"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」   作:あるミカンの上にアルミ缶

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第108話

 ――アクアのバカッ!

 

 その叫びが、いつまでも頭に残り続ける。

 これまでも妹とは何度か言い合いになった事はあった。

 けれど、ここまでの喧嘩は初めて。

 兄妹仲の危機、今が正にそうなのだろう。

 だが、ルビーに本当の事を告げる訳にはいかない。

 あの子には、仄暗い事など知らずに幸せになってもらいたいから。

 彼女の夢を反対して泣かせた俺にそれを言える資格はないが、それでも願ってしまう。

 健康で元気に明るく、幸せになって欲しい。

 それが俺が思う、家族としての愛だから。

 故に、ルビーが将来幸せになれるのなら、俺は彼女から嫌われても構わない。

 誰にもバレずに、俺たちの父親を追い詰めて、母さんや妹に迫る危険を排除する。

 彼女らの幸せに俺がいなくてもいい。

 それが、幼い頃から決めた俺の家族愛。

 だからこうして、嫌われる事も厭いはしない。

 妹がアイドルになって幸せになる為には、斉藤社長を恨ませる訳にはいかないから、こうしてすぐに真相を暴露した。

 そうすれば妹は、俺を恨んでくれる。

 俺を恨んで、社長への遺恨が無くなれば、将来的にはアイドルとして幸せになれるだろう。

 だから、これでいい。

 

 一人となったリビングで、僅かに嘆息する。

 妹の事を大切にしたい。

 けれどそれは、俺の中であまり褒められた内容じゃない想いもあった。

 俺はたまに、ルビーをさりなちゃんだと思ってしまう時がある。

 容姿も違く、そもそも彼女はとっくに死んでしまっている。

 なのに、ふとした拍子に、ルビーにさりなちゃんの面影を見てしまう時があった。

 アイの応援をしている時、カズヤ君と接している時。

 その時々の妹に、どうしてもさりなちゃんを見てしまう自分がいた。

 思い返すのは少し前に、カズヤ君に頼まれて妹を迎えに行った時。

 あの時はカフェの個室にカズヤ君とルビーがいて、そこに後から俺も混ざって、話をした。

 あれは、今までよりもはっきりと妹をさりなちゃんだと思ってしまった。

 気付けば俺の口調もまるで、前世の様な話し方になり、カフェの一室が、どうしても病室での三人の空気に包まれている様に感じた。

 それで、より強固になってしまったのだ。

 妹を、安全が確保出来るまでアイドルにしたくないと。

 さりなちゃんの様にも思える妹を、絶対に危険な目には合わせたくないと。

 だから、今みたいに嫌われるのも苦じゃない。

 それで彼女の事を護れるなら、いくらでも嫌われてやる。

 そして必ず父親を追い詰めて、必要ならば処理をする。

 妹の安全が確保出来てから、陰ながら全力で彼女のアイドル活動を推したいと思う。

 そう出来る様に、全てを尽くす。

 

 だが……。

 自室の扉が開けっ放しなんだろう。

 廊下の奥から微かに、涙を啜る音が聴こえる。

 そして嗚咽も。

 それを耳にする度に、どうしようもなく胸の奥に激しい痛みが走った。

 けれどこれは、必要な痛み。

 俺が我慢しなければいけない痛み。

 母さんを、妹を幸せにする為の痛みだから。

 だが、やはり自分に女々しい未練があるからなのか、気付けばルビーの部屋の前に来てしまっていた。

 無意識の行動に思わず苦笑してしまう。

 こんな体たらくじゃ、家族を守れない。

 だから、今すぐ静かに離れろ、俺。

 そう自分に言い聞かせて、やがて足を動かした。

 

 だが、すぐに止めてしまう。

 

 

 

 

「早くアイドルになってカズヤ君を通して――せんせに私の姿を見てもらいたかったのにッ!」

 

 

 

 

 ――えっ。

 

 心臓が酷く跳ねた様な感覚に陥った。

 彼女は、妹は今……何と言った?

 聞き間違いだろうか。

 心のどこかで、聴き間違いであって欲しいと思う自分がいた。

 けれど、心のどこかでは――聞き間違いではないと思いたい自分もいた。

 彼女は、ルビーは、妹は今、せんせと言っただろうか。

 そんな呼び方をする女の子は、俺の記憶の中には、一人しかいない。

 

 

「せんせは私がアイドルになったら推してくれるって言ったのにッ! なんでアイドルになれないのッ?」

 

 

 再び心臓が大きく鼓動する。

 間違い……ない。

 やはり。

 ルビーは。

 妹は。

 

 

 ――さりなちゃんだったんだね。

 

 

 胸中は大きな驚き。

 けれど、僅かな納得もあった。

 俺が今まで感じてきた妹への印象。

 どうしてもさりなちゃんに思えてしまう時の感覚が、ようやく理解出来たから。

 この子をさりなちゃんであって欲しいと思ってしまう時があった。

 けれど、本当は違ったんだ。

 この子はさりなちゃんかもしれない。

 それが心の底で思っていた、妹に対する本当の想い。

 故に、驚きつつも納得してしまったんだ。

 さりなちゃんの泣き声が、耳に届く。

 先程までと変わらない泣き声。

 

 なのに。

 何で、こんなにも気持ちが揺らいでしまうのか。

 何で、こんなにも俺が雨宮吾郎だと伝えたくなるのか。

 覚悟は、したはずなのに。

 ルビーに嫌われてもいいと。

 それで妹が幸せになるのなら、それでいいと。

 だが、妹の正体がさりなちゃんだと知って、情けないまでに、その覚悟が揺らいでしまう。

 知れてよかった。

 けれど、知りたくなかった事実。

 そんな思いが自分の中で止めどなく巡っていた。

 

「私は幸せになっちゃいけないのッ?」

 

 さりなちゃんの嘆きに、違うと叫びそうになる。

 けれど、口まで出かかったそれを、必死に抑えた。

 彼女が幸せになっちゃいけないなんて事は、絶対にありえない。

 前世であんなに幼い頃から苦しんだんだ。

 寧ろ幸せになるべきだろう。

 

「せんせが殺されたって知って、せんせみたいな大人になったカズヤ君をせんせの代替として見て、アイドルとしてもせんせの代替としてカズヤ君に応援してもらおうとした私が悪い女だからッ?」

 

 彼女の叫びに、心に痛みが走る。

 さりなちゃんは、俺が殺された事を知っていた……。

 それが彼女を苦しめる一因になっていたなんて、知らなかった。

 俺は殺されたので、俺が悪いわけじゃないのかもしれない。

 けれど、彼女を苦しめる要因が俺である事に、どうしても罪悪感が湧いてしまう。

 そしてカズヤ君との関係についても理解する。

 さりなちゃんは、カズヤ君を俺の代替として見ていた。

 けど。

 不意に反対の考えも浮かぶ。

 彼女はカズヤ君を本当に、俺の代替としてだけで見ていたのか?

 カズヤ君を完全に俺というフィルターで隠して接していたのか?

 思い浮かぶは、やはりカフェでの光景。

 さりなちゃんは、アクアが雨宮吾郎だとは気付いていない。

 ならば、あそこで見た光景は、雨宮吾郎がいない状態で繰り広げられた光景。

 彼女のカズヤ君に対する態度は、明らかに前世で雨宮吾郎へ行っていた態度ではなかった。

 不意に、カズヤ君から言われた言葉を思い出した。

 分からないが、もしかしたらそういう事なのかもしれない。

 

「……私は、やっぱり幸せになるべきじゃないんだ」

 

 不意に、さりなちゃんが纏う空気が変わった様に思えた。

 未だに背を向けて嗚咽が聴こえるが、何か雰囲気に変化があった様に感じる。

 

「……こんな酷い女が、アイドルになれる訳がなかったんだ」

 

 先程までの叫びが鳴りを潜め、呟く様に変わった彼女の言葉に、何故か心臓が痛んでくる。

 それは悲しみというよりも、まるで何か不吉な事が起こるかもしれないという根拠の無い予感。

 

「家族にも酷い態度をとっちゃう悪いさりななんて、愛されるはずがないよね」

 

 心臓の鼓動が、意味も無く速さを増していく。

 

「……ならやっぱり、さりなはいない方がいいのかもね」

 

 早く声をかけろッ、俺の中で誰かが叫んだ。

 けれど、口は開いてくれない。

 彼女は腕を上げて、手に持っていた何かを見上げる。

 ……それは。

 

 

 

 

「今まで楽しかったなぁ、カズヤ君……せんせぇ」

 

 

 

 

 自分の頬を、思い切り殴った。

 それで、無意味に固まっていた身体が、思う様に動きだす。

 これでいい。

 

 

 俺は前世と変わらず、どうしてもさりなちゃんを甘やかしてしまうみたいだ……。

 

 

 

 

「――さりなちゃん」

 

 

 

 

 前世の死に際に俺にくれたのと同じ、アイのキーホルダーを眺める少女に声をかけた。

 

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