【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 萃香の過去編開始
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37話.噓と慟哭①月の雫

 語る者などもはやいない。

 遠い昔の思い出話、誰も残さぬ、誰も知ろうとしない。

 知っているのは、その苦しみに喘ぐのは今も自分だけ。

 あの、月の光を見て思い返すのは、あの人間を覚えているのは自分だけ。

 自分だけが――

 

(…くそったれ)

 

 月は酒の肴だなんて、昔は格好をつけていた自分が。

 鬼たる自分が、山の四天王たる己が、伊吹萃香がなんて情けない。

 なんて醜いことか、なんて腹立たしいことか。

 なんて、これじゃあまるで鬼ではなく――

 

(……クソッ)

 

 わかっていた筈だった。

 嫌というほどに、これがただの八つ当たりなのも、それらしい、鬼らしい御託を並べて嫌いたいだけ。

 本当はただ、この苛立ちをなくしたいだけで。それを理由に、一方的に気持ちをぶつけたいだけだった。

 誰でもいい、気に入らないからだと、お前がたまたま目の前にいたから、だなんて、なんて不器用で情けなく。

 そして、まるで人間のような――

 

 なんて、下手な嘘をついてしまったのか。

 あの人間と同じ、嘘つきになってしまったのか。

 

 無抵抗で殴られ、血を吐きながら諏訪子が飛ぶ。

 顔を真っ青にして、走り出すてゐと、そして十二分に威力を伝え、振りぬいた己の拳。

 返り血で染まる己の拳に、充実感も何もなく、そこにあるのは誇り高き鬼の拳ではなく。

 矜持も何もない、あの人間と同じ。

 ――嘘つきの、裏切り者の拳だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伊吹萃香という鬼にとって、山を下りるというのはそれほど珍しいものではない。

 山の四天王といえど、支配する者と言ってもやることはなく、時折山を下り、適当に人間を攫うか酒を奪うか。

 仲間同士の争いを仲裁する程度の、軽い統治こそすれど、それ以上のことはしない。

 人間のように権力で、本来の自分まで縛られる、雁字搦めにされるような心配はないのは美点か。

 鬼とは自分勝手なもので、そしてそれこそ鬼の特権であると、ある邪知暴虐な四天王、茨木華扇はそう言った。

 人を殺し、血肉を貪る悪逆をそう自慢げに語る姿を見て思う、萃香にとってはそこまでだと。

 たとえ長い年月を生きていようと、人に近い姿と情緒を持った存在だとしても、萃香もまた妖怪に過ぎない。

 殺した者などどうでもいい。己の欲望を満たすために、殺した善人など軽く千は超えるだろう。

 時に殺し、時に死ぬ寸前まで他者を痛めつけ、その苦しむ様子を嘲笑い、そして酒を飲む。

 誰よりも殺気に満ち、そしてすっかり返り血が染み込んだ華扇のことを笑う資格など、果たしてあるのだろうか。

 いや、ない。

 では勇儀はどうだろう。山の四天王が一人、怪力乱神の権化たる星熊勇儀はどうなのか。

 いいや、あの生き方は少し堅苦しい。

 どっちつかずなのだ。

 伊吹萃香という鬼は、まるで水のように生きていた。

 時に頑固で、鋼に勝る硬さをもって鬼の矜持を貫き。時にはのらりくらりと、捉えどころのない霧のように彷徨い続ける癖のようなもの。

 嘘を嫌う癖に、鬼の癖にまるで「嘘をつくかも」だなんて、掴みどころのない生き方をする。

 ムラとも言える、中途半端でしかし、ちゃんと鬼らしい頑なさもあり、そしてそれを貫く力もある。

 縛られるのが嫌だった。約束なんてクソ食らえだ。

 

 

 

 

 だって、人間は何時も裏切るから――

 

 

 

 

 その日、萃香はいつものように山を下りた。

 身体を水のように透明に、そして実体のない霧のように散らして宙を舞う。

 いつものように、今まで何百何千と繰り返したものだ。

 時に実体を見せぬまま、人間の集落に侵入しその流れを見て楽しんだり。

 時にいきなり実体化をして、人間の混乱っぷりを眺めたり。

 そしてある時は、鬼退治などせずに酒と肴を盗んで平らげる。

 今回は果たして、今までのどれが適用されるのか。

 まるで他人事のように、萃香はある小さな島の、更に小さな人間の集落を見る。

 萃香の持つ異能は「密と疎」を司る。たとえ身体を分子、原子レベルに分解しようとも、その精神や肉体に損傷が生じることはない。

 文字通り世界の全て、この大陸の端から端までに、伊吹萃香は存在するのだ。

 

「ちっぽけな村だねぇ」

 

 空を飛び、海を越え、長い長い旅の果てとして選んだ島。

 広さだけは見事なもので、自分の住む山に匹敵するか、もしくはそれ以上の広大な緑の景色が広がっていた。

 しかしその広さに反し、人間の集落はあまりにも小さく、ぽつんと孤立しているのが上空からでもわかる。それくらいに小さな村。

 これだけちっぽけだと期待すらできない。面白いものもないだろうと勝手な失望を垂れ流し、萃香は村の中心に降り立った。

 萃香に気づく者はおらず、皆がそれぞれ他愛もない会話を交わし合っている。

 誰も姿を見れない、存在すら知覚できない筈であるが、道の真ん中で突っ立っている、透明な萃香のことを、まるで彼らは見えているかのように避けて歩く。

 これもまた、萃香の持つ異能による賜物であるのだが――

 

「おはようございます」

「松さん!今日も安くしとくから是非…」

「おはよう、今日もいい天気で…」

「今日はこれだけ捕れて…」

 

 退屈だ。

 空は青で澄んでいて、片手で数えられるくらいしか雲がない。

 秋特有の少し冷たい、しかし不快感は感じない心地良さすら感じる優しい風。

 たった数十人の、小さな村の活気あるその景色を見ても、萃香は退屈以外に感じない。

 争いもない。恐怖もない、きっとこれといった妖怪による被害も、そして悪神も存在しないのだろう。

 強いて言えば夜の闇。生物が本能的に恐れる対象、そしてぼんやりとした一種の畏怖くらいだろうか。

 その平和ボケとも言える空間に、萃香はムッと頬を膨らませる。

 

(…いっそここで暴れるか?)

 

 一瞬浮かんだ魅力的な提案、それに歓喜の笑みを浮かべるもすぐ、頭を横に振って払う。

 鬼の本能が叫ぶ、おうおう()という存在を忘れた分際でよくもまぁ。

 我ながら理不尽なものだと思う。姿を消してバレないようにしている癖に、勝手に自尊心は膨らんでいく。

 鬼たるもの、常に恐れられ、敬われるべき。

 かつて山の支配者を名乗っていた天狗をぶん殴り、便利な手下にしたあの頃と同じ。

 鬼ごとに程度の違いこそあれ、自分勝手なその心理は、人間相手だろうと、それがこのように海に囲まれた目立たぬ島だろうとも変わらない。

 よしそうしよう。暇潰しに軽く暴れて、適当に恐怖を集めよう。

 少しばかり、周りに漂う「自分」を集め――

 それを見たのは、いよいよ実体化するという寸前であった。

 

「っあ…」

 

 どしんっ

 いよいよ実体化し、村を恐怖に陥れようというその時に、萃香の背中にぶつかった人間がいた。

 ついその衝撃に驚いて、つい実体化のための動作を停止して、呆然としたまま立ち尽くしていた。

 第六感。俗に言う勘と呼ばれるものは決して馬鹿にはできない。

 たとえ身体が透き通るとしても、見えない霧として辺りに充満したとしても、妖怪である以上"伊吹萃香を形成する何か"が、核のようなものはある。

 密と疎を操る力を使い、萃香は先ほどまでその核に対する人間に対し、あるフィルターを通して催眠のようなものを掛けていた。

 それは残る五感の一つ、視覚に対してだ。

 今もこうして思考をし、そして実体化の際に依り代となる核を媒体に、「自分のいる方向を見ている者」という条件で、自分のいる場所を無意識に避け、歩くようになる洗脳だ。

 先ほどまで、道のど真ん中に立っているというのに、誰も萃香の透明な身体に向かって歩く者がいないのも、そのせいで不自然な空白が生まれるその景色にも、疑問を感じる者はいなかった。

 しかし、今こうして彼は自分に触れた。

 何者だ?

 そう思い咄嗟に振り返った萃香を襲ったのは、――落胆と呆れだ。

 

「すみません。怪我はないでしょうか?」

 

 萃香より頭一つ分背が高いその少年。

 彼は両目を閉じたまま、一つに纏めた黒い、長い髪をまるで尻尾のように振り、あわあわと焦りながら謝罪の言葉を口にしていた。

 気にする意味も、目に付くような特徴もない、どこまでも普通でありふれた、黒髪と簡素な作りの衣服。

 偶然か必然か。どちらにせよ鬼である自分の意表を突いた者の正体、それを嫌というほどわかってしまった萃香は。

 

「盲目か、お前」

 

 その呟きに、少年は反応などできない。

 萃香もそれをわかっている、わかっていて尚、わざと本来ならば少年にも聞こえるだろう音量で、そしてわざとそのまま実体を消し、聞かれる必要がないからこそ吐き捨てるように言った。

 想像を裏切り、自分の意表を偶然を味方に突いただけの、取るに足らぬ弱く醜いその姿。

 ほら今も。

 

「あ、あの…怪我はありませんか…?」

 

 ――癪に障る。

 ぶつかったのは自分なのに、それで倒れて一番危険なのは自分な癖に。

 こうして相手のことしか心配しない仕草、気に食わない。

 常にこうしてへりくだって、謝って、他人を心配し続けていたのだろう。

 その顔に染みができている。常に虐げられ、下に見られることに慣れた弱者の姿。

 謝って何になる、力も振えずそれでいいのか。

 萃香の中の鬼が言う、お前のような弱者は嫌いだと。

 そして何より気に食わないのは、偶然とはいえこのような、取るに足らない弱い者に、自分は不意を突かれたのだということ。

 許せなかった。

 鬼である自分を、妖怪の中でも選ばれた存在、神代から存在する鬼たる自分を。

 ――殺そうか?

 

「そこの」

 

 とぐろを巻いた蛇のように。

 獲物を見据えた獅子のように。

 萃香は己の内で暴れる衝動を隠して、今度ははっきり聞こえるようにして、言う。

 

「あっ…はい!私ですか?」

「お前。付き人はいないのかい?」

「は、はい…私は目が見えないので、家の人間から爪弾きにされていますので」

 

 やはり癪に障る。

 ウジウジしていて気に食わない。不満を吐かないその偽善とも呼べる態度が気に入らない。

 そして何より気に入らないのが、鬼の本能が、直感が彼が一切の嘘をついていない、内に秘めた思いなど存在しないと断言している現状。

 本気で、彼は不満など一切ないと、排他される自分を仕方がないと、受け入れていることに他ならない。

 伊吹萃香。山の四天王たるその自尊心を、目の前の人間は逆撫でするかのようなものだった。

 

「あの…怪我はないですか?もし自分がぶつかって、それで…」

「気にすんな。軽くぶつかっただけ、むしろあんたの方が大変だろうに」

「いえいえいえ…むしろ私のような者のせいで…」

「付き人もいない、それなのにどこに行くつもりなんだ?」

 

 萃香の疑問は尤もだった。

 少年もその問いに、なんと答えればいいのか、それとも話したくないのか。

 先ほどまでの勢いを、ぺらぺらとへりくだった言葉が流れていた忌々しい口を閉じる。

 向かい合って数秒、しかしその空白の時は、まるで数分にも匹敵するかのようだった。

 片や国すらも滅ぼし、人間を恐怖の渦に引き込む凶悪な存在である。

 たとえ少年が盲目であろうと、それに気づかないとしても周りの人間は違う。

 少年は語っている、話しかけている。

 見えない相手に、虚空に向かって話しかけている少年の姿は、控えめに言っても、それは不気味なものだ。

 しかし今、萃香も例外なく、そして少年すらも今や密と疎…その内の"疎"である。

 萃香の思惑通り、少年は周りに気づかれることなく、鬼に手を握られる。

 

「せっかくできた縁だ。案内役くらいならやってやるよ」

「…………」

 

 手を握られた少年は、何かに気づいたかのように一瞬、機能を捨てた筈の両目、瞼をピクリと動かした。

 その反応を見逃さなかった萃香は、冷たい汗が背を走る感覚を覚えた。

 しかしすぐ、にこりと気色の悪いくらいにいい笑顔を見せた少年が言う。

 

「なら、お願いします親切な人」

「…あぁ」

 

 萃香は腕だけでなく、今度は身体の全てを実体化させた。

 鬼である自分の誇り、捻じれた二本の角と少女らしい華奢な身体の全て。

 しかし見た目とは裏腹に、その肉体には文字通り、山すらも動かす鬼の怪力が宿っている。

 壊さないよう、慣れない手加減で少年の腕を引っ張って、萃香は歩き出す。

 同時に、この後どうしようかとも考えた。

 ここで気が変わって、観衆のいるこの場所で、少年の臓物をぶちまけることで起こる阿鼻叫喚。

 もしくは誰も気づけない、山の最奥に迷い込ませ、そこで一口でぺろりと平らげるか。

 それとも、山の最奥に迷い込ませるところまでは同じで、その後は一切手助けをせずに

 

「お前、普段は何をして生きてるんだ」

 

 村との距離が遠く、一面に広がる野原を横目に、萃香はそう問う。

 少年は萃香の問いに対し、悩む素振りすら見せず、言った。

 

「なんとかです」

「ナントカ」

「以前は恥ずかしながら…手探りで家にある食べ物を片っ端から食べていたんです。そのことがバレてからは、ちゃんとした食べ物を恵んでくれるようになりました」

「当然だな。となると今も金食い虫か」

「はい」

 

 言い切った。

 その開き直りに苛立ち、そして舌打ちをしそうになるのを抑えて、萃香は納得した。

 なるほど、人間が生きる為には、目に見える情報がほとんどの割合を占めるというが、それにしてもこれは酷い。

 こう言うのもあれだが、鬼である萃香からしても、目の見えない人間などどう有効活用すればいいか知ったことではない。

 それもこんな小さな村で、多くない食料を消費し、あまつさえ生きる為とはいえ、目が見えないからとはいえ、自分たちの分まで食われたのだ。

 

 ――殺されてないだけマシ…というより、殺したくても殺せないといった感じか。

 萃香はそう推測する。

 

 同時に萃香は先ほどの、地面に倒れ込む少年を見た周りの人間たち、その反応を思い返す。

 最初に声を出し、そして少年が倒れる音を聞いた時点では変わらない。

 皆が一斉に何があった、大丈夫かと振り向き、そして少年の姿を見た途端、すぐに興味を失ったようにそれぞれの作業に戻った。

 男も女も、幼子も老人も皆が同じく、この少年に対し一切の興味がないらしい。

 家の者…少年の血族も大変だろう。殺したくても殺せない…それはつまり村全員の合意である。

 小さな村では人一人の死すら重い、仮に少年が不審な死を遂げたとしても、まず最初に疑われるのはその血族なのだ。

 萃香と少年、歩き続ける二人を見る黒い影。

 赤い眼を、そしてほんの少しだけ漏れ出る瘴気を、少年の首に、その肉付きのよい身体に向けて蠢く人ならざる者。

 軽く視線を向け、萃香が威圧すれば簡単に姿を消した、所詮はその程度。

 だがあくまでも、それは萃香にとっての脅威度であって人間からすれば別。

 よくて敗走、それも武器を持ってなんとか…と言ったところであり、基本的に運が良ければ逃げられる…そんな相手だ。

 そんなことも、先ほどまでとはいえ自分がそれに狙われていたことも知らず、少年は変わらずニコニコ顔で、萃香に手を引かれるがまま。

 時たま現れる妖怪を追い払い、手を引っ張ってしばらく、少年は萃香の手から飛び出すように駆け出した。

 

「あぁ、ここです」

「あぁちょ…っ!?」

 

 目の前には、美しい湖が広がっていた。

 様々な国を、村を見てきた萃香ですら感嘆の息を漏らすほどの、とても澄んだ水色の美しい芸術品だった。

 少年はその景色を見ることができず、閉じた瞼のその向こう、濁ってしまったその瞳は何も反応を見せない。

 しかしそれでもいい。ただその分、その不足した感覚を補うように発達した手先の感覚が、この湖を脳に映してくれる。

 湖に手を突っ込み、その感覚をしばらく楽しんでから、少年は見えない筈のそれにお辞儀をした。

 それは惚れ惚れするような、祭典で見られるような動きだった。

 

「――どうか、どうかこれからも」

 

 誰に祈っているのか。

 萃香は人が変わったかのように、何かに対して祈りを捧げるその背中を見る。

 気味が悪いとさえ思う。

 何故見えやしない何かを、元より目が見えぬ彼が、何故余計そのようなものに。

 そんなことを思いながら、どれほどの時が過ぎたのだろう。

 少年は静かに、再びお辞儀をして、そして萃香の方を振り返って。

 

「っとと…」

「何やってるんだお前は」

 

 萃香は見ていられなくなって、バランスを崩す少年の身体を支える。

 なるほど、馬鹿だと思っていたが前言撤回だ、こいつは馬鹿だ。

 萃香とて長い時を生きてきた。少年が今した行動の意味も、その動機も知識としては知っている。

 様々な国で、村で、それを見てきた。

 故に、苛立って仕方がない。

 力を至上とする人外。妖怪でも特にその比重を置く鬼からすれば、人が神に縋るのは愚かだと思っている。

 信仰のためと口で謳い、結局は暴力で解決する滑稽なその実態は、真偽の分からない後付けの遺言だ。

 虚勢もあったろう、自己陶酔していた醜い嘘つきもいただろう。

 

 だが、この少年は違う。

 

 嘘を忌避する自分だからわかる。

 誰よりも優柔不断で、ころころと意見と住居を変える自分だからわかる。

 この少年は誰よりも、そして他ならぬ伊吹萃香が持ち得なかった、鬼が決して得ることのできない境地にいる。

 身の丈にあった生き方と行動ではある、しかしその思いが目指すものは、理想とも言える莫大なもの。

 妖怪である自分では決して並べぬ、力を持って生まれてしまった自分では決して手に入れることなど不可能な。

 弱く醜い、欠陥だらけの生物だから。人間だから辿り着くことができた世界。

 ――だから気に入らない。

 

「…なるほど、やっと理解できた」

 

 今まで目を逸らしていたのは認めよう。

 人を殺め、金銀財宝を盗み、時に人間の復讐に付き合ってやって、そして「鬼退治」を楽しむ時も。

 固く鋭い人間の意思。それを見て歓喜に満ちたあの感覚と同時に、萃香が胸の内に秘めたこの感情は嫉妬だ。

 羨ましかった。自分もそれが欲しかった。

 難しいことは考えず、しかしそれを一つの思想として昇華させ、ただ喧嘩を楽しむ星熊勇儀。

 鬼の残虐性こそを至上に、それすらも建前に、ひたすら殺戮と蹂躙を楽しむ茨木華扇。

 彼女らを見て感じた焦燥に近い何か、それはきっと劣等感だ。

 何故自分は彼女らと違って何もない、何も。確固とした思想を持っていなかった。

 言葉にできぬ焦燥の正体、今まで自分が生きてきて、そして見つけることのできた足りないもの。

 

 それはきっと、飢えだ。

 

 何でもできる。どこにでも行ける。

 そんな自分では、力に頼らぬ人の強さを信じられなかった。

 力の権化たる自分では、力なき人間の意思の強さが、ただ自堕落に生きる鬼より上なのだと。

 妖怪の頂点たる鬼すらも尊く、そして萃香たちでは決して手にすることができない宝なのだと。

 力を持たぬからこそ、純粋に祈るしかないその行動がどれだけ輝いているかを。

 ――同時にそれが、とてつもなく不快であることを。

 

「気が変わったよ、人間」

 

 食ってやろうと思った。

 殺して川に流してやろうとも思った。

 だが、今この瞬間、何百年とかけてやっと辿り着けた己の心の隙間に気づき、萃香は笑った。

 

「最初、お前がぶつかってきた時はさ、殺してやろうとすら思った」

「そうですか」

「…動揺すらしないか」

 

 まるで当然だと、当たり前だと。

 相変わらず、少年の瞼は閉じたまま。

 

「慣れてますから、そのような視線は」

「だろうね、私がお前の身内なら迷わず捨ててる」

「職もなく役にも立てず、できるのはこうして無駄な祈りのみ。その考えは間違ってはいません」

「嘘だね、それは」

「えぇ、嘘です」

 

 少年はそう、あっさりと肯定した。

 

「…随分あっさり言うじゃないか」

「嘘ではなく冗談。冗談ですよ」

「ほう!冗談」

「えぇ、だって、こんなに本気で信じているのですから。この地にいるという神を」

 

 目が見えぬ、夢もなく。

 毎日を敵意の込められた視線の海、その中でも少年は、その祈りが最善だと思い込んでいる。

 家族に、村の人間に、自分以外の全てから嫌われようと、姿すら見せない神に祈りを捧げる。

 鬼らしい頑なさ、頑固さ。

 だが鬼らしくない。卑怯な逃げとも呼べるその道を、人間らしく真っすぐに突き進む。

 

「お前の言う神とやら、それは祈りを律儀に聞いてくれるのか?」

「さぁ、でもやってみないとわからないでしょう?好いた女と対面して、最後まで結局口を開かないようなものではないですか」

「なるほど、悪くない」

 

 狂気とも呼べる信仰心。それを萃香は笑って肯定した。

 並んで立つ、人と鬼のその姿。

 これは、ある御伽の国の物語。




 凋叶棕(ティアオイエツォン)はいいぞ

呪術廻戦はどこまで知ってる?

  • 最新の単行本(人外魔境)まで
  • アニメの内容(渋谷事変)まで
  • あまり知らない(領域展開は知ってる)
  • 全部わかる
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