【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

44 / 147
 気軽に感想&評価お願いします、あと誤字報告毎回助かってます


44話.神代のイドラデウスに委ねて

 閉じた瞼の向こうに見えたそれを、萃香は決して忘れない。

 悲しみに溺れ、慢心が生んだ悲劇への憎しみを、そして他ならぬ、その原因である己自身への怒りを。

 この身体が朽ちぬ限り、鼓動が止まるまで絶対に忘れない。

 あの瞳。

 美しい、愛おしい彼が見せてくれたあの瞳。

 いつかは。

 近い未来で、きっと。

 その瞳に光が宿り、自分のことを見てくれると――

 

 ――頭が高いな。

 

 鬼の祖が。龍王が持つその瞳は。

 萃香がいつかはと望んだ、その瞳は――

 

 ――貴様か?

 

 彼があの時見せてくれた。

 美しい、伊吹色の瞳だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 萃香はただ茫然とした。

 目の前で起こった、あまりにも呆気ない決着。

 轟音と共に諏訪子が吹っ飛び、残像の代わりに、びちゃびちゃと萃香の顔に誰かの血が付着する。

 誰の血か。

 決まっている、彼女のだ。

 

「ッ不味い…!」

 

 地面に叩きつけられ、埋もれたおかげで少しずつ減速はしているが、その吹っ飛ぶ速度は信じられないものだった。

 凄まじいクレーターが発生するよりも先に、諏訪子の身体がゴムボールのように反発する。

 角度を変え、何度もバウンドを繰り返し吹っ飛ぶその動きは、まるで水切りで跳ねる石のようだ。

 萃香はすぐさま、能力で身体を疎の力で散らし、諏訪子の身体を受け止めようと移動させ――

 

「…?なんだ…?」

 

 凝縮された時間の中。

 萃香がクッションのように展開させ、諏訪子を受け止める為に送った身体の一部が、止まった。

 諏訪子の身体を追い越せず、まるでそれ以上進めないと訴えるように、微塵もその先から進めない。

 見えない壁に当たったかのような感触。

 そして何より、諏訪子の身体も空中で留まって――

 何かが壊れる音がした。

 

「ッ!そこまでかよ……!」

 

 萃香の身体が突如、がくりとバランスを崩す。

 力の拮抗が突如崩れ、倒れ込むような錯覚すら覚える。

 透明なそれが、カシャアアア…とまるで硝子のような音を立てて、何もない筈の空中に真っ白なヒビを刻む。

 殴られた衝撃で吹っ飛び、空中で留まっていた諏訪子の身体は、見えない何かの崩壊と共に、再び飛行を開始する。

 勿論、それは今まで彼女が行っていたものとは違う、純粋な暴力による理不尽な現象である。

 透明な何かを砕き、また飛んで、地面に叩きつけられ。

 また跳ねて、飛んだと思いきや止まって、また何かを割って飛んでいく。

 飛んで、割って、飛んで、割ってを繰り返して数度。

 地面に、透明な壁に身体を何度も殴られて、引き裂かれたせいで、その身体は見るに堪えないものだった。

 骨が砕け、内臓はごちゃ混ぜに。いくら人外であろうと無視などできない、致命的すぎるダメージだった。

 そうして壁を突き破って数回、彼女の身体が突如、今までの地平線以外何もなく、無機質だと思っていた世界とは違う。

 真の虚無、漆黒に染まる新たな無機質の世界に、その身体が力なく落ちていった。

 

(…!?空性結界の循環定義が崩れた…!?)

 

 世界の構築が遅れる。

 力なく倒れる諏訪子の身体を、世界の端とも呼べる線が追い越し、ようやく岩の地面が彼女を支える。

 中にいる者を自動で捕捉し、その一定範囲に自動で世界を作る。世界を、領域を構築する際の理とも呼ばれるもの。

 本来であれば、その者の動きを追尾し、常に世界を構築し続ける筈のそれが、遅れてしまう程の圧倒的速度。

 それを成した龍王は、既に諏訪子の頭目掛け――

 

『死ね』

 

 足を――

 

「――させるかぁ!」

 

 龍王と鬼。

 その開幕となったのは、萃香の諏訪子を庇うよう、両腕を交差させて行った防御。

 回避はおろか、諏訪子の身体を移動させる余地すらない一瞬の出来事。

 萃香は気が付いた瞬間、すでに腕がもげそうな程の、凄まじい重圧と衝撃によって意識が飛びそうになった。

 武術のぶの字も、暴力とも呼べない稚拙な、ただ息を吸って吐く。それだけの甘い踏み込み。

 ただ目前に転がる死体を、虫を潰すかのように気軽に、淡々とした作業に過ぎないその踏み込み。

 それなのに、痛くて痛くて仕方がない。

 不完全な受肉、不完全な復活。

 肉として機能しているのは上半身だけであり、質量をもたぬ下半身はなんとか、身体から余分に溢れる妖力で形作っているだけだというのに。

 それなのに痛い。

 苦しいくらいに、あまりにも理不尽なものだ。

 本来は雀の涙程の、それこそ風が頬を撫でるくらいの影響しか与えられない筈の、純粋な妖力の塊が。

 萃香の身体を軋ませる。

 

『誰だ、貴様』

「クソッたれ…!」

 

 完全な迎撃態勢だった。

 相手の身体を受け止め、攻撃を防いで、すぐに反撃の一つでもしてやるつもりだった。

 だがあまりにも強大な、この龍王が持つシンプル過ぎる力の一端に、呆れて笑うことすらできない。

 全身が軋む。

 呼吸もままならぬ焦燥。

 それでも、萃香はそれ以上進ませることはなかった。

 

「ッ起きろ!諏訪子!」

 

 唯一の勝機。

 諏訪子の持つ瘴気は先ほど、有効打にこそならなかったものの、それでも間違いなく効きはした。

 あまりにも莫大な妖力を消しきれないだけで、その忌み嫌われる根源の力は、ちゃんと龍王にも効いたのだ。

 ならば、有効打を与えられない自分に今、できることは――

 

「なぁ八岐大蛇」

 

 吹き出す妖力は、八岐大蛇と比べれば貧弱過ぎて話にならないもの。

 しかし、萃香が放つ怒気は、そして憎悪とも呼ぶべき、その敵意は龍王の機嫌を損ねる。

 眉をひそめ、血管を浮き上がらせ、今も己の足を食い止め続ける萃香。

 ――伊吹色の、その瞳。

 

「その目は誰から奪ったものだ…?」

『……』

「その目!その色…!」

 

 自分だと思っていた。

 その瞳を取り戻し、光を受け入れて最初に映すのは、自分だと。

 建築物よりも、花よりも、空よりもまず最初に、彼が見るのは自分だと。

 愛おしい彼の、あの瞳が、まるで陳腐な言葉だが、運命のように感じさえしたその色に。

 伊吹色の瞳に光を宿したのが、この化け物だと?

 認めるか。

 誰が納得してやるか。

 誰が許してやるものか――!

 今までに経験したことのない憎悪。それを向け、吠える。

 

「覚えているか!?八岐大蛇!!!」

『知ったことか。そんな(ゴミ)のことなど』

 

 一度、力が緩まったと感じたのは一秒にも満たない。

 萃香はその現象が、決して隙でも油断でもない、幸運とも呼べないものであることを、充分過ぎる程にわかっていた。

 予想通り、萃香の腕から足が浮いたと思った次の瞬間には、八岐大蛇の足が大地を貫いた。

 観測するのも、感じるのも馬鹿馬鹿しい程の、莫大な妖力が集中し、萃香ごと諏訪子を殺そうとした攻撃だ。

 鬼の身体すら木端微塵にする、恐るべき力だ。

 しかし、当たっていない。

 八岐大蛇が視線を後ろに向ければそこには諏訪子を抱えたまま、いつの間にか転移している萃香の姿が。

 もはや死にかけの諏訪子を庇うように、敵意を向けて――

 

『…おい』

 

 それを無視し、八岐大蛇はそこにいる第三者を見下す。

 先ほどからずっと、鼻歌を歌って成り行きを見守る少女に、聞く。

 

『貴様は何でここにいる』

「うにゅ?べっつに~?」

 

 少女は手を、俗に言うごますりの形にして、へらへらと。

 

「八岐大蛇さんの戦いっぷりを見たいなあって、どうです?邪魔は一切しないと誓うので!いいでしょ?」

『勝手にしろ。邪魔すれば殺す』

「はいは~い!……とっとと死んでくれねぇかなコイツ」

 

 八岐大蛇に聞こえない、とても小さな声でそう付け足して。

 幸運にも、彼にその最後の言葉は聞こえなかったのか、足を踏み込んだと思ったその瞬間には、既に萃香の背後に立っていた。

 異能による補助も、呪術や魔術といった小細工なども存在しない。

 圧倒的な身体能力と、それを裏付けする――

 

『その死に体を』

 

 萃香に向け放たれる。

 

『寄越せ』

 

 圧倒的な。

 手が。

 拳が。

 

「ッ頼んだぞ烏!」

「え、ちょま」

 

 咄嗟に諏訪子を持ち上げ、腕以外の全てを疎の力で散らし、八岐大蛇の拳がすり抜ける。

 その一瞬を見逃すことなく、萃香は鬼の膂力に全てを任せ、腕の力のみで諏訪子を全力で投げる。

 諏訪子の身体が曲線を描き、そして安全地帯からこちらを観戦していた少女の傍に、萃香の僅かな嫌がらせを含んで着地した。

 ギロリ。

 八岐大蛇がこちらを睨み――

 

『おい』

「うにゅ?」

『何もするな。――殺すぞ』

「……ちぇっ。はいはいわかりまして〜」

 

 ――おいおいそりゃあないだろ。

 不満を目で訴える少女を尻目に、萃香は内心でそう愚痴るしかなかった。

 逃げればいいと、そして今も尚こちらに干渉してこない少女に抱いた僅かな希望は、完全に砕け散った。

 敵ではないのは幸いだが。同時に彼女は味方でもない。

 いや、今はそこまで頭が回らない。

 衝撃。

 

「ッガあッ……!」

 

 咄嗟に密度を大きく、鬼の硬度を限界以上に高めた防御。

 右手を盾にしたその足掻きすら。龍王の前では等しく無意味で。

 避けられない硬直と、骨にまで響く重すぎる攻撃。

 避ける。

 その隙を突いて、再び片方の拳が萃香の身体を捉える。

 泣きそうになるくらいの激痛が走る。

 吹っ飛ばされないよう、鬼の膂力と密度の操作で何とか持ちこたえる。

 また攻撃――

 時間が経つ度に、疲労もあって疎の力を上手く切り替えられない。

 再び攻撃。

 また――

 

(コイツ…!肉体はほぼ使い物になってない。半分しかないせいだ、その分燃費の悪すぎる方法で…垂れ流しの妖力に更に追加の出力で誤魔化してるだけ…!)

 

 ――それなのにこれか。

 ――嗚呼くそっ……

 ――理不尽すぎるだろう…!

 

 技も何もない、鬼以上に乱雑な連撃の嵐に、萃香は内心で愚痴を叫ぶ。

 実体を持つ妖怪と持たない妖怪には、決して超えられない効率の壁がある。

 天狗や鬼のように、生まれつき肉も血もある存在が、更に生まれつきの妖力や種族の特性を掛け合わせるように。

 付喪神や幽霊のように、生まれつきの肉や血を持たぬ故に、後天的に妖力や霊力で、本物に限りなく近い、実体の器を作ることもある。

 だが八岐大蛇の場合、前者でありながらその完成度は半分。

 肉が肉として機能しておらず、血もなければ最適な器としての役割も果たせていない。

 手足を失った人間が、止血もしないまま身体を動かし、垂れ流しの血液で腕の真似事をしているような、ありえない。非効率を極めた現実。

 ――だがこれはなんだ?

 数倍、数十倍なんて次元じゃない。

 大妖怪、それこそ妖力量だけなら山の四天王最強の華扇でさえ、このような方法で顕現し続けていれば、たった数分で妖力が無くなってしまうだろう。

 それなのに――

 

「チッ……!」

 

 鋼にすら勝る筈の鬼の肉体が、自分が今までに築き上げた強さが。

 まるで今までの自分の行い、そのものを相手にしているかのようにすら思える、戦いも何もない、圧倒的な力による蹂躙。

 拳がめり込み、揺れる意識から目を逸らすように、ただがむしゃらに動く。

 反撃。

 何十回目の空振り。

 再び来る反撃、それの反撃。

 萃香の放つ拳が、再び虚空を貫く…ことはなく。それが、八岐大蛇が広げた手の平の中に吸い込まれていく。

 鈍く凄惨な音が響く。

 それは、文字通り木端微塵に握り潰された。萃香の左手だった。

 

「ぎ…ッ!」

 

 身体が痛みで硬直するよりも先に、己の生存本能に従って透明化。

 運よく今回はそれが決まり、八岐大蛇の拳が再び空振ったのを見て、萃香は頭上で実体化。

 左手から吹き出す血液。それを集め、凝縮し、一本の真紅の刀を作り出す。

 鬼の身体能力によって放たれる、その斬撃。

 

血吸改童子切(ちすいあらためどうじぎり)ッ!!」

 

 赤い三日月が降り注ぐ。

 萃香に刀の使い方、正しい振り方の知識などない。

 生まれた時から持っていた圧倒的、理不尽な筈の攻撃。

 その斬撃の全てが、萃香の「密と疎」を操る力による質量操作、触れた対象の分解の両方を宿した必殺の攻撃だった。

 

『鬱陶しい…!』

「ッ……!」

 

 無造作に振り上げられ、簡単に刀を握り、受け止める。

 今までの斬撃とはわけが違う。密度の操作で重くなった刀本体と、分解の力。

 それに直接触れているのにも関わらず、傷一つなく。

 いや、そもそも()()()()()()

 

((パワー)不足を妖力による身体能力強化で補ってる…華扇もやってることだ。だがこれじゃあまりにも……!)

 

 極まった実力者同士であればある程、力の読み合いとは難しい。

 妖力量による差もあるが何より、力の流れというものは戦いにおいて最も重要なもの。

 相手が霊力や妖力。時に神力や魔力…そして瘴気も例外はなく。

 全てには"起こり"があり、そして流れがある。

 力を上手く節約し、長く戦えるようにする為の常識。

 だが、この龍王は――

 

(最初からずっとだ。髪を含め全身から、()()妖力が立ち昇ってる…!)

 

 これでは動きを読む、読まないの話ではない。

 あらゆる大妖怪、それこそ八坂神奈子も例外なく。あまりにも燃費が悪すぎてやらない、無意味な戦いとも呼べぬ暴力の化身。

 文字通り全ての身体を強化し、全力の防御と全力の攻撃を両立させる、まさに不可能を可能にした戦い方。

 全ての攻撃を最小限に抑え、逆に自分の攻撃は限界まで強化された身体能力によって、その全てが致命傷に昇華される。

 世界最強の妖力。

 最古の妖怪、原初の怪物。

 ――人も、妖怪も、神でさえも。

 そこに存在するだけで全てを捻じ伏せる。紛うことなき龍王の姿。

 

(分解も、瘴気も間違いなく効いてる!それでもこれ以上切れない!進めない!それだけ…)

 

 たった一つのシンプルな答え。

 単純で純烈な。

 

『この程度の刀で我は切れぬぞ』

「……っ」

 

 ――圧倒的妖力の差。

 こうして戦いとも呼べない行動を繰り返して、嫌という程に理解してしまう。

 嗚呼わかってる。もうわかってるんだ――

 私では勝てない、今のこいつに有効打は与えられない――

 萃香にできるのは、唯一の勝機である諏訪子の回復、その時間を稼ぐことだけ。

 勝てるのか?

 またやられるんじゃないか?

 ――馬鹿野郎ッ!

 

「っぐ、ッらァアアアアアッ!!!」

 

 大気を震わす鬼の咆哮。

 血管が浮き上がり、鬼の膂力が限界を超え、ギチリと鈍い音を立てて動き出す。

 あまりにも高すぎる身体能力と、妖力で更に活性化させた腕の筋肉が、本来行う筈の脱力を忘れ、膨張し続ける。

 反動も、痛みも、苦しみも。

 あの時の、裏切り者(伊吹萃香)に殺された彼に比べれば。

 この程度の痛みも、全てが――

 

(死に場所、なんて格好つけるつもりはないけどさ)

 

 あれから、ずっと考えていた。

 自分は何故、今ものうのうと生きている。

 己の慢心が生んだ悲劇も、思いあがった自分に与えられた罰も。

 充分に噛み締めたとは言わない、これはずっと、自分が輪廻の先でも背負うべきものだ。

 まるで罪滅ぼしにもならない、機械的に村を見守り、人を助けてきた自分は終わる。

 自分の無価値な命一つで、彼の生きたこの場所を守れるなら。

 彼への償いを。

 自分への罰を。

 それが、叶うなら――

 

「せめてテメェだけでも…」

 

 拮抗が崩れる。

 八岐大蛇の、その信じられないという表情が、萃香にとっては何よりの達成感だった。

 妖力が更に膨れ上がり、八岐大蛇は刀を押し返さんと腕を動かす。

 負けじと、萃香もそれには遥かに劣る、ちっぽけな妖力を纏い、そしてそれに鬼の怪力を。

 そして、八岐大蛇の妖力に負けぬ、心に秘めたその思いを込めて。

 ぎちり、またぎちり…と刀が動く。

 それは八岐大蛇ではなく、萃香が鍔迫り合いに勝っている音だ。

 

「ッぶっ殺す!」

 

 ごめん――

 今更だけど、何の意味もないけれど。

 萃香は、限界のその向こう、死に近づくほどに出し切った全力の世界。

 やっと届いた、鬼の力が。

 なんとか当てられた、その反撃が。

 頭ではなく、腕でもなく、その指を落とすだけで終わってしまったのを見て。

 全てが鮮明に、全てが理解できる程に遅く、そして理不尽な目前の情報の中、心の中で呟いた。

 

 ――あの時、私はお前に打ち明けるのが嫌だったんだ。

 

 楽になってしまうから。

 自分が殺した癖に、その苦しみをさも被害者のように語るのが。

 てゐに語ったことは全てではなく、本当はもっと、もっと語りたいことはあった。

 彼はこうして笑ったんだ。

 彼は自分に、優しく触れてくれるのだと。

 初めて過ごした、誰かの熱が隣にある夜を。

 

 ――語る資格なんてない癖に。

 

 彼を殺した分際で、甘い幸せを語る自分が、自分で自分を殺したくなるくらいに嫌だった。

 本当はあの時、向こうにいるもう一人の私も、それを語っている時は凄く苦しかったのだと。

 自分の身体も、宙を舞う砂の一粒一粒を数えられるくらいにゆっくりな時間。

 なのにいつの間にか、八岐大蛇は既に萃香の背後に立っていて。

 

『貴様…!』

 

 防げない。

 疎の力を発動するよりも早く、頭を掴み。

 

『この……ッ』 

 

 思いっきり――

 

『消えろォオオオオ――!!」

 

 ――叩きつけられた。

 生まれて初めて感じる激痛。

 きっと、その時の自分はみっともない悲鳴を上げていただろう。

 鬼の癖に。

 人間が恐れ、怯えて逃げる大妖怪の癖に。

 そんな自虐の思いすら、まともに続けられないくらい、再び衝撃が走る。

 

『ッ!ァあ"aAAaあアアぁアァァあ"ア"!!!』

 

 身体が潰れた。

 他人事のようにそう思えるくらい、ぽっきりと簡単に折れてしまった音が聞こえる。

 ――何の音だろう。

 心?まさか、今更壊れる程立派な自尊心なんて残っていない。

 身体?あぁきっと身体だ、そうだ。そうに決まってる。

 陥没する地面、一瞬だけ視界が鮮明になった時、それが頭に流れ込んで来て、やっと萃香は今自分が何をされたのかがわかった。

 思いっきり頭を叩きつけられ、踏みつけられ、今は休みの時間。

 今までのものが嘘みたいな、本気の力の波を感じる。

 殺気と怒気、そして一瞬感じた悪寒。

 休みは終わり、また萃香は踏みつけられ。

 一転。

 

『――出涸らしのゴミクズが』

 

 底冷えするような怒りだった。

 でもそれが、さっきよりも苦しく、重い

 あまりにも苦しくて、防御とか逃げるとか、そういう考えすらできなくて。

 悲鳴も上げられず、たった数秒の休憩時間は終わり、また足を振り上げた気配。

 再び、思いっきり踏みつけられたのだと気づいたのは。

 

「ぅ、ぇ…っ」

 

 頭が割れた、身体が砕けたような痛み。

 ――生きているだけで奇跡だ。

 八岐大蛇の持つ妖力、身体能力の全てが絶え間なく、元より瀕死寸前だった萃香を、充分すぎるくらい、これでもかと痛めつけた。

 鬼の身体は頑丈だ。それこそこの世のあらゆる妖怪に負けないくらい、そう思っていた。

 ――ならこの醜態はなんだ?

 みっともなく涙すら浮かべて、痛みに喘ぐので精一杯。

 鬼らしく逆上もできず、見事だと笑ってやることも、無理やり笑顔を形作って挑発だってできやしない。

 まるで赤子みたいにうずくまって、血だらけのまま膝を丸めて。

 ――やっと終わった。なんて

 なんて、情けない――

 

『…あのガキを殺す』

 

 文字通り心も、身体も砕けた鬼を見ることなく。

 八岐大蛇は忌々しいと、その美しい少女らしい顔をこれでもかと、憎悪と苛立ちで染め上げ。

 今も眠ったままの土着神を、洩矢諏訪子を見る。

 

『あいつのせいで…!あいつのせいで受肉もできず、それどころか我が魂を…異能を破壊し、消し去った…!痴れ者…!』

 

 八岐大蛇が本来持っていた「五行を創造する程度の能力」は、もう死んでいる。

 受肉をより早く進めるため、八岐大蛇は核とも呼べる本体を現世には持ってこず、あくまでも分霊のみを残し、己は「奈落」で待機していた。

 異能と力を完全に切り分けると言っても、それでも彼ら五行首は間違いなく八岐大蛇の一部だった。

 それを壊した。

 それを殺したのは誰か。

 あぁそうだ、あの土着神のガキだ――

 

『絶対に許さん、今殺してやる…!』

「あ、どうぞー」

 

 八岐大蛇が歩き出したのと同時に、今も眠ったままの諏訪子の隣に立っていた、あの謎の少女はそう言って、すぐに離れて手を振った。

 それを無視し、八岐大蛇はゆっくりと、今までの殺意を噛み締めるように歩き出す。

 その右足に、余計なものを付けたまま。

 

『…』

 

 萃香だった。

 意識も朧気で、傷のない場所はない。

 折れた左腕、口中の歯が見えるくらいに裂けてしまった頬と、引きずられ、新たに傷を刻む膝と指先。

 あまりにも痛々しい。たとえ身体が頑丈な鬼であろうと、それが致命傷であるのが火を見るよりも明らかだ。

 再び足を上げ、仰向けになった萃香を再び、踏む。

 

『……』

「っう…ぅ…!」

 

 ぐちゃり。

 泥を踏んだような、鈍い音が小さく響いた。

 顔面が陥没しても、声にならぬ雑音を漏らしても、萃香は腕の力を緩めはしなかった。

 ただ死に体のまま、せめての抵抗を続けて――

 

『ならいい、そこで見てろ』

 

 諏訪子の頭を掴み、八岐大蛇はそれを萃香にも見えるよう、高く持ち上げる。

 少しずつ、傷が治りかけていた彼女の身体と、そして薄っすらとだが体表に纏わりついている瘴気。

 自由な右手を強く握り、ただ静かに呟いてから。

 

『――今度こそ死ね』

 

 諏訪子を絶命させる拳が、放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「破壊という名の宿業は、呪い以外の何物でもない」

 

 八岐大蛇を見下ろすように、宙に浮かびながらそう語るのは亜麻色の少女だった。

 足元にいた筈の萃香が消えたことに気づいたのは、その新たな少女が既に、血だらけになっている萃香を抱えていたから。

 八岐大蛇の拳が捉えた筈の、先ほどまで諏訪子がいた筈の場所には、代わりに小さな陰陽玉が一つ。

 全力だった。殺意を込めた一撃だった。

 それが、こんなちんけな小道具一つに受け流されたのだ。

 しかしそれは、頭上で漂う大量の陰陽玉の、その内の一つに過ぎないのだろう。

 ――神代の者のみに許された、この神力は。

 

『誰だ、貴様は』

「フン。破壊と蹂躙が宿業とはいえ…稚拙で醜いものです。更生の余地なしと見ました」

 

 ――その者、原初の陰陽玉を造りし者。

 玉造(たまつくり)魅須丸(みすまる)

 

『そいつを寄越せ、でないと――』

「勘が鈍いのねぇ。今なら見逃してあげると言っているのに気が付かないなんて。しかたがない。しかたがないねぇ…」

 

 更に、その少女の上。

 この場にいる者の中で最も、それこそ存在感だけでなら、八岐大蛇にも負けぬ新たなる者。

 鮮やかな青色の長髪を靡かせて、二人目の少女は笑って言う。

 その背後に漂う、橙色の炎の龍の背に、姿を消した諏訪子は眠っていた。

 必然的に、八岐大蛇は彼女らを見上げる形になる、そしてそれが何よりも不快で、その苛立ちを溢れる妖力が証明する。

 その青髪の少女は、溢れる妖力を見ても顔色一つ変えず。

 ただ、告げた。

 

「喜べ。お前は未来永劫、私の最高傑作の素材として…幻想にはならず、永遠に生き続けることとなるだろう」

 

 ――その者、この世の偶像を司りし者。

 名を、埴安神(はにやすしん)袿姫(けいき)

 

「その醜い肉体を滅して、お前を土と水で美しく造り直してやる!」

 

 戦いの命運は、この造形神(イドラデウス)に委ねられた。




 埴安神袿姫&玉造魅須丸
参戦、八岐大蛇南無。

 循環定義
ゲームのマップとロード時間みたいなもの
わかりやすく言うとあまりにも速く移動しすぎて背景のテクスチャが遅れて虚無が生まれるアレ

 血吸改童子切
元ネタは東方LostWord萃香のラスワ

 リョナ書いてて楽しかった…(小声)

呪術廻戦はどこまで知ってる?

  • 最新の単行本(人外魔境)まで
  • アニメの内容(渋谷事変)まで
  • あまり知らない(領域展開は知ってる)
  • 全部わかる
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。