【本編完結】諏訪子様になった、負け戦を回避したい   作:洩矢廻戦

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 せっかくなので1000文字ほど加筆して朝に再投稿。
 ……するつもりがまさかの11話の方を消してしまうというハプニングが発生。…せっかく貰った感想も消えて割とショック。
 1話だけ感想0なのめっちゃモヤモヤするんで暇な人はまた前話に感想書いてくれると嬉しいです。


86話.凶■頑迷

 決して、ただ妖怪だけに味方する訳ではない。 

 弟が憂いた。嘆いていた理不尽を、罪滅ぼしとして、救いたかっただけ。

 人間とそう変わらない、争いを忌み、憎しみに辟易とする…そんな存在が、決して夢幻のものではないことを。

 利用する為であった心が、少ない彼らと触れ合うことで、利用目的の野心が、誠心に変化した。

 人も、妖怪も。

 理不尽に虐げられる存在を、救われるべきものだと、そう思って。

 争いを望まぬ、優しい心を持っていた者も、それに目覚めた者も。

 せめて、あの小さな寺だけでも、そんな彼らが心落ち着かせることができる、小さな理想郷であって欲しいと。

 そう、僅かな達成感に並ぶ夢が、彼女を突き動かす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長閑(のどか)な山だった。

 山中には、寺院を含む、人間の手が届くような形跡はない、自然のあるがままの姿が、そこにある。

 『炎』という利器を手にし、栄えていく人間たちの文化。麓にある都とは違い、妖怪たちが屯する、危険な場所。

 山道を歩けば、数分ごとに、人間の香りに惹かれてやってきた、知性の低い妖怪たちが、涎を垂らしながらやって来る。だが、今日は全くそれを見ない。

 白蓮の疑惑。そして出発前、ナズーリンから聞いた違和感。

 その答えが、目の前にあった。

 

「…酷い」

 

 気味の悪い風だった。

 魔法に精通する白蓮ですら、その些細な違和感に気づくのに、かなり集中しないといけない程、本当に巧妙に隠された場所だった。

 結界術。それもただの妖怪ではまともには扱えない、空性結界と呼ばれるもの。

 空性結界。それはかの、個が行きつく極みの果てである『領域展開』に、凡人が追い付こうと努力し、築いた技術だという。

 だが、この世界はどこまでも実力主義、力が正義の無常さを誇っており、そんな凡人が作った便利な技も、妖からすれば、一目で真似することができる、残酷な現実がそこにある。

 結界術に長けた者なら、その空性結界の制作主でなかろうと、自分好みに結界内の風景を、それこそ内装や、繁茂する草木の種類。そして水のような、物理演算に苦労するものの錬成まで、全てを自在に行える便利なものだ。

 白蓮は勿論、領域なんて使えないし、結界に関する知識も曖昧で、害獣避けの運用くらいでしか、結界を使ったことはない。

 しかし、逆に言えばそれだけの者でも、空性結界は自在に扱える程の便利なもので――

 

 手を合わせる。

 空性結界で隠されていた場所、目の前に広がる惨状が露わになり、白蓮は思わず息を吞む。

 

 地面の全てを染める勢いで、赤の色彩が暗く輝く。

 僅かな刺激臭と、虫が集る音と、()()が、散らばる肉片を啜る音。

 そして、そんな動物、妖怪たちの死骸の山の先にある、小さな洞窟。

 そこから、針を刺すような、剣吞な妖気が立ち上り、それが壁となって、白蓮の身体を止めていた。

 

「そこに、誰かいるの…?」

 

 立ち上る妖力の量が、また増える。

 一歩近づく白蓮に、こっちへ来るなと、早くいなくなれと、そう願うような、強がりに過ぎない、虚勢の妖力。

 そこから導き出される答えは、一つだった。

 

【…来るな】

 

 嫌悪の色はない。

 ただ、その声から白蓮が感じたのは。――諦め。

 もう一歩、前に進むと共に、最初に感じた恐ろしい妖力が、あっという間に萎んでいって。

 

「…ッ!酷い怪我…」

【…………俺を哀れむか、人間】

 

 そこにいたのは、普段よく都で見る程度の大きさしかない、小さな虎の妖怪だった。

 最初に聞こえた声は、老人のようにも聞こえる程しわがれていて、それは男にも、女とも受け取れる、中性的な質の声。

 そして今も、虚ろな目でこちらを見る、その虎妖怪の姿から感じるのは、痛々しさと、既視感。

 ――かつて、この山で出会った大切な家族の、寅丸星の過去を思い出す。

 

「…その怪我、一体何があったのですか?」

 

 虎妖怪の身体には、血で染まっていない箇所が存在しない程の、酷い有り様であった。

 半死半生。それがいつ死に傾いてもおかしくない。それ位に酷い、傷の深さと、掛けられた呪い。

 陰陽師の仕業だろう。そうすぐに確信したのは、白蓮の視界に移る、傷ついた腹を隠す力もないであろう、彼の腹部から今も尚、流れ続ける鮮血。

 血が固まることはなく、自己補完の範疇で妖力を消費し続けるだけでなく、その身と魂を削る、遅効性の呪い。

 それは、かの天才、物部崔爾が都に流通させた、対妖怪の為に作った、霊力を込めて作る退治道具。

 以前に一輪から、それを見せてもらったのと、前に助けた妖怪も、陰陽師の手によってこれを打ち込まれ、瀕死の状態だったのも、覚えている。

 だからこそ、その対処法も知っていた。

 

【…人間。それも若い娘に甚振られたものよ】

「…………それは」

【見下すか?たかが人間。…それも小娘にも勝てなかった俺を】

「いいえ」

 

 白蓮は、強い意志を持って答える。

 

「思いません。あなたを哀れむことも、見下すこともありません。――助けます」

【…何を】

「私がそうしたいから。今のあなたを、見捨てるなんてできないから。…それだけです」

 

 自虐の笑みを浮かべていた妖怪の顔、そこから一瞬、表情が消えた。

 その後に浮かび上がるのは、呆気に取られた、何を言っているのかが分からないという、そんな困惑を、ありのまま晒したような、呆然の顔。

 

「争いを好まない妖怪がいます。血を求める人間もいます。善か悪か、白か黒かを決めるのは…妖怪か人間ではなく、それがどのような生き方をしたか。…私はそうだと思っています」

【くだらんな】

 

 妖怪が、震える身体を無理矢理にでも動かしている。

 その証拠に、ゆっくりと流れ続けていた腹部からの出血が、今まで動いていなかった分、溜まっていた血液も巻き込み、噴水のように放出されたから。

 

「ッ!傷が――」

【その恰好、僧か何かか?…道理で、さっきから言葉遊びが得意だと思ったよ】

 

 白蓮の身体に絡みつく、その陰湿な妖力。

 再び一歩を踏み出す。そしてまた血が吹きだし、妖怪の身体が傾き、倒れそうになる。

 それを、彼の妖怪としての自尊心が、必死に抑えているのだろう。

 ギロリと、白蓮を睥睨するその姿は、小さな虎の妖怪と侮ることはできない。

 かつて、妖獣であった頃の、毘沙門天代理になる前の星よりも、今の彼は強いのだろう。

 そう思わせる程に、今の彼が持つ眼の、赤い光はドス黒い。

 

【命に価値や重さなどない。――俺もお前も、妖怪だろうと人間だろうと、ただそこに()()()()に過ぎない】

 

 生と死。対極するその概念。

 恐れから生まれ、人の胎から生まれようと、両者にあるのはそれだけだと、彼は言う。

 

【天地にとっての水のように、人の命も、そして俺たち妖怪(呪い)も、無意味で無価値なものに過ぎない】

「それは」

【違わない。俺たちは皆、無価値だ】

「違います」

 

 妖怪の嘲笑と持論を、白蓮は切り捨てる。

 

「死が生き物の終わりだったとしても。何も成せずに終わったとしても、無価値なんてありえない」

【…気配が揺らいだな。死んだのは親か?それとも弟妹か?】

「――」

【ハッ、図星か】

 

 短く唸り、妖怪はもう一度、顔を洞窟の入り口に向けて。

 

【去れ。お前如きに助けられる程、俺は決して弱くない】

 

 去れと。もう一度、彼は強い警戒と嘲笑の色を浮かべて、言う。

 言葉を発さず、ただじっと、自分と同じように洞窟の入り口を見つめて、動きを見せない白蓮。

 その姿に、やっと目の前から消えてくれる。そう安堵したのも束の間。

 

「…」

 

 再び、視線をこちらに向けて、白蓮は言う。

 

「治します」

 

 膝をつき、手を妖怪の身体に伸ばして、その傷に優しく触れる。

 妖怪の血が、人間である自分の身体に付着するという、本来忌むべき筈の現象にも、彼女は不快感を示すことはない。

 そこにあるのは、ただ純粋な慈悲。

 

【何を】

「助けると言ったでしょう。だから、私がこれを治します」

【…気でも狂っているのか?】

「さっき言っていたでしょう?妖怪も人も、最後は死んで終わるのだと。…なら」

 

 妖怪の目には、困惑すら浮かんでいない。

 動揺。人を襲い、血肉を好んで喰らう自分に対し、憎しみ以外の感情を向けて、そしてその上で、助ける為に手を差し伸べると。

 自分では理解できない、正体不明の動物を見るかのような、そんな動揺。

 

「私は、この()()()を貫きます。ただそれだけの理由で、あなたを助ける」

【…確信した。やはりお前は気が狂っている】

「何とでも言ってください」

 

 僅かな間だったが、その間にも妖怪の心の中には、白蓮でも推し量ることのできない位の、激しい自答があったのだろう。

 しばらく、信じられないようなものを見るような顔をしていた妖怪は、力を抜き、ゆっくりと身体を横たわらせて。

 

【…好きにしろ】

 

 その言葉を聞いて、白蓮は僅かに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陰陽師が配布している道具は、基本霊力が軸となっている。

 道具はあくまでも『増強』と『安定』に過ぎず、霊力で妖怪が傷つくのは、遥か昔から続く、絶対的な相性の話。

 封魔の針がいい例で、あれは針という原型に霊力を『流し込む』工程を、予め設定(プログラム)した道具の性能によって肩代わりしているに過ぎない。

 霊力とは全ての人間が持つ力だが、それを扱える人間はほんの一握りで。

 そのせいで、妖怪側も霊力を満足に扱える程の存在。それこそかの崔爾のような、天才的な陰陽師と相対するぐらいでしか、その知識を得ることはできない。

 そして、そんな実力を持った陰陽師相手に、生きて帰れる者もたかが知れていて――

 

「やはり…これは霊力ですね」

 

 妖怪は総じて外傷に強い。

 たとえ欠損しようとも、ゆっくり時間を注げば、人間と違って完全に再生だってする。

 そして、滅多に使える者はいないが、妖力と妖力を掛け合わせ、生命力を過剰生成することで使える技術である、反転術式。

 それを使えば、ただでさえある程度の時間さえあれば欠損も治せる妖怪も、文字通り瞬きする間に、その欠損を修復できる。

 人間と比べて、その差はあまりにも不平等。

 だというのに、そんな彼が今も、こうして血を流し続けているのは。

 

「最近。ある陰陽師が妖怪退治の道具を、一般人にも流通させたと聞いていましたが、これは…」

【…なるほど。道理で】

 

 一度つけた傷を塞がない、塞げないように邪魔をし続ける術式。

 妖怪の肉体。傷口を沿うように、遥か昔、自分が捨てた純粋な人間である証明、霊力が絶えず、渦を巻いているのがわかる。

 白蓮は陰陽師の知識に疎い。故に具体的な見当はつかなかったが、それでも一つ、わかるのは。

 これ程の術式を打ち込める、簡易的な道具を作った存在が、どれ程優れた陰陽師なのか、ということだけ。

 

「これを…本当に小さな子供が」

【…思い返したくないな。まさかあの程度の存在に、俺が…】

「喋らないで、傷が悪化します」

【…フン】

 

 傷を癒す力に抵抗されるのなら、どれだけ妖力を注いでも意味がない。

 霊力と妖力は、古代より密接に関わり合ってきた天敵同士。妖力の反発が強くなればなるほど、霊力による毒が活性化する。

 正しい選択肢。それは最低限、傷口周りの肉体組織を妖力で補強し、傷をつけられた場所、そこに残留する霊力が、自然になくなるまでじっと待つこと。

 それを知らず、彼は必死に傷を治そうと妖力を注ぎ、そして逆に暴れ出した霊力に苦しみ、こうして死にかけていたのだろう。

 

「…元人間の私なら、拒絶反応を起こさずに霊力を受け取れます」

 

 ならば、やるべきことは一つ。

 白蓮は袖をまくり、傷口にそっと手を当てて。

 

「その後、あなたを反転術式で治します」

【…お前。人間ではないのか】

「魔法使い。そういう存在です」

 

 少しだけ。

 妖怪の顔から、苦痛を耐える仮面が剥がれて。

 今までの、僅かな抵抗を感じさせる気配がなくなり、代わりに出てきた感情の色は、受け入れ。

 

【…なんだ、一緒か】

「…………はい」

 

 何も違わない。

 自分たちは一緒だと、白蓮は頷き、笑って肯定する。

 互いに、本質の変わらない、ただ死を恐れるだけの、少し憶病な生き物なのだと。

 まだ支持する者こそ少ないが、白蓮のそんな思想を、他ならぬ妖怪が、それを肯定したということが。

 少し、救われたような気がして、笑う。

 

「…私は、そもそも善人なんかじゃありません」

 

 でも。と続けて。

 

「人間は死ぬ、それは決して覆しようのない世の理です。それから逃れる手段に、人を辞める以外の道がない時点で、きっとこの世界が作られた時点で、そういうものだと決まってるのでしょう」

【…………】

「それは仕方のないことだと思ってます。でも…ならせめて、その死だけは、正しくあって欲しいと、私は思うんです」

 

 いつも笑って、綺麗ごとを吐いて。

 こんな自分の性根すらも、優しさだと肯定する弟。

 彼の早すぎる死に、意味があったのかどうかはわからない。

 もし、それに意味がなかったとしても。

 ――せめて、その死は間違ったものでないのなら。

 

「正しい死とは何か。それはまだ分かりません。でもせめて…間違った死だけは、防ぎたい」

【…………】

「あなたを見捨てるのは簡単で、もしも私がここに来なければ………この出血量です、数刻も持たずに死んでいたでしょう」

【……――】

「それは、きっと間違った死です」

 

 妖怪は何も言わなかった。

 ただ、白蓮を探るように、じっと、微動だにせず視線を向けている。

 白蓮もまた、それ以上の言葉を必要とせず、妖怪の眼をじっと見つめ、黙る。

 弟の夢。死の寸前に謳った幻想を、自分の手で作る。

 それがどれほど難しいか、そして本当に、魔法使いとして得た永い命を懸けてまで、追い求める程の価値があるのか。

 他ならぬ白蓮にも、それの答えは分からない。

 だが、決して間違いではないことは、彼女にできた新たな家族である、寺の妖怪たちが証明している。

 人間である自分を信じ、仏門の扉を潜った元妖獣の星。

 自身を打ち負かした人間を敬愛し、背中を預け合う関係を築いた雲山と、それを受け入れた一輪。

 怨霊だった頃の時とは違い、今ではかなり落ち着いた、船幽霊の村紗。

 そして、口ではあぁだこうだと言いつつも、ずっと自分たちのことを見守り、支え続けてくれたナズーリン。

 彼女らの存在がある限り、白蓮に間違いという概念はない。

 そう、自信を持って言える存在だった。

 

「…霊力はなくなりました、後は――」

 

 陰陽師の道具、それの残した霊力の毒を取り払う。

 そして、魔力と魔力を掛け合わせる。

 そうすると、魔力という括りを超えた、全く新しい未知の生命エネルギーが発生し、それが傷を癒す。

 反転術式。自身の傷を治すのとは違って、これを他者に施す場合、その治癒効率は半分以下。

 しかし、たとえ半分以下の効率であろうとも、妖怪の身体は頑丈で、素の回復速度も凄まじい。

 あっという間に、白蓮が手を添えた場所にあった傷、腹を大きく裂いた、今にも内臓が零れそうな程深い傷。それが影も形もなくなった。

 妖怪自身、些か驚いた口振りだった。

 

()()()()()()。それに反転術式(それ)もだ。使える者だけでも少数だというのに、それを他者にできるとなると…】

「?普通はできないんですか?」

【然り。その理由に、その者が持つ力の源流…お前で言うならば魔力か、それを受け付けない者がいる】

「…………」

【人間に拒否反応を出させることなく、妖怪相手にも変わらず…か。まこと奇妙な者よ】

 

 最初から、()()()()()()()白蓮にとって、反転術式による他者の治癒の難しさという真実は、それなりの衝撃であった。

 しかし思えば、確かに妖力や呪力を主に扱う陰陽師にも、片手で数える程度だが、反転術式の使い手はいた。いたがその中で、人を治せると宣伝していた者はいない。

 もしもその中に、他者を治せる者がいるのなら、やって来る依頼の数を増やすためにも、そして自分の異名を轟かせる意味も含めて、それを特技として喜々として宣伝していただろう。

 もっとも、陰陽師の界隈を詳しく知らない、そしてある意味天才型であった白蓮は、「最初から当たり前にできることを、わざわざ宣伝しないんだろうな…」と、少しズレた解釈をしていたのだが。

 咳払い。

 

「こほん。その…傷はどうですか?ちゃんと治せてますか?」

【問題ない。むしろ完璧すぎるぐらいだ、あれだけ血を失ったからな、眩暈くらいは覚悟していたが…】

「…それなら良かったです」

 

 最初の慣れている。という妖怪の言葉。

 それが意味する事とはつまり、反転術式を人間にではなく、妖怪にも施せることの疑問。

 その答えは、やはりあの日がきっかけと言えるのだろう。

 口端を曲げて。

 

「きっと、前に治した経験があったからでしょうね」

【…やはり、既に経験があったのか】

「はい。()()()()()()、虎の妖怪です」

【――】

 

 妖怪の顔に、僅かな戸惑いが生じる。

 

「…?どうしました?」

【…いや、何でもない】

 

 妖怪は、ゆっくりとかぶりを振って。

 

【――世話になったな、俺はもう行く】

「…あの」

【いい。言わずとも理解している、自分の所に来ないか…と言いたいのだろう?】

「…!」

 

 図星であった。

 

【――しばらく、俺は休む】

「……そうですか」

【何。これでも俺は誇り高い妖怪だ、この恩を忘れることはない】

 

 絶対に忘れない。

 そう付け加えて、妖怪は、野犬程度の大きさの身体を、ゆっくりと洞窟の出口に向かって動かしていく。

 足元がふらついていたのも最初だけで、三歩目の踏み込みの時点ではもう、以前の感覚を取り戻し、堂々をした歩き方に戻っていた。

 振り向き。

 

【…いつか、この事を自慢させてくれ】

「…!」

【感謝するぞ、人間】

「――はいっ」

 

 その言葉が、何よりの喜びだった。

 月明かりが一瞬、その小さな背中を照らす。

 だが次の瞬間、月光が雲によって遮られ、再び暗闇が訪れることで、白蓮の視界が漆黒に染まる。

 そしてその時に丁度、暗視の魔法が解けたのもあって、白蓮は彼の姿を見失ってしまった。

 外に出た時、もうそこには彼の姿も、地面に足跡もなく。

 ――忘れない。その言葉が、頭の中で反芻していた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 裕福な家庭ではない。

 だからといって、貧乏であるか?と問われても、それに頷ける程のものではないというのも、確かである。

 貴族。そう称されるこの家では、かの『竹取の翁』や、一世を風靡した最強の陰陽師二人、物部崔爾や東風谷といった、時代に名を残す者たちには劣るものの、それなりの財産がある。

 貧富を問えば、間違いなく裕福なのは確か。だがそれは『財力』の話であって、『裕福な家庭』かどうか、それを主題にするなら、話は別。

 どれだけ金銭面で恵まれようと、どれほど贅沢が許される立場であろうとも。

 豊かさ。という話なら、財力だけではないのだ。

 多すぎる財力は、時に誰しもが持っている筈の、裕福さの象徴である、それを奪う。

 

 その筆頭こそ、愛。

 

 その貴族の家は、愛というものに誠実であったのか。

 そう問われれば、首を無条件で縦に振ることは、きっと叶わないであろう。

 本妻だけでなく、第二から第三の妻、何より側室の娘までが家に居座り、そのせいで、少女は生まれた時からずっと、ある種の窮屈さを感じていた。

 側室の子。それこそが問題。

 普通なら、適当に金でも積ませ、縁を切って外に放り出す案件であったが、少女を外に捨てることができない、あまりにも面倒な事象があった。

 それこそが、生まれつき持っていた『異能』。

 腕の立つ陰陽師の中には、生まれた時から特別な力を持った者が多い。

 たとえば崔爾。『風神』物部崔爾と称される彼は、その風を操る力を、生まれた時から使えたと聞く。

 そして、そんな噂が出回れば、人々は皆、自分の子に期待を持ってしまうのだ。

 天に選ばれた、真の才能、天与の力。

 運がいいのか悪いのか、少女はそんな力の一つ。――『炎』を持って生まれてしまった。

 それだけだ。

 たったそれだけで、少女は今もこうして、血縁上は父親である彼の、貴族の子として受け入れてもらうことができる。

 

「……」

 

 関わらない方がいい。

 その家での、少女に対する共通認識がそれだった。

 人というのは憶病で、それが特に貴族、目上の男に対して、『もしも』機嫌を損ねてしまったら…と、そんな不安を持ってしまう。

 だから、少女はずっと、一人でここにいる。

 

「………」

 

 誰にも声をかけられることなく。

 誰も視線を合わせず。

 少女は縁側に座り、指先に炎を灯し、静かに時間を潰す。

 

「…――」

 

 ――早く大人になりたい。

 そう少女は。――藤原妹紅は内心で呟いた。




 曇らせって、善意が空回りして最悪の結果が来て、自分に返ってくるからこそ曇らせだと思うんですよ。
 自分から率先して「○○が曇るところが見たい(ニチャニチャ)」してる他作品の主人公を見る度にそう思います。
 お気に入りと評価よろしくお願いします。

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