【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 酒奈良絵本(酒吞童子)によると酒呑童子の父親は八岐大蛇らしいです、まぁ本作ではちょっと違うんですが
 噓と慟哭を聞け(命令)あと感想も下さ((


38話.噓と慟哭②華散里

 祈りとは、無力な者の足掻きである。

 力を持たず、戦う術を持たぬ軟弱者の、価値などない愚かな選択肢である。

 萃香は今まで…いや、きっとこれからもそう思い続けるだろう。

 

 あれから数日経った今も、その考えは変わらない。

 

 妖怪や神といった人外は、必ず力による線引きを行う。

 それが幸か不幸かはわからない。しかしただ一つ断言するとするなら、それによって苦しんだ哀れな者は、八坂神奈子一人であるということ。

 人の価値観を知らぬ、理解しようとすら思わぬ鬼。

 萃香はかの哀れな、二律背反に苦しむ少女とは違い、人間の価値観になど悩むことはしない。

 しかしそんな萃香が眩しいくらいに、悔しいほどに羨ましいと思ってしまうのがこれだった。

 

 苛立つほどに強く意識する、人の意思の強さ。

 それのみで、鬼に並ぶというあり得ぬ現実の景色。

 

 伊吹萃香という個体がこの世に生まれ、最低でも数百年。

 その間に様々な生き物がいた。自分より遥かに優れた背丈を持つ者、己より非力でありながら、その癖知恵だけは回る者。

 己の栄光の為に、鬼を討ったという称号欲しさに挑んできた者もいた。

 かつて生きたまま丸呑みにした人間、その子だと名乗る者が復讐の為に挑んできたこともある。

 しかしどれもが偽りの遺言。後付けに過ぎない、硝子のように脆いもの。

 自己陶酔とも言える。伊吹萃香という存在に、鬼という格上の者と対峙している自分に酔い、その立場を愛おしくすら思って。

 誰もが空っぽの中身、張りぼての意思を身体に纏い、今まで立ち向かってきた。

 だが今回は違う。彼は今までの人間とは違う。

 何かの代わりに、今の自分にできることを成すような生き方とは違う。

 己の身の丈にあった行動でありながら、その実誰より重く鋭い意志を持つ。

 ただ自分以外の誰かの幸せの為に、いるかどうかもわからない神に祈りを捧げ、そして不満の一つも零しはしない。

 呆れられただろう、無駄だと嘲笑されたことだろう。

 たとえ無駄だと蔑まれようと、どれほど悪意を向けられようと、彼は本気で今の自分にとって、祈りだけができることだと信じている。

 百折不撓の意思の強さ。それのみで力も、寿命も違う筈である鬼を、伊吹萃香という存在を超えたのだと。

 力を持ちすぎるが故、自分にできることを精一杯…などという、人間しか持てない尊きその意思を見せつけられて。

 ――それが、どうしようもなく苛立つのだ。

 

「今日も抜け出してきたのか」

「はい。既に気づかれてはいるのですが…」

「むしろ事故にあって消えてくれた方がいい…か?」

「えぇ…」

 

 図星を突かれると、彼は困ったように静かに笑う。

 肩をすくめて、吐息と共に言葉を紡いで。

 

「前までは止めてくれました。しかし最近になって、私がこの場所によく来るのを知ってからは」

 

 そこまで言って、彼は言葉を飲み込んで黙ってしまった。

 萃香もまた、彼の言う家族の態度とやらに覚えがあるため、深く聞かないことにする。

 言ってしまえばお邪魔虫。扱いに困る穀潰しであるこの人間が、自分たちの知らない間に勝手に放浪をするのだ。

 仮に妖怪に襲われるとしても、足を滑らせ事故に巻き込まれたとしても、むしろ好都合と言えるだろう。

 つまりは見て見ぬふり。不憫とは思わないが、それはそれとして胸糞の悪いその話に、萃香は舌打ちをして。

 

「あっそ…まぁいいや。今回も送って行ってやるよ」

「はい」

 

 ぶっきらぼうにそう言って、萃香は少年の手を握る。

 数回、そのしっかりと握られていることを確かめるために、少し強く握ったせいでかかる圧と、僅かな温み。

 まだ少なめとはいえ、酒を飲んだことでそれなりに体温は高い筈だ。

 鬼とはいえ実体はある。それに長い時が過ぎたのもあって、膂力や角といった違いこそあれ、大体の構造は人間のそれと同じ。

 それなのに、今萃香の手に収まるその手は、自分のとはまるで違う。

 お世辞にも大きいとはいえない。萃香は星熊勇儀、それこそ茨木華扇のそれと比べれば少女体型…人によっては幼女とも言える。

 小さな萃香の手。それにすっぽりと収まるくらい、彼の手は更に小さいものだ。

 しかし温かい。

 酒気を帯びた己の熱、それとは違う純粋な、人間のみが持つ温かさ。

 

「いい天気ですね」

「見えないくせに」

「いえいえ、意外とわかるんですよ。そうですね…」

 

 雲一つない、壮大な星空である。

 山というのもあるが、空気が澄んでいるのもあって居心地は悪くないし、むしろ快適とも言える。

 妖怪である自分からすれば、わざわざ住居を用意する必要もなく、適当にその辺の地面に寝転がるか、木の上で惰眠を貪るくらいで満足だ。

 後は単純に、人間の集落というのはどうにも肌に合わない。能力を使えば簡単に潜り込めるが、しかしそうしてまで人間と暮らしたいとは思わない。

 そういう事情もあって、萃香の今の住居はこの小さな山の奥、動物一匹もいない静寂の地にあった。

 だが彼は、そんなこともわからない。

 この酒の肴に相応しい星空も、萃香でさえ魅入ってしまう程の、透き通る青の住処。

 自然が生んだ芸術作品、山という箱庭の中でしか見ることができないものである。

 湖を囲うように生い茂る樹木と、湖によって反射された月光が葉を照らすことで灯の代わりになる、あの光景。

 まるで計算されたように、美しく配置された自然そのものの姿も、この少年は一生見ることはできないのだと。

 初めて感じる憐憫の情、しかしそんな萃香の内心も知らず、言う。

 

「いい天気、それも雲はとても少ない」

「当たり。正確に言うと一つすらない」

「ふむ。なるほど」

 

 他愛もない話。

 両者目に見えるものを、感じたものを口から流れるように零し、それに反応をするだけの(いとま)

 目も見えない、これといってできることも特にない。

 自堕落に時を過ごすのでもなく、ひたすらに祈りを捧げるいう、時間を冒涜する愚かな行為。

 己の人生を捨てるのに等しい、何の価値も生まれぬ蛮行を、萃香はずっと見てきた。

 

「…?どうしました?」

「……いや」

 

 朝。家の誰よりも早く目を覚ました彼は、見ていて危なっかしい動きで村を出ようとする。

 昼も夜も、食事を終えてからすぐに、杖も持たずに歩くのだから見てられない。

 動きは危なっかしいが、彼曰く杖がなくとも歩けるというのは真実なのだろう。

 実際今も、萃香が率先して手を引っ張っているとはいえ、一度も躓かずに下り道を進めているのだから。

 自分は何故、わざわざこうして世話をしているのだろう。

 今更と言ってしまえばそう、しかし最近よく思うようになったのだ。

 自分では決して辿り着けない境地、生き方をするこの人間。

 彼を羨ましいと思った。力に縛られぬその価値観に、妬みすら覚えた。

 人の輝きを宝石に例えるとするなら、今の萃香は、自分の持っていない宝石を目にして「欲しい」と目を輝かせているものの、決してそれを得ることはできない。

 ならせめて、唯一その宝石を磨く権利を得た彼に、人間の在るがままを眺めて代わりに楽しむとしよう。

 そういう考えだった。

 

「ほら、着いた」

「あぁ、ありがとう。ここまで来れば大丈夫」

 

 だから、こうやって毎回手伝ってやるのも。

 村までは自分で行くからと、そう言う彼に対する一抹の不満も。

 彼が毎回変わらない笑顔で、ありがとうと口にするのも。

 少しだけ、ほんの少しだけ名残惜しそうに、ゆっくりと握った手を放す彼を――

 

「明日、また」

「…………」

 

 萃香の返事を聞く前に、彼は背を向けて歩き出した。

 相変わらず、その歩みは見ていて危なっかしいものではあるが、しかし一度もこけたり、倒れたりすることはない。

 どうせ見えない、聞こえないからと、無言で無意識に振り上げた手を。

 「またね」と言わんばかりに、挙げられた己の右手を左手で押さえ込み、顔を顰めた。

 同時に思う、これではまるで。

 

「…なんだってんだ。これじゃあ私が…」

 

 まるで人間みたいだ、だなんて。

 

 

 

 


 

 

 

 

 多分酔っていた、きっとそうだ。

 少しばかりの高揚はあった、それは認めよう。

 今まで無意識に目を逸らしていた己の心理に気づき、そのせいで正常な判断を失っていただけだ。

 自分では決して手に入れることのできない、人間の意思の輝きに、少しばかり目がくらんだだけで。

 あと数日か、それとも数年か。

 いや、意外と数時間で忘れてしまうかもしれない。

 そうだ、そうに決まってる。

 

「………」

 

 ヤケクソ気味に、右手にある瓢箪の酒を飲み干す。

 朝も変わらず、いつも通り萃香の案内で山を登り、そして彼の言う「水神」とやらがいる湖へ赴き長い祈りを捧げて終わり。

 供物もなければ儀式もしない。どちらにせよ、盲目の彼にできることなど限られているのもあって、そこは別にどうでもいい。

 豊穣か、天災か。神というのは人の望みの数、願いの形に添った異能を持って世に誕生する。

 だがあの祈り、そして鬼の本能で察するに、彼が祈りを捧げている対象は、未だ存在しない八百万の神ではなく、既に具現化して世に顕現した後の誰か。

 となると答えも限られる。一人の少年…しかもお世辞にも教養があるとは言えない彼でも知ってるほどの知名度、そして力を持つ神。

 誰だ?何故彼がそれに祈りを捧げるようになったのか…という大前提の疑問はもはや知ったことではない。

 少しばかりの知識欲。神と会ったのは何回かあるが、その中にこれといった答えが見つからないのもあるが、一番の理由は暇潰しだろう。

 

「さて…」

 

 萃香の声と共に、木の上で佇んでいたその身体が透明になっていく。

 既にこの島に来てから、萃香は己そのものとも言える、霧と化した身体の一部、それを別の場所で再び再生成する。

 再び萃香が実体化をすれば、そこはあの、百折不撓の意思を持つ少年のとは違う、同じ村の中でも、少年の家から少し離れた場所であった。

 少年の住む場所と比べて、それほど違いはなく。大小様々な形と規模の木造の家が、一定の距離に位置している。

 時間が時間なのもあって、大体の大人は仕事か家で昼まで寝ているのか。

 唯一外にいるのは、遊び盛りの小さな子供たちと、そして木の棒同士を組み合わせた、簡素な作りのほうきを使って、家の前の掃除をしているごく少数の大人。

 その中の一人が言う。

 

「そういえば聞きました?ほら…」

 

 ほうきを片手で支え、倒れないように持ちながら。

 指をこちらに向けて、そう喋り出す女性。

 一瞬驚くが、しかしその指が向けられているのは、透明な萃香ではなくその後ろ、あの少年の家の方角だった。

 その女性の言いたいことを理解したのだろう。ついさっき家から欠伸を噛み殺しながら出てきた、無精髭の似合う男は困った顔で。

 

「あぁ、あいつか。不憫な奴だよなぁ」

「そうなんですけど…最近、朝昼晩山に入っているらしいんです、気味の悪い」

 

 侮蔑を込めた女性の呟きに、男は眉を顰め。

 

「おい。そんな言い方はねぇだろ」

「でも…ただでさえ()()()なのに、しかも最近は出雲の…」

 

 女性の改める気持ちも感じない言い分に、男は更に表情を険しいものにする。

 それは萃香とて同じで、見えないようにしているとはいえ、目の前で気に食わない人間を見続けるというのは思った以上に面倒くさい。

 いっそ後でこいつを食ってやろうか。なんて思いついてしまうくらいにイラつく萃香。

 しかしそれとは逆に、男はその不快感を表す顔を変えて。

 

「だから…ん、待て今なんて言った」

「だから八雲のですよ、ほら…子供たちがよく面白半分で喋ってるじゃないですか」

「あぁ…あれか?八岐大蛇か?」

「全くなんで今になって…」

 

 先ほどまであった、こわばった空気は完全になく。

 次に向こうの子が…あの日はこんなことが…と、まさに近所付き合いそのものである平穏な会話が続く。

 そこに、萃香は既にいない。

 人間たちを見下ろせる位置。屋根の上で座り込んだ彼女は、先ほど出てきたその名前を呟く。

 

「…八岐大蛇」

 

 怪物。古代の異能。

 その者は神にあらず、神にして神にあらず。

 種族は間違いなく神、八百万にある信仰から生まれたのにも関わらず、その恐れは神とは別次元のものだったという。

 あらゆる人間から、神から、古今東西に至るあらゆる妖怪から恐怖を集め、大成した原初の妖怪。それが八岐大蛇だ。

 かつて高天原を追放された荒くれ者であるスサノオは、八岐大蛇を屠り、クシナダを妻に英雄神となった。

 それが物語。誰も介入など許されない、ハッピーエンドと呼ばれる神話のそれ。

 誰が最初に付け加えたか、誰がそのような戯言を周りに吹聴したか。

 しかし、今まで不明瞭だった違和感が解消され、話の合点がいく。

 

 湖という触媒。

 恵みという単語。

 そして村の主食である魚。

 

 思えば確かに。八岐大蛇はかつて、水神として祀り上げられていた時期がある。

 しかしそれは一瞬の間だけで、その後彼を祀り上げていた人間たちは、皆が八岐大蛇に食い殺された。

 話など通じはしない、何故なら彼は自分と自分以外を、自分か塵かでしか判断しないとまで言われるほどの、圧倒的な暴君だったのだから。

 伝承の裏に隠された、鬼である自分だからこそ、知っているその事実。

 

 卵が先か鶏が先か、鬼が先か龍が先か。

 

 八岐大蛇という妖怪は、鬼にとっては産みの親、もしくは前世とも言える存在だ。

 萃香からすれば一切の関係がない、赤の他人どころか既に死んだ、記録でしか知らない第三者に過ぎない。

 しかしそれでも、あの気に食わない少年が信じるもの、それがあの怪物なのだと知って――

 

「………チッ…」

 

 八岐大蛇は悪神だ。

 それは決して覆せぬ事実であり、それを信仰するのはよっぽどの被虐嗜好を持っているか、それとも悪の自分に酔っている愚かな人間か。

 それにだ、あの少年が本当に八岐大蛇を信仰しているとは限らないし、それにだから何だと言うのだ。

 だから…

 

「…ふざけるなよ」

 

 あの日、萃香は彼が持つ意思の輝きに負けた。

 力を持たぬからこそできる、妥協ではなく文字通り、命を懸けた全霊の行事だった。

 他より優れた五感を持つ時点で、力を持って生まれてしまった時点で。

 鬼として生まれてしまった時点で、決して手に入れることは叶わない、それが人間の魅力だったはずだ。

 それがまやかしだとすれば?

 あれほど他者を思いやり、本気で祈る彼の対象、それがあの悪神だと?

 自分が、この伊吹萃香という最強の鬼が、認めてやったのにそのザマだと?

 

 裏切り、嘘。

 

 萃香の内心は空っぽに。

 燃え滾る憎悪の虚無が完成した。

 

「――よし殺すか」

 

 ゆらりと、音もなく立ち上がり、萃香は飛び出す。

 能力で意識を散らせば、こうして屋根の上を飛び回る萃香の姿も、目的地で誰を殺そうと、その惨劇に気づく者はいない。

 誰にも邪魔されず、思うがままに甚振り、殺せる最高の場だ。

 本当にいいのか?そう疑問を投げかけるもう一人の自分を、萃香は怒りで抑え込む。

 

 ――そうだ、殺せ。

 ――もうあいつを観察する意味もない。

 ――潮時だ、殺そう。

 ――殺せ。

 ――殺せ!

 

 久しぶりに味わえるであろう人肉。

 そして恐怖、鬼に対する畏怖の味を想像し、喉を鳴らす。

 あと数十mだ、そうすれば久しぶりのご馳走を味わえる。

 殺すのは惜しい、しかし今はそのような抑制は必要ない。

 

(殺せばいい、悩むのは殺してから――)

 

 跳躍、そして疾走を繰り返し、萃香はようやくあの少年がいる場所へ。

 彼が普段住んでいる家、そこから少し遠い場所に建設された、彼専用の離れ小屋。

 嗚呼感じる。あいつの気配を、そして同時に妖怪の――

 

「…は?」

 

 鬼の怪力に任せた、力づくの跳躍によって見えた景色。

 小屋の前、醜悪で弱い、取るに足らぬ弱小妖怪の一人が。

 ケタケタと笑い、地面に倒れ込む少年の首に、鋭く尖った触手を向けて――

 

「――ッ何やってんだ!!」

 

 空中で急加速をすると共に、小さく握られたその拳に、凄まじい量の妖力が込められる。

 萃香の怒号に反応すると共に、妖怪は頭を潰され絶命、すぐに残った身体も、目に見えぬ速度で振るわれた萃香の片腕で、水を振って落とすかのような動きで消滅した。

 僅か数秒、消失反応すら遅れるほどの豪速で、一人の哀れな妖怪はこの世から文字通り消えた。

 萃香はそんな妖怪に目を向けることなく、倒れていた少年の方に向けて。

 

「っ、馬鹿野郎!なんで助けを呼ばなかった!?おい!」

 

 必死に声を掛けるも、彼は気絶しているため反応がない。

 なんとか聞こえる微かな息、そして小さく見える肩の揺れが、彼がまだなんとか生きていることの証だった。

 

「ここも…こんな傷だらけじゃないか………」

 

 咄嗟に身体を起こす萃香の目に映るのは、想像を超えた惨状だった。

 うつ伏せで倒れていたおかげだろう、臓物も身体から出るギリギリ、いつまろび出てもおかしくはなかった。

 何より出血が酷い。

 地面に広がる血の海は、萃香の身体に匹敵するもので――

 

「クソッ…」

 

 ――どうすればいい。

 必死に傷跡は閉じているが、出血が酷すぎるせいでかなり危ない。

 せめて清潔な場所で、安静にさせて様子を見るべきだろう。

 しかし、そこで不意に疑問に思う。

 それより、何故この場所で、彼は妖怪に襲われたのか。

 少年の身体を抱え、足を使って小屋の扉を開き、そして同時に違和感に気づいた。

 

「…そういうことか」

 

 古来より、家とはある結界の一つであるとされてきた。

 人を妖から、災いから守る、隠すための壁と、儀式に使われるそれ、扉という触媒を元に結界は完成する。

 家の()()とは、一種の結界であり――

 

「日常に潜む悪意、とはよく言ったもんだ」

 

 少年が普段、住んでいるであろう小屋は囲いが成立していなかった。

 扉だけでなく、彼の背では決して届かない位置に、しかも目が見えないのをいいことに大量の欠陥がそこにはある。

 窓とは違う、文字通りの欠陥構築だ。わざとそこだけ手をつけず、わざと手を抜いて作った悪意の塊。

 夜風も冷たく、彼の身体を毎日苦しめるだろう。

 何より、目が見えない分他の感覚が過敏なのもあって、彼もきっと気づいたはずだ。

 わざと村という囲いからはみ出た、この位置にある小屋と欠陥の数々。

 自分で手を下すのは色々と問題がある、ならばせめて事故死ということに――

 

「いや、そんなわかりやすいモンじゃないか」

 

 呼吸も荒く、顔が真っ白になっていく少年。

 萃香の方が背は小さいが、しかし両腕で持ったとしても、鬼であることを差し引いても、彼の身体はとても軽い。

 部屋の中心、綺麗に作られた木の床の上に彼を下ろしてから、萃香は彼の胸に手を置き、意識を集中させる。

 萃香の手が触れると共に、足りない血液によって苦しみ喘ぐ、彼の血管と心臓が少しだけ元気を取り戻す。

 密を操り、血管に開いた数々の穴を修復、穴を小さく加工していく。

 しかしあくまでも操るのは「密」。一度穴が開いてしまった今、どれほど小さくしても穴は穴。人体はどこまでも繊細で、どれほど小さな穴だとしても、必ずどこかで不備が生じる。

 血管の修復、そして血管内の血液の循環を補助すると同時に、萃香はもう片方の「疎」を操る力で更に補助を行った。

 「密」で小さくなったとはいえ、開いてしまった穴から血液が逃げないよう、「疎」による原子レベルの操作で蓋をする。

 その結果、彼の肉体から一切の血液は無駄にならず、体調も見る見るうちに良くなっていった。

 

「…………」

 

 ――自分は、一体何をやっているのか。

 ここまでやって初めて、萃香は自分の今の感情の違和感に気づけた。

 先ほどまで、まるでヤケクソ気味に殺してやると意気込んで、結局こうして世話を焼く。

 どうした伊吹萃香、山の四天王が一体何の真似だと。

 自分に対し、そして今も尚治療を止めず、必死に彼を生かそうとする自分の身体に対し叫ぶ。

 お前はなんだ、何故ここまで言うことを聞かない?

 ここで、失えばわかるだろうか。

 

「…………」

 

 残る左手で、萃香は目の前で眠る彼の、無防備な首に触れた。

 とくん…妖怪である自分では感じられない、人間特有の、彼だけが持つ命の音。

 それを少しだけ、その温かさが感じられるくらいに強く、押すように触ってから、萃香はそれ以上動けなかった。

 代わりに、矛先を失った左手を慰めるように、今も眠る彼の頬に触れて。

 手を握った時のと同じか、それ以上の温かさを感じて。

 萃香は、余計に自分のことがわからなくなった。

 これは、ある御伽の国の物語。




 鬼がストイックに観察対象と割り切った人間に情が湧いてしまい心がぐちゃぐちゃにされるんだ
 これはもうグレイズ以上の快楽だッ

呪術廻戦はどこまで知ってる?

  • 最新の単行本(人外魔境)まで
  • アニメの内容(渋谷事変)まで
  • あまり知らない(領域展開は知ってる)
  • 全部わかる
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