【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 最近カグラバチを追いかけ始めました、『刳雲(くれぐも)』がカッコいい。『勾罪(まがつみ)』?あれは神(確信)。
 誤字報告いつも助かってます。


79話.妄執のエモーション

 人は何故死ぬのか。

 何故人が死を恐れる心を、常識(仏教)は良いものとして解釈しないのか。

 

 大地は神々の時代から変わらず、海は水を湛えている。

 ――何故、人間は死を受け入れなければならないのか。

 

 そんな葛藤を抱えた神子にとって、霍青娥という異分子は、正に劇薬だった。

 道教。自然宇宙の真理を理解、開拓して、その力を己の肉体の一部とする。

 誰でも高みを目指せる、誰もが超人として名を馳せることが許される。

 人間にとっては、その魅力的な宗教が蔓延すると、その果てにある力そのもの。正邪がないシステムは政治を崩壊させる。

 だからこそ、自分たちはそれを利用する。

 

「…時は満ちた」

 

 ――もしも周りの誰かにバレれば、その時点で自分たちは終わる。

 協力者は二名。

 敵組織であった物部氏の一人、物部布都(もののべのふと)

 そして以前から、神子のもう一人の門徒、蘇我屠自古(そがのとじこ)

 道教を持ち込んできた青娥を除けば、この三人のみが、不老長寿の為の計画を知っている。

 強いて例外を挙げるとするなら、あの東風谷と名乗った若手の陰陽師だが、()()青娥がわざわざ直接紹介するような人物だ、無駄な心配はいらないだろう。

 出会って二日の関係だが、彼女から聞こえる"欲"には、裏切りの色はない。

 

(問題は……)

 

 あれから、ただでさえ手を焼いていた都の異変。それに輪をかけて、またやるべきことが増えた。

 物部氏との抗争も決着が付き、民に仏教を浸透させる為に、以前から幅を利かせていた()()()()をこれでもかと敵視し、部下の一人が打ち滅ぼしたのは記憶に新しい。

 しかしその一件が、都に新たな異変のきっかけをもたらしたのだが――

 

「青娥」

「はぁい」

 

 虚空に呼びかければ、いつから向こうで準備していたのか、間を置かず、すぐに壁を通り抜けて、彼女は隣にふわりと降り立つ。

 時刻は0時過ぎ。

 神子が以前から決行を予定していた、道教にある儀式の開始。それがとうとう行われるのだ。

 

「布都の様子は」

「問題なしですわ。肉体の劣化や腐敗もなし、眠るように死んで準備は万端。後はゆっくりと、元の肉体と依り代の皿が入れ替わるのを待つだけです」

「…そうか」

「後は、あなただけです」

 

 僅かな沈黙。

 神子は少し考えて、瞼を静かに閉じる。

 

「豊聡耳様」

「…どうした」

「怖いですか?」

 

 勿論。

 青娥の問いに、そう開き直って、笑うことも難しかった。

 やはり自分は、どうしようもない臆病者の資質があるらしい。

 

「でも、今更だ」

「えぇ。今更です」

「それに、もうここまで来たら、腹を括るしかないだろう?」

「…………」

 

 神子が今になって、ようやく尸解仙(しかいせん)となる為の儀式を始めることを決めたのは、他ならぬ神子自身の体調もあった。

 丹砂と称される、不老不死をもたらす妙薬を、道教の修練を兼ねて摂取したのをきっかけに、神子の肉体は異常を発するようになった。

 未来では丹砂…硫化水銀と称される毒物を、神子は取り込んでしまったのだ。

 尸解仙となる為の儀式、その決行日を大幅に短縮し、そして布都という実験台を経て、とうとうこれから…だというのに。

 神子の表情は、まだ憂いを残したままであった。

 

河勝(かわかつ)の様子はどうだった、それに……」

「ご心配なく、それも既に、東風谷殿が動いています」

「………そう、か」

「やはり心配ですか?彼が」

「…………」

 

 都の人々。

 それが大きく変わったのは、ほんの数日前のことで。

 その原因としか考えられない、部下のある男が成した偉業を、神子は今になって思い出す。

 

 太秦は 神とも神と 聞こえくる 常世の神を 打ち懲ますも

 

 ――時の人は、()を神殺しの英傑として謡った。

 神子の忠実な部下の一人である男、秦河勝(はたのかわかつ)の威光の一つ、それが神殺しである。

 直接神を殺した訳ではない。それに()()は、決して、かの諏訪大国に降臨した神と比べられるようなものでもない、醜悪なものだった。

 食物や酒を捨てさせ、虫を崇めて、福を求めた人間の姿は、本物の神が見ればきっと、失笑するであろう。

 『■■■(■■■■■■)を祀れば、貧者は富を得、老人は若返る』その謳い文句に騙される姿は、ある意味では、神子のもう一つの未来、その可能性だったのではないだろうか。

 老化を恐れ、寿命を嫌い、死を拒絶する。

 神子と彼らの違いは、道教か■■■の信仰か、それだけの違いだった。

 もしもあの時、青娥が自分の元に来なければ――

 

「豊聡耳様、これを」

「……これは」

 

 面だった。

 青娥が差し出してきたそれは、間違いなく翁の面。

 今日の昼、秦河勝に贈答した、能面の一つであり。

 何故、それを今になって…

 

「これを、枕元に」

「…どういうことだ、私の依り代は宝剣だ。わざわざこれを置く意味がない」

「他ならぬ、東風谷殿からの命令です、これを傍に置いて眠れば、()()()()()()()()()()()()と」

「…………」

 

 その言葉を聞いた最初の感想は、信じられない。だった。

 どれだけ人員を揃えようと、どれだけ知恵を働かせても、原因の一片も捕らえられなかった異変。それがもう…?

 

「…何故」

「細かい事は後で、とにかく…」

 

 ふわり。

 神子の瞼を降ろすように、青娥の手のひらが、神子の顔を覆い、そしてゆっくりと手のひらを下に動かす。

 仙術の一つか、そう推測する時間すら与えず。まるで失神するかのように、神子の意識が急激に消える。

 シャットダウンする意識の刹那。僅かに感じた肉体の脱力感と共に。

 神子が、再び目を開けると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたが私の神様か?」

「は?」

「貴方に怨みは無いが、その欲望、希望の全て…私が頂こう!」

「…?」

「全ての人間の感情、特に我々の為に!」

「???」

 

 多数の面を浮かべた少女。

 それと一対一で、神子は蜃気楼に包まれた空間にいた。

 

 

 

 


 

 

 

 

「この作戦を、豊聡耳様に伝えてはいけない…?」

 

 時は少し遡って、夜の10時。

 突如として、東風谷に直接呼び出された青娥は、彼女の告げた作戦の概要、そして――異変の()()()()、その正体を明かされた。

 都に巣食い、そして知らない内に、神子の傍に接近し、牙を研いでいた――

 

「都の規模は決して小さくない。平均的な村の一つや二つ、半径だけでもすっぽりと入るくらいだ。つまり何かしらの能力効果が作用している場合、かなりの"縛り"がいるだろう」

「効果対象を個人にではなく、範囲にしているとしたら?」

「それこそあり得ない。だってそれなら、範囲内にいる神子に青娥も、とっくに()()()餌食になってる筈でしょ?」

 

 青娥はその問いで、ようやくこの都に巣食う者…その正体の規模に、納得した。

 …なるほど確かに、()()ならば、この都の異変とも一致する。

 

「神子の面…あの"面霊気"もある意味では被害者。感じるんだよ、都に今もいる…その気配を」

「…なら余計に納得できませんね」

 

 『十人の話を同時に聞くことが出来る程度の能力』

 人間から妖怪、そして神霊でさえも、彼女はその欲望を聞き取ることができる。

 その欲望から、その者の持つ本質を把握でき、それによって、その者の過去を遡って調べることすらでき、更に近未来の予知まで行うことができる。

 聖人。その二つ名が彼女に与えられ、そして王として君臨するに相応しい、正に規格外の力。

 そんな彼女でも、尻尾を掴むことすらできなかった。

 それなのに、彼女は異変の正体を掴み、それをこれから暴くのだという。

 疑問。

 

「あの方は妖怪人間関係なく、あらゆる"欲"を聞き取れる力を…」

「なら、()だ」

「…無?」

 

 東風谷は続けて。

 

「たった数週間で滅び、忘れられた■■■。既に絶滅した空想上の…()()()()()()()()…■■■の力。…その欲望は、無だ」

「…だから、あの方でも"欲"を聞き取ることができなかったと?」

「そう、■■■でもそうなら、同じく今、無の欲望を携えた面霊気も、また同じ――」

 

 東風谷は語る。

 今回の事件。都の人々が変化した直接的な原因は、神子が持っていた面…そこに宿った付喪神、面霊気の種族特性。

 だが、それを唆し、引き金を引いたのは――

 

「この作戦を神子に伝えないのは、"共振"があるからだ」

「…共振」

「付喪神としての命を手にし、人々の感情、特に欲望を求めた彼女は、正にかつて、人々に富と長寿を餌に、財産を放棄させた■■■の信仰のそれと同じ…二心同体とも言えるだろう」

「…つまり、その"共振"とやらで、私たちが■■■に気づいているのを、面霊気から■■■側に、無意識に情報が漏れる可能性があると?」

「うん」

 

 ――都の異変は、かつて秦河勝が滅ぼした■■■。

 神として崇めるには、あまりにも短く、そして完全に忘れ去られるには、あまりにも遺恨が強すぎる者。

 東風谷が言うには、今回の異変で警戒するべきは、あの面霊気のみであると言う。

 

「忘れられた神は、時に厄を溜め込んだ化身となる。産土神の成れの果てがいい例だね、だけど今回は、神としての格なら、■■■はそんな産土神より下だ」

「つまり今回の異変。最初の原因こそ、その神であり…」

「そう。人々が時間を忘れ、刹那的な快楽を求めて暴走する原因…それは全部、あの面霊気の仕業だった」

「…………」

「だから、彼女には()()()()として、自分で決着をつけてもらう」

 

 その上で、彼女はこう言うのだ。

 ――神子に、面霊気の対策を任せると。

 

「尸解仙になる為の眠り。依り代の物質と元の肉体が入れ替わる時期は…なるほど、確かに()()()()()()になりますね」

「そう、まだ面霊気はまだ実体を持っていない。でもだからといって、実体が持てるようになるのを待っていれば…その間に、都の人々に無視できない被害が発生してしまう。だからこの時を狙う」

「そして、豊聡耳様が彼女の欲を満たし、共振を防いでしまえば…」

「■■■の影響は、完全に断絶される。そして!神子に作戦を伝えないということは…」

「――他言無用。そういうことですね?」

 

 東風谷(諏訪子)との作戦。

 彼女が操る祟り神を駆使し、万が一の被害を防ぐ陣形を構築すること。

 更に万が一を重ね、神子にいつでも加勢できるよう、青娥の持つ道教の知識を使い、いつでも彼女の夢に侵入できるようにすること。

 

「任せてください。口の堅さは折り紙付きです」

 

 とどのつまり。

 全ては神子に任された…ということだ。

 

「ただ…」

 

 ただ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「純粋な欲ってのは、想像以上に厄介なんだよねぇ」

 

 東風谷は虚空に視線を向けて、笑って言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「領域展開」

 

 両手の親指同士を重ね合わせ、そして人差し指を曲げ、残りの指をまっすぐに伸ばす。

 それは不空羂索観音。あらゆる衆生を救済する観音。それの象徴である掌印。

 面霊気――(はたの)こころが織りなす境地。

 

義軌(ぎき)()藍堂(らんどう)

 

 それは絶叫でも詠唱でもない。

 ただ世界を上書きする為の淡々とした宣言と共に、ふたりの足元を包み込んでいた蜃気楼の境界が爆発的な勢いで変貌を遂げていく。

 四方八方に広がる空間が、うっすらとした淡い桃色に染め上げられていく。だがそれは穏やかな春を思わせる色ではない。

 次の瞬間、空間のあちこちに赤、青、そして怪しく蠢く七色の亀裂が縦横無尽に走り、渦を巻いて界域全体を侵食し始め、領域に決して終わらぬ景色の変化をもたらす。

 

「ぐっ…!」

 

 神子の右腕に突如として鮮血の線が走った。

 視界に遅れて飛び込んできたのは、空中に墨で描かれた一筆書きのような黒い幾何学的な線。

 避ける間も、刀で打ち払う猶予すらない。

 攻撃が放たれ、当たるまでの過程が飛ばされ、最初から既に攻撃が『当たっている』という結果だけが肉体に刻まれる。

 

 これが結界術の極み、領域がもたらす絶対の必中効果。

 

 こころの領域『義軌伽藍堂』が発動させたのは、彼女が持つ全ての仮面の力を束ね上げた『暗黒能楽』の必中化。本来ならば相手の視界を奪う目眩ましの闇の力を"縛り"によって削ぎ落とし、代わりにその出力を純粋な『殺傷力』にした不可避の斬撃。

 神子は切断された皮膚の痛みを感じながら、目の前に立つこころを見据えた。

 多数の感情の面を滞空させ、薙刀を片手にゆらりと佇む少女。その口から漏れ出た言葉はどこまでもちぐはぐで、そして支離滅裂。

 

「あなたが私の神様か?」

 

 つい先ほども聞いた、抑揚の欠落した棒読みの声。

 そこに憎悪や怒りといった明確な意図は見当たらず、まるで録音された音声を再生しているかのようだった。

 こころは血を滴らせる神子を見ながら、やはり敵意も何も発していない。

 

 ――恐ろしい。

 

 神子は背筋を凍りつかせた。

 怒りや憎しみによって刃を振るう敵ならば、その欲望の色彩を読み取り、誘導し、対処することができる。

 だが、今目の前の少女の中に渦巻いているのは、それらとは根本的に異なる何かであった。

 

 無邪気故の狂気。

 

 赤子が腹を空かせて乳を求めるように。咲き誇る花が光を求めて根を伸ばすように。

 目の前のこころには『悪意』がない。

 自分が人間の欲望を吸い尽くすとその人間が一体どうなってしまうのか、相手の魂を奪うとその者はどうなってしまうのか。

 そんな当たり前の因果すら理解していない。

 

 ただ『生まれ落ちたい』、『生きたい』という純粋極まりない原初の欲。

 

 善悪の基準を持たぬ無垢な怪物が自分の命を狙っている。

 これほどの恐怖が果たして、他にあるだろうか。

 

「……フーッ」

 

 神子は深く、静かに息を吐き出した。

 全身を襲う必中効果の斬撃。その一撃一撃は深くはないものの、このままではいつか肉体は微塵と化すだろう。

 だが、神子は狼狽えない。

 不老不死を求め、己の命すら実験台にしてここまで辿り着いた覚悟が、己の足を踏み留まらせる。

 

「子供の頃に父上から習ってね……使う機会なんてないと思ってたけど」

 

 神子は両足の幅を微かに開き、体内を巡る力を特殊な波形へと変換し、全身の表面へ纏う。

 

「悪くないんじゃない?」

「……簡易領域」

 

 こころの棒読みの声が途絶え、微かに眉が動く。

 だが、神子は不敵に唇を歪めて言い返した。

 

「残念。ちょっと違うな」

 

 神子が展開したのは『簡易領域』ではない。

 『簡易領域』、それは心象風景を具現化できない弱者が領域の必中効果から身を隠すために作り出した弱者の『領域』。

 

 だが、今神子が発動させたのは自身の身体を巡る神秘を自動操作し、襲い来る必中攻撃を直接相殺し、弾き返す技。

 ()()()()の対抗策――その名は『落花の情』。

 

 遥か昔、ある戦い(諏訪大戦)をきっかけに、数多の妖怪や人間が、一握りの強者が使う奥義――『領域展開』に対する対抗策を作り出した。

 その最たる例が『簡易領域』であるのだが、これはそれとは違う進化の道を辿り、そしてより厳しい"縛り"を、血族に限定した教えという過程によって誕生した技術。

 術者の神秘、神子であれば神力を操作し、自動的に領域の必中効果を弾く技。それが『落花の情』である。

 

 しかし、このように原理自体は簡単であるが故に、この技が活躍できる機会も限られているのだ。

 

 『落花の情』とは要するに結界を使わないただの神秘の放出。つまり萃香の使う『増上慢愛染』や、神奈子の使う『瞻仰空無』のように複雑な必中効果、もしくは概念系の能力が相手では手も足も出ない。

 しかし一方で、諏訪子が使う『瓔珞黄泉路』や今回のこころが使う『儀軌伽藍堂』のような『斬撃』という物理的・単調な必中効果が相手ならかなり役に立つ。

 

「覚えておくといい、これが『落花の情』だ」

 

 神子の肌に触れる直前で、見えない『暗黒能楽』の斬撃が弾け飛ぶ。

 この技は脳の結界術式を介せずとも、襲い来る必中の攻撃に対して舞い散る花びらを風が受け流すかのように、神秘の強弱をミリ秒単位で放出する事で威力を削ぎ落とす。

 だが所詮は、ただの神秘による相殺であり完全な無傷で済ますのは不可能。

 肌をかすめ、着物が割裂し、神子の血がポツンと落ちる。

 だが肉を断ち、骨を砕くはずだった絶対の殺傷力は、間違いなく浅い傷へと成り下がっていた。

 

「ふぅ……!」

「……あぁん?まだまだ暴れたりねぇなァ!」

 

 こころの浮遊する仮面のうち、『怒』の面が朱く発光し、口調が荒々しい男のものへと変化する。

 領域内の必中効果が薄まっている事を察知したこころは、滞空させていた薙刀を力任せに引き抜き、超人的な身体能力で地を蹴った。

 間合いが一瞬でゼロになる。

 刃先が自身の首元を正確に穿とうと肉迫する中、神子は冷静に腰に携えた剣『七星剣』を引き抜き、薙刀の柄を打ち払おうとする。

 ガギィン!と、空間を揺らす凄まじい金属音が響き渡る。

 神秘による身体強化によって跳ね上げられた神子の鋭い反撃。しかし、対するこころの動作は常識を遥かに逸脱していた。

 こころは空中で体勢を狂わせるどころかむしろ加速し、振り下ろされた薙刀の背に自らの右足を無造作に乗せたのだ。

 

 ドスンと、こころの体重と薙刀の負荷が『七星剣』の上に乗る。

 

 『七星剣』は地面へと叩きつけられ、深々と固定された。

 

「悪いが」

 

 地面を踏みつけ、神子の唯一の攻撃手段を封じた状態で、こころは冷酷に言い放つ。

 

「あなたに恨みはないが、全て貰うぞ」

 

 声には相変わらず情感がない。

 だが、その瞳の奥に燃え盛る欲望の輝きは本物。

 

「今日が、私の誕生日」

 

 こころの手から薙刀が放たれ、一転して無防備になった神子の腹部へと、容赦のない前蹴りが叩き込まれた。

 ドガァンッ!と、凄まじい衝撃波と共に神子の身体が弾かれ、領域内を何十メートルも転がっていく。

 受身を取る間もなく地面を削り、神子の着物が泥と血で汚れていく。

 体勢が崩れたことで、全身を覆っていた『落花の情』の神力波形が一瞬乱れたその隙を領域は逃さず、容赦のない必中命令を叩き込む。

 『暗黒能楽』の無数の斬撃が、容赦なく神子の全身を切り刻む。

 

「ぐっ……アッ!?」

 

 鮮血が花のように散る。

 右目から激痛が走り、視界の半分が赤く染まり、そして漆黒の闇へと塗り潰された。

 切断された右目から溢れる血を左手で押さえながら、神子は荒い息を吐き出し、膝をつく。

 こころはゆっくりと歩み寄ってくる。

 彼女の周りを回る仮面の中で、今度は『喜』の面が目も眩むほどの眩い光を放っていた。

 

「あなたの姿を、不老を求める姿を経て理解したんだ」

 

 一歩、また一歩。

 その足取りはあまりにも軽く、そしてあまりにも重い。

 

「私の本当の姿……」

「く、ぐぅ……っ」

 

 右目を斜めに断ち割られた激痛が、脳髄の奥深くまで灼熱の針となって突き刺さる。

 溢れ出す赤黒い鮮血が神子の右頬を伝って顎から地に落ち、『義軌伽藍堂』の歪んだ地面へと吸い込まれていく。

 視界の右半分は塗られた夜のような闇に呑まれ、残された左目の視界もまた、流れ込む己の血液によって朱色に霞んでいた。

 だが痛みに耐えかねて悲鳴をあげることなど、己の矜持が許さなかった。

 

 ――強い。

 

 だがそれ以上に、どこまでも不気味だ。

 

(今までに聞いた欲の音とは違う…!こんなに純粋な、悪意のない色は初めてだ…!)

 

 金に目がくらんだ者、名誉を求めて堕落した者、色に狂って親愛を失った者。

 今まで神子が見てきた者は、見てきた欲は本当に色々な形の、様々な色だった。

 だが、今目の前にいるのは――。

 

「――剥き出しの魂を!!」

 

 そこにいるのは、あの無色透明な欲ではなかった。

 立ち昇っていた色は――この世界に萌芽し、ただ生きたいと切望する、命ある者が等しく抱く色彩豊かな原始の欲。

 付喪神、あるいは器物の怪異というちっぽけな器には到底収まりきらない。それはあまりにも巨大で、どこまでも無垢な、太陽の如く爛々と輝く生の執着。

 人形の如く無表情な少女の傍らで、滞空する『喜』の面が黄金の光芒を放ち、その魂の昂揚を如実に物語る。

 その狂おしいまでの輝きは、神子にとっての『もしも』――。

 いや、紛れもない過去の自画像そのもの。

 道教という存在と出会い、死の絶望を打ち払う不老長寿への道のりに歓喜した、あの日の自分と寸分違わぬ姿。

 

「あなたの全てを貰って、私は初めてこの世に生まれ堕ちる」

 

 そこに佇んでいたのは怪異ではない。

 死を恐れ、生を貪り、ただ息を強く吸い込みたいと願う。

 自分となに一つ変わらない、命の渇きを抱えた『人間』そのものだった。




 ■■■
忘れられた者、史実を調べると一発で出てきます。
最終章でもしかしたら…
 

 秦こころ
■■■と神子の不老を望む欲に共振して暴走中。ただし彼女に悪意はない。


 領域解説
儀軌伽藍堂
①儀軌→ 密教で、仏・菩薩・諸天などを念誦・供養する方法や規則。また、それらを記した典籍。
②伽藍堂→ 僧が集まり住んで、仏道を修行する、清浄閑静な場所(伽藍から)。
こころの二つ名である『表情豊かなポーカーフェイス』にかけ、典籍や僧が集まる賑やかな場所である『伽藍』と何も無い『がらんどう』をかけた命名。

 三ヶ月程前。読者の中にこころの領域を見たいと言ってくれた方がいたので、それを拾って急遽参戦。
 名前もノリノリで考えられて楽しかったです。
 ちなみにアンケートでエロが書くことが決定した場合は諏訪子×てゐのドチャシコ初夜シチュエーションのR18ガチ官能小説が投稿されます。

投稿時間は何時がいいか

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