諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 過去編もそろそろ終わり


31話.諏訪の名乗り―間章―

 昔々のある話、因幡の国で起きたある話。

 そこは息を呑むように美しい、黄金の稲穂と深緑の草原が限りなく広がる平和な国。

 

 ある小さく長生きな、真っ白な兎がおりました。

 

 兎はとても好奇心旺盛で、その目で様々な景色が見たいと、それはもうとても長い旅を続けました。

 迷い込んだものは例外なく閉じ込められ、二度と外へは出られない広大な竹林。

 熱砂と宝石のような輝きを放つ、一口で心を満たす清らかな水。

 兎は長生きでした。それらの景色を全て堪能し、そして誰よりも命を楽しんでおりました。

 

 兎はふと、海を渡りたいと思うようになりました。

 

 とても賢く、交渉も上手い兎は海を泳ぐ鮫に交渉をしました。「私とお前、どちらの方が数が上か知りたいか」と。

 勿論兎はそのような賭け事に興味などありません。彼女の本当の狙いは鮫の背を橋代わりに、海を渡ることでした。

 見事に作戦は成功し、兎は浮かれ、口を滑らせてしまいました。「こんなにも簡単に上手くいくなんて」と。

 勿論それを聞き逃す鮫ではありません。彼らは報復として、目を除いたあらゆる身体を噛みちぎり、皮膚を剝ぎました。

 兎は絶命する寸前、失った耳と皮膚の激痛に悶え苦しみながら、やっとたどり着けた島で息も絶え絶えなその時に、ある男たちが近づいてきました。

 男たちは言いました。「これは酷い、一体何があったのか」と。

 兎は藁にも縋る思いで訴えました「身体が痛い」と「早く楽になりたい」と。

 男たちは、笑ってこう言いました。

 

「可哀想に、大丈夫。それで治る」

「全身を海に浸らせ、その後は海風に当たって楽になりなさい」

「砂をまぶすといい、きっとすぐ楽になれるだろう」

 

 ――勿論、これは男たちの稚拙な嘘でした。

 しかし兎はそれを信じ、男たちの言う通りにしました。

 当然、兎の傷が治るはずもなく、むしろ容態は悪化し、兎は痛みにのたうち回る元気すらなくしてしまいました。

 そうして痛みに喘ぐことすらできず、兎の身体が生きたまま半分腐り、そして次第に呼吸すらできず。

 

 

 

 

 哀れ、死んでしまいました。

 

 

 

 

「……可哀想に」

 

 それを、ある男が救ったのです。

 

 

 

 


 

 

 

 

 ――八坂神奈子は"最強"になった。

 文字通り大陸の全てを、国の全てを支配下に置いた彼女は絶対的な個として世に君臨することとなった。

 てゐには関係のない話だが、神にとって信仰を奪うというのは命のやり取りとは違った、単に殺すという意味以上のものを持っているらしい。

 せめて敗れ、眷属として一生を敗者として生きるのとは違う、言葉にできない屈辱そのものであるらしいがやはり知ったことではない。

 今まで以上の賑わいを見せる大和の国は、国民という名の、この島国に住む全ての人間を巻き込んだ祭り。それにてゐは参加していた。

 

「こりゃあ凄いな。だが本当に、これは祭りで済ませていい規模なのか?」

 

 太陽みたいに目が痛いと、そう隣に座った勇儀が笑う。

 夜空にまで届きそうなほど、高く燃え上がる焚火の輝き。

 それが神奈子の住む場所、本殿の前だけでなくあらゆる場所で、ある一定の距離ごとに用意され、夜の暗闇を消し去っていた。

 もはや暗い場所なんてなく、そこにあるのは光のみ。

 それは人間たちのいる場所、国だけでなくここ…鬼の山も例外ではなかった。

 

「てゐ、お前は祭り…あぁいや、宴会で一番大事なのはなんだと思う」

 

 ここからでもうるさいくらいに、人間たちの叫びと喜びが聞こえてくる。

 しかしそれとは反対に鬼たちは静かだ。勿論鬼からすれば、神奈子は敵であり自分を負かした嫌な奴…なのだから当然だろう。

 てゐが妙に思ったのはそこではなく、あれだけ神奈子との喧嘩を楽しそうに語っていたはずの勇儀が、今はとても静かに酒を飲んでいたことで。

 

「そりゃあ…人だろう?人がいないとただの一人酒…それは祭りでも、ましてや宴会でもない」

「…うん。そうだな、それもある」

 

 勇儀の言いたいことがわからずに、てゐは眉をひそめる。

 

「何、鬼にはこの程度じゃ満足できないって?」

「まさか!文字通り全ての国が一つになってやる祭り、宴会だ。こんなの一生の内に何回見れるかわからん」

「……」

「ただ」

 

 勇儀は残った酒を一気に飲み干し、神奈子のいる神社に視線を向け。

 

「酒はさ、そいつの今までのわだかまり。喧嘩した時の怒りとか、悲しみとかを一気に洗い流すもんだと思ってる」

「それが鬼の酒?」

「あぁ悪い、恰好つけた。難しい言葉は慣れないね、とにかくだ」

 

 勇儀の視線を追い、てゐも神奈子がいるであろう本殿の方をじっと見る。

 人間と違い、妖怪は膂力もそうだが視力も常軌を逸する。

 てゐが目に力を入れ、意識を集中させると薄っすらとだが、おそらく神奈子であろう輪郭をなんとか捉える。

 その姿は、まさに威風堂々と呼ぶべきものだった。

 

「あいつ。泣いたんだってよ」

「……は?なんで」

「人間たちは宿願が叶ったからだとか、美しい慈悲の涙だとかほざいてたがね」

 

 列島制覇を成すのに一番の強敵とも呼べる、最後に残された国と神。

 勇儀たちはその戦いを直接見たわけではない、ただ人間たちが語る様子を見て、そして他ならぬ神奈子の様子から答えを推測したのみ。

 しかしそれでも十分すぎるほどに、神奈子の悲痛な表情が全てを物語っていたのだ。

 

「あいつはこれからずっと一人さ。自分の歪んだ価値観と情緒を、誰とも分かち合えずに一人で抱える、誰ともだ」

「…なんで」

「あいつは強すぎる。そのせいで同じ神との間でも単なる実力のそれとは違う、生き物としての線引きができちまったのさ」

 

 勇儀の語るそれは、てゐには理解も納得もできない話だった。 

 強すぎるから何なのか、力の発露を求めて苦しむなど、自分には想像もできないものだから。

 自分がこうして、人の姿をとれるようになっても変わらない。

 自分よりもあらゆる要素を持ち得る彼女、勇儀はそれを理解できるというのか。

 

「ま、私はあいつを哀れむ資格なんてないんだがね」

「?なんでさ」

「私は"贅沢者"だからさ」

 

 賑やかな人の気配は、留まることを知らずに熱くなる。

 その熱気はさながら熱湯のそれとほとんど同じ、髪が肌にひっつくようなくらいのそれが、山にいるはずのてゐたちにまで届く。

 新たな王。新たな支配者の誕生に狂喜乱舞する人間たちと、勇儀曰くそれとは真反対に、その実暗く冷たい思いを隠しているという神奈子。

 遠目から見ても、やはり彼女が何を思っているのかは分からない。

 だがあれほど熱く語り、そして直接拳を交わし合った勇儀が言うのだ、それは間違いではないのだろう。

 少なくなった酒を片手に、てゐはため息を一つ。

 

「まぁいっか…」

 

 可哀想だとは思うが、結局は他人なのだ。

 友でもない、それに彼女の作った国とやらに思い入れもないし興味があるわけでもない。

 しかし妙に心がざわつく、それは一体何なのか。

 しばしの沈黙。

 しばらくそうして、てゐはその微妙な空気を終わらせようと、少し語気を強くして勇儀の方を振り向く。

 

「で、神奈子は結局この後ど…」

「………」

「る……?」

 

 あんぐり。

 勇儀の視線はてゐではなく、その背後にいた誰かに向けられていた。

 てゐはそれを疑問に思うが、同時に妖力ではない別の気配を感じ、はっと息を呑む。

 妖怪の気配ではない、つまり鬼ではなく別の存在。

 人間ではない、霊力ではなくもっと別の――

 

「……っ!」

 

 てゐが咄嗟に振り向き、そして立っていた第三者を見上げる。

 その者はてゐの驚いた様子を見て、静かにニコリと笑って、そしててゐの隣に座る。

 先ほどから口を開けっぱなしにしていた勇儀は、その者に対し呆然として呟いた。

 

「……驚いた」

「おや、君は確か山の四天王だったね」

「…あぁすまない、みっともなく放心しちまってた」

「気にしないで、こうしてここを訪れるのも久しぶりだから」

 

 それは赤毛がほんの少し混じる、美しい茶髪の青年だった。

 八坂神奈子のと変わらない神聖な気。白と赤を基本色にした装束と、背中に背負った一本の弓。

 勿論人間ではなく、彼が人外なのはわかる。ここは鬼の山であり、更に今は鬼たちが酒を飲んでいる…つまり人間は入ってこられない。

 となると答えは二つ、鬼かそれに連なる強力な妖怪、そしてもう一つの答え――

 

「……嗚呼、本当によかった」

「あ、の…その」

「傷跡も残ってないみたいだね、ちゃんと治せたみたいだ」

 

 てゐの額に触れ、そして髪をゆっくりと撫でる彼に、てゐは困惑した。

 その美しい風貌と、楽器のように透き通る美しい声。まるで完成された一種の芸術作品を見るかのような、そんなズレた視線で見つめるてゐ。

 緑の瞳。それがてゐを、慈愛に満ちた輝きを以て射抜く。

 

「覚えてないかな、君が昔皮を剥がれて…」

「待った。ダイコク様、もしやてゐは前に言ってた…」

 

 懐かしそうに語る彼――ダイコク様と呼ばれた青年。

 勇儀の納得がいったような声、そして彼が語る過去の話は既に、今のてゐには聞こえていなかった。

 ――昔々のある話、因幡の国で起きたある話。

 

「普通なら助けられなかった。でも君はあの時妖怪になりかけていたんだ、覚えていないかい?」

 

 てゐの空白、存在しない過去の記録。

 それが一言、目の前で語られる己の知らない過去が紡がれて、そして鮮明に蘇る。

 

「加護をかけたとはいえ…死んだ直後だったから、きっと生まれ直すのに時間がかかったんだろうね」

 

 視界が揺れ動く。

 声が出ない、息ができない。

 しかし不快感は感じず、ただ身体が見えない何かに引っ張られるような、そんな違和感。

 

「それで、ダイコク様は何故ここに?」

「神奈子の様子を見に来たのもあるけど、一番はこの子かな。加護もちゃんと働いて――」

「へぇ、そうな――とやっぱりてゐは――たのお気に――で――」

 

 世界が崩れる、溶け始める。

 鮮明に映っていたはずのそれは、あっという間に陽炎のように輪郭を失い、そしてゆっくりと色を失っていく。

 目が覚める。

 

「神――子はこの――どうす――っ――て」

「きっ――としば――く――年は――眠――チ――」

「――精の――なら安――でも国――の」

 

 目が覚める。

 

「――咫――も――烏だか――」

 

 目が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい、てゐー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 稲穂の香りがする。

 目の前に広がる黄金、だがそれは過去にてゐが見たそれ、閉ざされた箱庭のものとは違う。

 てゐがゆっくりと目を開けば、まるでてゐの顔を覆い尽くすように、黄金の髪による幕ができていた。 

 それを生み出す張本人、鼻同士がくっつきそうなくらいに近づいたその少女。

 

「……あー、しんど」

「どうしたの?なんかすっごい途中で唸ってたけど」

「なんでもない、ちと昔の夢を見てた」

 

 ――本当に懐かしい。

 てゐの答えを聞き「ふーん」とどこか納得いかないという顔をする少女。

 かつて列島を制覇し、文字通り頂点に君臨したあの軍神には及ばないが、膨大な神力を持った神。

 洩矢諏訪子は、起きたばかりのてゐの顔を、先ほどから変えずに、むしろ更に距離を縮めて。

 

「なんかまだ眠そうだけど」

「…なんでもない」

「まだ目が覚めてない?なら寝起きの接吻(チュー)でも…に"ゃ"っ"!」

 

 とりあえず鼻をつまむ。

 突如意識外からの一撃を喰らったせいで、諏訪子は少女が出してはいけない濁った叫びを出す。

 同時に距離をとり、やっと起き上がれるようになったてゐは、身体をほぐしながら歩き出し。

 

「ほら、さっさと準備する。神なんだからマシな顔しろ」

「ちょ…待って…意外と鼻のダメージが…」

「よくわからんことを言うな」

 

 実際妖力も流し、割と強くつまんだのもある。

 だがそれにしては痛がりすぎだと疑問を浮かべるがすぐ、てゐは彼女の痛みの原因に辿り着いた。

 どうやら自分相手には、神力で身体を守らずに素の状態以下の無防備でいたらしい。

 平和ボケとも言うそれは、しかし同時にてゐ相手なら…という位には信頼をしていることの証明で。

 

「…フン、行くよ」

「は、はーい…」

 

 締まらない神の涙声を尻目に、てゐは赤くなった耳を見られないように早めに歩き出す。

 諏訪子もしばらくは「うーうー」と涙声であったが、そのうちに涙声も収まり鼻の赤みもなくなっていた。

 襖を開き、そして目前に広がる景色を見て、てゐは息を吐く。

 

「嗚呼、懐かしいな」

 

 人も少ない、活気もまだまだ。

 しかしそこには確かに、あの一瞬だけ見ることができた、真の理想の国があった。

 民が満たされ、国が栄えるだけではない。神もまた民を愛し、そして満たされる理想の国。

 列島を制覇した時、あの足りぬ輝きのそれとは違う。

 姿を見せた諏訪子とてゐに気づき、何十もの小さな国の民は、ひれ伏すように忠誠を見せた。

 

「てゐ」

 

 隣に立つ彼女は、浮き立つ心を誤魔化すように、てゐの手を背中でこっそりと握る。

 目前の彼らに、それに気づいた者はいない。

 

「私、頑張るよ」

「……あっそ」

 

 古代幻想神話、諏訪大国。

 その名乗りは既に、小さな兎と土着神と共に。




 ダイコク様(大国主命)
作者の見た目イメージはモンストのオオクニヌシ。
東方儚月抄の霊夢より「美形らしい」のと史実の優しそうな性格と声が作者の癖にベストマッチだったので。

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