諏訪子様になった、負け戦を回避したい 作:洩矢廻戦
暗闇を歩く者がいる。
その少女は、背中から生える二対の黒翼をピコピコと動かし、まるで遠足にでも来ているかのような足取りであった。
怨嗟の声が鳴り響く。
洞窟のようにひんやりとした、その冷たい空気によって、言いようのない気色の悪さで肌を刺激する。
四六時中新たに生まれた怨霊が、その鮮血が空気を潤すような醜悪な世界。
地底だった。
日の光など入る訳もなく、光源として機能するのも怨霊で、その輝きは比べるまでもない程に黒く、禍々しい。
そんな場所に来ているというのに、彼女は鼻歌を歌いながら、ルンルンとスキップを交えて歩き続ける。
気楽としか言えない態度だ。
だが決して、それが無知や無力から発せられるものではないことを、彼女を遠巻きに眺める怨霊たちは知っている。
その身から溢れる神力は。――間違いなく頂点に位置する神のもの。
――そして、そんな彼女の目的は、ある物を探すこと。
「うにゅ、これかな」
少女――八咫烏は暗闇の中を歩き続け、目的の場所に辿り着く。
怨霊が漂い、そして時に呪詛の言葉を吐きながら消滅、そして時に同士討ちを繰り返し、文字通り命が燃える事で暗闇は僅かに退く。
そんな視界の悪い道だろうと関係ない。彼女はむしろ一切速度を落とすことなく、時折小走りを挟んで移動を続けていたくらいだ。
光が生まれ、小さな悲鳴と共に怨霊が消え、そして光が無くなり暗闇が生まれる。
その刹那の光源、そして目が暗闇に慣れてきたことで、彼女は一面に広がる赤の海を見ることができた。
それはかつて以前は、血の池地獄と称された場所である。
地獄の縮小、本拠地の転移という様々な要因があり、現在八咫烏がいる場所――地底はもう地獄ではない。
旧地獄。かつては現役で死者たち、妖怪から神までを平等に裁き、苦しめ続けてきたこの場所は、もうその栄光は過去のものだ。
数えきれない程の罪人を、醜い肉塊すら残さぬ程にふやけさせ、水に溶かしてきた歴史。
それを、八咫烏は全て理解した。
手の平で軽く掬って、それを見つめるだけで、手の平に乗る程度の量の血の中に、何千もの罪人だったものが溶けているのが、そこから放たれる瘴気が証明している。
足を動かし、一歩近づくたびに血の池が騒ぐ。
瘴気が、その中に溶け、そして複雑に混ざり合う怨霊たちの残留思念とも呼ぶべきそれが、本能的に彼女を、太陽の化身たる八咫烏を恐れているのだ。
一息。
「哀れな亡霊よ。――我の下に眠れ」
八咫烏が、血の池地獄に足を入れた。
その瞬間、足の指が血の池に触れた瞬間から、凄まじい量の蒸気が発生し、同時に怨霊だったものの悲鳴が響き渡る。
黒く、赤く、自然界に存在する火とは比べることなどできない。
太陽。
空の果て、地球を見下ろす恵みをもたらす何時かの破滅。
魔を滅し、光をもたらすその光と熱が、血の池に潜む罪人の末路を滅ぼした。
もはやこの場所に残っているのは、僅かな瘴気を纏う、血の池の搾りかす。
魂の残穢、消し切れなかった罪の跡。
義理も使命もない、が。
それでも自分は神だから。――そんな理由で、八咫烏は再び動く。
「ふむ…」
八咫烏が手を開く。
その手の中に収束する、赤い渦はたちまち、血の池地獄だったものを吸い上げ、圧縮し、固形の何かに変化する。
怨霊を滅し、瘴気は僅かに残っているものの、それでも所詮はその程度。
瘴気は確かに恐ろしい。
だがしかし、それも結局は…ある一定のレベルの話であって、その差によって効き具合は変わる。
莫大な妖力を持つ八岐大蛇に対し、かつて洩矢諏訪子が瘴気による攻撃を通せなかったように。
八咫烏の神力を前に、この瘴気もまた、何もできない。
彼女はそれをまじまじと見つめてから。
「…まっず」
腹の中で、自分の魂を侵食しようと暴れ出す瘴気。
それを抑え込み、意識を集中させ、神力の流れ、血管の一本一本までを把握し、掌握。
そうして何とか、瘴気を完全に消すのに数分がかかり、その後にやっと八咫烏は息を吐けた。
「これでよし」
血の池地獄は見る影もなく、そこにあるのはただの干上がった、荒れ果てた大地。
枯れた景色、無機質な地面が露出している。
そしてその中心にあった、何か。
池の底、そして中心に刺さっている目当ての物。それを見て、八咫烏はやっと仕事を終えられる――それが理由で。
きっとそれが理由で、今笑った。
笑ったのだ。
「さーて、早く神奈子様のところに戻ろっと」
三日月を描くその顔。
決して誰にも見られなかったその笑み。
八咫烏らしくないその笑みは。
その時――
"器"といっても限界はある。
自然の権化たる妖精でも、そしてその中でも、特異点に位置する者だとしても。
八坂神奈子という魂を、存在を抑え込み続けるのは、そう長くは持たないのだ。
その結果、神奈子はチルノの肉体で軽く戦闘を始めただけで、あっという間に身体が崩れそうになった。
チルノは妖精だ。死という概念はない。
仮に今の神奈子が誰かと戦い、そして器ごと破壊…すなわち殺害されたとしても、チルノは何食わぬ顔で復活するだろう。
だがそれは逆に言えば、チルノ
神奈子は確かに強い、が。それでも所詮は神霊の内の一人でしかなく、生まれた時から命は一つだけ。
そして何より、都合が悪いのは――
「神奈子様ー!」
大きな湖だった。
八咫烏が地底から抜け、そしてその上昇速度を維持したまま着いた場所は、綺麗な湖だった。
星の生命力とも言えるだろう。まだ形になる前の、純粋な自然の…大地が持つそのエネルギーが、ある一点に集中し、光を放っている。
その光は神々しく、太陽やそれこそ、焚火によって生まれるものでも、ましてや星空のとも違う。
透き通る湖の、その底に。
その中に沈むもの――
水中で力強い光を放ちながら揺蕩う、敬愛する主。
八咫烏はその力の波動を、もうすぐ全快になるであろう主の姿。
その、背中から少し離れた位置で浮遊している氷の羽も。
かつての彼女のものとは違う、その美しい裸体も。
以前とは全く違う、その器に引っ張られた姿形も――
目を開く。
水中にいた彼女は、水面上から感じた懐かしい気配に共鳴し、再び目覚めの時を経験する。
だがその目が、開かれた目が放つ、赤みがかった紫の瞳が。
予兆としてはまず、八咫烏が今までに数えきれない程感じた、あの心臓を直接握られるかのような悪寒。
莫大な神奈子の神力が揺らぎ、そしてそれが一気に爆発した。
湖にぽっかりと穴が開き、その中央で肩を回し、欠伸を噛み締める――神奈子の姿。
「顔それでいいんですか?」
「今はね」
八咫烏が降り立ち、そして軽い結界を張りながらそう問う。
結界によって、湖の水は神奈子、そして八咫烏に一滴もぶつかることはなく、主とおそろいだから…という理由で気に入っている、八咫烏の服は無傷であった。
ちなみに、神奈子は裸である。
「できれば早く返してやりたいが、残念ながら今はそうはいかん…っと、そうだなまずは――」
指を鳴らす。
未だ不慣れであるものの、冷気を操る力を駆使し、神奈子は服の具現化に集中する。
外気に晒したままの肌を覆い、冷気はあっという間に身体のほとんどを隠し、そして布状に固まった。
白色の長袖はそのままに、半袖は今までの赤とは違い青。留め具も金属ではなく氷。
ロングスカートは半袖の青よりも深い、藍色。
肉体も脆く、
史上最強の国津神、八坂神奈子がここにいるのだ。
そのことに、八咫烏は感無量といった気分そのままに、神奈子に目的の物を渡す。
「神奈子様。これも見つけてきました」
「おっ、どうだった?あの血の池は」
「最悪ですね。反獄でしたっけ?あの怨霊たちの瘴気はもう二度と見たくない…」
「そっか。でもありがとね」
「…えへへ」
八咫烏がそう言って渡したのは、神具・八栄鈴。
それを受け取った神奈子は、その時懐かしさに浸るような、少しだけ寂しさを滲ませた声で、そう感謝した。
神奈子が誰にも渡さぬよう、そして後から何時でも取りに行けるように隠した宝。それが八栄鈴だ。
それは八咫烏にも知らせていない。つまり八咫烏でさえ今日この日まで、八栄鈴のある場所を知らなかった。
敬愛する主からの頼み。俗に言うおつかいを終わらせた八咫烏は、むふーっと得意げに。
「にしても、起きてすぐこうして使い走りさせまくって…なんだか申し訳ないな」
「いえいえ!こうして役立てるのなら、ボクはそれで充分ですので!」
「健気ねぇ…天照大御神が泣くよ?」
「…あれ誰だっけ?」
本気で忘れていたのだろう。
小声でそう呟いた八咫烏の表情には、先ほどまであった柔らかい空気ではなく、純粋に言っている意味がわからないという、そのような空気があった。
神奈子は軽く頭を小突いた。
そして、頬を掴み。
「悪い子めっ!そう言うのはこの口かしら?ん~?」
「ふみゃ?みゃみゃっまやみゃmmmm…!」
「おお、本当に柔らか…」
こうして触れ合うのも、言葉を交わすのもまだ不完全。
信仰で得た力はそのままに、肉体と存在の両方を維持し、未来に送る。
その代償とも言えるだろうか。今の神奈子は、正確にはチルノの身体に閉じ込めた己の身体が、この1000年の間に既に摩耗し、消えてしまった。
勿論時間経過で元には戻る。それでも一度とはいえ、過去とはいえ自分の身体に変わりはなく、それがもう消えてしまったのだと。
こうして妖精の肉体に依存し、なんとか生きて居られる現実を直視する度に、言い表せない不快感が湧くのだ。
何故か。
理由。原因。
それらは正直、ほとんど意味も必要性もないのだと神奈子は思う、
神奈子の勘では、自己補完の範疇で神力を、魂を削りかつての神霊だった頃の肉体を再構築するには、最低でも一か月だと予測しており、つまり自分がこの肉体から自由になれるのも、その一か月もの時間が必要となる。
一か月後だ。
今から一か月後にやっと、八坂神奈子はこの世に再び顕現し、そしてあの土着神に並ぶ、異端者として在れるのだ。
神奈子が1000年。正確には999年と半年眠っていた、封印されて意識を朦朧とさせていた頃。
チルノの中から見た、彼女の在り方を見て、ただ知りたいと思った。
自分と同じ彼女は、人をどのように思っているだろうか。
自分と同じ強者は、己の渇望をどのように潤すつもりなのか。
そして、そんな彼女と戦うとして、それはどのような変化をこの世界にもたらすだろうか。
神奈子は笑っ――
――違和感。
「…みゃみゃみゃみゃ……。……?神奈子様…?」
突如。神奈子は八咫烏に触る手を止めて、その顔をじっと見た。
八咫烏もまた、突然動きを止めた神奈子をじっと見る。
互いに言葉を忘れた。
ただ、静かにその視線を交わし合って――
そして、互いに首を傾げた。
「?八咫烏だよな?」
「え?そうですけど?」
「…?」
「…??」
両者、同時に、胸に残った僅かな違和感をそのままに。
それから目を逸らし、気づかないふりをして。
その日。互いに言うのを。
互いにそれを、聞こうとするのを忘れていた。
血の池地獄。
そこに、かつて――
二人の神が、そこにはいた。
相対するは、互いに神代の選ばれた強者。
司る概念。そして実力の差は決して同格とは言えないし、現にこうして立っているだけで、
それでも、彼女は立っていた。
上空から見下ろす、その孫とも言える傲慢不遜な新人の神に。
舐められてたまるかと、年長者としての意地で、そこに立っていた。
「あんたの事だから。どうせすぐ近くに引き籠ってるんだろうとは思ったわ」
風によって隔離された、この小さな戦場は長くは持たない。
それでも、この強さなのは笑えないが。
だが、たとえ相手がかの英雄神と同じ、理不尽すぎる程の強者だとしても。
自分を、そして自分よりも長生きした神よりも強く、そして圧倒的だとしても。
相手の方が強くとも、自分の方が弱くとも。
――それでも、お前が若造なのには変わりはない。
その一心で、彼女は立つ。
「
空そのものが貼り付けられたような、美しいマントを揺らし。
ただ強気に、薄ら笑いすら浮かべて、そう言った。
――無主物の神・天弓千亦。
「あぁ。こっちの方が私好みの顔だったんでね」
セミロングの髪を揺らし、顎を摩りながら冗句を吐き。
背中から少し離れた位置で、ギラギラと輝く氷の羽を震わせて、ただ面白そうに見下ろし続ける。
――史上最強の国津神・八坂神奈子。
その、
新たな戦いの火種は、そしてその矛先は――
ちまたんVS神奈子様ファイッ!
春の終わりくらいには完結して、そこからおまけという名の真の古代スタート。そして月面戦争に突入…まで行けますかね(よっちゃんの全力バトルという名の領域も出したい)
前回の領域…仮に人気投票するとしたらどれが一番人気だろうか…(個人的には五蘊轟轟業)
高評価と感想気軽にお願いします
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