「はーい、目閉じてねー」
ザバァ!
「綺麗になったね!じゃ一緒に湯船浸かろっか!」
少年は困惑していた。
(……何で一緒にお風呂入ってるんだろ…)
ーー時は少し遡り、三人が門を入った直後。
「お待ちしておりました」
中に入り、その大きな屋敷に感動する暇もなく、優しそうな老婆と、その孫であろう歳の若い女性が丁寧に出迎えてくれている。
「鎹鴉で既に事情は存じております
お風呂の準備は出来ておりますが、お食事の方はまだ少し掛かりますので、先にお風呂に入って、ゆっくりと疲れをお取り下さい」
そう言って、風呂場へと案内され、最初に一番汚れていた少年が風呂に入る事になったのだが、
「私も入りたい!」
と陽由も駄々を捏ねて、一緒に入る事となった。
本人は「弟が居たら、一緒にお風呂入るのが夢だった」と喜びながら、一応隠す場所は隠して、浴場へと入っていた。
ーー時は戻り、現在。
「…ごーぉ、ろーく、なーな…」
入浴剤で少し濁った丁度いい温度に調節された湯船の中で、二人はお互いが触れそうな距離で浸かっている。
陽由は腕を湯船から出して、浴槽の淵に置いて天を仰ぐ様に目を瞑って、気持ちよさそうに数を数えて湯船に浸かっている。
湯の中で足を組んでいるのか、膝が少しだけお湯から出て、数の進みに合わせて、ゆらゆらと小さく揺れている。
少年はその横でずっと顔を赤らめて、肩どころか鼻下まで全身湯船に浸かって、隣の陽由を何とか見ないようにとしているが、時折横目で見て、更に頬を赤らめている。
そんな状況で耐え忍んでいたが、少年は遂に我慢の限界を迎え、全身が浸かったままスィーっと動き、体制を変えずにこっそりと湯船から出ようとするが
「駄目だよー、ちゃんと肩まで浸かって百まで数えないと!」
「ぎゃぁ!」
凄まじい速さで後ろから捕えられ、密着したままズルズルと同じ場所へ戻される。
「は、離して…!」
「離しませーん、ほら、私と一緒に数えよ?今は…えーと…忘れたから最初から!」
「ええ!?」
「せーの!
いーち、にーぃ、さーん……」
「ぃ…ち……に、ぃぃ……さ…ん…」
先程背負われていた時は、少年の心に余裕が無い故に、その状況への意識は少なかったが、少し落ち着いた今の状態では、少年にとってこの状況は猛毒に他ならない。
ガッチリと捕まれ、逃げる事も出来ずに体が密着し、周りの温度も高い風呂場という環境で少年の頭は破裂寸前と化していたが、頭上から聞こえる数字が増えるのを無心で聞き続け、何とか耐え抜いていた。
「きゅうじゅうきゅー…」
そこまで数えると、ピタリと陽由の声が止まり、少年の耳元で、優しく囁く
「今日のご飯、楽しみだね」
吐息混じりの声と、生暖かい風が少年の耳を撫でる。
「〜!!」
その瞬間、抑えていたものの全てが全身を巡り、全て鼻から赤い血となって吹き出す。
ブシャァァァ!!
「え!?きゃぁあああ!!大丈夫!?だ、誰かー!誰か〜!!」
血だらけになった湯船に浮かぶ、少年の意識は、驚き叫ぶ陽由の声を最後に、再び闇へと消えていった。
「…ぅ…」
少年の周りをふかふかとした感触のものが覆い、額だけひんやりと濡れた感触が滴るように広がっている。
「あ…おはようございます、大丈夫ですか?」
横から声が聞こえ、その方を見ると先程出迎えてくれた若い女性が美しい姿勢で座り、団扇を仰いでくれていた。
「…おはよう…ございます」
少年は頭に着いていた濡れ布を手渡し、上半身だけを起こす。
「お風呂場で倒れたんですよ、入り過ぎて逆上せてしまったようで…
陽由様が裸で出てきた時は驚きました」
少年が倒れた後、陽由は彼を抱えたまま、助けを呼ぶ為に凄まじい速度で屋敷を走り回った。
その結果、屋敷中を水浸しにした事を仂斗に怒られ、濡れた場所の拭き掃除をしているらしい。
「もうじきそちらも終わると思います、お食事もそろそろ出来ますが、動けないのならこちらにお持ちしましょうか?」
「……」
何で、この人達はこんなにも優しくしてくれるんだろうり
何か考えているのだろうか、それともただの気まぐれなんだろうか。
これまで絶望しか味わって来なかった彼は、幸せと思いやりを純粋に享受する部分が欠け始めていた。
この街に来た時から…少年はずっと一人だった。
この街に来る前は…どうだったっけ…
……確か…普通に暮らしてて……いや、普通が分からない…
父親と母親がいる事が普通なのか…雨風しのげる場所で眠れるのが普通だったのか…
その二つが、昔の自分にはあったのか
………もう何も思い出せない…
そもそも自分の名前すらも忘れているのに、何を思い出せると言うんだろうか…
僕の名前、なんだったっけ…
確か何処かに書いてた、誰かから貰ったヒラヒラした大きなもの…
それも…なんだったか思い出せない…
「…"
「……!!?」
少年の頭の中で、何かが弾けた感触がした。
誰かが付けてくれた大事な自分の名前…
空っぽだった心の隙間が少しだけ埋まる様な気がする。
「…それ、僕の…名前?」
「…?羽織を洗った際に書かれていたのですが…違いますか?」
『京太郎は、本当に良い子だ、でも無理だけはしないでね』
「うぐ…!!」
少年の頭に激痛が走り、頭を抑えて蹲る。
「大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫…っ!」
…誰かの声が聞こえた。
優しく穏やかで暖かい、お日様の様な人の声。
最近、この声を聞いた気がする。
ガラ!
「終わりました!早くご飯を…!」
「…あ…」
「…よ」
「……よ?」
「良かっだぁぁぁ!!」
涙を流しながら、少年の前に膝をついて手を握る。
「ごめんねぇ!本当に!無理させてごめんねぇ!!」
「陽由様…病み上がりですので…」
「ひぐ……ぐす…生きてて…良かった…!死んだら…私のせいで死んだらってぇ…!」
「大袈裟…じゃない?」
「…大袈裟も何も無いよ!人が一人、私のせいで死にかけてるのにぃ…!
もうお腹も好かないくらいに心配したぁ!ごめんねぇ!」
ボロボロに泣きながら、陽由が少年へと抱きつく。
風呂場とは少し違う、布越しの暖かみが少年の全身を包む。
「ぁあ、あの…ちょっと…離れ…」
再び少年の顔が熱くなり始めたその時
…グゥゥゥゥギュルルルルルキュゥゥ…
部屋に爆音で腹の虫が鳴り響く。
「安心したら、お腹空いちゃった…」
「…お食事…こちらにお持ちしましょうか…」
「………お願いします…」
陽由は少し頬を赤らめ、顔を手で隠す。
「……」
(何で裸は大丈夫で、今のは恥ずかしがるんだ?)
まだ少し熱いボーッとした頭で、少年は陽由の不可思議な言動に、食事が届くまで頭をひねらせていた。
いやいつになったら戦うねん、そう思ってませんか?
同じ事を作者も思っていますよ。
別サイトに出してる作品も無駄に本題に入るのが遅いので、多分これは私の悪癖ですね、出さなくていい情報も出して無駄に間引きさせてしまうタイプの。