【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 今章が終わったらいよいよ最終章の月面戦争です、誤字報告いつも助かってます。

紫「月の都だ、月人が目の前にいる」
隠岐奈「なにを言っているんだ?」


7章:業運
106話."熱"


【ヒョー、ヒョー】

 

 空から響くその鳴き声に、耳を塞ぐ者が大勢。

 得体の知れぬ気味の悪さ、正体不明の妖怪という、どこまでも恐れを掻き立てるその存在に、怖気づいてしまう者が大半の中。

 一人。男が立っていた。

 

「――――――」

 

 男の手には、簡素な作りの弓が一つ。

 それの使い込み具合と、背中に携えた大量の矢も合わせて、彼が普段から、弓矢を扱っている人間なのは、戦に疎い人間だろうと、見ただけで分かる。

 

「――――」

 

 男はじっと、空を見る。

 影もなく、鳴き声の反響すら特定できぬ状況だというのに。

 迷いすらなく、矢を番え。

 

「――」

 

 空に向かって、放った。

 

 

 

 


 

 

 

 

 依然として、空を暗雲が塗り潰していた。

 その本質はあくまでも、妖力で作られた霧に過ぎず。

 並の妖怪の実力でも、長く持って数時間か、数日しか持たない筈だ。

 しかしマミゾウが言うには、この霧は自分の知る限りでも、二週間以上このままらしい。

 それほどまでに、"鵺"は力を着けているのだという。

 

「王は完全に正気を失った。ここまでくれば、もうただ恐れるだけではいられないのじゃろう、最近になって動きが変わった」

「動き?」

「刺し違えてでも倒す気なのじゃよ、彼らは」

 

 人の気配も、人外の気配も何もない、孤独の山道。

 マミゾウと妹紅は、互いに顔を合わせながら、会話を続ける。

 空の霧のせいで、月光が遮られているせいで肉体の感覚が狂うものの、どうやら妖怪にとっての体内時計は、人間のそれより遥かに正確らしく。

 完全に時間の感覚を失った妹紅と違って、マミゾウは今は何時かを、「なんとなく」ではあるが把握しているらしい。

 ――ちなみに、この「なんとなく」には、数百と千年の、マミゾウが培った人生経験が裏付けられている為、現代の時計のそれと誤差はほとんどないのだが…今は割愛しておく。

 完全に寝落ちを決めた慧音を背負いながら、緩やかな坂道を下る妹紅。

 涎を垂らし、自分の肩を濡らすその姿を見て、妹紅はクスリと笑う。

 たとえ普段は大人ぶろうが、眠ってしまえば年相応の子供なのは、やはり間違ってはいなかったらしい。

 マミゾウは、何かを思うように言葉を止めて、一瞬だけ、眠る慧音の顔を見た。

 そして――

 

「あまりにも長く"異変"が続くなら、隠れて儂が介入するつもりだったんじゃ」

 

 一息。

 喉元まで出かかった言葉を呑み込み、代わりの言葉を吐いて、続ける。

 

「人間の恐れは、儂らにとっての生命線。それを独占するとなれば、儂はまだしも、それ以外の党を組んだ妖怪からも心証が悪くなる。そして最悪の場合は…」

「全員でかかるって?」

「ま、そんなとこじゃ」

 

 月光の独占。

 妖怪にとっての、妖力を滾らせる増幅装置の役割もあるそれが、一筋の光も地上に届かないだけ。

 それだけで、こうも夜の山は静かになるのだ。

 普段意識することなく、見上げていた月に秘められた力が、どれほどのものなのか…それが充分に理解できる。

 妹紅は蓬莱人だ。だがそれはあくまで、人間が蓬莱の薬を飲んだというだけ。

 月人が飲み、そして変異したものとは根底が違う。

 体内組織は人間のままに、魂を核とし、それのみが変質し、それに釣られて、肉体が変化し、髪色が変わったのみ。

 

 肉体が先か、魂が先か。

 

 蓬莱人は、たとえ肉体が木端微塵に吹き飛ぼうが、肉片の一つも残さず消し飛ばされようが。

 そこに蓬莱の力を得て、不変となった"魂"がある限り、蘇生する()()

 見た目こそ人間そのものだが、肉体を構築する要素が全く別物の月人とは違って、月光との"共振"要素はどこにもない。

 確かに月光がないと、こうして夜の山を歩くのは大変だな…程度の思いしか浮かばない。

 ――月と言えばだ。

 ここまで考えて、妹紅はもし、「これがかぐや姫ならどうだっただろう」と考える。

 

(迎えから逃げたくらいだし、今頃都合がいいとでも思ってるのかな…?)

 

 あの時、困惑と怒りで、当事者たちから詳細を聞こうとしなかった自分が恨めしい。

 しかし既に、()()は終わった話である為、妹紅は気持ちを切り替え、マミゾウに聞き返す。

 

「低級のならまだしも、妖怪の世界って、やっぱ理性があっても変わらないんだね」

「変わらんとは?」

「そういう、群れと群れで争いあうこと」

「…いいや、むしろ()()()のではないか?」

 

 マミゾウは悪戯っぽく、ニヤリと笑って。

 

「人間は必ず表に"嘘"を出す。一面のみの者は存在しない。正の感情の裏腹には、どんな善人だろうと拭いきれぬ裏の悪がある。――儂ら妖怪がその証明じゃ」

 

 善意。

 打算。

 憐憫といった、表に出てくる良感情は、決して単一のものではない。

 マミゾウは語る。

 

「だが負の感情は――恐れだけは単一じゃ。憎悪や敵意は、善意と違って裏などない。それはつまり、人間が持つ『唯一の真実』とも呼べるのではないか?」

「…それは」

 

 ――否定できない。

 少なくとも、妹紅はマミゾウの言葉を、「まぁそうだろうな」と、呆然と内心で肯定した。

 

「故にこういう考えもある。そこ(呪い)から生まれ落ちた儂ら妖怪こそ、真に純粋な――"本物の人間"なのだとな」

「……………」

 

 ひゅぅ……と、冷たい風が頬を叩いた。

 暗い夜道の中。マミゾウの、ギラリと一瞬光った眼を、妹紅は無言でじっと見て、しばらく立ち尽くす。

 マミゾウもまた、動きを止めた妹紅と同じように、妹紅の一歩先で、足を止めていて。

 数秒の沈黙。

 それを破ったのも、両者同時であった。

 

「いや、ないでしょ」

「まぁないな」

 

 ククク…と、互いに喉だけで笑いあった。

 

「そもそも儂らは人間ありきの存在じゃ、所詮人間の"裏"でしかない妖怪が、どう思いあがって"表"になれる」

「だね、私も思った」

 

 ヒトとアヤカシ。

 決して手を取り合えない筈の、両種族。

 不思議にも、今この瞬間だけ、その常識が頭から抜け落ちたような、そんな気がした。

 

 

 

 


 

 

 

 

 妹紅の旅。

 その目的はまず、その"鵺"とやらにすることにした。

 これにはまず、マミゾウとの間にできた不思議な縁もあったが、何より、一番の理由は慧音だった。

 最初は、ただ子供らしく眠気に抗えないだけだと、そう思い込んでいた。

 楽観的に、眠る彼女を可愛らしいと、そんな呑気な感想を抱いている間にも、"異変"の矛先は、彼女にも向けられていたのだ。

 妹紅がそれに気づいたのは、翌日の朝になってからだった。

 

「慧音?」

「…んー…?」

「大丈夫?体調悪い?」

 

 おかしい。

 朝日も昇り、朝食の時間になった時だった。

 妹紅は、己の胸に抱き着き、ぐっすりと眠っていた慧音を優しく起こし、すぐに朝食を持ってきた。

 その間も、うとうとした瞳と、眠気に抗えず、舟を漕ぐ姿を見せていたものの、まだ子供だからと、そう特段気にする程ではなかった。

 だが、いくらなんでもおかしい。

 目を覚ましてから数時間。最初こそ、ただ眠そうにしているだけと思っていたが、舟を漕ぐ様子を一時間以上、目の前で続けられ、その時にようやく、妹紅の中で違和感が勝った。

 

「…慧音?」

 

 すぐに身体の隅々まで調べたが、変わったところは見つからなかった。

 何者かによる干渉の痕もなし、病気や風邪のような体調不良という訳でもない。

 ただ眠いだけ。

 だが、いくらなんでも度が過ぎている。

 もはやまともに問答もできない程、意識が朧気な慧音。

 焦る妹紅とは反対に、マミゾウはまるで、それが起こって当然とでも言うように、慧音に目を向けることもないまま。呟いた。

 

「ふむ…そろそろかのう」

 

 空にはまだ、暗雲の如き霧が漂っている。

 濃度も、存在を覆い隠された月光も、全く変わらず、むしろ事態が改善に向かうどころか、悪化しているような気さえしてくる。

 変化のない黒一色。霧が発生するのは夜間だけで、今日の昼は特に問題はなかったが、日が沈んでからは話が変わる。

 自分はまだ大丈夫だが、それも時間の問題だろう。

 妹紅は冷静に、自分ができることはないかを考え、意識を鋭敏に、思考の海で研ぎ続ける。

 だが、時間は無常に過ぎるだけだ。

 

「妹紅」

 

 じっと何かを見つめていたマミゾウが、立ち上がると共に近づいてくる。

 妹紅は顔のみを動かし、マミゾウの顔を見つめ返すと、ふと彼女が手に持っている、ある物に気づく。

 それは、小さな紙であった。

 人型に切り抜かれた、懐かしさを覚えるその形状。

 陰陽師。――今の自分ではもう、二度と扱う事が叶わない人の英知の結晶。

 鮮明に、脳裏に回帰する。

 数百年前。自分がまだ()()()()()頃の――

 

「――妹紅?」

 

 そんな、マミゾウの怪訝そうな声を聞いて。

 ようやく、妹紅は現実に戻れた。

 

「あ、いや…………」

「その顔、あまり良くない何かを覚えたようじゃな。…儂のせいならすまんのう」

「そんなことない。これは、その…私の問題だから」

 

 そうだ、これは自分の問題だ。

 一瞬胸の中に浮かんだ感情、それから必死に目を逸らし、そう自分に言い聞かせるように、マミゾウに返事をする。

 ――自分はもう使えない。

 ――彼女は使える。

 その現実の前に、一瞬でも覚えてしまった"妬み"の感情が、あまりにも醜く、そして、どうしようもない救いがたさを、自分自身に覚えて。

 妹紅はため息を音に出さず、飲み込むように、一際大きく息を吸いこみ、首を振って。

 

「それで、何かあった?」

「あぁ、ちょうど偵察に向かわせてた子機が帰って来てな、面白い情報を仕入れてきたんじゃよ」

「面白い?」

 

 妹紅の、話題を転換する意を察し、マミゾウは間を置くことなく、すぐにその疑問に答えた。

 何故妖怪である筈のマミゾウが、人間の陰陽師が扱う式神術を使えるのか…それの疑問もあったが、先に妹紅が聞いたのは、彼女が持ってきた情報だった。

 慧音の異変。改善の兆しもなく、月光が奪われ続けている現在の状況。

 まだ戦いの勘を取り戻せておらず、それどころか弱体化し、まともな戦闘方法すらまだ定まっていない状態で、「自分が何とかする」とは口が裂けても言えない。

 だがせめて、元凶を叩く以外で――それ以外の方法で、今の自分ができることはないか。

 その思いを胸に、妹紅は聞いた。

 

「前に言ったじゃろう。都の人間たちは、刺し違えてでも鵺を倒す気じゃとな」

「でもどうやって?そもそも鵺が今いる場所って…」

「そう、雲の上じゃ」

 

 雲の上とは当然、鵺がいるのは空だ。

 しかし今の時代は、妹紅が生きていた頃とは違って、陰陽術の発展具合は、以前とは別方向のものとなっている。

 個々の強さを高めるのではなく、最低限の質だけ確保し、その後は数を増やす。

 量産された、陰陽術を刻んだ道具たち。これらが逆に、突出した人間の誕生の機会を奪ってしまったのだ。

 単純な霊力。即ち生まれた時点で決まる才能値も、この時代は極度に平均値(アベレージ)が低すぎる。

 むしろ、あれだけ才能に恵まれた人間が多く出現していた、かつての時代がおかしいという話なのだろうか?

 マミゾウは続けて。

 

「警戒態勢も充分。遠目からしか確認できなかったが、中々のものじゃった。たとえ質を度外視しても、あれだけの数…対空武器と人間を揃えていれば、万が一倒せずとも…深手を与えることはできるじゃろうて」

「ふーん…じゃあさ、その中で一番強いのは?」

「弓使いじゃ。()()()()()現れるかどうかの…弓の名手と名高い男らしくてな。遠路はるばる、この都に廷が呼んだらしいぞ?」

「弓ぃ?」

 

 ありえない。

 妹紅は訝し気に聞く。

 

「いやだって…ここから雲まで一体どこまで離れてると思ってるのさ?」

「ま、それが正しい反応じゃな、うん」

「…もしかして空を飛べるとか?」

「まさか」

 

 ――鵺は最初、ただの鳥を冠する言葉であった。

 ――しかしいつしか、あの不気味な鳴き声を、過剰に恐れた人間たちによって、それの本質が変わってしまい、都は混乱に陥っている。

 

「あくまでも弓使い。…異能を持たぬ、ただのな」

「それ大丈夫なの?」

「あぁ、実力は確か。というより、あれは過剰じゃな」

 

 マミゾウは一度だけ、その男の放つ矢を見た。

 本人にとっては、練習にもならない、ただの慣らしに過ぎない行動だったのかもしれないが。

 式神越しに見た、その弓術の極致に、マミゾウは永い間漏らすことのなかった、純粋な感嘆の息を吐いた。

 

 ―そう、元は人間がもたらしたものなのだ。

 ――それなら、それを終わらせるのも、また。

 

 鵺退治に選ばれた、その男の名は――

 

「名は、(みなもとの)頼政(よりまさ)

 

 そして、次の瞬間。

 マミゾウの言葉が終わると共に。

 ――空にあった霧が、全て一斉に晴れたのだ。

 

 

 

 


 

 

 

 

 ――月光が差している。

 当たり前のことだ。あって当然の、夜の世界の常識だ。

 だというのに、妹紅は空に浮かぶ小さな月を見上げて、宿から出てすぐの場所で、じっと言葉を失って呆けてしまった。

 周りでは、同じように宿から出てきた何人もの人間が、狂喜乱舞しているのが分かる。

 長らく奪われていた当たり前が、ようやく今戻ってきたのだ。それは充分に理解できる。

 

 月だ。

 ――小さな、空に開いた白い孔。

 

 あの日、歪んでいたとはいえ、確かにあった己の家、居場所。

 それを壊した元凶である――月人。それが住む場所。

 赤子の頃からあったのと同じ。空にある月には、かぐや姫が帰る日のような変化もない。

 数百年経とうとも、変わらずそこに浮かび続けている。

 それが、時の流れという、何度も味わった無常さに、唯一反発する絶対の象徴であることを。

 忌むべき、あの月人がいる場所だというのに、有難さを覚えたのだ。

 

「どうやら、終わったらしいのう」

 

 振り返れば、化け狸の十八番芸である『変化の術』を使い、人間に変身したマミゾウがいた。

 彼女の場合元が茶髪なので、諏訪大国が長い時間を掛けて消した、異能持ちの証明である髪色に対する偏見の視線を、最初から浴びる心配はない。

 耳と尻尾だけを誤魔化してもいい筈なのだが、妹紅の眼前には、先ほどのマミゾウとは打って変わった、マミゾウ本来の姿から耳と尻尾を消し、そこから高身長、そして豊満な胸を携えた状態の、いかにも「大人の女性」と言わんばかりの姿になっていた。

 …彼女本来の体形とはまるで正反対。という言葉は呑み込んでおくことにしよう、妹紅はそう内心で呟いた。

 

「…マミゾウ、これってつまり」

「どうやら、鵺はしっかり退治されたらしいのう。この月を見れば分かる、久しぶりじゃ」

「……」

 

 自分が介入する余地は、なし。

 少しだけ気落ちする思いを覚え、妹紅は首を振って、それを頭から追い出した。

 ……冷静に考えて、蓬莱人である自分が、今の時代の、都の存続をかけた戦争とも呼べる行事に、そう簡単に介入していい筈がない。

 そうだ、そう納得しよう。妹紅はとにかく、事態が解決したという事実を、手放しで喜ぶことにした。

 ――が。

 

「ッ、そうだ、慧音……」

 

 そんな甘い考えを切り裂くように。

 妹紅がふと、思い出した彼女の異変の詳細と、全く同じ瞬間に。

 ――部屋の奥から、声が聞こえた。

 

「――ッああああぁあああ!?」

 

 悲鳴。

 ――慧音の、あの子の悲鳴だ。

 

「慧音――ッ!?」

「何……!?」

 

 妹紅、マミゾウの順番に。

 彼女たちは人目を気にすることなく、初手でそれぞれ、霊力と妖力で身体強化を施し、一気に加速した。

 その突然の声に、周りにいた人間の何人かが、驚いて顔を振り向かせるものの、そこにはもう、誰もいなかった。

 たった数秒。しかしその間に、妹紅とマミゾウは既に、宿の中に戻り、そして先ほどまで、慧音が眠っていた場所へ――

 

「慧音!慧……音…」

 

 まるで飛び込むかのように、妹紅は床を足で僅かに削りながら、ゆっくりと減速し、到着する。

 襖を開いて、最初に飛び込んできたのは、慧音が起き上がっている姿。

 目に見える怪我。流血はない。

 それに、部屋の中には誰の気配も、正確には妹紅とマミゾウ、そして慧音の三人分しかなく、第三の『敵』と呼べる者はいない。

 その二つに安堵したのは、本当に一瞬で。

 次に、妹紅の目に映ったのは――

 

「見ないで…」

 

 慧音は、泣いていた。

 妹紅の、そして隣に立つマミゾウの視線から、()()()()()()()を隠すように、両手を上に、握るような体勢のまま。

 部屋の隅に、丸まっていた。

 

「お願い……見ないで…っ」

 

 美しい青のメッシュが走る銀髪。

 それは影も形もなく、全てが緑に変色していた。

 何より、彼女の身体から放たれる気配、力の正体は――

 

「"天与呪縛"じゃよ」

 

 唯一、その変化の正体を知っているマミゾウが。

 混乱している妹紅に、説明を続けた。

 

「産まれた時、もしくは()()()()()()に定められた運命の等価交換じゃよ」

「等価、交換…」

「時に肉体の欠損。そして力の一部の封印と種類は数え切れない程あるがのう。…この子のは、その中でも唯一、同一性があるものなのじゃ」

「――ひっ」

 

 一歩、マミゾウが近づいただけで、慧音は身体を強く震わせた。

 ガラス玉のように、透き通った可憐な眼には、以前に妹紅が見た、幼気ではなく、見るに堪えない「怯え」があった。

 

「"ハクタク"、稀にかの神獣との適合率が高く、祝福を受け取れる人間がおる。じゃが所詮は人間、常に祝福の力を使い続ければ、肉体は崩壊してしまう」

「…………」

「だから期限が決まっておるのじゃ。――満月、最も月の魔力が満ちる時のみ、この祝福を得た人間は、文字通り『神獣そのもの』となる」

 

 半人半獣。

 純粋な人間でもなく、純粋な妖怪でもない存在。

 決してどちらの陣営にも馴染めない、真の爪弾き者。

 妹紅は、ようやく分かった。

 ――彼女が何故、両親に捨てられてしまったのか。

 

「慧音」

「ッ――」

 

 怯え。

 拒絶。

 織り交ぜられた、悲しみの感情が、一斉に慧音の視線に込められる。

 それがまるで、自分の傷であるかのような、心苦しさを、妹紅は覚え。

 

「…………おいで」

 

 だからこそ。

 それから決して、逃げることはせず。

 両腕を広げて。慧音に言葉を投げかける。

 

「…私はどこにも行かないから」

 

 自分だからこそ。

 同じ、蓬莱人という、純粋な人間ではない、爪弾き者同士。

 だからこそ、今の自分なら、彼女と寄り添えると。

 そう確信した。

 

「ッ――わた」

「慧音」

 

 強く。

 大丈夫だと、そう強く思わせるように、力強く。

 妹紅は言った。

 

「――おいで」

 

 ――その瞬間、慧音は走り出した。

 勢いを殺すことなく、妹紅の胸の中に飛び込んで。

 そして、今までため込んできた悲しみと、そして安堵を表すように。

 嗚咽の声を漏らしながら、妹紅に優しく抱きしめられ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さな身体だった。

 少し力を込めてしまえば、たちまち崩れてしまいそうな。

 人外となっても、変わらない背丈に込められた、幼気な少女の苦しみ。

 それを受け止めて、妹紅は決心した。

 

「…………慧音」

 

 優しく問いかけると、もはや言語の体を成していない嗚咽と、強く抱きしめられる感触が、返事代わりとなって来る。

 涙で服が汚れることなど、もはやどうでもいい。

 今、己の胸で泣く少女が味わった苦しみと悲しみが癒せるなら。

 自分が、彼女を救えるならそれでいいと、そう強く思う。

 

「マミゾウ」

「…………なんじゃ」

 

 名前を呼ばれ、反応を少し遅らせてから、マミゾウが返事をする。

 化け狸として、古来よりずっと、人間と種族単位で関わり続けてきたからこそ、今の状況と、慧音の苦しみを分かっているのだろう。

 振り返った時、妹紅の目には、マミゾウが慧音に向ける視線に、憐憫の色が浮かんでいるのが分かった。

 そして、ようやくその時に、初めて彼女と出会った頃の違和感。それに気づく。

 

「最初に気づいたんだね。慧音を見た時の反応、あれってハクタクの気配を感じたんでしょ」

「…………あぁ。隠す気はなかった、というよりむしろ…既に知っているのかと思ったんじゃ」

「…………だね」

 

 マミゾウに非はない。

 むしろ、悪いのは自分だろうと、妹紅は思う。

 

「私、この子のこと何も知らなかったんだ」 

 

 あんなに泣いて。

 あんなに怯えて。

 そして、初めて出会った頃のとは比べ物にならない、その傷ついた姿を。

 ――自分は、何も知らなかった。

 

「私はどこにも()かないから」

 

 強く抱きしめ。

 彼女の耳元で、強く、己にも言い聞かせるように、妹紅は言う。

 

「私は不老不死だから」

 

 だから、せめて――

 

「たとえハクタクでもさ、永遠には生きられないんでしょ?数千年?数万年?上等だ」

 

 ()()()()()()()()()()

 ――この子に捧げてもいいだろう。

 

「数億年でもいいよ、私の時間をくれてやる」

 

 強く、紅く。

 妹紅の枯れ果てた心の中に――新たな"熱"が誕生した。




 できればの話ですが、今作が五部まで行って完全な終わり(もう続きが出ない)のは271話までだと思います。
 原作呪術に合わせたい。

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