"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
「偏差値七〇!? なんで偏差値四〇のウチ受けたの!?」
そんな言葉に「校風に惹かれまして……」と返せば、驚かれたのが記憶に新しい。
面接を終えて、校内でルビーと合流。
「どうだった?」
そう訊ねれば、明るめの表情で妹が返す。
「多分平気……おにいちゃんは?」
その言葉に僅かに逡巡し、改めて口を開く。
「問題ない」
しかし、思う所がありルビーへと伝える。
「万一弾かれるとしたら名前のせいだろうな」
懸念事項を伝えると、妹が楽しそうに笑った。
否、笑われた。
「確かに、本名アクアマリンだもんね!」
これで落とされた日には本当に解せない。
けれども、
嫌うにも嫌えないそのもどかしさを、ただ自分の中に溜め込むしか出来なかった。
「普段、皆めんどくさがってアクアって呼ぶけど」
そう続ける妹に、内心で頷く。
めんどくさい、確かにそうだ。
アクアマリンなんて長いし、ならば省略してアクアと呼びたくなるだろう。
現に目の前の妹や、母さんですらそうだ。
そして何より、俺自身が基本的に自己紹介でアクアとだけ名乗る事が多いので、俺の本名をアクアだと思っている人も多いだろう。
そういえばカズヤ君にもアクアとしか名乗ってないから、彼もまた俺の本名がアクアだと誤認してしまっているかもしれない。
ルビーからの言葉にそんな詮無き事を考えていると、背後から声が聴こえる。
「……アクアマリン」
その声に思わず振り返れば、もう一度声が聴こえる。
「アクア」
その声の主はこちらに背を向けており、顔は見えない。
だが、女性だと分かった。
肩口までの赤い髪に帽子を被っている、この学校と制服と思しき装いの少女。
その人物が、こちらへと振り返る。
俺に正対したその姿。
髪色と同じ深紅の双眸。
体躯は、妹よりも小さい事が伺えた。
可愛らしいとも思える相貌は、どこか俺に既視感を齎せた。
そんな彼女が、口を開く。
「星野アクア!?」
その言葉と共に数歩、こちらに歩み寄ってきた。
「アクア、アクアっ! あなた星野アクア!?」
続け様に捲し立てられる言葉に若干引きつつも、そんな彼女を見ながら口を開く。
「誰だっけ……」
謎の既視感はあれど、記憶に無いに等しい人物に、つい本音を告げてしまう。
だが脳内で検索しても、やはり一切該当しなかった。
そんな中、横から妹の声が聴こえる。
「あっ」
何かを思い出した様な声に、そちらを向く。
ルビーが続けて口を開いた。
「あれじゃない?」
そこから僅かに逡巡した様な表情。
やがて、静かに唇が動く。
「――重曹を舐める天才子役」
「十秒で泣ける天才子役ッ!」
妹の言葉に、自身を指さしながら目の前の少女が即座に返した。
そのまま、言葉を続ける。
「映画で共演した有馬かなッ!」
怒鳴る様に放たれた自己紹介に、漸く脳内のデータベースから該当者が現れた。
「あー、久しぶり……」
けれども出たのは、そんな気の無い返事。
彼女に対して、同じ熱量で反応出来るだけの材料が俺には無かった。
ここの芸能科だったのか、なんて言葉を繋げれば、不意に彼女が動く。
更にこちらへと数歩近付き、軽く両肩を掴まれた。
「良かった……」
その言葉は、まるで何かを噛みしめる様で。
「ずっと、やめちゃったのかと……」
その言葉は、まるで何かを悲しむ様で。
「やっと会えた……」
その言葉は、まるで何かを安堵する様だった。
けれど、彼女の言葉に返す何かは、俺には無かった。
というか、本当にぽつぽつとではあるが、ドラマとかにはずっと出ていたんだが……。
まあ、ほぼ無名という点では、彼女が俺を観ていないというのは正しいだろう。
有馬かな。
彼女との共演は、一度きり。
正直、当時の印象としては俺も大人げなかったが、余り良い物では無かった。
何せ
今から思えば所詮は子供の戯言。大人な俺は只々スルーすれば良かった。
そして何より、彼女があんな態度でこちらに向かってきたのは、元を返せば妹のせい。
母さんと一緒に居られずオギャバブ出来ない事に泣き喚き、駄々を捏ねていた事がそもそもの原因。
傍から見て、その現場としてどちらが悪いかと言えば、当然こちらだろう。
有馬かなの言い方も良くないとは思わなくも無いが、それでも妹の癇癪が無ければ起きなかった問題に違いない。
故に改めて振り返り、こちらが悪いのだと思い至った。
不意に、有馬かなが俺から離れる。
しかしその顔は、こちらに固定されていた。
「入るの!?」
その言葉に主語は無く、何に対してなのかは判断出来ない。
だが、続け様に言われた言葉で納得する。
「うちの芸能科!? 入るの!?」
芸能科に入るのか。
それは妹に対しての質問であれば、イエス。
だが有馬かなの顔は、俺に固定されていた。
ならば、俺に対する問い掛けなんだろう。
「いや……一般科受けた」
「なんでよッ!」
芸人顔負けのツッコミが、空しく廊下へと響き渡った。
妹が芸能科を受けて心配だからこの学校を選んだと伝えれば、女の子としてあるまじき表情で叫び声を上げられる。
そんな彼女に、妹が声を掛ける。
「ウチの兄、シスコンなの」
言い過ぎだろ。
「きっもッ!」
言い過ぎ、だろ。
そのまま、ルビーがこちらに話しかけてくる。
「私、この人昔から好きじゃないのよね」
「聞こえてんぞ」
ルビーの言葉に「でも受かったら後輩になるんだぞ」と返す最中に、有馬かなからの言葉が届く。
俺の言葉を受け入れたからか、妹は幾分か困った様な表情を浮かべて有馬かなへと身体を向けた。
妹のため息が響く。
「仕方ないなぁ、仲良くしましょロリ先輩」
「イビるぞマジでッ!」
そんな光景を眺めつつ、これからやる事を思い浮かべる。
ここに居ても、これ以上意味は無かった。
「じゃあ俺、監督の所に寄るから」
そう伝えれば「うん。じゃあね」というルビーの簡素な返事。
踵を返し歩き出そうとすれば、不意に後ろから声が掛かる。
「ちょっと!」
その声を無視して歩き出す。
俺の足音の他に、追随する別の足音が無くならない。
それは誰か、見ずとも判断出来た。
時折声を掛けられながらも、無視して校舎から出る。
内心の嘆息が止まらない。
「ねえって!」
帰り道を歩き続けていたが、いい加減その声に鬱陶しさを感じ始めた。
「どこ行くの! 監督って誰の事!?」
只々、歩き続ける。
「今、どのへん住んでるの!?」
只々……歩き続ける。
「あんたドコ中!?」
「ヤンキー女子?」
つい、足を止めてしまった。
何度目かの嘆息。
そして振り返った。
「いつまで付いてくるんだよ」
問い掛けたのは、ずっと思っていた事。
それに対して、有馬かなの表情は変わらない。
「私の疑問に全部、答えるまでッ!」
必死、そう感じさせる表情のままで俺に答える。
「まだ役者やってるんだよね!」
その言葉に、ふと考えさせられる。
まだ役者をやっているのか。
それは果たして、どの様な定義での問い掛けなんだろうか。
もっと売れる様に役者としての仕事をしている?
もっと色んな作品に出られる様に演技を磨いている?
はたまた、継続して役者としての仕事で出演しているのか。
どの定義に当て嵌めても、俺の答えは――否。
全ては、父親を捜す為。
最初に出ていた頃は、もしかしたらそんな気持ちもどこか芽生えていたのかもしれない。
だが、B小町最初のドームライブ以来。
そこからは、俺が役者をする理由は全て、家族の不幸を無くす事に注がれている。
故に、否。
……しかし。
頭の中に浮かぶのは、カズヤ君の姿。
彼から紹介されて、細々とではあるが役者としての仕事を続けてきたのもまた事実。
――もう役者はやっていない。
そう答えるのは簡単だった。
けれど、カズヤ君の姿を思い出し、それを即答出来ない自分がいた。
もう役者はやっていないと答えてしまえば、これまでカズヤ君が紹介してくれた仕事を無に帰すという事。
それは、カズヤ君の善意を無下にするという事に他ならない。
これは単に俺の矜持の問題。
「……いや、もう殆どやってない」
「えっ……」
有馬かなから、小さな声が漏れる。
「そう……なんだ」
その声に、一体どんな感情が込められているのかは分からない。
けれどもそれを一顧だにせず「そういうわけだから」と告げて、再び歩き出す。
カズヤ君の優しさだけは裏切りたくない。
そんな、前世から彼を知る俺の気持ち。
さりなちゃんに向けた愛、そして俺に向けてくれた気持ち。
それまでも裏切ってしまえば人として、友人として大切なものを失ってしまうと思ったから。
何よりこれは、父親捜しとは何ら関係無い事情。
ならば意味も無い裏切りをする必要性も無かった。
「えっ! ちょっと話しようよ!」
有馬かなが食らいついてくるが、構わず歩き続ける。
だが、幾ら歩いても諦める気配を見せない為、根負けした。
カラオケに行くとか誘われたが否定し、芸能人故にそこいらの喫茶店にも行けないと言われ、ならばと目的地に連れていく事を決意。
喫茶店と言えば、あそこは大丈夫な気もするが……まあ今回は不要だろう。
そう考え直し歩みを進め、やがて辿り着いた。
「おー、有馬かな! 見ないウチにデカくなったなオイ!」
そんな驚きの声を上げる監督の家――否、監督が寄生する五反田家へと。
そしてこの時は気付かなかった。
まさか俺が、"今日は甘口で"に出演する事になるだなんて。