【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい 作:洩矢廻戦
古来よりこの大陸には、木々に宿る妖怪に『木霊』というのがある。
幽々子の考察。
それは、あの桜の木には、何かの拍子にその『木霊』が宿ったことで、桜の木が
実際、あの桜の木から感じる気配は。
それは一部の
あれは、元来の妖怪が持つ神秘、妖力なのだから――。
だが、疑問。
所詮、ただの『木霊』に、こうも多くの人を『死に誘う』力があるのか?
これ程強い力を秘めていて、実体化も何もせず、何故桜の木に宿るだけで済んでいるのか。
幽々子はまだ、それの答えに辿り着けていない。
――答えは、実体化しないのではなく、
身体を失い、信仰を失い。『虚無』の世界で生き続ける、
彼は今も、呪いを"共振"させるだけの、意志なき災害として、今も――。
人によって生まれ、そして人に殺された『■■■信仰』。
財ではなく、人の意思を捨てさせる異能。
命を喰らい、魂を貪り。
また、桜の花が一つ成長を遂げる――。
――三分咲き。
人を誘惑し、魂を啜る、まだ
そこに、ぽつり、ぽつりと。蕾から花が咲いていた。
あの、死を誘惑する妖しい桜の木が。
着実に、成長を続けて、大きく――。
「…………」
どうして。
ふと、庭に目を向けた途端、その信じられない光景を目にし、背筋に冷たいものが走る幽々子。
しかし、そんなことは露知らず、楽しそうに食事を続ける『隙間』の少女は、それに気づかない。
幽々子は喉をごくりと鳴らし、言い表せない悪寒に身を震わせた。
――どうして、この瞬間に……?
まるで、こちらを恐れさせるかのような挙動。
音もなく、気配も、主張をするわけでもなく、静かに佇み、相手が気づくまで不動。
低級の妖怪とは比べ物にならない、底なしの悪意すら。
こちらを嘲笑うような、そんな知能を持っているようではないか――。
――どうして、今になって。
まるでこの機を見計らったかのように。
何故、あれは成長を始めたのか――。
幽々子が少女と会話を交わし、視線を外したのはたった数十分。
それまで、あの桜の木は当然、一つも花開くことなく、全てが蕾でしかなかったというのに。
早すぎる成長、いやむしろ、成長を
本来、植物が必要とする時の流れによるものではなく。
景色が切り替わるかのように、
(分からない事だらけね……)
肌に突き刺さる、妖力への嫌悪感。
人間の恐れから生まれた存在。それが放つ力を浴び続ける事は、人体に少なくない悪影響を与える。
実際幽々子は今、桜の木が成長したと認識した途端。今までの倍以上の不快感を、身体が覚えたのを感じた。
桜の木が放つ死の誘惑。それは幽々子の予想通り、成長前と比べ、一段階上のものになっていた。
――死の、誘惑。
「………………」
もしやと思い。
幽々子は勘付かれないよう、食事に夢中な少女の顔を見た。
脳裏に過ぎる、かつて父が狂った瞬間に、胸を痛めて。
しかし。
「…………♪」
少女は何でもないようだった。
一見すると、そこに不快感は浮かんでいない。
それでも、幽々子は不安を拭い切れなかった。
もしかしたら自分と同じように、不快感や違和感を覚えつつ、相手に心配させないよう、顔に出さないようにしている可能性だってある。
この短い付き合いで、幽々子はこの少女が、そういった気遣いがちゃんとできる、優しい子というのは分かっていた。
死を誘う力。それがもしも成長し、彼女にも被害が及ぶとしたら――。
今は大丈夫でも、これ以上成長が進めば――。
「ん?何よ?」
「……いえ、何も」
「そう?ならいいけど」
顔を合わせ、じっと何かを探るような幽々子の視線に対し、少女は特に気にすることなく笑う。
幽々子としては、その変わらない反応に安心感を覚えると共に、その反応速度に唖然とする。
勘が鋭い。
いや、この場合は感覚が
(妖怪の中には、死にかけて神秘の核心を掴むのがいるとは聞いたけど……)
現に。三分咲きになる前の状態でも、ここには色々な『もの』がやって来た。
当然、目前の少女もその中の一つで。妖怪や人間、時には生まれたての、どこかの地方の産土神ですら、ここに『落ちて』くることがある。
勿論そのほとんどは、妖忌が斬り捨てるのだが。
そう、ここに『来る』者と、『落ちて』くる者は違う。
生と死の"境界"が曖昧になっている『『白玉楼』』。
それと同じく。『歌聖』の噂を聞き、ここを訪れる人間たちとは別の。
人妖問わぬ、"死"に近いものたちが集う混沌と化した、夢と現実の狭間。
まず、単純な命。
次に信仰による消滅や、心肺機能の停止。そして呪術的な、儀式による実質的な"死"をひっくるめた、命が曖昧になったもの。
それらの命を無差別に、まるで貪るように桜の木は誘惑を続ける。
『歌聖』の噂を聞いてやって来た者は、妖忌が門前で追い払っているおかげで、人間の被害こそ新たに発生していない。
が、それが妖怪となれば話は別。
あの時。
幽々子の目前に『落ちて』来た少女も。
肉体の瀕死。そして精神的な衰弱と、身体にまとわりつく低級妖怪たちの妖力反応から。
この『白玉楼』に招かれるには、充分過ぎる資格を持っていたのだ。
だからこそ、疑問に思う。
(死に誘う力。それがどうして、
そこが疑問だった。
幽々子自身、あの桜の木の持つ妖力とは別に。死の誘惑を防げている理由はいくつか考えた。
直接的ではないとはいえ、自分には"死"に分類される『死霊を操る程度の能力』があるから、あれの誘惑を耐えられているのか?
それとも、あの桜の木自体は、生まれた時からそこにあった為。
そこに後付けでとはいえ、『木霊』が宿っただけに過ぎないから、自分には『■■■』ではなく、あの桜の木そのものへの『耐性』があったのか。
どれもがあり得る話で、そして同時に、確証を抱けないものにしか過ぎず。
ならば――、と。
「……っ、ゴホッ――」
突然、幽々子は喉に強い不快感を覚えた。
喉に埃が張り付いた時のような、制御できない身体の反射。
最初こそ、心配そうに『大丈夫?』と、少女に問われて、それにすぐ返事をするつもりだったのに。
「ゲホッ!ご、っが…………!」
――止まらない。
言葉を紡ぐ基本の、息を吸う行動すらままならない。
息を吐いて、吐いて。喉が勝手に咳を繰り返し続ける。
まともに唾液も飲み込めない。
今度こそ息を吸おうとして、結局できずにまた息を吐き。
結果、咳のし過ぎで乾いた喉を、更に咳で乾かすことで、喉の痛みは段々と強くなるばかり。
「ッ、ぐ……!?」
トロリと、生暖かい鉄の味がした。
一度それを許してしまえば、まるでせき止めていた川の水のように、一気にそれが口から零れる。
忘れていた不快感、嫌悪感が、今になって襲い掛かってきた。
血。
咳のし過ぎで傷んだ喉に、血のえぐみが染み込んでいく。
――どうして。
――なんで今になって。
自分の身体の事なのに。
己の意思に反逆するかのように、突然。
こんなにも、自分の身体は弱かったのだろうか?
幽々子は脳に浮遊感を覚えたような、危険な感覚に身を任せ――。
「――幽々子!!」
意識を失う直前。
自分の名を叫んで、焦りながら駆け出す少女の姿が見えた。
大丈夫――なんて。
それすらも言えない自分の弱さが、憎くて仕方なかった。
しばらく、自分の目が覚めているという事実にすら気づけなかった。
目の前の景色。それこそ『飽きる』なんて感情を抱く必要性すらない程に、ずっと見てきた天井。
寝ている。そしてここが、自室であるという現実を、今になってようやく。
その一連はまるで、水が染み込むようだった。
――朧げな意識。
何より、しっかりと目は開いているというのに、視界に映る情報を、脳が処理するのに時間がかかる。
身体と意識が釣り合っていない。
いやむしろ、この場合は身体の方が遅れているようで――。
「幽々子様」
まず声が聞こえて。
次に幽々子は、目前にある天井をもう一度見る。
そこには枝葉もなく、切り落として加工された木があった。手の込んだ職人と、素材で作られたものという、今まで気に留めることもなかった当たり前を意識して。
そうしてようやく、幽々子は自分が仰向けに倒れていて。
そして、以前よりも力が入らない、弱った自分の身体を認識した。
「妖忌……?」
「申し訳ございません。私が居らぬ間に、まさか……」
「あなたのせいじゃないわ。謝らないで」
「しかし……」
幽々子がそう言っても、妖忌は自分を責める姿勢を崩さない。
妖忌の頑固さは勿論、父への恩がきっかけとはいえ、父を介さずに、しっかりと『幽々子』本人を見て、そして誓った忠誠心。
それは本物で、だからこそ彼は、決して外せない『用事』があったとはいえ、主の危機に何もできなかった事が悔しくて仕方ない。
従者として、その感情は仕方がないし、いくら幽々子が気にしないと、心配するなと口にしても、彼は一生この出来事を背負って生きて行くだろう。
どうしたものか。そう幽々子が頭を悩ませている時だった。
「血の処理も、この茣蓙も。何から何まで幽々子様がしたのでしょう?」
「え?……っ、えぇ」
平静は装えただろう。
向こうから見れば、自分は病み上がりの人間だから、仮に言葉に詰まったとしても、そういうものだと受け入れるだろう。
誤魔化しの肯定。だがその次には、幽々子は彼が言わんとする事と、それの真実に辿り着く。
妖忌が口にした言葉が、今この場において何を意味するのか。
先ほどは一瞬、それが分からなかった幽々子だったが、それの答えは、よく考える必要はなく。
何故なら、それの答えは目の前どころか、自分の身体の周りにあったから。
血を吐いて汚れた筈の、自分の身体。
それが、今では新しい服に着替えられていて。
身体の方も、濡らした布で拭いたのか、しっとりと僅かに濡れている。
何より。この乱雑に敷かれた茣蓙だ。
そこに自分が眠っている事実。これだけで、自分が一体誰に助けられたのか。
誰が尽くしてくれたのか、それの答えに辿り着いた。
「…?幽々子様……?」
「ううん。なんでもない」
――きっと、
妖忌なら、茣蓙をこんな雑に敷いたりしない。
彼ならもっと、几帳面に作業をするだろうし。
彼ならきっと、茣蓙よりも優れた、ふわふわの毛布を持ってくるだろう。
何より、服の選択も彼らしくない。
今、幽々子が着ている服は、一回り以上、身の丈にあっていないのだ。
それは直垂にも似た、真っ白な就寝用の衣服。
勿論、幽々子はたった今目覚めたばかりなので、これを自分で選んで着た訳ではない。
それに妖忌なら、自分の身体に合う衣服がどれかを熟知している為、大きさを間違うなんて初歩的な間違いはしない。
となれば、やはりここでも答えは限られている。
「ねぇ、妖忌」
どこにもいない、感じ取れない少女の気配。
妖忌ですら、彼女の事が察知できなかったのだ。
ただの一般人、それも妖力に当てられる程度の自分には、彼女を追いかける事など叶わない。
「あの木は、どうなってるの?」
「…………」
ほんの少しの寂しさを飲み込んで。
幽々子は桜の木を。――まだ名前のない、
あれから、自分は一体どれ程眠っていたのか。
数時間?それとも一日?
だとしても――。
「分かりませぬ。私にも」
「…………そうよね」
「しかし分かるのは、以前より遥かに、『生と死が曖昧になったもの』がここに迷い込むようになった事。先ほども……」
「……そう」
――もう、終わりが近い。
何の終わりか、それを改めて意識する事が怖く、幽々子は無意識のうちに、身体を震わせる。
だが、どれだけ目を背けようとも。
間違いなく『終わり』が近づいてきている事実、それは覆しようがない。
それは、いつか訪れる未来ではなく。
既に、目前に迫る現実なのだと――。
「また、成長したのね」
――
幽々子の眼に映るそれが、決して逃げるなと、逃がさないぞと訴えるように、禍々しく桃色に輝いていた。
意識を失う前より、更に多くの蕾が花に成長し。
そこから放たれる妖力も、以前の倍に。
よく見れば、幽々子を守るような形で、部屋の隅々に置かれた札が、それと対抗するように、強く黄色い光を放っているのが見えた。
「簡易的な結界です。これでしばらくは持つかと思いますが……」
「……ありがとう。妖忌」
幽々子の言葉に、妖忌は厳しい顔のまま。
「いえ、この程度」
と、それだけ返した。
本当に、妖忌にとっては『この程度』なのだろう。
水を斬り、次は光を斬ってみせますと豪語する彼が、主からの感謝の言葉に、少しも喜色を浮かべていない。
人間。それも、道具さえあれば、幼子でも使える魔除けの結界でしか、妖力に侵される主を守れない。
これが仮に、彼の人生そのものである『剣術』であるのなら、一時しのぎであろうとも、鍛えた技で主を守れたのだと。そういった誇りになる筈だ。
だが、今の主を守っているのは、ただの児戯。
鍛え、磨いた技が何も役に立たない。
それがどれだけ、妖忌の自尊心を傷つけているか。
幽々子には、想像に難くない。
「ねぇ、妖忌」
「はい」
「ありがとう。本当に」
きっと、彼の心の奥底には届かない。
他ならぬ、自責の念を胸中で燻らせ続ける彼が、それを是とする事を拒否しようとも。
それでも、言葉にしないと伝わらない。
幽々子は真っすぐに、妖忌を見据えて。
「私、あなたに会えて良かったと思ってるわ」
心からの言葉。
嘘偽りのない本心を吐露して、そう笑う。
だが、予想とは裏腹に。
妖忌は最初、訝し気に眉を顰めてから。
「……それは、別れの挨拶ですか?」
思わず、といった形で聞き返して来た。
予想を裏切るその反応に、幽々子も思わず、表情を固めたまま、無言で数秒フリーズして。
ぷっ、と吹きだす。
「もう、妖忌ったら意地悪」
「実際、その言葉はまだ早いでしょう?」
「だとしてもよ、風情がないわねぇ」
――それからは、目を逸らす。
幽々子自身、自分の身が後どれだけ
部屋に張った結界を貫通し、浄化し切れない妖力が、身体に溜まっていく感覚から、朧げに理解できた。
自分でも分かるのだ。自分より遥かに感覚に優れた妖忌が、それに気づかない筈がない。
――強がり。
口調こそ、まるで普段の彼そのものだったが。
その視線に込められた、悲しみの色だけは、誤魔化し切れていなかった。
彼らしくない。
普段の彼なら考えられない有り様。
――
「…………一度くらい」
そこまで言って、止める。
幸いにも、妖忌にそれが聞かれることはなく、幽々子は安心して、庭に視線を戻す。
見慣れた地面。
見飽きた空。
その中で、唯一見たことがないもの――。
桜の木が五分咲きになってから。
幽々子の身体は、以前より更に悪化の道を辿った。
何度も、何度も妖力に当てられて、結果として熱を出して。
それが上がっては、下がってを繰り返して。
時折、様子を見に来た妖忌の気配と、心配そうな声を耳にするだけの日々。
以前のように、縁側に座って茶を嗜む。そんな簡単な暇つぶしもできなくなった。
茶を飲んだ回数より、煎じた薬草を飲んだ回数の方が多くなった。
食欲もなく、当てられた妖力による苦痛で、まともに寝る事も出来ない日々。
痛み、苦しみを繰り返す日の繰り返し。
だがその中に。
唯一、優しい風が吹く日があった。
時折、妖忌が様子を見に来るよりも先に、幽々子が目を覚ます時。
その時、枕元に見たことがない程に綺麗な、美味しそうな桃が置いてあるのだ。
神聖さすら感じられる、そんな美しい桃。
勿論、こんなものを自分に用意してくれる存在といえば、あの少女しかいない。
だから幽々子は、律義に桃の隣に置かれていた箸を使い、予め切られていたその桃を、妖忌がやって来るよりも早く食べるのだ。
そうして、箸を皿の上に置き、もう一度眠って、襖に背を向ける。
すると、風が吹く。
音はなく、ゆっくりと耳を撫でるような、そんな優しい風。
誰かが来た――。それが一体何者かなど、語るに落ちるというものだ。
このまま振り返っても、きっと
だけど、こうして互いに干渉しない秘密の関係。
それが面白くて、幽々子は小さな声で、その優しい風に言葉を投げかける。
『ありがとう』
『…………』
小さく、安堵の音が聞こえて。
そうしてまた、風が一つ吹くと同時に、彼女は去っていく。
どういう理屈か。そうして彼女が去った次の瞬間に、別の襖から、妖忌がこちらの様子を気にしてやって来るのだ。
いつか、彼にも紹介するべきだろうか。
それとも、もうしばらくは、この秘密の友人関係を続けてみようか。
この時に限って。
幽々子は近い未来に訪れる『現実』を忘れて、子供らしく笑えたのだった。
そんな、苦痛の時が過ぎるのは早い。
いつしか、身体の倦怠感は当然、息をする度に感じる痛みや、妖力への嫌悪感に『慣れ』が生じた頃。
普段妖忌が様子を見に来る時間より、数十分早く目が覚めた幽々子は、庭に視線を向けていた。
見ているのは、桜の木ではなく、その向こう。
こうして、ちゃんと目を覚ますのはいつ以来だろうか。
また、彼女と話せるだろうか?
そんな淡い期待を抱いたまま、幽々子は今来るかどうかも分からない、あの少女を待つ。
フッ――、と。
幽々子の期待を裏切らず。
僅かに木々が揺れて、同時に優しい、あの風が吹く音と共に。
「……久しぶりね」
「…………」
少女が、いた。
まるで瞬間移動でもしたように、少女は突然、目の前に降り立っている。
そういう能力なのだろうか?幽々子はこの摩訶不思議な動きに、親しみの笑みを浮かべる。
以前、その動きの絡繰りを聞いてみたいと思って以来、こうして寝たきりになっていたから、結局聞き出す機会がなかったのだ。
「……身体は?」
「大丈夫よ、もうすっかり元気」
なんて分かりやすい嘘なのか。
幽々子はこれで、相手が簡単に騙されてくれるとは思っていない。
だけど、これ以上心配しないで。と、そう暗に告げているのだ。
少女の方も、幽々子のそんな意思を察したのだろう。
会話をそこで終わらせ、それ以上は追及してこなかった。
これでいい。
今日は、こうして久しぶりに相対できたのだ。
こんな時くらい、相手を心配しての会話なんてしたくない。
幽々子は近くに寄ってきた少女の、髪に引っ付いていた葉を取り除く。
「もう、また付いてる」
「……ん」
「何が『ん』なのよ。あぁここにも……」
「んっ……」
「もう……」
何も言わずに。
それどころか、頭をこちらにぐりぐりと押し付けてくる。
もう片方の手でそれを牽制しつつ、幽々子はそのまま、髪に付いた残りの葉を取っていく。
――初対面の頃と比べて、随分心を開いてくれたなぁ。
と、幽々子は少し、ここまで至らせた自分が誇らしくなった。
今もこうして、自分に触れられても嫌がることなく、むしろ頬を綻ばせる少女。
かつて、その身体についていた傷。
妖怪に嬲られ、剥がされた皮や肉は既に完治していて。
傷跡すら残っていない、少女らしい柔らかく滑らかな肉に、元通りになっていた。
と、その時。
「ねぇ、幽々子」
初めて出会った頃とは逆に。
今度は幽々子からではなく、少女の方が、幽々子の手を優しく握った。
初めて出会った時の。何も映していなかった、あの真っ黒な瞳ではない。
雲間から陽が覗く。そんな淡く美しい赤眼で。
「海。行きたいって前に言ってたでしょう?」
「……うん」
「なら丁度いいわ。今から行きましょうよ」
何でもないように、少女は言う。
「直ぐに戻れば問題ないわ。それに万が一バレたとしても、いい機会だし自己紹介しなくちゃね」
「でも……」
「連れ出してあげるって言ったでしょう?今がその時よ」
――あぁ、彼女は知らないのか。
むんっ、と。小さな胸を反らせて笑うその顔に、一抹の不安などない。
どういう理屈か、『死に誘う』力にも屈しない彼女には、きっと。
今の桜の木がどのような
今の幽々子を守る、部屋の魔除けの札の気配も。
分からないからこそ、こうして自分を見てくれる。
微笑み。
「……うん」
『最後』くらい。
せめて一度は、そう願って諦めた夢を、叶えてみたい。
幽々子はそっと、少女に気づかれないよう、手を動かし。
部屋を守る結界の要である札を、背後に手繰り寄せてから。
――それを、解除した。
「私を、海に連れて行って」
その言葉を聞いて。
少女は一層、大きくその目を見開いて。
それから、幽々子を抱き上げた。
「わっ……」
慣れない体勢に困惑する幽々子とは逆に。
「いいわ、私が守ってあげる」
少女は本当に、楽しそうに笑っていた。
――違和感。
投稿時間は何時がいいか
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10:00~12:00
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13:00~15:00
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16:00~18:00
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