"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
アイの引退ライブから一日が経った。
昨日のライブは、すごかった。
アイのライブはデビューライブ以来に観た。
一五年前のライブを観たきりだったから、なんか全然違った。
舞台も踊りも人数も、観客数も何もかもが全部が違った。
遠くからだったが、アイ自身もファンへと本当に愛を届けている様にも見え、それが見れて自分の中で一つ区切りが出来た気がする。
元々休みになっていたので、今日は色々と後処理を佐山さんをする予定。
朝から佐山さんと情報を整理。
俺から逃走するまでの、ストーカーの写真。
それを佐山さんは大量に撮ってくれていた。
犯人逃走後は、佐山さんは運転をしていたので写真や動画は撮っていない。
一人きりのドライブで動画を回して、道交法に抵触する可能性もゼロではないらしい。こちらが何か罪に問われるかもしれない可能性を、限りなく減らした結果だ。
佐山さんが追跡出来た限りでの逃走ルートやストーカーの特徴も纏めつつ、件の刑事さんに連絡。
また襲われたんで、内緒で捜査出来ないですかね?
かなり驚きながらも、一旦は所属している課で上申し、メディア等の露出を防ぐ形で捜査が可能か打診してくれる事になった。
後程情報を送る旨を伝え、電話を切る。
どうなるかは分からないが、とりあえず期待して待つしかない。
俺の家で佐山さんと今後の話をしていた。
主に仕事のスタンスについて。
「とりあえず、徐々にCMを減らしていきたいんだよね」
俺の言葉に、ダイニングテーブルを挟んだ対面に座る佐山さんの眉が動いた。
「……それは、アイさん関連?」
うわー、ばれてーら。
俺に対して凄まじい察知能力を発揮する佐山ブレインが炸裂した。
まあ、誤魔化しても仕方ないし、言うしかないか……。
「えーと……実は、アイと別れまして」
「ええっ、別れたんですかぁっ!」
コーヒーメーカーを操作して、焙煎してくれてる天使ちゃんから驚きの声が上がった。
機械向けていた顔を離して、俺の元へと駆け寄ってくる。
「なっ、なんで別れちゃったんですかっ?」
目を大きく開きながら、訊ねてくる。うむ、可愛らしくて何より。
「あー、なんて言うか……その、価値観の不一致的な?」
「……ホントですかぁ?」
俺の言葉に、半目で見つめてくる。
この子、いつジト目なんて覚えたの……?
じー、と音が出そうな目と表情は、明らかに俺を疑って仕方ないといった様相。
とりあえず、真相は話せないからぼかすしかないんだけども。
「まあ、お互いに将来の事を考えて別れましょって感じになったんだよ」
その説明に、佐山さんのため息が聴こえる。
天使ちゃんは……未だに俺をジト目で睨んでいた。
なにゆえ?
表情をそのままに、天使ちゃんが口を開く。
「カズヤさんですかぁ?」
何が?
「アイさんですかぁ?」
……もしや。
その瞬間、天使ちゃんの表情が変わった。
何かに気付いた。
その様な表情へと切り替わった。
「アイさんが原因なんですねぇ……」
笑みを浮かべて、そう言った。
その笑顔は正に天使――。
の、はずなんだが。
妙に粘り気のある声色が、気になった。
その瞬間、コーヒーメーカーから通知音が聴こえてくる。
それは焙煎が終わった事を伝える音。
「あっ、終わったみたいですねっ」
そう言って、天使ちゃんは軽い足取りでコーヒーメーカーへと向かった。
な、何だったんだ今のは……。
呆然と、天使ちゃんを見ている事しか出来なかった。
「それで、カズヤ君」
不意に佐山さんから声がかかり、そちらに顔を向ける。
そこには真剣な表情の佐山さん。
「CMを徐々に減らすのは、別にいいよ」
カズヤ君のしたい様にするから。
そう続けられた言葉に、軽く息吐く。
とりあえず、これで第一段階はクリアと。
「ただ」
そう言って佐山さんは言葉を続けた。
「最終的に、カズヤ君はどうするつもり?」
真剣な眼差しが、俺を捉える。
その言葉に、思わず黙り込んでしまった。
佐山さんは、俺の考えをどこまで把握しているんだろうか。
しばらく、無言の睨み合いが続く。
天使ちゃんは戸棚を目指して、俺の背後に来た。
睨み合う状態を維持しながら、俺は身体を少しだけ天使ちゃんに向ける。
「えーっと、コーヒーカップ、カップは――きゃっ」
悲鳴と共に倒れ込んできた天使ちゃんの肩をノールックキャッチ。
「はわっ、ごっ、ごめんなさいぃっ」
そう言って俺から離れた天使ちゃんから手を放す。
睨み合う俺と佐山さん。
どちらともなく、ため息を吐いた。
「……カズヤ君がどうしたいかは、聞かないよ」
柔和な表情に戻した佐山さんが話す。
「でも……うちの事務所から離れるのは、アイさんとまた付き合うよりも難しいと思うよ?」
……皮肉かい。
思わずそんな考えをしてしまう。
佐山さんは、間違いなく気付いている。
――アイとは二度と付き合う気がない事を。
故に、俺が二度とアイとは会わないという事を。
それを引き合いに出すという事は……事務所を辞めるのは不可能だと言っているのと同じ。
ため息を吐く。
まあ、それだけ愛されてるって事なんだろう。
すぐすぐは無理だとは思っていたが……これは相当厳しそうだ。
苦笑しながら、佐山さんに返す。
「そりゃあ、ありがたいね」
俺の言葉に、佐山さんが笑みを浮かべた。
佐山さんも根っからのそっち派って事ね……。
その事実に、思わず笑ってしまう。
ホント、愛されてんなあ俺。
そんな考えを思い浮かべる俺の肩が、とんとんと叩かれる。
つられて顔を向ければ、そこには天使ちゃんの姿。
「カズヤさん……辞めちゃうんですかっ……?」
そう言って浮かべるは、涙目。
瞳を潤ませて、俺を見つめてくる。
その姿は俺の罪悪感を駆り立てきた。
「……大丈夫、辞めないよ」
すぐにはね。
だが、心が痛む。
天使ちゃんに昨日のストーカーとの対面を話したら、号泣されて抱きつかれた。
何でそんな危ない事をしたんだ、と今まで見た事の無い剣幕で怒られた。
そんなやり取りを経ての涙目は、やはり俺のメンタルを多分に削ってくる。
「なら良かったですっ」
俺の言葉に、天使ちゃんはやっと笑顔を浮かべてくれた。
うーん、四面楚歌……。
とりあえず、徐々にやっていこう。
笑顔で俺から再び離れ、焙煎が完了したコーヒーメーカーでミルのボタンを押した彼女を見やってから、視線を佐山さんに移す。
「それで、CM減らしたらどんな感じになりそう?」
そう告げれば、佐山さんは腕を組んで軽く上を見上げる。
恐らく色々と、思考を巡らせてくれているんだろう。いつもすまんなあ。
やがて、顔を俺に戻した。
「その場合、スポンサーとの関係はある程度維持した方が良いから、ドラマや映画には引き続き出た方がいいだろうね」
彼の言葉に頷く。
まあ、やっぱそこら辺になるかあ。
「後は、そうだなあ」
多少悩み気味の佐山さんに、耳を傾ける。
どうしたんだろうか。
「カズヤ君は……舞台とかには興味あるかな?」
その質問に、目を瞬く。
舞台。
それは、考えた事が無かった。
だが、考えてみれば中々捨てがたい選択肢ではないだろうか。
テレビで放送する訳じゃないから、メディアの露出は減らせる。
そして稽古のスケジュールも加味すれば、更に他の仕事量も減らせる。
代替案としては、文句なしかもしれない。
「俺の演技力で大丈夫なら、やってみたいかな」
舞台で俺の演技が通用するのかは未知数。
ドラマや映画は、言ってしまえば編集ができ撮り直しが出来る。
だが舞台は本番一発勝負で、更には観客席に声を届けなくてはいけない。
何もかもが今までの、カメラへの演技とは異なるので、そこが心配だった。
しかし佐山さんは笑顔のまま。
「問題ないとは思うけどね」
そう言ってくれたので、とりあえずは一安心。
ミルの工程が終わり、天使ちゃんがドリップのボタンを押した音が聴こえる。
もうすぐコーヒーが出来るから、ここらで一休みかな。
佐山さんも同じ考えなのか、スマホを取り出して画面を見だした。
これから色々と考えていく事はある。
俺の仕事の事。
そして、アクアやルビーとの関係をどうするかなど。
アクアに関しては、連絡先は交換したが基本的にやり取りはしてない。
彼の方から特段連絡が来ないから。
ルビーについては、昨日今日でも連絡が来ている。
何せアイの引退ライブだったんだ、テンション爆上がりのライブレビューが届いた。
その後、アイが引退しちゃうって、テンション額下がりしてたが。
連絡は普通に返した。
彼女については、一旦やり取りをこのまま継続する事にした。
けれど、考えている期限はルビーが、アクアの正体が雨宮先生だと気付くまで。
そのタイミングを節目にしようかとは思っていた。
今は、すぐにはやめられない。
何故なら、それをすると彼女の精神が不安定になる可能性が高いから。
さりなという前世の人格が、俺という昔馴染みの存在によって保たれている。
俺がいきなり連絡を途絶えさせたら、彼女は、ルビーと初めて会った時の様な取り返しのつかない状態になってしまう恐れがあった。
でもアクアが雨宮先生だと分かれば、俺の存在は不要になる。
せんせが、彼女を支えてくれるから。
だから、そのタイミングがフェードアウトの時期として考えた。
「はいっ、カズヤさんっ」
その声と共に、視界の端から腕が伸びてくる。
天使ちゃんがコーヒーの入ったカップを目の前に置いてくれた。
「ありがと」
そう答えれば、笑顔を浮かべてくれた。
そのままテーブルを挟んだ佐山さんにもコーヒーを届けに行く彼女を見やり、思考を切り替える。
とにかく、なるようになるしかない。
だから今はただ、天使ちゃんお手製のコーヒーでも飲んで寛ぎますか。
天使ちゃんは俺の隣に座り、自分の目の前にもカップを置いた。
示し合わせた様に、全員がカップを手に取りコーヒーを飲む。
そんな、俺たちの日常がここにはあった。