【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 噓と慟哭ラストです
 最後のシーンは東方ダンマクカグラの「噓と慟哭」ジャケット絵を意識して書きました
 是非調べて、曲を流して読んでみてください。


40話.噓と慟哭④砕月

 幸せの絶頂、とは陳腐な表現になってしまうだろうが、同時に思う。これ以上に相応しい言葉が果たしてあるのだろうか。

 思いを自覚し、そして両者が包み隠さずに伝え合う。

 そこに偽りなど存在しない。どこまでも幸せな姿がそこにはある。

 静かな雨の降る日だった。

 細々とした、糸のように軽く、細い雨の残像が眼に映る。

 地面はぬかるみ、少し意識して歩かないとうっかり滑って転んでしまいそうな、そんな日なのもあって、外には人一人いなかった。

 村中がそうだった。誰も彼もが家に閉じこもり、早く晴れてくれないかと祈りながら、惰眠を貪ったり、人によっては少し早めの昼食をとったり、様々な時の過ごし方をしていた。

 

「濡れていませんか?」

「んにゃ…問題ないよ、快適なもんさ」

 

 そんな中、雨の弾幕を歩くのは二人。

 あれから大分血色も良くなり、少女に負けぬ綺麗な髪を一つに纏めた少年。彼の尻尾のようにも見える髪型は、今も幸せの渦中にいる彼の状況に、ある意味一番似合っているとも言えるだろう。

 対する少女は、人ならざるものである証明である角も、人間ではなく妖であることの証明である妖力もある。

 食われる者と食らう者、相反する筈の生き物が肩を並べている。

 並んで寄り添うその姿。それはとても美しく、そして人同士と変わらぬ愛がある。

 鮮やかな朱色の唐傘を広げ、彼は自分の肩など無頓着に、寄り添う彼女を決して濡らしてはならぬと、唐傘を大きく傾ける。

 口には出さないが、その献身に近い行動の一つまでも、やはりどうしようもなく嬉しくて。

 

「お前は?人間は脆いんだ。濡れて風邪でもひかれちゃ困る」

「……はてさて」

 

 能力で雨を散らせる萃香にとって、雨の日にわざわざ唐傘などを用意する意味も、理由もない。

 しかしだ、改めて萃香はその時の自分の、妙に甘くなった自分自身に苦笑するしかない。

 一緒に歩こう。そう言ってキラキラと輝く笑顔で、唐傘を持ってそう言った彼に、萃香は抗うことができなかったのだ。

 まぁ、つまりあれだ。

 惚れた弱み。というやつだ。

 もう見慣れた筈の変わらぬ、数々の家が構成する完成された風景。

 それなのに、隣にいる人間が彼というだけで、新鮮さすら覚えるくらいに、心が浮き足立って仕方がない。

 萃香の手を握り、彼は閉じた瞼を己の肩に向けて、言う。

 

「それにそっちこそ、逆にそちらが無理をしてないか心配ですよ」

「ん?何が?」

「……雨の音も、風も温いというのに、肩はおろか足元に水気の一つもない」

「……はてさて、何のことやら」

 

 彼の言葉を真似して、舌を出して悪戯に笑う。

 彼にとっては、自分の身体を犠牲に萃香の身体を濡らさないように唐傘を傾けている最中。

 しかしいつまで経っても、雨が自分の身体を打つ感覚はやってこない。そうなると十中八九理由は萃香だ。

 彼が口には出さずに、相手を思いやるのと同じように。萃香もまた、決して口には出さずに彼の身体を案じた。

 足元の地面、そして彼と萃香自身を囲むように、ある一定の水分を除き全てを弾く異能による見えない唐傘。

 彼の肩が濡れないよう、彼の足元が汚れないよう、こっそりと発動していた能力を、萃香はあえて言わなかった。

 互いに相手を思いやり、そして決して口には出さず、悟られようとあえて鮮明にはしない。

 それは、鬼である筈の萃香でさえ、甘く痺れる余韻すら覚えるもの。

 愛おしい彼との、優しい嘘である。

 

「…足元気をつけろよ」

「はい」

「雨だからな」

「はい」

 

 触れない。

 あえてその話題を発展させようとはしない。

 当たり障りのない会話を続けて、萃香は思い切って距離を縮めた。

 世間一般で言うところの相合傘。肩が触れるどころか密着をさせて。

 互いに指を絡めて寄り添う二人。異形(かたど)るその後ろ姿は、どこまでも幸せなものであった。

 

「……危ないですよ」

「私は鬼だぞ」

「…それはそうですが」

「っひひ、照れるなよ」

 

 彼の耳は仄かに赤く、萃香の予想通りの反応を、彼はちゃんと見せてくれた。

 萃香もまた、彼の体温をより鮮明に感じるのと同時に、その頬を赤く幸せに染める。

 誰も見れない、誰にも邪魔できないしさせることはない。

 ――嗚呼、今だけは彼の目が見えなくてよかった。

 本当は目を合わせたい、彼と色々な景色を見て、共有して生きていきたい。

 あの日からずっとそう思う。彼の目は先天性のものだから、それを治せる存在も限られて、見つけるのに時間はかかるだろうけど。

 それでも、この時だけは、この顔だけは彼に見て欲しいとは思わない。

 こんなにだらけきった、鬼なんて肩書に釣り合わない情けない表情。

 まるで人間の小娘みたいに、喜色満面の笑みなんて、きっとおかしくって笑われてしまうだろうから。

 怒ったりはしないけど、それでもやっぱり恥ずかしいから――

 

「人間やい」

「はい」

「突けば崩れるか弱き人間やい」

「はい」

 

 この声が好きだ。

 彼の笑った顔が好きだ。

 この仕方がないと、自分より長く生きている筈の鬼に対し、子供をあやすような優しい声色が。

 服の裾を引っ張って、軽くちょんっとわき腹を突けば、彼はもっと応えてくれる。

 

「人間やぁい」

「ふふ…はい。私はここにいますよ」

「嘘をつくなよ」

「えぇ勿論」

「ずっと傍にいろ、私は嫉妬深いぞ」

「はい」

 

 いつの間にか雨は止んでいた。

 萃香にとってはまるで一瞬のように思えた時間は、しかし雨が止むのには充分すぎる程の時だった。

 空はまだ、鈍色と呼ぶべき黒い影と暗い空気を醸し出しており、快晴とは口が裂けても言えないだろう。

 唐傘をくるりと回し、そして本来であれば飛び散るであろう雨粒もなく、そしてそれの原因であろう萃香の方を、彼は一瞬だけ顔を向けて、すぐに。

 

「止みましたね」

「あぁ止んだ、どうしようか」

 

 目的もいらない、理由もいらない。

 ただじっと、両者は顔を向け合い。そして一方通行な視線を向ける。

 目が見えぬ彼にとって、鬼の視線に反応する術は本来はない。

 しかし、彼にはわかる。

 相手を愛おしく思う視線、その輝きを目以外の全てで感じ取り、手をもう一度強く握り返す。

 

「ある花が欲しいんです」

「へぇ、私に?」

「えぇ」

 

 隠し事(サプライズ)はせず、彼はすぐに肯定した。

 ちょっとは誤魔化そうとしてもいいじゃないか。なんていじらしい心が一つ。

 その隠し事を一切しない、鬼にとっては好ましいと喜ぶ心が一つ。

 これは、御伽の国の(こい)物語。

 

 

 

 


 

 

 

 

 いくら小さな島といえど、妖怪は必ず自然発生するものだ。

 萃香が初めて彼と出会った時もそうだが、どうやらこの島も、数こそ少ないがある一定の周期で大量に発生する。

 どれもが三下。萃香と比べても…というより人間からしても大した脅威ではない。

 勿論素手なら話は変わるが、それでも基本的には大したものではない…というのが結論だ。

 萃香はあれから、己の異能を使い島一帯を自分自身で覆い尽くすように展開、そして一種の対妖怪に特化したセンサーと呼ぶべき代物が完成した。

 距離など関係ない、危害を加えたか否か、それも重要ではない。

 かつて少年を死の間際まで追い詰めた、かの妖怪と同じく人外とは全て、力だけでなく知恵が厄介だ。

 いつ、どの場所で。そして誰を狙えば自分は長生きできるか。

 下手な獲物は狙わず、そしてどこまでも生存第一に生きる…力がない故の、ある種の合理的な生態である。

 つまり単純な力では、あの時のように出し抜かれてしまうような…そんな万が一も必ずいつかは起こり得る。

 鬼である自分が、全てをなぎ倒し否定してきた自分がだ。万が一を考え、己より弱い相手の誅殺を恐れ、未来を語る。

 なんて滑稽なことだ…と我ながらに思う、それは今も変わらない。

 それなのに、その万が一を想像するだけで悪寒が走るのだ。

 鬼の自分を愛おしく、そして耳に染み渡るようなあの優しい声と、そして一度だけ見た彼の、閉じた瞼の向こうにあった――

 萃香はそれからというもの、ほぼ四六時中島にいる妖怪を屠り続けた。

 妖力に反応し、そして即座にその場所に転移して、滅殺。

 鬼の視力で山から島を見下ろし、見つけしだい滅殺。

 妖力、滅殺。妖怪は滅殺。

 とにかく害となるであろう妖怪を殺し、酒を飲むことすら忘れて、萃香は彼のことを守り続けた。

 妖力を探知する自分の欠片。

 それを常に島を包むように放出しながら、小屋の中で暇を潰している愛おしい彼を、萃香は覗き見していたのだった。

 

「恋。してますか?」

「…秋の神か」

「静葉でいいですよ、萃香さん」

 

 山の上部にある、特段変わらぬ一本の木。

 そこに腰かけて、彼のいる村に対し、無意識のうちに熱がこもった視線を向けるその姿。

 それを指摘し、いつの間にか隣に立っていたのは、あの秋の神の片割れ。秋静葉であった。

 

「……秋の神は人の恋路にも興味があるのか?」

「はい!というより今回はあの男性も…なんですけど、一番はあなたなんですよ」

「……?」

 

 萃香の隣に腰かけ、静葉は足を揺らして、同じように木の枝を揺らす。

 

「恋の秋。なんて言葉があるように、人間もよく愛の告白を紅葉の下でするんです」

「そんなの初めて聞いたんだが」

「えぇ、だって私が作ったんですもの」

 

 萃香の呆れた視線に、静葉はべっと舌を出して。

 

「その中でも今回はたまらない…嗚呼なんて素敵な…!盲目故に完成した人と人ならざるものの恋!愛…」

「……」

「たまらない…あぁ…私初めてです…!ここまで素敵な物語を見つけることが、そしてこれからも見続けることができるだなんて!」

「…」

 

 いきなり声を大きくして、両腕を広げる静葉。

 まるで歌でも歌っているかのような、おおげさなその語りには、最初に出会った頃に感じた"しっかり者"という印象はなく…

 ――いや、今更か。

 そういえば初めて会った時も、いきなり空を見上げたと思ったら涙を流し、そして余計な世話をしてきたのだった。

 静葉は笑い。

 

「ふふふ…やっぱり萃香さん、噂と違って素敵ですね」

「……あ?どういう意味…」

「だって、今の萃香さん。一生懸命素敵な恋をしてるんですもの」

「…ぁぁ」

 

 あいまいな返し方をしてしまったが、しかし内心ではそうかもしれない。と萃香は思う。

 数百年、千数年以上生きて、初めて経験した未知の感情。

 明日はどんな話をしよう、今日はこんなことをした。もっとこういうことがしたい。

 一度「欲しい」と思ってしまえば、それはまるで湧き水のように、自分の心の中で止まらない。

 上限すらなく、ただひたすらに今を、噛み締めるように過ごす日々。

 血と臓物から遠く離れた、脆弱で愛おしい日々。

 ――待てよ。

 

「おい、噂ってなんだ?」

「え?噂?…噂…噂……」

 

 先ほど静葉は言った、噂とは違うと。

 そして同時にこうも言った「素敵」と。

 そうなると噂とは何なのか…そして噂の内容も大体の予想ができる。

 今の萃香を見て「素敵」と言っているのに、噂ではそれとは逆。つまり――

 

「あっ」

「あ?」

「あー…今のなかったことには…」

 

 萃香の行動は早かった。

 一瞬で実体化を解除し、身体の座標をズラすことで静葉の背後に移動。

 流れるような動作で左腕で静葉の首を、右手で頭を押さえていつでも捻り潰せるように実体化。

 静葉も立ち上がり、逃げようとするも時すでに遅し。

 メキメキと血管が浮き上がる鬼の腕、それの意味する破滅の未来に恐怖し、静葉は一気に震えあがった。

 さて、どう調理してやろうか…

 と、突然萃香は動きを止めて。

 

「ア"ーッ!ちょ、ちょっとお待ちを!?待ってこの体勢のままですか!?」

 

 腕の中で暴れる静葉のことなどお構いなしに、萃香は目に映るその景色を、呆然として見つめていた。

 鬼の剛腕に首を押さえられたまま、首以外全てを躍動させる。

 勿論、萃香はそれには反応を見せない。

 静葉は涙目になった。

 

「え…このままですか私?え…?」

 

 萃香が今見ているのは、変わらず彼の住む小屋の中。

 今日も今までと同じように、家まで送り届けて、そして別れた。

 何の変哲もない、ただ彼が火にあたって、少し冷えてきた秋の夜を凌ぐ姿。

 だがそんな、何の面白みもない行動や景色も、萃香にとってはどれもが、見ているだけで、眺めているだけで心が満たされるものだった。

 

「……?萃香さん?」

 

 ジタバタ暴れていた静葉も、突然空気の変わった萃香に違和感を。

 一体何が、とその顔を見た途端に、静葉の顔は疑問を浮かべたものから、一気に微笑ましいものを見るようなものに変わった。

 なるほど、どうやら心配はいらないようだ。

 静葉はニンマリとした笑みを浮かべ、萃香に問う。

 

「何か嬉しいことでもありました?」

「……まぁね」

「ふーん、ふぅん…」

 

 静葉の拘束を解き、萃香はぷいっと顔を静葉から逸らし。

 

「……そろそろ時間だ」

「逢瀬ですか?」

「馬鹿」

 

 萃香はその時、()()()身体を実体化させて、木から飛び降りた。

 数日ぶりの己の完全体、それに意識を慣らすように、軽く肩を回してから歩き出す。

 その目的地は、言わずもがな――

 

「頑張ってくださいね~」

 

 後ろから聞こえる声援は、無視することにした。

 

 

 

 


 

 

 

 

 花を見たいと、彼は言った。

 いくら細々としたものとはいえ、雨上がりだというのに、一面に広がる大量の花たちは元気いっぱいであった。

 今日の昼、雨上がりの出来事だった。

 雨に濡れ、水滴が残る花びらに鼻を近づけて、彼は目が見えないなりの楽しみ方をしていた。

 その中で、この花が一番強く長持ちすると言って、彼は萃香に一つの花を渡した。

 酒と血に溺れる、凶悪な鬼に対し花一つとは。そう言いながらも、萃香は笑顔でそれを受け取った。

 それが、今日の昼頃の話。

 萃香は島中に散らばった自分自身を戻し、あえて彼を見ることをやめて、村に向かって行く。

 初めてだった。いつもより早く、彼に会いたいと思ったのは。

 彼は一緒に住もうと提案してくれたが、それを断ったのは他ならぬ萃香である。

 能力で意識を散らせば、萃香のことに気づく人間はいないが、それでも限度はある。

 無意識の行動、隠された違和感と長く付き合えば、どれだけ勘の鈍い人間でも答えに辿り着く。

 だが一番の原因は、萃香の食事だった。

 恐れを手に入れる代替品として、萃香は数多の妖怪の肉を食し続け、存在の格を落とさぬようにし続けた。

 

 彼に見せたくなかった。

 気づかれたくなかった。

 己の中にある、どうしようもなく醜い本性を。

 

 だからせめて、血の匂いが消えるまでは、彼に気づかれないよう村から離れた、山の中でひっそりと暮らすことにした。

 その代わりに、せめて彼を見守りたいと「密と疎」を操り、彼に視点を飛ばし続けていたのだが――

 

「………」

 

 何もない。

 今、自分は彼が何をしているのか、どこにいるのかはわからない。

 もう村を出ようと準備をしているのか、それとも家から出たばかりか、それとも既に家から出て、今村の中を歩いてる最中か。

 初めてだった。

 彼の動きを見ない、知らないだけで、ここまで心が落ち着かないとは思わなかった。

 逢瀬など、今までに何回もやってきた。

 それでも、今回だけは。

 

「ふん…」

 

 一生懸命に恋をしている。だなんて。

 面白そうにそう言った、恋愛話好きの秋の神のあの笑みが、今もこうして悶々としている自分のことを、最初から見透かしていたようで。

 それが気に食わなくて、そして図星を突かれた苛立ちも含めて、萃香は彼を待つ。

 

 花冠という、贈り物を用意した彼を。

 

 目が見えないせいで、その作りはお世辞にも精巧とは言えない。

 萃香に気づかれないよう袖の内側に隠して、家に持ち帰っていたのだろう。

 手に職もなく、金銭も最低限しか持たない彼が、せめてもの意を込めた贈り物。

 鬼である自分には不釣り合いな、そんな可愛らしいもの。

 覗き見されていることも知らず、驚かせようと、喜ばせようと顔をほころばせて、花冠を両手で持つ様子を見て。

 萃香は思いっきり、彼を抱きしめてやりたい衝動に駆られたものだ。そして同時に、彼のささやかな"嘘"に、自分も"嘘"で応えようと思ったから。

 萃香が覗き見をやめ、こうして完全に実体化をしたのは彼の思いに応えたかったから。

 何知らぬ顔で、彼の隠し事(サプライズ)を初めて知ったと、そして本当に嬉しかったんだと。

 それを、彼に伝えたかったから――

 

「早く来いよ、人間」

 

 いつもの待ち合わせ、それまで一分。

 たった一分だけ、それだけなら大丈夫だと。

 彼から目を離し、萃香は幸せの絶頂の中、村の入り口で彼を待つ。

 ぽつり。雨が再び降ってきて。

 

 

 

 

 彼は、姿を見せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駆け出した。

 今まで感じたことがないくらいの、その焦燥。

 周りの視線も、有象無象の全てがどうでもいい、目に入らない。

 ただ、ただひたすらに萃香は走った、風のように走った。

 一瞬も速度を落とすことなく、ただひたすらに走り続けた。

 ふざけるなと、誰に向けて放たれたのか、その怒りは宙に溶けていく。

 村を駆け、その移動で生じる鎌鼬の如き突風は、村にある全ての家を震わせ、半壊させる。

 走る正体不明の何か、風に視界を遮られた者は、原初の恐怖たる未知に怯え。

 萃香の姿をなんとか見た者は、妖怪の頂点たる鬼に怯え、恐怖の力を与える。

 

 きっと冷えるだろう。

 風邪をひいてしまうだろうから。

 それを口実に、それを理由に、彼の体温に触れることができるから。

 ――それが好きだったから。

 

 鮮やかな朱色が映える、小さな思い出が詰まった唐傘は、萃香の背後で無造作に転がっていた。

 呼吸も忘れて全力で走った。

 久しぶりに本気で身体を動かした。

 その反動で、息が苦しくなるのとは別。

 目の前の景色に、萃香の呼吸が荒くなる。

 嘘だと、幻だと叫びたい衝動が。

 

「はあっ…はあっ…!」

 

 それは、野党でも妖でもない、別の何か。

 白い肉塊とも呼ぶべき、その醜悪以外の言葉が見つからない、()()を携えた存在。

 それが、彼だったものの、両目を抉られた後の身体を解体していた。

 ぬちゃぐちゃ…耳を防ぎたいくらいにおぞましい、肉が潰される音が、雨音で誤魔化しきれない程に響いていた。

 

『ぶしゅぅううううううううううう…』

「…っ、~~~ッ!」

 

 轟音。

 予備動作すらなく、萃香が拳を握った時には既に、その肉塊――産土神(うぶすながみ)は萃香の拳によって消滅した。

 突き上げられたその拳、神だったものの返り血すら残さない拳。

 肉片一つ残さず、完全に消滅した神だったものは、遺言すら残せずに虚空と一体化した。

 勝者である筈のその姿には、何もない。

 喜び、怒りや憎しみも、悲しみすらもない。

 虚無とも呼ぶべき、その哀れな姿。

 

「…ぁ…あ…!」

 

 そして、それに釣り合う哀れな姿。

 全身が、顔以外の全てをぐちゃぐちゃに潰され、その顔すら両目を抉られた醜悪な姿。

 腰から下に関しては、あの神だったものによって消化され、肉片すら残っていない。

 

 死んだ。

 

 彼が死んだ。

 目を離したから。

 彼と向き合いたかったから。

 まるで人間みたいに、彼と対等に向き合いたかったから。

 一瞬とはいえ、彼から目を離したから。

 彼の優しい嘘に、自分も応えたかったから――

 

「あ"ァああ"アア"あ"ア"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ッッッッッ!!!!!!!!!!」

 

 鬼の咆哮が大地を震わす。

 鬼の慟哭が、島中に響き渡る。

 彼だったもの、愛おしい相手だったものを胸に抱えて、哀れな鬼は泣き叫ぶ。

 血と雨で染みる身体を、震わせながら叫ぶ。

 

「頼む…っ頼む!神様頼む!見てるんだろ!なぁ!!」

 

 馬鹿馬鹿しい。自分でたった今、出来損ないとはいえ神を殺したというのに。

 今まで信じも、頼りにしたこともなかった癖に、今更神に縋ろうというのか。

 高天原に、今も呑気に生きている神々に、泣きつくというのか。

 こんなに優しい彼が、信心深い彼を見捨てるというのか。

 

「頼むから助けてやってくれ!こいつは何もやってないんだ…!こいつは…っ私が…私が……っ」

 

 哀れな鬼はただ、空に向かって泣き叫ぶ。

 

「なぁ!神様!助けてやってくれよ…っ」

 

 ――本当に死ぬべきなのは。

 

「なぁ!神様!神様!」

 

 だから、だからどうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「都合のいいこと言ってんじゃねぇよ」

 

 哀れに泣き叫ぶ愚か者に、彼女は苛立ちながら吐き捨てる。

 

「散々好き勝手に生きてきて、殺してきて、お気に入りが一人死んだだけでそのザマか?」

 

 その者は、骸を抱えて蹲る愚か者を、見下しながら蔑んだ。

 

「今まで神を見下して、自分勝手に生きてきたやつにはお似合いだ」

 

 そうだ、誰が付き合ってやるか。

 自分(お前)にはお似合いだ。

 そう、彼女(萃香)愚か者(萃香)に吐き捨てた。

 醜い、見るに堪えない自分自身に、彼に、ただ泣き叫ぶ。

 

「…っ、嘘つきめ!!」

 

 傍にいると言ったくせに。

 傍にいると言ったくせに。

 

「裏切り者め…!」

 

 私をおいて逝きやがって。

 お前は彼を助けなかった。

 

「…約束一つ…守れない軟弱者め…!」

 

 自分が困った時だけ、そうやって神に頼るのか?

 

「嘘つき…」

 

 誰が。

 

「裏切り者…!」

 

 お前が。

 

「このっ…」

 

 自分(テメェ)は裏切り者だ。

 

「~~~ッ、っ…!」

 

 慟哭は止み、糾弾の雨も虚しく響く。

 それは誰に向けられたものか、ありもしない敵か、不条理そのものか。

 否。自分自身に対して向けられた、その叫び。

 約束を破った自分に、人の心を知ったが故に、人を殺した自分自身に。

 糾弾の声も、次第に小さく消えていく。

 疲れ果て、立ち尽くす愚かな鬼。

 

「…っ、うぅ………」

 

 その目には、涙――

 これは、御伽の国の悲恋(こい)物語。




 感想一つでめっちゃ喜ぶので気軽にお願いします

呪術廻戦はどこまで知ってる?

  • 最新の単行本(人外魔境)まで
  • アニメの内容(渋谷事変)まで
  • あまり知らない(領域展開は知ってる)
  • 全部わかる
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