【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 西行妖の設定は貝渦氏の「西行寺幽々子とその父の話」より引用。


126話.『隙間』の少女③死奏燐音、玲瓏ノ終

 古来よりこの大陸には、木々に宿る妖怪に『木霊』というのがある。

 幽々子の考察。

 それは、あの桜の木には、何かの拍子にその『木霊』が宿ったことで、桜の木が()()()したのではないか――。

 実際、あの桜の木から感じる気配は。

 それは一部の()()()妖怪や産土神、そして祟り神が持つ瘴気ではない。

 あれは、元来の妖怪が持つ神秘、妖力なのだから――。

 

 

 

 

 だが、疑問。

 所詮、ただの『木霊』に、こうも多くの人を『死に誘う』力があるのか?

 これ程強い力を秘めていて、実体化も何もせず、何故桜の木に宿るだけで済んでいるのか。

 幽々子はまだ、それの答えに辿り着けていない。

 

 

 

 

 ――答えは、実体化しないのではなく、()()()()

 身体を失い、信仰を失い。『虚無』の世界で生き続ける、()()()()()()()()()()()()()()()()

 彼は今も、呪いを"共振"させるだけの、意志なき災害として、今も――。

 

 人によって生まれ、そして人に殺された『■■■信仰』。

 

 財ではなく、人の意思を捨てさせる異能。

 命を喰らい、魂を貪り。

 また、桜の花が一つ成長を遂げる――。

 

 

 

 

 ――三分咲き。

 人を誘惑し、魂を啜る、まだ()()()()桜の木。

 そこに、ぽつり、ぽつりと。蕾から花が咲いていた。

 あの、死を誘惑する妖しい桜の木が。

 着実に、成長を続けて、大きく――。

 

「…………」

 

 どうして。

 ふと、庭に目を向けた途端、その信じられない光景を目にし、背筋に冷たいものが走る幽々子。

 しかし、そんなことは露知らず、楽しそうに食事を続ける『隙間』の少女は、それに気づかない。

 幽々子は喉をごくりと鳴らし、言い表せない悪寒に身を震わせた。

 

 ――どうして、この瞬間に……?

 

 まるで、こちらを恐れさせるかのような挙動。

 音もなく、気配も、主張をするわけでもなく、静かに佇み、相手が気づくまで不動。

 低級の妖怪とは比べ物にならない、底なしの悪意すら。

 こちらを嘲笑うような、そんな知能を持っているようではないか――。

 

 ――どうして、今になって。

 

 まるでこの機を見計らったかのように。

 何故、あれは成長を始めたのか――。

 幽々子が少女と会話を交わし、視線を外したのはたった数十分。

 それまで、あの桜の木は当然、一つも花開くことなく、全てが蕾でしかなかったというのに。

 早すぎる成長、いやむしろ、成長を()()()()()()()()()()()()()

 本来、植物が必要とする時の流れによるものではなく。

 景色が切り替わるかのように、()()三分咲きに至る桜の木。その異質さを見れば、そう思うのも無理はなかった。

 

(分からない事だらけね……)

 

 肌に突き刺さる、妖力への嫌悪感。

 人間の恐れから生まれた存在。それが放つ力を浴び続ける事は、人体に少なくない悪影響を与える。

 実際幽々子は今、桜の木が成長したと認識した途端。今までの倍以上の不快感を、身体が覚えたのを感じた。

 桜の木が放つ死の誘惑。それは幽々子の予想通り、成長前と比べ、一段階上のものになっていた。

 ――死の、誘惑。

 

「………………」

 

 もしやと思い。

 幽々子は勘付かれないよう、食事に夢中な少女の顔を見た。

 脳裏に過ぎる、かつて父が狂った瞬間に、胸を痛めて。

 しかし。

 

「…………♪」

 

 少女は何でもないようだった。

 一見すると、そこに不快感は浮かんでいない。

 それでも、幽々子は不安を拭い切れなかった。

 もしかしたら自分と同じように、不快感や違和感を覚えつつ、相手に心配させないよう、顔に出さないようにしている可能性だってある。

 この短い付き合いで、幽々子はこの少女が、そういった気遣いがちゃんとできる、優しい子というのは分かっていた。

 死を誘う力。それがもしも成長し、彼女にも被害が及ぶとしたら――。

 今は大丈夫でも、これ以上成長が進めば――。

 

「ん?何よ?」

「……いえ、何も」

「そう?ならいいけど」

 

 顔を合わせ、じっと何かを探るような幽々子の視線に対し、少女は特に気にすることなく笑う。

 幽々子としては、その変わらない反応に安心感を覚えると共に、その反応速度に唖然とする。

 勘が鋭い。

 いや、この場合は感覚が()()なのか。

 

(妖怪の中には、死にかけて神秘の核心を掴むのがいるとは聞いたけど……)

 

 現に。三分咲きになる前の状態でも、ここには色々な『もの』がやって来た。

 当然、目前の少女もその中の一つで。妖怪や人間、時には生まれたての、どこかの地方の産土神ですら、ここに『落ちて』くることがある。

 勿論そのほとんどは、妖忌が斬り捨てるのだが。

 

 そう、ここに『来る』者と、『落ちて』くる者は違う。

 生と死の"境界"が曖昧になっている『『白玉楼』』。

 それと同じく。『歌聖』の噂を聞き、ここを訪れる人間たちとは別の。

 人妖問わぬ、"死"に近いものたちが集う混沌と化した、夢と現実の狭間。

 

 まず、単純な命。

 次に信仰による消滅や、心肺機能の停止。そして呪術的な、儀式による実質的な"死"をひっくるめた、命が曖昧になったもの。

 それらの命を無差別に、まるで貪るように桜の木は誘惑を続ける。

 『歌聖』の噂を聞いてやって来た者は、妖忌が門前で追い払っているおかげで、人間の被害こそ新たに発生していない。

 が、それが妖怪となれば話は別。

 

 あの時。

 幽々子の目前に『落ちて』来た少女も。

 

 肉体の瀕死。そして精神的な衰弱と、身体にまとわりつく低級妖怪たちの妖力反応から。

 この『白玉楼』に招かれるには、充分過ぎる資格を持っていたのだ。

 だからこそ、疑問に思う。

 

(死に誘う力。それがどうして、()()()()効かないのかも……)

 

 そこが疑問だった。

 幽々子自身、あの桜の木の持つ妖力とは別に。死の誘惑を防げている理由はいくつか考えた。

 直接的ではないとはいえ、自分には"死"に分類される『死霊を操る程度の能力』があるから、あれの誘惑を耐えられているのか?

 それとも、あの桜の木自体は、生まれた時からそこにあった為。

 そこに後付けでとはいえ、『木霊』が宿っただけに過ぎないから、自分には『■■■』ではなく、あの桜の木そのものへの『耐性』があったのか。

 どれもがあり得る話で、そして同時に、確証を抱けないものにしか過ぎず。

 ならば――、と。

 

「……っ、ゴホッ――」

 

 突然、幽々子は喉に強い不快感を覚えた。

 喉に埃が張り付いた時のような、制御できない身体の反射。

 最初こそ、心配そうに『大丈夫?』と、少女に問われて、それにすぐ返事をするつもりだったのに。

 

「ゲホッ!ご、っが…………!」

 

 ――止まらない。

 言葉を紡ぐ基本の、息を吸う行動すらままならない。

 息を吐いて、吐いて。喉が勝手に咳を繰り返し続ける。

 まともに唾液も飲み込めない。

 今度こそ息を吸おうとして、結局できずにまた息を吐き。

 結果、咳のし過ぎで乾いた喉を、更に咳で乾かすことで、喉の痛みは段々と強くなるばかり。

 

「ッ、ぐ……!?」

 

 トロリと、生暖かい鉄の味がした。

 一度それを許してしまえば、まるでせき止めていた川の水のように、一気にそれが口から零れる。

 忘れていた不快感、嫌悪感が、今になって襲い掛かってきた。

 血。

 咳のし過ぎで傷んだ喉に、血のえぐみが染み込んでいく。

 

 ――どうして。

 ――なんで今になって。

 

 自分の身体の事なのに。

 己の意思に反逆するかのように、突然。

 こんなにも、自分の身体は弱かったのだろうか?

 幽々子は脳に浮遊感を覚えたような、危険な感覚に身を任せ――。

 

「――幽々子!!」

 

 意識を失う直前。

 自分の名を叫んで、焦りながら駆け出す少女の姿が見えた。

 

 大丈夫――なんて。

 

 それすらも言えない自分の弱さが、憎くて仕方なかった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 しばらく、自分の目が覚めているという事実にすら気づけなかった。

 目の前の景色。それこそ『飽きる』なんて感情を抱く必要性すらない程に、ずっと見てきた天井。

 寝ている。そしてここが、自室であるという現実を、今になってようやく。

 その一連はまるで、水が染み込むようだった。

 

 ――朧げな意識。

 

 何より、しっかりと目は開いているというのに、視界に映る情報を、脳が処理するのに時間がかかる。

 身体と意識が釣り合っていない。

 いやむしろ、この場合は身体の方が遅れているようで――。

 

「幽々子様」

 

 まず声が聞こえて。

 次に幽々子は、目前にある天井をもう一度見る。

 そこには枝葉もなく、切り落として加工された木があった。手の込んだ職人と、素材で作られたものという、今まで気に留めることもなかった当たり前を意識して。

 そうしてようやく、幽々子は自分が仰向けに倒れていて。

 そして、以前よりも力が入らない、弱った自分の身体を認識した。

 

「妖忌……?」

「申し訳ございません。私が居らぬ間に、まさか……」

「あなたのせいじゃないわ。謝らないで」

「しかし……」

 

 幽々子がそう言っても、妖忌は自分を責める姿勢を崩さない。

 妖忌の頑固さは勿論、父への恩がきっかけとはいえ、父を介さずに、しっかりと『幽々子』本人を見て、そして誓った忠誠心。

 それは本物で、だからこそ彼は、決して外せない『用事』があったとはいえ、主の危機に何もできなかった事が悔しくて仕方ない。

 従者として、その感情は仕方がないし、いくら幽々子が気にしないと、心配するなと口にしても、彼は一生この出来事を背負って生きて行くだろう。

 どうしたものか。そう幽々子が頭を悩ませている時だった。

 

「血の処理も、この茣蓙も。何から何まで幽々子様がしたのでしょう?」

「え?……っ、えぇ」

 

 平静は装えただろう。

 向こうから見れば、自分は病み上がりの人間だから、仮に言葉に詰まったとしても、そういうものだと受け入れるだろう。

 誤魔化しの肯定。だがその次には、幽々子は彼が言わんとする事と、それの真実に辿り着く。

 妖忌が口にした言葉が、今この場において何を意味するのか。

 先ほどは一瞬、それが分からなかった幽々子だったが、それの答えは、よく考える必要はなく。

 何故なら、それの答えは目の前どころか、自分の身体の周りにあったから。

 

 血を吐いて汚れた筈の、自分の身体。

 それが、今では新しい服に着替えられていて。

 身体の方も、濡らした布で拭いたのか、しっとりと僅かに濡れている。

 

 何より。この乱雑に敷かれた茣蓙だ。

 そこに自分が眠っている事実。これだけで、自分が一体誰に助けられたのか。

 誰が尽くしてくれたのか、それの答えに辿り着いた。

 

「…?幽々子様……?」

「ううん。なんでもない」

 

 ――きっと、()()()がしてくれたのだろう。

 妖忌なら、茣蓙をこんな雑に敷いたりしない。

 彼ならもっと、几帳面に作業をするだろうし。

 彼ならきっと、茣蓙よりも優れた、ふわふわの毛布を持ってくるだろう。

 

 何より、服の選択も彼らしくない。

 今、幽々子が着ている服は、一回り以上、身の丈にあっていないのだ。

 それは直垂にも似た、真っ白な就寝用の衣服。

 

 勿論、幽々子はたった今目覚めたばかりなので、これを自分で選んで着た訳ではない。

 それに妖忌なら、自分の身体に合う衣服がどれかを熟知している為、大きさを間違うなんて初歩的な間違いはしない。

 となれば、やはりここでも答えは限られている。

 

「ねぇ、妖忌」

 

 どこにもいない、感じ取れない少女の気配。

 妖忌ですら、彼女の事が察知できなかったのだ。

 ただの一般人、それも妖力に当てられる程度の自分には、彼女を追いかける事など叶わない。

 

「あの木は、どうなってるの?」

「…………」

 

 ほんの少しの寂しさを飲み込んで。

 幽々子は桜の木を。――まだ名前のない、()()()()()()それを見る。

 あれから、自分は一体どれ程眠っていたのか。

 数時間?それとも一日?

 だとしても――。

 

「分かりませぬ。私にも」

「…………そうよね」

「しかし分かるのは、以前より遥かに、『生と死が曖昧になったもの』がここに迷い込むようになった事。先ほども……」

「……そう」

 

 ――もう、終わりが近い。

 何の終わりか、それを改めて意識する事が怖く、幽々子は無意識のうちに、身体を震わせる。

 だが、どれだけ目を背けようとも。

 間違いなく『終わり』が近づいてきている事実、それは覆しようがない。

 それは、いつか訪れる未来ではなく。

 既に、目前に迫る現実なのだと――。

 

「また、成長したのね」

 

 ――()()()()となった桜の木。

 幽々子の眼に映るそれが、決して逃げるなと、逃がさないぞと訴えるように、禍々しく桃色に輝いていた。

 意識を失う前より、更に多くの蕾が花に成長し。

 そこから放たれる妖力も、以前の倍に。

 よく見れば、幽々子を守るような形で、部屋の隅々に置かれた札が、それと対抗するように、強く黄色い光を放っているのが見えた。

 

「簡易的な結界です。これでしばらくは持つかと思いますが……」

「……ありがとう。妖忌」

 

 幽々子の言葉に、妖忌は厳しい顔のまま。

 

「いえ、この程度」

 

 と、それだけ返した。

 本当に、妖忌にとっては『この程度』なのだろう。

 水を斬り、次は光を斬ってみせますと豪語する彼が、主からの感謝の言葉に、少しも喜色を浮かべていない。

 人間。それも、道具さえあれば、幼子でも使える魔除けの結界でしか、妖力に侵される主を守れない。

 これが仮に、彼の人生そのものである『剣術』であるのなら、一時しのぎであろうとも、鍛えた技で主を守れたのだと。そういった誇りになる筈だ。

 だが、今の主を守っているのは、ただの児戯。

 鍛え、磨いた技が何も役に立たない。

 それがどれだけ、妖忌の自尊心を傷つけているか。

 幽々子には、想像に難くない。

 

「ねぇ、妖忌」

「はい」

「ありがとう。本当に」

 

 きっと、彼の心の奥底には届かない。

 他ならぬ、自責の念を胸中で燻らせ続ける彼が、それを是とする事を拒否しようとも。

 それでも、言葉にしないと伝わらない。

 幽々子は真っすぐに、妖忌を見据えて。

 

「私、あなたに会えて良かったと思ってるわ」

 

 心からの言葉。

 嘘偽りのない本心を吐露して、そう笑う。

 だが、予想とは裏腹に。

 妖忌は最初、訝し気に眉を顰めてから。

 

「……それは、別れの挨拶ですか?」

 

 思わず、といった形で聞き返して来た。

 予想を裏切るその反応に、幽々子も思わず、表情を固めたまま、無言で数秒フリーズして。

 ぷっ、と吹きだす。

 

「もう、妖忌ったら意地悪」

「実際、その言葉はまだ早いでしょう?」

「だとしてもよ、風情がないわねぇ」

 

 ――それからは、目を逸らす。

 幽々子自身、自分の身が後どれだけ()()()

 部屋に張った結界を貫通し、浄化し切れない妖力が、身体に溜まっていく感覚から、朧げに理解できた。

 自分でも分かるのだ。自分より遥かに感覚に優れた妖忌が、それに気づかない筈がない。

 

 ――強がり。

 口調こそ、まるで普段の彼そのものだったが。

 その視線に込められた、悲しみの色だけは、誤魔化し切れていなかった。

 

 彼らしくない。

 普段の彼なら考えられない有り様。

 ――敬愛(あい)されてるなぁ、なんて。

 

「…………一度くらい」

 

 そこまで言って、止める。

 幸いにも、妖忌にそれが聞かれることはなく、幽々子は安心して、庭に視線を戻す。

 

 見慣れた地面。

 見飽きた空。

 

 その中で、唯一見たことがないもの――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桜の木が五分咲きになってから。

 幽々子の身体は、以前より更に悪化の道を辿った。

 

 何度も、何度も妖力に当てられて、結果として熱を出して。

 それが上がっては、下がってを繰り返して。

 

 時折、様子を見に来た妖忌の気配と、心配そうな声を耳にするだけの日々。

 以前のように、縁側に座って茶を嗜む。そんな簡単な暇つぶしもできなくなった。

 茶を飲んだ回数より、煎じた薬草を飲んだ回数の方が多くなった。

 食欲もなく、当てられた妖力による苦痛で、まともに寝る事も出来ない日々。

 痛み、苦しみを繰り返す日の繰り返し。

 

 だがその中に。

 唯一、優しい風が吹く日があった。

 

 時折、妖忌が様子を見に来るよりも先に、幽々子が目を覚ます時。

 その時、枕元に見たことがない程に綺麗な、美味しそうな桃が置いてあるのだ。

 神聖さすら感じられる、そんな美しい桃。

 勿論、こんなものを自分に用意してくれる存在といえば、あの少女しかいない。

 だから幽々子は、律義に桃の隣に置かれていた箸を使い、予め切られていたその桃を、妖忌がやって来るよりも早く食べるのだ。

 そうして、箸を皿の上に置き、もう一度眠って、襖に背を向ける。

 

 すると、風が吹く。

 

 音はなく、ゆっくりと耳を撫でるような、そんな優しい風。

 誰かが来た――。それが一体何者かなど、語るに落ちるというものだ。

 このまま振り返っても、きっと()()は逃げたりしない。

 だけど、こうして互いに干渉しない秘密の関係。

 それが面白くて、幽々子は小さな声で、その優しい風に言葉を投げかける。

 

『ありがとう』

『…………』

 

 小さく、安堵の音が聞こえて。

 そうしてまた、風が一つ吹くと同時に、彼女は去っていく。

 どういう理屈か。そうして彼女が去った次の瞬間に、別の襖から、妖忌がこちらの様子を気にしてやって来るのだ。

 

 いつか、彼にも紹介するべきだろうか。

 それとも、もうしばらくは、この秘密の友人関係を続けてみようか。

 

 この時に限って。

 幽々子は近い未来に訪れる『現実』を忘れて、子供らしく笑えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな、苦痛の時が過ぎるのは早い。

 いつしか、身体の倦怠感は当然、息をする度に感じる痛みや、妖力への嫌悪感に『慣れ』が生じた頃。

 普段妖忌が様子を見に来る時間より、数十分早く目が覚めた幽々子は、庭に視線を向けていた。

 見ているのは、桜の木ではなく、その向こう。

 こうして、ちゃんと目を覚ますのはいつ以来だろうか。

 また、彼女と話せるだろうか?

 そんな淡い期待を抱いたまま、幽々子は今来るかどうかも分からない、あの少女を待つ。

 

 フッ――、と。

 

 幽々子の期待を裏切らず。

 僅かに木々が揺れて、同時に優しい、あの風が吹く音と共に。

 

「……久しぶりね」

「…………」

 

 少女が、いた。

 まるで瞬間移動でもしたように、少女は突然、目の前に降り立っている。

 そういう能力なのだろうか?幽々子はこの摩訶不思議な動きに、親しみの笑みを浮かべる。

 以前、その動きの絡繰りを聞いてみたいと思って以来、こうして寝たきりになっていたから、結局聞き出す機会がなかったのだ。

 

「……身体は?」

「大丈夫よ、もうすっかり元気」

 

 なんて分かりやすい嘘なのか。

 幽々子はこれで、相手が簡単に騙されてくれるとは思っていない。

 だけど、これ以上心配しないで。と、そう暗に告げているのだ。

 少女の方も、幽々子のそんな意思を察したのだろう。

 会話をそこで終わらせ、それ以上は追及してこなかった。

 これでいい。

 今日は、こうして久しぶりに相対できたのだ。

 こんな時くらい、相手を心配しての会話なんてしたくない。

 幽々子は近くに寄ってきた少女の、髪に引っ付いていた葉を取り除く。

 

「もう、また付いてる」

「……ん」

「何が『ん』なのよ。あぁここにも……」

「んっ……」

「もう……」

 

 何も言わずに。

 それどころか、頭をこちらにぐりぐりと押し付けてくる。

 もう片方の手でそれを牽制しつつ、幽々子はそのまま、髪に付いた残りの葉を取っていく。

 

 ――初対面の頃と比べて、随分心を開いてくれたなぁ。

 

 と、幽々子は少し、ここまで至らせた自分が誇らしくなった。

 今もこうして、自分に触れられても嫌がることなく、むしろ頬を綻ばせる少女。

 かつて、その身体についていた傷。

 妖怪に嬲られ、剥がされた皮や肉は既に完治していて。

 傷跡すら残っていない、少女らしい柔らかく滑らかな肉に、元通りになっていた。

 と、その時。

 

「ねぇ、幽々子」

 

 初めて出会った頃とは逆に。

 今度は幽々子からではなく、少女の方が、幽々子の手を優しく握った。

 初めて出会った時の。何も映していなかった、あの真っ黒な瞳ではない。

 雲間から陽が覗く。そんな淡く美しい赤眼で。

 

「海。行きたいって前に言ってたでしょう?」

「……うん」

「なら丁度いいわ。今から行きましょうよ」

 

 何でもないように、少女は言う。

 

「直ぐに戻れば問題ないわ。それに万が一バレたとしても、いい機会だし自己紹介しなくちゃね」

「でも……」

「連れ出してあげるって言ったでしょう?今がその時よ」

 

 ――あぁ、彼女は知らないのか。

 むんっ、と。小さな胸を反らせて笑うその顔に、一抹の不安などない。

 どういう理屈か、『死に誘う』力にも屈しない彼女には、きっと。

 今の桜の木がどのような()()を起こしているのか。

 今の幽々子を守る、部屋の魔除けの札の気配も。

 分からないからこそ、こうして自分を見てくれる。

 微笑み。

 

「……うん」

 

 『最後』くらい。

 せめて一度は、そう願って諦めた夢を、叶えてみたい。

 幽々子はそっと、少女に気づかれないよう、手を動かし。

 部屋を守る結界の要である札を、背後に手繰り寄せてから。

 ――それを、解除した。

 

「私を、海に連れて行って」

 

 その言葉を聞いて。

 少女は一層、大きくその目を見開いて。

 それから、幽々子を抱き上げた。

 

「わっ……」

 

 慣れない体勢に困惑する幽々子とは逆に。

 

「いいわ、私が守ってあげる」

 

 ()()のような髪を靡かせて。

 少女は本当に、楽しそうに笑っていた。




 ――違和感。

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