんと腰を落としてしまいその他に倒れ伏してしまった。
「ヴァ、ヴァルターさん!?」
「あ~、はいはい、私が持っていくよ~。
ベネちゃんは、妹さんをお願い」
「ひゃ、ひゃいい……」
一応彼を運ぶついでに、魔力的診察を行ってみたが、どうやら本当に呪いの類は受けていないようだ。
ほっと一安心しながらも、彼の頭をこちらの膝の上に乗っける。
「……お疲れさん。
かっこよかったよ」
「へ、へへ、へへへへ!
でしょ~?せっかくだし、無傷非殺でクリアしたんだから、特別の報酬に、勝利の女神のキスぐらいしてほしいかな~なんて……」
「つまりは、ベネちゃんのキスと?」
「え~、いや~、それもうれしいけど、そうじゃなくて……」
「はいはい、でもさすがにそれはちょっとな~。
そんなに私も安い女じゃないしね」
「ですよね~……ははは」
純粋ながらも、少し落ち込むヴァルター。
しかしながら、ここまで頑張った彼にはしかるべきご褒美があるべきだし、それが男を見せたのならなおさら。
さらに言えば、ここでもしマジで無報酬だと、彼が落ち込むだけではなく、ベネちゃんがヴァルターに代わりの報酬をとか言いだして、最悪ヴァルターとベネちゃんが恋人関係に、なんてクソめんどくさいことが起きるかもしれない。
「だから、はい!
今回はこれだけっと」
「……!!!!!!????!?!?」
自分がご褒美を上げた瞬間、ヴァルターはどこにそんな体力が残っていたのか、その場から跳ね上がる。
そして、額を押さえながらこちらの唇をじっと見てくる。
「あ、一応それはただのご褒美じゃなくて、【祝福】系の奇跡もおまけしておいたから」
「あ!え、そ、そうじゃなくて……」
「対呪、対邪悪だけではなく、運命力のアップなんかの効果もあるから!
まぁ効果は数日だろうけど、賭け事を楽しむのもありかもね~」
「こ、効果なしでもいいから、もう一回、もう一回!!!!!!」
かくして、模擬戦の後なのにやけに元気になったヴァルターを尻目に、今後のマートの扱いについて、思案するのであった。