"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
「もういいや」
続けて口から、そんな言葉が出る。
考えてはいない。
気付けば、言っていた。
「何も考えたくない」
誰に言うでもなく、口から出る。
静かに立ち上がって、横を向いた。
目の前に広がる光景は、数は少なくとも、車が行き交う幹線道路。
それが、私の真下に繋がっていた。
それが、私の中で思い浮かんだ。
その瞬間、不思議な感覚に苛まれる。
意識が遠のく訳ではなく、力が抜けた訳でも無い。
意識はあるのに、自分が自分じゃなくなる感覚。
まるで幽体離脱かの様に、自分という肉体から消える感覚。
でも何故か、不思議と恐怖は無かった。
寧ろ、達成感を覚えてしまった。
安心感を覚えてしまった。
既視感を、抱いてしまった。
ふと、頭の中に浮かんだもの。
最初は酷く朧気だったそれが、徐々に鮮明になってくる。
人物っぽい。
男性っぽい。
黒髪っぽい。
知ってる人っぽい。
――茜ちゃんの俺の演技は完璧だったから、もうそれで全然問題ないよ! 俺がお墨付きをあげちゃう!
カズヤさんが、思い浮かんでしまった。
何故、そう考えるよりも先に、本能的に理解した。
……これだ。
これだったんだ。
私がずっと目指した、私がずっと憧れたものは。
ずっと、ずっと勉強して、プロファイルしても、決して分からなかったもの。
近付きたくて、でも絶対に近付けなかったもの。
カズヤさんは、"声"に関する才能を持っている。
その声で言われた事は何故か、ずっと頭に残り続ける……そんな不思議な力。
でもそれは、長年の研鑽で大分近付ける様になったと思う。
それこそ昔、舞台をご一緒させてもらった時に比べて格段に。
ずっと、ずっと練習したから。
ずっと、ずっと勉強したから。
ずっと、ずっと考えてきたから。
思い返せば、カズヤさんを最初に気になったのは五歳くらいの時。
カズヤさんが主演で医者を演じたドラマ。
そこで見た、カズヤさんの演技。
本当に、カズヤさんが死んだとしか思えない演技。
あの時にはもう子役をしていたけど、いや、子役をしていたからこそ、驚いた。
いや、驚いたという言葉では片づけられない程に――釘付けになった。
そこからはずっと、カズヤさんが出る作品、出た作品を全て、何回も見た。
カズヤさんが出ているCMや番組、ラジオも出来る限り視聴した。
お母さんがカズヤさんのファンだった事も相まって、止められる事無く見続けた。
そして、そこから知ったカズヤさんの特徴を事細かにメモしていく。
それをずっと続けてきた。
中学に上がった頃に、舞台でカズヤさんと共演する機会を得て、身近に本物のカズヤさんを感じて、見て、更に分かった。
あの時カズヤさんに見せた私の出来は、今から考えればあまりにも黒歴史だと言わざるを得ない。
なのにカズヤさんは私に、お墨付きをくれた。
それに納得いかず、そして不審に思って訊ねたけど、今思えば暖簾に腕押しといった対応をされたんだと思う。
でもあの時に感じた違和感から、更にカズヤさんを見続けて成長出来た。
カズヤさんに感じた違和感。
――俺の研究だけじゃなくて、ちゃんと他の人の演技の研究もするんだよ?
彼は最後、私にそう言った。
でもそれは、舞台でご一緒している間に時折言われていた事。
けれど、後から考えて不思議だった。
何で、最後にそう言ったのか。
不自然では無い言葉だとは思う。
でも、それよりも前の言葉と合わせると、違和感を感じてしまったのだ。
――俺の演技をしてくれた君のお陰で、本当の自分が分かったよ。
私がカズヤさんを演じて、それに対して言ってくれた言葉。
あの時も、声に関してはそれなりの域に達していたとは自分でも思う。
けど、カズヤさんのもう一つの才能。
私が見て、魅せられて、惹かれて、釘付けになった力。
存在感を消す、そんなスキル。
それだけはどうやっても進まなかった。
どうやっても、ある所で頭打ちになってしまった。
そこだけは、今でも成長できないでいる項目だったのだ。
……でも。
今、ようやく分かった気がする。
そして、ずっと抱えていた違和感の正体が、分かった気がした。
あの時に何故、カズヤさんの言葉に違和感を持ったのか。
ちゃんと他の人の演技の研究もするんだよ。
本当の自分が分かった。
その二つが、自分の中で綺麗に混ざる。
カズヤさんは――。
自分の力を恐れている。
その答えに行き着いた。
だから、私にこれ以上近付くのをやんわりと拒否したんだ。
でも私があの時にせめてでも出来たのは、声に関して。
なら、彼はあそこで初めて、自分の力を受けたんだろう。
そして、怖くなったんだろう。
私が長年続けてきているカズヤさんのプロファイル。
愛情の抱き方に何かしらのバイアス有り。
秘密主義と無償の愛。
矢面に立つ言動に反し目立ちたがり屋ではない。
無頓着さと一定の距離感。
ファッションは興味無し。
金銭感覚は、ある時期を除いてそもそも興味がなさそう。
視力は良い。
歩き方が一人と複数で大きく変わる。
中学高校に通っていないが、教育レベルは一定以上。
デビューしてから数年サイクルで演技にムラが出る。
話し方が元々違和感があったが、ここ数年で無くなってきた。
他人には存在感を出し、知人には存在感を消す傾向。
他にも細かくあるが、それでも根本的な所が分からなかった。
カズヤさんを、今のカズヤさんたらしめたその背景が。
何年研究しても、全く分からなかった。
そんな人、他には居なかったのに。
でも、それも何となく分かった。
カズヤさんはプライベートを隠していた訳じゃない。
……存在しない様に、見せていた。
いや、それじゃ正確じゃない。
正しいと思える言い方をするなら。
カズヤさんは、存在しない様に生きてきた。
それが一番、しっくりと来た。
何故そんな風に生きてきたのかは分からない。
でも、そう思えば昔から抱いていた疑問も解消される。
――まるで、この世界の人じゃないみたいに思う時があるんです。
今思えば、かなり失礼だったこの言葉。
けど、どうしてもカズヤさんにはそんな印象を抱いてしまった。
だからしっくりと来た。
カズヤさんが自分は存在しないという様に生きてきたならば、この世界に居ない存在という事。
だから、しっくりと来た。
カズヤさんは、自分が存在しない人間だと思っていたという事を。
思っていた、というのはここ数年でまた微妙に変化を感じたから。
それが何故かは分からない。
でも、最近のカズヤさんを観ていて、この世界の人じゃないみたいだと思う事が極端に減ったから。
理由は分からない。
けれど、カズヤさんが自分の事を存在しない人間だと思っていた意味は、ようやく分かった。
それは正に今、自分がそう思えているから。
柵へと近寄る。
眼下には、私の存在なんて認知していないであろう、往来する車の数々。
誰も、私がここにいる事なんか見えてない。
ここに私が居るにも関わらず、私が存在しないかの様に走り抜ける。
このまま家に帰ったら、世の中は私を攻撃してくる。
それによって、マネージャーに迷惑をかける。
お母さんに、迷惑をかける。
…………つまり。
私は――存在しない方が、良い。
何があったのかは分からないけど、きっとカズヤさんもこう思ったんだろう。
そして、その根源にはきっと。
存在感を消す、というスキルが影響していた。
そして声の力もまた、影響していた。
だって、存在しない人間なのに、声が存在してしまう。
それは果たして、どれ程恐ろしい事だろうか。
つまりカズヤさんは、生まれながらにして、極度の矛盾を抱えてしまっていた。
自分が存在しない方が、世界が幸せになれる。
なら、世界を幸せにする為に、自分は存在しない方が良い。
今なら分かる、カズヤさんがそう思ったんだと。
だから、カズヤさんは私を拒絶した。
これ以上、自分に近付いてはいけないと。
何故なら、カズヤさんのスキルに近付くという事は。
死にたくなるという事だから。
だから、カズヤさんは私を拒絶した。
その深淵を覗いた私は、こうして死のうとしているんだから。
でも、まだ奈落の底には辿り着けていない。
今、この身に包まれているカズヤさんと同じスキルは、あの日テレビで観たカズヤさんの死体と同じではない。
だから、カズヤさんの域に達するには――死ぬしかない。
死ぬ、もしくは死んだと自覚出来なければ、あれは出来ない。
皮肉だった。ずっと、ずっと追いかけていたものが、こんなにも人生の最後で手にするだなんて。
でも……そんなの、関係無い。
もう、生きているのに疲れた。
死ねば全てが解放される。
ずっと続く誹謗中傷を、批判を、もう見なくて済む。
攻撃され続けながら生きる意味なんて、ない。
辛くて苦しいこの世界に存在する意味なんて、ない。
…………もう疲れた。
ゆっくりと柵に手をかけて、更に片足も乗せる。
すぐ後ろを今、誰か横切った音がしたけど――気にもしない。
……ほら、すぐ近くに私がいるのに、見てくれない。
私の存在は今、カズヤさんに近い域で消されている。
もう誰も、私の存在なんか見えないんだ。
私の存在なんか、誰にも見つけられないんだ。
誰にも、必要にされないんだ。
反対の足も、柵に乗せて両手を離す。
柵の上に立ち上がれば、雨風が私の身体に強く打ち付ける。
眼下を走る車。
……もう、攻撃されたくない。
もう、すべてどうでもいい。
存在しない方が良い人間は、存在しない方が良い。
だからもう、らくにさせて。
思考が一つも無くなった体を、ゆっくりと前に倒す。
……もうすぐ、らくになれる。
静かに目を瞑った私の身体は、
背後から伸びた手によって、柵の内側へと引き戻された。