"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」   作:あるミカンの上にアルミ缶

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お久しぶりです!
長らく投稿しておらず誠に申し訳ありません……!
漸くとまた執筆出来るかなという様な情勢になって参りましたので、投稿を再開させて頂ければと思います。

まあ……まだ見て頂ける人がいればですが……。|д゚)チラッ

相も変わらずリアルタイム執筆&投稿となるので、なるべく完結に向けて進めたいとは思いますが、どうしても忙しくなり執筆時間が取れなければ悪しからず……!

なるべく文章の整合性は合わせる様にしていますが、かなり久々の執筆になるので、
闇が……足りんッ……!
や、
ちょっとマイルド過ぎん?
とかがあれば、匙加減思い出していきますのでコメント頂けますと幸いです……。






第156話

 眼前の光景が理解出来ず、力が入らなくなった腕から手提げバッグと、顔から外していたサングラスが床に落ちた。

 何でカズヤがうちに居るの?

 そんな疑問は、浮かんですぐに消えた。

 思考を占めているのはただ一つ。

 部屋に入る際に聴こえてきた声。

 その内容だけだった。

 声の主は誰だったか。

 聴き間違える訳が無い、愛しい娘。

 その娘が声を届けた相手は誰だったか。

 見間違える訳が無い、愛しい男性。

 では、愛しい両者の間を通った言葉は、何だったか。

 

 ――一六歳になったその日――結婚しようね。

 

 誰が。

 ルビー。

 誰に。

 カズヤ。

 こんな事態に、取り繕える筈が無かった。

 こんな事態に、取り繕える訳が無かった。

 こんな事態で、取り繕う方法を知らなかった。

 家族と、対峙するなんて事……なかった。

 だって……おこられるから。

 

 娘が、カズヤに告白した。

 カズヤが、カメラも無いのに告白、された。

 こんなの、現実な訳無い。

 だって少し前まで、娘のデビューを喜んでた。

 嬉しかった、嬉しすぎて泣いてしまった。

 私と同じ、アイドルになりたいと言ってくれたルビー。

 レッスンで色々教えたり、成長する様子もずっと間近で見てきた。

 ……まあ、歌はあんまり成長しなかったけどさ。

 だからルビーが、そして私と同じB小町としてデビューしてくれた彼女達が、あのステージで全力を出して輝いていた姿が、嬉しくて仕方なかった。

 そんな娘の晴れ舞台を見たのに。

 カズヤと一緒に見たのに。

 あの子の両親として、見届けたのに。

 だからこんなの、現実じゃない。

 微かに歪む視線の中で、一点だけをただ見つめる。

 こっちを向いて、驚いた様に目を開いている顔。

 なのにちっとも格好悪いとは思えなくて。

 ずっと見ていたくて。

 

 けれどそれは、

 

 

「――カズヤ君」

 

 

 聴き間違える筈の無い声によって、隠されてしまった。

 声と共にルビーがその手を伸ばし、見ていた顔に触れてゆっくりと私から遠ざけていく。

 見間違える訳が無い顔が、その後ろ髪に隠されてしまった。

 途端に押し寄せる心臓の痛み。

 それはまるで、彼が見るべき主役は私ではなく、ルビーであるかの様に思えて。

 そう認識した瞬間、嫌に心臓が高鳴った。

 同時に思い出すは、過去の記憶。

 それはいつだったか……そう、愛しい子供達を授かったあの日。

 睡眠薬を飲ませ眠った彼の携帯に位置情報を私に送信するアプリを入れたあの時。

 一応と思い彼に私以外の女の陰が無いか、携帯内の写真を見ていたその時。

 出てきたのは、見覚えの無い病室で見覚えの無い女の子が映った写真の数々。

 その中にあった一枚。

 カメラの前で、アイドルの頃に私がやっていた――胸の前でハートマークを作ったポーズを決める女の姿。

 ポーズを取った女の後ろの小さなテレビに映っていた、私。

 その記憶が、不意に蘇ったのだった。

 それを思い出し、胸の痛みが激しさを増す。

 だが脳内の記憶でも、現実の視界でも――カズヤの最前面に映っている人物は、私じゃなかった。

 

 一瞬、視線が向けられた。

 でもそれはカズヤじゃなかった。

 愛おしい娘、ルビー。

 彼女の視線はすぐに正面の人物へと戻る。

 何故だか分からない。

 けれども、嫌な予感が過った。

 しかし動かない私の身体。

 そんな私に反して、ルビーの腕が再び動き出した。

 カズヤの顔から両手を離し、そのまま彼の背中へと回される。

 背中に到達したその腕を手前に寄せれば、彼女はその身体をカズヤに押し付け、抱きしめた様な態勢となった。

 動かないカズヤの胸元に額を当てながら、嬉しそうに笑みを浮かべるルビー。

 再び、一瞬だけ視線が交わった。

 同時に心音が鐘を鳴らす様に五月蠅くなり始める。

 只々、眼前の光景を現実だと受け入れられない。

 けれど現実だと認めている思考が、私の中にあった。

 だって、カズヤを見間違える訳が無いから。

 

「…………カズ、ヤ……」

 

 気付けば、彼の名前を口にしていた。

 けれども出たのは、あまりにもか細い声。

 でも、カズヤの顔が僅かにこちらへと向き始める。

 それを脳が瞬時に把握し、心臓の痛みが鳴りを潜めた。

 しかし、カズヤと目が合う事は無かった。

 それは彼の胸元から聴こえた、小さな溜息。 

 それによって、カズヤの動きが止まってしまった。

 

「…………全部、終わらせないとダメだよね」

 

 微かに聴こえたその声と共にルビーが静かに、カズヤを開放する様に身体を離した。

 その光景を見て、覚えたのは安堵だった。

 続いて湧いたのは、疑問。

 何故安堵したのか、それが理解出来なかった。

 だって、考えてみればルビーがカズヤを抱きしめるのは、何らおかしい事ではない。

 カズヤはルビーのパパだもん。

 娘が父親に抱きつくのは、普通に違いない。

 私にもよく抱きついてくるんだから、父親であるカズヤに抱きついたって何も問題無い筈。

 そこまで考えて思い浮かぶのは、先程聴こえてきた言葉。

 ――一六歳になったその日――結婚しようね。

 きっと、きっと聞き間違いに違いない。

 多分、今日は色々あって疲れたから聴こえた幻聴に違いないんだ。

 何度も何度も聞き違いだったと自分に言い聞かせる。

 だが私の中にこびりついたその言葉が、別の何かに変容される事は無かった。

 それでも、いつかは正しい内容に変わるに違いない。

 そう思って聞き間違いだと言い聞かせ続ける。

 だって、私の旦那がカズヤで、娘のルビーの父親がカズヤなんだもん。

 それが本当で、それ以外の状況は嘘なんだよ?

 嘘は、私なら絶対に分かる。

 だから本当しか、私は信じない。

 だから早く、この嘘を消さないと。

 そう認識し直した私の耳に、声が聴こえる。

 

「……カズヤ君」

 

 それはルビーの声。

 思わず意識を正面へと戻せば、娘が言葉を続けた。

 

「……私がアイドルになった記念のプレゼント、今持ってる?」

 

 そう言って小首を傾げる姿は、まるで何かをねだる様に見えて。

 まるで娘が父親にプレゼントを求める様に思えて。

 やっぱり、本当が正しいんだって思えた。

 

「プレゼント……?」

 

 娘の言葉に、父親が首を傾げる。

 それはまるでサプライズでプレゼントの催促を受けたかの様で。

 我が子の突飛な行動に困惑する父親の様に思えて。

 やっぱり、本当が正しいんだって思えた。

 僅かに首を傾げていたカズヤだったが、やがて「……ああ、あれか」と言葉を溢す。

 そしてポケットへと手を入れて何かを探す様に動かす。

 その光景を嬉しそうに見ているルビー。

 まるで親からのプレゼントを今か今かと待っている子供の様で。

 やっぱり、本当が正しいんだって、思った。

 ポケットに手を入れたまま、カズヤが僅かに顔を動かし、目が合う。

 それはまるで、子供へのプレゼントを渡して良いか妻に確認する夫の様で。

 

 やっぱり、カズヤは私の旦那様なんだなって、理解出来た。

 

 夫に対して、妻である私は頷きを返す。

 それを見た旦那様は視線を戻して、私達の愛の結晶へと顔を向けた。

 ……そういえばルビーって、パパから直接プレゼント貰うの初めてだったっけ?

 夫と娘の姿を視界に収めながら、漠然とそんな事を思う。

 でも大丈夫。

 これからは幾らでもそんな機会は訪れるのだ。

 四人で暮らしていけば、何度でも。

 誕生日だってクリスマスだって、何度でも。

 私の旦那様が、娘に渡すプレゼントをポケットから取り出した。

 

 

 

 

 ――プラスチックケースに入った、白い紙。

 

 

 

 

「――ダメッ!」

 

 気付けばその声と共に、カズヤの腕にしがみ付いていた。

 

「おわっ!」

 

 しがみ付いた衝撃でカズヤが驚いた様な声を漏らすが、気に留める事は出来なかった。

 只々必死にカズヤの腕を、その手に収まっている物を強く抱きしめる。

 きつく目を瞑りながら、絶対に手放すまいと自分の内へと寄せる。

 本当は、私の夫がカズヤで、ルビーはカズヤの娘。

 それは変わらない。

 けれど、ルビーがカズヤに告白して、かけがえの無い大切な思い出がカズヤの手から失われようとしている。

 これが、現実だった。

 必死に、必死に、カズヤの手から私との思い出が無くならない様にする事しか、私には出来なかった。

 カズヤがずっと私を見て、愛してくれていた証を失わない様にする事しか、私には出来なかった。

 カズヤがアイドルとしての私をずっと応援してくれていたと知れた理由を、誰かに取られる訳にはいかなかった。

 これを失ったら私とカズヤの繋がりが、一つ無くなってしまう様に思えて。

 カズヤの中からアイドルだった私との思い出が、消えてしまう様に思えて。

 彼の手からこれを離させる事は、出来なかった。

 手元にある思い出を失うかもしれないという恐怖に、身体が震える。

 何とか死守しようと必死になる私の耳に、声が届いた。

 

「それ、ちょうだい?」

 

 その声に、身体が強く震える。

 何て事無い、まるで日常会話の様な声。

 私には向けられていない、声。

 今まで嬉しさや愛おしさしか感じなかった筈の声に、私は今恐怖を覚えた。

 怖い筈が無い声に、怖いと思ってはいけない筈の声に、恐怖を覚えてしまった。

 だから、どうしていいのか分からなくなり、抱きしめる力を強める。

 抱きしめていれば、触れていればきっと、大丈夫だから。

 彼がきっと、解決してくれるから。

 そう思い、目をきつく瞑ったままカズヤの腕を抱き続ける。

 

「……ママ? カズヤ君は私にプレゼントくれようとしただけだよ?」

 

 けど、再びの声に身体が大きく震えてしまった。

 ママ? ママとは何か。

 ママ……母親。そうか、私だ。

 私が呼ばれたんだ。

 誰に? 女。

 ううん、違う……娘だ。

 ルビーだ。

 私の娘に、私は呼ばれたんだ。

 むすめは何と言ってたっけ?

 カズヤ君は私にプレゼントくれようとしただけだよ。

 私とは? 私?

 私? むすめ……あ、そっか。ルビーにプレゼント渡すんだった。

 誰が? カズヤ。

 カズヤがルビーにプレゼント渡すんだ。

 そっかー。

 じゃあ母親として、明るくしないとね。

 いつも通り、これまで通りの母親でいないと。

 

「…………ルビー」

 

 あ、間違った。えっと、いつも通りはこうだっけ?

 

「……もっと良いプレゼント……ママが、買ってあげるよ?」

 

 ありゃ、違った。おかしいなぁ……もしかしてこう?

 

「ううん、大丈夫だよ? 私にとって、それが一番のプレゼントだもん」

 

 うんうん、ルビーも普通に返してくれるし、これで間違いなさそうっ。

 

「……服でもバッグでもアクセサリーでも……何でも買ってあげるよ?」

 

 でも、いつもこんな感じだったっけ……?

 

「ううん、大丈夫だよ? 私にとって、それが一番のプレゼントだもん」

 

 ルビーって、こんな冷めた様な声だったかな……?

 

「……ママのアイドルのグッズが欲しいなら、何でも好きなだけ買ってあげるよ?」

 

 ……やっぱ、何か変。

 

「ううん、大丈夫だよ? 私にとって、それが一番のプレゼントだもん」

 

 …………変。

 

「もし、お金が欲しいなら……ママがいくらでも上げるよ……?」

 

 ………………ないっ。

 

「ううん、大丈夫だよ? 私にとって、それが一番のプレゼントだもん」

 

 …………どう、やってたか……分かんないよッ!

 大きく震え続ける身体が全く収まらず、カズヤの腕を力の限り抱きしめる。

 分かんない。

 分からなく、なっちゃった。

 今までルビーに、どう接してたか。

 今まで子供に、どう接していたか。

 家族に、どう接していたのか。

 私の言う事をルビーがきかなかった時、どう接してたか、憶えてない。

 笑ってたっけ? 泣いてたっけ? 悲しんでたっけ? 怒ってたっけ? 肯定してたっけ? 否定してたっけ?

 私は愛する子供に……何してたっけ?

 その答えを知りたくて、でも知るのが怖くって。

 只々、カズヤの腕を抱きしめる。

 そして、脳裏に浮かぶ思い。

 ……カズヤだったらきっと、何とかしてくれる。

 そう思った瞬間、心臓が大きく鼓動した。

 そして気付く。

 私は今、何を考えた?

 カズヤだったらきっと、何とかしてくれる。

 そう思ったのか。

 確かにカズヤだったら、何とかしてくれるかもしれない。

 ……でも。

 でも!

 それじゃあ、カズヤに頼り切りだった昔の私に戻っちゃう。

 嫌われてまで私を愛してくれたカズヤ。

 そんなカズヤに、私は何と言った?

 ――自分が嫌われても私の幸せを願ってくれてるカズヤも好きっ! 私に気付かれない様に、私を守り続けてくれてるカズヤも大好きっ! でもそれ以上にっ、こうして一緒にいてくれるカズヤの方が好きでっ、大好きでっ――愛してるんですっ!

 そう言ったじゃないか。

 そしてカズヤと一緒にいる為に、カズヤが気負いなく一緒にいてくれる様に。

 カズヤに支えられながらも、カズヤを少しでも支えられる様になるって、そう思ったじゃないか。

 その思いが、僅かに心へと火を灯す。

 私は、ルビーの母親だ。

 だから、頑張らなくちゃ。

 軽く深呼吸を繰り返す。

 そして、口を開いた。

 

「……ほんとに、これがプレゼントじゃないと……ダメなの……?」

 

 出たのは、先程よりもか細い声。

 でも、言えた。

 勇気を出して母親として、娘に言えた。

 一切の裏が無い、本心。

 それを、娘に伝えられた。

 これできっとルビーも……分かってくれる。

 だって、これ以外なら何でもあげるって伝えてるから、その上での本心を娘に言う事が出来た。

 

 だからルビー、良い子だからママの気持ち……分かってくれるよね?

 

 

 

 

「うん。絶対に、それじゃないとダメ」

 

 

 

 

 何かは分からない。

 けれども何かが自分の中で、僅かに切り替わった様な気がした。

 先程までとは打って変わって、硬さや重さが無くなった唇を動かす。

 

「…………ごめんね、ルビー。これだけは……あげられない」

 

 私が告げた言葉に、見ずともルビーの雰囲気が変わったのを察した。

 

「……カズヤ君のものなのに、勝手に決める権利は無いんじゃないの?」

 

 返す様に放った言葉に乗った感情は、どこか苛立ちを含んでいる様に思えた。

 そんな彼女に、口を開く。

 

「でもね? これはカズヤと私の……大切な思い出なんだ」

 

 私の耳に、何かを強く噛み締める様な音が届いた。

 そして続く、小さな吐息音。

 

 

「……カズヤ君」

 

 

 聴こえてきた声に、全身に謎の悪寒が駆け巡った。

 さっきまでとは違う、明るく……どこか媚びを含んだ声色。

 

「――それ、くれるんだよねっ?」

 

 そう続けた声色には、何故か既視感を抱いた。

 いつかどこかで聞いた声。

 ……いや、違う。

 愛嬌を出しながらも、その奥に僅かに芯を込めた声。

 それは、特定の誰かに向けてだけ、出した事のある声。

 その出し方に、使う相手に、既視感を憶えた。

 まずい。

 そう思い慌てて顔を上げようとした時、頭上から声が聴こえた。

 

 

「……えっと……まあ、プレゼントするって言ってたし」

 

 

 耳に届いた男性の声に、全身から力が抜けるのが分かった。

 崩れ落ちそうになる身体を、その腕を抱きしめ直す事で何とか堪える。

 

「あはッ」

 

 聴こえたのは、確かな笑い声。

 そこに、言葉が続く。

 

「やっぱりカズヤ君は嘘じゃなくて、本当にくれるんだよねっ!」

 

 声色から、その声の主が喜色満面であるという事は容易に想像出来てしまった。

 只々、この現実に実感が無く、無意識に顔を上げればカズヤの顔が見えた。

 どこか罰が悪そうな表情を浮かべながら、反対の手で頬を掻いている姿。

 やがてその視線が下り、目が合う。

 

「……カズ、ヤ……」

 

 何かを言いたかった訳じゃない。

 けど、気付けば名前を呼んでいた。

 互いに、無言で見つめ合う。

 だけどそれは、唐突に終わりを迎える。

 

「……ぁ」

 

 その声は果たして私だったのか、はたまた別の人物のものなのか。

 カズヤの腕を掴んでいた私の身体が何かに強く引っ張られ、カズヤとの距離が開けられた。

 力の入らない身体は、そのままフローリングへと倒れ込む。

 高さは無かったからか、痛みは殆ど無い。

 突然の事態を理解出来ず、呆然と顔を上げれば――見えた。

 

 笑顔で、その手に持ったプラスチックケースを嬉しそうに見つめているルビーの姿。

 

 どこか恍惚とした表情を、カズヤへと向けた。

 そして、静かに告げる。

 

「最高のプレゼント、ありがとっ」

 

 気付けば、身体を起こして走り出していた。

 

「返してッ! それは私とカズヤのッ!」

 

「ア、アイッ!」

 

 ルビーへと手を伸ばした私の身体がカズヤに抱き留められた。

 それでも構わずに腕を必死に伸ばすが、僅かに後退したルビーには届かず、その手は宙を彷徨い続ける。

 

「返してッ! 返してッ!」

 

 じゃないとっ、じゃないと……デビューライブで見た男の子が、消えちゃう。

 カズヤの病室で知った真実が……消えちゃう。

 

「アイッ、お、落ち着けって!」

 

 必死に腕を伸ばし続けながらも、カズヤの声が私の中に入り込んでくる。

 

「返してっ……返してよ……!」

 

「アイ……落ち着いて、落ち着いてくれ」

 

 決して大きくは無い声。

 けど、優し気なカズヤの声は、心の中にあった形容しがたい激情を沈めていく。

 

「大丈夫……大丈夫だから」

 

 その声に、もう腕を伸ばす事は無かった。

 激情は、もう無い。

 けれどその心には、何か埋められない穴の様なものが現れた気がした。

 頭がカズヤの手で優しく撫でられる。

 その感触に、段々と心の中が何かで満たされていく様に思えた。

 ……ずっと、このままでいたい。

 そんな考えが思考の隅に現れた途端、頭を撫でる感触が消えた。

 

「……ぁ」

 

 思わずそんな声を漏らしてしまうが、それでも感触が戻る事は無かった。

 代わりに聴こえてきたのは、声。

 

「ダメだよカズヤ君、妻以外にそんな事をしちゃ」

 

 聴こえてきた言葉に呆然と顔を上げれば、先程まで私の頭を撫でていたであろうその手を自身の頭部に乗せたルビーの姿。

 その光景に、先程まで心にあった何かが消えていく様に感じた。

 同時に、実感してしまった。

 ……カズヤとの大切な思い出が……無くなっちゃった。

 虚無感と喪失感から、心に痛みが走る。

 もう戻らない、大切な大切な思い出。

 

「……なんで、なんで告白なんてしたの?」

 

 気付けば、そんな言葉を口にしていた。

 思考の無い言葉が、私の口から続く。

 

「別に、今までの関係でも良かったんじゃないかな……」

 

 ルビーの視線がゆっくりと、私に向けられた。

 その口が、静かに開かれる。

 

「……今の関係じゃ、満足出来ないから」

 

 その言葉に、思わず目を見開いた。

 今の関係じゃ満足出来ない。

 私が母親でカズヤが父親、アクアとルビーが息子と娘。

 それが、本当の関係。

 それじゃ満足出来ないの?

 

「私は、カズヤ君の特別になりたいんだよね」

 

 特別。

 

「カズヤ君は、カズヤ君だけが本当の私を見てくれる、知ってくれる……教えてくれるんだもん」

 

 ルビーの言葉に、何も返す事が出来なかった。

 カズヤだけが、ルビーの本当を見ている。

 カズヤだけが、ルビーの本当を知っている。

 カズヤだけが……ルビーの本当を教えてくれる。

 その言葉は、まるで。

 

 私はルビーの本当を、何も理解してないみたいではないか。

 

 ルビーの事、私は本当に愛してたよ?

 でもルビーにとって、それは本当じゃなかったって事?

 そんな疑問が浮かぶが、口にする事は出来なかった。

 だってもしそうだとしたら、耐えられるか分からなかったから。

 心が、ルビーの本音を聞く事を拒んでしまった。

 娘の本音も聞けない母親。

 それは果たして……母親と呼べるのだろうか。

 私は、子供達の母親になれてはいなかったんだろうか。

 先程までとは違う虚無感が、心へと渡来する。

 これまで子供達を愛してきたつもりだった。

 これまで子供達を育ててきたつもりだった。

 これからも、子供達の成長を見守るつもりだった。

 でも娘からすると……本音も言えない、母親だった。

 私が抱いた我が子達への愛は、本当の愛ではなかったのか。

 だったら、子供達への本当の愛は……私には、分かってなかったのかな……?

 

「……今までの関係には戻れないのかな」

 

 母親の私がいて、娘のルビーがいる。

 息子のアクアがいて、そして父親のカズヤがいる。

 こんな、こんなありふれた普通の家庭に、戻れないのかな?

 

「未来のことは分かんないよ」

 

 返された言葉に、意識をルビーへと戻す。

 淡々とした表情のまま、ルビーが続ける。

 

「折り合いがついたら……また仲良くなれるのかもね」

 

 それはまた、家族として、母親として、娘として愛せるという事だろうか。

 彼女の言葉が、私の心を痛め続ける。

 だから、それから逃れたくて口にした。

 

「……ルビーは、私のことどう思ってたの?」

 

 もしかしたら聞きたく無い本音が言われてしまうかもしれない問い掛け。

 けど、もう遅い。

 既に言ってしまったのだから。

 でもやっぱり怖くて、言葉を続けた。

 

「ママは、ルビーのことずっと愛してたよ……?」

 

 私の言葉を聞いたルビーが、言葉を返す。

 

「私もママのこと、愛してたよ」

 

 その言葉に、心の中で冷えていた部分が僅かに暖まったのを感じた。

 やっぱりルビーは私を愛してくれてたんだ。

 そして思った。

 もしかしたら、ここで全部伝えれば丸く収まるんじゃないかって。

 本当をルビーに教えてあげれば、ルビーも落ち着いてくれるんじゃないか。

 そんな思いが湧き上がった。

 本当とは何か。

 それは、私達家族の正しい関係性。

 私が、ずっと言わなかった事が、こんな事態を招く原因になったかもしれないから。

 だから、勇気を出して伝えるしかない。

 そう思い、震える口を何とか開く。

 

「……あのね、ルビーのパパは」

 

 けど、ルビーの話はそれで終わりでは無かった。

 

 

「でも、私に隠れて二人で遊んでる姿を見て、嘘吐かれてたんだと思った」

 

 

「……え?」

 

 ルビーの言葉が理解出来ず、声を溢す。

 そんな私を見て、ルビーの目付きが僅かに鋭さを増した。

 

「何ヶ月か前にさ、私に内緒でカズヤ君とデートしたでしょ」

 

 その言葉に、記憶が蘇る。

 カズヤと最後にデートをしたのは……子供達の入学祝を買いに行った時。

 それを思い出し、慌てて口を開く。

 

「あれは……二人にサプライズでプレゼントを買おうと思って」

 

 でも私の言葉は、最後まで言えなかった。

 

「あんなに堂々と、カズヤ君の胸に飛び込んどいて?」

 

 言われた内容に、身体が震えた。

 それは、憶えがあったから。

 私を見ていたルビーが、大きく息を吐く。

 

「……あの日、ママには私が午後から空いてるって事前に言ってたし、前もってカズヤ君からも私とママが空いてる時は二人で来てって言われてたじゃん。なのにあんな事されたら……裏切りでしかないよね」

 

 ルビーの言葉に身体が大きく震える。

 そんなつもりは全く無かったが、結果的に娘を裏切った。

 その事実を認識し、身体の震えが止まらなくなる。

 

「それで、何か言いかけてたよね? 私のパパ? 別に今はそんなの興味無いんだけど。誰がパパだって私には関係無いし。おにいちゃんがいて、カズヤ君と結婚する――それだけが私の本当だから」

 

 ルビーの言葉に、心が裂かれる様な痛みを覚えた。

 普通の家庭なら夫がいて妻がいて、子供がいる。

 それが当たり前で、望むものじゃないの?

 なのに、ルビーは……娘は違った。

 娘は、父親が誰か関係無い。

 娘は、父親が誰か興味無い。

 娘は、カズヤと結婚する事が本当の事。

 兄が居て、カズヤと夫婦になるのが本当の姿。

 なら私はルビーにとって……家族じゃない。

 家族じゃないなら……私は、誰?

 娘から告げられた本音に、意識が飛びそうになる。

 でもそんな時、私を抱き留めている腕の力が僅かに強まるのが分かった。

 その人物の仕草から、何か意を決した様な決意を感じ取る。

 それが誰のものなのかを認識し、僅かに震えが収まった。

 ……カズヤ。

 まるで縋る様に、心の中に浮かんだ名前。

 けれども、それは叶う事は無かった。

 

「……カズヤ君、ママから離れて」

 

「え……?」

 

 ルビーの言葉に、カズヤがどこか呆けた様な声を漏らした。

 それはどこか意を決した最中に肩透かしを食らったかの様な声色。

 

「いいから早く」

 

「……いや、えっと」

 

「早くしてよッ!」

 

 煮え切らない態度のカズヤを、ルビーが怒鳴りつける。

 その声に、再び身体の震えが止まらなくなった。

 娘の声に怯える母親。

 そんな情けない私だけど、どうする事も出来なかった。

 だって、取り繕えない、アイドル(嘘吐き)になれない私は、心の弱い只のバカで何も出来ない人間なんだから。

 

「私よりアイの方が大事なのッ!? ねぇッ!?」

 

 そんな声、聴きたくない……。

 だってそんな声きいたら……おもいだすから。

 かずやとあうまえには、もどりたくない。

 

「あっ、と……わ、分かったよ」

 

「…………ぁ」

 

 突如失われた温もりに、声を漏らす。

 聞き逃す程に小さな声で呟かれた「……ごめん」という言葉と共に、私を床に下ろしてカズヤが離れていくのが分かった。

 慌てて顔を上げて腕を伸ばす。

 だがその手は、

 

「はい、カズヤ君は私の横にいてっ」

 

 ルビーに引っ張られカズヤの距離が離れてしまった事で、虚空を彷徨うだけだった。

 カズヤはルビーの横に立ち、どこか難しい表情を浮かべながら私達を見ているだけ。

 ルビーの視線が再び、こちらに向けられた。

 先程の声を思い出し、身体を震えが大きくなる。

 思わず顔を逸らして、床へと視線を落とした。

 そこに、声がかかる。

 

「私も三人でこのまま仲良くいようと思ってた。でも、最初に裏切ったのはそっちだから、仕方ないよね」

 

 無機質な声に、震えるばかりで何も返せない私。

 こわい……なぐらないで……。

 ごはん……くちのなか……いたいの。

 なかないから……ずっとわらってるいいこになるから。

 

「私、これからはカズヤくんちに住むから」

 

「……えっ?」

 

 ルビーの言葉に、カズヤが素っ頓狂が声を返す。

 

「良いよね?」

 

「えっ……えっと、そのー……」

 

「良いよね?」

 

「…………はい」

 

 聴こえてきたのは、私を介さない二人だけのラリー。

 その会話に、家族であるにも関わらず混ざる事の出来ない喪失感が募る。

 でも、やっぱり恐怖心が勝り、何も言う事が出来なかった。

 

「じゃ、荷物は纏めてたし、それ持ったら行こっか!」

 

「……ん? 纏めてた?」

 

 楽し気なルビーの声に、カズヤが言葉を返す。

 

「元からそのつもりで準備してたし」

 

「…………なるほどなぁ」

 

 その会話が終わり「もう行こっか!」と明るいルビーの声と共に、動き出す気配を感じ慌てて顔を上げれば、入り口へと向かう二人の姿。

 だが途中で足を止めたルビーがこちらへと振り返る。

 

「私が出会うまでの思い出はアイにあげる……でも――アイドルとしても女としてもカズヤ君の本当は、あげないから」

 

 ルビーに引っ張られる様に歩いていくカズヤの後ろ姿が徐々に遠くなり、気付けば意味も無く腕を伸ばしていた。

 入口から出る直前、カズヤの顔がこちらを向く。

 目が合った。

 そして、慌てた様にこちらへと唇を何度か動かす姿が見える。

 やがて、完全に姿を消した。

 聴こえる、玄関のドアを開けた音。

 そして、閉まった音。

 伸ばしていた腕が、床に落ちる。

 残ったのは、静寂だけだった。

 

「助けてよ……カズヤ」

 

 意味も無く、そんな言葉を呟いた。

 同時に、そんな言葉に……既視感を抱いたのだった。

 記憶が徐々に蘇る。

 それは、カズヤと共演したドラマ。

 カズヤ演じる主人公と結ばれるのは、別の女だった。

 だから、作品を食った。

 本当に結ばれるべきは、その女じゃないと知らしめる為に。

 その時に私を睨んでいた女に……私は何と思ったのか。

 

 

 ――残念だったね、正式でお飾りなヒロインさん。

 

 

 慌てて首を横に振るが、私の呟きに答える者は誰も居ない。

 居て欲しい人が、ここには居ない。

 他に誰も居ない、私だけ。

 その事実を認識する事を必死に拒む。

 だって、これを認めちゃうと。

 それがまるで、現実みたいで。

 今までの全てが、夢だったみたいで。

 夢だと思いたくないから、目を瞑りたくなくて。

 このまま目を瞑ったら……カズヤにあうまえにもどってしまいそうで。

 かずやがいない世の中で、いきていかなきゃいけないみたいで。

 ゆっくりと身体を動かし、床に座る。

 立てた両膝に顔を埋め、先程から怒涛の様に押し寄せる……孤独という感傷を必死に堪える。

 目を瞑るのも怖いから、瞬きもしない様に我慢する。

 だって一回でも目を閉じたら、全てが無かったことになりそうで、もしそうなったら気がくるってしまう。

 そんなの、耐えられない。

 

「…………かずや」

 

 気付けば、口からそんな言葉が出ていた。

 

「…………かずや……かずや」

 

 言葉が、止まらない。

 

「……かずや……かずや……かずや」

 

 その名を呼べば、言えば、聞けば。

 カズヤが私の中に現れた。

 

「……かずや……かずや……かずや……かずや」

 

 呼び続ける限り、頭の中からいなくならない。

 

「……かずや、かずや、かずや、かずや、かずや」

 

 カズヤが、私に言ってきた。

 

 

 ――ごめんな? この歳になって初めてプレゼントを渡す幼馴染で。

 

 

 床に落ちていた手提げバッグを勢い良く逆さにし、その中から床に転がった中身を手で払い飛ばしていく。

 そして見つけた……小さな、小さな箱。

 どこか高級感のあるその箱の蓋を開ける。

 開けられた蓋の下から見えたのは、記憶と寸分違わぬ純銀の指輪。

 それを見て、何故か涙が溢れてくる。

 止まらない涙。

 それを拭う事無く、指輪が収まった箱を胸に強く抱きしめる。

 その感触が……カズヤが居る事を、カズヤが私を愛してくれている事を証明してくれる。

 カズヤは、居る。

 それが、本当。

 カズヤは、私を愛してる。

 それが、本当。

 絶対に嘘じゃない、本当に愛してる。

 大丈夫、カズヤがいれば……全部、本当だから。

 カズヤがいれば……大丈夫だから。

 カズヤがいれば……。

 

 

「……カズヤ……カズヤ……カズヤ、カズヤ……カズヤ、カズヤ、カズヤ、カズヤ、カズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤカズヤ」

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