【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい 作:洩矢廻戦
読んだ時あれぇ?と思ってたら、案の定本作の感想でも触れられてちょっと嬉しかったです。
パチッ、と高い音を立てて火が一際大きく爆ぜた。
暗闇の中へ解き放たれた鮮烈な橙色の火の粉が、夜の冷気へ吸い込まれるようにして舞い上がり、微かな光の軌跡を描きながら儚く消えていく。
その瞬間に生じた熱波が、肌寒い夜気にさらされていた頬を優しく撫で上げていった。春の浅い夜特有の底冷えする空気が漂う中、薪の燃える匂いと穏やかな熱の揺らぎだけが、妹紅の全身を心地よく包み込んでいる。
「そうか……不老不死か……」
絶え間なく揺らめく焔の向こう側で、二ッ岩マミゾウは太い顎をゆっくりと摩りながら、深く重い声を漏らした。
煙の影に隠れたその瞳が、細められて妹紅を見つめている。
「噂には聞いたことがある。とは言っても、もう500と少しばかり昔のことじゃがな……蓬莱人。ぬしが正真正銘、その当事者であったとはのう……」
「……色々とあったんだよ。本当に、文字通りね」
妹紅は膝を抱えたまま、自らのつま先へと視線を落とし、小さく肩をすくめた。
その口調には、過去の壮絶な曲折を語るにはあまりにも淡白で、どこか遠い他人の出来事を思い返しているかのような静けさが漂っている。
だがその声の深層には、気の遠くなるような歳月を独りで削り落としてきた者だけが持つ、重厚な諦念が沈殿していた。
「それはそうじゃろうな……にしても不思議な話じゃ。不老不死とは文字通り、時の流れから置き去りにされた永遠不変の肉体。その目立つ風貌といい、どのような時代に放り出されようとも必ず噂に上り、目立ってしまうはずじゃろう?それが今日という日まで、怪異の噂すらろくに残さず潜み続けてこられたとは……」
マミゾウは先刻、妹紅がふと漏らした独り言を聞き逃さなかった。
かつて都を恐れさせた鵺の鳴き声に対する妹紅の感性や、一般の人間からは完全に逸脱した評語。
今や廃れてしまった古の例え話と、数百年を生き抜いてきた化け狸としての洞察力によって、マミゾウは妹紅の出自の古さと時代の真実に辿り着いたのである。
しかし、それはあくまで妹紅が何者であるかという問いの半分を解き明かしたに過ぎない。
なぜ彼女が歴史の表舞台から完全に姿を消し、現代という新しい時代に突如として放り出されるに至ったのか――その時の真空の理由までは、妖怪の長たるマミゾウとて見抜くことはできていなかった。
「ありえんことじゃ。一体どうやって今日まで姿を隠して永い時を生き永らえてきたんじゃ?まさか、どこぞの暗い洞穴にでもずっと閉じこもっておったのか?」
「"縛り"の放棄だよ。それでずっと、死んだように眠っていたんだ」
「しかし"縛り"の反動は……いや待て。まさかぬし、己のに科したものではなく、他者との間に交わされた"縛り"を破棄したのか?」
「正解」
迷いのない即答であった。
それを聞いた瞬間、マミゾウは開いた口が塞がらないといった様子で額を押さえ、深々と天を仰いだ。
「……なるほどな。それなら全ての筋が通るわい。他者間で結ばれた"縛り"の破棄――その最大の対価として降りかかる最大の罰とは、当事者の確実な死じゃ。だが、それが決して死ぬことの許されない不老不死の肉体に降りかかった場合……死に至る瞬間そのものが永劫に引き延ばされ、終わりなき仮死状態となって永遠に間延びする」
「それだけじゃなかったけどね」
「……ふむ。そうじゃろうな。いや、むしろそれに加えて追加の罰が生じなければ、世界の理と釣り合いが取れん」
マミゾウの理解の深さに、妹紅は静かに息を吐いた。
不思議なものだと、妹紅は心の中で思う。
かつての自分は、藤原の血を引く陰陽師として妖を討伐する立場の筈だった。
手に馴染んだ武器と術式で幾度となく妖怪の返り血を浴びる存在。人間と妖怪は相容れぬ存在であり、奪うか奪われるかの惨劇こそが唯一の接点であると誰よりも実感していたというのに。
それなのに、今こうして薪の火を挟み、かつてなら怨敵と呼ぶべき化け狸と、同じ夜の空気を吸いながら穏やかに言葉を交わしている。
二人の間に漂う空気には、殺伐とした毒気など微塵もない。かといって互いに探り合うような不快な冷たさもなく、ただ夜の寒さを分かち合うような仄かな温もりに満ちている。
側妻の子として、身内からも忌み嫌われる存在として生まれ、暗い都の政治の陰で生きてきた。
そして、永遠の呪いを背負ってからは血と炎の惨劇の中に身を投じてきた。妹紅の歩んできた軌跡には、人を喜ばせたり、場を和ませたりするような華やかな思い出など一つとして存在しない。
以前の自分であれば、自らの忌わしい過去を語ることで相手を嫌悪させ、不快にさせてしまうのではないかという無用な気遣いや恐れを抱いただろう。
だが、目の前に座すマミゾウの前では、そうした心配すらも不要な過去の塵に思えた。
マミゾウは見た目こそ飄々とした老狸の姿を取っているが、その魂が重ねてきた年月は途方もない。
話を聞けば、あの神話の時代に繰り広げられた『諏訪大戦』の動乱すらも、その身で目撃したという。
語り口は軽快で明るく、どこか人を食ったような調子でありながら、発せられる言葉の端々には長い歴史を生き抜いてきた者だけが持つ、重厚で静謐な佇まいが同居している。妹紅はその言葉に一切の欺瞞がないことを深く理解し、自然と心を預けるようにして耳を傾けていた。
「懐かしいのう。儂もこれまで様々な都や隠れ里、人里を歩いて回ったが……未だにあそこを超える凄まじい発展を遂げた場所は見たことがない」
「そんなに凄かったの?」
「一度、己の足で行ってみたらどうじゃ?ぬしのその白銀の髪も、今のあそこではそう珍しいものでもないからの。何せ諏訪の大国には、似たような異彩を放つ髪色の持ち主が大勢おる」
その言葉は、今夜の妹紅にとって何よりも思いがけない衝撃であった。
「大勢って……髪色が違う人間が?」
「髪色じゃよ。生まれつき常人離れした異能を手にした者や、後天的に何らかのきっかけで力を覚醒させた者は、その影響で髪や瞳の色に変色が起きる。ここまでは知っておろう?」
マミゾウの確認に対し、妹紅は黙って小さく頷いた。
自身が炎を操る力を覚醒させた際も、そして蓬莱の薬によって不老不死となって以降も、異能と肉体の変化が深く結びついていることは身をもって知っていたからだ。
「諏訪大国の巫女がその最初の先触れじゃった。そこからまるで、国中に目に見えぬ"共振"が走ったかのように、異能を宿した人間が爆発的に大量発生したんじゃ。もちろん、なぜそのような事態が起きたのか、その根本的な原因は今なお判明しておらん」
マミゾウの語るところによれば、その能力保持者の急増は国の主たる洩矢神すらも与知せぬ現象であったという。
発生した当初は何らかの大異変の予兆ではないか、祟りではないかと人々は固唾を呑んで怯えた。しかし、人間という生き物は恐ろしいほどに慣れる生き物である。
体調に害があるわけでもなく、ただ力を手に入れて調子に乗った愚か者が出現しても、洩矢神やタケミナカタ――八坂神奈子といった圧倒的な神威によって、何の問題もなく即座に鎮圧されて終わった。
その結果、僅か一週間と少しが過ぎる頃には、民衆は異能を抱えて生きていく事を、至極当然の日常として受け入れてしまったのだという。
諏訪大国は今や、この列島において他を寄せ付けぬ最強の勢力を誇る大国である。
その支配者たちが、異能の証である変色した髪を持つ者たちを迫害するどころか、貴重な人材として公に受け入れる姿勢を示したことで、民の間からも異端を排除しようとする偏見の眼差しは次第に薄れ、姿を消していったのだった。
「それに、洩矢神というのは驚くほど話の分かる存在でな。機会があれば一度対面してみたらどうじゃ?」
「えっ……いや、さすがに神様相手にそんな軽々しくは……」
「なぁに、本当に気さくに接すれば良いぞ? その辺におる普通の人間と大して変わらん感性の持ち主じゃからな。時に本当に神かどうか疑わしくなるほどじゃ」
「……それ、流石に神様に対して失礼すぎない?」
妹紅どころか、この国に暮らす名もなき子供ですら知っている。信仰の頂点に立つ洩矢神。
その大神に対して神かどうか怪しいと言い切るマミゾウの不敬さに、妹紅は呆れたような声を出すしかなかった。
すると、火の向こう側から、くつくつと喉の奥を鳴らすような笑い声が聞こえてきた。
マミゾウが可笑しそうに、目を細めて肩を揺らしている。
「……何がおかしいのさ?」
「クックック……いやな、その呆れたような声といい、呆れ顔の角度といい……昔、儂が不敬な口を叩いた時の洩矢神の反応と全く同じでな」
「……そ」
「懐かしいのう。また近いうちに、久しぶりに遊びに行ってみるか……?」
列島の頂点に君臨する神に対し、遊びに行くと言ってのける度量。
だが、そのマミゾウの瞳には神を軽視したり侮ったりするような歪んだ色は欠片もなかった。
そこにあったのは、長い年月を共に過ごしてきた旧友を懐かしみ、慈しむような、純粋で温かな情愛。
妖怪であろうと、神であろうと、真に年を重ねた者の魂はこれほどまでに深く、温かい。
かつて貴族社会の泥沼の中で見せつけられてきた、大人たちの醜い欲望や嫉妬に塗れた眼差しに比べれば、マミゾウの眼差しは何と清々しく心地よいものだろうか。
ふとその時、妹紅の思考の糸が、夜の静寂の中に解けていく。
(……昔の私なら、どうしていただろう)
思い起こされるのは、遙か昔の記憶。
藤原という、天下の権勢を約束されたあまりにも眩しい名誉の家系。その名を聞いた瞬間に、誰もが目の中に隠しきれない羨望と嫉妬、あるいは媚びへつらいの色を浮かべて群がってきた日々。
その泥濘のような環境の中で、唯一自分という存在に対し、そして藤原という名に対して徹底的な無関心を貫いてくれた、一人の老陰陽師。
妹紅に陰陽術の基礎を叩き込み、人としての立ち振る舞いを教えてくれた、あの師の姿が鮮明に脳裏へ浮かび上がってくる。
――彼なら、今の私を見てどう言っただろうか?
突如として胸の奥から湧き上がってきた、静かな疑問。
その問いと向き合った瞬間、妹紅は自分が何故あの行き場のない幼い命を、慧音を放っておくことができず、こうして側に置いて歩み続けているのか。
その本当の理由を悟った。
模倣だったのだ。
自分でも気づかないうちに、妹紅はかつての師の背中を真似ていた。
あの過酷な日々の中で、居場所のなかった幼い自分に師が静かに救いの手を差し伸べてくれたように。
自分もまた、目の前で途方に暮れていた小さな存在に手を差し伸べることで、あの日の師の救いを再現しようとしていた事を。
(……今更、そんなことに気づくなんてな)
自嘲気味な思いが胸を掠める。
あの日々、妹紅は復讐の情念と"縛り"を全うする義務感の炎に呑み込まれ、常に冷徹に余裕を失っていた。だからこそ、師が自分に注いでくれていた真の意図に気づくことができなかった。
だが、全ての執着が燃え尽きて静寂を取り戻した今だからこそ、あの出会いがどれほど奇跡的な幸運であったかが、冷えた身体に染み渡るように理解できる。
あの旅と鍛錬の日々で、師が妹紅に授けてくれたのは、単なる敵を倒すための陰陽術の技術だけではなかったのだ。
師はいつだって、妹紅のその後の人生を案じてくれていた。
言葉遣いは冷たく、態度は素っ気なく、いつも面倒くさそうに溜息をついていたけれど。
技術を教えるその眼差しだけは、いつだって驚くほど澄んでいた。
術師として大成しようが、落ちこぼれようが。
父の仇への復讐を果たそうが、あるいはその機会を永久に失ってしまおうが。
どちらの結末を迎えたとしても、人が抱く情熱や執念という"熱"には、いつか必ず限界が訪れる。燃え尽きた後に残されるのは、空虚な灰だけだ。
実際、目が覚めたばかりの妹紅は長年の呪縛から解き放たれ、生きる目的を失い、ただ惰性で息を吸って、拾い上げた小さな命を連れて宛てもなく歩いているだけだと思い込んでいたから。
そう、今までは。
「どうした、妹紅。急に黙り込んで」
「……いや。つくづく、自分は馬鹿だったなぁって思っただけだよ」
妹紅は深く息を吐き出し、薪の火を見つめた。
過去の記憶の底から、かつて彼が吐き捨てるように言った、懐かしい一言が蘇ってくる。
『冷めた鉄に叩く価値はない。鉄は熱いうちに打て。お前の胸の中にある火種が消えないうちに、行きたい場所へ行け』
自分は惰性で生きているのではなかった。
あの師から受け継いだ澄んだ情熱の火種が胸の奥底で燻り続けていたからこそ、自分は今こうして踏み止まり、誰かの手を握ることができているのだ。
自身の原典を理解した妹紅の顔に、諦念ではない、活力に満ちた静かな笑みが浮かび上がった。
「……あぁ、そうだね」
妹紅は掠れた声で呟き、自らの右手をそっと握りしめた。
指先から、ポッと小さな、しかしどんな夜風にも吹き消されない温かな紅蓮の炎が灯る。
「鉄は熱いうちに……だ」
永い眠りと呪いによって冷たく停止していた彼女の心臓に今。
数百年振りに、間違いなく新たな生の"熱"が吹き込まれようとしていた。
過去章タイトル一覧。
受胎戴天→土着戴天
幼魚と逆罰→幼烏と逆籠
壊玉→壊王
玉折→王折
バカサバイバー!!→タタリサバイバー!!
東京都立呪術高等専門学校→山陰道立建国高等国津大和
宵祭り→酔祭り
渋谷事変→洩矢事変
変身→変心
起首雷同→起首玄同
理非→離非
霹靂→霹歴
怒れる男→怒れる女
転生→新生
さて、次の章タイトルはなんでしょう。
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