【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 次の主人公はお前だぞ! ⬛︎ ⬛︎!


101話.青の不始末―間章―

 黒い火花が微笑んだ。

 想像を絶する痛みの中、彼はそれに喘ぐよりも先に。

 失われていく、自分の誇りに対する苦悶の声を上げた。

 

【ア"ァ…ッ】

 

 消えていく――

 自分の身体が、崩れていく。

 鍛え上げた力が――

 

【ッあァア"ア"ア"ア"っ…!】

 

 失われていく――

 恐怖を取り込み、大きく、恐ろしく。

 成長を続けていた自分自身の、存在を保っていた誇りそのものが――

 

【ッ――はぁっはぁ…ッぐ――】

 

 ――消えてしまった。

 今まで培い、鍛え上げてきた、鋼にも勝る筈の肉体。

 防御は間に合わない。故にせめてもの抵抗で、妖力で身体を守り、衝撃を少しでも和らげるつもりだった。

 だというのに――

 

(何だ今の、黒い光は…!?)

 

 檮杌は、それを知らない。

 "誠心"の先で爆ぜる、0.000001秒の火花。

 勝負の瀬戸際を決定づける、打撃が辿り着く究極のステージである黒閃という、地獄の女神にすら、滅多に微笑まない覚醒の道を。

 肩から腰、身体の約半分が、文字通り肉片の一つも残らずに消し飛ばされ、檮杌は力なく、地面に倒れ込む。

 もはや、生存の望みはない。

 空気に触れ、黒く変色した血液と、胃の中の固形物が、ドロドロと地面に流れ続けた。

 

【ハァッ…ハァッ…!】

「………」

 

 互いに、ボロ布のような有り様だった。

 檮杌のように、目立った欠損こそないものの、白蓮は見た目以上に、身体の内側である臓器に、致命的なダメージを負ってしまっている。

 立ち続けるどころか、呼吸するだけでも地獄のような痛みが発生し続けているだろう。痛みという分野だけでなら、両者が味わっている苦しみは、ほとんど同じ。

 それでも、両者はまだ生きている。

 どう見ても致命傷だ。檮杌に関しては、妖怪でなければ今頃、とっくに死んでいる筈の出血量。

 これでも気絶どころか、意識が混濁すらしていないのは、檮杌自身の『四凶』という、存在の格の高さが理由だろう。

 

 妖怪は倒れ、血を今も吹きだして苦しんでいる。

 それを見つめる、両足を地に付けた少女。

 

 立っているのは白蓮だ。

 そして誰が言ったか、勝負とは、最後まで立っていた者の勝利であると。

 では、今この場において、一体誰が勝者であるのかは、目に見えて明らかだろう。

 文字通り、敗者を見下ろす白蓮は、言う。

 

「…どうする」

 

 冷たい声だった。

 息を切らし、血が喉に溜まっているのもあって、発声の際、僅かだが血が、ゴロゴロと空気を取り込む音がする。

 それでも尚。

 

「――檮杌」

【ッ…!?】

 

 ――恐ろしい。

 初めて、この日、この瞬間に檮杌は、己の生殺与奪を握られる、底なしの恐怖を学んだ。

 相手の力は、魔力は既に空っぽで、ここからトドメを刺せるのか?という疑問など、頭には出てこない。

 既に、心が折れている。

 どれだけ抵抗しようと、必死に心を奮い立たせようとも、魂が既に負けを認めてしまっている。

 彼女には、どう足掻いても敵わないと、そう確信しているのだ。

 檮杌の歯が震え、ガチガチと音を鳴らす。

 黒閃の余波による、空間の歪みによって、かつてあった猪のような、立派な二本の牙はポッキリと折れており、無事だった、残りの数本の奥歯で、恐怖を体現するしかない。

 白蓮の目は、とても人間のものとは思えない程、無機質なものだった。

 恨みも、憐憫も、怒りも感じさせない、正に無。

 歯車とも呼ぶべき、人として何かが欠落したかのような、そんな視線を注ぎ――

 

「私は、お前だ」

 

 冷たい、底冷えするような、重い声。

 普段の口調とは違う、白蓮が滅多に見せない一面が、表に出る。

 重なる疲労。

 動かすのも一苦労な程、瀕死の身体の筈だ。

 だというのに、この時、檮杌に悪寒が走った。

 まるで虫を見るような、冷たく無機質な瞳は、最初だけ。

 白蓮は、痛む身体の震えを、意思の力のみで抑え込み。

 

「……私は」

 

 冷たい声ではなく。

 今度は、普段通りの、優しい声を投げかけながら――

 

「私は、知らない内にたくさんの人を傷つけて、殺して、呪いを背負って生きてきた」

 

 白蓮もまた、化け物になる可能性があった。

 自分の理想を叶える為、人外に歩み寄るその姿勢は、正に狂人と言えるだろう。

 味方の数より、敵の数が多かった。

 こうしている間にも、その比率はどんどんと、片方に偏っていき、白蓮にはもう、生きる場所が残らないことも。

 他ならぬ、自分自身が理解していた。

 だからこそ、自分はここで、命を捨ててまで戦う決意をしたのだ。

 

「私には、弟がいた」

 

 彼がいたから、白蓮は人の弱さに寄り添った。

 その弱さに対し、"醜さ"を感じるだけの、意味のない、灰色の人生がその時、どうしようもなく愛おしい、大切なものだと気づけた。

 彼がいたから、白蓮は檮杌のように、誰かを傷つける道には進まなかった。

 あの時…そんな『もしも』の話だ。

 だからだろう、白蓮は檮杌を、本当の意味で見捨てることなどできなかった。

 

「私はあなたを否定したかった。自分は違うと、無意味に人を傷つけるあなたより、誰かを救う為に生きている私が。…私の方が偉いのだと」

 

 醜い心の本音だった。

 人、妖怪の救済を謳い、血と汗を流して戦ってきた自分が、あろうことか、救いそのものを、自分で自分の功績と思ってしまっていたのだから。

 酷く落胆した。勿論、自分に対して。

 ――そして、肯定した。

 

「私は、あなたです」

 

 同じだ。

 二人はまるで、鏡に映った虚像と、対になる実像のような在り方だった。

 どこまでも、本質は自分の為に生きる者。妖怪は本能という行動指針で、人間は夢というだけ。

 恨まれ、呪詛を吐かれ、それでも自分の思うがままに、一日を生きるという共通点。

 

「私の夢で、決して少なくない人が死んで、傷ついた」

 

 脳裏によぎる、あの光景。

 蹂躙され、肉片となった村の人々。――自分が殺したも同然の、彼らの惨い姿。

 それだけではない。

 もっといた筈なのだ。自分が掲げる理想の陰に、徒花と散ってしまった者がいた。

 何かのために、何かを捨てる。

 その覚悟も、そんなつもりが無かったのだとしても、犠牲者を出してしまった現実を、否定して見ない振りする事など、できるわけが無い。

 その上で、夢を見ることを決めたからこそ。

 白蓮は、檮杌を――

 

「私たちは同じ。…人の犠牲の上に立ち、自己を肯定し、他者を否定し、無下にする」

 

 だからこそ、白蓮はそれでも。

 それを今になって、ようやく理解し、呑み込めたからこそ、この言葉を投げかけられたのだ。

 否定したかった。

 認めたくなかった。

 お前の使った言葉の全てを、「知ったことか」と、切り捨てたかった。

 

「今は違う。――ただ、止める」

 

 檮杌の、最後にして最大の誤算。

 白蓮は確かに、覚悟を決めて、救いたいと謳った対象である妖怪、自分と戦う事を選んだ。

 だが、結局それは、自分にとって都合が悪い、人間と妖怪の共存という、夢物語を阻む障害を取り除く…そういうものだと思い込んだ。

 違った。

 そんな簡単な話ではなかったのだ。

 どこまでも愚かで、現実を知らぬ幼子のような夢でありながら。

 誰よりも、辛い現実を知った筈の彼女が、それを、今も尚――

 

「あなたが誰かを傷つけるより――先に止める。何度でも、何回でもいくらでも、私はずっとあなたを止め続ける」

 

 白蓮は、尚――

 

「意味も理由も、それだけでいい」

【き…】

「何百年か、何千年か。私のこの行動が、意味を生んでくれるのは何百年も後の話かもしれない。…でも、これが」

【きさ……】

「私の役割だから。――私は、あなたを殺さない」

【貴様ァアアアアアアッッッ!!!!!】

 

 叫んだ。

 己の傷が開く、死が、近づいてくるのを感じる。

 それでも、檮杌はその怒りを吐き出すのを、止めることができなかった。

 ボキ!と、奥歯が砕ける音がする。

 屈辱、怒り。それらを綯い交ぜにした、激しい憎悪を文字通りに体現し、檮杌は睨む。

 

【この俺を……この俺をそこまで侮辱するか……ッ!】

 

 人間と妖怪が共存する世界、それを自分は作りたい。

 だから、それを邪魔するならば止める。――だが、殺さない。

 何度でも止めて、自分の夢が叶うまで、殺すことなく見届けさせるという、宣言。

 それは、妖怪としての誇り、強者に敗れ、死ぬという誉と。

 自分の死によって、妖怪との共存を夢見る彼女の記憶に、自分の死を刻み込むという、邪神としての悪意。

 その全てに突き刺さる、白蓮のもたらす慈悲(死刑)の宣告。

 

 ――それは、檮杌の存在そのものを否定する言葉であった。

 

 生まれついて、人を弄び、傷つけることのみを至上とする彼に。

 白蓮は悪しき妖怪として、その命を終わらせるのではなく、檮杌すらも、受け入れるのだと――

 

【誰が……誰が貴様なん、ぞ……に】

 

 檮杌は、怒りに震える身体を引き摺った。

 その先は何処かは、本人にも分からない。

 ただ、この愚かな人間の、憐憫の視線が、どうしようもなく憎く、妬ましく。

 その視線から、今すぐにでも逃げたかった。

 檮杌の肉体と精神。その両方は、とっくに負けを認めていた。

 

【ぉぉ"お"ろ……ぅう"ぁあ……ッ"】

「…………」

 

 臓物を置き去りに。

 血を口と、裂けた身体の断面から垂れ流しながら、彼は這いずっていた。

 白蓮はそれを追わず、ただ静かに、憐憫を込めた視線を向けるだけ。

 いや、正確にはそれしかできないのだ。

 檮杌の血によって、地面に巨大な真っ赤な線が刻まれていく。

 しばらくして、白蓮の膝、そして肩がまるで、病人のように震えた。

 ――バタン。

 

「ッは……はっ……」

 

 そして、倒れる。

 当たり前だ、限界は既に超えた。

 むしろ、こうして相手と話す間、倒れていない方が奇跡というもの。

 まずは精神の限界。

 己の罪悪感と、使命に挟まれた極限の状態で、白蓮は何度も、痛みに喘ぎ、苦しみ。

 次にやって来たのは、肉体の限界。

 過度な反転術式の運用による、肉体の修復と打撃の数々。

 更には、空気の面を蹴るという離れ業を、慣れない内に何度も使った代償として、肉体が後から、その代償である疲労を溜め込んだのもある。

 だが一番は、命の限界。

 体力や精神、魔力といったあらゆる要素の力を酷使し、その結果として、白蓮は今、まだ生きているのが奇跡な状態であった。

 もはや、()()に抵抗はできないであろう。

 そのことを察してか、彼女は、倒れた白蓮の、すぐ傍に立っていて。

 倒れるその姿を、静かに見つめていた。

 

「……ごめんなさい」

 

 白蓮は、小さな声で謝る。 

 その謝罪の先は、今ここに居ない、置いてきてしまった家族に対してだろうか。

 ナズーリン、星、一輪と、彼女らの顔が、脳裏を走馬灯のように過ぎった。

 謝罪の言葉は、そんな彼女らに対してもそうだが、傍にいる、もう一人の少女に対して、言ったものでもある。

 

「私は、どうしても諦められなかった」

 

 あれだけ、良くあれと謳いながら。

 極楽浄土の存在を説き、人々の悩みを聞き、安寧の場を与えてきた立場でありながら。

 今、白蓮の心を占めているのは、諦観と、死への恐怖。

 

「この期に及んで、どうしても……」

 

 ――嗚呼、本当に自分はどうしようもない。

 重ねて、白蓮は今の自分に、失望と呆れを混ぜ合わせた、自嘲する感情を覚えていた。

 あれだけ、戦っている間はどうでもよかったというのに、だ。

 気持ちが落ち着き、戦闘の高揚感が無くなると、呆気なく理性は、生への渇望を思い出す。

 今の自分に、抗う力はないというのに。

 思ってしまう――

 

「私ってば、本当に……」

 

 ――死にたくない。

 ――まだ生きたい。

 

「――白蓮」

 

 ずっと、静かに戦いを見守っていた。

 この場にいる、もう一人の少女は。

 妹紅は、息も絶え絶えな白蓮と目を合わせ、そして、問う。

 

「あれだけ腑を晒したんだ、何もしなくても檮杌は死ぬ」

「……」

「私が、代わりにやろうか?」

 

 ――それはつまり、トドメ。

 妹紅が視線を向けた先では、檮杌が今も、身体を引き摺って逃げている姿が見えた。

 ゆっくりと、人間の子供でも追いつけるくらい、その移動速度はゆっくりで。

 致命傷もあり、放っておいても死ぬくらいなら、確実に。

 せめて自分たちの手で……と、そう聞いた。

 ――だが。

 白蓮はその姿を見て、不思議にも、漠然とした、何かの予兆を感じた。

 奇跡が起きて、彼が傷を癒し、再び人間に牙を剥く――

 

「……いえ、大丈夫です」

 

 そんな不吉な未来を。

 どういう訳か、白蓮は想像できなかった。

 次に視線を向けた時、とっくに絶命しているだろうとすら思える程、今の彼が瀕死だから?

 ――違う。

 きっと、この確信は――

 

「あのまま、放っておいてください……」

「……でも」

「大丈夫。……きっと、だからお願い。これは…私の最後の我儘」

「…………」

 

 そう言われると、妹紅は強く出られなかった。

 元より、これは彼女の因縁。不始末の尻拭いだ。

 腑に落ちない面もある、仕事人として、陰陽師の端くれとして、このままおめおめと逃げる彼を、放っておく事による悪影響は、嫌でも想像できた。

 最後の我儘。息も絶え絶えで、そう訴えられてしまえば、僅かに情が湧くというもの。

 だが――

 

「…………私は、あんたを殺さないといけない」

 

 彼女は、重罪人。

 永久封鎖された都。その全ての原因である檮杌、それの虐殺を引き起こした張本人でもある。

 たとえ彼女の意思を尊重しようとも、妹紅は既に、自己ではなく他者との間に"縛り"を結んでしまっている。

 自己への縛りは、あくまでも向上した分の能力、その恩恵が消え、次に縛りを結ぶ為のインターバルが発生する。

 だが、他者との縛りは違う。

 どんな代償が…(ペナルティ)が発生するのか、それの前例が千差万別なのだ。

 過去はこうだったから、今回もこう…そんな甘い推測で、簡単に放棄できる程、これは甘くない。

 最悪の場合、命を脅かされるか、一生取り返すことができない、もっと別の代償が――

 白蓮は、諦めを半分混ぜた笑みを浮かべ。

 

「…………そうですか」

「"縛り"だからね、これだけはどうしようもない」

「…………はい」

「あんたの夢も、今じゃ絶対に無理だ」

 

 妹紅は右手をかざす。

 右手を中心に、空中に霊力の光によって、幾何学模様が刻まれる。

 結界術、その技の中の一つであることは、明らかだ。

 自嘲するような、困った顔を浮かべて、妹紅は――

 

「だから。――もっと先で」

 

 次の瞬間、白蓮の身体が。

 そして、遠くで今も横たわっている、村紗の身体にそれぞれ、透明な結界が張られた。

 白蓮を包む結界と、村紗を包む結界はよく見ると、細かい模様や色が違い、別仕様のものなのだろうと推測する。

 起き上がる力もない白蓮は、首だけを動かし、妹紅を見る。

 

「な、にを…………」

「ホント。自分でも嫌になっちゃうなぁ」

 

 妹紅は、笑っていた。

 檮杌が、都を襲う前に見せていた、あの子供らしい、ただ純粋な――

 

「あんたが、そこの船幽霊やらに好かれてたのも分かるよ」

「…………」

「あれだけ、最初はどうでもよかったのに、死んでもいいって、殺しても何とも思わないって、そう思ってたのに。……今になって、やっぱり死んで欲しくないって思うんだ」

 

 それは、賭けだった。

 他ならぬ、自分自身で結んだ、他者との間に築き上げた"縛り"の放棄。

 代償は、命か、それとも――

 

「それじゃ…あなたの命は…!」

「大丈夫。どうせ私はさ、――死なないんだよ」

 

 混濁する意識。

 そして、発光が強まり、視界のほとんどを、霊力による白色が包み込む寸前。

 

「おやすみ、聖白蓮」

 

 ――新しい世界でまた会おう。

 それが、白蓮が聞いた、最後の言葉だった。

 

 

 

 


 

 

 

 

【ァ""ア"アア"アア"アッ…!】

 

 檮杌は、山道を行く。

 もう半分死んだ、早くも壊死が始まっている、己の朽ちかけている身体を引き摺り、進む。

 領域展開による基礎能力の向上。そして黒閃。

 何より、白蓮に向けられた、憐憫の視線。

 肉体と精神、その両方が完膚なきまでに敗北を認めたせいで、妖怪としての『個』が、崩れているのだ。

 妹紅の推測は正しい。が、ある意味では間違っている。

 彼は放っておけば死ぬのではない。――今から死ぬのだ。

 

【こんなッ…!こんなところで…ッ!】

 

 "死"が進む。

 身体の半分だった筈の崩壊は、今や腕どころか、両足にまで伝染し、肉をバラバラにしていた。

 骨が見え、空気に触れた瞬間、それが溶けた氷のように、地面に液状となって落ちる。

 その後には、消失反応と共に、液体になった骨すら残らない。

 文字通りの消失――それが、もうすぐそこに。

 

【まだだッ…まだ………】

 

 まだ、望みはある。

 檮杌が山道を選び、こうして這いずっている目的、それが今、残された唯一の希望の正体。

 霞む意識と、震える肉体を何とか、命への執着で現世に留まらせ。

 額を上げて、笑った。

 

【い、た………!】

 

 人間。

 それも少女。今の自分でも殺せる程、か弱い存在。

 妖怪としての、嗜虐の本能。

 そして、ようやく見つけた生存の希望と、高揚感で檮杌は、ゴクリと唾を呑み込んだ。

 

 ――彼が、冷静であったなら。

 こんな山道で、そう都合よく、人間がこちらに向かってくる事を。

 目の前の少女から、霊力を感じられない事を。

 そして、その背後にいる――もう一人の、別の存在に気づけただろう。

 

 檮杌がその失敗を悟ったのは、目の前に立つ少女が叫んだ。

 その言葉の意味を、理解してからであった。

 

「せいがー!いたー!」

 

 まるで赤子のように、舌足らずな印象を与える声だった。 

 だが、その声に宿る感情は、赤子のように、森羅万象に対して向ける、純情の好奇心ではなく、空虚。

 ただ、「そういう風にできている」と思ってしまう程、冷たく平坦な――

 

「あら、随分弱ってるのねぇ」

 

 ――鳥肌が立った。

 両腕を前に、関節を曲げることなく伸ばす少女の、その背後。

 隠れて見えなかった、もう一人の声を聞いた途端。

 檮杌の顔に浮かんだのは――

 

【こ、んな………】

 

 怒り。

 違う、怒ってはいない、確かに僅かだが、その感情は入り混じっている。

 しかし、この感情。檮杌の顔に浮かんだ()()は、純粋な怒り一色ではない。

 怯え?

 これも違う、彼は怯えて等いない。

 いや、正確には怯えているのだろう。

 だがそれは…今この場において、自分の死に対して向ける、その怯えだ。

 では、今のこの感情の正体は…何か。

 

【こんな時にィィイイイ…!!】

 

 屈辱。

 そして…後悔。

 見れば分かる。――()()()だ。

 ずっと探していた。ずっと殺したかった。

 かつて、白蓮が自分を癒す前、更にその前に、檮杌があの村で、少女によって追い払われるよりも前。

 そうだ、普段の自分であれば、初見とはいえ、あの程度の道具に負ける筈がなかった。

 ――全てはこの女だ。

 こいつに負わされた傷さえなければ。

 こいつによって、与えられた屈辱、そして致命傷。

 ――それさえなければ!自分は…!

 

【今になって…!今になってェエエッ…!!!】

 

 ――どうして、今になって。

 誓ったのだ。必ず殺すと、必ず復讐し、失ったプライドを取り戻すと。

 だというのに、あんまりではないか。

 自分はまた、こうやって歯牙にもかけないモノとして。

 何も、刻むことができないまま、また――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【霍、青娥ァ"ア"ア"ア"ア"ア"ア"――ッ"!!!!!】

領域展開(さようなら)

 

 ――摩耶(まや)胎動(たいどう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと、これで全て揃いましたね」

 

 領域の掌印である、背中合わせに指を組み合わせる、反叉合掌を解いた青娥。

 彼女の目の前にあったのは、かつての異形の身体ではなく、一つの書物。

 魂を打ち砕かれ、存在を保つための、妖力が文字通り、この世から完全に消えてしまったことで、恐れがなくなった。

 正確には、今も彼を恐れている者はいる。

 だが、人間の恐怖が、妖怪の身体を構成する『水』であるなら、妖怪の核である魂、それは『器』だ。

 

 どれだけ恐怖を向けられようと、忘れられることがなくても。

 どれだけ、水を注ぎ続けようとも、それを保存する為の器がなければ…水はそのまま、行き場を失う。

 

 器である魂。それが完全に砕かれた檮杌はつまり。かつての――自分が恐怖を傍受していた、あの頃の姿に退化したのだ。

 そこに、かつての感情や意思はない。

 仮に、億分の一で奇跡が起こり、檮杌が再び、この世に君臨したとしても、それは以前の彼ではない。

 全てが消えて、リセットされて、ゼロからやり直す。

 妖怪の死。完全な意思の消失とは、そういう事だ。

 それを拾って、青娥は満足そうに笑う。

 

「せいがー?それが落とし物ー?」

「いやぁうっかりうっかり…まさか傷を癒して、ここまで強くなっていたとは…」

「せいがー?」

「何でもないわ、芳香ちゃん」

 

 だが、むしろ好都合とも言えるだろう。

 幾度のイレギュラーがあったものの、結果的に、こうして自分の手元に、探し物が戻ってきたのだ。

 何故なら、自分ですら手を焼くであろう、『四凶』がこうして、簡単に倒せる程に弱くなっていた。

 正に幸運だ。

 それを噛み締め、青娥は新たな好奇心の種に、心を躍らせた。

 

「次からは落とさないようにしなきゃ…ね」

 

 都を恐怖に包んだ邪神。

 その最後は、華も誇りもない。

 一人の、膨大な好奇心の持ち主による、呆気ない処刑による終わり。

 誰にも讃えられない。

 誰にも気づかれない。

 …そんな哀れなものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ――■■■報告書――

 

 『竹取の都』の事件後、解除された大型の『帳』内にて、聖白蓮の残穢を確認。

 同時に、かつて多数の犠牲者を出した『怨霊ムラサ』の残穢も確認、即捜索が行われた。

 捜索から約47日。今も、彼女らは見つかっていない。

 

 〜〜〜

 

 二日後、聖白蓮との結託の疑いが出た、『雲居一輪』の所在を特定。

 彼女を確保した2日後、陰陽界からの永久追放が確定。

 死後呪いに転ずる事を防ぐ為、封印を決定。

 

 〜〜〜

 

 『雲居一輪』の封印に成功。

 

 〜〜〜

 

 聖白蓮の死刑執行役に抜擢された、藤原家当主、藤原妹紅の行方が不明となる。

 崔爾の証言により、彼女が縛りを放棄した可能性が高いと推測。

 凍結しかけていた『聖白蓮の捜索』と共に、彼女を裏切者として、同じく捜索と処刑の対象とした。

 だが残穢もなく、更には他者との"縛り"を放棄したというのもあり、藤原妹紅の末路は、罰による死亡の疑いが強くなり。この捜索も凍結となる。

 

 〜〜〜

 

 ――これは、今から約700年前の記録である――




 領域解説
摩耶胎動
①摩耶→ 釈迦牟尼 (しゃかむに) の生母。カピラ城主浄飯( じょうぼん)王の妃。
②胎動→ 母胎内で胎児が動くこと。
何処ぞの変な前髪(キショいママ)に肖った命名、性格的にも多分いい感じに合ってるでしょう(適当)。





「タッカーさん、『四凶』檮杌の出自ってどこだったっけ」
「ええと…中国神話だね」
「それが持ち込まれたのは?」
「………『ある商人』によってだね」
「タッカーさん、霍青娥の出身ってどこだったっけ」
「ええと…多分中国だね」
「霍青娥が白蓮と出会った時の特徴は?」
「………『青髪の商人』だったね」
「もひとつ質問いいかな。――『商人時代。紛失した書物』どこに行った?」
「!」
「……君のような勘のいいガキは嫌いだよ」

Q.つまりどういう事だってばよ?
A.檮杌を日本に持ち込んだのは青娥さんですよ(ニッコリ

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