ガヤガヤガヤ…
多くの人々が行き交う、活気溢れるとある港町。
海に面したこの街には毎日新鮮な海の幸が店頭に並べられ、毎朝魚の焼けた少し焦げ臭い香りが鼻をくすぐる。
皆が美味しい食事を食べ、笑顔になっている、まだ少し暑さの残る秋の、少し日が傾き始めた昼下がりの中、
その少年は薄暗い路地裏に置かれている捨てられた食べ物が入っている屑入れを漁り、誰にも気付かれないことを願いながら、粘着質な色々なものが混ざった臭い食べ物で飢えを凌ごうと嗚咽しながらも口へと詰め込んでいる。
「おぇぇ…っ…」
(…いつまで経っても…なれないな…)
ボサボサに伸び、脂ぎって濁った黒色の髪の毛、丈のあってないブカブカの薄汚れた着物、汚れて茶色くなった大きな羽織から見える痩せこけた手足と、浮いた肋骨。
その全てが少年の現状を悟るには雄弁過ぎる程、彼の姿は悲惨だった。
(…もう誰も…助けてくれない…当然か…)
はぁ…とため息をつき、ねちゃねちゃした残飯を再び口に入れる。
すると
「おい!何やってんだ!餓鬼が!」
と路地裏に男の怒声が響く、恐らく店主であろう恰幅のいい男が路地裏の入口に立っていた。
「俺んとこの残飯勝手に漁ってんじゃねぇよ!」
ずかずかと路地に入り、逃げ場のない少年を追い詰める。
「前も言ったよな!ここも俺の店だから金払えってよ!」
「…ど、どうせ、使わないんだから…」
少年が小声で反論しようとすると…
ドス!
「うぐぇぁ…!」
少年の腹に男の蹴りが飛んでくる。
「なんか言ったか!?糞餓鬼が!」
「おぇぇえ…!」
さっきまで食べていたぐちゃぐちゃな残飯が、更に混ざりあったであろう吐瀉物が口から飛び出す。
「使う使わないじゃなくて、ここも俺の店なんだから金払えっつってんだよ!」
と蹲る少年を踏みつけ、踏みにじる。
「どうせお前を助けてくれる奴なんて居ねぇんだからよ!さっさと居なくなればどうだ!?」
「ぅ……っ…ぁ…!」
少年の脆い体がミシミシと音を立て始め、呼吸も浅く、声を出す事も出来ない。
(…このまま…しんだら…楽なのかな…)
少年の脳内が、どんどんと無彩色に侵食され、色を失っていく。
こんな苦しい日々を何故生きていたんだろうか、何で生きたいと思っていたのか。
何も残せないのに、人の為になることなんて何も出来ない自分がここまで生きようとしていたのは、なぜだったのか。
その答えを探す暇もなく、じんわりと思考が霞んでいく。
(…眠い…な…)
そう感じながら目をつぶり、辺りに広がる闇を享受しようとした瞬間
「あー!!居たー!!」
空に輝く太陽のように明るく、暖かな女性の声が少年の意識を照らす。
さらさらとした綺麗な髪は背中の真ん中辺りまで伸び、外側が銀色のような光沢のある灰色、内側は空色に染まっているという不思議な髪色をしている。
その不思議な髪が風に吹かれると、まるで空を流れる雲の様にふわりと靡く。
「もー!探したよー!名前知らないけどー!」
と少し早足に、心配そうな声と表情で少年と男の元へ駆け寄る。
男は女性の方を向き、足から開放された少年は少しえづきながら、何とか体を起こす。
「何だ嬢ちゃん、こいつの代わりに金払ってくれるのか?」
「えー!やだ!ゴミに金払いたくないもん!」
キッパリと屈託の無い笑みで返す。
「じゃあ仕置きが終わるまで待ってろよ、こいつはもう七回もうちの屑箱漁って迷惑かけてんだからな、もう我慢出来ねぇ」
「七回も!?そりゃ最悪だ!」
「だろ!?だからよ…」
「そんなに長い事ここのゴミ放置されてるのー!?ダメだよー!お腹壊すよー!君〜…もっといいとこ探しなよ、こんな所じゃ無くてさ〜」
心配している顔で少年の顔を覗き込みながら、ワシワシと頭を撫でる。
「……!」
「?」
少年は、その女性の顔を見た瞬間に固まっていた。
凛としたどんぐり目の中に入っている、雲と青空が弾けて凝縮された様な複雑で広大さを感じる瞳に、少年の心は完全に吸い寄せられていた。
その目を見ているだけで、空を飛んでいる様な感じさえする程、美しい瞳。
「どしたの?ぼーっとして、話聞こか?」
とキョトンとした顔で首を傾けながら、変わらず頭を撫で続けている。
「おい、いい加減にしろよ、この女」
ふと聞こえたその声で、瞳の中の空を旅していた少年の意識が現実へと引き戻される。
上を見ると男の拳が掲げられ、目の前の女性に振り下ろされようとしている。
少年は咄嗟に動こうとするが、足に力が入らない。
「あ…!」
人生で一番大きな声を出そうと力を振り絞った時
ガシ、と誰かが男の腕を掴んで止めている。
「…すまない、白い方は俺の連れだ」
それなりの体格を誇る店主の全力を、それよりも小さな男が無造作に掴んだ片腕で止め、店主は少し戦慄しながら拳を下ろす。
「あ、
そう呼ばれた男が二人に近づき、呆れた様に女性の方を向き、ため息混じりに口を開く。
無造作に伸ばされた髪で右目が隠れ、二人を見下ろす左目は、気怠そうに垂れながら、射殺すように鋭く細い目をしている。
「
「んー、人助け」
「…はぁ…お前は面倒事しか生まないな…」
「…………ひ…より…」
少年は目の前にいる、女性今聞いたの名前を、無意識のうちに声に出していた。
「…ともかく、悪かった…金なら払うから見逃してやってくれ」
と行って、銭が入った袋を取り出し、男に渡す。
「…けっ、次はねぇぞ」
幾ら入っているかも確認せず、吐き捨てるような台詞と共に逃げる様に路地裏から出ていった。
「お金なんて渡さなくて良かったでしょ!?」
「黙れ、元はと言えばお前の失態だろ」
「失態じゃないですぅ!人助けですぅ!」
「………」
二人のやり取りを、少年は何も言わずに眺めている。
しばらく言い合った後、陽由の腹の虫が鳴り、取り敢えずお昼に行くという話になった。
「そいつはどうする?」
「………え?あ、僕は…もう行くので…気にしなくても…」
「連れていくよ、当たり前でしょ?」
「………………え?」
「君、何か食べたいものある?」
と再び少年に目線を合わせ、問答無用で陽由が尋ねてくる。
なんで見ず知らずの自分にそんな優しくしてくれるのか、裏があるんじゃないかという疑問が頭を過ぎるが、少しずつ好きな物が食べられる、という思考に塗り潰され、口から涎が溢れるのに気づき、ハッと急いで拭う。
「…じ、じゃあ…うどん…」
少し遠慮気味に、目を逸らしながら言う。
「うどん!いいねー!大盛り食べちゃお!」
そういった彼女が片手で少年を持ち上げ、落ちないようにしっかりとおぶる。
見た事ないほどに高い視点、優しく暖かな人の温もりと、爽やかなお日様の様な香りが、疲れきった少年の心を安らかにしていく。
「この辺りの藤家紋の家は…あっちか…」
仂斗がポツリと呟いた後、屋根に手をかけ飛び乗り、陽由は手すら使わず、たった一回の跳躍で屋根に飛び乗った。
「じゃ!ちょっと揺れるからしっかり捕まっててよ!」
その言葉を聞いた少年は目を瞑り、彼女を掴む腕に力が込めた瞬間
ビュゥン!
と顔面を強い風が叩き、辺りに風を薙ぐ様な音が鳴り続け、時折全身に空を飛ぶ様な浮遊感が全身を覆い、振り落とされない様に更に強く服を掴む。
「あ!見てみて!夕焼け!すっごく綺麗!」
陽由が大声で、楽しげに言う。
少年は、恐る恐る目を開けると…
「!!」
赤みがかった橙色の太陽が、少しだけ海に浸かり初めている、美しい夕焼けが目に映り、思わず目を奪われる。
今まで生きてきて、これ程までに綺麗な夕焼け…いやこんな綺麗な空は見た事が無かった。
「ね!綺麗でしょ!?」
「……うん…!」
「よーし!じゃあ!」
その言葉を聞いた陽由が、更に楽しげに身を膝を曲げ、少年の方を向いて語りかける。
「…もっと上から見てみよう!!」
「…………え?」
意味が分からないと言った風な間抜けな声が少年の口から漏れるがそれをかき消す様に、彼女の口元から不思議な音が聞こえる。
ヒュルルルルル…
空を飛ぶ鳥のような、吹き付ける風の様な、不思議で少し安らぐ様な呼吸音が彼女の口から発せられていた。
「…"
その瞬間、先程とは比べ物にならない程の速さで
「"
バヒュン!!
二人は空へと飛び出した。
「あっはは!ほら!さっきよりよく見えるよ!」
眼科に映る町並みと、海に沈む夕焼けは先程よりも美しく、少年は更に感動し、それ以上に人間の跳躍力では無い程の高さを飛んでいる事への驚きが少年の中で入り交じる。
だが、そんな感動や驚きもすぐに消え
ヒュォォォォォ…
「あ、わわわ、わぁぁぁ!!」
店主に腹を蹴られた時よりも死を感じる程の速度で二人は落下を始め、少年は涙を撒き散らしながら必死に陽由にしがみつく。
当の陽由は
「あっははははは!気持ちいいねぇー!」
満面の笑みでこの状況を楽しみながら少年の方を向き、近づく地面を見ていない。
(あ、死ぬ)
と少年の中で何かがプツンと切れたような音と共に陽由は、ズザザァ!と砂埃を上げながら、藤の花の家紋が描かれた家の前に、華麗に着地する。
「とうちゃーく!あー!楽しかったね!」
陽由が少年に語りかけるが、返事が無い。
恐る恐る陽由が振り向くと
「ぶくぶくぶく…」
少年は泡を吹き、気絶していた。
「何をやってるんだ…」
先に着いていた仂斗陽由の行動に呆れた様な表情で、門の前に立っている。
「あはは…ちょっとはしゃぎ過ぎちゃった…」
申し訳なさそうに頭を搔く陽由の姿を見て、仂斗はやれやれ、と更に呆れた表情を浮かべ、中に入る様に促す。
「取り敢えず入れ、湯を沸かしてもらっている所だ」
「やったー!ねぇねぇ!お風呂だって!」
「んぁ!?」
陽由も気絶した少年を起こし、夕焼けに染まる門の中を三人は潜る。
目覚めた少年はすぐさま、この日の夕焼けを忘れないようにと、門を潜るその瞬間まで、名残惜しそうに見つめていた。
これ冷静に考えたら別に物乞いじゃねぇな!?