"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
天使ちゃんお手製の晩飯を平らげ、併せて淹れてくれたコーヒーを堪能すれば、今日の残る用事は後一つだけとなった。
俺と同じく天使ちゃんも対面でコーヒーを飲んでいる。
互いにほっと一息吐いたところで、話しかけた。
「そういや話あるんだっけ?」
その言葉に彼女はハッとした様に軽く肩を震わせる。
「あっ、そっ、そうでしたっ」
思い出した様に声を上げて、慌ててスマホを取り出した。
「一緒に決めたいと思ってましてっ」
これですっ、そう言って画面をこちらに見せてきた。
そこに映るのは、パッと見た感じ部屋の間取りっぽい画像。
「……これは?」
この画像を見せた意図が分からずに訊けば、天使ちゃんは笑顔を浮かべた。
「はいっ、私たちの新居ですっ」
…………へっ?
彼女の言葉を理解するのに、少し時間がかかった。
私たちの、新居。
誰と誰の事なのか。
天使ちゃんと……俺?
それを理解しても「あー、そういう事ね」と納得の声が上げられなかった。
ただただ疑問だけが浮かぶ。
だって、記憶になかったから。
天使ちゃんと同棲するっていう話、した事あったっけ……?
その記憶を必死に呼び起こすが、脳内で該当する思い出は一つもなかった。
故に、分からん。
「えっとー、天使ちゃんと一緒に住むとかって、前に話してたりしてたっけ……?」
だから、恐る恐る訊ねた。
いや、別に彼女との同棲が嫌な訳じゃない。
現時点で隣の部屋からご飯を作ってきてくれて一緒に食べたりと、半ば同棲している様なもんだから。
けれど、同棲しようとか一緒に住みたいという話をした事もされた事もなかったから、とにかくそこが気になった。
俺の言葉に天使ちゃんは僅かに首を傾げて、やがて「はっ、はわっ、そうでしたぁっ」と声を上げる。
「佐山さんから引っ越しに関してカズヤさんと相談しておいてって言われたのを、伝えるの忘れてましたぁっ」
彼女の慌てふためいた言葉に、ようやく納得。
佐山さんからという前情報無しに二人の新居と言ったニュアンスをようやく把握したのか、顔を真っ赤にして縮こまってしまった天使ちゃんを見ながら、僅かにため息を吐く。
まあ、天使ちゃんだから仕方ない。
そして佐山さんからは確かに、たまに引っ越しの話をされていたので、その点でも理解が一致したから。
俺は別にこのままここに住んでても何ら困る事はなかったが、前々からセキュリティとか秘匿性とか総合的に考えて引っ越しをした方が良いと言われ続けていた。
別にここも事務所の社員しか住んでないし秘匿性はかなり高いと思ったが、オートロックや管理人が常駐してないマンションにセキュリティ性は皆無という事らしい。
今までは引っ越しがめんどくさいのもあってのらりくらりと躱していたが、ここにきてようやく佐山さんも本腰を入れたという事だろう。
天使ちゃんを使って、俺に引っ越しを迫ってくるとは……。
俺が彼女の涙目には弱いという事を知っての狼藉に違いない。
流石は佐山さん、俺の性格をしっかりと把握している。
改めて、ため息を一つ吐いた。
……もう、ここら辺が潮時かなあ。
そんな事を思ってしまったから。
確かにもうすぐ三十歳にもなる訳だし、ある意味家族である社員の人たちと一緒に暮らしているこの実家暮らしから、そろそろ脱却しなければいけないのかもしれない。
そしてセキュリティとかその辺りもしっかりとした所で、自分の事は自分で守るという自立も大切なのかもしれない。
今までは佐山さんや事務所の皆におんぶにだっこで、その辺りは任せきりだったという自覚もある。
だからこそ、佐山さんはこうして違う手段を取ってきたのかもしれない。
かなり有名になってしまった今、自分の一挙手一投足が世間に注目されているんだぞ、という事を自覚させる為にも。
目の前で未だに顔を真っ赤にしている天使ちゃんを見やる。
自分の発言がまるで、自身が同棲したいみたいな言い方になってしまったからだろう。
そんな姿を見ながら僅かに考える。
天使ちゃんには……もう少し甘えさせてもらおうかなあ。
彼女の料理はここ十年近くで、すっかりと俺の身体に馴染んでしまったから正直、すぐに脱天使ちゃんが行えないであろう事は自覚している。
故に、可能ならば天使ちゃんとのこの生活を続けていければいいなという思いもあった。
だから引っ越し先でも、天使ちゃんが隣に住んでくれればありがたい。
けれど、それで彼女が本来掴めるはずだった幸せを逃してしまうのなら、本望ではない。
天使ちゃんとこの生活を続けたいという思い以上に、俺は彼女には幸せになってもらいたいから。
だからまずは、それをハッキリとさせたい。
「天使ちゃん」
目の前で縮こまっている女性に声をかける。
「はっ、はいっ!」
俺の言葉に、天使ちゃんは大袈裟なまでに肩を震わせて、こちらに目を合わせてきた。
「天使ちゃんは、俺とこうして生活するのは幸せ? それとも、何か俺と関わる以外に幸せだと思える事はある?」
そう問い掛け、僅かに罪悪感が湧く。
彼女に対して今、声の力を使った。
無論、何か思考を誘導させるためじゃない。
天使ちゃんの本音を知りたかったから。
俺が彼女に甘えてしまっているせいで、もしかしたら本当の幸せが今まで掴めていなかったかもしれないから。
だから、ハッキリさせたい。
自己満足? ああ、そうさ。
彼女がもし俺といること以外に幸せだと思えるものがあるんだとしたら、俺はそれを叶えてやりたい。
天使ちゃんが日々、口癖の様に言う"カズヤさんのお世話をするのが私の幸せですからっ"という内容以上に、何か自分の中でひた隠しにしている別の幸せがあるんだとしたら……俺は、声の力を使ってでも彼女を俺から解放させてあげたい。
俺はクズだから、クズなりのやり方で愛している人を幸せにしてあげる事しか、出来ないから。
「ふぇっ? わっ、私の幸せ、ですかぁ……?」
俺の言葉に、天使ちゃんは驚いた声を上げて呟く。
長年、目を背けてきてしまった真実。
もしかしたら彼女を俺に縛り続けてしまったんじゃないかという負い目。
全ての自己満足を、こうして自己満足で解消しようとしている。
自分がクズだからと言い訳をして、クズな自分を肯定しながら。
けれど、そんな最低な俺だけど。
もし、彼女が、俺といる事が一番の幸せだと望むのならば――。
しばし考え込む様に、僅かに俯きながら眉間に皺を寄せる天使ちゃん。
やがてその顔を、こちらに向ける。
「……ごめんなさい。カズヤさんの望んだ答えにならないかもしれませんが」
そう枕詞を述べ、彼女は本心を口にした。
「こうして何気無い日常で、笑顔のカズヤさんを見られるのが、私にとってかけがえのない幸せなんです」
彼女の笑顔を、ただ見つめる。
天使ちゃんらしい、けれどいつもとは少し違う言葉。
だからだろうか……。
「……何で、そこまで俺の事を」
気付けばそんな事を口にしていた。
言うつもりはなかった。
けれど、罪悪感からだろうか。
何故か聞いてしまった。
俺の言葉に、彼女は笑顔のままで首を傾げる。
「なんで、ですかぁ? 私にも、よく分かりませんっ」
天使ちゃんが明るい表情と声で言った言葉に、胸に激しい痛みが走る。
理由が分からない愛情。
まさかそれは、俺の声の力が原因で……彼女に植え付けてしまった感情じゃないか。
そう、思ってしまった。
俺の心境など知るはずもなく、天使ちゃんが言葉を続ける。
「あの日、病室で初めてカズヤさんとお会いして、お話をして……そうしている内に、気付けばそう思っていたんです」
彼女の言葉は、俺の中に再び激しい罪悪感をもたらす。
それも、先程までの比ではない程に重いものとして。
やはり俺が――天使ちゃんを縛り付けてしまっていた。
そう、思えたから。
「最初は、知ってる格好良い俳優さんだなぁって思ってました。でも、カズヤさんのお世話をさせて頂いている内に……思っちゃったんです」
やっぱり、間違いなく俺の声の影響を受けている。それがハッキリとした。
俺が、彼女の幸せを阻害していたのか……。
その事実に、どう償えば良いのかが分からず、ただ彼女を見る事しか出来ない。
きっとこれから、彼女の口から出る言葉は……愛してるという、植え付けられた言葉。
明確な理由がなく、俺に影響されてしまった、偽りの感情の吐露。
それがきっと、俺への罰の様に、彼女の口から放たれるんだろう。
天使ちゃんは微かに笑みを携えて、俺へと口を開いた。
「この人は――なんて、寂しい人なんだろうなって」
「――えっ?」