【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 (二次創作日間ランキング8位)
 ……マジか


134話.第一次月面戦争⑤義侠者

 何も聞こえない。

 妖怪と月人、両方が奏でる地響きに似た進軍の音はまるで、それ自体が幻聴の類であったかのように。

 悲鳴と怒号。間違いなく聞いていた筈のそれらは、耳に僅かな余韻すら残さずに、綺麗さっぱり消えていた。

 あの光景も、もしや幻覚だったのか。

 妖怪たちの最初だけの熱狂や、後に実力差を思い知り、泣き声を出しながら逃げる姿も。

 それが現実のものだったのか?と。

 自分でも、答えが分からなくなっていた。

 

「ここは……?」

 

 『亡霊』西行寺幽々子は、()()()()()()()()()にいた。

 眼前には、青紫の空が際限なく広がっている。

 雲はない。地上とは違って、月には天気という概念が存在しないことを紫から聞いた。

 実際、『スキマ』を潜ってここに到着した時、それが事実であると身をもって知ったからこそ、幽々子に新鮮な驚愕はなかった。

 しかしだ。

 今、目の前に広がるものに対しては違う。

 幽々子は、それに圧巻される他なかった。

 

 青紫色の空を映す『海』。

 ――そして、空に大きく真円の穴を開ける『青い星』。

 

 つい先ほどまで、自分たちがいた地上(地球)が目の前に。

 

「…………」

 

 綺麗。ではあるのだろう。

 幽々子は正直、一亡霊としてそれを言うのはどうなのだろうと、自分でも思う。

 人間が『普通』の生活では見れない光景。

 地上とは一線を画す技術と常識で形成された別世界。

 それに対して、どんな仕組みでそうなっているのかとか。見えない所では何がどうなっているのかとか。『普通』ではない幽々子が言う資格は、きっとない。

 だけど、そんな幽々子でも一つ、思えることがある。

 

 ここは、違う世界だ。

 

 目の前の海からは、生き物の気配がない。

 似ているものとして、亡霊で溢れかえる白玉楼の池があげられるが、人の手が入った『池』と『海』が比べられている時点で、どこかがおかしいのは火を見るよりも明らかだ。

 何もない。

 地上では、大地に並ぶ命の生みの親である海。それが月では――こんなにも冷たいものなのか。

 

「紫の気配は……」

 

 ない。

 視線を遮る障害物なんてないのに。

 右も、左も、どこを見渡しても何もない。

 白一面の大地は、白一面の砂地に変わっているだけで、変わらず命の温かみを感じさせない、無機質な在り方だった。

 既に命を落とし、『生者』から『死者』になった幽々子でも、この月の冷たさは嫌いだった。

 むしろ、死んで記憶も失って。だからこそ、生きたものに対する憧憬が湧くのだろう。

 さらさら、と。足が砂と触れ合う音が一つ。

 

「どうして私だけ……」

 

 ここに。と、その思考は遮られる。

 さら、さら。

 幽々子の歩みとは別に――新たに聞こえる誰かの足音。

 第三者。

 

 

 

 

『月人に見つからないように――でしょ』

 

 

 

 

 一体どうして、戦が始まる前のその言葉を思い出したのか。

 足音が止まり、その『何者か』は停止する。

 言葉を思い出した理由が、一瞬で分かってしまう。

 ゆっくりと、幽々子は振り返る。

 

「――ぁ」

 

 そこには――。

 

 

 

 


 

 

 

 

 チンッ、という小さな金属音が一つ聞こえた時。

 藍の頬には、赤い一筋の傷が刻まれた。

 

「ッ――、……!?」

 

 本能的な震えだった。

 刀を手にして、相対する『人間』を前に。八雲藍は間違いなく震えた。

 八雲紫の『式』として、彼女の謀略の補佐に徹底するよりも前。一匹の『妖獣』として、かつて畜生界に身を置いた時期。

 それよりも、もっと前の――妖の残留思念、記憶の遺伝とも呼ぶべきものが、叫ぶ。

 依姫の両目は、まるで盲目のそれに等しく。瞳に光が宿っていなかった。

 焦点があっていない。こちらを見ているのに、見えていないような有り様。

 既に刀を鞘に収めた、猫背の姿勢。

 ――『異質』。

 

「まさか、これは……!」

 

 藍は目の前を見る。

 のろのろとした動きだった。

 まるで骨も関節もない、軟体動物のように不気味なその動きで、ゆっくりと依姫はこちらに近づく。

 そこに、先ほどまでの『疾駆』は宿っていない。

 まるでそれは――『人形』のようであり、人の意思を感じられない気配を醸し出していた。

 

最早己礼天"

 

 左手を鞘に、右手を柄に。

 依姫は今までの、憎悪も怒りもない『声』すらも出していなかった。

 半開きの口からは、まるで壊れた蓄音機のように意味のない言葉が延々と再生されている。

 意思の疎通など、もはや叶わないと見ていい。

 『意』よりも速い剣撃。

 神を下ろし、力を貸してもらうに過ぎぬ人間が。――辿り着いた無念無想。

 

 ……、動く。

 

 紫との間にある『境界』を操作し、自分でも使えるようになった読心能力。

 それによる運動準備電位を感知した時にはもう。――依姫は行動を終えていた。

 

 ――動く。

 

 抜刀。

 銀色の刀身が、鞘の内で加速して。

 一気に――。

 

「ッ――、がッ!?」

 

 次の瞬間、まるで巨大な刃物を思いっ切り、水平に振り回したかのように藍の頭上の空気が断絶される。

 驚愕。焦りに意識が凍る時間すら、今のこの『脅威』を前にしては致命的。

 ――背筋に冷たいものが走るのが分かる。

 ――標的を見据え、次の動作を予測しろ。

 湧き立つ、相反する二つの感情を並列処理しながら、藍は背後へ一歩、大きく跳び上がった。

 今、自分の首はおろか、耳が斬られることすらなかったのは、ただひとえに運が良かったから。

 一匹の妖獣としての、敬愛する主の式としてのプライドが。本来であれば決して認めぬその可能性を、無意識の内に肯定してしまう。

 依姫は動かない。

 プツンと、まるで電源が落ちた機械のように。

 刀を振った後の姿勢のまま、固まって動かない。

 それが、余計に不気味だった。

 

「……、無我の境地だと――!?」

 

 その力を、藍は知っている。

 地上に蔓延る仙人でさえ。

 そして、天界で安寧を貪る天人でも至れなかった――『人間』としての到達点。

 『武』の道を選び。そしてその到達点を知ってしまえば、誰もがそれに憧れ、そこに行き着きたくなるものだ。

 だがそう思ってしまった時点で、その者は永遠に到達点には届かない。

 誰もが目指し、しかし目指すが故に届かないという絶望的な矛盾の力。それこそが無我の境地であり、無念無想の頂。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 『武』と対極の位置にある『舞』。

 特に肉体の運動と密接的な関係のある『剣舞』で、そこに至る芸者は少なくとも存在した。

 だがその中に、『()()()()()()()()()()()()

 今この瞬間までは。

 

「…………」

 

 依姫は強い。

 あの剣術には、長く積み上げてきた努力があった。

 剣技の一つ一つには、彼女の強くなるための向上心、それらがしっかりと込められていた。

 ()()()()()

 藍の知る限り、地上には依姫に並ぶ剣術を持ったものはいないと断言できる。

 かの白玉楼の半人半霊ですら、彼女の実力の半分にも届かないだろう。

 だというのに。肝心の依姫はこれ程の剣術を修めても尚――()()()()()()()()()()()()()()()()と、そう思っている。

 底なしの欲望、強さへの渇望。

 だがそこに淀みはない。どこまでも純粋に――『人間』が持つ美しい理念の体現。

 

成程、己礼波面倒太"

 

 距離を離した藍に向かうことなく、依姫は穢れに向かって飛んだ。

 『伊豆能売』を宿した刀が、ランダムに形成された『スキマ』から出てくる弾幕を打ち消していく。

 まるでこちらの事など眼中にないように。

 依姫は神速の居合を、ただ穢れにだけ向けていた。

 藍は、そんな依姫の姿を見てほんの僅かに目を細めた。

 三つ、四つとあった穢れの弾幕はたったの三秒で浄化され。

 そうしてやっと、依姫はもう一度藍の方に顔を向けて、刀を動かす。

 また――。

 

「…………」

 

 肉を引き裂く音。

 藍の右腕、前腕から手の甲にかけて切り傷が新たに刻まれた。

 

「………………」

 

 だが、()()()()()

 一度こちらへの迎撃を辞めて、見切る為の『猶予』を与えた時点で、依姫から有利は消えていた。

 藍はもう一度、だが先ほどよりも更に足に力を込めて跳躍。

 空中に形成された『スキマ』に足を乗せ、依姫を見下ろした。

 

…………

 

 やはり、依姫は動かない。

 いや、正確には()()()()

 それを見て、藍は確信する。

 

「月人がそれに至ったのは驚きだが……」

 

 依姫は無言で俯いている。

 再び機能を停止した機械のように、一ミリも動かない。

 右手を振るい、主から貸し出された権能の一つである、簡易的な『スキマ』を新たに形成。

 そこから、この戦いの為に用意していた穢れの弾幕を放出する。

 しかし、藍は動かずに観察に徹した。

 当然、それの目的は一つだ。

 

……――

 

 二メートル先の、穢れの気配を感知。

 ピクリと、俯いていた依姫の肩が震えた。

 それを確認して、藍はすぐに『スキマ』から飛び、依姫の直線に重なるように降り立った。

 穢れよりも藍が近い。つまり依姫は現在、穢れを優先しなくとも、藍に向かって斬りかかることができる絶好の機会。

 

 本来であれば、先ほどの展開の焼き直し。

 だが、藍にはある確信があった。

 

 再び、手に持つ刀がゆらりと動いて。依姫の姿勢が低く。

 次の変化は――。

 

「――やはり、な」

 

 藍は――斬られなかった。

 依姫の標的、そしてたった今斬られたものは、まだ地面に落ちる前の、穢れの弾幕。

 腰を低く、溜めの動作と共に上空に向かって跳躍し、依姫は一瞬のうちに、三つの太刀筋で穢れを祓う。

 最も近くにいた筈の藍ではない。

 罠のつもりはない。

 この時藍は間違いなく、自分に向かって斬りかかるチャンスを依姫に与えた。

 だが、結果はこれだ。

 依姫は、まだ――。

 

使()()()()()()()()のか」

 

 極めれば、常に進化を続ける肉体の反射。

 より強く、より速く運動の適応を進める無念無想。

 それの最も強力な利点でもあり――同時に、決定的な弱点が露見する。

 

『紫様、聞こえますか』

 

 再び、『スキマ』の中に潜んで藍は問う。

 

『聞こえてるわよ。それで、やっぱりあれが弱点?』

『あの月人は現在、私たちにではなく、穢れに対し自動的に襲い掛かる状態です。攻撃対象の優先度を定められていない点を見ると、やはりまだ使いこなせていないのだと』

『まぁ、あれに辿り着けてる時点で理不尽もいい所だけど。……それで、勝機は?』

『充分です』

 

 藍は力強く。

 

『今までの素直すぎる動きからして、今の彼女は「妨害」や「拘束」には対処できないでしょう。ですがそれも時間の問題……いつそれを克服するか分かりません。だから今、彼女が成長するより前の一瞬で決める』

『……藍、できるわよね?』

『当然。それに紫様も、もうとっくに限界でしょう?』

『…………』

 

 既に、『スキマ』を維持し続けて五分以上過ぎている。

 依姫の口ぶりからして、彼女の片割れによる紫への干渉は今も続いていると見ていい。

 そんな中、約二〇もの『スキマ』を維持しつつ、更にこうして、藍を含めた二人が入れるだけの大きさを別に確保。

 そして、対依姫用の穢れの弾幕を逐次落とし続けている重労働だ。

 ――とっくに、紫は限界を超えていた。

 本人は隠し通せているつもりだったのだろうが、式である藍にはお見通しだった。

 笑って。

 

『一時的に、「スキマ」の発動権限を貸してください。……同時に行きます』

『――分かったわ。それじゃあ……』

 

 ブンッ――。と、まるで張り詰めた糸が千切れたかのように。

 スキマ空間は『閉じる』のではなく、『壊れた』ように解除された。

 やはり、とっくに限界だったのだろう。

 式としての繋がりがある藍ですら、今やっと理解できる程、紫は内心を隠し通すのが上手かった。

 紫の承諾の言葉と同時、流れ込んでくる『スキマ』に関する情報の全て。

 そこに交じった、紫の想像を絶する現状。それこそ脳の神経が焼き切れそうになる程の、圧倒的な情報の嵐。

 それでも、藍は耐えた。

 脳を焼かれるに等しい苦痛を耐え、敬愛する主と同レベルの『スキマ』を形成して、依姫の前に姿を現す。

 地面に足が着く。

 ――よりも早く。目の前に一〇個もの、穢れの弾幕を用意して。

 依姫の行動を、()()

 

――

 

 チャキ、再び空気が断絶される予兆の音が響く。

 そして藍の予測通りに、依姫は濁音を口から垂れ流しながら、藍と紫にではなく、穢れに斬りかかろうと動く。

 全てが思い通り。

 藍は地面に足が着く前に――また『スキマ』を形成し、再び姿を異空間に隠す。

 依姫が刀を振り、『伊豆能売』の力で穢れが祓われるその瞬間。

 どんな剣の達人でも例外なく陥る弱点。

 刀を振った後の隙を狙うために。

 再び、上空から姿を見せた藍は。

 落下の勢いに任せて腕を振るう。

 かつて、『藍』という妖獣が畜生界で名を馳せた力。

 鋭く、あらゆるものを、そして人間を穿ち、裂いた純粋無垢な力である――爪。

 

 それが、依姫の右目から肝臓に向かって走る一直線の傷を与えた。

 

 吹き出す鮮血が藍の身体を汚す。

 唇に付着したそれを、まるで食事を味わうようにねろりと舐めて、藍は笑った。

 対して。

 

「…………――」

 

 依姫はやはり、表情を一つも動かすことなかった。

 次の動きは、壊れた右半身ではなく、まだ使える左半身に全てを託すこと。

 依姫は、再び刀を振るおうと千切れかけの右肩を動かし、左手に向かって刀を――。

 

(これで終わりだ)

 

 ()()()()()、止めた。

 藍は決して、それを見逃さない。

 今の依姫は深いトランス状態で、藍は例え腕の一つや二つがなくなろうと、依姫はそう簡単には戻れないと睨んだ。

 それは正解で、藍が用意した次の策によって、依姫は全ての動きを止めたのだ。

 

 唯一、彼女が満足に動かせる左半身。

 左腕の前腕が、『スキマ』に飲まれて動けなくなっていた。

 

 当然、その原因は藍だ。

 先ほどの攻撃と同時に、藍は残る自由な左手を振るい、再び空隙に『スキマ』を形成した。

 

 自動化した剣術の動きは、『スキマ』による身体の固定に対応できない。

 結果、壊れかけの右腕ではなく、唯一使える左腕に刀を持ち変えようとする――依姫の行動を見事に戒めた。

 

 その硬直は決定的で、依姫は目に見える致命的な隙を晒した。

 依姫は俯いたまま、動けない。

 藍が動く。

 紫も、遅れて地面に降り立つ。

 王手をかける絶好の機会に、二人は動――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――やっと姿を見せたな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――けなかった。

 赤光すら放つかと錯覚する程の、恐ろしい()()で。

 依姫は、笑って言った。

 

「な――」

 

 ()()――それが分かった時には、もう遅い。

 ザンッ!という斬撃音。

 それと、ブチブチと肉が千切れる不快な音を同時に鳴らし。

 依姫は既に()()()()()

 

 『スキマ』に囚われていた左腕を、自ら切断。

 

 自由になった身体で地面を蹴り。

 紫に向かって駆け出した。

 

「っ不味、防――」

 

 右手を振るう。

 本能的に、紫は追撃ではなく防御としての『スキマ』を前方に展開する。

 恐れた。

 息を呑んだ。

 その気迫に怖気づいた。

 だから、自分で自分の視界を遮るその行動を、無意識に選んでしまった。

 

 依姫は、恐ろしい程に静かだった。

 

 自ら斬り捨てた左腕の切断面と、藍によって深く傷ついた肩と、決して壊れてはいけない内臓。

 それらから、噴水のように吹き出す鮮血の流れは、より一層大きくなる。

 それでも、依姫は動いた。

 楽しそうに。

 まるで、長く探し求めた宝をついに見つけた冒険家のように。

 自然と、口から『それ』が紡がれる。

 

「"龍智(りゅうち)"」

 

 その"祝詞"は、『伊豆能売』のものではない。

 自分でも、それが一体『何を』強化するものなのか、分からなかった。

 だけど、確信した。

 この力なら、()()

 機能を半分失い、出血でまともに見えない視界の中で。

 ――彼女は辿り着くべき『境界(せかい)』を見たのだ。

 

 『伊豆能売』の力を宿した刀。

 能力そのものが『非殺傷』であるが故の、不利状況の"縛り"と"祝詞"が――その『御業』を後押しする。

 

 本来、干渉できない筈の『スキマ』へ依姫は駆ける。

 自殺行為か、それともただの無意味な特攻か。

 一歩地面を蹴る度、鮮血の噴水は勢いを増して、宙に赤い線を引く。

 一歩、一歩と進む度に、依姫の肉体の寿命は縮まる。

 それでも、綿月依姫は止まらない。

 

「"末項(まっこう)"」

 

 『伊豆能売』以外の力を使えないのなら大丈夫。

 今の依姫に、『スキマ』を突破する手段はない。――その判断は、ある意味では正しい。

 

 だが、唯一の抜け道。

 

 重ねて言うが。『スキマ』による防御という紫の判断は、決して間違いではない。

 何故なら、同じような状況下、そして能力で『それ』ができる者は、かの洩矢神以外にはいないのだから。

 伊豆能売は、確かに穢れを祓う『非殺傷』の力に過ぎず、直接的な戦闘能力はないに等しいだろう。

 だが重要なのは。それが刀に宿り、依姫が振るっている時点で。

 その斬撃は、ただの斬撃ではないという事。

 ただ刀を振るう行動も――能力対象の下にあるという性質を、紫は見抜けなかった。

 つまりここから、ある一手を使った場合に限り。

 ――依姫は、()()()()()()()()()()

 

「"万夜(ばんや)双星(そうせい)"」

 

 『スキマ』による絶対的安心。それが張りぼてに過ぎないと気づいたのは、藍のみ。

 咄嗟に、彼女は自分の防御も、『スキマ』による恩恵と移動も完全に忘れて、本能に従うがままに駆け出し、紫の身体を突き飛ばした。

 次の瞬間。

 ――月の『最強』、綿月依姫が魅せる。

 

 

 

 

「――紫さ


 

 

 ()()()()()()()が。

 八雲藍の身体と、その周囲の穢れを両断した。

 

 


     ま……」

 

 

 

 

 数秒の沈黙の後。自分の身体は彼女に突き飛ばされたのだと、紫はようやく理解できた。

 どん、と。遥か遠い昔に経験した『痛み』をその苦い記憶が蘇るが、その余韻は一瞬で消え去る。

 目の前にあるもの。

 

「…………藍?」

 

 そこには、血だまりがあった。

 依姫の負傷による鮮血とは違い、しかし同じ色をした血だまり。

 赤。

 網膜に焼き付く、真っ赤なそれに沈む――従者の身体。

 

「ら、ん…………?」

 

 幻覚だと、そう思いたかった。

 何かの見間違いであると、そう己に言い聞かせたかった。

 

 だが、これは間違いなく『現実』であることを。

 上半身と下半身に分かれている、目に光がない従者の姿と。

 小さな、いつ消えてもおかしくない呼吸音が。──自分を守る為に、彼女が動いたという冷たい『現実』が押し寄せる。

 

 人間の体組織とほとんど変わらない、彼女の肉と骨の断面が見える。

 声が、震えた。

 

「ら、…………らん…?」

 

 まだ、僅かに息はある。

 だがそれは、あくまでも『まだ』に過ぎず、しかるべき処置を施さなければ、このまま死んでしまうことは明らか。

 早く、彼女との間にある『式』の繋がりを使って、治療をしないといけないのに。紫は動けなかった。

 目で見る以上のものを、本来知覚できる筈のものを()()()()()()

 主従契約による繋がり。それによる知覚が機能しない。藍の肉体や魂の状態が、以前のように鮮明に分からないのだ。

 それが意味する事は、一つ。

 藍の身体に刻まれていた式神術は、あの境界を断つ斬撃により、木っ端微塵に破壊されたということ。

 紫の声は、まだ震えていた。

 

「――『鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)』よ」

 

 だから。

 ――だからこそ、その怒りも憎悪もない『声』は、紫でも藍でもない。

 身体を震わせて、紫は自身の背後からかかったそれの――『スキマ』を切断した依姫の背中を見る。

 左腕を欠損し、更には右肩から走る深い裂傷――藍が残した『成果』による血が、地面を汚していた。

 藍が、最後に残した『意味』が――。

 

「私の肉体を(くさ)に変えろ」

 

 一矢報いる為に動くよりも先、依姫の言葉が鼓膜を叩く。

 今まで『伊豆能売』が見せていた白に近い色ではなく、緑の光に包まれて。

 再び、彼女は別の神の名を呼ぶ。

 

「――『木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)』よ」

 

 その名を呼んですぐ、紫の目に映る『残酷』の光景。

 自ら斬った左腕。

 失明した右目、裂かれた肩と、砕けた肝臓。

 それらの血が消えている。

 ――緑の光が消えた後、依姫の身体は()()()()()()()

 

「私の傷を(くさ)に灯せ」

 

 辺りを漂う光の残滓。

 それが、まるで桜の花びらが舞っているかのように見える程。

 小さく、綺麗な桃色の炎によって燃やされる。

 

 ――『疲労』と引き換えに『傷』を抽出する力。

 ――『傷』と引き換えに、あらゆる『疲労』を打ち消す力。

 

 それらが重ねられ、融合して顕現する新たな異能。

 

「言ったでしょう、地上の妖怪共」

 

 傷を(くさ)にして灯る再生の炎。

 この時、八雲紫と八雲藍が残した『傷』は。

 藍が残した『意味』は全て――『無意味』に戻る。

 

「ここからはもう。――あなた達は何もできないと」

 

 依姫は、あの時と変わらない。

 月の『最強』綿月依姫の声で、そう言った。




 世界を断つ斬撃(依姫ver)
"龍智(りゅうち)" "末項(まっこう)" "万夜(ばんや)双星(そうせい)"
縛りは『非殺傷系能力の神を下ろし、祝詞を詠唱して斬撃を実行する』こと。

 鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)
『痛みを草に変える程度の能力』(肉体の損傷を『草』として抽出し、『疲れ』と引き換えに一時的に無視する)。
欠損した部位も治せる破格の力だが、あくまでも傷は一時的に身体から抽出、無視しているだけでしばらくすると元の状態に戻るデメリットがある。
尚、依姫は木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)の力で抽出した『草』を燃やし、このデメリットを踏み倒すものとする。

 木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)
『疲弊を燃やす程度の能力』(肉体の疲労を『火』で燃やして癒す。ただし代償として肉体が傷つく)
肉体を焼かれる苦痛と傷を代償に、肉体と精神に重なる『疲れ』を打ち消す等価交換の力。
尚、依姫は焼かれる肉体を鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)の力で変換した痛みの『草』に変えることで、『火』による疲労のデメリットも全て踏み倒すものとする。


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