【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 突然の過去編(?)は女の子の特権、最近ちょくちょく評価10と9評価の数が増えてきてて嬉しいです。
 あと後書きで軽くアンケートやります。


124話.『隙間』の少女①幽明境を分かつこと

 まるで、夜に出歩いているようだった。

 今の時刻は正午過ぎ。本来なら今も、肌を撫でるように燦燦(さんさん)と輝く、水無月(6月)の太陽が出ている頃合いだろう。

 しかし、まるで『夜のよう』と思ったのは、それら太陽の光が、森の木々によって防がれ、視界を暗く染める影のせい。

 この感覚も、所詮はそれらによる錯覚に過ぎないのだと、そう頭では理解できても。

 やはりこうして実際に体験すると、時間の感覚が狂ってしまいそうになる。

 

 少女、八雲紫はただ歩く。

 

 湿り気を帯びた落ち葉を踏む、ふにゃりとした感触が靴越しに伝わる。

 不快。とまでは言わない、だが好感触というわけでもない、そんな感覚に、紫は目を細める。

 だが、目を細めた理由はそれだけではない。

 紫の周辺、そこに日の光を嫌う、言葉を介する知能も持たない低級の妖怪たちが今も、木陰に隠れてこちらの様子を伺っているのが分かるからだ。

 自分の『スキマ』の力を使えば、彼らなど所詮、視線一つ向ける必要もなく、赤子の手をひねるが如く簡単に絶命させられる。

 そんな、圧倒的な格の違いが両者の間にはある。

 彼らもそれを、本能的に分かっているのだろう。

 呻き声を出しながら、こちらを見る彼らだが、実際それ以上は何もしてこない。

 あくまでも彼らは、こちらの機嫌を損ねないよう行動を控え、偵察に徹しているのだ。

 圧。

 もしくは存在感の違い。

 この場合、一番分かりやすいのは妖力だろうか。

 妖怪同士、見た目で集める畏怖以上に単純で、そして最も簡単に、相手との『格付け』を済ませられる、人外同士の喧嘩の基本。

 だが、紫にはそれすらも必要ない。

 何もせず、優雅に森の中を歩くのみ。

 たったそれだけで、有象無象の妖怪たちは、彼女に近づく事が『恐ろしく』感じる。

 妖怪の賢者と称される、絶対的な力の有り様がそこにはあった。

 同時に。

 

「ここに来るのも久しぶりね」

 

 紫は珍しい、口端(くちは)を吊り上げた子供のような笑みを一つ浮かべ。

 目前に『見据えた』、()()()()()()()()()()

 

 そこにあるものは、常人は決して見ることができぬ屋敷。

 『スキマ』を操れるが故に、紫もようやく干渉することができる、位相の違う世界線。

 肉体的、精神的、もしくは呪術的"死"によってようやく知覚を可能とする、現世と幽世の狭間。

 

 『『白玉楼』』――。

 そこに植えられた、()()()()宿()()()()()()()()()と、それを育て、そしてその下で死んだとされる『歌聖』が残した、一人娘のいる箱庭。

 紫は歩く。

 歩いて、より鮮明にそれらが見える。

 遠くからでは見えなかった、屋敷の瓦の細かな亀裂、支柱に走る木の年輪といったものが。隅々までしっかりと分かる。

 それを見て、思う。

 忘却の摩耗とは、妖怪だけの滅びではないのだろう、と。

 以前来た時より、更に老朽化が進んだ有り様。その原因は、もはやここを訪れる人間が、もうこの世にはいないが故。

 更には元々、この屋敷の手入れを担当する()()()()()()()()()()。当然一人だけでは、手の届く範囲に限界が生じるもの。

 手入れが届かず、苔が張り付いた、廃れかかった門と。

 その近く、以前に植えられたまま、立派に成長を遂げた紫陽花が。

 

「元気にしてるといいのだけど」

 

 門を通り、過去を思い出す紫のことを、静かに見守っていた。

 

 

 

 



 

 

 

 

 父が自殺した。

 不思議と、その時自分の心に湧き、大きく感じたのは、悲しみや喪失感ではなかった。

 どうして死んだのか、何故こんなにも早く逝ってしまったのか。という感情自体はあった。だがそれ以上に、「やっぱりこうなったのか」という、諦観に近い感情が大きい。

 母への感情は、それ以上に何もない。

 自分が顔を覚えるよりも早く、病気であっという間に死んでしまったから。

 それからはずっと、父が男手一つで、この屋敷で多くの従者と共に、一人娘である自分を育て、愛してくれた。

 いっそ、何もせずに無関心であったなら――。

 もしくは、こちらを疎ましく思う程の、そんな人間であってくれたなら――。

 こうして、悩むこともなかったのに――。

 

 

 

 

 父は自然を愛した者だったと聞く。

 人が言うに。彼は自分という娘を授かるまで、己の好奇心が赴くまま、諸国を巡る程の旅好きで。

 そうして目で見た、感じた自然の豊かさや、情景を綴った父の叙景歌は、それはもう好評だったらしい。

 『らしい』と。

 自分の父の事なのに、こうも他人事であれるのは、やはり彼の、()()()()()()()()()()()が、頭から抜けないからだろう。

 彼の、亡霊のような最後。

 『歌人』ではなく『歌聖』――。

 父は歌道における神であるという、賞賛の意味を込められた『歌聖』と呼ばれる程に、素晴らしい人だった。

 『だった』と。

 そんな呼び方をするのはやはり、自分の家族のことだというのに。どうやっても、あの最後が頭から消えないからだった。

 ――幽々子と、そう名付けられた『歌聖』の娘は。

 ――彼女は、今も尚、この家に縛られ、呪われたままだった。

 

 

 

 

 『桜の枝に掛けた冠が取れなくなった』。

 全ての始まりは、父のそんな思い入れという。何とたったこれだけで。

 こんな馬鹿馬鹿しい事が原因で、幽々子は()()()()

 『歌聖』の彼が、自分の終焉の地と悟ったとされる桜の地。

 最初こそ、ただ歌人らしく、()()()()()を言っているだけなのだと思っていた。

 実際、幽々子の父は最初、正気を失ってはいなかった。

 歌う。時折子供の様子を気に掛ける、どこにでもいる歌人の父のままだった。

 

 いつからだろう。

 いつから、あの人は自分に笑いかける数より。

 鬼気迫るような顔で、桜を見るように……その数の方が多くなったのは。

 

 そんなものは勘違いで。

 実際は子供ながらの、可愛らしい嫉妬心によるものだと。そう済めばどれだけ良かったことか。

 次第に、彼はまともに食事もしなくなり。

 日が過ぎる事に、頬は痩せこけ、言葉を失い、呻き声のような何かしか発さなくなり。

 以前までの、優しい面影がなくなっていく。

 明らかな異変。それへの不信感を超え、得体の知れない何かへの恐怖が胸中を占めた時、既に父だけでなく、従者たちの方も手遅れで。

 一人、まずは父が自刃した。

 それに続いて、まるで話を合わせていたかのように、残された従者たちも、父と全く同じ場所、同じ方法で自刃した。

 遺体を埋めたのは幽々子だった。

 血で濡れた着物も、体温を失った彼らの身体も、全部自分が処理した。

 死後硬直が始まると、まだ子供の幽々子では、一つ動かすのも一苦労だ。

 だから急いで、彼らをせめてもと、その()()()()()()()()()()

 

 一人。

 幽々子は一人、この屋敷に住んでいる。

 

 どういう訳か、生きた人間で()()に狂わされぬのは、自分以外には誰もいないらしい。

 そう、かつての父に恩があったからとやって来た剣士が。

 自身を『魂魄妖忌』と名乗る、銀髪の青年が教えてくれた。

 

『あなたは死なないの?』

 

 そう聞かれて、彼の身体が強張った瞬間は、今でも覚えている。

 だがそれも、仕方がないと思う。

 あの時、幽々子は父と従者たちを何とか弔って、それで限界だったのだ。

 死体の血が付着して、汚い。掃除しないと。なんて思える程の余裕なんてなかった。

 ただ、考えるのが嫌だったのだ。

 だから妖忌が来るまでの間、時間にして六時間以上、幽々子は縁側に腰かけて。

 全身を血だらけに、まるで亡霊のように、光を宿していない瞳で、ぼうっと空を見上げていたのだから。

 それでも、彼は言ってくれた。

 

『私は、死にませぬ』

 

 強く、自分にも言い聞かせるような。

 それだけの、口先だけではない『強さ』が、確かにあった。

 

『でも、みんな死んだわ』

『それでもです、私は既に、半分死んだようなもの。これ以上死に行く必要もありますまい』

『……半分?もしかして死屍?それとも幽霊さんかしら?』

『私は「半人半霊」であるが故』

 

 人間でも、幽霊でもない半端者。

 半端故、自己補完の範疇は超えるものの、純粋な人間未満の半端な霊力。

 同時に、完全に死に切れず、人間から逸脱もできぬが故、練れる呪力も半端であると。

 そう自嘲する彼の言葉は、幽々子にはよく分からなかった。

 霊力や呪力。それらはただの歌人の下に産まれただけの幽々子には、遠い世界の話だったから。

 だが、言葉に込められた複雑な思いは、言葉ではなく心で理解できた。

 

 互いに自己紹介を終えると、まるで機を見計らったかのように。

 突然ぐぅ…と腹の音が鳴った。

 その時になってようやく、幽々子は自分が今までずっと、何も食べていない事を思い出したのだ。

 例え何もしなくとも、何かを食べなければ腹は減る。

 そんな当たり前の事が、今になって面白く、可笑しく思えてしまって。

 涙が出る程、幽々子は笑った。

 

 誰もいない、それがどれ程、幽々子の心に影を落としていたか。

 妖忌という理解者を得て、ようやくそれが理解できてからは、視界は変わった。

 幽々子の日々は、その時から少しずつ孤独から救われた。

 それからもずっと、妖忌はここに住んでいる。

 この『白玉楼』には、幽々子を含めて、現在は()は二人いる。

 妖忌の種族は『半人半霊』で、妖忌本人は自分を人間ではないと称しているが、幽々子はそれを無視した。

 半分違おうとも、もう半分は間違いなく真実だろうに。

 そう言葉にした時、彼は一瞬だが、笑った。

 

 ただ時計のように、時間が過ぎるのを待つだけの日々だった。

 それらが一変して、少しずつ自分も変われるような気がした。

 

 ――だが。

 

「また、瘴気が濃く…」

 

 現在。幽々子は問題の桜の木、それと向かい合っていた。

 手で触れると、妖怪の気配……妖力のそれに近い、身の毛がよだつ不浄の気配が肌を撫でる。

 気のせいであって欲しい。そう最初に願ったものの、やはり現実は非情らしい。

 幽々子の推測通り、この桜の木は以前から何か、『只者ではない()()()』の気配を帯びていた。

 最初はほんの少しだけ、肌を風が撫でる程度の違和感しかなかった筈なのに。

 父が、従者たちが死に、それらの死体を埋めてから、まるで――。

 

「……成長してる…………?」

 

 ――以前と比べ、更にその存在感が増している。

 妖忌のように死線を潜ってきた訳でも、現世と幽世の位相に詳しくない自分でも、そう断言できる程の不吉さだった。

 触れただけで、視界に入れただけで――『これは、あってはいけないものだ』と、そう確信する何かがひしひしと伝わる。

 何故こうなったのか。

 何がきっかけで、こうも悍ましい気配が増長したのか。

 だが、それらへの疑問を超える、ある一種の悪寒。

 幽々子が真に恐れるのは。――その先だった。

 

 死に誘う謎の力で、父と従者がまず死んだ。

 だが、実際『白玉楼』に妖忌が来るまでの間、死んだのは従者だけではなかった。

 父が最初に死に、従者が後を追い、それから妖忌が来るまでの――たった三日間。

 ――それだけで、二桁の人間が死んだのだ。

 

 名高い『歌聖』の父。

 美しい最後に肖ろうと、()()()()()()()()()()、桜の木の前にやって来る人間たち。

 歌人を志す者、物見遊山でここにやって来た者、噂を聞いて、怖いもの見たさで自らやって来た者。

 彼らもまた、この桜の木の下で自刃し、この世に存在しないものとなった。

 

 今はもう、妖忌が門番もとい幽々子の護衛として、『白玉楼』に居を構えているので問題はない。

 仮に、また新たにここへ人間たちが来たのなら、彼はきっと腰に携えた二刀を使う必要もなく、威圧感だけで追い返してくれるだろう。

 これ以上の犠牲者が増える心配はない。それだけは安心できた。

 だというのに。

 まるで……『もっと寄越せ』と言わんばかりに、この桜の木は――。

 

「このままじゃ――」

 

 ――この木は()()()()()

 ――つまりまた、誰かが死ぬかもしれない。

 幽々子の推測は、この桜の木が成長するとは即ち、これが持つ力の、更にその先へ『至る』可能性。

 餌を求めるこの木は、その飢えを満たす為に。自身の『死に誘う』力の規模を更に……『効果範囲』を大きくしていくのではないか?というものだ。

 ただでさえ、成長する前の状態でさえ、亡き父の名を、噂を聞いたに過ぎない人がやって来て、死んだのだ。

 成長する前で、この惨劇。

 

 ――これが、更にもっと強くなったら?

 ――もっと多くの人が、命が消えるとしたら……?

 

 幽々子は息を吞む。

 これ以上、更に範囲と洗脳の強度が上がり続ければ。

 何人、何十人が死ぬ?

 いや、下手をすれば何百人が――。

 

「でも…」

 

 幽々子には、何もできない。

 所詮、戦いの一つもできぬ身。

 『死霊を操る程度の能力』なんて大それたものを持っておきながら。

 まともに死霊なんて操れた試しもなく、それどころか、死に誘われた何十人もの人間を、助けることだってできなかったのだ。

 妖忌ならば――。

 彼ならば。『いつか「時」すらも斬ってみせます』と、楽しそうに語ってくれる彼ならば。

 この身に宿した、忌々しい"呪い"も、断ち()()()くれるのだろうか?

 そこまで考えた時だった。

 

 ゴトンッ、と。

 

 何か。

 ()()()()()が落ちた音がした。

 

「っ。……何、かしら」

 

 僅かに、幽々子は警戒心を抱く。

 侵入者だろうか?だがそれにしては、今も見張りを続けている筈の妖忌が、何の反応も示さないのはおかしい。

 だが、決して野鳥や野良犬といった、可愛らしいものではないのも確か。

 違和感。

 木々の間に紛れ、潜む妖怪が発するものに似た、視覚が訴えてくる異物感。

 それが、桜の木の向こうから、肌色の何かが――。

 ――肌色?

 

「――ッ!まさか!」

 

 幽々子は駆け出した。

 幹で見えぬ先、木の周りをぐるりと回った。

 そしてやはり、そこにいたのは――。

 

「……人間?」

 

 人間…らしい何か。

 『らしい』と、そう幽々子が評したのは、彼女の()()()である。

 黒色でも、茶色でもない。

 妖忌のような銀色でも、幽々子自身の、美しい桃色でもない。

 そこにあった色は――。

 

【うっ、う"!uうぅ美旨いぃいいいい…】

 

 ――赤色。

 

「ぅ、ぅ………」

【ね、ェ美味…】

【図、ズるいよお。オおオ母さん、おかぁ…】

 

 何故、そんな疑問を抱く暇もなく。

 幽々子は目の前で倒れる少女に向かった。

 まともな言語能力もない、低級の妖怪たちに肉を、頭を齧られて血を流す少女。

 それの正体。それへの疑惑の解消は後でいい。

 幽々子は咄嗟に、少女の身体に纏わりついていた妖怪を、力いっぱい叩き、落とす。

 低級の妖怪が相手なら、例え幽々子でも、これくらいの対処はできる。

 呻き声を一つ、少女の肉を齧るのをやめた妖怪たちが、地面にぼとぼとと落ちたのを見計らい。

 咄嗟に、何とか助け出した少女の身体を背負って、幽々子は駆け出した。

 

 ――軽すぎる。

 

 まるで、まともに食事もとれていないような。

 下手をすれば、廃人になりかけていた頃の幽々子より、もっと酷い有り様だった。

 着ている服も、粗末なもので。

 しかもそれは、妖怪に嬲られてそうなったのではなく。

 身体に付いている、妖怪の歯型と爛れた肉の跡とは別に、服には乱雑に放り投げられ、痛んだ時特有の傷がいくつもあった。

 最初から。

 この少女には最初から、まともな衣服は与えられていないのだろう。

 幽々子は問う。

 

「ねぇ、大丈夫!?」

「………………」

 

 虚ろな目には、意志の光など何処にもない。

 体格からして、少女の歳は十にも届かないだろう。

 もしそれが正しいのなら、この子は自分よりも五つも下なのに。

 その歳で、妖怪に嬲られ、喰われ、捨てられた経験を知ったということ。

 ――廃人。

 つい先ほど、脳裏に過ぎったもしも(IF)の自分。

 他人事とは思えない。幽々子は必死に動いた。

 何より。

 

「めて……」

 

 背中から聞こえる声。

 

「………………」

「もう……やめて………………」

 

 ――消えそうな声で、何度も嗚咽を混ぜた言葉を吐く。

 こんな子を、見捨てられる筈がないだろう。

 何故、この少女は『白玉楼』に迷い込んだのか。

 どうやって、妖忌に気づかれることもなく、この敷地に迷い込めたのか。

 そんな数多の違和感から目を背け、幽々子は己の良心に従った。

 

「ごめん、すぐに用意するから……!」

 

 痛む身体に、これ以上の負荷をかける訳にはいかない。

 頭もそうだが、少女の怪我の中で一番酷いのは、背中だった。

 皮が剥がされ、肉を齧られ、骨が露出していないのが奇跡としか言えない。そんな有り様。

 幽々子は縁側に足をかけ、そのまま一気に駆け上り、襖を開けると躊躇なく、少女を自室に入れた。

 まずは血を止めないと――。

 怪我人の治療など、当然幽々子には経験がない。

 それどころか、適切な知識すらもない。ただ、妖怪による負傷は、時に傷口から妖力が侵入し、その妖力に『当てられる』可能性があると、そんな知識だけはあった。

 故に、まず自分がするべき事は――。

 幽々子は少女が背中からずり落ちないよう、片手で身体を支えながら、もう片方の手で押入れを開く。

 そのまま続けて、自由な片方の手で、床に茣蓙(ござ)を放り投げ、足も使って幾重に重ね、広げた。

 少しでも、少女の身体に負担をかけないように、幽々子が思いついた工夫だった。

 幽々子は少女を、そこにゆっくりと寝かしつけて。

 

「包帯、それに布も……」

 

 ――とにかく、何かをしないと。

 そう必死に、頭の中でこれから必要なものを思い浮かべては、それを忘れないよう、口を動かして反芻する。

 二回程繰り返し、よしと意気込んだ。

 と、その時。

 

「――幽々子様?」

 

 ――声。

 幽々子が部屋に入った、縁側とは正反対の位置。

 廊下に繋がる襖の向こうから、妖忌がこちらに――。

 

「慌ただしい気配がしたのですが、一体……?」

 

 ガタン、と襖が動く。

 幽々子は咄嗟に、襖を止めようと手を伸ばそうと――。

 

「いえ、何でもないわ!ちょっと待っ――」

「失礼し……――?」

 

 抵抗虚しく、妖忌が部屋に侵入する。

 流石に、彼も見知らぬ者が相手とはいえ、怪我人に対してそう強く出る事はないだろう。

 それは分かっている。分かってはいるが、それでも心の準備は欲しい。

 襖を止めることもできず、結果行き場を失い、空中で変な形に固定された右手。

 だが、妖忌は幽々子の背後、そこへ視線を向けたまま――。

 

「……寝屋でも作るおつもりで?」

「へ?いや……――っ!」

 

 ――いない。

 想像とは違う反応を見せる妖忌の違和感。

 幽々子は咄嗟に、妖忌の視線を追うように首を動かし、そして動揺した。

 ――いない。

 先ほどまで、床に広げた茣蓙の上に、身体を横にして寝ていた筈の少女。

 それがまるで幻だったかのように、少女は影も形もなかった。

 一体、何故――。

 

「しかし……うむ、この感覚は……」

 

 そう言って首を傾げる辺り。

 やはり妖忌自身も、言葉にできない違和感はあるらしい。

 どのような方法を使ったか、真相はどうあれ、とにかく今は妖忌をこの場から去らせるべきだ。

 そう判断した幽々子は、妖忌がしっかりと違和感を認識するよりも前に、大きく声を上げてゴリ押した。

 

「い、いつまでいるのよ!今いいとこ……?なんだから!」

「……今私が片付けましょうか?」

「い、いいわよ!私がやるってば!!」

「……はて」

 

 当然、妖忌はどこか納得がいかない……と、顔を渋くしたままだったが。

 幽々子の思惑通り、再び首を傾げて、そのままくるりと背を向け、廊下に戻る。

 その時、小さく。

 

「……まぁ、曲者は()()で分かるしな」

 

 そう言い残して、妖忌は去っていく。

 その背中を、幽々子は油断なくじっと見つめ続け。

 彼がようやく、廊下を曲がった事で、その姿が完全に姿を見えなくなったのを確認してから。

 幽々子はようやく、安堵のため息を吐いた。

 

「はぁ……」

 

 別に、やましい事をしている訳では決してないのだが。

 妖忌の普段。その堅苦しい程の真面目っぷりを身をもって知っているのもあり、今も心が落ち着かない。

 一度は誤魔化せた、だが次は――。

 

「次はどう――っ……!」

 

 ――手。

 廊下から部屋に戻ろうと、幽々子が自室の方へ振り向いた時。

 風が揺らぐこともない、文字通りの一瞬の速度で。

 首に、手が掛けられた。

 ギリ――。喉に負荷が掛けられる。

 

「――――あなた」

「……………………」

 

 ――あの少女だ。

 髪も、顔も血で真っ赤に濡らした、先ほど姿を消していたあの少女。

 ポタ……ポタ……と、頬を伝って落ちる血の雫。

 それが、開いたままだった押し入れの『隙間』から、道を刻むように続いていて。

 その音が、互いの無言による沈黙の中で、痛い程に響いていた。

 少女は言う。

 

「……私に、何をする気なの」

 

 少女の瞳には、何も映っていない。

 光もない、真っ黒に染まった『絶望』。それは、生きる意味を失った者が、共通して見せる色。

 それは、幽々子がこれまでに、数え切れない程に見てきたもの。

 ――同時に、以前の自分が成りかけた、哀れな現状。

 だからこそ。

 

「何もしないわ」

 

 だからこそ、幽々子は優しくその手をとった。

 それは、決して抵抗ではない。

 

「っ……」

 

 少女は一瞬、身体を硬直させる。

 だが、それ以上は何もない。

 幽々子は続けて。

 

「私はあなたを助けたいの」

 

 その気になれば、いつでも自分の首を絞め殺せる立場。

 だからこそ、決して恐れることなく、そして穏やかに、優しい声を掛ける事を意識して、幽々子は続けた。

 血だらけの少女の手。

 そして、その華奢な見た目以上に、とても力の強い少女の手。

 それを、優しく撫でながら。

 

「私は、絶対あなたに酷いことはしない」

「……嘘よ」

「本当。ね?今も触れて分かるでしょう?私って弱いから」

「…………嘘」

 

 少女の瞳に、涙が浮かんだ。

 

「………嘘、よ」

「嘘じゃないわ」

 

 幽々子は微笑む。

 

「ね?仲良くしましょう?大丈夫よ」

 

 ――少女は、泣いた。

 嗚咽交じりに、嘘だと繰り返す少女の手を。

 幽々子は動じることなく、ずっと、彼女が泣き止むまで撫でていた。




 大分前に暴露した通り、最終部である5部ラスボスは当然『宮出口瑞霊』なんですが…
 実は彼女含めて、5部のラスボスは合計三人体制のガチガチ悪役グループになる予定です(易者みたいなサブキャラではなく、ちゃんと主要の原作キャラが徒党を組んでくる)。
 さて誰になるのでしょうか?一年後をお楽しみに。

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