"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
――このドラマ――無かった事にさせて下さい。
この言葉を忘れた事は無い。
――今日あまという作品ではなく、別の作品として脚本を再編集して"今日は甘口で"というタイトルは付けずに放送する。
この言葉を、忘れる訳が無い。
その言葉に対して私が言った言葉も、忘れない。
――私の作品が、"今日は甘口で"という作品が面白くないと自分で認める行為だけは死んでもしないッ――――人を舐めるのもいい加減にしろッ!
この想いは、今でも変わらない気持ち。
そしてこれからも変わらない、私の気持ち。
……だけど。
『今日あま、見る価値なくね?』
『原作好きだったのに、あんなドラマにされてちょっと嫌いになった』
『有馬かな含めて顔採用のドラマじゃん』
『あーあ、またカズヤの乱起きてくれれば良かったのに』
ネット上で語られている、ドラマの批評。
それを受けても、私の思いは変わらない。
……だけど。
『もしかして、あの時のカズヤの乱って……大正解だった?』
『前の今日あまも、ひょっとしたらこうなってたのかな』
『今日あま嫌いのカズヤが、実は今日あまを守っていたという事実』
『十年の時を経てカズヤの乱が再評価されるとは……』
そんな投稿を目にすると、どうしても僅かに揺らいでしまう。
果たして、ドラマ化の話を改めて受けたのは正しかったかと。
『今日は甘口でがドラマ化! こりゃ見るしかない!』
『今日あまのドラマ化……うっ、頭が!』
『カ、カズヤの乱の再来か……!』
『お兄様ッ……今回だけは、どうかその怒りをお沈めに……!』
『うおおおお! 負けるな! 今回は絶対に負けるんじゃねーぞ制作陣!』
これが今配信されている"今日は甘口で"が、配信される前の評判。
なのに、いざ配信されてみればどうだ。
『カズヤ! 何故、乱を起こさなかった……!』
『カズヤの乱はどうした!?』
『起こせよッ! カズヤの乱起こせよぉッ!』
『お兄様……私めが愚かでした……どうか正義の鉄槌を……!』
『負けた………負けたぜ……制作陣によ……』
まるで掌返しかの様に、起こらないでと願っていたカズヤの乱を望む声。
カズヤの乱。
それは即ち――"今日は甘口で"をドラマ化させないという事。
つまり、多くの人が"今日は甘口で"のドラマを観たくないという事に他ならない。
だからこそ、揺らぐ。
果たして、ドラマ化の話を改めて受けたのは正しかったかと。
彼が、カズヤさんが行った事は、やはり間違いではなかったのだろうかと。
あの時、現場で観た演技はヒロイン――アイさんの芝居のみ。
そこで彼女が私の作品のヒロインに相応しいと思い、納得し、心からこのドラマを了承した。
その前の週、"今日は甘口で"としての撮影時、私は誰の演技も観ていなかった。
我ながら黒歴史だが、カズヤさんの言葉で、気を失ってしまったから。
けれども、いくら考えてもあれは、カズヤさんが悪い。
今なら分かる。
――愛していますから。
その言葉は、枕詞に"今日は甘口でを"が付いたのだろう。
でも、あんな言い方されたら勘違いしちゃうじゃない……!
よって、彼の言葉を処理しきれずに失神した私は悪くない。
別に今でも、彼の事は好きじゃない。
勘違いする様な物言いに、自分勝手な行動。
こっちも了承した協力者なのに、それを無視して一人で責任を取ったりする。
――俺が、このドラマでは"今日は甘口で"と呼べない。そう思っただけです。
そんな我儘で脚本までこっちに丸投げする男なんか、好きになる訳が無い。
そして何より、こんなまるで拗らせ女みたいな思考にさせる人は、仮に好きになったとしても良い事は無い。
ただの"少し口の悪い、優しい男の子"ってだけだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
カズヤさんの事を思い出した事で、ふと、先日のやり取りの記憶が蘇った。
それはカズヤさんのマネージャーである、佐山さんからの連絡。
――約十年前のドラマ"明日から私は"の権利を、うちのカズヤが局から買い取りました。
その言葉に驚いたのが記憶に新しい。
佐山さんは続け様に、私に伝えてくる。
――そしてその作品に関する権利は全て吉祥寺頼子先生に帰属する様、手続きも既に完了しています。
それを聞いて、思考が停止した記憶がある。
その話を纏めれば、以前私が脚本を担当した"明日から私は"の作品に関する権利が全て私にあるという事。
回復した思考で、真っ先に思った事。
……何故。
その疑問を、そのままに佐山さんへと問い掛ければ、間を空けずに回答が返ってくる。
――カズヤから直接伺った訳では無いので、彼の考えそうな事でお伝えします。
佐山さんの言葉を待つ。
やがて、受話口から声が聴こえた。
――"明日から私は"は吉祥寺先生の作品だから、その権利は吉祥寺先生に無いとおかしい。恐らくカズヤはこう考えていると思います。
聴こえてきた声に、思わず息を呑んだ。
確かに、"明日から私は"は私が脚本を書いた。
対外的には別名の脚本家という事になっているが、私が書いているんだから、ある意味私の作品とも言える。
けれども、ドラマの全権を原作者が持つ。
そんな事、普通は無い。
故に、こんな事をするカズヤさんの意図が全く分からなかった。
言葉を返せない私の状況を察したのか、佐山さんが言葉を続ける。
――吉祥寺先生が許可を出さない限り、この作品を一切世に出したくないんでしょう。
その言葉に、何も返せない。
そして、佐山さんの声が聴こえた。
――"今日は甘口で"をこよなく愛するカズヤの事なので、吉祥寺先生が意図しない形でこの作品を使われる事が認められなかったのでしょう。
この言葉を受けて、心臓が高鳴ったのがはっきりと分かった。
何となくは、察していた。
カズヤさんが、私の作品を想ってくれている事は。
けれど彼のマネージャーがこうして言うという事は、カズヤさんは"今日は甘口で"という作品を本当に愛してくれているのだろう。
――彼は直接言いませんでしたが、そもそもあの時に"今日は甘口で"を取り止めたのは、演じる役者の質が原作に見合わないから。原作より劣化してしまい"今日は甘口で"という作品に僅かでも傷を付けるのが認められなかったからだという事は、容易に想像出来ます。
二度目の、心臓の高鳴り。
そこまでカズヤさんは、"今日あま"を愛してくれていた。
そこまでカズヤさんは、"今日あま"の事を考えてくれていた。
その事実を目の当たりにしたから。
だけど。
別の感情が、同時に湧き上がる。
何でもっと早く、この話をしてくれなかったのか。
そんな自分勝手な思い。
もっと早くこの話を聞いていたら、キャストを見てドラマ化を断っていたかもしれない。
もっと早くこの話を聞いていたら、ドラマ化を認めてもキャストの変更を求めたかもしれない。
そのどちらもが、既に手遅れだった。
カズヤさんがもっと早く動いてくれていたら、私の"今日あま"がこんなにも叩かれる事は無かった。
そんな醜い感情が湧き上がる。
けれど、それを無理やり抑えつけた。
これは私の問題で、カズヤさんは関係無い。
それに、これ以上この気持ちを膨れ上がらせてしまったら。
――私の作品が、"今日は甘口で"という作品が面白くないと自分で認める行為だけは死んでもしないッ――――人を舐めるのもいい加減にしろッ!
あの時、彼に大見得を切ったあの本心を、他でもない私自身が否定してしまう事になるから。
だからこの気持ちだけは、絶対に抑えなければならない。
佐山さんの声が再び聴こえる。
――そして、カズヤから吉祥寺先生に対してご相談があります。
その言葉に、意識が受話口へと向く。
カズヤさんからの相談……?
皆目見当が付かない内容に、ただただ言葉を待つ。
そして、声が届いた。
――"明日から私は"を一話から順番に、一定期間ずつだけネット上で公開出来ないか、との事です。
佐山さんの言葉は、すぐに私の中で理解出来なかった。
あのドラマを一話から順番に、一定期間ずつだけ公開する。
その意図が分からなかった。
でも、何故か頭の中では違う事が思い浮かんでくる。
――あれ? "明日わた"見てから今日あま読むと余計に泣けてくるんだけど、なんでぇ……?
それは約十年前、あのドラマが放送された直後に見た、ネット上での感想の一つ。
何の脈略も無い、昔のネットコメント。
しかし、そのコメントを中心に、私の中で何かが組み立てられていく。
それは果たして、私があのドラマに関わったからだろうか。
私があのドラマの脚本を書いたからだろうか。
それとも、私があのドラマと――"今日は甘口で"の、作者だからだろうか。
一般的に、"明日から私は"と"今日は甘口で"は無関係な作品。
けれども真実を知る者からすれば、その二つは同じ作品に帰属する。
ならば、その二つが結び付いて公開されるのなら――。
佐山さんとの話は、その後の会話で纏まった。
そんな記憶を思い出したからだろうか。
私は揺れている。
メディア化経験のある漫画家は皆言う。
過度な期待はするなって。
どの漫画家も最初はあーだったら良い、こうなったら嬉しいって妄想して笑顔だけど……終わる頃には皆、悲しい顔をしてる。
メディア化そーいうもの。
……だけど。
私は揺れている。
果たして、ドラマ化の話を改めて受けたのは正しかったかと。