"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」   作:あるミカンの上にアルミ缶

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第162話

 ルビーは学校へと登校した。

 珍しく夕方から仕事の予定で、半休と呼んで差し支えないそんな日。

 天使ちゃんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、優雅に過ごした午前中。

 天使ちゃんが作ってくれた昼ご飯に舌鼓を打ったその後。

 俺は、テーブルに座っていた。

 天使ちゃんが、佐山さんが、俺の後ろに立っている。

 何て事は無い、日常的な面子。

 だが、俺の向かいには、彼ら以外の存在が居た。

 

 椅子に座り、すんげー落ち着かなそうにソワソワしながら、決して俺と目を合わせない黒髪の女性。

 その隣で何度も何度も俺へと頭を下げ続ける、亜麻色の髪の女性。

 

 漫画家の二人が、何故か俺の家に居た。

 何でこんな事に……。

 事の発端は、午前中に起こった。

 

 

 家を出るルビーを見送り、天使ちゃんと雑談を交わしながらコーヒーを嗜んでいた晴れやかな午前中。

 不意に、テーブルに置いていた俺のスマホが振動した。

 それは着信であり、相手は佐山さん。

 仕事の事で何か話でもあるのかと思い、スマホを手に取り通話状態にして耳に当てる。

 

『カズヤ君、今ちょっと時間あるかい?』

 

 その言葉に、急ぎの何かが発生したんだと把握。

 というか、緊急の案件以外で佐山さんが俺に電話してくる事は無い。

 チャットで連絡を取り合っているのが日常なのだから。

 故に俺の返答は決まっていた。

 

「大丈夫だよ。どうせ仕事までやる事も無かったしさ」

 

 気を使うでもなく、本心からの回答。

 夕方からの仕事までの予定は特に無く、家でぐだぐだしながら天使ちゃんとでも駄弁っていようと思ってたくらいだ。

 別に外に出て何かをしたいという気持ちも湧かず、只々時の流れに身を任せてゆっくり過ごすのが俺流なのである。

 俺の返しに、佐山さんが告げる。

 

『だと思ってたから、昼過ぎくらいからちょっと予定入れる事にしたよ』

 

 俺の事分かっていすぎぃ。

 佐山さんの言葉にそんな感想を抱くが、特段の驚きはない。

 これぞ佐山クオリティなのである。

 だから俺の返答も、一つ。

 

「あいよー」

 

 拒否する理由も無く、そう答えた。

 それで、一体どんな仕事が入ったのか。

 

『特に外に出る訳じゃないから、着替えておくかどうかはカズヤ君の判断に任せるよ。昼過ぎに相手をそっちに連れてくから』

 

 佐山さんから告げられた内容に、思わず首を傾げる。

 相手をそっちに連れてくから。

 それはつまり。

 

「家に誰か来るって事?」

 

 そう返せば、佐山さんから肯定の言葉が来た。

 なるほど、分からん。

 でもまあ、佐山さんが連れてくると判断した人物だから、悪い人では無いんだろう。

 

「分かった。じゃあ家で待ってるよ」

 

 ありがたい事に、天使ちゃんやルビーのお陰で我が家はいつもショールームばりの綺麗さを保っている。

 ……あれ? 俺って何もしてなくね?

 思わず浮かんだ感想を振り払う。

 い、いや、俺が手伝おうとすれば二人が反対して、特に天使ちゃんが涙目になってそれをルビーがジトっとした目で見てるから、俺は手伝わないんじゃなくて、手伝えないんだ。だからこれは仕方の無い事……!

 女性に家の事を全て任せて、只々快適に寛ぐ男。

 控えめに言って、亭主関白。

 落ち込んだ。

 そんな俺に、スマホ越しから声が届く。

 

『連れていくのは、漫画家の"吉祥寺頼子先生"と……"鮫島(さめじま)アビ子先生"だよ』

 

 …………へ?

 言われた内容を即座に理解出来ず呆けた俺に『じゃ、色々準備あるからまた後で』と告げた佐山さんが通話を切った。

 呆然としたままに耳からスマホを離し、天使ちゃんを見る。

 テーブル越しで紅茶を飲んでいた彼女は目が合うと、笑みを浮かべながらも不思議そうに小首を傾げた。

 

「なんか、午後から……吉祥寺先生と、鮫島アビ子って漫画家の先生が来るみたい」

 

「えっ?」

 

 俺の言葉に、流石の天使ちゃんも驚きの表情。

 その姿に、漸くと現実を受け入れ始める。

 何故か、漫画家の二人が俺の家に来るらしい。

 それを認識し、抱いた思い。

 ……どゆこと?

 それだけを思考しながら、暫く天使ちゃんと二人で顔を見合わせるのだった。

 やがて先に我に返った天使ちゃんがスマホを取り出して、何やら操作し始める。

 そんな姿を見ながら、現実を受け入れた俺は、頭を抱えた。

 お二人が来る理由が分からんて……。

 すまんが鮫島アビ子先生って……誰?

 吉祥寺先生に至っては、全く以て合わせる顔が無いんだが……!

 そんな思いが脳内を巡り、ただただ頭を抱え続ける。

 いやいや、諸々を自分勝手にやりまくって迷惑かけたり、本人の思いを蔑ろにし続けた俺が吉祥寺先生の前に姿を出して良い訳ないって!

 どんな顔して対面すれば良いんだよ!?

 楽しげか? 意味分からん。

 悲しげか? 意味分からん。

 嬉しげか? 意味分からん。

 怒りか? まるで意味分からん。

 どんな感情で吉祥寺先生をお出迎えすれば、良いんだ。

 そもそも、俺なんかが出迎えして良い存在じゃねーんだぞ。

 ……何も思い浮かばん!

 堂々巡りの脳内。

 だが時間は、刻一刻と迫っている。

 スマホを見ていた天使ちゃんが、声を上げた。

 

「あっ、鮫島アビ子先生って、"東京ブレイド"っていう人気漫画を描いてる方なんですねぇ」

 

 その声を気にする余裕はなく、只々頭を抱え続ける。

 天使ちゃんが、顔を上げた。

 

「カズヤさんは、いつものカズヤさんのままで大丈夫ですよ?」

 

「……へ?」

 

 彼女の言葉に、思わず思考が止まる。

 笑顔の天使ちゃんが、俺を見ていた。

 

「きっと、カズヤさんが思っているよりも、何も問題ありませんからっ」

 

 その言葉は、俺の中の堂々巡りを僅かに解いた。

 

「カズヤさんは吉祥寺先生にお会いせず、逃げるつもりは無いんですよね?」

 

 その言葉に、俺の中の選択肢が消されていく。

 

「なら、カズヤさんが思った事をして、その後にしっかりとお話を聞けば良いと思います」

 

 その言葉で、俺の中に一本の道が出来た。

 思い至った答えに、方向性が定まる。

 思わず笑みが浮かんだ。

 

「……ありがとう、天使ちゃん」

 

「いえっ、お力になれたなら何よりですっ」

 

 そう言って再びスマホに目を落とした彼女を見つめる。

 天使ちゃんのお陰で、どうするかが決まった。

 いや、現実逃避が終わったとも言える。

 何せ吉祥寺先生が家に来られる以上、お会いしないのが最も失礼だ。

 会わないというつもりは、最初からなかった。

 ならば、会わない以外をどうするのか。

 それを考えず、ただ会わない方が良い理由だけを考え続けていた自分がいた。

 彼女の言葉で、そんな自分に気付けた。

 気付けたからこそ、会うならば何をしなければいけないかは、すぐに思い付いた。

 突然、俺に対して会いに来るというのは、何かしらの話があるんだろう。

 仕事の依頼ならば、佐山さんが取りまとめて、結果が俺に伝えられるはず。

 であれば、仕事の話である可能性は低い。

 そもそも仕事の話なら、俺の家に来る意味が分からん。

 段々と、思考が整理されていく。

 吉祥寺先生と共に来られる、鮫島アビ子先生。

 申し訳無いが存じ上げていなかったその先生が、何故一緒に来るのか。

 鮫島アビ子先生が、何か俺に話があるのか?

 そんな考えに至る。

 

「その"東京ブレイド"が今度、舞台でやるみたいですよっ」

 

 天使ちゃんの言葉に、意識を戻す。

 彼女は俺にスマホを差し出し、受け取って画面を覗けば、そこに映っていた情報。

 鮫島アビ子先生が原作だという"東京ブレイド"が舞台になるという情報。

 その中に出演者一覧が載っており、目を通して驚く。

 アクア、茜ちゃん、そしてかなちゃんの名前があった。

 更には演者の多くが劇団ララライの役者で、演出家には代表の金田一敏郎の文字。

 昔の記憶を思い出す。

 茜ちゃんと初めて会った場所。

 そこでの劇団ララライの凄さ。

 素晴らしい芝居をする役者達に対して、一切の妥協を許さないダメ出しを行う彼の姿。

 そんな彼が、役者達が携わる舞台。

 茜ちゃんの演技も勿論、かなちゃんの演技だって何ら不足は無い、アクアの演技も少し見た事はあるけど俺よりも良かったんだから、この舞台は最初から成功が約束されていると思えた。

 名前を聞いた事が無い役者も何人かいるが、こんな面子に入れられるくらいなんだ。

 不確定要素が、不確定要素足り得ない。

 知ってる人も多いし、中々面白そうな舞台だな。

 思わずそんな印象を抱いたのだった。

 礼を言って天使ちゃんにスマホを返す。

 原作は読んだ事無く、内容も知らない。

 "にわか"どころではなく、無知である"東京ブレイド"。

 ……ま、仕事のスケジュール次第かなぁ。

 そんな事を考えつつ時間が経ち、早めの昼食を頂いた。

 昼食を食べている最中に『これから迎えに行くよ』というメッセージと共に、我が家への想定到着時刻が書かれていたので、それに合わせて準備を進める。

 彼の手にかかれば、想定到着時間が一分でもズレる事は、滅多に無い。

 それが佐山クオリティ。

 やがて時刻が迫り、佐山さんからお連れしたとの連絡があり、時間ぴったりに玄関のドアが開く音が聴こえたのだった。

 こちらからのお出迎えは、天使ちゃんが担当。

 当初は俺も一緒に玄関へと向かう予定でいたが、天使ちゃんの涙目に敗北。

 

「カズヤさんはここでお待ち頂くのが正しいので、待っていてくださいっ」

 

 涙目と謎の圧に屈し、出迎える事は叶わなかった。

 足音が近付いてくるにつれ、緊張感が高まる。

 やがて扉が開けられ、天使ちゃんに続いて、その姿が俺の目に入った。

 

「……か、か、カズヤさん! ほ、本日は突然の訪問誠に」

 

 聴こえてきた馴染みある声を耳にしながら、その姿が俺の視界から消える。

 

「その節は多大なるご迷惑をお掛けして誠にッ! 誠に申し訳ありませんッ!」

 

 心からの思いを、その言葉に乗せる。

 ジャパニーズ土下座。これをせずして、俺は一体何をすれば良いのか。

 吉祥寺先生に会ったら、こうすると決めていた。

 自己満足という自分勝手な判断で、自分本位に動いた事に対する、全ての謝罪と全ての自分の考えを打ち明けようと思った。

 例えそれが、ただの自己満足だとしても。

 

「申しわけ…………えっ…………えっ?」

 

 何やら聴こえるが、構わずに続ける。

 

「先生の思いを全て無視した自分勝手な行いをまだ正式に謝罪出来ておらず、重ねて謝罪申し上げますッ!」

 

「…………え? えっ?」

 

「本来ならば私の方から出向き謝罪をするべきでしたが、先生に会わせる顔が無いとこれまた自分勝手に判断し、先生が態々お越し頂いたこの時に漸く謝罪を行う事となった自分に恥じ入るばかりです!」

 

「……えっ……え?」

 

「許しを請う訳ではありません! お許し頂く必要も御座いません! 許されるとも思っておりません! ただ、ただ謝罪をしなければいけないという自分勝手な思いです!」

 

「…………あっ」

 

「本当は先生の前に姿を現して良い人間ではありませんが、この様な場を設けて頂いた以上謝罪させて頂きたいと思った次第です!」

 

「…………っの」

 

「つきましては今後一切、先生の前に姿を現さない事をお約束致しますので、どうか自己満足の謝罪ではありますが、言わせて頂く事をお許しください!」

 

「……こんのぉ……」

 

「誠にッ! 誠に申し訳ありませんでしたッ!」

 

「この…………馬鹿カズヤさんがッ!」

 

 床に額を擦り付けていたが、その叫びを耳にしたと同時に、肩を掴まれて床と額を離される。

 動きに合わせて上がった顔が、視界が捉えた光景。

 

「誰がッ! 誰がカズヤさんを許さないって言いましたかッ!? 誰がカズヤさんに謝罪を求めましたかッ!?」

 

 その腕を強く振り、俺の肩を揺する吉祥寺先生の姿。

 その顔から、目から流れる涙に、思考が止まる。

 

「私がいつカズヤさんを見たくないって言いました!? 私がいつ目の前に姿を現すなって言いました!?」

 

 その表情が、声が、耳を通して心へと落ちていく。

 

「私がいつ迷惑がかかったって言いました!? いつ……"明日(あす)から(わたし)は"が嫌いだって言いましたッ!?」

 

 その言葉が、想いが、心の中で満たされていく。

 

「私は誰よりも面白いと思える物を描ける自信があるッ! だから"明日わた"も脚本に携わった! 私の作品が、"今日は甘口で"という作品が面白くないと自分で認める行為だけは死んでもしないッ! だからッ、"明日(あす)から(わたし)は"という作品もッ、誰よりも面白いものを作れたッ!」

 

 揺するのを止めた彼女が、俺の肩を強く握る。

 

「貴方が、カズヤさん自身がどう思っていようと…………私を、"今日は甘口で"を、"明日から私は"を、貴方は守った」

 

 握りしめた拳をそのままに、顔を俯かせる。

 その肩が小刻みに震えているのが、見えた。

 

「…………そんな貴方の口から……」

 

 震えた、か細い声が聴こえる。

 彼女から伝わる……全てが、

 

 

「そんな貴方から、他でもない(作品を愛してくれた)貴方から――――作品(その愛)を否定する言葉は、聞きたく、ないです……!」

 

 

 俺の中から、ずっと抱えていた本心を、消した。

 目の前で嗚咽を漏らす彼女を見つめる。

 彼女をこの様にしてしまったのは、俺のせいだ。

 俺のせいで、吉祥寺先生にこんな思いをさせてしまった。

 俺の何が、彼女にこんな事を言わせる羽目になったのか。

 それは俺の、自分勝手な自己満足。

 自己中心的で、自分本位な考え方のせい。

 けれども、それに対する双方の認識が、全く違った。

 俺は、あのドラマを自己満足で自分勝手に自己中心的な考えの元、自分本位に進めた事に対して。

 しかし吉祥寺先生はあのドラマを、自分勝手に自己満足のつもりで自己中心的に考え、自分本位に……彼女の思いを勘違いしていた俺に対して。

 故に、彼女の態度に、仕草に、表情に、声に、言葉に、涙に、心に、俺の中にあった本心が消えた。

 俺が勝手に、自分の行動を自己満足だと、自己本位だと思うのは良い。

 だけどそれで大切な人が、違うのだと、そうではないのだと、悲しんで落ち込んで涙を流させてしまうのなら。

 それは決して――俺が自己満足で済ませて良い話じゃない。

 俺が自己満足で通した事は認めてくれた。

 けど、俺が自分勝手に思い込んでいた相手の想いは、違った。

 怒らせてしまった。

 悲しませてしまった。

 落ち込ませてしまった。

 涙を、流させてしまった。

 俺が動いた行動にじゃない――俺が、その方が良いと勝手に認識していた、相手への想いに対して。

 だったら、俺の考え方が間違っている。

 だって俺は、大切な人の幸せそうな姿を見たいんだから。

 それを望んでいるんだから。

 俺の考え方でその幸せを陰らせてしまうのなら、考えを改めなくてはいけない。

 相手の考えを、勝手に想定する。

 考えてみれば……何て、傲慢な事だろう。

 相手はきっと、こう思っているに違いない。

 それは自己満足からも、自分勝手からも、自己中心的からも、自分本位からも逸脱した行為。

 厚顔無恥とも呼ぶに相応しい、明かな越権行為。

 相手の思いを勝手に決め付ける。

 いつから俺は、そんなに偉くなったんだ。

 俺如きが相手の思いを決め付けるなんて、ちゃんちゃらおかしい。

 相手の気持ちを正しく理解出来る程、俺は出来た人間か?

 そんな訳無い。

 俺はそんな高尚な存在である筈がない。

 そんな存在であって、良い筈がない。

 だから俺の自分勝手も、自己満足も全て、自分の中に収められる範囲に留めるべき。

 相手の気持ちは、相手から聞かないと分からないんだから。

 アイだって、ルビーだって、そうだったろ?

 その気持ちを言葉にされて、俺は漸く理解したんじゃないか。

 なら、言葉として言われなきゃ、俺は相手の気持ちが分からないんだろう。

 アイだってルビーだって、天使ちゃんだって……吉祥寺先生だって。

 言葉に、声に出されて、漸く気付けるのが俺なんだ。

 そんな愚か者が、俺なんだ。

 思わず笑みが浮かぶ。

 

 ――もー、全くダメダメさんだなあっ。

 ――ホントにカズヤ君はダメダメだなあ。

 

 ああ、昔から何も変わっちゃいない。

 何も成長出来てないんだな、俺って。

 自分が成長出来てないのに、相手の何かを決めるなんて、馬鹿げた話だ。

 思い出した。

 ……所詮、俺は"にわか"なんだ。

 声に出されないと、言葉にされないと相手の気持ちが分からない、"にわか"。

 だったら"にわか"らしく、相手の気持ちが分からないと思おう。

 だから"にわか"らしく、自分の思った事だけ口にしよう。

 相手に対してではなく、自分の事だけを自己満足に考える事にしよう。

 

 ――……全く、本当に女泣かせな男だよ、カズヤ君は。

 

 全く成長出来てない、俺なんだ。

 だから……変わらないものだけに、自己満足するしかない。

 今まで変わらずに抱いてきた、唯一の思い。

 

 "推しの子"を、ハッピーエンドにする。

 

 それだけに、自己満足するしかない。

 だから自己満足して良いのは自分の行動、そして言葉だけ。

 "推しの子"とは、具体的に何なのか。

 それは……"にわか"の俺には分からない。

 だから、ざっくりとしか認識出来ない。

 "推しの子(大切なもの)"。

 そうとまでしか、分からない。

 だから俺は、(にわか)のやり方で――"推しの子(大切なもの)"をハッピーエンドにする。

 眼前で俯く女性。

 彼女から俺は否定の言葉を、謝罪の言葉を、断られた。

 なら俺に残るのは自分勝手に、自己中心的で自己本位な、自己満足の言葉だけ。

 こんなにも素晴らしい人に出会わせてくれた作品。

 "今日は甘口で"。

 俺の自己満足な行動を受け入れ、誇りに思ってくれている作品。

 "明日から私は"。

 俺がこの言葉を、この人に言って良いのかは分からない。

 でも、言いたいんだ。

 自分勝手だろ?

 自己中心的だろ?

 自分本位だろ?

 自己満足だろ?

 だから、言わせてもらう。

 俺も言葉にして、彼女に分かって欲しい。

 俺は、貴女の作品を――。

 

 

「愛しています」

 

 

 ああ、やっと言えた。

 これは絶対に嘘じゃない、愛してる。

 それを漸く、言えたんだ。

 

「ふぇあッ!?」

 

 俺の言葉に、吉祥寺先生は勢い良く顔を上げて俺を見た。

 目が合ったその顔に、こちらの本心を分かって欲しくて、笑みを向ける。

 

「かっ、かっかっ、かかかかかかカズヤっ、しゃんっ、そっ、そそそそのっ、い、いいいいま、あっ、あっ、あっあっあっ、ああああああああいっしししししししし」

 

 何やら顔を真っ赤にしながら、焦った様に言葉を漏らし続ける姿に、笑みを浮かべたまま思わず小首を傾げる。

 

「…………あっ」

 

 不意に、何かに気付いた様に言葉を止めた吉祥寺先生。

 そして。

 

「ッ…………あ、穴があったら入りたいッ……そうだ、そういう人だったこの人っ……どうせ、作品の事ってなんでしょっ、作品を愛してるって意味なんでしょうねっ……ええ、ええ、分かってる、分かっていますともッ」

 

 両手で顔を隠して、俺から顔を逸らしてしまった。

 何やら独り言をずっと呟いているが、どんな言葉かまでは聞き取れない。

 とりあえず、どうしていいのか分からずにただ、こちらへと向けられた真っ赤な耳を視界に収めるのだった。

 

「……そうですとも、ええ、そうですとも、この人は言葉足らずで勝手に自己解決する様な酷い男でした。勘違いなんかしてませんしっ、誰がこんな男の言葉を勘違いするもんですかっ、どうせどうせそのカッコイイ顔と声で私以外にも沢山の女に言ってるんだからっ、騙されるなっ、騙されるな私っ」

 

 すげー小さい声で何かを呟き続ける吉祥寺先生を、ただただ見つめた。

 やがて、勢い良く両手を離してこちらへとどこか険しい顔を向ける。

 

「……ッ!」

 

 だがすぐに、またしても逸らされてしまった。

 

「ダメっ、やっぱりあのイケメンフェイスは私に刺さるッ……何で年取ってる筈なのにいつまでもあのカッコよさのままなのよっ、おかしいし不公平じゃないっ……でもそのままでいてくれて嬉しいっていうか……って、ち、違うっ」

 

 何やらまた独り言を再開した吉祥寺先生だったが。

 

「…………ああもうっ!」

 

 いきなり、大声を上げた。

 顔を逸らし俺から隠したまま、続けた。

 

「そうやってカズヤさんは素直に私の作品を褒めてれば良いんですッ! 今度もし否定しようとしたらまた泣きますからねッ!?」

 

 こちらへと向かずに告げられた言葉。

 だがそれは、はっきりと俺の心に刺さったのだった。

 そう言ってくれた彼女に、俺が言える事。

 謝罪、ではない。

 

「……ありがとうございます」

 

 心からの、感謝。

 それだけだった。

 沈黙が室内に流れる。

 だが決して、重苦しいものではない。

 しかし、それを破る様に、別の呟きが耳に届いた。

 

 

「……スゴい……これが、ホントの……ラブコメ……」

 

 

「うぎゃああああああああッ! そうだった! ここには私達以外も居たんだったぁッ!」

 

 聴こえた声に、吉祥寺先生が突如絶叫し頭を抱え出した。

 

「うごぉぉッ、消えたいッ、穴に入るどころじゃなくて今すぐに消えて無くなりたいッ……!」

 

 彼女の言葉に、咄嗟に駆け寄りその肩を掴む。

 

「吉祥寺先生ッ! 駄目です! 貴女が消えたら俺の愛はどうすればいいんですか!?」

 

「そのイケメンフェイスとイケメンボイスやめてッ、私のライフはもうゼロなのッ……!」

 

 吉祥寺先生が消えてしまったら、俺が愛する"今日は甘口で"も、"明日から私は"も消えてしまう。

 そう思い彼女に伝えたが、聞く耳を持って貰えない。

 だが、いつまで経ってもルビーの様に何か存在が消滅する様な気配は無く、とりあえずは大丈夫そうかと息を吐いて彼女から離れる。

 頭から両手を離し、床へと下ろした吉祥寺先生。

 その姿はどこか哀愁を漂わせ、何も出来ない俺はその光景を見ている事しか出来ない。

 

「……アビ子先生に、見られてしまった……私の威厳が……無くなってしまう……」

 

「威厳……? 勿論、先生の事は尊敬してます」

 

 黒髪の女性が、僅かに首を傾げながら吉祥寺先生へと返す。

 二人の会話を聞きながら、自分の不甲斐なさに打ちひしがれる。

 項垂れてしまった吉祥寺先生に、何の力にもなれない自分の無力さに。

 

「カズヤ君。吉祥寺先生はああ見えて幸せそうだから、落ち込まなくても大丈夫だよ」

 

 佐山さんの声が、不意に届いた。

 同じく聴こえたであろう、吉祥寺先生が勢い良く顔を上げる。

 

「は、はぁっ? ぜんっぜん幸せじゃないんですがっ? カズヤさんの思い違いを正せて良かったとか、そんなの全然嬉しいに入んないんですけど? 当たり前なんですけどっ? どこが幸せそうなのか教えて貰ってもいいですかねぇっ?」

 

 吉祥寺先生の言葉は、どこか浮ついている様に思えた。

 それに、険悪な雰囲気は全く感じず、幸せなのかはさておき、決して悪い方向へと向かっていないのを理解する。

 ならば、佐山さんの言葉を信じるしかない。

 俺が勝手に、吉祥寺先生の今の心境を決め付ける事は出来ないんだから。

 そう考えながら見守っていると。

 

「……はぁ」

 

 不意に吉祥寺先生が、溜息交じりの声を溢した。

 俺の前で、静かに立ち上がる。

 

「そうでした……ここにお邪魔させて頂いた本題はこれじゃないですもんね……失礼しました」

 

 佐山さんにそう告げて、吉祥寺先生が振り返る。

 合わせて俺も立ち上がれば、彼女はこちらへと頭を下げた。

 

「改めて、カズヤさん。本日は突然の訪問、誠に申し訳ありません。お時間を頂けた事、感謝します」

 

 突然畏まられて、何も言えない俺。

 だがそこで、俺も本題を思い出した。

 

「無理を言ってお時間を作って頂いたのは……その、ご相談、というか……お話が、その、ありまして……」

 

 俺が吉祥寺先生を誘ったんじゃない。

 吉祥寺先生サイドから、俺に用があるんだった。

 頭を上げた吉祥寺先生と、目が合う。

 こんなにも畏まる彼女の用とは一体、なんなのか。

 皆目見当も付かず、黙って見ている事しか出来ない。

 こちらへと顔を向ける吉祥寺先生はどこか、というかかなり言い辛そうな表情を浮かべていた。

 何が起こるというのか。

 彼女の表情にこちらも、緊張感が湧き上がってくる。

 吉祥寺先生が静かに半身となり、奥の方へと掌を翳した。

 目を向ければ、目が合う。

 その瞬間、思い切り逸らされた。

 

「紹介が遅れましたがこちら……"東京ブレイド"という漫画の原作者、アビ子先生です」

 

 短くもボリュームのある紫がかった黒髪に、俺から逸らされた大きな紫色の綺麗な瞳。

 幾分か小柄とも思える女性。

 彼女が、鮫島アビ子先生。

 吉祥寺先生はそこから更に苦虫を嚙み潰した様な表情となり、何やら続きを言いにくそうな雰囲気。

 人を紹介した後に言葉に詰まるとはこれ如何に。

 理由が分からず首を傾げそうになれば、意を決した様に、吉祥寺先生が口を開いた。

 

 

 

 

「……今度舞台化される"東京ブレイド"について……ちょっと、その、脚本に問題が……あるみたいでして…………それでアビ子先生からカズヤさんに……えっと、ご相談がある、との事です……」

 

 

 

 

 …………どゆこと?

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