【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 壊玉編にあやかった大百足編よりよっぽど壊玉編やってる(突然挟まる過去編)


6章:山陰道立建国高等国津大和
24話.因幡の子


 野を超え、山を越え里を超え。

 日が昇り月が昇り、代わる代わる…その繰り返し。

 人を眺め空を眺め、無造作に贅沢に、そうして時間を使い潰す日々の中。

 たった一度だけ、変化を求めた時があった。

 

 その日は、燃えるような熱い日差しだったのを覚えている。

 

 野を越えて、里に入り込んではのいつも通り、だがその日はとにかく暑すぎた。

 物陰からこっそりと観察するだけでもわかる。普段はあれほど苛立つほどにうるさく、賑やかな人間たちが揃いも揃って気力を失い、地面と溶けて融合でも始めるかのような様子だったからだ。

 そんな彼らの様子を観察しながらも、見つからないように細心の注意を払って物陰から物陰へと移動する。

 熱のせいで知能が下がっているのもあって、一瞬とはいえ床下から床下へ移動するそれに、()()()()気づいたものはいなかった。

 今もへばったままの人間たちを尻目に走り、再び意味も目的もない放浪を続ける。

 嗚呼そうだ。あまりにも機械的で変化なんてなかった日々、それが初めて変わったのだ。

 

 森を走った。

 

 日差しから逃げるように、木々による唯一の安全地帯である影を辿って走って、走って走って走り続けて。

 断続的に襲い掛かる熱波と、地面から放たれる熱の層、踏み込む度にそれが身体を包み、抱きしめ苦しめる。

 息が上がり喉が渇く、怠惰とも言うべき放浪のルーティン、普段というメッキが剥がれて落ちていく。

 目の前で流れる小川が、溶けた理性が――初めてこの時変化をもたらした。

 

 気が付けば、自分は小川に飛び込んでいた。

 

 この時のことを思い出そうとすると、今では少しだけ胸が痛む。

 別に嫌な記憶というわけではない。ただ日常の中のありふれた、しかし何故か妙に記憶に残るそれ、時に想起し耽るだけのそれ。

 …わかっている。おそらく飛び込む…という行動がきっかけで別の、()()今でも苦しく苦い思い出が――…いや、よそう。

 とにかく、とにかく記憶に残るこの日、この映像が今でも、己の内に燻る謎の焦燥の原因なのだと理解している。

 初めて飛び込んだ、初めて普段とは違う何かを行った。

 水はとても澄んでいて、太陽が放つ嫌悪感すら湧く熱波と同じかそれ以上に、広大な空が青を輝かせている。

 青が澄んだその景色、生まれて初めて無気力に、今まで以上に怠惰に時を貪り、見上げる。

 背中から伝わる冷気、時に乾いた口に流れ込む冷水。

 

 あれがきっかけだと、胸を張って言える。

 

 別に偉業でも何でもないだろうに。そう自分でも思うが、確かにこれは大切なものだった。

 少なくともてゐにとっては、最初に感動した記憶であることは確かだし、これがきっかけで一歩を踏み出すことができた。

 その日は結局、日が沈むまで狂ったように川に飛び込み、上がってから再び飛び込むを繰り返していた。

 何が面白いのか、それは当時の自分しか知らない。しかしそれでいいのだ、きっかけなんてものはそれで。

 

 その日から変化が訪れた。

 

 昔から見えていた謎の「モヤ」は、未だに原因も理由もわからない。

 だが自分以外には見えない、自分しか知らず自分しか対処できないそれ。今思えば、答えは既にそこにあったのにと、そう苦笑いするしかないのだが。

 何故それが纏わりつく人間が、いつの間にかいなくなっていたのか、それが自分に対して向かってきたとき、その時周りで何が起きていたのか。

 それの答えを知ることもないまま、数か月数年生き続けることができたのは、本当に()()()()と言うほかない。

 川を超え山を登り、洞窟で雨風を凌ぎ惰眠を貪る。

 再び起きて、山を降っては川を超える。そんな日々の中。

 

 いつの間にか島が見えた。

 

 見えたというのは文字通り、海に囲まれた小さな島、それが文字通り目の前にあった。

 海に囲まれている島が何故目の前にあるのか、もし同じようにその島を見ようとすれば、自分は今頃とっくに落ちて溺れているのではないか。

 そんな疑問はすぐに、別の新たな疑問によって書き換えられることとなる。

 再び目を開いた時…即ちまばたきをした瞬間に自分は島の陸に、海を背に砂浜に立っていたのだから。

 驚愕もした、困惑もしたし恐怖すら覚えた。しかしいくら悩んでも答えは出ない。

 害はないしむしろ利益はある、何せ目の前に広がる景色の中には自分の仲間、同族の兎の姿があったのだから。

 

 わからないものはわからない、そう切り捨てることにした。

 

 自然と自分が何をするべきかはわかっていた。初めて来たくせに迷いなく山を登り、そして誰かが用意していたであろう野菜を取ってそれを食べる。

 起きる、食べる。散策も含め山を駆け抜け惰眠を貪る。食べて、動いて山から山へと駆け抜けて、月が昇って星空が輝くとそれを見て寝る。

 それはまだ、てゐと呼ばれる兎が人の姿を取れるようになる…もっと前の出来事であった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 朝、いつもの朝。

 だが今日はいつもより長く眠りすぎた、そのせいか身体も重い、それに目の奥がとても痛い。

 何十回何百回と繰り返したはずの朝なのに、何故今日に限って寝過ごすなんてことが起こったのか。

 

「うぅ…腹減った」

 

 おそらく既に昼を過ぎている。

 朝食どころか下手すれば昼の分まで抜きそうになってしまったのもあり、身体が「早く食わせろ」と叫び空腹を訴えてくる。

 苦痛に近いその身体の反応に、誤魔化すように軽くトントンと軽めに叩きながらてゐは立ち上がる。

 久しく、あの頃を思い出した。

 

「…なーんで今更」

 

 家…なんて呼ぶのはおこがましい、ただ簡素に木の支柱を用意して、それに藁をくっつけただけの粗末な住居。

 扉なんてあるわけないし、その気になれば面識もない赤の他人が無防備に寝ている自分の首を絞めることだってできる。

 だがまぁ今更である。もしそんなことが万が一にでも起こるようであるなら、この生活を既に何十年も繰り返しているてゐは今頃とっくに死んでいる。

 逆に言えば、万が一の確率でもそれが起こらないこの世界がおかしいということでもあるのだが。

 

「あー…この前余分に取っといて正解だったね、こんなんじゃロクに調理もできない」

 

 空腹から目を逸らし、慣れた手つきで火を起こす。

 次第に火が伝染し、一気に燃え上がる薪の中に調理のための鉢を入れる。

 火の粉が飛ぶ感覚、熱による肉体の回避反応と様々な要因を理解した上で的確に、完璧に満遍なく火が鉢を熱し続ける体勢に入る。

 鉢の中に続けて、定期的に保存している水、そして同じく保存してあった適当な山菜をぶち込み、待つ。

 その間もずっと、融通の利かない身体はぐーぐーと不満を鳴らし続ける。

 我ながら流石というべきか、我儘で自分優先で困ったものだ。

 

「あーあー、もうすぐだから大人しく待っててってば」

 

 数分、数秒がまるで数時間にも感じる…そんな焦燥による体感時間の延長。

 最初は微動だにしなかった水面が、時間が経つごとに少しずつ、その気泡の量が増えていく。

 まだ、まだだと言い聞かせるも、己の中の悪魔が「もういいだろう」「早く食べてしまおう」と囁いてくる。

 てゐは眉をひそめた。それは今も現在進行形で空腹を訴える自分自身相手でもあるのだが、一番はいつの間にか背後にいた、いつかの知り合い。

 

「よっ、随分遅い朝ごはんだな」

「悪いね、あんたと違って気持ちのいい夢を見れたのさ」

「ぐぬぬ…頭痛でロクに寝れなかった私によく言えるなそれ」

「己の悪因悪果を呪え」

 

 振り返ってみればやはり。

 そこにいたのはいつかの、友人でもましてや家族でもない、強いて言えば知り合いの、同じ兎の同族である。

 それなりに会話はするし、それに気が向いた時にあの不幸の元凶である「モヤ」を告げて別れたりもする。

 

 だが名前は知らないし知るつもりもない、興味もないし湧く予定もない。

 

 ただ道を歩き、いつも通り酒を飲んで顔を真っ赤にした彼女、それと出会って面倒くさい絡まれ方をする。

 それだけ、たったそれだけの歪な関係だ。

 そんな彼女も、てゐの内心に気づいているのかそれとも、自分も同じく面倒なのは嫌いだからあえて無視しているのか。

 とにかく互いに名前は知らない、だが向こうから話しかけはするしこうして雑談を続ける。

 いつからか始まったこの関係も、何故か今日は無性に心がそわそわするのだ。

 

「なぁ」

「なに」

 

 てゐは視線を鉢から離さずに返す。

 

「お前は変わってると思う」

「…今更なにさ、まだ酔ってんの?」

「そういうわけじゃない、それに酒は完全に抜けて今は頭痛が…っとそうじゃなくてだな」

 

 自分のことを見つめるこの同族は、時にこうして愁いに似た視線を向ける。

 それが意味することも、何故自分がという興味も関心もない。

 だが何故か今日だけは、無性にその態度やらが腹が立つ。

 

「お前は、その持ってる異能のこともあって爪弾きにされてるだろ」

「で?」

「お前も他人に興味ない…って言うなら、というか実際ないから特に問題はないんだが…」

「だから?」

 

 さっさと言いたいことを言え。そう意味を込めた視線を向ければ、彼女はその顔を真面目なものにして。

 

「お前はさ、きっとここにいるべきじゃないんだ」

「………」

 

 悪意はない。

 嫌悪もない、打算もない。純粋なまでの「提案」による言葉だ。

 ただ純粋なそれ、心配…とはまた違う「きっとこんな可能性もあるのではないだろうか」といったもの。

 同族たちから爪弾きにされる自分への憐憫…であるならまだ、「お前に何が分かる」と苛立ち、八つ当たりすることですっきりすることもできた。

 だが許せない。自分でも許せないほどに、その言葉が正鵠を射たものであることを、今の自分が嫌というほど理解してしまったから。

 鉢から水が溢れ、燃え続けていた火が消されて薪が嫌な音を出す。

 その間も、てゐは目の前の彼女の顔をじっと見つめていた。

 

「…帰れ」

「わかった、じゃあな」

 

 絞りだすように言ったその言葉に、彼女はただ静かに頷き、そして背を向けた。

 いつの間にか最初にあった目の奥の痛みも、神経を逆撫でするような空腹も忘れていた。

 あるのはただ、腹立たしいほどの焦燥。

 

「………本当は」

 

 本当の自分は――

 そこまで考えて、てゐは首を振って食事を再開することにした。

 

 

 

 


 

 

 

 

 気が付いた時、いつの間にか自然と住んでいるこの島は、海に囲まれた箱庭である。

 箱庭という呼び方を使いだしたのはいつだったか、確かかなり前のようだったような気はするが、今となってはもうどうでもいい。

 視界全てを覆いつくす黄金の実り、山の斜面には幾千もの野菜の葉、全てが変わらず停滞を続けている。

 収穫をして、終われば植えて、そして実るのを待つ。

 雲は動く、雨も降る。だが何かが違う、何かが足りない。

 

「なんなのさ、一体」

 

 違和感は前からあった。

 朝起きて食事、昼に動いて食事、酒を飲んで食事。

 

 何度も何度も、何度も何度も何度も何度も。

 

 たったそれだけを繰り返す、しかも当人はそれを疑問にすら思わない。

 妙な話だ、それも一つ。たった一つの疑問を誰も口にしない。

 

「………はぁ」

 

 てゐにとって、むしろそれは当然とも言えるものであった。

 自分たちには足がある、見るための目がある、空気を吸うための鼻や口だってある。

 歩けるはずだ、考えられるはずだ、なら何故それを見ない、何故()()()気づかない?

 何故――

 

「海の向こうには何がある?」

 

 ――この世界はまやかしだ。

 安寧を貪り、変化を忘れたこの世界は、海に囲まれたこの島は箱庭だ。

 誰も口にしない、知ろうともしない。当然だろう、今の生活で満足しているのだから。

 それが当たり前だと思っているから、考えるという選択肢すら上がらないほどに腐ってしまっている。

 自分だけが異質。

 

「何がある」

 

 本当の自分は――

 胸の中で、他ならぬ好奇心が叫ぶ。

 

「あの向こうには何が潜んでる」

 

 本当の自分は、こんな――

 頬が吊り上がり、浮足立つ。

 

「………ははっ」

 

 自分だけが、異質。

 褒められたものではないその現実、自分自身に向けられたその評価。

 それが今ではくすぐったくて仕方がない。

 何をしている?お前は今何を考えた?

 

「落ち着けっての、私」

 

 ――いいや、お前は選ばれた。

 誰かがそう呟いた。

 

「いつも通りさ、こんなのはただの気の迷い」

 

 ――他の馬鹿共とは違う、お前は特別なんだ!

 誰かが違うと、そう叫ぶ。

 

「いいや、私がおかしいのさ」

 

 ――いいや、正しいのは私たちだ。

 聞き慣れたその声が、さぁ行けと叫び続ける。

 

「お前はてゐだ」

 

 ――そうだてゐ、私たちはお前だ。

 

「私はてゐ」

 

 ――私はてゐ。

 いつしか、自分にそう問いかける。

 

「あんたは何がしたい?」

「私は見たい、あの向こうを」

「考え直せ、行けないに決まってる」

「誰が決めた?それに試しもしないで何故諦める」

 

 ――嗚呼、今の私は狂っている。

 

「海だ、誰もあそこに行こうとしない」

「あぁそうだ、誰も近寄ろうとしない、誰も意識すらしていない」

「何故」

「簡単だ、現状に満足する愚か者だからだ」

 

 海は今でも、静かに揺れ動き潮の香りをもたらしてくる。

 同時にその向こう、水平線の先の未知の領域が。そこから誘惑するようにあの「モヤ」が。

 自分の日常を壊したそれが、今も水平線の向こうから。

 

「お前は資格を得た」

 

 もう一人の自分は言う。

 

「お前は変化を掴む機会を得た」

 

 己の好奇心が叫ぶ。

 

「さぁ行け」

 

 さぁ行け――

 

「お前は、ここにいるべきじゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか、てゐは立ち上がっていた。

 今まで自分がいた住居、それを振り返ることもせず、ゆっくりと歩き出した。

 だが今までのとは違う、その足取りには隠し切れない期待、今まで以上の焦燥とギラついた欲望があった。

 数えきれないほど見てきた山の斜面、少しずつ落ちてきた日とほんの少しだけ冷たくなった風。

 足元に転がる石、記憶に残る特徴的な傷を残した数本の大木、今までの自分を囲っていた日常、その最後の景色が焼き付く。

 名残惜しい?それとも…いや、この感情は違う。

 

「あれ、あんた久しぶりね」

「あぁ」

 

 山を下り、てゐはあぜ道を歩く。

 未だ収穫途中の黄金の稲穂、そして今も作業を続ける同族たち、名前も知らない赤の他人。

 同族たちの中でも珍しい、自分に対し拒否感を持っていない誰か。

 誰かでしかない、結局は赤の他人。知らない知りたくもない、自分とは違う安寧を貪る愚者である。

 歩いて歩いて、歩き続けて数時間、日も沈みだして冷えてきた。

 

 声が聞こえる、知らない誰かの楽しそうな声。

 

 酒を掲げ、肴を嗜み、きっと今日も今までと同じような繰り返す日々を再生するのだろう。

 だがもうそれは過去のこと。

 今までの自分が見ていた過去、停滞する時間はもう過去そのものになったのだから。

 

「…ははっ、もう駄目だねこりゃ」

 

 何故今になって。

 どうしてこの日、この時になって行動を起こしたのか自分でもわからない。

 きっかけなんてないのかもしれないし、本当はあの同族の彼女が言った「ここにいるべきじゃない」という言葉が理由になったのかもしれない。

 ざりっ…足元を細かな砂が包み込む。

 

「てゐよ考え直せ、お前は賢いからわかるはずだ」

 

 ざりっ…日が沈み、冷えた砂が心地よい。

 呆れ、自虐的な笑みを浮かべながら、てゐは目の前の海に近づいていく。

 最初は足の甲までしかなかった水位も、いつの間にか膝元にまで登り詰めている。

 勿論言うまでもなく、てゐが止まらず前進し続けているからこその現象であるが――

 

「嗚呼…最高だよ」

 

 足先、腰、喉にまで届く海水が。

 その冷たさ、生物の本能的恐怖が、身を震わせるのはどちらなのかはわからない。

 それなのに、今自分は、今自分を満たしているそれは――

 

「――クソ野郎」

 

 一歩更に踏み込んで。

 てゐは暗く黒い海の底、奈落に等しいそれに向かって落ちていく。

 

 

 

 

 はずだった。

 

 

 

 

(嗚呼、やっぱり…!)

 

 ――てゐは海中にいるのにも関わらず叫ぶ。

 

(やっぱり!やっぱり!)

 

 息もできる、景色も見える、濁っていない。

 それどころか青、碧く…蒼く青く!透き通った、青が澄んだその世界!

 海でありながら生き物はおらず、ただ静かに、自分の呼吸音のみが聞こえる心地よい世界。

 てゐはその空間で、ただただ笑うしかなかった。

 

(私は、間違ってなかった!!!!!)

 

 完全なる未知の気配、未知の世界。

 あの視界にうろつく「モヤ」もない、完全に今までの世界とは違う。

 沸き立つ心と、死を覚悟し踏み込んだが故の異常な興奮状態。

 笑う。腹が痛くなっても、声が枯れようとも、喉が痛み咳が出ようとも笑う。

 笑って笑って笑い続けて、やっとそれが止んだ時、てゐは再び歩き出す。

 

「…ここは」

 

 限界などない、文字通り無限に広がる青の世界。

 だが足元にはしっかりと、地面を踏む感触があるのに目を向けてもそこには何もない。

 波紋が広がるように、てゐの足元から踏み込むたびに白い波が広がり続ける。

 それに問題は出口、いやそれよりは"終わり"だ。

 

「とりあえず歩く、だね」

 

 何の確証もない、ただ己の直感に従った歩み。

 てゐはただ歩く、その足取りは今まで以上に、歓喜と好奇を纏った幼子のそれであった。

 誰もここを知らない、自分だけがここに辿り着けたのだ。

 異能を持って生まれたことによる弊害、群れでの和を失った彼女にとっての唯一の自己肯定感。

 自分だけが知れた、自分だけが、自分だけが彼女たちとは違って、この世界に足を踏み入れた。

 甘い。それはとても、とても甘美でたまらない優越感であった。

 

 自分だけが。

 

 てゐは何度もそれを反芻し、噛み締めて笑う。

 そうしてる間にも歩みは止まらず、それどころか今までの人生で一番の速度で、走りだして止まらない。

 

「………!」

 

 ――あの先には何がある?

 てゐはずっと考えた、誰もが口にしない、聞いてもまるで()()()()()()()()()()な。

 繰り返す日々、消えていく常識の壁は、この異能を持ったてゐのみが辿り着けた。

 歩いて、何日も歩いたかのような感覚が来た時にようやく、目の前に変化が訪れた。

 

「あっ…」

 

 てゐの鼻先、そこに確かに起こった変化。

 海中ではあるが、それはまるで透明の水…布に身体を沈めるかのような、空気そのものが弾力を持ったかのようなそれである。

 てゐにとって、今更そのような変化は行動を止める理由になりはしない、故に歩く。

 

 鼻先から瞼、肩から背中へ。

 

 透明な何かを潜り抜け、てゐは同時に、吹き荒れる風をその身に浴びた。

 突然の風圧で目を細め、荒ぶる前髪を押さえつけながらも歩みを止めない。

 しばらく風が顔を叩き続け、それがようやく収まり、目を開けても何も感じない程度になったのを肌で感じた。

 

「――嗚呼…」

 

 その時てゐは、ただ強く拳を握りしめた。

 つい呆けて動きが止まる。勿論その時には既に、あの広がる青の世界は見えなくなった。

 

 ザァー…ザァー…

 

 あの音、波が陸地を打つことで響く音。

 だが足から感じる熱は、先ほど飛び込む時に感じた冷たいものではない、文字通りの熱を持っている。

 太陽が昇る、風が吹く、どこまでも透き通った青空もある。

 だが違う、あの箱庭ではないのだ。

 

「はあっ…はあっ…!」

 

 走る、もっと、もっと早く。

 先ほどから歩き続け、そして幾度も訪れる興奮が彼女の理性を溶かす。

 目の前に生い茂る木々、その隙間をまるで針に糸を通すかの如く、精密にそしてどこまでも早く。

 足が痛む、足裏なんて砂利と泥でぐちゃぐちゃだ。

 

「はっ…!はあっ…!」

 

 それでも、どうしても見たかった。

 木々の向こう、差し込む光が視界に映る。

 てゐはそれに向かって、まるで体当たりでもするかのように速度を落とさずに駆け抜ける。

 一瞬痛む目、だがすぐに目を開き、広がる景色を――

 

「…ハハハハハハ!!!」

 

 水平線なんてない、そこにあったのは地平線。

 どこまでも広がる大地、閉ざされてなどいない、限界知らずの未知の世界。

 知らない動物がいる、知らない木々がここから見える。

 ならその向こうは?ここからでは見えない地平線の先、そこにはどんな景色がある?

 ――本当の自分は。

 

「…最高かよ」

 

 ――本当の自分は、こんなものじゃないはずだ。

 胸の中で燻るその言葉が今、再びてゐの中で燃え上がる。

 

 ――神秘全盛古代の世。

 

 これはそれより遥か昔、神代でのある兎の物語である。




 〇〇〇(てゐのいた場所)
いつの間にかてゐが過ごしていた島、誰も疑問を持たず誰も変化を求めない退屈の世界。
誰も違和感に気づけず、永遠に同じ時を過ごす謎の世界、その正体は――


 こういう作風の方がやっぱ自分には合ってるかも(書いてて楽しい)

呪術廻戦はどこまで知ってる?

  • 最新の単行本(人外魔境)まで
  • アニメの内容(渋谷事変)まで
  • あまり知らない(領域展開は知ってる)
  • 全部わかる
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