"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」   作:あるミカンの上にアルミ缶

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第145話

 柵の内側、歩道橋の通路に倒れ込む。

 背後には、私を抱えた誰かが居た。

 呆然。

 しかし、その後に訪れた感情。

 

「ああッ!」

 

 身体を思い切り揺らし、背後からの拘束を何とか逃れようとする。

 

「いやぁ! 離してッ!」

 

 それは決して、暴漢に襲われて逃げる為じゃない。

 怒り、そして苦しさ。

 その二つが、自分の中で激しく入り乱れていた。

 何故。

 何故――死なせてくれなかったのか。

 あのまま何も無ければ、自分は楽になれたのに。

 あのまま何も無ければ、苦しさから解放されたのに。

 もう苦しまなくて、済んだのに。

 何も考えたくなかったのに……。

 全て忘れたかったのに……!

 生きるのに疲れたのにっ。

 もう攻撃されたくなかったのにッ。

 もう――こんな世界に存在したくなかったのにッ!

 

「落ち着いて!」

 

 背後から声が聴こえる。

 無視して激しく身を捩った。

 

「落ち着いてっ!」

 

 また、声が聴こえる。

 前に回されている腕に、力が入るのが分かった。

 

 

「大丈夫! 貴女の敵じゃないっ! 攻撃しないから……落ち着いて」

 

 

 その声に、言葉に思わず動きが止まった。

 ……敵じゃ、ない。

 攻撃、しない……。

 その言葉が、どうしても頭に残った。

 どうしても残ってしまった。

 だからだろうか。

 ゆっくりと、顔を後ろに向ける。

 

 

 そこには、見知らぬ女性が居た。

 

 

 お母さんと同じ歳の頃だろうか。

 レインコートのフードの奥に見えるその顔は、必死でありながらも……どこか優し気。

 敵じゃ、ない。

 攻撃、しない。

 そんな言葉がまた、頭に浮かんだ。

 女性は私を見つめて、やがて軽く息を吐いた。

 それはまるで何かに安堵した様にも思えて。

 だからだろうか。

 

「……あなた、は……」

 

 そう訊ねたのは。

 見知らぬ女性が、何故私を助けたのか。

 彼女は、私の目を見て微笑む。

 

「依頼主から事前に許可を得ているので、お伝えします」

 

 そう告げた言葉はどこか事務的であり、思わず身体が震えた。

 やっぱり、私を攻撃する気じゃ……。

 でも、次の言葉でそんな考えは消える。

 

 

 

 

「カズヤさんから依頼を受けて、貴女の警護を担当している者です」

 

 

 

 

「――えっ」

 

 彼女の言葉が、理解出来なかった。

 何故。

 それだけが頭の中を埋め尽くす。

 何故。

 何故、カズヤさんの名前が出てくる。

 何故、カズヤさんが依頼をしている。

 何故、カズヤさんが私を警護させているのか。

 

「なん、で……」

 

 気付けば、そんな言葉を発していた。

 女性が、軽くため息を吐く。

 

「……また、あの人のお節介ですよ」

 

 今回も、それが功を奏しましたけど。

 そう言い放った彼女の言葉は、私ではない誰かに向けたものの様に思えた。

 その言葉を聞いても、何も分からない。

 ちょっと失礼、そう言って女性は私から片手を離して、自身の胸元に近付けた。

 そして胸元を掴んで僅かに上げる。

 

「こちら、対象者を無事確保。精神状態も、まま良好で身体に怪我無しです」

 

 それは誰かに向けて話している様な口調。

 

「――承知しました」

 

 やがて、そう言って彼女は胸元から手を離した。

 それと同時に、通路の端に男性が一人現れた。

 レインコートを被っているその男性は、そのままこちらに歩いてくる。

 背の高い、中年と思しき様相の男性。

 見える表情はどこか、険しそうに見える。

 その姿に、思わず身体が震えた。

 この人は、私の事を責めてくるんじゃないか。

 そう思うと、身体の震えが大きくなった。

 その瞬間、背後から再び抱きしめられる。

 

「そこでストップ。この子が怖がってるでしょ?」

 

 背後から聴こえた声。

 それは私に向けたものではない。

 近付いてきていた男性が、その言葉を聞いて足を止めた。

 そして顔を横に逸らし、何やら頭を掻く仕草をしている。

 再び、背後から声が届く。

 

「ごめんなさいね。デリカシーが無いのよ、あの男」

 

 ため息交じりに私にかけられたその言葉は、どこか優し気。

 それは私だけでなく、他の人に向けている様にも感じた。

 果たしてそれは、目の前で頭を掻いている男性に向けてなんだろうか。

 漠然とそんな事を思っていると、再び言葉が耳に入る。

 

「……とりあえず、下に車はつけた」

 

 正面から聴こえたその声は、視界に映る男性のもの。

 背後の女性が「ありがと」と答えるのが聴こえた。

 

「立てそう?」

 

 その言葉と同時に、背後の女性が動く。

 どうやら立ち上がるらしい。

 それに続いて、支えられながら私も立ち上がろうとすれば、

 

「あっ……」

 

 自力で立つ事が、出来なかった。

 理由はすぐに判明。

 脚が、震えていた。

 それを目にした途端、全身が大きく震え始める。

 理由は、すぐに判明。

 恐怖。

 あんなに死のうと思ってたのに――死ぬかもしれなかった事に、酷く恐怖する自分がいた。

 怖い、死にたくない。

 つい先程までとは正反対の言葉が、胸の中を強く支配した。

 さっきまで立っていた柵に目をやる。

 それだけで更に身体が大きく震えた。

 

「……ちょっとまだ厳しそうね」

 

 女性の言葉に、意識が外へと戻った。

 彼女は私の前に移動し、こちらに背を向けてしゃがむ。

 顔を僅かに覗かせた。

 

「濡れちゃうかもしれないけど、連れてくから背中に乗れる?」

 

 その言葉で、彼女の行動が理解出来た。

 私を背負ってくれるんだと。

 身体が震えて、自力で立てない私。

 背負って貰うなんて迷惑をかけてしまう。

 そんな事、させる訳にはいかない。

 そう、思ってたのに……。

 

 

「よし、大丈夫ね。じゃあ行くわよ」

 

 

 気付けば、彼女の背中に乗っている自分がいた。

 何故かは分からない。

 でも。

 敵じゃない、攻撃しないと言ってくれた彼女から離れるのが嫌だった。

 背負ってもらって申し訳ないと思う自分がいる。

 けどそれ以上に、この人と一緒にいたいと思う自分がいた。

 彼女に背負われながら進めば、男性が立っている位置に着く。

 そこで男性から、何かを被らされた。

 突然の事に驚き目を瞑るが、何か薄いものを乗せられただけで、それ以上他には何もない。

 

「こらっ、ほんとデリカシーが無いわねアンタっ」

 

「イテッ」

 

 そんな声が聴こえて目を開ければ、横を向いて男性に蹴りを入れている女性の姿。

 そこで気付く。

 雨が身体に当たらないと。

 僅かに目線を上げると、フードが見えた。

 そこで気付く。

 横にいる男性が私に、レインコートを被せてくれたんだと。

 

「いきなりだと驚くでしょっ。ちゃんと説明してから被せなさいよ、この言葉足らず」

 

 そう言った女性がこちらに目線を向けて「ごめんなさいね、ビックリしたでしょ?」と優し気な声をかけてくる。

 何と答えて良いのか分からずに目線を彷徨わせていれば、軽く息を吐いた女性が再び歩き出した。

 通路を抜け、慎重に階段を降りてくれる。

 それが私を慮っての行為なのは、容易に想像がついた。

 ……ありがとうございます。

 そう言いたいのに、言葉が出てくれなくて。

 彼女に回している手に――少しだけ力を入れた。

 

 

 歩道橋のすぐ下には、黒塗りのバンが停まっていた。

 男性が後部座席のドアを開き「……どうぞ」という声をかけてくる。

 それに対し女性が礼を述べて、身体の向きを反転して私を座席に下した。

 

「隣に座っても良い?」

 

 その言葉に頷き慌てて奥側へと座り直せば「ありがと」という声と共に、レインコートを脱いだ女性が隣に座った。

 私の肩に手を伸ばし、被っていたレインコートが回収される。

 外にいる男性がドアを閉めて、外を周って運転席に座った。

 

「それじゃ、ちょっとこれ観てもらっても良い?」

 

 不意に横から聴こえた言葉に顔を向ければ、画面の点いたタブレットをこちらに向けている女性の姿。

 意味が分からずに画面を見つめていれば「準備出来ました」という男性の声が運転席から聴こえる。

 その直後、目の前の画面に変化が訪れた。

 

「……あっ」

 

 そんな声を漏らしてしまう。

 だってそこには。

 

 

『やあ、聴こえてるかな?』

 

 

 カズヤさんの姿があったから。

 真っ白な背景で、椅子に座るカズヤさん。

 その光景には、見覚えがあった。

 少し前に、同じ画面を見た記憶がある。

 それは――"今日あま"のドラマが最終回を迎えた直後。

 その五日前、SNSに突如カズヤさんの公式アカウントが現れた。

 当然、一瞬の内にフォロワーが数十万に達する。

 かくいう私も、その一人だった。

 何も投稿されていないアカウント。

 そしてその夜、初めての投稿がなされた。

 

 ――五。

 

 たった、それだけ。

 それ以外、何の投稿も無かった。

 投稿ミスか? そんな憶測がコメント欄に溢れかえる。

 そして次の日の、同じ時間。

 

 ――四。

 

 またしても、その一文字だけが投稿された。

 コメント欄がまた、様々な憶測で溢れかえる。

 そして次の日。

 

 ――三。

 

 ここで、コメント欄の憶測が一つに纏まり出した。

 ……これは、カウントダウンなのでは?

 同時に、別のアプリが盛り上がりを見せた。

 それがユーチューブ。

 そこに、カズヤさんの公式アカウントが開設されたのだ。

 憶測は更に具体性を増していく。

 そしてその三日後。

 突如発生したライブ配信の予約画面。

 開始直前の待機人数は、二〇万人を超えていた。

 やがて、黒一面だった画面が切り替わる。

 そこで見たのと、同じ映像が目の前にあった。

 突然の生配信だが、すぐに視聴者が爆増する。

 コメント欄も、呼応するかの様に速度を増していった。

 

『いやー、サプライズでやるとコメントが追えていいね』

 

 朗らかに、カズヤさんが言った。

 でも、まだ分からなかった。

 何故カズヤさんが、急遽ライブ配信を行っているのか。

 そして、それを何故私に見せているのか。

 目の前の女性は、カズヤさんから依頼されていたと言っていた。

 だからカズヤさんとの関係性は理解している。

 でも、何故私にこれを見せるのかが分からない。

 

『そう言えばさー、最近ハマってる番組があるんだけど、皆も知ってるかな?』

 

 彼の言葉に、コメント欄では"なになに?"や"なんの番組?"といった内容で占められる。

 ただただ、私は画面を見つめる。

 そしてカズヤさんが、カメラを見た。

 

 

『"今からガチ恋始めます"って番組』

 

 

 その言葉に、心臓が大きく鼓動した。

 カズヤさんが、"今ガチ"を観ている。

 

 つまり、私が仕出かした事も見られている。

 

 一瞬、意識が遠のいた。

 指先が冷たくなるのを感じ、全身が徐々に震えてくる。

 ……カズヤさんに、見られてた。

 私の悪事を。

 奥歯がぶつかり合う音が聴こえる。

 もう、終わりだ。

 カズヤさんと言えば、芸能界の頂点に君臨する人。

 そんなカズヤさんが、私の悪事を見ていた。

 なら、カズヤさんに嫌われれば――私の芸能人生も終わり。

 今まで、どん底に落とされたと思っていた。

 でも、まだ更に下があるだなんて思わなかった。

 本当の底に、私は今、落とされた。

 もう絶対に這い上がれない深淵に、光が一切入らない奈落の底に、落ちてしまった。

 そして何より。

 

 ずっと尊敬していたカズヤさんに、嫌われてしまった。

 

 その事実が何よりも、自分に重くのしかかる。

 これまで、これ以上無い程に心が苦しく、心臓に痛みが走ったのを憶えている。

 でも今は、それが序の口と言わんばかりに、強烈なまでに苦しくて……痛い。

 呼吸が上手く出来ずに浅くなってくる。

 ……もう、終わりだ。

 そんな言葉が頭に浮かんだ。

 けれども視界は未だに画面を映し、目まぐるしく流れるコメント欄が見える。

 

 ――カズヤくんは誰推し!?

 ――推しがいたら教えてください!

 ――ゆきちゃんかな?

 ――もしかして、ゆき?

 ――ゆきとMEMちょのどっちー?

 

 ただただ、視界に映る。

 カズヤさんもコメントを観てるのか、目線がカメラからずれている。

 

『推しかー』

 

 目線を上げて僅かに考え込む様な姿に、コメント欄が発表して欲しいという内容で溢れる。

 カズヤさんの推し。

 それを聞く気にはなれなかった。

 心が、心臓が痛くてそれどころじゃない。

 私はカズヤさんにも嫌われてしまった。

 だから、カズヤさんの口から誰を言われても、何も思わない。

 嫌われた。

 それだけがずっと、頭の中を支配し続ける。

 やっぱり、私は存在しない方が良いんだ。

 尊敬しているカズヤさんが嫌悪感を示す私なんて、存在するだけ邪魔な存在だから。

 カズヤさんの忠告を守らなかった罰かな……。

 そんな思いが渡来し、涙が止まらなかった。

 どうしてこんなことになったのか。

 こんなはずじゃなかった。

 

 でも、思い返せば――こんなものだ。

 

 子役として頑張っていた。

 カズヤさんと共演をしたくて、いっぱい稽古した。

 でも、カズヤさんと共演したのは……有馬かなだった。

 私がカズヤさんの演技に魅了されたあのドラマでも、その相手はあの子だった。

 十秒で泣ける天才子役。

 そう言われている彼女が、同じ年に生まれてしまった。

 それでも頑張った。

 たくさん稽古して、カズヤさんもたくさん研究した。

 でも、選ばれたのは、有馬かなだった。

 "明日から私は"。

 彼女が、カズヤさんの隣で、目の前で、すぐ後ろで、カズヤさんに魅せた。

 常にカズヤさんに選ばれる天才子役。

 その光のせいで、いつも私は存在しないに等しい子役だった。

 けど、頑張ってララライで活躍する様になってきて、ようやく共演できた。

 間近でカズヤさんの演技を見て、私の演技も見てもらえた。

 お母さんも、カズヤさんと私が共演出来て喜んでいた。

 だから、調子に乗ってしまったのかもしれない。

 もっとカズヤさんに近付く為に、もっとカズヤさんに見て貰える様に。魅せられる様に。

 カズヤさんからの忠告を無視した結果――このザマだ。

 存在しない人間が、存在しても良いと勘違いした結果、存在しない方が良くなっただけ。

 だから、これからカズヤさんが口にするかもしれない内容にも、心ひとつ動かない。

 存在しない人間は、そもそも選択肢にすら入らないから。

 だから、何も思わない。 

 視界に映るカズヤさんがやがて、カメラに目を合わせた。

 

 

 

 

『アクアと――――茜ちゃんかな?』

 

 

 

 

 きき、まちがいに、違いない。

 カズヤさんから、そんな言葉が出るハズない。

 ありえない。

 頭で、心で思い切り否定する。

 絶対に、ありえない。

 だから聞き間違いに違いない。

 けれど、視界に映るコメント欄。

 

 ――あかね!?

 ――いやいや、それはないでしょ!

 ――アクア君は分かるけど、あかねはありえないっしょ。

 ――お兄様は優しいから、無理に庇ってあげてるんですねっ!

 ――さすがにそれはカズヤでもドン引きだわー……。

 

 わたしの、なまえが書かれている。

 でもその内容は、私の心に何も痛みを与えなかった。

 ……私の名前を、カズヤさんが言った。

 それだけが心を支配していたから。

 何で、私の名前をカズヤさんが言った?

 推し。

 身体の震えが大きくなる。

 ありえない、あり得ない、アイエナイ。

 頭が理解したその情報を、心が強く拒絶する。

 カズヤさんは、私が、推し。

 そんなの、絶対にあり得る訳が無い。

 これは夢だと思った。

 自分が望む様な光景を見せるこれは、夢以外ありえない。

 これはきっと、明晰夢に違いない。

 夢だから、こんなに自分にとって都合の良い話になってるんだ。

 

『ありゃ。皆、茜ちゃんの事嫌いなの?』

 

 ――当たり前だろ。

 ――あんな女、好きな奴いねーだろ。

 ――ゆきちゃんにあんな事して、ホント許せない!

 ――そんな事言って、カズヤも実際はゆき推しっしょ?

 ――あんな事した女の事、皆嫌いだろ。

 

『あんな事って、何かあったっけ?』

 

 ――もしかしてカズヤ見てない?

 ――あー、知らないんだったらしゃーないかも。

 ――ゆき殴っただろ。

 ――ゆきちゃん傷ついてホント可哀そうだった。

 ――あの女がゆきを殴ったんだよ。

 

『あー、あれか。それで皆嫌ってるんだ』

 

 ――当たり前だろ。

 ――嫌う要素しかない。

 ――残当。

 

『じゃあ、俺の事好きな人ー』

 

 ――お兄様愛してますっ!

 ――生まれた時から好きでしたっ!

 ――カズヤっ、愛してるよっ!

 ――カズヤ君っ、前世の時から大好きだよっ!

 ――べっ、別にアンタの事なんか好きじゃないんだからねっ!

 ――ちっ、そんなこっぱずかしいこと言えるかよ。

 

 

 

 

『ならさ、俺の事が好きな人は――茜ちゃんの事、嫌いって言わないでよ』

 

 

 

 

 ――は?

 ――なんで?

 ――別にカンケーなくね?

 

『茜ちゃんが嫌いって言う暇あるんなら、俺の事を好きだって皆にもっと言ってよ』

 

 ――いや別にいいじゃん。

 ――分かりましたっ、もっとずっとお兄様の愛を広めますっ!

 ――確かに、嫌いって言う暇あるならカズヤきゅん好きって言った方がいいかも。

 ――それでカズヤお兄様に愛が届くのならいくらでも!

 ――カズヤくんがそれで喜んでくれるんならそうするよー。

 

『俺、人の事嫌いって言う人……好きじゃないんだよね』

 

 ――いいかテメーら! 絶対に許すんじゃねーですわ!

 ――お兄様の前から嫌いを撲滅しなくては……!

 ――カズヤお兄様は愛をご所望よ! 悪即斬!

 ――だからなんだってんだよ。

 ――上コメ。よろしい、ならば戦争だ。

 ――おい上コメ、ちょっと体育館裏来いよ。

 

『お、結構分かってくれる人がいて良かった! 愛が溢れてる皆を愛してるよー』

 

 ――ぴゃっ!

 ――世の中の全アンチに告ぐ! 首を洗って待ってなさい!

 ――……あれ、みんな〇んだ?

 

『皆が誰を好きになるのも嫌いになるのも自由だし、好きにすればいいよ。でも、嫌いでも別に言う必要無いでしょ? 無関心で良いと思うんだよね』

 

 

 でも、そんな事あるはずなくて――。

 

 

『俺は茜ちゃんを推してるよ。昔、舞台で共演した事があってさ。すごい真面目な子でさ、俺に話しかけるのにすげーテンパってたよ』

 

 これは、夢。

 

『でも、ほんとにめちゃくちゃ頑張り屋でさ。心から応援したくなったし、成長を見てたくなったんだ』

 

 でも、そんな事あるはずなくて。

 

『演技の才能もピカイチ、本人かと錯覚する程にその人物になっちゃうくらいの天才女優』

 

 これは、夢。

 ……でも。

 

 

 

 

『そんな黒川茜は俺の――――推しの子なんだ』

 

 

 

 

 これが、現実だった。

 頬を流れ続ける涙の感触。

 それが決して、これが夢じゃないと私に教え続ける。

 コメント欄は"推しの子"という言葉で溢れかえっていた。

 もしかしたらそれが、今年の流行語になるかもしれない。

 でも、そんな事どうでも良かった。

 ただただ、カズヤさんの全ての言葉が、私の中で繰り返し流れ続ける。

 カズヤさんは、私を嫌いじゃなかった。

 カズヤさんは、私を応援してくれていた。

 カズヤさんは、私の事を見ていてくれた。

 カズヤさんは、私の事を魅ていてくれた。

 

 カズヤさんは――私を"推しの子"だと、言ってくれた。

 

 涙が止まらない。

 心が未だに苦しく、心臓が酷く痛み続ける。

 でも……辛くなかった。

 悲しくなかった。

 なんでこんなにも――暖かいんだろう。

 これは、カズヤさんが私にくれた、灯り。

 誰にも見えなくなった、存在しない私を、カズヤさんだけが見ていてくれた。

 カズヤさんから照らされるその光が、こんなにも暖かい。

 嗚咽に震える身体を両腕で抱きしめる。

 

『じゃあ次の仕事あるから配信はこれで終わるねー』

 

 そんな言葉がタブレットから聴こえた。

 カズヤさんが、私を見る。

 

『それじゃ、また会うのを楽しみにしてるよ』

 

 画面が、真っ暗になった。

 一〇分にも満たない配信。

 三〇万以上の数字が、勢いよく減っていくのが見えた。

 

「……カズヤさんから言われたの」

 

 横に座っていた女性から、声をかけられる。

 タブレットから、僅かに顔を上げた。

 

 

「俺がこれから言う言葉を本気で聞いて欲しい――"絶対に茜ちゃんを見失うな"、って」

 

 

 もう、声を我慢する事が出来なかった。

 まるで幼児の様に大声を上げて泣いてしまう。

 カズヤさんには内緒ね? その声を気にする余裕は無かった。

 隣から手が伸びて、優しく背中を撫でられる。

 それが暖かくて、また泣いた。

 なんでか、お母さんが頭に浮かんだ。

 また、泣いた。

 そして、彼女の言葉で分かってしまった。

 カズヤさんがこの女性に、そんな事を言った意味が。

 彼は間違いなく――声の力を使った。

 自身が忌み嫌ってる筈の、声の才能を。

 誰の為に?

 ……私のために。

 さっきまでのライブ配信でもそうだ。

 途中から、声の力を使っているのが分かった。

 彼の近い域にいる私だからだろう。

 カズヤさんが今その力を使ってる、そんな言葉が頭の中でずっと浮かび続けてたから。

 誰の為に?

 私の、ために……。

 こんな私の為に、カズヤさんは嫌いな能力を全力で、使ってくれた。

 彼の忠告を無視した私に。

 でも未だに追い付けない私じゃ、カズヤさんの力の前じゃ抵抗出来る筈がない。

 だからカズヤさんの全力を受けたこの女性は、私を助けてくれた。

 他の誰からも存在しない私が。

 カズヤさんの前では、どんなに頑張っても、存在させられる。

 カズヤさんの前では、存在する人間になってしまう。

 

 そんな黒川茜は俺の――――推しの子なんだ。

 

 ――例え多くの人が私を嫌っても、応援してくれる人が一人は居る。

 

 カズヤさんの前では、存在して良い人間になってしまう。

 だから、私を推しだと……推しの子だと言ってくれたカズヤさん。

 カズヤさんの為にも、私は存在しなくちゃいけない。

 カズヤさんの前では、推しの子として魅せなければいけない。

 

「……家までお送りします」

 

 運転席から声が聴こえ、車が動き出した。

 身体に伝わる振動を感じながら、頭では全く別の事を考えている。

 お母さんの事。やっぱり、心配してるよね……?

 帰って、遅くなってごめんって謝んないと。

 五人の事。こんな私でもまだ、今まで通りに接してくれた彼ら。

 家を出る直前まで、私を気にしてくれてた。

 だから帰ったら、大丈夫だよって送んないと。

 ……でも今は。

 どうしても、違うことが頭を占めてしまう。

 家に送って貰ったらお母さん、そして五人とちゃんと向き合うから。

 

 だからこの車の中だけでは……カズヤさんの事を考えてもいいかな?

 

 カズヤさんの光は、どこまでも深くを照らしてくれる。

 でも、果てしない程に、遠い。

 ならそんな遠くにいるカズヤさんの近くに、人はいるんだろうか。

 存在するけど、決して捕まえる事の出来ない光。

 誰の手にも届かない、余りにも遠くの実体。

 ならその近くに、行ける人はいるんだろうか。

 存在しない私を照らしたのは、同じく存在しないカズヤさん。

 ならば、存在しないカズヤさんの近くに居られるのも、また。

 

 

 ……存在しない人間。

 

 

 やがて、私を乗せた車が家へと着いた。

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