【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 間違えて消しちまった…最悪……
 バックアップ取っておいてよかった…深夜の思考能力低下怖い…


3章:離非
85話.いつかの君へ


 近頃、都全体が騒がしい。

 それは決して錯覚の類ではなく、連夜、都中の陰陽師があちらこちらへ、東西南北に足を運び、忙しそうにしているのは確か。

 だが、それも当然と言えば当然。仕方のない事だろうと白蓮は思う。

 誰が最初に言いだしたか。――見ろ、月に異変が起きている。その言葉が妙に、耳の奥で反響する。

 実際その言葉通り、都を見下ろす小さな月は、以前のとはまるで違う様子である為、異論を挟む必要などないのだが。

 雪のように白く輝いていた月。それは時が過ぎると共に、段々と強く、黄金色の光を纏いだし。

 ――日を追うごとに、段々と巨大化していったのだ。

 

「一体、何が起きてるんでしょうね…」

 

 月を見上げて、思わず言葉を零す。

 白蓮の視界を埋め尽くす、広大な月の光。

 それが優しく、網膜に強く焼き付く。

 

「これを調査するって言っても…何もできなくないですか?」

 

 いつの間にか、隣に立っていた星が、白蓮と同じように空を見上げて、言う。

 実際その通りで、白蓮からしても、今回の月の異変は、決して他人事ではない。

 しかしだからといって、自分たちに何ができるか?という話だ。

 月という、誰もが見る物の異変。それを隠し通すのは無理な話で、月の巨大化が始まってすぐ、都直々に、緊急の依頼が発表された。

 内容はあまりにも簡単。月の異変に関連する物、もしくは原因に関する情報、そのどちらかを見つけて欲しいというものだった。

 結論としては、最初こそ、都が正式に発表した莫大な報酬目当てに、陰陽師だけでなく、ただの一般人までが颯爽と駆け出したものだったが、その熱狂は三日も持たず、あっという間に鎮静化した。

 それでも、未だ多くの陰陽師が、今も月の異変、その原因探しに躍起になっている理由、それは――

 

「今回の異変。どうやらあの"かぐや姫"が絡んでるようだ」

 

 と、複数の鼠たちの鳴き声に紛れて、少女の声。

 振り返れば、別の用事から帰ってきたばかりの、ナズーリンがいて。

 確信めいたその喋り方。そして先ほどからずっと、彼女の足元に集まる鼠たちの動きから、導き出される答えは一つ。

 

「いつの間に…」

「少し気になって、鼠たちに都のあちらこちらへ行ってもらったんだ。そしたら面白い情報が入って来てね」

 

 ナズーリンは語る。

 

「竹取の翁がいる場所は…ま、流石天下の成り上がり人かな。腕のいい陰陽師を雇っているせいで、結界が張ってあって侵入できなかったらしい」

 

 だが、それ以外は別の話。

 民家の隅。道端の目立たぬ影、人間の視界から離れ、気配を隠す方法などいくらでもある。

 そして、たとえどれ程力に優れた陰陽師であろうと、術式の絡まない、種族間での情報共有ができるナズーリン。その配下の、ただの鼠相手には、普段妖との戦いで鍛えた察知能力は働かない。

 唯一。物部崔爾と東風谷、二人だけは例外であったが。

 

「崔爾と東風谷は流石と言うべきだね、鼠たちの気配に気づくだけでなく、そこから先の警戒も含めて、まるで付け入る隙がなかったよ」

「あなたはまたそういう…」

「まぁまぁ、おかげでそれ以外の…口の軽い陰陽師から情報を得られたんだ」

 

 その内容は、白蓮だけでなく、隣にいた星ですら動揺させる程の、衝撃的なものだった。

 月の使者。つまりあの月には、普段自分たちが見上げているあの場所には、自分たちと同じ"人間"が住んでいて。

 そんな場所から、使者は『誰か』を連れ戻しにやって来る。つまり月から地上に降り立った存在とは。――"かぐや姫"なのだという。

 かぐや姫がそこの出身であること、そして月の使者の訪問に備えて、一般人には情報を規制した上で、万が一の被害を出さないようにする。

 そしてかぐや姫を守るために、都中は勿論。他の場所に…それこそ普段、諏訪大国で活動している選りすぐりの陰陽師を集め、かぐや姫を連れ戻されないようにする。

 竹取の翁と、かの"帝"が結託して掲げた作戦。その一部。

 

「聖。一応言っておくけど…」

「わかってますよ」

 

 ナズーリンの言葉に、白蓮は苦笑いしながら、言葉と態度、両方で「分かってる」と、そう念入りに伝わるようにした。

 月にいる人間。それが一体どのような人達なのか、どんな見た目をしているのか、勿論気にならない筈もない。

 が、今の白蓮はあくまでも尼の一人。妖怪退治の依頼を、時に受けることこそあれど、やはり本職の人間には、信頼も実績も遠く及ばない。

 

「かぐや姫のことは、陰陽師の方に任せるのが一番ですから」

「…ならいいんだが」

「でも…何で今、その話を?」

「…………」

 

 白蓮が疑問を覚えるのも、当然のことだった。

 ナズーリンはこの寺に住む妖怪の中で唯一、白蓮の理想・思想に帰依しない中立の存在である。

 立場の話だけなら、毘沙門天の代理として、あくまでも公平に、毘沙門天の意思の下に活動を決めている星も似たようなものだが、彼女はここに住む理由として、白蓮という個人に入れ込んだという要因が大きい。

 その為、白蓮に対し、あくまでもドライな関係を築けるナズーリンが、こうして白蓮のことを気に掛けるというのが、とても珍しいものだったのだ。

 続けて。

 

「…月が巨大化するにつれて、妖怪たちの動きがきな臭くなってるんだ。鼠たちに確認させたから、そこは間違いない」

 

 妖怪と月。

 その関係は、西洋と同じで、深く密接な関係にある。

 そこに理論はなく、ただ昔から「そうだから」と、曖昧に解析されぬまま、ずっと続いてきたことだ。

 満月。その日はあらゆる妖怪が高揚し、己の理性の枷を、無意識に緩める時期。

 

「陰陽師たちの仕事は、今は月の異変の解明が中心だ。普段の妖怪退治も、ひと月前のに比べれば、討伐依頼数は半分もない」

「…?えぇと」

「おかしいだろう?いくら陰陽師が妖怪退治をそっちのけにしてる…としてもだ、満月が近いというのに。…妖怪があまりにも大人しすぎる」

 

 ――嫌な予感がする。

 そう、ナズーリンは言った。

 

「この件は、都のとは別の何かを…気味の悪い予兆を感じさせるんだ、だから気を付けるんだよ」

「…えぇ、わかりました」

「ならいい。私はもう忠告したから、また別の仕事に戻るよ」

「は、はいっ」

 

 フンッと鼻を鳴らし、ナズーリンは踵を返して、再び別件の仕事に戻った。

 星の監視以外に、一体、他にどのような仕事をしているのか…白蓮は内心で疑問を抱く。

 が、あの毘沙門天直々に動ける程の格を持つ彼女について、自分が知れることなどたかが知れているだろう。

 そう、内心で納得して、深く考えるのをやめた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 と言っても、日課となれば話は別である。

 白蓮は今日も、山の恵みを貰うついでの、妖怪との対話という、もう数年は続けている散策を行っていた。

 相対する妖怪は大体、人語を話すことができない、ただ肉を求めて彷徨う、そんな存在がほとんどで、白蓮の言葉が届くことは滅多にない。

 それでも、白蓮は彼らを滅することはない。

 あの日。初めて魔力を妖怪に浴びせ、そして命を奪った感触が、未だに身体から抜け落ちないから。

 自分が夢見た理想。それを自分の手で、再び否定するようなことが起きてしまえば、きっと、白蓮が今までに築き上げた何かは、音を立てて崩壊するだろうから。

 だから、たとえ牙を剥かれようと、矛先を向けられようと、罵詈雑言の捨て台詞を吐かれ、そして感謝されずとも。

 山で出会った妖怪。彼らに必ず、白蓮はまず対話を心掛けるようにするのだ。

 

「本当に…妖怪たちがいない」

 

 最初、まだ虎の妖獣であった頃の星と出会ったこの山は、白蓮が都に住み始めるよりも遥か昔から、妖怪たちの住処として人々に語られ続けている。

 その為、最低でも白蓮程の実力を兼ね備えた者…もしくは対妖怪の知恵を持つ陰陽師でなければ、この山を散策することは叶わない。

 特に陰陽師の場合。そこまでの実力を持っている時点で、都でもそれなりの報酬額の依頼を受け、そして貰った報酬金で、それなりに贅沢ができる為、わざわざ山に入って、野菜や果物を採るような、物好きはそういない。

 故に、毎回白蓮がこの山に足を踏み入れた際には、その日に最低でも2~5匹の妖怪と出会い、そして対話を試みる機会を得られた。

 だというのに、今日は山の上部に近づいても尚、妖怪の気配はどこにも感じられなかった。

 残穢すら残っていない、あまりにも静かな、異質な空間。

 なるほど。これはナズーリンも疑問に思う筈だ、そう白蓮は思う。

 

(でも、一体…)

 

 巨大に輝く月と、その光が作る薄い木陰の下を歩く。

 太陽も沈み、僅かに肌寒さを感じさせる、夜の冷気が漂う夜の山。

 妖怪の気配はなく、あるのは自分が吐き出した息の、温い風の奔流。

 じっと目を凝らしても、前方、夜の闇に妖怪も、動物も紛れているわけでもなし。

 時々風が吹き、木の葉を揺らす音が、鼓膜を叩く。

 あまりにも静かな、異質な時間。

 カサ…と、再び頭上の木々が揺れ動く音がして。

 ――それに紛れた、茂みが動く音もした。

 

「――ッ誰!」

 

 一気に警戒心を引き上げ、拳を構えて声を張り上げる。

 視線の先。白蓮から僅か1mと少ししかない、至近距離にある茂みに、誰かがいる。

 魔力感知とは違う、これは生粋の、()()()の人間が自然と身に着ける、夜の闇に紛れる為の――

 ガサッ!そう一際大きな音を立てて、茂みから直線の影が伸びる。

 

「…あらら、これはこれは…」

 

 夜の闇が邪魔をして、その愉悦を孕んだ口元だけが、白蓮には見えた。

 一体どこの誰か、そう問うよりも前に、白蓮は硬直し、そして一気に、先ほどまで抱いていた緊張感・警戒心を捨てて、両手を降ろす。

 その、男を口先一つで陥落させる、妖艶な声。そして、悪魔的な美すら感じさせる、笑みが作る唇の形。

 それだけで、白蓮は目の前の不審者。――否、女性の正体を、察してしまったのだ。

 こうして会うのは、一体何年ぶりか――

 

「あなた。何故ここに」

「こちらこそ、今のあなたは僧でしょう?」

 

 一歩前に、白蓮の顔を下から覗き込むように、彼女は近づく。

 その時、月光が木の葉の隙間から注ぎ込まれ、丁度その直線状にいた、彼女の頭部を照らし、白蓮の視界に青が広がる。

 邪な、あの日に白蓮が見たのと同じ、あの姿。

 

()()()()()()()()。どうやらお気に召したようですね」

「話はそれだけですか?もっと他に、聞きたいことがあると思ったのだけれど?」

「あらあら」

 

 今から数年前の話だ。

 法術に没頭する白蓮は、ただ誰かを守る、悪しき者を退けるだけの、防衛だけの力に辟易とし、その更に上の、全く別の力の知識を求めた。

 今にして思えば、その時の自分はなんて、救いがたい存在なのだろうと、そう思ってしまう。

 そんな愚かな自分に目を付け、そして知恵を授けたのが、この、外の国からやって来たという青髪の商人。――霍青娥。

 ただでさえ、まだ子供らしい、達観したつもりの脆い価値観を持っていた自分でも、青娥の持つ胡散臭さ、危険性は薄っすらと感じ取っていた。

 しかし、それを上回る好奇心。そして魔が差した当時の自分の、愚かな選択が、こうして彼女との間に、面識を作ってしまったのだ。

 

「商人生活はかなり前に辞めました。今は商人時代の資金を使って、ゆらゆらり…と、放浪の旅を続けてますのよ」

 

 白蓮の鋭い視線に、青娥は依然として変わらない、捉え所のない、胡散臭い笑みを浮かべたまま、そう言う。

 ――嘘だ。白蓮はすぐにそう直感した。

 

「嘘。あなたは立場や姿を変えることこそあれ、目的のないことはしない」

 

 邪仙、霍青娥。

 その好奇心が示す先は、時代やその時の価値観で大きく変わる。

 それは時に個人であったり、時に実験の要領で、妖怪に対して興味を持ったり。

 しかし、そこに共通するのは――

 

「答えて。今、あなたはここで何をしていたの」

 

 場合によっては、今――

 

「…そう警戒しないでくださいな、私はただ()()()()を探しているだけですよ」

 

 敵意を滲ませる白蓮に、怖気づくことなく。

 

「商人時代。紛失した書物の一つです。それを私は探しています」

「そうですか」

「あ、何なら…今ここで、互いに虚偽を封じる"縛り"でも結びましょうか?それなら簡単に、私のことを信頼できると思います」

「……」

 

 握った拳を解き、ため息。

 

「…近くに。私の寺がある」

「…?」

「そこには近づかないで。それだけ」

「………ふふ、了解です」

 

 多くは語らない。

 相手に情報を与えるのも癪だ。それに、寺に住む新しい家族を…新たに一員として加わったムラサもだが、彼女らは妖怪としてではなく、仏と人間の心を、彼女らなりに学んでいる最中。

 青娥という存在は、どう考えても劇薬に過ぎず、下手をすれば、悪影響を及ぼす可能性だってある。

 そのことを、一つの言葉に込めていたのを、青娥は察したのだろう。

 ニコリと笑って、青娥は背中を向けると同時に、そう言いながら地面に穴を開け、そこに入って姿を消した。

 もう一度、ため息。

 

「…何を」

 

 ――何を、自分は焦っていたのか。

 青娥に対し、ただ近づくなと、寺には来るなと言った、その本当の理由。

 胸を突き刺す、自己嫌悪の際に感じる痛みが、その正体を、無慈悲に何度も、何度も反芻する。

 それは、理由を彼女らに押し付けたから。

 自分の新しい、生き甲斐とも呼べる場所。それはあの日、青娥から魔導書を譲り受け、そして弟の命を失った時の、己の過ちからできたもの。

 自分でもわかっているつもりだった。嫌と言う程、今の自分が掲げる理想は、どこまでも偽善に過ぎない、身内の命。その犠牲の上でようやく作られた価値観だと、この世の誰よりも、それを知っている。

 その時代の象徴、己の過ちそのものとも呼べる青娥。彼女と出会った頃の自分が、また、蘇るのが嫌だったのだ。

 掲げた理想に、過去から這い出た醜い自分自身が、過去に聖白蓮が、今の寺を、新しい家族である星や一輪、ナズーリンからムラサ、雲山も含めて、巻き込んでしまうのが嫌だった。

 そんなことを考えて、一歩。

 

「………?」

 

 僅かに感じた違和感。

 空気。正確には鼻腔が薄っすらと、異変を訴える小さな感覚。

 思わず足を止めて、右から左へ、ぐるりと視線を回転させて、しかし相変わらずの、自分以外誰もいない、静寂の夜。

 気のせいだろうか。そう思ったのは一瞬だけで、すぐにそれはありえない。何かが間違いなくあると、そう己に叱責した。

 僅かな魔力を込めて、視力を強化してもう一度、ぐるりと視線を左右に動かして。

 

「――!」

 

 先ほど、青娥が立っていた場所の、更に奥にある、一本の木。

 夜の闇と、木の葉が作る陰。そして本来の木々が持つ、黒に近い樹皮の色。

 その、よくよく目を凝らさないと気づけないくらいに小さな、僅かな漆黒。

 時間が経ち、乾いて鮮やかな赤を失った色。

 ――それは、血液の塊。

 白蓮の行動は既に、その時には決まっていた。

 たとえそれが。――人間だろうと、妖怪だろうと。

 

 

 

 


 

 

 

 

 かつて月にいた頃は、人間のことが分からなかった。

 知識として、書物で頭に入れた情報では勿論、『人間』という生き物がいることも、自分たち『月人』と違って、穢れによる寿命があることも、知っていた。

 その上で、自分以外の月人の、それぞれ半分の反応も、「そういうものなんだ」と、朧げに納得した。

 

 彼らは、自分たちと違って汚らしい、忌むべき存在。

 彼らは、自分たちのように永く生きられない、可哀想な存在。

 

 そのどちらの反応も、どれだけ時間が経過しようとも、月にいた頃は常に「そういうものなんだ」でしかなくて。

 ()()()ではなく、()()()()となったばかりの時期も、そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓬莱の薬。それを飲んだ罰。

 罰自体は苦痛でもなかったし、むしろ退屈でしかなかった月の都。あそこから離れることができるというだけで。――蓬莱山輝夜にとっては、それだけでよかった。

 月から落とされようと、何年も竹の中で、ある一定の歳に成長し直すまで、幽閉されるとしても、あの頃に比べれば遥かにマシ。

 凄まじい退屈と、とても退屈の二つのうちどちらかを選ぶなら、後者を選ぶだけという話。

 だから、あの日に『竹取の翁』が、讃岐造が自分を見つけた時は、新鮮な気持ちだった。

 

「これはこれは…本当に驚いた」

 

 赤子に戻った自分のことを、そう呟きながら覗き込む彼の顔は、今でも鮮明に思い出せる。

 後で知った話だが、どうやら自分が閉じ込められている竹は、傍から見れば、それはもう凄まじい彩度で、黄金色に輝いていたという。

 だが、今ならば断言できる。最初に自分を見つけてくれたのが、あの老夫婦で本当に良かったと。

 

 竹から降りて、次に味わったのは穢れの象徴。

 

 地面。そう地面。

 月のとは違う、茶色くて、ごつごつとした石が混ざっていて、一面全てに生物の死の痕跡が、穢れそのものがこびり付いている。

 なのに、不思議と嫌悪感は感じなかった。

 蓬莱の薬は、縮小された生命の輪廻。何度も死に、生き返るをたった一瞬。刹那に凝縮した無限の命の象徴。

 故に、結果としては月人と変わらない不老長寿だとしても、月人が持っていない『不死』も含めて、本来持てる筈もない穢れが、輝夜の身体に満ちている。

 だから、何の抵抗感も嫌悪感も抱かず、輝夜は穢れに汚染された大地を、地上の世界を一望して。

 ――美しい。そう思ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もうすぐ、月の刑罰も終わる。

 それは即ち。輝夜は蓬莱の薬を飲んだ重罪人ではなく、また以前と同じ、不吉な謎の力を持った、月の姫として迎えられるのだ。

 穢れも身体に定着したことで、仮に輝夜が月に戻ったとしても、かつて蓬莱の薬を飲んだ直後のような、穢れによる、月の汚染は起こらないだろう。

 それに、月の科学力は凄まじい。輝夜が地上に降りて十数年。だがそんな短い時間でも、彼らからすれば、地上人の文明で例えるならば、三段は先のステージにたどり着く程だ。

 正直。輝夜に希望はない。

 月の使者と言えども、流石にあの細愛親王程の実力を持った者が選ばれる訳ではない。しかしだ、それでも彼らは、月人であることに変わりはない。

 輝夜が追放される前でさえ、少数派になっていた、穢れを忌み嫌う月の上層部の思想。それを使者に選ばれた男が持っていないと、そう結論付けるのは早い。

 

 装備は?個人の戦力は?人数は?

 

 それに、自分の正体を打ち明けた時、讃岐造は辛そうな顔をしながら、「必ず何とかする」と言い、実際に都中から、凄まじく腕の立つ陰陽師を集め、励ましてくれた。

 …しかし、不安は拭えない。

 何故なら地が違うから。月と地上、そこにある絶望的な差は、科学という土台の違いだけではなく、心。

 月人からすれば、地上人など何の思い入れもない、ただ別の生き物にしか過ぎない。

 地上人が、地を這う虫けらに哀れみを抱くことなどないように、月人も同じように、地上人には何も感じることはない。

 物部崔爾と、そう呼ばれていた老陰陽師も同じだ、あれなら()()の妖怪も倒せるだろうが、しかし対人において、その強さの物差しは何の意味もない。

 

 

 

 

 だが、一人だけ例外がいた。

 

 

 

 

 東風谷と名乗った、若い陰陽師。

 あの、輝夜の視界を一瞬。漆黒に染め上げた、蓬莱人すらも上回る、穢れの結晶。

 その悍ましい気配を感じて、輝夜は吐き気を覚える訳でも、ましてや他の月人のような、嫌悪感を抱いた訳でもない。

 ただ。――あぁ、使える。

 そう、確信して笑ったのだ。

 

(見てなさい。私はそう簡単に負けないわ)

 

 あの穢れを見て、月の使者たちは何を思うだろう?

 自分と同じ反応は信じられないから、嫌悪感を示して距離を取る…ぐらいだろうか?

 いいや、いっそのこと吐いてしまえ、そのまま失禁して、気絶してしまえとさえ思う。

 あれだけ嫌だった筈の満月。自分が帰るという時間だというのに。

 彼らの『もしも』を想像している時だけ、輝夜は讃岐造たちとの別れを、忘れることができるのだった。

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