"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
今日も今日とて仕事である。
年末に入った今日この頃。
正に師走と言わんばかりに、忙しい毎日を過ごしていた。
"東京ブレイド"の舞台は無事に千秋楽を迎え、大盛況の内に幕を閉じたみたい。
少し遅くなったけど、茜ちゃんとかなちゃんにはお疲れ様との連絡を送り、それぞれ返信を貰った。
皆それぞれ久々の連絡ではあったけれどそれぞれが返信してくれて嬉しい限り。
二人とはまたそれなりに連絡をしあう様になり、茜ちゃんは"カズヤさんに追いつける様に頑張ります!"って言ってて、応援してるけど無理しないでなーなんて返事を送る事がしばしば。かなちゃんは舞台を経験して、やっぱり役者も捨てきれないって思いが少し大きくなってるみたい。まあ確かに役者になってもアクアと共演出来るだろうし、俺としてはかなちゃんがやりたい事をやるのが一番だと思うから、それもまた同様に応援してるけど無理しないでねって送る事になった。
アクアからは少し前から連絡が来ていたから、早めにお疲れ様と伝えておいた。
何やら話したい事があるらしいんで会えないかって催促を何度か貰う様になり、彼が何かに焦りを覚えている印象を抱いた。
けれども現実問題、年末年始は一年で一番忙しいと言っても過言では無く、更にリスケすら無理な案件ばかり。
よって落ち着いたら予定合わせる様にするよとだけ伝えており、何度かの催促も同じ回答に留めた。
いや、実際無理なもんで、しゃーない。
何度目かの催促の時には、電話ならもう少し早くに予定つけられるかもと送ったが、対面が良いとの申し出で水に流れた。
もしかしたら何か役者業の事で相談でもあんのかねと思ったが、電話を断って対面希望を強く望むのなら、急ぎの相談よりかは何か大事な話でもあるのかと勝手に想像。
……もしや、恋愛相談か?
そんな事を思い付き、まさかなと思いつつも可能性はゼロじゃないと思い直す。
だってアクアは間違いなくモテるだろ?
そんで前世を引き継いでるから、大人な対応も完璧。
よって、色んな女の子から好意を持たれアプローチされる。
その相談は、もしかしたら事務所の人には出来ないのかもしれない。
学校の友達にも、自慢かと取られる可能性があり、出来ないのかもしれない。
俺ぐらいしか、相談出来る人がいないのかもしれない。
そう思った。
理由は単純で、俺がそうだったから。
アイやルビーといった俺の"にわか"の部分は、事務所には話せない。
佐山さんにも余計な負担をかけたくない。
学校にはそもそも、中学から行ってない。
俺が唯一恋愛相談っぽい事をしたのは……アクアだった。
だからこそアクアも、それを憶えていて、俺なら相談出来るって思ったのかもしれない。
故に急いで解決するよりも、しっかりと腰を据えて話したいと考えているのかもしれない。
それはまあ、よく分かる。
俺だっていつぞやのあの時、アクアから言われたとはいえ、個室で二人で対面してる状況じゃなけりゃ彼に相談してなかった可能性が高い。
だからこそ、真偽の程は分からないが、その可能性もありそうだと思えた。
だが、それは俺の予定が空けられる様になってからじゃないと対応出来ない案件。
よってその回答を行う事となった。
佐山さんから声がかかり、楽屋を出る。
今日も今日とて、仕事が沢山なのである。
無事に仕事を終え、無事に帰宅。
周りには誰も居らず、俺一人のみ。
天使ちゃんは珍しく事務所で作業があるという事で、食事を作り三人で食べてからさっき、佐山さんと一緒に事務所へと向かった。
食後のコーヒーを俺の前に置いて、おかわりを用意出来ない事を何度も謝ってきたが、おけよーと返せば後ろ髪を引かれる様に家を出た天使ちゃん。
用事がありゃ、そりゃそっちを優先してもらって何ら構わんのよ。
そんな事を考えながら見送ったのは少し前。
彼女が居ないこの家。
そこに俺一人が、ぽつんと座っている。
俺しか居ない事に、やがて不思議な感覚を覚えた。
考えてみればここに引っ越して数年。
俺一人だけが家に居るという状況は、今回が初めて。
よって誰かが居るのが当たり前という感覚を持っていたのが、漸く実感出来たからだ。
それが、不思議な感覚の正体だと思った。
家に居れば、特に何もしてないのが通常。
天使ちゃんが居ても、別に話さない時間だってある。
俺の正面に天使ちゃんが座って、彼女がスマホを弄ってる姿を何となく眺めつつコーヒーを飲む。
そんな時間だって少なくない。
だから同じ様に、正面を向いてコーヒーを飲んでみた。
そこに見えるのは、いつもと変わらないテーブルや椅子、そして壁。
けれどもどこか味気なく感じてしまうのは果たして気のせいなんだろうか。
気付けば、カップをテーブルに置いていた。
何気無しにスマホを手に取れば、特に誰からも連絡は来ていない。
だから、スマホもテーブルに置いた。
何となく部屋全体を見渡してみる。
何も変わらない、いつもの部屋。
なのに何故、違って見えるんだろうか。
変わらない筈なのに、変わってる。
またしても訪れた不思議な感覚に、思わず首を傾げる。
けれども、考えども答えが出る事は無かった。
テーブルに置かれたスマホ。
その画面は置いた際に点灯し、ロック画面を表示していた。
何かを示す様なものでもない、デフォルトの背景。
その上に表示される時刻は、既に日付を跨いでおり夜中と呼んで差し支えない時間帯。
それから目を離し、何となくまた部屋を見渡した。
やはり変わらない光景。
けど、やはり何か違う様に思う印象。
分からない。
やがて、静かに立ち上がる。
家のカードキーだけを持って、静かに歩き出した。
部屋を出て、玄関を出る。
謎の感覚。
それが何か分からないが、何となく部屋に居辛いと思い、外に出る事にしたのだった。
この時間帯なら、外を歩く人は殆どいない。
エレベーターが到着し、乗り込む。
エントランスホールの階を押して、扉が閉まった。
何となく、呆然と液晶画面を見つめる。
カウントダウンの様に、徐々に下がっていく数字。
何となく、それが普段よりもどこか遅い気がした。
けれども他にやる事が無いのでそれを見つめていると、やがて到着を知らせる小さな甲高い音が響く。
扉が開き、外に出る。
エレベーターホールの横には警備員がおり、俺を見て頭を下げてくれる。
それにこちらも挨拶を返しながら歩く。
エントランスホールに出れば、二四時間体制でいてくれるコンシェルジュがカウンター内に二人居て、彼らもまた、俺を見てにこやかに挨拶をしてくれた。
それに同じく返して、マンションを出る。
部屋着の様な薄さの衣類しか纏っておらず、外に出た途端、寒さが身に染みた。
けれども何だかその寒さが心地よいと感じる自分がいて、震える身体を無視して右へと歩き出した。
やはりというか、街の景色はもぬけの殻。
誰一人歩いていない、車も通らない道を歩く。
建物の外観を過ぎるとその横に、舗装された遊歩道が現れた。
その道幅は広く、そして綺麗に整備されている。
街灯はまばらに設置されているが、それでも十分に夜の景観も計算された作り。
何となくそちらへと足を向け、進む。
やがて現れた綺麗なベンチに、気付けば腰を下ろしていた。
真上から降り注ぐ街灯の灯り。
そこに座り、何となく正面を見た。
暗がりで、特に何も見えない。
誰も居らず、一人きりの空間。
けれども、家に居る時の様な不思議な感覚は訪れなかった。
だからここで、何となく座り続ける。
そこに、カラスの鳴き声と、大量の羽ばたき音が響いた。
思わず、横へと顔を向ける。
こんな夜にカラス……?
そう思いながら顔を動かせば。
「いーけないんだーいけないんだー」
その声が、耳に届いた。
暗がりの中、誰かが歩いてくる。
やがて、俺の頭上の灯りに入った事で、その姿が見えた。
「いつの間にか三股、四股してる悪い大人だー。いけないんだよ、そういう事しちゃ」
俺を指差しながらそう告げた金髪の幼女が、そこには居た。
その姿を呆然と見つめる。
幼女が、僅かに首を傾げた。
「あれ、でも四方向から好きって矢印を向けられてるだけだし、それが三方向からになったんだっけ? なら良いのかな?」
可愛らしく小首を傾げる姿とは裏腹に、彼女の周りには数多の鴉が羽ばたきながら俺へと視線を送り続けていた。
そんな姿を見ながら、思う事。
「……おー、久しぶりだなあ」
何もかもをすっ飛ばして、そんな言葉が出た。
「久しぶり? まあ、お兄さんがそう言うのならそうなのかもね?」
その言葉遣いに、思わず懐かしさが込み上げる。
「前に会ったのって、確か……あれ、俺が寝込んでる時……だっけ?」
最後に会った時を思い出せば、徐々に現実味が無くなり、語尾が弱くなってしまった。
初めてのアイのドームライブ。
その前日に、道端で会ったのは確実。
でもその後、俺が刺されて昏睡状態になってる時に……会わなかったか?
その記憶はあるが、どうしても現実味が無かった。
俺の言葉に、幼女は首を傾げたまま。
だがやがて小さく笑うのだった。
そして告げる。
「君がそう言うのなら、そうなのかもね」
出たな、幼女語録。
彼女の言葉に、余計な思考は全て吹っ飛ばした。
前どこで会ったとか、何者なのかとか、何故鴉が纏わりついてるとか諸々。
聞いてもどうせ幼女語録ではぐらかされるだけだと理解した。
というよりも、以前の記憶が少し蘇ってきた。
あの時も色々はぐらかされたり、煙に巻いた様な物言いをしていた記憶がある。
それを思い出し、どうでも良くなった。
何でか分からんが、ここに幼女が現れた。
その再会を喜ぶだけでいいや。
そう考え直したのであった。
「で、君は何で俺の前に現れたんだ?」
本題を訊ねれば、幼女が口を開く。
「偶然かもしれないし、お兄さんに話があったからかもしれないよ?」
……よろしい、今日こそ幼女に勝ってやる。
笑みを浮かべながらそんな事を宣った幼女に、心の中で宣戦布告した。
埒が明かんというよりは、こっちも気ままに話して良いだろと思い直したのだった。
ならば、こちらも遠慮はせんぞ。
「てか、ちゃんと飯食ってる? 前と大きさ変わってないけど」
気になっていた事を、無遠慮に訊ねる。
以前会ったのは、十年以上前。
純粋に思ったんだ。
成長してなくね? ってさ。
俺の言葉が予想外だったのか、幼女が軽く目を見開いた。
よし、まずは俺が優勢と。
そう考えていれば、やがて幼女がクスクスと笑い出した。
「そんな事を聞いてくるのは、君が初めてだよ」
どこか楽し気な笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「んー、そういうの何て言うんだっけ? そうだ、デリカシーが無いって言うんだよ?」
こやつ、やりおる。
純粋無垢そうに小首を傾げながら俺へと告げる幼女に、優勢ではなくなった事を悟った。
だが、まだ負けんっ。
「てかこんな時間に何でほっつき歩いてんのよ? 警察にバレたら補導エンドじゃん」
夜中にこんな幼女が一人で歩いてんだから、そりゃ気になる。
それに、警察に補導される。それはそれで俺の勝ちな気もした。
俺の言葉に、幼女はまたしても楽し気にクスクスと笑いを溢す。
「お兄さんも一緒に"補導"されるなら、それはそれでアリかもしれないね」
やがて告げられた言葉に、思わず黙る。
そうだ。
こんな幼女が俺と一緒に居るとこ見られたら、俺の負けだった……。
言い知れぬ敗北感が、胸の中に生まれる。
攻守万能な幼女に対して、こちらが用いれる手札が少な過ぎた。
「それよりもさ、
突然の幼女のターン。
その言葉に、思わず黙る。
この幼女が言わんとする事、それが理解出来たから。
「存在しない人間が、存在する人間のマイナスを引き受けるって言ってたけど、おかしいよね?」
幼女が、笑みのまま俺を見つめる。
「だって、存在しない人間がずっとマイナスを引き受け続けてたら、存在する人間のマイナスが大きくなったんだもん。なら、存在しない人間がずっとマイナスを引き受けても意味が無いのか……それとも、そもそも存在しない人間なんて、存在しなかったからなのかな?」
口を開く事無く、こちらも幼女を見つめた。
彼女の言い分は記憶と相まって理解出来た。
存在しない人間。
それは俺が以前彼女へと告げた言葉。
存在しない人間が、存在する人間の最大のマイナスを引き受ければ、それ以降は存在する人間に同等のマイナスは発生しない。
存在しない人間がそれを引き受ける事で、存在する人間と観客はハッピーエンドを迎えられる。
その様な事を、言った記憶がある。
しかしこの幼女が言った内容。
それは、その後の出来事。
アイとの関係。
そして、
存在しない筈の俺が、存在した事によって引き起こされた、本来は起こらなかったであろう二人の確執。
そしてそれに伴う行動の変化。
これについて言ってるんだろうと思えた。
幼女が続ける。
「もしそうなら、存在する人間がマイナスを引き受け続けても、存在する側のマイナスは減らなくて当たり前だよね?」
決して笑みを崩す事無く、続ける。
「生物濃縮、って言うんだっけ? それってどんな意味だったか、お兄さんは知ってる?」
小首を傾げながら訊ねる姿を、ただ見つめる。
生物濃縮。
その意味は、何となくだが知っている。
けれども今は、彼女の考えが聴きたい。
だから黙って見つめるだけにした。
やがて彼女が再び、笑みを携えたままに口を開く。
「あれって確か、生物の体内で外界から取り込んだ特定の物質が、生息環境中の濃度よりも高濃度に蓄積される現象みたいな事だったよね」
その言葉に、理解した。
この子が、何を言いたいのか。
「もしそれが、存在しないと思ってるだけの存在する人間が色んな存在から一身に引き受けたマイナスで起こってるとしたら……寧ろ、存在する側のマイナスが大きくなってるとも言えるのかな?」
彼女の言葉は、心に刺さった。
その言い分を仮に是とした場合、俺の存在が皆を危険な状態にしている。
俺が居る事で、俺が関わる事で、その危機がどんどんと肥大化しているとも取れた。
それは、俺にとって望まない事。
「……じゃあ、君はどうすれば良いと思う?」
弱音ではない、と信じたい。
けれども、彼女から言われて確かに揺らいだ自分がいた。
自分が選択してきた事が誤りだったのかと、思ってしまった。
だから、聞いてしまった。
方法が思い浮かばない訳ではない。
自分の"存在"を世界から消せばいい。
それだけは、思い付いた。
しかし、この子の言葉で自分がしてきた選択が誤りだったのではないかと揺らいでしまった。
だからこの方法で正しいのか、分からなくなった自分がいた。
故に訊いてしまった。
頼って、しまった。
元を辿れば、俺という存在を唯一曝け出せるのは、この子だけだった。
本当にこのままで良いのか。
このままでいると、何か取り返しの付かない事を引き起こしてしまうのではないか。
そんな考えに、至ってしまった。
俺は、"にわか"だから。
だから、正しい答えなんか、分からない。
だから、答えを求めてしまった。
"推しの子"の、結末を。
彼女が、口を開く。
「それはお兄さんが決める事だよ」
「……え?」
笑みを浮かべたまま淡々と告げられた言葉に、思わず返す。
彼女が続ける。
「結末を他人に求めちゃいけないよ」
その言葉が、何故か胸に刺さった。
「ただの傍観者に結末を委ねたら、それはハッピーエンドを迎えるのかもしれない。でも、別の視点から見れば、不幸な結末に見えるかもしれない。そんな結末を望まないなら、自分が思う最高の結末は、自分で作るしかないよ」
その言葉に、何故か胸が震えた。
「お兄さんが存在してても存在してなくても、お兄さんの目から見ている"この世界"はお兄さんだけの世界なんだから――君の望んだ結末は、"君の世界"でしか作れないんだよ」
その言葉で、何故か思考がクリアになった。
「"推しの子"をハッピーエンドにしたいなら、君の世界でのハッピーエンドだけを目指すのも、いいのかもね?」
その言葉で、視界が開けた気がした。
「そうすれば傍観者が何て言っても、"これは自分の世界でのハッピーエンドだ。気に入らないなら、自分の世界で勝手に完結を迎えろ"って、言えるかもよ?」
そう告げた幼女に、思わず笑ってしまう。
彼女に言われて、確かに気持ちが揺らいだ。
それは恐らく、俺の中で"ハッピーエンド"の定義が曖昧だったからだと思う。
何を持ってハッピーエンドと言えるのか。
"推しの子"の人達が、笑えていたら。
それが、幸せ。
でもそれ以上に、思う事。
それは、俺が大切だと思う人達が元気に生き続けてくれる事。
殺される、なんて事が起きずに済む事。
そんな悲しみだけは少なくとも、絶対にハッピーエンドじゃない。
"俺の世界"では、それが起こればバッドエンドでしかない。
アイ、ルビー、アクア、かなちゃん、茜ちゃん、天使ちゃん、佐山さん、事務所の皆、監督、吉祥寺先生、アビ子……そして、おばちゃん。
ざっと思い浮かべるだけで、俺が大切だって思う人はこんなにもいた。
何かあったなら、全力で力になりたいと思える人達が、こんなにもいる。
気付けば、こんなにも増えていた。
皆には笑っていて欲しい。
そしてそれ以上に、ずっと生きていて欲しい。
だから失いたくない。
だから、それを守りたい。
それが、俺の中でのハッピーエンド。
守る。
それを改めて、決めた。
守り続ける。
それを改めて、決めた。
俺の目から見たのが世界というのなら。
やっぱり、俺自身は――存在しなくても良い。
存在して守れるのなら、それで守る。
でも……存在しなくて守れるのなら。
存在しなくなる事で、守れるのなら――。
「そういえばお兄さん、子供達とはどうやって接してくの?」
不意の問い掛けに、思考が戻る。
意識を向け直せば幼女は相変わらずの笑みで、俺を見ていた。
「片や前世からゾッコンで、片や生まれ変わってからゾッコンなんだよね?」
「……へ?」
幼女の言葉に、思わず変な声が漏れた。
それを見てクスクスと笑う幼女。ぐぬぬ。
しかし、予想外だったのだから仕方ない。
幼女の言葉を鑑みる。
片や前世からゾッコン。
片や生まれ変わってから、ゾッコン。
その、どちらかがルビーを指しているとは、思えた。
だが、なら、もう一つの"片や"は?
いやいやいやいや。
突然のボーイズラブに、呆けた俺は悪くない。
というかあり得ないし。
俺の様子を見つめていた幼女が再びクスクスと笑い出す。
「お兄さんがそう思うのなら、そうかもね?」
やはりこの幼女、メスガキだった。
それを今、改めて思い知らされた。
幼女が再び口を開く。
「でも、"ゾッコン"って言葉も捉え方次第では、反対の意味を持つ事だってあったりするのかな?」
何と無しといった様相で告げた言葉。
思考が改めて回り始める。
ゾッコン。
それは普通に考えれば、好きな相手に夢中になっている様。
まずそれが思い浮かぶ。
では、別のニュアンスでその言葉を使えるのは、何なのか。
相手に夢中になる。
それがゾッコンの意味だとしたら。
好きの反対で、ゾッコンとは。
嫌いだけど、ゾッコン。
嫌いなのに、ゾッコン。
……嫌いだからこそ、ゾッコン。
ゾッコンとは。
一緒に居たい。そうとも取れる。
ならばその反対は?
……消えて欲しい。
つまり、反対を足し合わせると。
嫌いだからこそ、消えて欲しい。
消えて欲しい程夢中になるのは。
消したくて、仕方が無いとも取れる。
消したいとはつまり――殺したい。
心臓が、大きく高鳴った。
「お兄さんの世界では、お兄さんが知っている"本流"ではなくなった。でも別の世界ではまだ――"
アクアが、父親を捜そうとしている。
アクアが父親を……殺そうとしている?
それが、"
いや、
それが、
「お兄さんの世界からじゃ見えてないけど実は、他にも色んな世界があるのだとしたら、その世界から見れば……お兄さんが"自分の世界"にいる事が不幸だって、思っちゃう人もいるかもしれないよね?」
かけられる言葉を耳にしながら、頭の中では困惑が埋め尽くしていた。
何故。
それだけが消えては生まれる。
何故、アクアが父親を捜しているのか。
何故、捜し出して殺そうとしているのか。
アイは死なずに生き残ったのに、何故。
何故……。
アイが死ぬという"
だから後は、小さな不幸は訪れるかもしれないが、それでも幸せに向かうだけ。
その筈だったのに。
何が、そうさせているのか……。
やがて、思い至る。
「…………原作の、修正力……」
「お兄さんがそう思うのなら、そうなのかもね」
彼女の言葉に、考える。
そして。
「…………いや……俺のせい、か」
自分の言葉を、否定した。
「お兄さんがそう思うのなら、そうなのかもね」
原作の修正力。
そう思った所で、何も解決には至らない事に気付いたから。
原作を知らない"にわか"には、そう認識した所で何も出来ないと思い出したから。
だから全て、俺のせい。
アイ、ルビー、アクア。
大切な人達が、俺のせいで幸せを奪われた。
もしくは、奪われるかもしれないと思わせている。
アイとルビーの関係。
アクアが抱いているであろう父親への憎悪。
何故アクアがそうなったのかは、考えても思い付かない。
でもきっと、俺のせいなんだろうとは、思えた。
俺のせいで何か、彼をそうさせてしまったに違いない。
そして思い出す。
アクアから会えないかと催促を受けていた事。
これは……そういう事なのかもしれない。
幸せになって欲しいと、幸せにしたいと思った相手を、悉く不幸にしてしまっている。
何もかもが、真逆の結果を導いてる。
「色んなしがらみが、まるで螺旋の様に絡み合った複雑な世界だよね? でもそれはきっと、見方を変えればただ単に、それぞれの世界が密接にくっついてるってだけの可能性もあるのかな?」
そう首を傾げる彼女に、何も言い返せなかった。
「でもさ、聞いた事があるんだよね。宇宙にはさ、今見える宇宙だけじゃなくって、見えないけど沢山の宇宙があるんだってさ」
だた、その言葉を聞く。
「そして宇宙はどんどん広がって行ってるんだって。でね、どんどん広がっていくと、いずれ他の宇宙にぶつかっちゃうかもしれないって聞いたよ?」
問い掛けの様で、問い掛けに思えない言葉。
その認識が正しいかの様に、笑顔の彼女が続けた。
「宇宙と宇宙がぶつかっちゃったら、どうなるのかな? ぶつかって、一緒に消えちゃうのかな? それとも……大きい宇宙の方が、小さい宇宙を引き込んじゃうのかな?」
お兄さんは、知ってる?
首を傾げた彼女へと、すぐに言葉を返す事は出来なかった。
もし本当にアクアが、殺す為に父親を捜しているのなら。
それがどの程度進んでいるのか把握出来るまで、アクアと会う訳にはいかない。
いや、アクアが……俺が父親であると決定付けるまで、教える訳にはいかない。
こちらから何かアクションを起こす事で、余計に現状を悪化させる可能性があるから。
もしかしたら、俺とアイが一緒に父親の事について話せば解決するのかもしれない。
でも、解決しない可能性だって考えられる。
そう考えた時、思考が停止した。
いや、一つの根拠が浮かび、それが離れなくなった。
俺とアイが一緒に、カズヤが父親だと話しても信用されないかもしれない。
そう思った理由。
それは、俺の"声の力"。
これによりアイが自分の言葉ではなく、俺に言わされてると思われれば、一緒に話したとて信用されない。
だから、俺の"声の力"がアクアに知られれば、例え真実でも、真実だと思われない可能性も十分考えられる。
故に、アクアが俺の"声の力"に気付く理由。
それが、閃いてしまった。
思い浮かんでしまった。
少し前に感じた、ルビーの異常。
それは――俺から遺伝されたであろう"存在を消す"という力。
ならば、俺の力がアクアに受け継がれた可能性はないのか?
そう思ってしまった。
つまり俺とアイの言葉が信用されない場合、俺の"声の力"に
その"声の力"。
それが、アクアに受け継がれてしまったのではないか。
そう思えてしまった。
だから、その力を使える様になったアクアは、その力を父親から受け継いだと思い、それを参考に父親を捜す。
そして今、俺がその力の持ち主だと気付いたか、俺もまた可能性のある一人と絞り込んだかで、俺への接触を図ろうとしてきた。
この考えをすれば、アクアの不自然な行動の説明がつく様な気がする。
だがこれはあくまでも、可能性の一つ。
けど、最悪な結果になる可能性の一つ。
ならば、俺が積極的に動くとしたら、全ての準備を整えてからでないと駄目だ。
結局は、自己満足に行きついてしまう。
けれども、別にいい。
だって俺は、アクアを人殺しにさせたくはない。
アクアにも幸せになって欲しいから、当然である。
けれどもそんな彼は今、原作の様に復讐に走っているのかもしれない。
そして俺はその事を知った。
でも、すぐに解決へと動かない。
せめて準備が出来てからじゃないと、動けない。
ほら、自己満足だ。
自分勝手で自己中心的な自己本位に過ぎない。
でも……これが、俺だから。
アクアを絶対に人殺しにさせない。
そんな自己満足を叶える為に、俺は俺で行動する。
アクアが人殺しで、ルビーは人殺しの妹、アイは人殺しの母親。
そんな結末は、望んでない。
そうならない結末を、"俺の世界"で見たいから。
だからそれに向けて、動き方を考えなきゃならない。
笑みを向ける幼女に、口を開く。
「ちょっと俺にも分かんないかなぁ…………気が向いたら、考えてみるよ」
俺の言葉を、どこか面白そうに眺めている。
やがて、口を開いた。
「望んだ結末が、君の中で見られるといいね?」
その言葉に思わず苦笑する。
確かに……見られるといいな。
彼女の姿に、沈んでいた心が僅かに軽くなる。
あまりにも抽象的な物言いなのに、それが何故か俺の心に届く。
それはもしかしたら、この子だけには、ありのままの俺を曝け出して接する事が出来るからかもしれない。
だから具体性の無い言葉でも、ありのままの俺の心に届く。
何となく、そう思った。
「んじゃ、そろそろ行こうかな」
送ってこうか? 立ち上がりながらそう告げる。
幼女は面白そうにクスクスと笑った。
「前も言ったけど、こう見えても誘拐や補導はされた事がないからね」
そんな事言うのお兄さんくらいだよ?
再び笑いを溢した幼女に、こちらも笑みを浮かべる。
その姿を見つめ、やがて動いた。
「わっ」
幼女が、どこか驚いた様な声を上げる。
俺が彼女の頭に手を乗せ、乱暴に撫でたからだ。
何となく、そうしたくなった。
理由は分からない。
でも自分の中で何かを決める為には、こうするのが良いと思った。
いや単純に、俺の中の方向性がある程度決まった事に対する感謝だったのかもしれない。
「ま、バレずに色々ストーカーして色んな情報入手してるみたいだし、確かに安心だな!」
そう言って撫で続ければ、幼女がどこかきょとんとした表情で俺を見上げる。
「……おまわりさんこの人でーす、って、言えば良いのかな?」
二重の意味でやめい。
仕方なく頭から手を離すが、幼女はそのまま俺を見上げている。
「またな?」
そう声をかければ、再びきょとんとした表情。
やがて、クスクスと笑い出した。解せぬ。
一頻り笑った後、彼女が言った。
「その機会を楽しみにしておくよ」
その言葉を最後に、幼女に背を向けて歩き出す。
暫く歩けば、背後からカラスが鳴く声と、大量に羽ばたく音が聴こえた。
つい振り返れば、そこには誰も居なかった。
それを確認し、再び歩き始める。
またな。
思わずそう告げたが、改めて考え直す。
あの子と会うのは決まって、何かが動く時。
それが果たして吉兆なのか凶兆なのかは、分からない。
けど。
あの子自体は、そのどちらでも無いんだろう。
彼女が言っていた通り、結末を他人に求めちゃいけない。
だから全て、俺が決める事。
もしかしたらあの子は、俺が自分の選択に迷っている時に、不安になっている時に、姿を見せてくれるのかもしれない。
だったら――あの子とはもう、会わない方が良いのかもしれない。
彼女が現れるのが、俺の心が揺らいでいる時なのだとすれば、俺の決意が揺らいでいる時なんだろうから。
またな。
そう言ったけど、もう会わない方が良いんだろう。
"推しの子"をハッピーエンドにする。
これを成し遂げる為にも。
悩みは幾つもある。
でも、不安になってはいけない。
決意が揺らいではいけない。
だから俺は、あの子が会いに来なくても良い自分でいなくてはいけない。
そう考えながら歩みを進め、家へと戻った。
「……や、やっぱりっ……もう事務所には行かない様にしますっ!」
家に入った途端に抱きつかれ、涙目でそんな事を告げてきた天使ちゃんにも、揺らぐ訳にはいかない……!