"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
今日も今日とて仕事である。
何てことない、CM撮影。
いつものスポンサーにいつもの監督。
幾年月も変わらない面々でお送りしていた。
だが、幾分かこの現場にリラックスしている自分がいた。
何故ならば、昨日は二か月程続いた舞台の千秋楽で、その主演を務めていたから。
舞台はこれまで何度か経験させて貰っているが、毎度緊張する。
リテイク無しの本番一発勝負。
こればかりは、何回やっても慣れなかった。
だからこそこうしてCM撮影に挑むと、帰ってきたという感覚が強く、とても空気が美味く感じる。
やはり俺のホームはここなのだと痛感させられた。
アイとは変わらずメッセージのやり取りをしている。
アクアからは先日進路相談の連絡があったきりだが、それでも偶に連絡を取り合う。
ルビーとは変わらずメッセージのやり取りをしている。相変わらず勉強は大変そうだが。
そして家で天使ちゃんの馳走を食らう。
特に緊張感が無い、こんな生活が素晴らしい。
「やあ、カズヤ君。今日もよろしくね」
そう声を掛けてくるのは監督。
彼の言葉のニュアンスは、すぐに察知出来た。
「昨日ぶりっすね」
こう返せば、監督は苦笑を浮かべた。
昨日まで演出家として舞台に関わっており、こうして今日はCM撮影の監督。
俺とほぼ同じスケジュールをこなす彼のタフさには脱帽である。
「まあ暫くは舞台も無いし、だいぶ気が楽なんじゃない?」
その言葉に頷きを返す。
あの緊張感を暫く味合わなくて済むと思うと、監督の言う通りすげー気が楽だった。
舞台は別段嫌いでは無いが、本番の緊張感を鑑みれば年に一回、いやオリンピックに合わせてでのキャスティングでも問題は無い。
連続で公演し続ける舞台役者は本当に、心の底から尊敬できる。
俺にゃ無理だ。
「あ、そういえば」
不意に、何かを思い出した様に監督が声を上げる。
何じゃろなと思いつつも顔を向けていれば、その口は続けてくれた。
「そういや面白い情報があってさ」
「面白い情報?」
彼の言葉にオウム返しをすれば、笑顔だった監督の表情が僅かに崩れる。
「あっ、いや、面白いっちゃあ面白いんだけど……まあ、興味ある情報って感じかな?」
何やら言葉を過剰に濁す彼に、ただただ首を傾げるしかない。
滅多に見ない監督のそんな態度に、どんな内容なのか皆目見当もつかなかった。
僅かに言い淀み、遂に口を開く。
「……"今日あま"が今度、実写ドラマ化するんだって」
「なん……だとっ……?」
全く意図せず、ギャグの様なリアクションが出た。
目の前で監督が、嘆息したのが見える。
「……つい言っちゃったけど、やっぱ言わない方が良かったかなあ……」
独り言の様に呟かれた言葉を耳に入れつつも、思考は別の方に回っていく。
今日あま――今日は甘口で。
それは、俺がハマりにハマった漫画のタイトル。
そして数年前、それが要因で引き起こされた"カズヤの乱"の原因。
否、あれは"今日あま"が原因では無く、単純に俺が原因だが。
今日は甘口で。
あの作品がまた、ドラマ化するというのだ。
これが驚かずして、何に驚けばいいというのか。
「……キャストとかってどんな感じなんすかね?」
そう訊ねれば、監督の額から汗が一筋流れ落ちるのが見えた。
「鏑木くんから聞いた話だと、どうやら新進気鋭なメンバーで揃えたみたいだね」
とりあえず、監督を見続ける。
「……まあ、フレッシュな面々で若い視聴者層を取り込む狙いみたいだし」
監督の額から、もう一筋の汗が流れた。
「そ、それに、ほらっ、結構期待できそうな人も何人かいるみたいだよっ?」
俺はまだ何も言ってない。
「…………今回は俺たちで何も出来ないから、許して欲しいなあって」
その言葉に、ため息を吐く。
監督の身体が大きく震えたが、特段気にしない。
「……いえ、別にどうこうしようとは考えてないっすよ?」
「そっ、そうかい?」
なら良かったよ……。そう安堵の息を吐く監督に、再びため息を吐く。
全く、俺を何だと思ってるんだ。
あの時の俺は、そう。
若気の至り。若さ故の過ちってやつだった。
何でもかんでも気に入らないものをぶっ壊す狂人じゃねーぞ。
「ただどんな感じなのかなーって思ったんで聞いただけっす」
そう答えれば、再び安堵の息を吐かれた。解せぬ。
「まあ、そういう事ならネットで書かれている内容も、気にしなくて大丈夫そうだね……」
気を持ち直した様に放った監督の言葉に、思わず首を傾げる。
ネットで書かれている事?
それが全く分からなかった。
「これだよ、カズヤ君」
不意に横から現れたスマホ。
その声は、後ろに控えていた佐山さんだった。
目の前に翳された画面を見つめる。
どうやらSNSらしい。
『今日は甘口でがドラマ化! こりゃ見るしかない!』
『今日あまのドラマ化……うっ、頭が!』
『カ、カズヤの乱の再来か……!』
『お兄様ッ……今回だけは、どうかその怒りをお沈めに……!』
『うおおおお! 負けるな! 今回は絶対に負けるんじゃねーぞ制作陣!』
何たる阿鼻叫喚。
それは正しく、数年前のあの出来事を彷彿とさせた。
画面に映る投稿を見て、思わず抱く感想。
……なんてこったい。
あの時のやらかしがまさか、こんなにも年月が経ってから影響するなんて。
思わず頭を抱えそうになる。
「まあ、それくらい前回は影響があったって事かもね」
画面から目線をずらせば、苦笑する監督の姿。
「今、SNSのトレンドの一つがこんな感じみたいだよ」
とは佐山さんの言。
自分の影響力、否、今日あまの影響力の大きさに只々絶句するしかなかった。
改めて思う、とんでもない事をしたと。
けれど、こんな事になった反省はあるが、あの時の行動に後悔は無い。
何故ならば、俺が後悔してしまえば、あの時に頑張ってくれた監督や製作スタッフ、アイやかなちゃんを始めとする出演スタッフ、そして何よりも今日あまを取り止めて代わりの脚本まで手掛けてくれた原作者――吉祥寺先生に申し訳が立たない。
いや、侮辱すらしてしまう行為となる。
だから絶対に、後悔だけはしない。
今までも、そしてこれからも。
そして監督に伝えた通り、今回制作される今日あまのドラマに関しても、何らちょっかいを掛ける事は無い。
あれは、俺が関わった事による悪夢だから。
俺が関わらないのであれば、そこに悪夢を起こしてはいけない。
自己満足の範囲を逸脱してはいけないのだ。
まあ、あれが明らかに自己満足を逸脱していると言われりゃそれまでなんだが……。
とにかく、俺が潰えさせてしまった"今日あま"のドラマ化。
それを再び吉祥寺先生が許可を出したのなら、俺はそれをただ見るだけ。
誰にも伝えてはいけない、原作のファンとして楽しむだけだ。
「とりあえず、主演は有馬かなちゃんだから、最低限は何とかなると思うしね」
そう告げた監督の言葉に、意識が現実に戻る。
「かなちゃんが主演なんすね」
確かに、かなちゃんの演技力ならば主人公は何ら問題無いだろう。
「以前、幼少期を演じた彼女が、成長した主人公の姿を演じる……偶然とは言え、すごい因果を感じるね」
その言葉に、思わず考え込む。
確かに、何の因果か同じ人物を、実質違う作品で演じる事になってしまったかなちゃん。
幼少期の演技、そして今度はその人物が成長した姿の演技。
それぞれの演技の違いを見るのも楽しみだ。
それにかなちゃんを見るのは、"カズヤの乱"以来。
かなちゃん自身もどう成長したのか、中学に上がって少ししてから連絡が来なくなった彼女の姿を見るのもまた楽しみだった。
「どうなるかお楽しみってとこすかね」
「ま、そうだね」
監督と苦笑を合わせ、互いに撮影へと向かった。
今日も今日とて仕事を終えて、無事帰宅。
本日は珍しく夜から仕事が入っておらず、日が暮れた頃には家に帰れた。
俺の家はもう、かの社宅ではなくなった。
天使ちゃんや佐山さんと決めた高級マンション。
ワンフロアを完全にぶち抜いた、五LDK。
開放感のあるリビングに、広々としたバスルーム。
それぞれの部屋もかなりの広さがあり、全てにおいてゆとりを感じる造りとなっていた。
最上階に位置するこの部屋は、エレベーターに専用のカードキーを翳す事で上れる仕様。
エントランスには二四時間体制でコンシェルジュがおり、訪問者が居る際はそのコンシェルジュを通さなければこちらに連絡も来ない。
正に至れり尽くせり。
実にブルジョワ仕様である。
何畳あるか分からんリビングに、ぽつんと置かれているテーブルを囲む椅子に座る。
卓上にはカップに入ったコーヒーとスマホ。
スマホを手に取り、ロックを解除してアプリを起動していく。
一度、深呼吸。
そして、画面に表示されているボタンをタップした。
それは動画の再生ボタン。
さて、どんな出来になっているのか……。
そんな事を考えていると、ロードが完了し映像が流れ始める。
今世で初めて視聴する事になる、ドラマ。
"今日は甘口で"の第一話が、いよいよ始まったのだった。