"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」   作:あるミカンの上にアルミ缶

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第161話

「共演は何年ぶり? てっきり役者辞めたんだと思ってた――今はアイドルだもんね?」

 

「ずっと板上に引き籠ってお金にならない仕事してても仕方なくない? あっ、そう言えば最近恋愛リアリティーショー出てたっけ――私生活を切り売りして同情で助けて貰って、人気出てきたらしいじゃない」

 

 ヨカッタワネー。

 それが、スタジオの前で耳に届いた最初の会話。

 左右の耳からそれぞれ入ってきた言葉だった。

 俺を挟んでやるな。

 その言葉は辛うじて口から出る事無く、付き合ってられないと再び歩き出せば、またもや左右の耳にそれぞれの呟きが届く。

 

「かなちゃんがピーマン体操とかふざけた曲出してる間も。私はずっと稽古してた……積年の恨みを晴らすチャンスがやっと来た……負けないぞ……」

 

「絶対に負けない絶対に負けない絶対に負けない絶対に負けない……!」

 

 ……役者ってどいつもこいつも、負けず嫌いが多いな。

 舞台"東京ブレイド"。通称"東ブレ"。

 そのスタッフ顔合わせの当日に、最初に抱かされた思考だった。

 建物の前で有馬と合流し共に入ったまでは良い。

 目標のスタジオが見えたその時、反対側から歩いてくる人が見えた。

 黒川あかね。

 彼女は俺達を見つけると笑顔で足早に近寄って来ては、俺への挨拶も早々に有馬へと目を向けて、そう言ったのだった。

 対する有馬は澄ました表情で、あかねへと刃を飛ばし返す。

 その後に異口同義な呟きを耳にし、思わずそんな感想を抱いたのだった。

 有馬からあかねへの嫉妬は、聞いていた。

 だが、あかねから有馬への嫉妬心は初めて知った。

 しかし彼女から有馬への強い嫉妬は、どこか有馬が抱く嫉妬と似た様に思える。

 認めたくないのに認めざるを得ない、だがそれを認められない。

 そんな思いが、二人の中にあるのではないかと思えた。

 有馬に対するあかねの嫉妬。

 それは役者として有馬に嫉妬する状況を想定すれば、納得出来る。

 もしあかねが子役から活動していたなら、その時の天才は有馬。

 故にその輝きが鮮明の残っていれば、今の状況で対抗心を剥き出しにするのも理解出来たのだ。

 ……まあ、俺には関係ないが。

 スタジオに入りながら思考を切り替え、有馬に続いて自己紹介を済ませる。

 空気感としては然程悪くないと思えた。

 俺達が入って来たドアが開き振り返れば、サングラスをかけたツートーンヘアーの男が立っており、その後ろに更に年嵩の男が控えているのが見える。

 中へと入りながら、ツートーンヘアーの男が口を開く。

 

「皆早いねー、まだ一〇分前なのに。揃ったみたいだから紹介始めちゃおっか」

 

 そう口火を切って、男が続ける。

 

「ボクの名前は雷田(らいだ)、この公演の総合責任者。で……こっちが演出家の(きん)ちゃんね」

 

 言葉と共にもう一人の男へと手を翳した。

 隣に立つ年嵩の男が口を開く。

 

金田一(きんだいち)敏郎(としろう)だ」

 

 そう一言だけの、紹介。

 だが、俺には十分だった。

 金田一敏郎。

 この男が、"劇団ララライ"の代表。

 前情報と名乗りで情報が一致し、バレない様にこの男の様子を詳しく観察する。

 関係性が皆無な今、不用意に行動する事は出来ない。

 ララライの主宰を紹介すると以前鏑木から言われていたが、今日を迎えるにあたり鏑木から来た連絡。

 ――星野アクアって子が、僕の紹介で今度一緒に舞台をやるからよろしくって伝えておいたよ。

 そして続いて言われた言葉。

 ――この世界は貸し借りだ。君が借りを返してくれたら、また"貸そう"。

 だからこそ、まだ関係値が無いに等しい状況。

 存在は認知してもらっているが、ただそれだけ。

 けれど、鏑木の言った"紹介"を果たしているのも、また事実。

 ターゲットを目の前にし、足止めをくらった様な焦燥感はあれど、慌てて失敗してしまえば本末転倒だ。

 この舞台の間に、出来るだけ早くこの男との関係値を構築する。

 それが、俺がこの舞台に挑む意味。

 他の役者やスタッフの挨拶が続き、劇団ララライに所属する者は漏れる事無く記憶し、ターゲットとして観察していく。

 この舞台の演者は、約半数が劇団ララライ所属の人物で構成されている。

 その中であかねも紹介を済ませ、やがて全員の紹介が終わった。

 全員を把握、記憶した。

 

「このメンバーで一丸となり、舞台"東京ブレイド"を成功に導きましょう!」

 

 腕を大きく広げ全員を鼓舞する様な声を上げた雷田の言葉で、顔合わせが締められたのだった。

 

「今日は顔合わせだが、主要メンバーは一通り揃ってるみたいだな」

 

 続けて声を上げた金田一に、全員が目線を向ける。

 

「このまま本読みもやっちまうか」

 

 そう言って開始時刻を告げた金田一がスタジオを後にした。

 台本を受け取り、流し読みの要領で内容に目を通していく。

 先に受け取った有馬は簡単に台本を流し読み、俺らと同じく"鏑木組"として参加する事となった鳴嶋メルトの下へと足早に歩いて行った。

 この舞台はどうやら原作にある、主人公達が所属する"新宿クラスタ"と、敵として立ちはだかる"渋谷クラスタ"の二チームが争う"渋谷抗争編"を柱にシナリオが展開する様だ。

 有馬は主人公側である"新宿クラスタ"に所属する"つるぎ"というキャラクターを演じ鳴嶋メルトもまたそちらの陣営、"渋谷クラスタ"という敵側の"鞘姫(さやひめ)"をあかね、その味方であり許嫁でもある"刀鬼(とうき)"役が俺。

 シナリオを見れば演出上の都合とでも言えば良いのか、幾分か原作とは異なる脚本。

 けれども、"今日あま"に比べれば十二分に原作沿いの内容である。

 それぞれの役を見ながら読み進めて、抱いた感想。

 

「有馬との共演はラストの数シーンだけか」

 

 何となく呟いた言葉。

 

「かなちゃんと仲良いみたいだもんね、今日も一緒に来てたし。共演シーン少なくて残念だったね……」

 

 不意にかけられた言葉に、意識がそちらへと向く。

 俺の近くで台本に目を通していたあかねが、俺へと返した言葉だった。

 彼女の言葉に、軽く息を吐く。

 

「いや逆」

 

 そう言って、言葉を続ける。

 俺は別に、有馬との出番が少なくて残念に思ってる訳じゃない。

 

「あいつは演技の話になると熱が籠もり過ぎて怖いからな。出番ズレてる方がグチグチ言われるタイミングも少なそうで助かる」

 

 俺の言葉に、あかねは僅かに黙る。

 そして再び口を開いた。

 

「でも、楽しくない? 演技の話。私は無限に出来ちゃうなぁ……」

 

 彼女の言葉に、溜息を吐いてしまった。

 

「勘弁してくれ、それが通じるのは演技に情熱持ってる奴だけだ」

 

 そう本音を告げれば、あかねは黙って俺の目を見つめてきた。

 けれども僅かな時間。

 やがて口を開く。

 

「……情熱、無いの?」

 

 その問い掛けに、返す言葉は一つ。

 

「無いよ」

 

 これ以上話す事は無い。

 台本を閉じて、あかねから離れる。

 演技に対する情熱。

 舞台に立つ奴は基本的に演技が好きで、演技に真摯な奴ばかりだ。

 だから、演技に対する情熱を持つのは、そんな奴だけだ。

 俺は違う。

 演技は父親を捜し出す為の、手段でしかない。

 スタジオへと戻って来た男に、顔を向ける。

 "劇団ララライ"代表、金田一敏郎。

 この男に近付く為の手段。

 お前らは演技が目的で、俺は手段。

 第一に考えているモノが、お前らとは違うんだ。

 この男が戻って来たという事は、そろそろ本読みが始まるんだろう。

 ターゲットの下へと足を進めた。

 

 

 稽古が始まってからそれなりの日数が経った。

 他の現場と掛け持ちしてる奴もおり、役者全員が集まれる機会というのはほぼ無い状態での稽古だったが、今の所は順調に進んでいる様に思える。

 午前中から稽古が始まっており、今日は演出家である金田一だけではなく、この舞台の脚本家も参加しての稽古を行っていた。

 脚本家が参加した理由。

 スタジオ内のホワイトボードに堂々と書かれたその情報から、脚本家が参加した理由がすぐに分かった。

 本日一二時から原作者の方がおこしになります。

 "東京ブレイド"の作者が、ここに来るのだ。

 

「ねぇ、この脚本てどう思う……?」

 

 他の役者も各々動いている中、共演シーンの内容について話し合う為に隣に居たあかねから声を掛けられる。

 顔を向ければ、こちらにも見える様に台本を向けてくる。

 あかねが、台本内の一点を指差す。

 

「ちょっと原作とは違うでしょ?」

 

 問い掛けに合わせて示された場所を見れば、確かに原作の内容とは異なった鞘姫のセリフ。

 だが。

 

「ああ。でも、割と原作に準拠した脚本だと思うぞ」

 

 漫画と舞台ではシーンの連続性が異なる。

 故に、セリフの改変は仕方の無い事。

 それは俺よりも舞台に精通しているあかねの方が知ってそうなもんだが、それでも声を上げるという事は何かあるんだろうか。

 そう思い再び口を開く。

 

「気になる所があるなら、直接聞いたらどうだ?」

 

 俺の視線の先に居るのは、この舞台の脚本家。

 あの人が、謂わばこの台本の原作者。

 だからこそ、疑問があれば聞くにはちょうどいい機会。

 そう考えた上であかねに問い掛けた訳だが。

 

「駄目だよ!」

 

 何やら焦った様な表情で、小声で怒られた。

 そして目線を逸らしたあかねが続ける。

 

「演技の指導は演出家から受けるもの。そこの指揮系統を崩したら駄目なの」

 

 多くの人にあーだこーだ言われたら役者も混乱するでしょ?

 とかなんとか言い訳がましい論説を続けるあかねから顔を逸らした。

 だったら俺に聞くなよ……。

 そう思った俺は、絶対に悪くない。

 未だに一人でブツブツと高説を垂れる姿を尻目に、台本を開き内容の再確認を行おうと目を向けた。

 その時、入り口側から声が届いたのだった。

 

「はーい、おつかれー!」

 

 声に反応し台本から顔を上げれば、雷田の姿があった。

 そして。

 

「今日はスペシャルゲストがお越しですー!」

 

 その後ろに、三人の人間が立っていた。

 女性が二人。亜麻色の髪と、黒髪。

 亜麻色の髪の女性は、俺の知っている人物だった。

 その人物の後ろに隠れる様にして、背が低めの黒髪の女性がこちらに顔を覗かせている。

 だがその目は、誰からも逸れていた。

 残る一人は眼鏡をかけた男性で、一番後ろに立っていたのだった。

 雷田が横に避け、俺が知っている女性も少し横に移れば、隠れていた女性が衆人の目に晒される。

 その場で立ち尽くし、両手を胸の前で握りながらそわそわと落ち着かない様子の女性。

 やがて、俺達から目線は完全に逸らしたまま静かに口を開いた。

 

「あ…………えと…………こんにちは……」

 

 声ちっさ。

 そう思った俺は、絶対に悪くない。

 以降無言となった女性を只々見ている事しか出来ない俺達。

 そこに、横に居た女性が前にカットインしてきた。

 黒髪の女性を掌で指しながら、慌てた様に口を開く。

 

「"東京ブレイド"作者のアビ子先生!」

 

 そして続けた。

 

「…………と、付き添いの吉祥寺と申します」

 

 彼女の言葉に、漸く確信。

 入って来た時から、黒髪の女性が誰なのかある程度予測はしていた。

 俺が知っている方の人物。

 "今日あま"の原作者、吉祥寺頼子。

 彼女は"今日あま"ドラマの打ち上げで、挨拶程度ではあるが接点があった。

 制作に携わった人数の多さにどこか圧倒されつつも、その中で見た光景。

 打ち上げ会場で、主役を演じた有馬へと頭を下げた彼女の姿が印象的だったから。

 

 ――貴女が、あの子を演じ続けてくれた事で、この作品は支えられていたと思います。ありがとうございました。

 

 その姿に、彼女の胸中を察さざるを得なかった。

 カズヤの乱と呼ばれた"明日わた"。原作者の意図を優先で考え抜かれたあのドラマの想いとクオリティを知る彼女からすれば、"明日わた"から"今日あま"へと受け継がれた唯一の光が、有馬かなしか居ない。

 希望を託された有馬が漸く最後に、理想を叶えてくれた。

 ――それでも、光はあるから。

 主人公のその姿を、有馬はしっかりと吉祥寺先生へと届けられたのだから。

 その証拠に。

 

「吉祥寺先生お久しぶりです!」

 

「有馬さんっ」

 

 二人が久々の再会に手を取り合って喜んでいる。

 吉祥寺先生が俺を見つけた。

 

「アクアさんもまたお会い出来て嬉しいです」

 

 そう笑顔で声を掛けてくる彼女に「光栄です」とだけ返した。

 

「先生、おひさっす」

 

 だが続いて、主人公の想い人を演じた鳴嶋メルトが話しかければ、

 

「あっ……ども……」

 

 感情を灯さない笑みで、そう返すのだった。

 顔を引き攣らせながら下がっていく彼から目を逸らせば、あかねが"東京ブレイド"の原作者であるアビ子先生へと近付いていくのが見える。

 

「先生、初めまして」

 

 普通の挨拶をしたあかね。

 だがその瞬間、話しかけられた人物が居なくなる。

 瞬時に吉祥寺先生の後ろへと、隠れてしまった。

 何やら二人でコソコソ話していたが、用意された椅子へと雷田に案内され腰掛けたのだった。

 その後は稽古が再開され、原作者が見ている中、それぞれがそれぞれのシーンを演じていく。

 彼らの姿を見ているアビ子先生は芝居に没頭している様であり、時には笑顔を浮かべている姿も見受けられた。

 そんな姿を見た後、そろそろ自分のシーンに入ると思い意識を切り替えれば、何やら騒がしい気配を感じる。

 思わず顔を向ければ、脚本を見ながらアビ子先生が、言った。

 

「全部?」

 

 全員の動きが止まる。

 演者は芝居を止め、制作陣は固まり、吉祥寺先生は頭を抱えていた。

 そんな中アビ子先生が顔を上げる。

 

「脚本……全部直してください」

 

 そこからは彼女と制作陣との折衝が始まり、演者の中には帰宅する者も現れ始めた。

 そんな姿を見ながら思う。

 確かに、原作者と揉めている様じゃ色々と作業や手続きのし直しが発生するだろう。

 

「もう私に全部脚本、書かせてください」

 

「いや、ちょっとそれは……!」

 

 雷田が慌てて眼鏡をかけた男性へと顔を向ける。

 

「編集部的にもアレでしょう?」

 

「いや、もう本当に……」そう答えるは、眼鏡の男性。

 

「絶対やります。じゃなきゃこの劇の許諾取り下げます」

 

 他の人の話なんか耳に入っていない様子のアビ子先生がそう告げれば、制作陣や編集部の男性の魂が抜けた様な錯覚を覚えた。

 その後も話し合いを進めようとするが、暖簾に腕押しの様子。

 結局、平行線のままにアビ子先生がスタジオを後にしたのだった。

 静まり返るスタジオ。

 何ていうか、カオスだった。

 そんな感想を抱きつつも、金田一から新しい脚本が来るまでは稽古が中止だと言い渡され、解散となったのである。

 何でも良いから早く新しい脚本来い。

 でなければ、俺に残された猶予が無駄に短くなってしまう。

 そんな事を考えながら、スタジオを後にしたのだった。

 

 

 

 

「ストップ」

 

 その声に、芝居を止める。

 顔を向ければ、椅子に掛けた金田一の姿。

 結果的に言えば、数日経って新しい脚本が届いた。

 数日振りに見た雷田の顔が青白かった事以外は何も変わらず、無事に稽古が再開されたのだった。

 俺の芝居を見た金田一が、腕を組み不満気な表情を浮かべたままに、言葉を続ける。

 

「刀鬼、ここはお前の一番の見せ場だ――もっと本気で」

 

 真剣な彼の表情から出された言葉に目を逸らし「すみません」とだけ返した。

 この男の言わんとする事は、理解出来る。

 

「物語のクライマックス……戦闘の最中、重傷を負い倒れた鞘姫。絶望する刀鬼……だが、奇跡的に目覚めた鞘姫を目にして、刀鬼はどういう感情を抱く?」

 

 問い掛けに対して、答えは既に持っていた。

 

「不安からの解放……強い喜びと希望……でしょうね」

 

「そうだ」金田一が頷いた。

 

 このシーンでの刀鬼と感情は、原作と舞台の台本から読み取っており、俺はそれを再現したのだ。

 金田一が言葉を続ける。

 

「お前は確かに原作通りの演技をしている……が、舞台はもっと強く感情を出さなければ客席に届かない」

 

 俺の演技は間違ってはいない。

 キャラクターの心理を理解した上で、それを再現しているのだから。

 だがそれでも、この男が芝居を中断させた理由。

 俺の演技が、この舞台に合った演技ではないから。

 カメラを通した演技に、ダメ出しをしたのだ。

 故に、この男が止めた理由も理解出来ていた。

 全ては、新しく届いたこの脚本のせいだった。

 書き直された脚本は悉く状況説明のセリフが削がれており、キャラクターの動きに応じたセリフが中心となっている。

 故に今までの演技では、当て嵌まらない脚本へと改変されていた。

 だが、どうしようもなかった。

 

「もっと感情を引き出せ。ここは感情演技のシーンだ」

 

 それが出来れば、苦労はしない。

 

「次のシーンをやるぞ」

 

 告げられた言葉に、あかねと共にその場を離れる。

 壁際に座り、入れ替わりで中央に立った役者達をただ眺める。

 そんな俺に、隣に腰掛けた人物が話しかけてきた。

 

「まぁまぁ、アクアくんは舞台初挑戦だし、バランス分からないよね」

 

 あかねの言葉の真意は、すぐに掴めた。

 共演する場面が多いからこそ、掛けてきた言葉。

 

「ちょっとずつ合わせていけば大丈――」

 

 俺に対するフォローの様な言葉が、最後まで言い切られる事はなかった。

 何故なら。

 

「甘やかしちゃダメ」

 

 演技の話になると熱が籠もり過ぎるやつが、近付いてきたのだから。

 顔を向ければ、憮然とした表情で見下ろす有馬の姿。

 

「アクア。アンタ、感情演技した事ないでしょ?」

 

 その言葉に、内心で同意する。

 金田一からも言われた、欠点。

 

「演技って結局、人格が出るのよね。アクアは普段から感情を表に出さない。だから演技にも感情が出てこない」

 

 その言葉にも、同意。

 対外的に感情を出す必要性が無く、そもそも対外的には出せない感情を強く抱いているのだから、出せる訳が無い。

 

「どこかで見た見本を、見本通りに再現する事しかして来てない」

 

 これはアクアの性質の問題。

 そう告げる有馬に、やはり同意。

 何と無しに有馬から視線を外し、床へと向ける。

 演技とは手段であり、それを更に昇華させようと思っていない俺からすれば、演じ方とはそれで十分に感じてしまう。

 シーンを理解し、演出や構成を理解していれば、後はそこに最適解と思える演技を当て嵌めるだけ。

 それだけで十分に、見れる芝居になるのだから。

 だけど……。

 分かってる。有馬の言う事は全て正しい。

 俺は感情演技が出来ない。

 感情を昂らせて涙を流すなんて以ての外。

 ――もっと感情を引き出せ。ここは感情演技のシーンだ。

 感情演技が出来なければ、あの男からの評価が貰えない。

 だったら、感情演技が出来る様にならなければいけない。

 しかし、それの最適解となる考え方が分からない。

 俺の中には、それに該当する答えが無いから。

 僅かに視線を上げる。

 ……なら、その答えを貰えば良い。

 有馬かな。

 十秒で泣ける天才子役。

 泣くとは、最上級の感情表現。

 それを、ただ涙を流すではなく感情を伴って行える彼女であれば、俺にとって参考になり得る答えを持っているかもしれない。

 静かに、口を開く。

 

「有馬は、どうやって泣きの演技をしてるんだ?」

 

 自分の考えと人の考えは違う。

 だからこそ、参考になる。

 例え同じ意見だったとしても、他人から言われる事で新たな発見を生む事もある。

 そして何より、他人の声で言われる事で……鮮明に思い浮かぶ事もある。

 だから仮に有馬が俺の中にある情報を出したとしても、それが新たな発見に繋がる可能性があった。

 

「んー……感情泣きとか体泣きとか手法は色々あるんだけど……」

 

 目を瞑り、記憶を呼び起こしている様な口調。

 やがて何かを思い付いた様で、目を開けて笑顔を向けてくる。

 

「子役の世界でよく使われてるのは……」

 

 有馬が、俺の耳へと口を近付けた。

 

 

 

 

「アクアくん……もし、お母さんが死んじゃったらどうする?」

 

 

 

 

 ――…………母、さん?

 

 その光景を、思い出した。

 真っ暗な部屋の中で一人、怯えた様に座り込んだアイ(母さん)の姿。

 

「ってやつ! 目の前の物を大切なものと思いこんで泣く手法ね!」

 

 あの時、アイ(母さん)は……生きてた。

 

「今回の場合、"刀鬼"は生きてる"鞘姫"を見て喜びに包まれているわけだから……まぁ、嬉しかった事を思い出しながら演技すれば良いわけよ」

 

 でも、もし。

 もしも、あの時。

 アイ(母さん)が……。

 

 ――アク、ア……。

 

 あの声が、聞けなかったら。

 もう二度と、聞けなくなってしまったら。

 今朝、笑顔で見送ってくれた、その笑顔が……夢だったら。

 

「アンタだって、嬉しかった事の一つや二つあるでしょ?」

 

 俺は、どうしていたんだろう。

 何かをやったのか。

 何もやれなかったのか。

 分からない。

 分かりたくも、ない。

 脳裏に浮かび続けるのは、あの日の光景の"もしも"。

 嘘だと思っても、こびりついて決して離れない光景。

 夜。

 帰宅して、暗がりの部屋に灯りを点ける。

 誰も居ないと思っていたその部屋。

 だが、居た。

 アイ(母さん)が。

 "横たわった"アイ(母さん)が、居た。

 そして彼女を中心に、遠方にまで飛び散った、"血"。

 その光景で、理解する。

 理解して、しまった。

 

 アイ(母さん)が…………死んだ。

 

 全身から血の気が抜け、力が入らなくなる。

 今までの日常(幸せ)な記憶が掠れ、色褪せていく。

 徐々に小さくなっていく幸せ(現実)の光景、代わりに残る不幸(もしも)の光景。

 不幸(もしも)だけが残りかけた記憶に、心に怯えた。

 嘘だ、これは嘘だと、強く自分で思い込ませた。

 アイ(母さん)は死なない、アイ(母さん)が死ぬ筈が無いと。何度も、何度も、何度も。

 次第に脳裏からその光景が薄まり、怯えながらも座っているアイ(母さん)の姿へと変わった。

 ――何が……何があったんだ、母さんッ!

 脳内で、俺が駆け寄っていく。

 これが、本当だ……。

 そう思えた。

 けれど、脳裏に存在し続ける"もしも"の光景。

 それが完全に消える事は無かった。

 ……そんなの、認められない。

 心の中で呟く。

 母さんは……死なない。

 心の中に言い聞かせる。

 母さんは……死なせない。

 

 ――あっ、おかえりアクアっ。

 

 あの光景を、失う訳にはいかない。

 あの光景を、命を懸けても守る。

 何をしてでも、必ず。

 怯えが鳴りを潜め、違った感情が心を支配し始める。

 母さんがいて、妹がいる。

 その日常(幸せ)を絶やす奴は、許しはしない。

 心臓が早鐘の様に鼓動を続け、その速度を上げていく。

 俺が、俺が、守り抜く。

 "もしも"なんて事は、絶対に起こらせない。

 心が、頭が、燃える様に痛い。

 けれど、"もしも"が起こってしまったなら絶対に、こんなもんじゃ済まない。

 そんな事、絶対にあってはならない。

 視界が霞み、思考だけが唯一の道標となり、進み続ける。

 あの笑顔が、あの仕草が、もう見られないなんて事は絶対に……あってはならないんだ。

 だから俺は……。

 母さんを殺そうとする奴は、必ず――。

 脳裏(もしも)の光景が、再び大きくなり始める。

 何かが、外れた気がした。

 心臓が、一際大きく鼓動する。

 

 アイ(母さん)が、死ぬ。

 

 視界が、鮮明に戻った。

 

 …………そんな事。

 

 

 

 

「――――そんな事、させる訳が無いだろ」

 

 

 

 

 心の底から湧いて出た言葉。

 誰もが言葉を発する事無く、全員が俺を見ている。

 何も言わず、個人差はあれども全員が驚きの表情を示している。

 だから、何だ。

 そんな光景に、何も感じる事は無かった。

 あるのは、心の中の抑えきれない程の激情のみ。

 怒り、不安、焦り、悲しみ、恐怖。

 全ての負の感情が混ざり合い、激しい炎となって俺の心を燃やし続ける。

 そんな事、させる訳が無いだろ。

 

 俺は必ずお前を――。

 

 不意に、声が届いた。

 

 

「それだ。その憎しみへの感情の動きが、鞘姫が目覚める前にお前が抱く感情だ。だが、セリフの意図も理解して絶望を続けろ。憎しみはその後だ。そして鞘姫が目覚めた直後の感情も、同じ様に解放出来る様になれ」

 

 

 遠くから掛けられた声。

 その言葉に、思考だけが冷静に戻る。

 言われた内容を、鑑みる。

 この感情を……演技に活かす。

 それが、お前の望みか。

 それが出来れば、俺を認めるのか。

 これをやれば、お前からの評価が上がるのか。

 これが、父親に近付く手段になるのか。

 

 

「…………はい、分かりました」

 

 

 顔を向ける事無く、言葉を返す。

 遠くから――金田一の声が聴こえた。

 

「よし。なら、鞘姫と刀鬼のシーンからやり直しだ」

 

 その言葉に、ゆっくりと立ち上がる。

 有馬が、あかねが俺を見ているが、構わずに歩き出す。

 この感情が必要だと言うのなら。

 この感情から出るモノが必要になるなら。

 このモノが、父親を捜し出す力になるのなら。

 この力を、必ず身につけてやる。

 絶対に、絶対にだ。

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