【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい 作:洩矢廻戦
…二.三年くらい前に鬼人正邪で古代スタート書いてた頃とは大違いだァ…
地縛霊と呼ばれる存在がある。
それはその場所に対し、特別な思い入れを持ち、結果として、その場所から離れることができなくなってしまった霊が呼ばれる存在。
自分が死んだことを未だ受け入れぬ者。自分の意思で、あえてそこから離れない者。
理由はどうあれ、そのどれもに共通するのが、たとえ死を自覚しようとも、逆にしていないとしても、自分の意思では決して、そこから離れることができないという事。
第三者の力がなければ、成仏することも、ましてやそこから移動することすらも叶わない。
――そんな少女を、彼女は救った。
白蓮の下にやって来た依頼。その内容は単純明快、海の地縛霊…船幽霊を退治して欲しいというもの。
だが、ただ妖怪を退治するだけの依頼であるなら、白蓮は今回のように、わざわざ
というのも、今回の依頼、その事件には以前から――
「
渡された資料を一つ一つ確認して、そこに書かれた情報に、一輪は顔を顰めた。
「三人とも同じ状況で…浜に打ち上げられた状態で死んでる。……何より、その原因は
被害者は三名。
まず最初に、この地域で漁業を生業としている男が一人、朝になっても帰ってこないと騒ぎになった。
海は常に危険で溢れている。たとえ男が何十年も仕事を続けてきた、その道の匠だったとしても、自然の前には抗うことはできない。
家族、そして村人のほとんども、認めたくはなかったが、それでも受け入れるしかなかったのだと言う。
だが、それから二日後に、事態は急変した。
村から少し離れた場所、巨大な岩で隠れた浜の先で、行方不明になっていた、その男の遺体が発見されたのだ。
水に濡れた彼の身体には、数十もの刺傷があり――
「ちょっと、地縛霊の地の字も出ないじゃない」
「………」
村を訪れてからの、数時間の調査は結局、大した成果を得られずに終わった。
一輪の表情にも、慣れない作業を経たことによる疲労。そして肩透かしの結果に終わったことの落胆。その二つの色が浮かんでいる。
まとめた資料を整理している一輪の隣で、白蓮は考える。
船幽霊による被害。それは大体が船の転覆から始まり、その後の結末は幽霊ごとに変わる。
というのも、その船幽霊が持つ危険度、脅威によって、という意味であり、その危険度を推し量る要素の一つが、地縛霊としての生きた年月。つまりは怨みの強さ。
今回の相手である船幽霊。それがどこまで力を溜め込んだ存在かは不明だが、少なくとも三人が、刺殺という形で"
白蓮が聞く。
「一輪。戦いの心得は」
「勿論。…と言いたいんですけどね」
最初。寺を訪れた頃とは打って変わって、慣れない敬語を使う一輪。
そんな彼女は、表情を引き締め、尼ではなく、かつての頃と同じ、一端の"退治人"としての顔。そして雰囲気を纏いながら、答える。
「今回は場所が場所。何より地縛霊なのが痛い、地縛霊は基本、その場所から離れられないという一種の"縛り"で、逆にその場所では圧倒的な優位性があるから…」
海の上。
それ即ち。必然的に船の上という、非常に限られた範囲、そして不利な立場での戦いを強制されるということであり。
しかも相手が、ただの妖、それも水棲系であるならば良かった。だが相手は地縛霊だ。
その地に縛られる地縛霊。そして海上を主な活動範囲とし、人間を沈める船幽霊の
一輪も一応、雲山に身体を任せて一定高度で浮遊することはできるが、空中性能は言わずもがな。
ただの地縛霊を浄化、退治するだけならば、たとえ船という閉所の上でも、それ相応の戦い方はできる筈。
だが、船幽霊が相手となると――
「相手の土俵に…船幽霊相手に、船に乗って接近するのは反対。というか、それなら私たちがそれぞれ泳いで行った方がまだ勝率が高いと思います」
「…えぇ、それは勿論」
「…………」
じとり。一輪の視線に疑問の色が強く出る。
「もう一度言いますけど、相手は船幽霊。それに海上で、しかも船の上で戦いが成立すると?」
「まさか。私もそこまで驕ってません。多少法力や結界術に自信こそあれ、本職の者には到底及ばぬと自覚してます」
「――なら」
――ごとん、ごとん。
波による浮き沈みで、
「…なんで船に乗ってるんです?」
「もうすぐですよ一輪。いつ襲ってきてもおかしくありません」
「ちょ…まだ心の準備がぁ!」
今回の船幽霊騒ぎの解決。それは村の総意であり、その為であるなら、是非これを使って欲しい。
そう言って用意されたのは、浮いている雲山を例外として、白蓮と一輪。二人の少女が乗ったとしても、一定の空白が生まれる程の、簡素な作りの船。
しかし、いくら作りが簡素とはいえ、漁業を生業とする村。そこで培われた技術と、そして知恵の結晶であることに変わりはなく。
使用されている木材も、そして乗り心地も快適な、正に匠の技術そのものと言えよう。
そんな船に乗り、そして
そうしている間にも、周りに漂う空気。それが一気に変わった気配がした――
「…ッ。聖様」
「はい」
――彼岸へ渡る。
今回の場合は海だが、怨霊。それも水に関連する地縛霊が相手であるなら、その常套句が脳裏をよぎるのも、無理はない。
ある種の臨界点と呼べばいいのか、張り詰めた空気や、「なんとなく嫌な感じ」といった、形容しがたい第六感のそれが、限界まで張り詰め、そして身体が目の前にある、透明な膜を超えたような、そんな感触。
川や境界を跨ぐ、彼岸へ渡る行為は、呪術的に大きな意味を持つ。
――なら、目の前に広がるこれは。
「…これは」
先ほどまで、自分たちは限りのない、水平線を前にしていた筈。
だが、今目の前にあるのは、あの広大な大海原ではなく、泉。
水平線だったものの代わりに、そこにあるのは岩の壁。
そして、先ほどまで波で揺れ動いていた船は、まるで陸地に置かれているかのように、一寸も動かずにその場に固定されていて。
水も、凪いでいた。
一輪の全身を、命の危機による焦燥が迸った。
「(領域…!?…いや…能力を付与した領域なら、それ相応の"起こり"が察知できる筈。それにこの感じ…能力を付与していない、ただの心象風景…)」
つまりは未完成の領域。
"必中"もなく、能力精度の上昇もない、ただの一風景のそれに過ぎないもの。
油断はしない。だが、だからといって、安心と慢心もできる程、目の前の相手は甘くない。
――未完成とはいえ、領域は領域。
結界術、そして最低限の存在の"格"を持っていなければ、未完成と言えど領域は作れない。
それ即ち。
【…………】
目の前。
一輪と白蓮を静かに睨む、その少女。
水で濡れた、杜撰な黒髪と死装束。正に"地縛霊"に相応しい、その容姿。
青緑の瞳には、まるでこちらが覗き込まれるように錯覚する程の、深い恨みの気配があった。
何度も見た。何度も向けられたものだ。
だからこそ、今までに救えた彼ら。そして今までに救うことが叶わなかった、今はもういない彼ら、妖怪たちの代わりに。
堂々と、白蓮が一歩、前に出る。
「あなたが
【…………】
船幽霊。――ムラサは何も反応を見せない。
「あなたの本当の名前も、死んだ理由もわからない。だけど、私はあなたを救いたい」
濃密な、怨嗟の視線に怖気づくことなく、白蓮は堂々と。
それに負けない、信念の眼で対立する。
「これ以上。罪のない人を傷つけないで」
彼女は既に、忘れられた者だ。
遥か遠い昔、この村に、巨大な嵐が訪れたことがあったと、村に残された文献で、白蓮は知った。
最初に起こった転覆事件。その
数十年前から、彼女はこの、寂しい海の上に一人、縛られ…閉じ込められたまま。
何故今になって、
だが最初は、彼女はただ、船を沈めるだけだった。
「あなたに何があったのかは知らない。…でも、今ならまだ間に合う」
普通。異能を持たぬ、ただの人間が大海原に放り投げられ、生きて帰れる筈はない。
だが、村に残された文献の中には、最低でも約十人以上、ムラサによって船を転覆させられ、そして浜に流された者の証言が残っていた。
ありえない事だ。これが浅瀬での話ならまだしも、ここは水深も相応にあり、決して生存の望みは高くない、そういう場所だ。
だが、彼らは皆、後遺症もなく、それも少量の海水を飲んでしまっただけで、それ以外の被害はなかった。
つまり。彼女は昔、船を沈めていた。
――だが溺れる人間たちを、浜に流されるまでは保護していた。
「そのままだと。あなたは
怨み、恨み、そして憾み。
その果てにあるのは、救いでも、怨嗟を晴らしたことによる解放、その喜びでもないことを、白蓮は知っている。
その先に進めば、妖だろうと、人間だろうと、行きつく先は同じ。
白蓮の追い求める理想、そして今までに知った現実から導き出された答え。
だからこそ、彼女は手を差し伸べる。
「私と一緒に来ませんか?」
たとえ。
「――聖様!」
――それを、拒否されようとも。
【……――】
ムラサの出した答え。それが具現化した、妖力を纏った水の鉄槌。
それを片腕で受け止め、法力で弾く。
「…そうですか」
言葉はない。
というより、今の彼女には、話すことができない"何か"があると見た方がいいだろう。
交渉決裂。…と言うよりは、なるべくしてなった展開とも呼ぶべきだろう。
そもそも最初から、言葉だけで全てが解決するならば、この事件は白蓮の所に持ち込まれることはない。
それに、船幽霊が相手という、こちらには絶対的な、情報による
ムラサの放った渦の攻撃を、法力を広範囲に放つことで、一気に拡散させて、同時に叫ぶ。
「一輪!」
「はいっ!」
【――!】
柄杓を振るい、再びうなりを上げる水の渦。
ムラサの怨嗟、そして妖力が込められたそれは、正に呪われた水とも呼ぶべき爆弾。
生身の人間がそれに触れれば、あっという間に肉体の壊死が始まり、そして最後は骨となるであろう、凶悪なもの。
だが、聖人・白蓮が怖気づく道理はない。
その力の一端こそ――
「悪いけど。――無理矢理にでも落ち着いて貰うから!」
白蓮は今や、魔法使いと呼ばれる存在。
霊力による肉体の制限…つまりは反転術式の解放も含め、以前とは一線を画す性能を手にしたが、その本領は別にある。
純粋で純烈な、魔力による身体能力の向上。
魔法使いは皆、共通して肉体強度を後回しにした、遠距離特化の弾幕性能に特化した、
しかし、白蓮の場合。本来レーザーや光弾のような、魔法で形成された弾幕。その知識の代わりに、既に法力による弾幕の形成手段を持っていた。
つまりその分、浮いた時間…経験値を、それ以外の魔術の鍛錬に注ぐことができる。
白蓮が姿勢を低くし、だが次の瞬間には既に――
「どわあっ!?」
その場に彼女はいない。
遅れて、一輪の全身を襲う、凄まじい突風と、凪いでいた筈の水面を、ムラサの意思と関係なく、激しく揺らすとてつもない衝撃。
白蓮の踏み込みによって、船の前方部分が沈み、そしてその分、貯め込んだ衝撃を逆方向に、船の角度を急速に変化させる。
船幽霊の力とは関係なく、何故か勝手に、用意していた船が、水面と垂直になり――
「え、ちょ…」
ぐらり。と、浮遊感を僅かに感じたのも一瞬で。
次の瞬間、一輪の身体を、地球が持つ慣れ親しんだ力である重力が襲い――
「ああああああああっ!!!???」
即。雲山を召喚。
彼に飛び乗る勢いで、船から脱出することで、何とか一輪は溺れずに済み、安堵のため息を――
「ちょ、聖様!?船がなくな…」
吐くよりも前に、困惑する雲山を後目に、一輪は上空にいる白蓮に向かって叫ぶ。
そもそも、今こうして自分たちが、一つの傷も負うことなく生きているのは、全て運が良かったからだ。
相手は船幽霊。そして海の地縛霊。海上と船上、両方の要素を満たした今の自分たちは、ただ『小手調べ』の段階だからこそ、生きている。
"必中"がまだ用意できていない。それだけでも充分過ぎる程に幸運だというのに、一輪を含め、今の白蓮は、その更に重ねた幸運の上に立っている。
海上という限られた場所、陸に戻ることすら叶わぬ、深い悲しみを背負った怨霊。
下手をすれば、"過呪"の段階にまで至る可能性すらあったのだ。そんな彼女相手に、空を飛べない白蓮が、一体何をしようというのか。
――と、その時。
「…ん?」
雲山に抱えられ、空中に漂う一輪の、すぐ下。
先ほど船が沈んだ場所。そこに、僅かな法力の光が集まっている。
魔法使いとなった影響で、霊力からではなく、代わりに魔力を原料に、独自の配合で練り上げられた力の結晶。
白蓮
「…っ!船…!?」
【…………ッ!】
法力で編み出した船。
その姿を見て驚愕する二人。だがその驚愕の理由は、前者と後者で大きく違う。
一人は感嘆。どれほど努力し、知識を深めれば手にすることが叶うのか。凄まじく精巧な、法力の物質化という唯一無二の御業に。
後者。もう一人の驚愕、その理由は。――懐かしさ。
白蓮はただ、かつて村に置いてあった、古ぼけた船を咄嗟に思い出し、その形を再現したに過ぎない。
だが、偶然にもその船の形は、かつて数十年前。そう、ムラサが地縛霊としてこの海に縛られる要因となった事件。
あの日、自分が乗っていた船、あの時の形そのままで、目の前に現れたが故の、懐古交じりの驚愕。
だがその隙を――
「それは、新しいあなたの居場所」
上空で、
「いざ――」
メキ…
咄嗟に柄杓を上に掲げた、ムラサの耳に入って来た音。
それは、凄まじく嫌な予感を与える音。
「あ」
ベキ……
柄杓が折れ、そして更に加速する白蓮の拳。
その時。ムラサの脳内に溢れ出した、過去の記憶――
「――南無三ッ!」
――ドゴオッ!
上空、数mの距離を、瞬きすら許さぬ豪速で縮め、そして白蓮が着地する。
握った拳。そしてムラサの頭に、俗に言う『げんこつ』の姿勢のまま、炸裂する床の衝撃。
法力で作った船でなければ、ムラサの肉体越しといえど、白蓮の拳と身体能力による超加速を、受け止められはしなかっただろう。
ただ、その結果として、本来逃げる筈だった分の衝撃、白蓮による全力の一撃。
それを、もろに食らってしまったムラサはと言うと――
【…………】
「聖様?」
完全に気絶していた。
「…やり過ぎました」
珍しく、顔を赤面させてしおらしくなる白蓮。
そんな彼女らの様子に、背後から静かに見守っていた雲山だけが、苦笑の気配を醸し出していた。
彼はある日。取った竹の中に黄金を見つけるようになった。
それは竹取の翁と呼ばれる男。――
竹を切るだけで、そこからは黄金が水のように湧いて出る。今までの稼ぎが、数百から数千倍に増えるのも、当然であった。
彼の影響で、一時期は竹取の職が一世を風靡し、多くの人間が黄金による成り上がりを求め、竹を切りに行く現象が多発した。
が、結局黄金を取ることができたのは、讃岐造だけで。
三日も経たないうちに、竹取の熱狂はまるで、最初から存在しなかったかのように、静かなものとなった。
「何故。お前が呼ばれたのだろうな」
広大な部屋には、先客がいた。
切り傷を刻むが如く深い、目元の皴が、彼の年齢と、これまでに蓄積された、陰陽師としての格を証明している。
都を代表し、かの"帝"にも見定められたともされる、かぐや姫を住まわせる家。
その規模はとてつもなく、一般人が見れば、門と塀の時点で腰を抜かす程、かけられた金の桁が違う。
あらゆる分野の、あらゆる職人を集めて作った、諏訪大国にも決して劣らない、豪勢な屋敷が、ここだ。
崔爾は、陰陽師の界隈では生きた伝説。故に、彼がここに呼ばれることは、名誉でもあり、当然のことでもあった。
だが、もう一人。
「やぁお爺ちゃん、久しぶり」
彼女は部屋に足を踏み入れ、笑う。
中の装飾、そして屋敷に充満する圧倒的権力者の空気。
それに臆することなく、まるで我が家を歩き回るかのように、おちゃらけた態度のまま、崔爾の隣に座る。
「…貴様は相変わらずだな、
「まぁね、相手が誰だろうと依頼は依頼。相手の立場や権力で態度を変えるなんて、陰陽師以前に仕事人として失格でしょうよ」
崔爾のとは違う、若く活気に溢れる黒。
そんな長髪の、前髪の右側に一本、彼女が異能に目覚めた証でもある、金色に輝く髪がある。
歳は15~17、だが陰陽師という、常識から外れた力を持つ彼女と崔爾の間には、年齢を言い訳にした実力差がある訳ではない。
そこにあるのは、絶望的なまでの天与の差。
与えられた才能。それが果たして、どちらの方が上であるのか…それだけの話。
もしも、崔爾がまだ活力に満ちた、若かりし頃のままであったなら、この現実から、歯を食いしばって目を逸らしていたに違いない。
そう確信する程に、東風谷という少女は、あまりにも強かった。
「お爺ちゃんはどう思う?今回の依頼」
「…そうだな」
こちらが抱く、複雑な感情など知らないと、まるで孫娘のように、彼女はこうして話しかけてくる。
最初、あれだけ煩わしいと思っていた筈なのに、今ではこうして、何だかんだで会話を続けている時点で、絆されているのは確かだ。
甘くなったな。そう内心で己に苦笑し、しかし陰陽師として、冷たく合理的に、現状を把握して話す。
「異変なのは間違いない」
「と言うと?」
「認めたくはないが、お前は都ではもう、俺の次に優れた陰陽師だ」
「…それで?」
――そこで「俺の次に」なんて言うなんて、どれだけ負けず嫌いなんだか。
その言葉を飲み込み、東風谷は聞く。
「妖だろうが、人間同士のいざこざであろうが、わざわざ俺を指名する時点できな臭い」
「…?」
「依頼人がただの臆病者なら話は別だ。だが今回はあの竹取の翁。…確かに金には困らぬお人よ、だが果たして、だからといって俺だけでなく、お前まで呼ぶか?」
「…つまり今回のは」
「――厄介な匂いがする」
陰陽師としての勘。
それは恐らく当たっているのであろうことは、部屋を隔てる、几帳の奥から感じた気配。それが証明していた。
僅かな空気の揺らぎであるが、東風谷と崔爾。戦いに明け暮れる二人にとっては、あまりにも簡単に察知できるもの。
音を立てずに揺蕩う、几帳。そしてその向こうにいたのは、老人。
崔爾のような、切れ味すら覚える厳格な気配はなく、それこそ都で、道を歩く時にすれ違うような一般人。その優しそうな気配だった。
あれが、天下の成り上がり人?そう疑問を抱いてしまう程に、目の前の老人が見せる微笑。裏を感じることができない、真性の優しさだった。
「ようこそ。お出で下さいました」
相手は所詮、雇った陰陽師であるというのに、讃岐造は、静かに頭を下げて、そう言った。
その後にすぐ、崔爾と東風谷も同じように、そして讃岐造のそれに負けないくらい、深々と頭を下げた。
「都での、お二方の名声は存じ上げています。その上で感謝を、私めの急な依頼を受けてくれたことを、深く感謝します」
「翁殿。我々は所詮、ただの退治人。あなたのような御方に、そう言われるのもむず痒いというものです」
あくまでも謙遜して、崔爾は言う。
それに再び、深々と頭を下げる讃岐造。
そんな繰り返し作業を遮るように、東風谷が口を挟む。
「私も同じです。だけど今は…感謝と謙遜の前に、お聞きしたいことが」
単刀直入に、東風谷が今回の本題に入る。
こういう、形式に囚われることなく、主題に早く取り掛かることができるのは、社会に染まっていない、若者故の個性。
若い。がそれでいい。崔爾はあくまでも、視線で窘める程度に済ませて、しかし内心では同意し、問う。
「…届いた文の中には、ただ依頼を受けて欲しいという趣旨の事しか書かれていませんでした。つまりはこうして、我々に直接、話さないといけない程の事がある…と見ても?」
「…………」
その時、讃岐造の顔に浮かんだ表情。
それは耐えがたい苦痛。不安をかき消すように、何かを抑え込むような、そんな表情で。
「お二方に依頼したい内容は、たった一つです」
月が空に穴を開けるまで、その猶予は約十五日。
「かぐや姫を。――月の使者から守って欲しい」
――月と古代の物語。その、真の始まり。
白蓮さんを曇らせたい。
投稿時間は何時がいいか
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