諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

54 / 64
 予約投稿ミスってましたすみません


54話.先代結界⑥領域展開

(たとえ後から領域に侵入されようと!)

 

 華扇は領域を構築する際に、その対内条件と対外条件にある変更点を加えた。

 領域内ではその主の能力に主導権(イニシアチブ)が与えられ、それ以外の他者、領域内に入った者の能力は一切の発動権を失ってしまう。

 主導権は絶対に譲らない。その決意のもとに展開を開始した。

 世界が書き換えられる。

 

(ダラダラやるつもりはねぇ!熱い決着つけようぜ!)

 

 勇儀もまた、華扇と同じく領域の対内条件を変更する。

 仮に自分が能力の発動権を失った場合、誰が最も有利となるか。

 もしも勇儀が能力の発動権を失えば、疎の力を持つ萃香に対して一切の攻撃を当てられなくなってしまう。つまりこの場合、最優先で対策するべきは萃香。

 そしてそれは華扇も同じで、華扇の場合は自前の呪術による必中能力がある分勇儀よりはマシだが、それでも「密と疎」による近接格闘は避けたい。

 たとえ結果として、もう一人の敵に塩を送ることになろうとも、自分の勝利の為にその選択をする。

 

 ――華扇と勇儀の利害が一致した。

 

 両者が展開する異能の押し付け合い。それの優先順位の全てが萃香に集中し、領域内の構築要素、必中命令によるベクタパラメータは更に混雑を極めた。

 二者と比べ、今回同時に展開された領域は、その煩雑な三者相殺によっていつ崩れてもおかしくない、爆弾そのものに変化を遂げる。

 各々の領域展開時の対内条件、対外条件の相違。

 いつ、何かの拍子に崩壊してもおかしくはない、絶妙なバランスで成り立つ三者拮抗。

 

『私ハ!!』

 

 ――そこに想定外の侵入者が名乗りを上げた。

 

『鉄ノ味ガ好キダ!!!』

 

 古代に黄泉返った、黒い悪魔が躍動する。

 覚醒直後の飢餓状態。抑圧された本能と食欲が爆発し、彼の理性をかき消したことによる暴走状態。

 餌を求め、血の鉄を求める龍殺しの大妖怪。

 彼の無粋な乱入によって、領域の拮抗は傾き、その維持すらもままならなくなる。

 これにより、領域が崩壊――

 

 

 

 

 することはなかった。

 

 

 

 

「君の未来はもう見える」

 

 本来ならば有り得た未来。

 領域が崩壊し、不発に終わる筈だった彼女たちの本気。

 魂を揺さぶる、鬼の戦いへの横槍を、領域展開の失敗を。

 

「君では。私に勝てないよ」

 

 ――天魔が、それを許さない。

 領域の外。虹龍洞の近くから、萃香たちの戦場に乱入しようと飛び立つ山の上空では、天魔が堕涅を捉え、その行動を縛っていた。

 これにより、数ある未来のうちの一つ、領域の同時展開の三重奏、それの乱入による崩壊は、未然に防がれる事となる。

 煩雑した対内条件と対外条件。

 打ち消し合い、共生する必中命令と異能の効力倍増による究極のバトルステージ。

 

 異能を極めたその先の世界。

 

 結界術を超えたその先の幻想を、現実世界に具現化させるその技が。

 数百と余年、渇望を満たす熱によってそれが。

 茨木華扇、伊吹萃香、星熊勇儀によって。

 今、ここに――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 領域展開。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(すい)(せい)()(らく)

増上慢(ぞうじょうまん)(あい)(ぜん)

()(うん)(ごう)(ごう)(ごう)

 

 ――領域展開。

 それは異能を極めた者が手にする、真に選ばれた者にしか辿り着けない絶技。

 霊力や妖力、魔力や呪力全ての力に、平等に与えられた最後の砦。

 自身の今までに培ってきた命と記憶、心象風景をこの世に具現化させ、そして異能(程度の能力)の効力を最大限に高め、逆に領域内の相手には異能(程度の能力)を使わせない、正に理不尽の権化。

 ただ自分のイメージを投影するような、それこそ元来の結界術のように、ただ部屋の内装を変えたり、相手を閉じ込めるだけのものとは訳が違う。

 結界術を必要とせず、そして自分のイメージ…否、自分の魂そのものである心象風景を自覚し、"圧倒的な自己"を持った者だけが、現実世界を書き換える資格を得る。

 結界を使わず心象風景を具現化することは、頒布(キャンバス)を用いず空に絵を描くに等しい。

 ――まさに神業。

 華扇の全てが、萃香の全て、そして勇儀の全てが具現化する。

 心象風景。その者の人生を、価値観を、異能の全てを表現するオブジェクトが具現化すると共に、現実世界を書き換えた。

 酔生堕落――華扇の展開した領域内に地面はなく、代わりに凪いだ水面は、人を惑わせ、堕落させる酒で構成されており。そして華扇の背後にそびえ立つのは、何百もの人骨の山。

 増上慢愛染――萃香の展開した領域内には、伊吹色のワスレナグサが地面を埋め尽くしていた。そして萃香の背後にあるのは、巨大な美しい梅の木が一本。

 五蘊轟轟業――勇儀の展開した領域内には、草の一本も生えていない荒れ果てた大地。そして勇儀の背後にあるのは、天まで届く岩の柱が数十本。

 それぞれの生きた歴史が、力の全てが露わになるその光景に、三者はそれぞれ思う所はある。

 だが、今の自分たちに言葉は無粋。

 ただ。――押し通るのみ。

 

(勇儀の体力…は残り四割、萃香は一割といったところか)

(妖力だけなら華扇が一番。次点で萃香と最後に私か…)

 

 領域同士のぶつかり合いによる、デフォルトに設定されている筈の座標の変化。

 それにより、華扇と勇儀は先ほどまでの地面に立っていた状態から、今は自然落下に身を任せた状態になっていた。

 そして両者は奇しくも、その警戒心を一人に向けており。

 

(まずは危険な萃香から…!)

(いつ必中命令が消えてもおかしくない…今のうちに攻める!)

 

 三者同時の領域展開。

 本来であれば、領域を展開した一人を除き、それ以外の巻き込まれた者は全ての能力が封じられる、それこそ妖怪であれば妖力を、人間であれば霊力を練ることすらもままならない。――筈だった。

 煩雑な対内条件がぶつかり合い、その結果本来であれば即死を呼ぶ必中命令、それのみが三者全員の領域から消され、その結果デフォルトの能力性能の向上効果のみしか残っていない。

 つまり今、華扇と勇儀、そして萃香も平等に、それぞれが動物を導き、怪力乱神を操り、密と疎を操作する力は消されておらず、いつでも発動できる状態にある。

 ――が。

 

(最優先で処理すべきは…!)

 

 華扇が妖力を滾らせ、呪術によって作り出した鬼火を纏い、舌なめずりをする。

 

(拮抗も長くは持たない。――まずは初撃で落とす)

 

 勇儀の拳が蒸気を発生させ、赤い閃光が、今度は全身を覆い尽くす。

 

(おそらくあいつの目的は…)

 

 萃香の妖力が更に沸き、その質量を更に上の次元に押し上げた。

 三者同時の領域展開。

 能力の主導権こそ奪えなかったものの、それでも領域を展開したことに変わりはない。

 領域内での、展開者にしか得られない自己強化の恩恵は、この時平等に全員が受けることとなる。

 そして、これにより三者其れ其れが。

 ――120%の潜在能力(ポテンシャル)を引き出すに至る!!!

 

「まずは――」

 

 刹那、両者に平等に分けていた筈の意識。

 華扇の警戒心がその時、自身と相性の悪い萃香に僅かに割かれていたのを。

 ――勇儀は、決して見逃しはしなかった。

 

「お前だ!!」

「~ッ!」

 

 勇儀が跳躍し、華扇の背中を蹴ると同時に、空を駆ける。

 飛行能力によるものではなく、ただ空気の持つ熱、僅かな密度の違いによって生まれた"面"を、効力を増加させた「怪力乱神」による恩恵の下に捉え、空中を蹴って走るだけ。

 そしてあくまでも、空中を蹴って走っているということは、力を込める為の動作が必要ということでもある。

 空中で無防備になった勇儀を狙い、萃香が跳ね、その腹に蹴りを放つ。

 そして、その反動を利用し、地上に落とされた華扇に向かって飛ぶ。

 

「チッ…!」

 

 受け身を取り、体勢を立て直した華扇。

 萃香もまた、勇儀の作った隙は逃さないと、未だ衝撃を喰らってふらつく華扇に対し躊躇なく、全速力を引き出した。

 華扇はそれに反応し、向かってきた萃香に対し、能力によって再び幻覚を見せ、それによる攻撃の軌道を逸らそうと考える。

 ――が。

 華扇の身体が震え、頭にズキンと鈍い痛みが走る。

 決して軽くはない負傷の後に発動した領域展開。

 領域展開直後の拮抗と、そして煩雑な領域の押し合いによる精神の疲労。 

 三者の必中命令が互角の状態で、勇儀から喰らった痛手。

 そしてそれは勇儀も同じであり、今の領域の主導権は萃香が握っている、つまり。

 ――その結果、一時的にとはいえ華扇の異能は主導権を失い(焼き切れ)、効力がかき消された。

 

「~~ックソ!」

 

 華扇は苛立ち、何とか倒れないように堪える。

 ただ能力を発動できない、できなかっただけならばいい。しかし今回はあまりにもタイミングが悪すぎる。

 相手に領域の主導権を奪われ、それに気づかず能力を無理やり使おうとした代償として、華扇は脳に軽くとはいえダメージを負うこととなった。

 力をつけ、人間の身体を得たからこそできた弱点。

 しかし妖怪は頑丈だ。脳を完全に破壊されでもしない限りは絶命もせず、今回も普段であれば、ただの切り傷と同じようなレベルであった。

 ――そう、普段であれば。

 

「私の能力がわからなくて近づけないか?」

 

 戦場では、それは致命的な隙だった。

 華扇が体勢を立て直した頃には既に、萃香は華扇の前にいて。

 同時に、華扇はその時に回避を捨て、必死になんとか発動した能力で、萃香の打撃が芯を捉えないよう、細工する。

 万全でないとはいえ、軽い幻覚を見せられる筈の能力はしかし。

 ()()()()には――

 

「なら教えてやるよ」

 

 領域内による、身体能力と異能の向上。

 ただでさえ圧倒的だった萃香の身体能力が、それを引き上げる異能が。

 更に、限界を超え――

 

「――"質量(みつど)"だ」

 

 華扇の顔面をぶち抜いた。

 今までの打撃が生易しく思える程の、あまりにも()()()()拳。

 ガードの為に構えた華扇の腕を、両腕を肘から捩じ切り、ボグッ!と凄惨な音を立て、そして華扇は吹っ飛んだ。

 そのまま身体は空を駆け、華扇の領域のシンボルである骸骨の山に直撃し、それを突き破って更に飛ぶ。

 華扇の身体の勢いは衰えを知らず、そのまま地面に直撃、そして吹っ飛んでまた地面に落ちてを繰り返し。

 それでも速度は決して衰えることなく、そのままずっと吹っ飛び続けた。

 

「~~~~ッッッ!!!!!」

 

 顔の半分が崩れ、致命傷を負う。

 しかしそれでも、意識だけは何とか落とさぬよう、華扇は歯を食いしばり、痛みに耐え続けた。

 その間も、華扇の身体は領域内を飛び続け、そしてある"壁"にぶつかり、また吹っ飛ぶ。

 

(しくった…!今までの戦いで充分考察材料はあったのに…!だがここまでとは…!)

 

 壁をぶち抜き、そしてまた吹っ飛んでは壁にぶつかる。

 領域展開時、相手を決して逃がさぬように基本で備わる、本来は結界術の頂点でもある高等技術、循環定義。

 領域内の者に合わせ、世界を書き換え続ける筈のそれでさえ追いつけない、あまりにも速すぎる一撃。

 華扇の幻覚に惑わされず、芯を捉えて殴ることができた先ほどの現象といい、華扇が萃香の能力に気づいたのは――あまりにも遅かった。

 

(能力対象の概念…!その内包と外延に収まらない程の圧倒的質量…!)

 

 華扇の相手に幻覚を見せる能力、それでも捉え切れない程に、今の萃香は能力による上限値の化け物だ。

 最初の警戒、華扇が分が悪いと予測したのは皮肉にも、この時完全に当たっていた。

 少しだが痛みも和らぎ、速度も落ち始めたその身体を――

 

「――悪いな、華扇」

 

 華扇の飛んで行った先、その上空で既に待ち構えていた勇儀は。

 

「勇――」

「三歩、必殺――!」

 

 その右手にありったけの妖力を込め、そして振り下ろした。

 予想外の乱入、そして今度こそ限界を超えた華扇の身体は地面に向かって轟音を立ててぶつかり、埋まる。

 同時に、勇儀と萃香両方が感じた、身体が軽くなる感覚。

 それは華扇が戦闘不能になり、拮抗していた三つの領域が、二つに戻ったという意味であった。

 酔生堕落が崩壊し、本来相手を領域内に入れた時点で、対象を酔わせて永遠に眠らせる筈であった酒の地面。

 そして彼女がこれまでに殺した人間の象徴であった、骸骨の山のオブジェクトが崩壊する。

 しかし恐ろしいのは、一撃で華扇の意識を刈り取り、戦闘不能にしたこの一撃が弱体化したものであること。

 あくまでも先ほどの領域の主は萃香、酔生堕落が崩壊した今は、再び最初の120%の力を取り戻しているが、つまり逆に言えば、先ほどの三歩必殺は通常よりも弱体化しかつ、領域展開後のパフォーマンスが低下した状態のものなのだ。

 それが意味する恐ろしさ。

 萃香は警戒心を限界にまで引き上げ、勇儀は軽く手を開き、握ってを繰り返して笑う。

 

「まっ領域展開後ならこんなもんか」

 

 勇儀の能力は「怪力乱神」であり。その基本性能は、「殴れない相手も殴れるようになる」というもの。

 勇儀は普段、よほどのことがない限りは、怪力乱神による膂力(フィジカル)の強化は行わない。

 それすなわち、勇儀は異能(程度の能力)を使用してもしなくても、同等の攻撃(パフォーマンス)が可能な唯一の鬼。

 再び、両者は相対し、その領域の必中命令が交雑する。

 勇儀も、萃香も。

 言葉など必要なく、ただ真っすぐな視線で会話を終えた。

 

 ――さぁ、卓に着こう。

 

 (喧嘩)はまだ始まったばかり。

 まだまだ、全力の先まで走っていこう。

 渇きに比例した熱い思いは、天井知らずに燃え上がる。

 

「行こうぜ、萃香」

「行くぞ、勇儀」

 

 ――さぁ、甘味(デザート)で人生の口直しを。

 痛みも疲労も、ここに来て気にする意味を失った。

 ただ行くところまで、限界を超えたその先にある、本気の喧嘩のその先を。

 鬼の本能のまま、戦いの愉悦を楽しみながら。

 もっと、もっと欲しがろう。

 ――贅沢結構。

 ――鬼はそういうものだから。

 

「そうだろう…萃香ァ!」

「あぁ…そうだな!!」

 

 勇儀の戦意に比例して、怪力乱神の出力(ギア)が上がる。

 元から常識知らずだった勇儀の力が、数倍、数十倍にまで引き上がり、その力が暴れ出す。

 赤い閃光は鳴りを潜め、肉体から溢れる分の力まで、一切を無駄にしないよう体内を循環し、強化を続ける。

 岩を砕き、山すらも壊す勇儀の力。

 領域内の性能向上もあり、その恩恵(バフ)によって、身体能力強化の倍率は更に異次元に。

 出力(ギア)の上がった今の状態は――今までの2.5乗。

 勇儀はただ拳を振るう。

 それだけで、貯め込まれた赤い閃光が、更に鈍く、そして黒く――

 

「何回でもやろう!!」

 

 空間は歪み、妖力は黒く光る。

 黒の閃光が炸裂し、萃香の身体から鈍い音が聞こえた。

 身体が浮き上がり、また吹っ飛ぶのを――

 

「ッッ舐めんな…!」

 

 萃香は耐えた。

 足、そして攻撃を喰らった腹にのみ妖力、そして密度を操作し全力の防御を成功させる。

 口からは凄まじい量の血が流れ落ち、地面に大きな赤い円を作り出す。

 骨が砕け、内臓のいくつかが破裂したとしても、それでも萃香は止まらない。

 完全顕現でも持て余す一撃。もしも萃香が全力の姿を出していなければ、今ので勝負は決まっていた。

 だが、それはもしもの話。

 今。彼女はここに立っている。

 全力で、本気の姿でただ、勇儀と向き合い、拳を握っている。

 ――これだけで充分だった。

 

(湧き出る妖力も落ち着いてきた…配給が終わったかもしくは、限界が近いか)

 

 勇儀の妖力量。

 それは萃香は勿論、量だけならば華扇よりも少ない。

 元より肉弾戦の方の才能があったのもあるが、何より心のどこかで、彼女たちとは別の特異を極めようという思いもあった。

 呪術的力を捨て、肉弾戦に全てを捧げた勇儀。

 肉体、呪術両方を均等に極め、そしてバランスの良い強さを得た萃香。

 肉弾戦は二人に劣るが、呪術的力に全てを捧げ、遠距離や中距離を極めた華扇。

 そして領域内とはいえ、そんな勇儀に対し、萃香は今もこうして、殴り合いが成立しているという事実。

 だがそれだけの強化、必ず何か弱点が、そして欠点がある筈だ。

 そして一番考えられるのが――制限時間だった。

 

(戦いが始まって一分くらいか…?あれだけの強化だ、最低でも三分…もしくは五分辺りか?希望的な勘だが)

 

 勇儀の推測は正しく、現在萃香が制限を解除してから49秒が経過している。

 つまり制限時間は、残り4分と11秒。

 

(仮にそれが当たっていれば、時間いっぱい萃香をいなして、その後に殴れば私の勝ちだ)

 

 

 

 

 ――それは雑魚の思想だ。

 

 

 

 

「……はっ、ははは。あっはははははははははははは!!!」

 

 勇儀の笑い声が響いた。

 心底面白いといった笑い声。

 そこには、快活とも呼べる色が乗っていた。

 

「まだまだ宴は始まったばかり…そうだろ?」

 

 苦笑しながら、勇儀は全力で地面を踏み抜き、陥没させた。

 何十mものクレーターが発生し、瓦礫が宙を舞い、轟音と共に再び、勇儀の足が動く。

 二回、三回。

 何度も何度も、笑いながら勇儀は地面を踏み、自身の笑い声が埋もれる程。

 何回も、何回も繰り返した。

 

 ――自分は今、何を考えた?

 ――勇儀、お前は一瞬とはいえ何を考えた?

 ――違うだろう?

 

 一瞬でも、この戦いを長引かせようだなんて考えた。

 無粋な方法を、相手の力が尽きるのを待つだなんて考えた。

 その慢心を戒めるように、自分に対する怒りを、そして自分への呆れを込めた笑い声を。

 そしてそれをかき消すくらいの轟音を、何度も何度も鳴らし続けた。

 ただ、この戦いを楽しむ為。

 

「音量上げろ…」

 

 時間なんて関係ない。

 相手が一番強い時、自分の命を脅かす時。

 

「――生前葬だ!!」

 

 食前酒(三人の殴り合い)は楽しんだ。

 主菜(領域展開)も。

 そして、残る甘味(デザート)も――

 

「死んでも生きろよ!萃香!!」

「言われなくとも…!」

 

 言葉は、今度こそ本当に必要なかった。

 そこからの戦いは、ただただ殴り合い、そして死力を尽くすのみ。

 両者を包む空気が波打ち、震えた。

 残像すらも置き去りにした、神速の打撃による応酬。

 殴り。

 殴り返され。

 再び顔面を貫き、堪える。

 また、殴る。

 再び身体の芯を捉えた勇儀の拳が、萃香の身体を震わせた。

 衝撃が内臓を撹拌し、背中から突き抜けたかのような感覚。

 吐き出す血液は既に、人間の致死量を超えていて。

 それでも二人は立っていた。

 鬼の肉体に深刻なダメージを与え、与えられる暴力の嵐。

 頭蓋骨の奥にまで衝撃が届くのが分かった。

 骨が原形をなくし、筋肉だけで立っているような気さえする。

 互いに、勇儀も萃香も、ただただ殴り合い、立ち続けた。

 いや、もう立つ力など残っていない。

 足は地面と一体化し、くるぶしが見えなくなる程に埋もれ、固定されている。

 そうしないと立っていられないから。

 負けたくない。

 勝ちたい、もっとと本能が叫ぶ。

 

 ――知らなかった!出し切った後があるなんて!!!

 

 歓喜。

 勇儀は勿論、萃香でさえ感じるのは充足感。

 全力を出し切った後、疲弊し、充分な力を出し切れない低レベルな状態。

 しかしそこに至るまでの過程は、そしてこの"熱"は、今までに感じたことがない至上のもの。

 もっと。

 もっと――

 もっと!!!!!

 ――これが甘味(デザート)

 

(あぁ…クソッ!)

 

 ――だから、もう駄目だ。

 もう妥協なんて出来ない、必要もない。

 死ぬかもしれない。

 もしかしたら殺すかもしれない。

 だがそれでも、もっともっと、その先へ。

 

 ――私はこいつと、行くところまで行ってみたい!

 

 もう我慢など今更な話だ。

 心から望む勇儀は、殴り合いを中断し、そしてある構えをとる。

 それは、今の勇儀がなんとか放てる、最後にして最大の一撃。

 対する萃香も、勇儀の熱い眼差しと、突如中断された殴り合いが示す答えに、苦笑いを零した。

 

「ここまでだ」

「あぁ…そうだな」

 

 拳を構えるだけで、周囲の空気が圧迫される。

 本当の決着は、この一撃でつく。

 この一撃で、この楽しい戦いはお開きだ。

 

「四天王奥義…」

「四天王奥義…」

 

 勇儀が、萃香が。

 

「三・歩――」

「三歩――」

 

 同時に拳を。

 

「必・殺!!!!!」

「壊廃!!!!!」

 

 最大最強の攻撃を、両者が同時に解き放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三歩必殺が放たれた次の瞬間、萃香の妖力は完全に消えた。

 全ての妖力を、防御に回す分も全て、この攻撃の為に使った。

 それすなわち、勇儀の拳を受けたが最後、萃香は逃れられない死を迎えることとなる。

 萃香は肩から先、右の脇腹までが抉れ、大量の血を流しながら何とか立っていた。

 ――対する勇儀は

 

「……天晴れ見事、ってか」

 

 勇儀は萃香と違い、無傷な右拳を突き出したまま立っていた。

 だがその胸に、背中まで貫かれた大きな穴がある。

 もはや限界、その先の先まで走った代償。

 勇儀は愉快そうに笑って、そして血を吐いて仰向けに倒れた。

 その瞬間。倒れながらも勇儀は、萃香に対し笑顔で叫ぶ。

 

「……ありがとう。楽し(満腹だ)かった!!!」

 

 人生の口直し。

 悔いなき完食、ここにあり。




 領域解説
増上慢愛染(萃香)
①増上慢→四慢、七慢の一つ。いまだ悟りを得ていないのに、悟ったとして思い高ぶること(仏語)
②愛染→ 愛に執着すること。愛着(仏語)
嘘と慟哭をモデルに作りました、私鬼だし強いからへーき!という思い上がりで愛を失った設定にぴったりだなぁと

酔生堕落(華扇)
①酔生→酔ったような不確かな心地でくらす(酔生夢死から)
②堕落→道心を失い犯戒の心をおこすこと(仏語)
過去のネタ帳からサルベージ、仙人華扇をイメージして作成してました(過去話のタイトルにも)

五蘊轟轟業(勇儀)
①五蘊→ 色、受、想、行、識の五つをいい、総じて有情の物質・精神の両面にわたる(仏語)
②轟轟→音や声などがやかましくひびくさま。とどろきわたるさま。
③業→意志による身心の活動、行為。一般に身・口・意の三業に分ける(仏語)
万の三重疾苦を反面教師にそれらしく、勇儀らしさ全開で作りました(個人的に結構好み)

 天魔が堕涅の足止めをしてなければ元ネタと同じく領域名すら出てませんでした(天魔ありがとう)
 先代録と仙台結界両方リスペクトした今回のお話、書いててめちゃくちゃ楽しかったです。
 作者が嬉しくなるので高評価と感想気軽にお願いしますね

呪術廻戦はどこまで知ってる?

  • 最新の単行本(人外魔境)まで
  • アニメの内容(渋谷事変)まで
  • あまり知らない(領域展開は知ってる)
  • 全部わかる

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。