【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 私はチヒロと双城の戦いが一番好きです


146話.第一次月面戦争⑮神楽鉢

 まさに刹那。

 その時、神奈子の肩を目にも留まらぬ速度で『何か』が掠めた。

 

「――ッ!」

 

 不快な違和感。

 しかし、その微かな感触に反比例するかのように、神奈子の肩口は深く、削られたように抉れていた。

 自身の肩が消失したという事実を認識するよりも早く、神奈子は研ぎ澄まされた戦闘本能に従い、即座に反転術式を作動させる。

 莫大な神力を掛け合わせて生み出す治癒のエネルギーが体内を駆け巡り、一瞬で肉体を元通りに修復させた。

 

 だがその一瞬の間。

 

 神奈子の背後にすり抜けた青い雷光。

 それは、神奈子が治癒を完了させるとほぼ同時に。

 反転してその無防備な背中へ向かい、更なる領域――光速の壁へとその身を投げ出していた。

 

(もっと! もっと!)

 

 依姫は身体の至る所から悲鳴が上がるのを無視し、速度の果てを目指して肉体を加速させる。

 意識が、視界が、世界の時間が完全に引き延ばされ、止まって見えた。

 

(――光に追いつけ!!)

 

 放たれた雷光を纏った刃が弧を描き、神奈子の無防備な肉体へとぶつかる。

 ――だが。

 

(ッ、グぁ……ッ!?)

 

 刀の切っ先が神奈子の皮膚を捉える直前、依姫の身体全体を絶望的なまでの灼熱の痛みが襲いかかった。

 

 速度が光速へ近づけば近づくほど、そこにある空気はもはや気体ではなく、硬質な個体のように立ちはだかり、恐ろしいまでの圧縮熱を生み出す。

 どれほど『建御雷之男神』の雷光を身に宿し、『縛り』で強化しようとも。

 依姫自身が霊力によってどれだけ必死に肉体強化を施そうとも。

 依姫の肉体は、人の形を保ったまま光の速度に耐えられるようには作られていない。

 

 それは、生命としての、人としての絶対的な限界。

 

 この限界を無視して光速度の壁を突破しようとすることは。

 それ即ち、『穢れ』を忌避する月人として、決して超えてはいけない一線を超えるのと同じ。

 

(熱い、重い――)

 

 断末魔のような痛みが神経を灼く。

 刀を握りしめる依姫の腕が、摩擦と圧縮の超高熱によって焼き尽くされ、焦げて朽ち果てる寸前。

 限界を迎えた肉体が音を立てて崩壊しかけ――。

 

(だから何だ!!)

 

 依姫は迫り来る自壊を、月人としての禁忌を己の覚悟でねじ伏せた。

 焦げ付く腕に遺憾なく全魂を込め、光を超える一撃を、目前の神奈子の身体へ叩きつける。

 次の瞬間。

 

 ドゴォオオッ――――――!!!!

 

 幾重もの物理法則すら粉砕する激突。

 音を置き去りにし、その果てに生まれた理外のエネルギーは月面を激震させ、月の大地の『半分以上』を一瞬にして吹き飛ばす。

 文字通り、天地開闢』の凄まじい衝撃波が解き放たれた。

 

「…………」

 

 光速を超えた一撃がもたらした結末は、あまりにも凄惨な光景となって月の大地に刻まれた。

 視界の全てを呑み込む閃光と衝撃波が消え、あとに残されたのは、月面の半分以上が穿たれて生まれた途方もない巨大なクレーター。

 熱線と衝撃で焼き尽くされた大地からは、まるで立ち昇るような死の残滓が漂っている。

 

 その巨大なクレーターの中心。

 

 そこに立っていたのは、全身を血に染め、肉の削げ落ちた凄惨な姿の神奈子だった。

 今の依姫と同等、あるいはそれ以上に重傷と言える手負いの状態。

 そんな神奈子が、ただ静かにこちらを見つめている。

 

 たった一撃で、あの圧倒的な存在である神奈子をここまで追い詰めた。

 

 普通であれば、勝利を確信し狂喜すべき事実。

 だが、依姫は冷徹なまでに理解していた。それが所詮は命を賭して掴み取った、一つの『仮初の希望』に過ぎないという事を。

 

(やはりそう上手くはいきませんか)

 

 依姫が内心でそうごちる、まさにその目前で。

 神奈子の全身から溢れ出した莫大なエネルギーが、彼女の破壊された肉体を、骨を、肉を、あっという間に繋ぎ合わせ、何事もなかったかのように癒していく。

 どれほど霊力を絞り尽くそうと、依姫のような人間にできるのは『肉体強化』の延長でしかない。

 だがそれに対して、どれほどの絶望的な傷を負おうとも、反転術式によって瞬時に全てを白紙へと戻せるのが人外の神。

 

 圧倒的なまでの種族差。

 

 どれだけ絶大なダメージを与えようとも。

 息の根を止め、魂を砕かぬ限り、それだけの攻撃では意味をなさないという残酷な現実を、神奈子の完治した肉体が無言で告げていた。

 

「まったく……嫌になりますね」

 

 しかし、その言葉とは裏腹に、依姫の唇には笑みが浮かんでいた。

 『戦士』へと変わりつつある今の自分に満足しているわけではない。

 誰かを傷つけ、刃を交える戦いそのものが楽しいわけでもない。

 ただひたすらに――大切な誰かのために、愛する月の都のために戦うという『自分』の在り方に。依姫は今、途方もない幸せを感じていた。

 

「…………」

 

 完璧に傷を癒し終えた神奈子が、無言のまま真っ直ぐに依姫を見つめる。

 その眼光には、先ほどまでの余裕や軽薄さは一切ない。

 目の前の『戦士』を真の脅威と認め、確実な死を以て応える神の冷徹さだけが宿っていた。

 

 神奈子が、静かに右手を頭上へと掲げる。

 

 直後、真空の月面を激震させるほどの轟音が鳴り響き、宙から振り下ろされた落雷のごとき強烈な閃光が、神奈子の右手に収束していった。

 光が収まり、そこに現れたもの。

 それは神奈子自身にすら匹敵するほどの、底知れぬ莫大な神秘を解き放つ黄金の刀。

 

「……ッ、『天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)』……!」

 

 神話の時代より伝わる三種の神器が一角。

 その本物の名を、依姫は当然のように知っていた。

 神奈子がその黄金の剣を悠然と構える。

 そして、それを見た依姫はまた一層深く、晴れやかに笑みを深めた。

 

「……えぇ、そうですね」

 

 焼かれ焦げついた腕に血を滴らせながら、手にした刀を、寸分の狂いもなく同じ構えで掲げる。

 多くを話したい、話す事が多すぎるだろう。

 だが、今この場においては――。

 

「今、必要なのは言葉じゃない」

 

 神奈子は先ほどの光速の一撃で。

 依姫は、その光速に至る前のダメージで。

 両者とも、今しがたの戦闘でその肉体に傷痍と疲弊を重ねている。

 

 一方は肉体の治癒で消費したエネルギーの大きさ、そして光速に追いつく為の異能の実行。

 もう一方は、今の肉体で維持できる光速の実行時間の限界。

 それによる、残りの活動時間を直感。

 

『…………』

 

 偶然、それは一致する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12:00

 

勝負は一瞬。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11:52

 

『――――ッ!!!!』

 

 真空を切り裂き、再び光速の剣舞が解き放たれる。

 神奈子もまた、己の肉体に『雷』の威光を纏い始め、依姫と同じように、他のあらゆる権能や異能を自ら『縛り』によって封殺し、その代償として得た膨大な力のリソース全てを、ただ純粋な『速度強化』の為だけに注ぎ込む。

 

 白光を散らし、宙を疾走しながら『天叢雲剣』を閃かせる神奈子。

 それに追いつくべく、青い衝撃波を叩きつけて()()()()()、加速する依姫。

 

 依姫は神奈子の懐へと深く踏み込み、閃光と化した刀を真っ直ぐに突き出す。

 神奈子はその攻撃を、同じ刀で受け止めて笑う。

 

 それは時間にして、一秒にも満たない極限の刹那。

 

 二人は互いの吐息すら届く至近距離で、鋭く視線を交わし、硬質な眼光を激突させた。

 圧縮された時の中で、衝撃波と雷光の轟音が遅れて世界へ響き渡る。

 光速を纏う二人が織りなすのは、あまりにも熾烈な戦意のぶつかり合い。

 それは冷酷な殺意と何ら遜色のない破壊の気圧でありながら、しかしどこまでも高く透き通り、美しく煌めく『戦士』同士の絆そのものだった。

 

 神奈子の纏う純白の雷光と、依姫の身を焦がす青い雷光が苛烈に爆ぜる。

 交錯した互いの剣が甲高い音を立てて弾かれ、無重力の宙で一瞬、嵐の前の静けさのごとき緊張の間が訪れた。

 体勢を崩さぬまま、神奈子が空中でくるりと身を回転させ、依姫の刀を握る右腕を目がけて鋭い蹴りを放つ。

 

 ――だが。それよりも、遥かに速く。

 依姫は神奈子の足が接触するコンマ一秒前に右手の力を抜き、自ら刀を手放していた。

 

 神奈子の蹴りが右腕を掠め、その衝撃によって依姫の身体は宙で大きく一回転する。

 しかし、直前に放り投げられた刀は慣性の法則に従い、時間を置き去りにした空間その場にぴたりと留まっていた。

 空中で一回転するその勢いを殺さず、依姫は旋回に合わせて左手を伸ばし、宙に浮く刀の柄を寸分違わず掴み取り、自身にかかった遠心力を全て乗せ、神奈子を屠らんと刃を加速させる。

 

09:04

 

 ――ザシュッ!と、鮮血と共に切断された神奈子の腕が宙を舞う。

 首筋への一撃を辛うじて腕で受け止め、軌道を逸らした神奈子は反動を利用して大きく後方へと跳躍。

 そして次の瞬間には、再び光速による熾烈な追跡が再開される。

 

(腕を犠牲にして軌道をずらしたか……!)

 

 追撃の手を緩めず、青い雷光となって神奈子の背中を追う依姫。

 一方、切断された腕から血を流し続ける神奈子は額に冷や汗を流しながらも、内心で後方に迫る依姫へ惜しみない賞賛を贈っていた。

 

(人間の身でよくここまで……! 純粋な速度は私より上……腕を治す暇すら与えてくれないか!)

 

07:68

 

 だが、そんな白光を纏う神奈子を追う依姫の脳内は、冷徹なまでに冴え渡っていた。

 

(互いに速度に特化したこの状況、何度か見せた風の力は使わないと見ていいでしょう)

 

 神奈子の挙動、反撃の選択肢を瞬時に算出していく。

 しかし。

 

(仮に使って来るとしても、光速で動ける今は簡単に避けられる。不意打ちで放つ可能性は万が一程度でいい……)

 

 その上で、依姫にとって最も考慮すべき懸念。

 そして真の問題は――『時間』そのものだった。

 

 十二秒。

 

 それはあくまで、今の依姫の肉体が壊死せず持ち堪えられる霊力の許容量。その限界一杯まで使用した際の最大活動時間。

 この極限状態において、防御や回避といった他の『何か』を実行することは即ち、ただでさえ数秒を残すのみとなった活動時間の限界を、酷くさらに縮めることを意味する。

 

 より安全に、より確実な勝利のため――。

 確実な勝機を見極め、残された時間を精緻に管理して攻めるべきか。

 

 冷徹な思考が結論を出そうとした、まさにその瞬間。

 依姫は己の中の無駄な打算と自制を、爆発的な一喝と共に全て蹴り飛ばした。

 

「――面倒臭い」

 

06:00

 

(驕りも小細工も必要ない!!)

 

03:00

 

 ――ズドドドドドドッッ!!!!

 遅れて空間を揺るがしたのは、これまでの激突とは比べ物にならない衝撃。

 今までの倍以上大きく、そして鼓膜を直接揺らし暴れ回る凄まじい圧の雷鳴。

 

「なっ――!?」

 

 神奈子が視界の端で追っていた青い光芒が、完全に途切れる。

 依姫の姿が、神奈子の視界から跡形もなく消え去った。

 速すぎて追えないのではない。

 残像すらも残さず、世界が捉えられる領域を完全に引きちぎったのだ。

 

 それは、光速の更なる向こう側。

 

 人という理をかなぐり捨て、その絶対の境界線すら突き破った領域。

 そこに、綿月依姫は『人間』のまま到達したのだ。

 

「さぁ――」

 

 聞こえるのは、地獄の底から響くような雷轟すら掻き消す。

 ――依姫の魂の叫び。

 

「生前葬といきましょうか!!」

 

 この一撃を凌がれれば、間違いなく己の全てが終わる究極の博打。

 この戦いが終わった後に自身の肉体を襲うであろう、取り返しのつかない崩壊や絶望的な代償の全て。

 依姫はそれらを勘定から完全に省き、捨て去った。

 

 自身の身体許容量の『二倍』に及ぶ暴虐な霊力。

 

 それを身体に無理やり纏い、それに比例した理外の加速を肉体に施す。

 周囲の僅かな気体すらも瞬時に焼き焦がす熱を撒き散らし、純粋な光の奔流そのものと化した依姫が、腕を失った神奈子の無防備な背中へと瞬く間に接近する。

 そして、全てを殺し尽くす刃を掲げ。

 そのまま、完全に隙を晒した神奈子に向かって――。

 

 

 

 

 

 『人間』には可能性がある。

 血を吐き、肉を削り、死の淵に立たされてなお、覚悟一つで己の限界を打ち破れる力がある。

 そして依姫は、そんな『人間』という種の中でも、間違いなく最上位の才能を秘めていた。

 

 依姫の才能は無限だった。

 

 だが、それでも――。

 

 

 

 

 

 ――ガキンッ!

 月面に不快な破壊音が響き渡り、宙に鋭い鉄の破片が舞った。

 依姫の目の前で広がったのは、あまりにも残酷な世界の理。

 神奈子の無防備な頸を切り落とし、勝利をもたらす筈だった自身の刀。

 それが神奈子の皮膚に触れ得るよりも前に、光速が生み出す圧縮熱と暴虐な霊力の負荷に耐えきれず、爆ぜるように自壊し、粉砕する光景だった。

 

 そう、『人間』はいくらでも限界を超えられる。

 意志の強さで、覚悟の重さで、命を燃やすことでどこまでも跳躍してみせる。

 だがしかし――『道具』だけは、人間と違って限界を超えられない。

 

 どれほど鍛え上げられた名刀であろうと、どれほど神を寄せる器として完成していようと。

 それが物質である以上、そこには絶対的な耐性の限界が存在する。

 

 届かなかった。

 間に合わなかった。

 

 そんな冷酷な絶望と虚無が、依姫の心を塗りつぶしてしまうよりも、前。

 

「――ッッ!!!!」

 

 依姫の身体は勝手に動いていた。

 今際の際。肉体が急速に壊死を始め、死という概念がすぐ目の前に迫る極限の状況であっても。

 『戦士』として覚醒した依姫の肉体と魂は、ただの一瞬たりとも勝利を諦めてはいなかった。

 

01:47

 

 思考すら置き去りにした無意識の内。

 依姫は焦げ付き、皮肉が焼けてボロボロになった自身の右手にすべての力を込め、ぎちりと堅く拳を握りしめていた。

 

 刀がないのなら、この手で。

 斬れないのなら、叩き潰すのみ。

 

 依姫は無我夢中でその右拳を、完全に隙を晒した神奈子の顔面に向けて一気に加速させる。

 刃を失い、素手で神に打ちかかるなど、あまりにも不格好で、泥臭く、惨めな足掻き。

 それは醜い抵抗に過ぎず、本来ならば無慈悲に一蹴される結末が約束されていた。

 

 しかし。

 その、泥臭くもどこまでも純粋な依姫の『執念』に応え――。

 ――黒い火花が微笑んだ。

 

 

 

 

 

(こく)   (せん)

 

 

 

 

 

 空間そのものが歪む不気味な重低音。

 黒閃――空間の歪みによって生み出された黒い火花が爆ぜると同時に、光速による戦闘が引き起こす理外の二次被害が一気に解き放たれる。

 先ほどの戦闘により生じた、月の地表の半分以上を占める巨大なクレーター。

 それが、黒閃の破壊的エネルギーと空間の悲鳴によって更に大きく、より深く穿たれていく。

 

「~~~~ッ!!!!」

 

 光速の一撃、しかも黒閃によるものを顔面に叩き込まれた神奈子の身体は、光速に準ずる凄まじい勢いで地面と激突。

 岩盤を粉砕しながら、硬質な地表で幾度も激しく跳ね上がり、血煙を撒き散らしながら遥か後方へと吹き飛ばされていった。

 その光景を見て、依姫が肩の力を抜いた。――次の瞬間。

 

「――――ッ」

 

 依姫の肉体に、逃れようのない絶対の代償が襲いかかった。

 

「がっ、ハ…………ッ!?」

 

 既に傷だらけだった身体で行った光速での戦闘。

 それに加えて、肉体の限界許容量の二倍の霊力を力任せに纏い、その上で更なる限界突破という無理を重ね続けた代償。

 その答えは、『死』が救いになる程の――。

 

「ヒュー……ッ、ヒュー…………ッ」

 

 肺が焼けて潰れたかのように細く、掠れた呼吸しか吐き出すことができない。

 依姫は立っていることすら許されず、ガクガクと震える両膝を崩した。

 視界が赤く染まり、両目からは涙が溢れ落ちる。

 黒閃の引き起こすゾーン――極限の全能感に浸る暇など、ただの一秒すらありはしなかった。

 脳髄を刺すような劇痛。

 そして、全身の細胞が壊死していく激痛に耐えかね、依姫は両手で必死に口元を押さえて激しく嘔吐しかける。

 

「ぅ。ぅう"ッ……! ぃ、ァ…………ッ!」

 

 しかし、あまりにも大きすぎる全身の疲弊。

 そして焼き切れた体内組織のせいで、吐き出したいものすら満足に嘔吐するのも許されない。

 依姫の喉の奥を血の味が競り上がり。

 掠れた悲鳴と共に、ただ苦しみによって身を悶えさせる事しかできなかった。

 

「ッ、ぐ……うぅ……!」

 

 そんな呼吸もままならぬ激痛の中、血走った眼光で依姫は前方を見つめる。

 視線の先。

 そこでは、白い地面を真っ赤に染める血の海の中、神奈子の肉体は無言のまま倒れ伏している光景があった。

 ぴくりとも動かず、まるで死んだかのように静まり返っているその姿。

 

 ――だが。

 

 ゆっくりと、その倒れ伏す肉体に異変が生じ始めていた。

 

「…………」

 

 神奈子の象徴である紫がかった青髪が、まるで実った稲穂を思わせる鮮やかな金色へ滑らかに変色していく。

 高大だった背丈も縮み、元より一回りほど小さな姿へ。

 血の海の中で姿を変えたその姿。

 それは、依姫がこの戦いの最初期に相対していた神。――洩矢諏訪子そのものだった。

 

「……っとと」

 

 ぬちゃり、と重苦しい音を立て、血だらけのその場所からむくりと立ち上がった諏訪子の身体。

 先ほどまで肉を削がれ、顔面を砕かれていた跡などどこにもなく、傷の一つも残っていなかった。

 だが、身体に傷はなかろうと、その顔立ちには隠し切れない程に色濃い、大きな疲労の影が浮かんでいた。

 

「……はぁ、まさか神奈子が負けるとはねぇ」

 

 ぽつりと零された諏訪子のその言葉。

 そこには、悔しさも怒りもなく――己の半身を打ち破ってみせた目の前の『戦士』に対する、心からの純粋な賞賛だけが深く浮かんでいた。

 

「ッ! ま、だ……」

 

 全身の細胞が悲鳴を上げ、視界すら朱に染まるほどの疲労困憊。

 本来ならば、指一本動かすことすら不可能な重傷。

 しかし、直前に解き放った黒閃の恩恵――ゾーンに足を踏み入れた事による感覚の冴えと覚醒。

 それが、かろうじて依姫の肉体に微かな生命力を残し、身体をまだ少しだけ動かせる余力を生む。

 

「ヒ……ッ、の……!」

 

 依姫は血の混じった掠れた吐息を漏らしながら、残された最後の力を振り絞る。

 下ろすべき威光。

 身に纏うべき権能の主。――敵対する全てを燃やし尽くす、原初に連なる神の名を紡ぐ。

 

「『火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)』――!」

 

 その神が持つ力は、『火を纏う程度の能力』という極めてシンプルなもの。

 だが、その実態は神代の時代から続く、あらゆる存在を灰燼へと帰す最上位の炎熱系能力。

 ドッ、と激しい爆音と共に、敵を焼き尽くす神の火が湧き上がり、依姫の両腕を真紅の劫火となって包み込んだ。

 空気を灼き焦がすようなその圧倒的な熱量を前に、立ち上がった諏訪子は小さく笑った。

 

「いいね、かっこいいじゃん」

 

 そう、敬意を示す。

 そして、満身創痍の身でもなお折れることのない、その純粋な戦意に応え。

 

「なら、今のあんたの得意でやってあげる」

 

 短く、小さく呟いた。

 

 

 

 

 

「……(イグニ)

 

 続けて、静かに言霊を唱える。

 

 

 

 

 

「――『(フーガ)』」

 

 そして次の瞬間。

 諏訪子の左手にもまた、依姫のそれと全く同じ。

 ――いや、それを遥かに凌駕する程の神の火が、煌々と宿っていた。

 

「それは……!」

 

 息を呑み、目を見開いて困惑する依姫。

 その驚愕した反応を見た諏訪子は、どこか納得したように小さく息を吐いた。

 

「あぁそっか。知られてると思ってたけど……そもそも月人、知らないのも当然か」

 

 神奈子との死闘を越えてなお突きつけられる理外の現実。

 依姫の脳裏に、激しい衝撃が走り抜ける。

 

(洩矢諏訪子の能力は、鉄輪と斬撃ではなかった……!?)

 

 今まで彼女たちを苦しめてきた鉄の輪。

 そして、それによって生み出された切断の権能も、この神にとっては全貌の一部に過ぎなかった。

 その事実が、依姫に強い動揺を生む。

 

「心配しなくてもいいよ、能力の開示はしないし。互いに未知のままでいた方が勝負は対等」

「…………」

 

 ――だが。

 

「構えな」

 

 静かに。

 だが一切の容赦なく依姫を見据える諏訪子の瞳。

 それが、今から行う勝負に余計な雑念を混ぜるなと、そう強く訴えているかのように。

 掌の炎に負けない、煌々とした輝きを双眸から発していた。

 

「火力勝負といこう」

 

 そう言って、超高熱の炎を構える諏訪子と遅れて同じく構える依姫。

 二人が織りなす炎が、まるで生き物のようにうねり、それぞれに合った形を形成する。

 

 諏訪子は一本の洗練された形の矢に。

 依姫は原初の炎に相応しい、小細工のないあるがままの炎の形に。

 

 互いの視線がぶつかり合い。

 そして、二つの『神の火』が放たれる。




 疑似的なモードチェンジで受肉回復ができるすわかなコンビ。
 仕組み的にはパンダに近い。

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