【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 大器晩成+盤星教



17話.晩成教

 それが姿を現した途端に、あっという間に恐怖は伝染し燃え上がる。

 今までに何度も経験していた、あの身体が震えるような悪寒など比べるのも烏滸がましい、正真正銘の恐怖がそこにあった。

 呼吸ができない、刃物を向けられた…なんてものじゃない、喉に刃物がめり込んだかのようで、息ではなく血を吐いて、それを肺で思いっ切り吸い上げているかのようだった。

 逃げたい、その思考はできるはずなのに、身体はほんの少しの逃げるきっかけすら作ってくれない。

 それが、再び咆哮を上げる。

 

『■■■■■■■■■ッ!!!!!』

 

 龍の顎にも似た硬い装甲に覆われた顔が、花が咲いたかのように開きながら、その口内を曝け出す。

 それはさながら、現代社会で慣れ親しんだかのエイリアンの変形のようであり、機械的な装甲とその生物感がミスマッチを引き起こしていた。

 ただ純粋に、ただただ嫌悪感を刺激する為だけに生まれたかのようなその造形。

 視線。

 

『■■■■…』

 

 大百足は動く。

 山を何重にも巻きつけた己の身体を、器用に動かし上へと向かう。

 木の実が生えたその木々が、そして陽光を浴びて惰眠を貪っていた数多の動物たちが、全員例外なく踏み殺される。

 人間の手が、人間の足と顔が、そして人間の口がその死骸を潰し、擦り付け、移動の摩擦で炎が生まれる。

 緑の恵みが、そして生命の尊さを示していた動物たちが皆、骨すら残さず消え失せる。

 

 大百足は動く、それでも動く。

 

 木々が燃え尽き、最初に巻き付いていた箇所はおろか、この移動によって全ての表面が真っ黒に爛れて山が死んだ。

 大百足の放つ瘴気、そして醜悪な無数の足が、美しい自然を蹂躙していく。

 ただ、それは生きているだけ。

 

「ぁ…………ぁ…」

 

 天にも昇る勢いで、その全長を縦に真っ直ぐ伸ばした大百足。

 雲にも届くその巨体を見上げるしか出来ない村人たちは、ただ無意味な硬直を続けるしか出来なかった。

 逃げないと、せめて少しでも生き残るために行動しなければ。

 だがやはり何度頑張っても動けない、まるで身体が石になったかのようで。

 

「…………誰か」

 

 助けを求める。

 誰に向けたのかはわからない、ただそれは…自分たちには存在しない何かであることは確かだった。

 無意識のうちに求めていた、自分たちを守護する存在…かつて夢想したそれ、幻想として切り捨てたものが――

 

「…っ!おい、あれ…!」

 

 咄嗟に男が声を上げ、皆がそれに釣られて視線を上に。

 そこにあるのは救いか否か、それとも別の怪異そのものか――

 村人たちは上空で、大百足と対峙する虹色に輝く龍を見た。

 

 

 

 


 

 

 

 

 雲の上にまで昇っても、その大百足の頭部は同じ視線の高さにあった。

 彼女は龍に乗って空を飛んでいる、しかし大百足は依然地上に足を付けたまま、つまりは純粋な肉体のサイズで、身体を伸ばしてこれなのだ。

 あまりにも巨大、もはや妖怪というカテゴリに収まるとは思えない、神にすら届くであろう存在の格がそこにはあった。

 両者は静かに睨み合う、問答や懐疑といった理性の内に収まらない自然の沈黙が、確かにそこにはあった。

 冷や汗。

 

「デカすぎ…これ30kmは余裕であるでしょ…」

 

 自然と鉄輪を握る力が強くなる。

 口が無意識のうちに渇き、言い様のない焦燥感が全身に走る。

 あの時とは違う、今までのとは違う。

 今、自分は本当の意味で、負けるかもと思っているのだと。

 彼女は笑う。

 

「舐めんなよ」

 

 鉄輪を右に、残る左手で虹龍の身体を掴んで姿勢を低く。

 今は互いに様子見の段階、それぞれがそれぞれの脅威を、それぞれの力を予測し、最善の択はどれかと悩んでいる。

 いつでも動けるように、いつ動かれても対応できるように。自然と両者の肉体に刻まれた動きが表面化して。

 ――最初に動いたのは大百足ではなかった。

 

「…行けっ!」

 

 虹龍は身体をバネのように縮め、そして空気を蹴るようにして一気に加速。

 それに続いて、彼女は鉄輪を器用に右手だけで回転させながら、目標へ強気な視線を向けた。

 瞬間。

 

『■■■■ッッ!!!』

 

 咆哮が響き渡る。

 目の前を飛ぶ忌々しい龍、そしてその背に乗る挑戦者。大百足はただただ不快であった。

 食い殺そう、糧としよう。そんな妖怪としての本能に従って、大百足は跳躍する勢いで顎を開いて突撃する。

 左、すぐさま右へ急旋回することでそれを避ける。

 限界まで引きつけてからの回避を成功させて、一瞬無防備になった大百足の隣を飛行する。

 歯を食いしばり、自分を追おうと再び動き出した大百足よりも先に、彼女は鉄輪を突き付けた。

 限界以上に力を込め、己の腕力に全てを任せて一突きに――

 

「~ックソ!」

 

 がちがち…

 そんな軽い音を立てて呆気なく鉄輪は弾かれる。

 大百足の身体を覆いつくす装甲、それは黒と赤の光沢やその巨体から推測してかなりのものだとと思っていた。

 だがここまで、ここまでのとは。

 まさか、文字通り一切の傷が付かないとは。

 

「せめて刃がめり込むくらいはしてよ!」

 

 そう、不満げな表情のまま大百足に向かって叫ぶ。

 幸い刃毀れはしていないが、それでも今までにあらゆる強敵を切り裂いてきた己の武器だ。

 この虹龍を倒した時でさえ、硬度を上げる前はかすり傷くらいは付けられたのにだ、この大百足はそれすら許してくれない。

 大百足が口を開く。

 

(ボウ)(ボウ)(ボウ)

 

 花が咲くかのように、その顔に切れ込みが走ってからでろりと舌を出す。

 そうして顔のみをこちらに向けて、そこから漏れ出る紫の瘴気が、舌の上で一つに練られるのを彼女は見た。

 それはたちまち分裂し、二つ、四つ…そして六つ……

 ――危機。

 

「っ避けて…!」

 

 十や二十ではない、瘴気によって作られた、悪寒の走る正に弾幕の海とも呼ぶべきそれが、彼女を飲み込まんと迫りくる。

 鉄輪を投げて、せめて少しでも減らそうと抵抗するが、気体に近い性質を持つ瘴気が相手では、所詮刃物でしかない鉄輪は効果を発揮できない。

 瘴気による弾幕を、右へ左へと旋回を続けることで、何とか紙一重で避け続ける。

 あっという間に鉄輪は弾幕をすり抜けて、その向こうにいる大百足へと突撃していった。

 だがここで、運が彼女に微笑んだ。

 

『■ッ■■■~…!』

 

 放たれた弾幕の海を、投げた鉄輪はすり抜けた。

 だが彼女はこれを意図してやったわけではない、だからこそ大百足も、これを避けることができなかったのだろう。

 角度、高度、様々な偶然と要素が噛み合った偶然の産物。

 二度と狙って出来ない、だからこそ一度成功したその結果。

 彼女から見ても、大百足の姿が確認できない程の瘴気の壁。

 ――それはつまり、大百足からも彼女の姿は見えないということで。

 

「…なるほどね」

 

 血が流れている。

 ダメージと言えるほどの威力ではない、それに出血の量も、大百足の巨体から算段すれば、人間で言う切り傷に値するものだろう。

 大百足が忌々しく、そして怒気を強くして切られた舌を仕舞いながら、再び本能に任せた禍々しい咆哮を上げた。

 勝機。

 

「なるほど、体内は逆に弱いのか」

 

 ぼたぼたと血を流し、それが地面に落ちるとともに蒸気が上がる。

 そしてそれを止めるのと、先ほどの負傷という同じ轍を踏まないためにだろう、大百足はその口を閉めてから、更に上から防御力を上げるためか、マスクのように装甲を生やしている。

 あの装甲は硬い、最初に触れた感触と、今までに切り裂いてきた経験から察するに、詠唱込みでもあれは突破できない。

 万事休すか、否…

 

「そうらこっちだっ」

 

 再び、空気を蹴るように加速してから一気に接近する。

 大百足もその動きを完全に追って、真正面から迎え撃とうとしたのだろう、装甲に包まれた頭部を加速させ、押し潰さんと躍動する。

 数秒、前方にいる龍を見る。

 数秒、近づいてきた龍とその主を大百足は確認する。

 間近。土着神と大百足、互いの顔が当たる寸前に。

 

 ――刹那、消えた。

 

 否、押し潰す筈だった挑戦者は、真下に。

 

「ほうらこっちにおいで」

 

 まるで落下しているかのように錯覚するほど、凄まじい速度で、そして角度で急降下するその影。

 彼女はただ笑う、心の内の恐怖や不安を押し殺し、ただ作戦を成功させるために笑う。

 追ってみせろ、追い付いてみせろと、ただ馬鹿にするように笑う。

 

 大百足は、それに応えた。

 

 身体を折りたたみ、負けじと垂直に地面へ向かって加速して、その速度をぐんぐんと上げていく。

 元から飛行能力を持っている虹龍と違い、己の身体、筋肉、自重を全て生かした分、大百足の方が速い。

 数十m、数mとその距離を再び近づけて、地面が近くに見えた時。

 彼女は、虹龍の背から飛び立った。

 

「洩矢の鉄の輪…」

 

 瞬時に虹龍が左手を伸ばし、彼女の身体を掴んで離さない。

 しかしそれにより、彼女は片手ではなく両手で鉄輪を持てるようになった。

 地面まであとほんの少し、このまま続けば地面に衝突し、その上更に大百足の攻撃に挟まれる。

 失敗は死、成功しても勝率は僅か、しかしそれでも賭けに出た。

 

「…まだ」

 

 その一瞬の時が、まるでスローモーションのように見えた。

 宙を舞う木片、吹き荒れる砂塵、大百足による豪速の体当たり。

 どれもが、まるで写真を眺めているかのようだった。

 

「まだ」

 

 虹龍の鼻が、地面にもう少しでぶつかる。

 大百足は更に加速し、そして自分の死の予感がすぐそこまではい寄ってきた。

 ただ、それ以上にもっと速いのは。

 

「まだ、まだ」

 

 小さく、硬く、もっと小さく。

 これでは足りない、切れ味だけを追求しろ。

 混ぜて、練り上げ、刹那にも満たないその一瞬で、己の限界の殻を破る。

 まだ…まだ…

 

「…あぁ」

 

 ――できた

 

「――今っ!」

 

 大百足へ右手の鉄輪を、そして背後にある地面へ左手のを同時に投げる。

 凝縮された時間の中、彼女の築き上げた勝機が実を結び、その思惑通りに大百足は地面と衝突した。

 地面と追突する寸前、虹龍は主の命に従って、地面に腹が擦れそうなほどの低空飛行に移行して速度を上げる。

 再び轟音。

 

『■■ア"■ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッ!!!!!』

 

 全体重を乗せた体当たり、その反動が全て自分に返ってきたのもあるだろう。

 あれほど硬い装甲に、やはりと言うべきか傷どころか凹みすらも存在しないのを見るに、その衝撃は全て己の肉体で抑え込んだのだろう。

 

 ――いや、()()()()()を除けば…

 

 今まで以上の轟音と、咆哮と共に大百足は走り出し、山を蹂躙しながら突き進む。

 

「まだ…まだっ」

 

 渓谷を進み、断崖絶壁の抜け道を走る。

 うねりながら、ただひたすらに、がむしゃらに追わせて策に嵌める。

 ただ、たった一つの勝機を確実にするために。

 

 

 

 

「…なんだよ、あれ」

 

 傍観者の心境を代表し、誰かがそう呟いた。

 あの、天まで高くそびえ立つ巨体と、震えの止まらない圧。

 このまま無抵抗で殺される筈だった未来は、今も山と山を飛び越えて行く彼女が変えた。

 あの化け物に屈せず、決して恐れず、彼女は今も生き生きと、華麗に空を駆けていた。

 村を囲う山々を、大百足とそれが天敵のはずの龍が、ひたすらに追いかけ、追いかけられてを繰り返す。

 一体いくつの山が崩れ、どれほどの自然が破壊されたのかはわからない、今は誰もそれを心配する余裕など存在しない。

 しかし、今はあれに縋るしかないのだ。

 正体不明で恐ろしい、あの謎の存在に。

 

「嗚呼…どうか」

 

 あれを倒してくれ、自分たちを助けてくれ。

 村を、最悪自分だけを犠牲にしてもいい、どうか大切な家族、仲間の命を守ってくれ。

 そんな虫のいい話があるわけない、だがそれでも望んでしまう。

 誰かが呟いた、これは何かの予兆だと。

 誰かが理解した、これは始まりに過ぎないと。

 誰かが確信した。

 皆が、その言葉を無意識に呟いた。

 

「嗚呼…神よ」

 

 あれは、我らが畏れるべきものだと。

 あれこそが、我らが真に付くべき者なのだと。

 

 

 

 

 彼女はただひたすらに、大百足の怒りに任せた行動に満足する。

 それでいい、何度も振り返って確認した、後は機を待つだけなのだ。

 そのうち大百足にも理性が戻り、今のような愚直な攻撃を止めてくるだろう。

 いや、もう既に。

 

「…早いね」

 

 突如、大百足は怒りに任せた突進を止めた。

 時間の経過によって頭が冷え、次にどうするべきかの思考回路を起動したのだろう。

 その隙を、狩る。

 

「虹龍、最後に頼むよ」

 

 再び背中に寝転ぶ形で、できるだけ空気抵抗を少なく、飛行の邪魔をしないように待機する。

 それに静かに頷いてから、虹龍は再び駆け出した。

 ――狙いは。

 

「頭!」

 

 大百足が身体を反らせて、大量の足による矛先を一か所に向ける。

 狙いはただ一つ、まるで槍で突くかのように、全ての足が同じタイミングで、空中に線を残して動き出した。

 避けられる確証などない。

 もし最初から、彼女が自身の飛行能力だけで勝負を挑んでいたならば、最初の弾幕すら避けられずあっという間にやられたであろう。

 だが、彼女の未だに未熟ともいえる戦闘技術、そして足りない経験を彼らが補う。

 まず前方から、二十もの斬撃。

 身体を横に捻り、斬撃と斬撃…百足の身体の仕様上必ず発生する虚無空間、その安全地帯を針に糸を通すかのような精度で突き抜ける。

 続いて右から四つの弾幕。

 どれもが精度は低いものの、追尾性能を持っているため接近、そして加速を繰り返して何とか振り切る。

 そうしていくつもの死の予感と、無慈悲な弾幕の雨を越えて。

 

「…嗚呼、見えた」

 

 目前にある、巨大な大百足の、その凶悪な正面顔。

 その一点、よくよく目を凝らさないと見えないくらいに小さな、一つの金属の輝きがあった。

 刹那。

 

 大百足の全ての足が、彼女を殺そうと暴れだした。

 

 最後の手段だったのだろう、本当の意味で奥の手だったのだろう。

 凄まじい速度で収縮を繰り返し、まるで鞭のように、まるで本物の刃物のように尖ったそれを。

 彼女は、虹龍の手のひらでしゃがむ。

 虹龍は力を込め、そして彼女は同時に――

 

「…死んでも勝ってやる」

 

 虹龍が消えた。

 やられたわけではない、ただ彼女が彼を仕舞い、安全な場所に避難させただけ。

 だが予備動作もなくそれをされたせいか、大百足は再び一瞬の隙を見せた。

 その間にも、彼女は弾速に負けない勢いで飛ぶ。

 

 この大百足を倒すには、体内から攻めるのが一番だ。

 

 しかしそれは通じない、一度怪我を経験し、警戒心も強く同じ失敗はしないのだと。

 そうして閉じられた口、それを再び開かせるためにはどうするか。

 この一撃を、この妖怪に喰らわせるにはどうすればいいのか。

 

「待たせてごめんね」

 

 ほんの数十cm先、大百足の装甲の壁が見える。

 だが彼女が先ほどからずっと、ただひたすらに見つめていたのはその中央。

 十字を刻むように()()()()()、二つの鉄輪。

 そのたった数センチのめり込んだ鉄の塊こそ、この戦いの結末を決めるもの。

 急降下を行ったあの時、地面と大百足に挟まれた刹那。

 大百足の自重、地面との衝撃を利用して作った勝利への道が。

 

「…出番だよ」

 

 両腕を開き、その手から再び祟り神を呼び出す。

 今までに何度も使ってきた、収縮自在の、不憫だったあの祟り神。

 

『イ~ゼン、ザ…』

 

 圧縮、凝縮。 

 捩じって混ぜて、そうして一つに纏めて固めて。

 そして、両手を合わせて前方に。

 収縮自在のその身体を利用し、物理法則を無視して極限にまで加圧する。

 そうして圧縮した祟り神を、両手を利用し一点から解放、そして僅かながら神力で強化したその一撃は。

 ――音速をも超える。

 

「…解放」

 

 その殺意と破壊力を併せ持つレーザーが、大百足の装甲にめり込んだ鉄輪に衝突し、更に奥へ、もっと深くその傷を抉る。

 壊れ、完璧ではなくなったその装甲全体にヒビが走り、今にも崩れそうなほどに痙攣する様子を見て、彼女は勝利を確信した。

 その中央、口へ繋がる小さな穴…そこに右手を突き刺し、彼女は再び動き出す。

 装甲が目前に、その身体が今にもぶつかりそうなその瞬間。

 

『縺ェ繧薙□縺ゅ▲』

 

 ヒビを侵食する黒の波。

 たちまち音を立てて崩れ、その装甲を突き破ったのは百足の祟り神たち。

 百足が百足のための、百足による下克上が成功し、その弱点である体内への入り口を切り拓く。

 同時に、鉄輪は二つ。

 

「なぁ、大百足さんや」

 

 身体に纏ったその鉄輪が、瞬く間に回転を続けて、切れ味をより鋭く。

 大百足が破壊され、今も開いたままの口を必死で閉じようと足掻くその瞬間、彼女は体内に向かって落下して。

 喉を通り、両腕を交差させて。

 そして、一言。

 

「――聖書のヨナは知ってるか?」

 

 斬撃の嵐が吹く。

 切る、削ぐ、刻んで裂いて、また切っていく。

 大百足の体内、そこを落下しながらただひたすらに、四方八方に斬撃を放つ。

 血が噴き出す、耳が壊れそうな絶叫が聞こえる。

 

 それでも、ただただ切り刻む。

 

 真っ暗な体内を、一体どれほどの間落ち続けているのかはわからない。

 かなりの間落ちたのか、それともただ感覚が過敏になっているだけで、本当はほんの数秒しか経過していないのか。

 ただただ切って、その返り血を浴び続けて。

 切って、切って、切り続けて…

 ――目の前に、青い空が映っていた。

 

「…あっ」

 

 終わった。

 そう思ったのも束の間、いつの間にか仰向けに落ち続けていた彼女の真下で待機していた虹龍が、優しく受け止めて衝撃を和らげる。

 未だ実感の湧かない現状、しかしよく見れば、周りには大量の肉片と装甲が散らばっており、おそらくは消失反応が始まったのだろうと推測する。

 そして。

 

「…あぁ、そっか」

 

 よく下を見れば、あの大百足の肉片の一つが、不自然に蠢いているのが見える。

 あれほどのダメージを負ってもなお、未だ絶命に至っていないということか。

 しかもそれが落ちたのは、あの人間たちのいる村の中央で。

 

「丁度いい、か」

 

 彼女は、最後の仕上げに取り掛かることにした。

 

 

 

 

 

 

 鞍馬天魔は、ずっと昔から最悪な未来を見せ続けられてきた。

 共に盃を掲げる同族が、その未来ではあの百足に潰され、死体すら残さずに消えていく。

 大百足に蹂躙される未来、どこまでも天狗という一族が凌辱される未来。

 ――それが、最近になって変わったのだ。

 

「いや…変わった、というのは少し違いますね。私の見る未来は決して変えられない、その過程に絶妙な違いが出るものの、あの大百足に蹂躙されるという主題は決して変わらなかったのだから」

 

 山の屋敷、その窓に立つ天魔はそう言って、思い返すようにぽつぽつと語る。

 

「未来は変わらない、見るのは常に最悪の未来。しかし未来は複数存在するんです」

 

 あの日、天狗の山に土着神が足を踏み入れた時。

 その瞬間、天魔の能力はもう一つの未来を、最悪の未来を見せたのだ。

 

「それこそが彼女だった、彼女が私たち天狗に…最悪な未来を持ってきたのです」

 

 ――彼女は、ただ堂々と立っていた。

 死に体の大百足、それに群がる大量の祟り神。

 下克上に成功した、彼女の使役する百足だった。

 

「…最悪ですよ、本当に。だって私たちは山の支配者、私たち天狗こそが、山の頂点に立つべき存在と…そう思っていたのに」

「鬼は例外?」

「痛いところを突きますね、確かにそうでした。本来の未来なら」

 

 彼女は、大量の百足たちにその死骸を食べさせていた。

 身の毛がよだつ恐怖と、そして目の前で広げられる弱肉強食のあるがままの景色。

 天魔とてゐはそれをずっと、遠目から静かに見守っていた。

 

「最悪な未来が複数あるなら、よりマシな最悪を選ぶまで。…だから決めたんです、私は彼女に屈する最悪を」

「なるほど、確かにあんただけじゃなく、他の天狗にとっても最悪だ」

 

 てゐは笑う。

 あまりにも恵まれた出会い、そして機会によるこの現状と、前方で起こっている出来事を。

 天魔も、てゐの言いたいことに気づいたのだろう、ただ肩をすくめて。

 

「私たちは――」

 

 

 

 

 ぐちゃり。

 

 

 

 

 それは、ただ静かに見守っていた。

 その少女は、ただあるがままに立っていた。

 その神は、ただそうするだけで、恐怖で上に立ってみせた。

 

「さて…と」

 

 返り血の付いた頬を拭き、見下すように民衆を一瞥する。

 恐れる人間、涙する人間、何より救いを得て感謝する人間。

 そして上空で今でも嫌悪感と、同時にそれ以上の隠し切れない恐怖心を向ける天狗たちに、告げる。

 

「これからここは私の国、私が頂点、私が全てを取り仕切る」

 

 流れるがままに、歩いて寝てを繰り返し。

 やっと訪れた絶好の機会と場所、彼女はただそれに感謝して、そして全てに己を示す。

 人間は勿論、山の支配者たる天狗ですら、もう彼女には逆らえない。

 氷のように冷たい、絶対的強者のその視線。

 

「私に従え」

 

 今、この瞬間。

 

「―― 人間(天狗)共」

 

 真の意味で土着神…洩矢諏訪子は降臨した。




 諏訪子様は猿なんて言わない
 あとここから地の文で諏訪子様を解放

呪術廻戦はどこまで知ってる?

  • 最新の単行本(人外魔境)まで
  • アニメの内容(渋谷事変)まで
  • あまり知らない(領域展開は知ってる)
  • 全部わかる
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