"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」   作:あるミカンの上にアルミ缶

178 / 182
第177話

 ――カズヤさんは…………アクアくんの、父親ですか?

 

 その言葉に、何も考えられなくなった。

 予想外も予想外。

 埒外から、言葉が飛んできたのだ。

 だが俺はここで、思考を止めてはいけなかった。

 

「……やっぱり、そうだったんですね」

 

 彼女の呟きに、我に返る。

 そして、驚愕した。

 

「……やっぱり……子供が、いたんですね」

 

 そう告げる彼女は、笑顔だった。

 けれど。

 その両目からは、涙が零れていた。

 その姿が、その感情が理解出来ずに、再び思考が止まる。

 嬉しそうに笑っているのに。

 何故、こんなにも涙が痛々しく思えるのか。

 それが分からずに、何も出来ない。

 ただその姿を見て、心が痛んだのは確かだった。

 

「……そっか……やっぱり、私の分析が合ってたんだっ」

 

 嬉しそうな声色。

 けれども、悲しそうな声質。

 相反する感情が、彼女の中に存在していた。

 徐々に戻ってきた思考で、そう思った。

 だが、やはり分からない。

 彼女の心情が。

 何を考え、どう思っているのかが、全く分からなかった。

 けれど、徐々に浮かんでくる思考。

 それは。

 

 これを認めて、茜ちゃんが諦めてくれるかもしれない。

 

 そんな思考だった。

 一度思ってしまえば、その考えが徐々に大きくなる。

 茜ちゃんが俺の事を好きだと、認めざるを得ない。

 俺の"声の力"を打ち消してまで、その事実を俺に魅せつけてきた。

 けれど。

 だからといって、茜ちゃんが俺の事を好きなままではいけないんじゃないか。

 そんな思いが消えた訳じゃなかった。

 このままじゃ、彼女は幸せになれない。

 俺じゃきっと、彼女を幸せに出来ない。

 そんな思いが考えを後押しする。

 嬉し泣き、ではない彼女の姿を改めて意識すると、その輝きに含まれた悲壮が見て取れ、胸が痛む。

 だが、言わなきゃない。

 ……だから、言わなきゃない。

 もしかしたら、諦めてくれるかもしれない。

 俺は、隠し子がいる最低な男なんだって。

 子供がいるのにそれを公表してない様な、最低な男だって。

 茜ちゃんが好きになるべき男じゃなかったって。

 だから、俺を好きなままでいない方が良いって。

 そう、知ってもらおう。

 

「……茜ちゃんの言う通り。アクアは……俺の子供だよ」

 

 その言葉に、彼女は目を見開いた。

 笑顔が、消えた。

 けれど涙は、消えなかった。

 その姿にやはり、胸の痛みが増す。

 だけど、これでいい。

 

「俺は、隠し子がいる様な男なんだよ。それも、茜ちゃんと同い年くらいの子供だ。そんな最低な俺なんかを、茜ちゃんは好きにならない方がいいよ」

 

 声の力は効かずとも、事実を武器に、茜ちゃんへと告げる。

 

「誰にもバレない様に、ずっと隠してきたんだよ。本当は隠す必要が無い事をさ。自分の子供なんか存在しないって思ってる様な男なんだよ、俺は」

 

 その言葉に、茜ちゃんの表情が変化を見せた。

 目を瞑り、流れる涙を腕で拭う。

 彼女の中で何か感情の変化があったのだろう。

 けれど構わない。

 このまま押し通して、諦められる様に進める。

 そう思い再び口を開く。

 

 だがそれは。

 

 

「……言いたい事は、それだけですか?」

 

 

 彼女から発せられた呟きに、声を出す事が出来なかった。

 思わず黙り込み、彼女を見つめる。

 

「もし、これ以上無ければ、私の番でいいですか?」

 

 先程までとは違い、やたらと流暢な声。

 そこに笑みはなく、真面目な表情。

 問い掛けに答えられず黙っていると、彼女が顔を上げた。

 

「では、カズヤさん……一緒に来てください」

 

「……え?」

 

 彼女の言葉に、声を返す。

 その言葉が、理解出来なかったから。

 

「……もう少し落ち着いて話すつもりでした……でも、やっぱり、カズヤさんに理解してもらうには、言葉ではなく……"存在"が必要みたいですから」

 

 そう言って荷物を纏め、立ち上がる。

 タブレットを操作し、やがて店員が扉を開けた。

 会計金額が伝えられ茜ちゃんが財布を取り出した所で我に返る。

 慌てて財布から先に札を出して店員に渡せば、茜ちゃんが僅かに不満気な表情をこちらに向けた。

 どこか困惑した様な店員に「それで大丈夫なんで、お会計お願いします」と矢継ぎ早に告げれば、扉を閉めて出て行ったのだった。

 

「……ありがとうございます」

 

 その言葉が届く。

 

「いや、このくらい全然いいんだけどさ……その……」

 

 彼女へと言葉を返すが、続きが言えなかった。

 何を言えば良いのか、全く纏まらなかったのだ。

 何と言えばいいのか、分からなかった。

 不意に、茜ちゃんがスマホを取り出す。

 

「タクシーを呼びます」

 

 その言葉に、口を開く。

 

「あ、それなら俺の知ってるタクシーの方が安心だろうから、こっちで呼んどくよ」

 

 そう言ってスマホを取り出し、電話をかける。

 テーブル越しに再び不満気な表情を向けられながらも、数分とかからずに到着してくれる事となった。

 店員が再び現れ、お釣りを渡してくる。

 それを受け取れば、茜ちゃんが立ち上がった。

 彼女に合わせて、俺も何となく立ち上がる。

 空気を読んで扉を開けて先に出れば、続いて茜ちゃんが出てきた。

 

「……ありがとうございます」

 

 またしてもそんなお礼を言われながら、店員達の声を背に、外に出る。

 店の前には既にタクシーが到着しており、先に茜ちゃんを乗せて、俺が続く。

 彼女が運転手に目的地を伝え、運転手が僅かに俺を見るが、頷く事で答えた。

 車が出発。

 どんどんと店から離れていく。

 車内は、無言だった。

 ただひたすらに、気まずい。

 そして、これから向かう場所がどこなのか分からず、緊張する。

 ちらりと横を見れば、正面を向いたままで微動だにしない茜ちゃんの姿。

 けれど、諦めさせる事を諦めた訳じゃない。

 ……ちゃんと話し合わないとな。

 俺もまた静かに、正面へと顔を戻した。

 そのままに車は走り続け、やがて目的地へと到着したのである。

 

 

 前を歩く茜ちゃんが足を止めて、つられて俺も足を止める。

 バッグから鍵を取り出した彼女は、眼前の扉にある鍵穴へとそれを差し込み開錠。

 ロックが解除された扉を、開いたのだった。

 それと同時に、中から届いた声。

 

「おかえり、あかね。早かっ」

 

 その声の主が顔を覗かせた瞬間、声が止まった。

 その人物の顔は、どこかで見た記憶があった。

 茜ちゃんは俺の手を握って、中に入る。

 つられて俺もまた、インドアしてしまった。

 

「ただいま、お母さん」

 

 茜ちゃんの声が前方へとかけられ、同時に背後の扉が閉まる音が聴こえた。

 そこで遅れ馳せながら、漸くと把握。

 ここ、茜ちゃんの家か。

 同時に、こちらに顔を覗かせて固まっている女性が、茜ちゃんの母親だと理解した。

 確か昔に、舞台の稽古だかの時に会った気がする。

 

「……えぇ!? カ、カズヤさん!?」

 

 ここで茜ママ、復活。

 俺を見て叫び声を上げたと思ったら、勢いよくその姿を壁の向こうに隠してしまった。

 やがて聴こえてくる呟き。

 

「……やだっ……カズヤさんが来るなんて思わないから、何もお化粧してないじゃないっ……それに服も……あかねも言ってくれればよかったのにっ……」

 

 ちらりと茜ちゃんを見れば、後頭部しか映らなかったが、そこから見える耳は真っ赤に染まっていた。

 ついでに身体も小刻みに震わせていた。

 

「お、お母さん! ちょっとカズヤさんと部屋でお話するねっ!」

 

 どこか説明口調の様な声を大きめに上げた茜ちゃん。

 綺麗に靴を脱いで上がれば、手を握られている俺もまたつられて進む事になり、慌てて靴を脱ぐしかなかった。

 そして手を引かれながら進む最中。

 茜ママがいるだろう部屋に向けて「えっと、お、お邪魔します」と声をかけた。

 すると反応が返ってくる。

 

「えっ、ええっ! こ、こんな家ですがごゆっくりしていただければ!」

 

 そして続く。

 

「あかね! 後で飲み物とお菓子持っていくわねっ」

 

 その声に、

 

「いらないっ! 大丈夫だからっ!」

 

 やや被せ気味に、茜ちゃんがそう答えたのだった。

 しかし俺の視界に映る耳は真っ赤に染まったまま。

 ただ流される様に引っ張られながら、やがて部屋へと入ったのだった。

 中は暗い。

 足を踏み入れれば、手を離される。

 彼女はそのまま扉を閉めて、部屋の電気を点けたのだった。

 

「……えっ」

 

 思わず、そんな声を上げた。

 茜ちゃんの部屋と思われるこの場所は、床に物が落ちているという事はなく、非常に整理整頓されていた。

 だが。

 壁を見た途端に、この部屋の異常を察知した。

 壁一面は、紙。

 大小様々な付箋紙が余すところなく貼り巡らされており、それは一面だけでなく、全面に至っていた。

 その光景に異様さを感じていたが、次第にその内容を理解し始める。

 色々なドラマと思しき作品の感想、考察、分析、まとめ。

 色々な映画と思しき作品の感想、考察、分析、まとめ。

 色々な舞台と思しき作品の感想、考察、分析、まとめ。

 色々な番組と思しきものの感想、考察、分析、まとめ。

 色々なラジオと思しきものの感想、考察、分析、まとめ。

 色々なCMと思しきものの感想、考察、分析、まとめ。

 色々な生配信と思しきものの感想、考察、分析、まとめ。

 色々な広告と思しき紙の感想、考察、分析、まとめ。

 色々な、個人と思しき存在の感想、考察、分析、まとめ。

 いずれも付箋の上に、何枚もの付箋が貼られている。

 そのいずれもが。

 

 

 (カズヤ)だった。

 

 

 そのあまりの異質さに、何かが背筋を這いずり回った様に感じた。

 左右を見渡しても、視界に入るのは全て、俺に関する事。

 何だ、これは……。

 そんな感想を抱いた時、背後から声が聴こえた。

 

 

「カズヤさんの性格上、真偽不明な不機嫌をされると……それを解消するまで不安になって、絶対に着いてきてくれるって、分かってました」

 

 

 耳元で囁かれた声に、思わず身体が震えた。

 振り返る事が出来ず、ただその場に立っている事しか出来ない。

 再び、声が聴こえた。

 

「本当はもっと整理して綺麗なお部屋を見てもらいたかったんですけど……一個も片付けていいものじゃなかったんで、このままにしちゃいました」

 

 ちょっと恥ずかしいです。

 どこか照れた様な口調が、最後に届いた。

 ただ、眼前の光景を見ているしか出来ない。

 再び、声が届く。

 

「私にとってカズヤさんがどれだけ大切な"存在"なのか……言葉ではなく、"見て"知っていただきたかったので、家に来てもらいました」

 

 気付けば、固唾を呑んでいる自分がいた。

 やがて、重く感じる口を開く。

 

「……茜ちゃん……これって」

 

 言えたのは、そこまでだった。

 これ以上、何を表していいのかが、分からなかった。

 

「これ、ですか? あっ、そういえば私はこう思ってるんですけど、カズヤさんはあの時どう思ってたか教えてくれませんかっ?」

 

 俺の声に反応した茜ちゃんはやがて笑顔で俺の視界に入り、壁から"一つ"の付箋を剥がす。

 それは、壁に貼られた中で一番、圧倒的に大きい付箋。

 それを持って、茜ちゃんが笑顔で近付いてくる。

 近くで見て、改めて認識した。

 一つの大きな付箋。

 その実は、数百は下らないであろう付箋の集合体だった。

 その全てが、たった一つの事柄についてのみ書かれている。

 付箋に書かれている文字から、大量の二重線と訂正文字から、記憶が呼び起こされる。

 彼女が手に取った付箋の塊。

 そこには、俺の"死んだ"演技だけが、書かれていた。

 つまり、過去に出演したドラマの、たったワンシーンのみ。

 たったワンシーンの、たった一つの要素のみに、こんなにも付箋と文字が使われていた。

 書かれている内容が目に入る。

 それは他よりも前に貼られていると思える付箋の内容。

 

 

 この時、カズヤさんは自分の為ではなく、有馬かなの為にこの演技をした可能性が高い。つまりこのシーンを撮る以前に有馬かなと何かがありカズヤさんがそれに手を貸したいと、何かを解決したいと思い実行したと考える方が、カズヤさんのこのシーンの心情的には辻褄が合う。そして有馬かなから何かがあったのではなくカズヤさんが有馬かなを困らせる、例えば泣かせる等をしてしまいそれのお詫びとして有馬かなが抱く願いを叶える為の行動と仮定すれば、この時のカズヤさんの姿と演技と感情のラインが一致する。

 

 

 それを目にして、思わず鳥肌が立った。

 視線を上げて茜ちゃんを見れば、どこか恥ずかしそうに、けれどもある程度の自信があると思わせる笑みで、俺を見ていた。

 その姿に、気付けば僅かに身をのけぞらせていた。

 俺の答えを待っているであろうその笑顔。

 それがどこか――"お前の事は全て知っている"と言っている様に思えてしまった。

 以前、茜ちゃんに俺の"声"を模倣してもらった時。

 その時は"自分の力を知って"、恐怖した。

 けれども今回は。

 

 "自分の事を知られている"恐怖が鮮明に襲ってきた。

 

 記憶が蘇る程に、ぴたりと当てた俺の心境。

 ならば、それ以外も知られているのではないかという恐怖が、俺の中に生まれた。

 茜ちゃんはどこまで俺の事を……。

 そんな考えが、浮かんでしまう。

 こんなにも当時の心情を完璧に当てられるものなのか?

 そう思ってしまうが、現実として当てられた。

 

「……カズヤさん?」

 

 不意に届いた声に、身体が震える。

 意識を向ければ、笑顔をどこか陰らせた茜ちゃんの姿。

 その姿に、慌てて口を開いた。

 

「い、いや……凄いね。当時の心境は本当にこれだったよ」

 

「ホントですかっ?」

 

 俺の言葉に、彼女の笑顔が輝いた。

 心底嬉しいとった表情で、持っていた付箋を抱きしめる。

 その姿をただ、見ている事しか出来なかった。

 やがて小走りで付箋を元の位置に戻した茜ちゃんが俺を見る。

 その表情は、やはり笑顔。

 

「……やっぱり、私の考察が合ってたんだ」

 

 独り言の様な呟き。

 やがて、続けた。

 

 

 

 

「じゃあやっぱり、アクアくんのお母さんって……アイだったんだ」

 

 

 

 

 心臓の高鳴りで、激しい痛みが走った。

 だが、そのお陰か思考が止まる事はなかった。

 

「……いや……それは……違うんじゃないかな?」

 

 すぐにそう返せた自分を褒めたい。

 彼女は、核心部分をも理解している。

 だがそれは、俺が絶対に認めないもの。

 アイの許可なくして、絶対に他言しないもの。

 俺の相手が、アイ。

 これだけは絶対に、アイが許可を出さなければ言わない。

 それは遠い昔に、俺が決めた絶対。

 だから否定する。

 だが、後悔が募る。

 

「えっ……でも、アイの感情のラインを考えると、カズヤさんにだけ他とは明らかに違うざわつきが起きるんですよ?」

 

 何と無しといった様相で首を傾げる彼女に、心臓が早鐘の様に五月蠅く鳴り続ける。

 先程、彼女を諦めさせる為に、アクアの父親だと認めてしまった。

 それが彼女の考察を裏付ける切っ掛けにさせてしまったのだ。

 俺の口からはアイとの関係は認めない。

 けれども茜ちゃんの中では、完全に整合性を持たせてしまった事に、後悔する。

 俺だけでなく、アイも分析しているであろう口ぶりから、少し前の安直な自分を殴りたくなった。

 だが、それでも俺の口からは絶対に認めない。

 最早それが、完全な自己満足でしかないとしても。

 

「もしかしたら、どこか分析が間違ってるとかはないのかな?」

 

 そう訊ねれば、彼女は不思議そうに俺を見つめた。

 

「少し前に気付いたんですが、"今ガチ"の時にアイを演じる様になってアクアくんの告白を断る時に、私の感情の向きと、アイの感情の向きが同じだったんですよね」

 

 あっ、でもっ、キスされそうになったシーンをもし見てたら忘れてください!

 慌てた様に顔を真っ赤にした彼女の姿を、見つめる。

 いや、見つめる事しか出来なかった。

 言葉を出しても、彼女の中で整合性が取れている故に、断定的な回答しか返ってこない。

 彼女が言った"今ガチ"。

 そこで炎上し、復帰した茜ちゃんが見せた変化。

 俺にも"アイ"だと思わせた、その姿。

 その時に彼女は"アイ"について深く分析をしたんだろう。

 今回の件とは別の理由で。

 不運が重なったと言えばいいのか、俺の浅はかさが原因とすればいいのか。

 それ以上に、茜ちゃんの分析や考察が異常だと思えばいいのか。

 俺には分からなかった。

 けれども、それは今の所、俺の認識と一致してしまっていた。

 それが現実。

 だから、何も言えなかった。

 彼女が矢継ぎ早に改めて口を開く。

 

「あ、あとっ、"東ブレ"の舞台でアクアくんがカズヤさんと同じ"力"を使ってて、その感情が誰に向いてるか試したらアイに対してだったので、そっちの視点からでもアクアくんのお母さんがアイって分かりました!」

 

 思わず目を見開く。

 その言葉で、二重の驚きを得たから。

 一つは、アクアがやはり俺の力を受け継いでる事について。

 もう一つは。

 

「……アクアに、何かしたの?」

 

 彼女は言っていた。

 試した、と。

 ならば何を、試したのか。

 それが分からず、けれどもどこか良くない予感が消えない。

 だから、思わず訊いた。

 茜ちゃんはどこかきょとんとした表情を浮かべ、俺に言った。

 

「何って……かなちゃんから"アクアくん……もし、お母さんが死んじゃったらどうする?"って言われて、それでアクアくんが憎悪の感情で"力"を使える様になったんで――」

 

 時系列での説明。

 そして、笑顔を浮かべた。

 

 

「本番で"アイ"になって彼の目の前で斬られた後――"死んだ"演技をしたら、アクアくんが"アイ"って言ってくれました」

 

 

 彼女の言葉に、表情に、背筋が凍った。

 それはその事実に。

 そして、そう言ってのけた彼女の姿に。

 何故、そんなにも簡単に、人のトラウマを刺激出来るのか。

 何故、そんな事をしたと、笑顔で言えるのか。

 茜ちゃんは、そんな子じゃなかった筈だ。

 分からない。

 けど、分かった事がある。

 ……俺の、せいだ。

 理由は分からない。

 けれど、そう思うしかなかった。

 以前会った彼女は真面目で頑張り屋で恥ずかしがり屋で、けれども俺に対してだって慮れる優しい子だった。

 俺なんかを憧れたせいで、目指したせいで。

 俺を理解してしまったせいで、"声の力"ではなく……茜ちゃんの"存在"自体をどこか歪ませてしまったのかもしれない。

 だから彼女はきっと、こうなってしまった。

 それだけは分かった。

 だからこの責任は、俺にある。

 僅かにのけぞっていた姿勢を、無理やり戻す。

 俺が、何とかしなきゃいけない。

 以前、茜ちゃんについて思った事がある。

 ……俺が守らないと、守れない可能性がある。

 そんな風に思った。

 彼女が自殺するかもと、その時に不完全ながらも"存在を消す"力を使って、他の人には見つけられないかもと。

 その時と同じ。

 けれど、その時とはまた違う、同じ思いを抱いた。

 俺が守らないと、守れない可能性がある。

 

「なので、アクアくんのお母さんは……アイですよね?」

 

 俺が守らないと――守れない可能性がある。

 

「……いや、それはどうかな?」

 

 俺の言葉に、茜ちゃんはどこか不服そうな表情を浮かべる。

 頬を膨らませて、真実を話さない俺へと無言の抗議を行ってきた。

 

「そんな顔しても教えないよ」

 

「むぅー……」

 

 無言の攻防が続く。

 だがやがて、茜ちゃんが息を吐いた。

 

「……別にいいです、教えてくれなくても」

 

 彼女が続ける。

 

「そんなにもカズヤさんに守られてるアイに嫉妬しただけですっ……!」

 

 そう言った後に何故か、笑顔を浮かべた。

 彼女の変化に、訝しんでしまう。

 だが、彼女の表情は変わらない。

 

「言ってましたよね、カズヤさん。自分の子供を隠してるって、存在してないって」

 

 鼓動が高鳴る。

 後悔の再来の様な感覚を、抱いた。

 茜ちゃんが、続ける。

 

「カズヤさんは……結婚してるんですか?」

 

 不意の質問。

 それを受け、僅かに逡巡。

 やがて口を開いた。

 

「……してないよ」

 

 それは、事実。

 そしてアイとの関係を彼女に認めさせない為。

 結婚してると言ってしまえば、アイとの関係を彼女に対して認める事になると判断したから。

 最早、ただの自己満足。

 けれど、徹底的に隠し通す。

 もしかしたら、俺が認める事で何かアイに良からぬ事が起きるのではないか。

 そう、思ってしまったから。

 茜ちゃんもまた、俺にとっては大切な人。

 守りたい。

 幸せになって欲しい。

 そう思う人、なのに。

 そんな彼女に対して、警戒する自分がいた。

 その事実を認識し、心が痛む。

 自分の中で起こった矛盾に、激しい痛みが走った。

 しかし"声の力"も効かない彼女に、現状では打つ手なし。

 だから彼女の反応を待つしか出来ない。

 しかし俺の言葉で。

 

「ホントですかっ?」

 

 彼女の表情が、喜色満面に変わった。

 それを不思議に思いながらも、頷く。

 

「ホントだよ」

 

 俺の回答に、茜ちゃんは僅かに身体を震わせた。

 そしてどこか恍惚とした表情で、天井を見上げる。

 

「あぁっ……今の、カズヤさんの言葉っ……それまでの話と言い方から考えて、感情に不一致が無いっ。だからホントの言葉なんだっ」

 

 胸の前で両手を握り、一人呟いている姿。

 やがて、俺へと向き直る。

 

「……カズヤさん」

 

 声をかけてきた彼女の瞳は潤んでおり、その表情は上気している。

 

「……私は、カズヤさんの事が大好きです」

 

 再びの告白。

 彼女の言葉を、ただ聞くしか出来ない。

 どこか不可解とも思える彼女の言動に、何も出来なかった。

 不意に、彼女の表情が変化した。

 

「……でも、付き合ってくださいってはまだ、言いません」

 

「え……?」

 

 想定外の言葉に、思わず聞き返す。

 アイもルビーも、付き合ってや結婚してと、そのタイミングで言ってきた記憶がある。

 だから彼女もまた、そうなのかもしれないと、心のどこかで思っていた。

 それに対してどうするかを、考えていた。

 茜ちゃんはどこか優し気な笑みに変わり、俺を見つめた。

 そして、声が届く。

 

 

「カズヤさんは――自分が存在しない方が、皆が幸せになれるって思ってますよね?」

 

 

 心臓が、大きく高鳴った。

 この感覚は、図星と呼ぶに相応しかった。

 言葉が、出ない。

 

「本当は、遠い所で……皆を見守っていたいって、思ってるんですよね?」

 

 鼓動が、速まる。

 

「自分は存在しない人間なのに、"()"によって存在してしまっている……誰かに影響を与えてしまっているって、思ってるんですよね?」

 

 額から、汗が流れ落ちた。

 

「幸せになってもらいたくて、消えたいって思うんですよね?」

 

「な、何を……」

 

 何とか口に出せたのは、そんな言葉だけだった。

 思考が上手く纏まらない。

 恐怖。

 その感情が、生まれた。

 本心を知られていた。

 その初めての感覚に、恐怖を覚えた。

 彼女は優しく微笑みながら、俺へと近付いてくる。

 

「……だから、もし消えたいなら」

 

 そう言って、彼女は両手を広げ、

 

 

 

 

「私はカズヤさんと一緒に消えたいです」

 

 

 

 

 その腕に、優しく包まれる。

 そこで、新たな感情が芽生えた。

 安らぎ。

 それに似た感情が、心に生まれた。

 今まで、一人で考え続けてきた事。

 それを知られ、理解された。

 そして拒絶されず、認められた。

 俺の他に、俺の本心に寄り添ってくれる、人がいた。

 俺の望むべき事を、一緒に望んでくれる人がいた。

 一緒に消える。

 それもまた……いいかもしれない。

 そう、思った。

 茜ちゃんの声が、聴こえる。

 

「カズヤさんが消えたいと思った時、一緒に連れていってください」

 

 優し気な呟きが、その吐息が、耳を擽る。

 

「カズヤさんと一緒に居られれば、私は幸せです」

 

 その言葉に、安らぎが生まれた心と思考に。

 何かのシルエットが浮かんだ気がした。

 

「カズヤさんの幸せが、私の幸せです」

 

 シルエットが、自分の中で具体的になっていく。

 それは徐々に輪郭を作り上げ、形となっていく。

 

「……ですから、カズヤさんの幸せを邪魔するなら」

 

 シルエットがやがて、人物に変わる。

 その人物は――。

 

 

 

 

「――邪魔者は、私が消します」

 

 

 

 

 跡形もなく、脳内から霧散した。

 意識、思考が急速に戻る。

 顔を向ければ、そこには。

 嬉し気な笑み。

 だが、その瞳の中には俺だけが映っていた。

 そしてその周りには、狂気で覆われている様に思えた。

 笑みを変えぬままに、彼女が告げる。

 

「だから、カズヤさんの隣にいさせてください」

 

 その言葉に、思考を巡らせる。

 邪魔者を、消す。

 この言葉で、我に返る事が出来た。

 それがなければ、どうなっていたのか分からない。

 だが"消す"とまで言った彼女に、我に返った。

 故に思考を巡らせる。

 でも、気付いた。

 ……俺の手には、負えないかもしれない。

 そう思ってしまった理由。

 

 この子は、頭が"良すぎる"。

 

 だから(いち)のヒントで、十や百の情報を得られる。

 まずは、それをとにかく防がなくてはいけない。

 そう思った。

 微かなヒントも与えてはいけないのだと、理解した。

 ならば、どうするのが良いのか。

 俺の手には負えないかもしれない。

 そう思ったが、俺が何とかしなければいけない。

 だから俺が彼女に、これ以上のヒントを何も与えない様にしなくてはならない。

 でなければ、最悪の事態になる可能性すらある。

 現時点で考えられる最悪。

 アイ、またはアクアとの衝突。極論を言えば……殺傷。

 アイとの関係を認める言動、そしてアクアが父親への恨みで俺を捜していると、知られる訳にはいかない。

 でなければ、どうなるか分からない。

 茜ちゃんの雰囲気から、それも決してゼロじゃないと思わされた。

 俺を理解し、非常に似通った思考回路になれる茜ちゃん。

 だがやはり、俺とは少し違った。

 

 それは彼女が――俺を好きだという事。

 

 だからこそ、彼女の目を外に向けてはいけない。

 俺が、彼女の目を奪い続けなければいけない。

 ずっと、俺に向け続ける事しか出来ないだろう。

 "()"が効かないならば尚の事。

 放置は出来ず、野放しにも出来ない。

 じゃないと彼女は、一人で情報の完結をしてしまい、己の感情のままに動いてしまう可能性がある。

 故に俺から目を逸らさせる訳にはいかない。

 その方法で、極力茜ちゃんが俺以外に意識を向けない様にしなくてはいけない。

 だから色々と勘繰られない為にも、茜ちゃんは俺を見続ける様にして――俺が茜ちゃんを見続けられる様にする。

 何かしらの対策が思い付くその時までは、少なくともそうしなければならない。

 茜ちゃんがアイ、ルビー、アクアをどう思っているのか、"結果として"どう思うのかが分かるまでは、そうしなければならない。

 

 

「いいよ、茜ちゃんには俺の隣に居て欲しい」

 

 

 そう告げれば、抱きしめる力が強まった。

 なるべく俺だけに意識を向けさせる様にしなきゃいけない。

 そう考えて、俺もまた茜ちゃんを抱きしめる。

 

「あっ……」

 

 俺からの抱擁に気付いた彼女は微かに声を上げて、僅かに身体を震わせた。

 俺にだけ意識を向けさせる。

 俺が誰かの目を奪う。

 そんなの、やった事がない。

 だから、出来るかどうかは不安。

 でも、やらなきゃない。

 あの幼女に誓ったんだ。

 その決意を揺らがせない為にも、やり切るしかない。

 俺の"大切な人"には、茜ちゃんも入ってるんだから……彼女にも不幸になって欲しくない。

 皆が生き続けて欲しい、欲を言えば笑っていて欲しいのが、俺の願いだから。

 思い返すのは、先程の記憶。

 ――あかね! 後で飲み物とお菓子持っていくわねっ。

 ――いらないっ! 大丈夫だからっ!

 それは親子の会話。

 茜ちゃんに何かあったら、悲しむ人がいるんだ。

 だから茜ちゃんも、絶対に"守る"。

 

 ……まずは、仕事からだな。

 

 そんな事を考えつつ、茜ちゃんが納得するまでの間、彼女を抱きしめ続けたのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。