中央暦1640年 7月22日
-クワ・トイネ公国 公都クワ・トイネ-
昼間の残暑を残した熱気が夜風に乗りつつ、薄っすらと陽が弱くなる中。公都クワ・トイネの行灯は次々と灯りがともり、不夜城の様相を示していた。
居住区は少しずつ静かになっていくが、繁華街は逆に活気を帯びていく。
その繁華街の裏路地に隠れ家のような居酒屋が佇んでいた。
その居酒屋で一人飲んでいたのは、今年初めに軍中央部に栄転となったノウだった。
ノウはいつもならレストランか大衆酒場に行くのだが、今回はとある相手と待ち合わせするため、相手が指定した居酒屋で待つついでに飲んでいるのだ。
表の『CLOSE』を無視して人が入ってきた。ノウが待っていた相手がやってきた。
「お待たせしました。ノウ将軍」
「待ってないよヨナサン」
「マスター。果実酒を一つ」
「すまない。私にもエールを一つ」
「わかりました」
ヨナサンはマスターにいつもの果実酒を注文した。ついでに、ノウも空になった盃の代わりを注文した。
2人の杯が揃うと、最初に口を開いたのはノウだった。
「傭兵を手配してくれた件。感謝する。おかげで防衛騎士団を公都から
「それはよかった……所で、
「それは次の講和会議の結果と日本の動き次第だな。できれば実行したくない」
「やはりですか」
「いくら日本に嫌悪感を持っていても、我が軍より日本軍の方が強いんだ。いくら喚いても覆すことはできん」
ノウが軍中央に栄転した後、公都の光景に絶句した。
エジェイで日本に関連することと言えば、兵器や武器くらいのもので、それ以外の物は
建物も伝統的なレンガ造りや木石混在の物から、
日本による浸食……ノウの目にはそう写った。
栄転直後では知らなかったが、軍中央部では既に日本の装備を導入した部隊が慣熟訓練を実施している段階だと聞くではないかっ!!
ノウは軍中央にいる将官の中で、日本を怪訝に感じている将官を味方につけると、軍務局の現状を批判した。しかし、軍令を統括するハンキ将軍の言葉は冷たいものだった。
“日本の手助けがなくなれば、我々はロウリア軍に攻め滅ぼされるだけだ”
ノウはハンキの言葉に憤りを感じつつ、諦めきれなかったので政府上層部に直談判しに向かった。そして、ハンキ将軍の言葉より酷い現実を突きつけられた。
“日本のおかげで我々は黄金時代を迎えたんだぞ。なぜ関係を見直す必要があるんだ?”
議員や有力貴族の言葉に、もはや失望するしかなかった。
愛する祖国が日本によって骨抜きにされる現状にもはや穏便な手段では解決できないと考え始めた。
『憂国騎士団計画』……ノウの考えに賛同した軍の一部や、ファンブルトン商会のような事情通が手を組み、国家のあるべき姿を取り戻すための計画だ。
「ノウ将軍。軍の現状はどうなっていますか?」
「国境線に2万。各主要都市に合計1万。残りの2万は各地に散っている。公都に残っているのはハンキ将軍の部隊が1千……他に貴族の私兵が少しだ。ハンキ将軍の部隊に日本製の装備はないから、傭兵団5千でも十分対応できる」
「計画の発動はどのように致しますか?」
「実行に移すときは魔信を飛ばす。それまでは待機させておけ」
「わかりました」
「マスター。お会計っ!!」
「毎度ありっ!!」
ノウがマスターに勘定を渡すと、そのまま店を後にした。
二人はノウの気配が消えたことを確認すると、晩酌を始めた。
「上手くいっているようですな。ファンブルトン頭取」
「ええ。早ければ今月末。遅くとも来月頭には動くだろう」
「ノウ将軍の方は任せるとして、こっちの仕込みは準備万端です。何時でも行けます」
「まぁ待て、この計画の責任は全てノウ将軍に負ってもらわねばならない。逆に我々の逃げ支度はどうだ?」
「幾つかルートを準備してあります。一番安全なのは南西の森を抜けるルートがいいですな」
「森エルフの領域か。確かに逃げるなら確実だな」
2人が声が漏れないように話す最中、店の屋根にトンボのようなものが止まっていた。
夜の青暗さに溶けるように配色されており、夜目が利かない限り注意深く見なければ見つけることはできない。
何を隠そう。このトンボみたいなものは防衛省情報局のドローンの1つだ。以前出てきたドローンと違い、こちらは建物内の音波収集に用いられるものだ。
拾った音波はそのまま聞いても判らないため、付近で活動する職員が持参している解析装置に掛けられ、文章化される。
2人の話の内容を聞いていた職員たちは、特段驚くこともなく作業を続けていく。
「ハンドラー。クーデターを計画しているのは確実です。如何いたしますか?」
「クワ・トイネ内における我々の活動には限界がある。政府を通して警告を送ることしかできないな……」
防衛省情報局はクワ・トイネと軍事同盟を締結すると、いち早く情報収集用のセーフハウスを用意した。
大きな成果として『ファンブルトン商会はパ皇の諜報機関であり、ロウリアの侵攻に一枚噛んでいる』といったところである。また、ファンブルトン商会の頭取ヨナサン・ファンブルトン改めパストル・バトラーや役員の情報。さらに、傘下組織の規模も把握できた。しかし、その規模は情報局の予想を大きく上回っていた。
まず、ファンブルトン商会だけで末端を含めると3000人規模。傘下組織まで含めると優に1万を超えていたのだ。さらに、ここ一年追加の傭兵を雇用しており、最新の戦力がどれだけの規模になっているのか把握できなかった。
対して、防衛省情報局はクワ・トイネ内で活動している支局の人数は合わせて50人を超える程度だ。とても対抗できる規模ではない。
だが、諜報において『探っていることを相手に知られてはいけない』ということが途轍もなく重要なことになる。少なくとも、パ皇の諜報活動を日本は知っており、日本はパ皇に諜報活動を把握されていない。情報戦においてある程度有利である。
「上に警報を伝えてくる。そのままターゲットの監視を継続せよ」
「「「わかりました」」」
事態は少しずつ動き出した。しかし、情報局職員に
中央暦1640年 7月25日
-OCU日本国 霞ヶ関-
ロデニウス大陸で講和会議が開かれている中。日本では内閣が招集されていた。
口を開いたのは、あまり戦争と関係が少ない大臣だ。
「……今回の講和会談で合意できればいいが、どうだろうか」
「難しいでしょうな」
「停戦継続のために捕虜の返還や賠償金の前渡しをしてきますが、かといって講和条約条文すべてを受け入れる気配はありません」
「停戦から1年になる。ロウリア軍が再侵攻の可能性は捨てきれない」
「前線の動きはほぼ把握できています。クワ・トイネ軍を狙う奇襲でも問題なく対応可能です」
「軍の準備は整っていても、問題はそのあとか……軍はロウリアを降伏させる事は可能か?」
「前線の敵戦力を撃破し、ジン・ハークを包囲することはできます。しかし、そのあと敵が西に戦線を後退させた場合、追撃はできません。さらに、その可能性が高いと統合軍参謀部より戦闘レポートが届いています」
「そうか。講和会議が実らない限り、さらに戦争の長期化するか……」
「そうです。そして、軍の現状ではそれを阻止できません」
田澤の回答に枢木は明らかに不快そうな顔を作った。
「総理。お気持ちはわかりますが、これは致し方ないことなのです」
「致し方か……」
近未来軍である日防軍が中世の装備で固めるロウリア軍に戦争で勝てない。素人からすると“何故?”と言いたくなることであろう。しかし、我が国の軍隊は産業革命以降。燃料を多く使う軍隊へと変貌していった。
わかりやすいのは第2次大戦末期である。我が国はアメリカの通商破壊によって多くの貨物船や商船を喪失。さらに港湾には機雷が何万発も撒かれると、国内で原油タンカーがまともに入ってこれなくなった。
主力艦をはじめ海軍艦艇が多数生存していたが、燃料のない軍艦はただの浮き砲台でしかない。よって、戦後……特に、日米安保解消のあと、軍は備蓄を年々増やしていった。
転移前であれば原油タンカーが来ないという状況はほぼあり得なかった。しかし、転移によってそれが現実となってしまった。
ある程度戦争を想定して軍の備蓄はある。しかし、『海運が封鎖されても、3ヵ月以内に段階的に海運が回復していく』ことを想定している程度であり、転移後は想定を悪い意味で予想を上回った。
そこにクワ・トイネへの軍派遣である。ロデニウス大陸に2個師団規模の機械化・機動戦力を展開させ、さらに空軍の航空隊や海軍の哨戒任務まで実施している。
軍が現在備蓄している量は転移前の2割を切り、即応できない部隊の燃料はほぼほぼ枯渇と言っていいほどの水準まで落ち込んでいた。
国内の石油業界も政府や異なる産業界の叱咤や支援を受けて、クイラに大規模な石油コンビナートを造成している。しかし、そのコンビナートから出荷している原油の量は転移前の10%を少し超えるくらいだ。年末には15%まで回復するが、未だ足りないというのが現実である。
そのような現状で、いくら優先的にクワ・トイネ派遣軍に燃料が回ってきても、消費量は部隊規模に応じて多いのだ。
それだけの燃料でどの程度戦えるかというと、精々国境のロウリア軍を撃退し、燃費が比較的良好な装輪車両部隊によるジン・ハーク包囲が精一杯だった。それ以上は追加の燃料がない限りまともに動くことができない。
乾坤一擲の一撃は可能だ。しかし、失敗した場合かなりの期間。燃料不足で動くことができなくなる。
流石に成功率の低い博打に手を出してまで、政府も軍も能動的な作戦を立案・計画はできなかった。
内閣の面々はいったん解散した。各々自らの仕事を捌きつつ、講和会議が成功するのを祈ることとした。
日が落ちて2時間ほど経った頃。NSCのメンバーのみを招集し、講和会議の結果を待った。
会議室に入り、報告に訪れた外務省職員の言葉を静かに待った。
「総理。杉林特命大臣より報告がありました。残念ながら、講和条約は締結できなかったそうです」
「「「はぁ……」」」
職員の言葉に、枢木をはじめ参加者は一様に失望の念を表した。報告した外務省職員が申し訳なさそうにしているが、彼に何の責任もない。
「更に報告します。ロウリア側は更なる停戦期間延長を希望。クワ・トイネもロウリアの希望を受け入れ、停戦は延長されました」
「わかった。ありがとう」
当人は悪くないのに、よそよそしく外務省職員が退室した。
空気が悪くなった場で最初の言葉を放ったのは枢木だった。
「諸君。報告は我々の期待外れのものだったが、停戦は維持された。各位。得られた時間を有効に活用しよう」
「「「わかりました」」」
こうして、NSCは終了する……はずだった。それが、大慌てで入ってきた日防軍士官によって事態は一変した。
「総理。報告しますっ!! 国境付近で謎の爆発が発生。それに呼応してロウリア軍の一部が越境。クワ・トイネ軍陣地へ攻撃しているとのことですっ!!」
「「「何だとっ!?」」」
一同は日防軍士官に同じように反応した。そして、事態が悪い方向に動き出したことを思い知らされた。
解説はありません