"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
あいつだ。
その男を見やり、直感した。
というより、パーカーのフードを目深に被り花束を持っている姿が、単純に怪しかった。
しばらくマンションを見上げている。
俺は基本的に、めんどくさがり屋なので疑わしきは罰せずだが、今日だけは違う。
疑わしい、即、罰。で行くつもりだ。
隠れていた姿をやめて、静かに道路を歩き出す。
休日で朝早いからだろうか、人通りは全くない。
その方が、都合が良いから助かる。
足を進めれば、その怪しい人物が何やら小さな声で呟いているのが聞こえてきた。
「……俺は悪くない……悪いのは裏切った、嘘をついていたアイツだ……」
その言葉に確信。
僅かに歩速を早め、男に近付く。
心臓が少し高鳴っているのを感じた。
もしかしたら、死ぬかもしれない。
そんな状況下なのに、不思議と怖さは無かった。
俺は別に、護身術や合気道みたいな武術は全くやってない。
やろうとは思ったが、スケジュールがぱんぱん過ぎて、全くやる暇がなかった。
故に身体能力を使って武力制圧、みたいな事は無理だ。
だが、俺には違う武器がある。
怪しい男まで目測二メートル程度。
その時、男がマンションに向かって歩きだした。
「なあ、そこのお兄さん」
少し距離はあったが、声を強めに出して呼び止める。
男は俺の声に反応し、足を止めてこちらを見た。
そう、俺の武器は声。
そして前世から培ってきた、言葉。
つまりは話術を駆使して、止める。
いや、止めるっていう言い方は正しくないな……。
正確には、
「――その花、俺に持ってきてくれたやつだろ? ありがとね」
男の憎悪の矛先を、星野アイから俺に向けさせる。
「…………は?」
目の前の男は俺の言葉に、困惑と苛立たしさを含んだ声をだした。
そうだ……まずは俺を見ろ。
「まさかファンがこっそりと、俺たちの事を祝福してくれるなんて、こりゃ芸能人冥利に限るなあ」
俺の声を聞け。
「……ファン? お、俺たち、だと……?」
僅かながらに理解しだした男に、笑みを浮かべる。
「だってアイのファンだろ、お前? 俺の嫁の為にわざわざありがとな!」
軽やかに声をかければ、男は遂に目を見開いた。
「……お、お前がっ、アイの、夫だとっ……」
「そうそう、子どもも可愛くてさあ。あ、そうだ……知ってる? あいつって、抱いてやる時めちゃくちゃ恥ずかしがるんだぜ?」
そういやお前ごときじゃ知る訳ねーか、そう言って男を笑う。
俺の言葉に、男は身体を震わせ始めた。
「…………お、お前が」
そうだ、もっと俺を見ろ。
「……お、お前がっ、俺のアイをっ」
そうだ、もっと俺を恨め。
「お前のアイ? 何言ってんだ?」
もっと、俺だけを憎め。
「もう……この俺様だけのアイなんだよ、バーカ」
俺だけを殺しにこい。
「ああああああああッ! 死ねッ! お前のせいでッ!」
叫び声を上げた男は花束を投げ捨て、パーカーのポケットからナイフを取り出し、それを片手に俺に突っ込んでくる。
その動きを辛うじて横に避ける事で躱した。
心臓が痛い程に高鳴っている。
けれど、もしあいを死なせてしまったら、心臓の痛みは絶対にこんなもんじゃすまない!
俺が避けた事で、男は突っ込んだ勢いのまま、地面に倒れる。
男に向けて、俺は笑顔を浮かべた。
「おーい、大丈夫か? ま、心配すんなって。アイとは夫婦で仲良くやってくからよ」
「喋るなああああああああッ! アイをッ! アイを穢したゴミがああああッ!」
俺の言葉に即座に起き上がり、ナイフを持った腕をがむしゃらに振ってくる。
「アイが体調不良で活動休止した時は悲しかったッ! だがそん時にネットでアイが妊娠したんじゃないかって憶測が飛び交ったんだ!」
ナイフを振り回しながら、男の口からこの凶行に至った訳が語られる。
「当然嘘だって思ったッ! だけど心配になってアイが所属してる事務所を見張ったら、妊娠してるアイがそこに居たッ!」
言葉にして感情が昂っているのか、腕を振る強さが増していく。
「アイと事務所の社長が乗った車を追えば空港に着いて、行き先は宮崎だったよッ! そこでアイの担当医にも会ったッ!」
「――くッ」
何とか避けてはいたが、その内ナイフが俺の腕を掠めて痛みが走る。
俺を傷付けた男が、それを見て嗤い出した。
「アアッ? 痛いかッ? 痛てえよなあッ! けどッ……俺はその何倍も痛かったんだッ! 何せ俺はアイに嘘をつかれてたんだからなあッ! 男が出来て、子どもまで産んでッ……お前さえいなければアイが俺たちファンに嘘をつく事なんてなかったッ!」
嬉々とした表情でナイフを振り回し、その勢いが段々と強くなる。
躱してはいくが、それでも時間を追うごとに、俺の身体に傷が増えていった。
それでも俺は笑顔をやめない。
「残念だったな、俺がアイに嘘をつかせたんだ。お前らなんて、どうせアイの上っ面だけで満足なんだろ? 本当のアイを見るのは、俺だけで良いからな」
「黙れええええええええッ!」
両腕、肩、頬、腹――。
決して動けなくなる程の致命傷では無いが、それでも疲れと痛みで徐々に動きが鈍くなる。
俺に傷を負わせるごとに、男の嗤い声が大きくなっていった。
「お前をッ! お前を殺せば子供を作ってファンを裏切ったアイへの復讐になるんだッ!」
男が腕を振るうのをやめた。
ナイフを持った腕を後ろに下げて、勢い良く突き出してくる。
腹を狙ったその攻撃に、避けようと身体を動かす。
その瞬間、それまでに出来た切り傷の痛みで動きが止まってしまった。
「――――ぁ」
俺の腹部から、男の持つナイフの柄の部分が飛び出している。
痛みは何もなかった。
そして、僅かに遅れて腹を刺されたと脳が認識した。
「――――ッ!」
瞬間、感じた事の無い激痛が全身に走る。
腹部が異常に熱く感じ、上手く立っていられない。
泣き叫びたい程に痛いが、歯を食いしばり、舌の奥に力を入れて声を口内で押し留める。
堪え切れない分は、鼻息として思い切りだしてやる。
「…………あ、ああっ」
男の狼狽した声が耳に入った。
顔を上げれば、そこには目を見開き、地面にへたり込んだ男の姿。
激痛に意識が朦朧としだす中、男を睨み付けた。
今出せる力を振り絞り、言葉を出す。
「……お、いッ……お、れが、悪いん、だっ……アイの、こと、は……ぜったいに……恨む、なッ……!」
「ひぃッ」
怯えた様に後ずさり、やがて脇目もふらずに走り去っていく。
男の姿が見えなくなって、ようやく事が終わったのだと実感出来た。
同時に激痛が増して、立っている事が困難になる。
朦朧とする頭で、佐山さんを呼ばなきゃとスマホを取り出し、震える手で連絡。
……とりあえず、これで佐山さんに俺の現在地が伝わる。
徐々に腕に力が入らなくなっており、上体を起こしているのも困難になってきた。
佐山さんは車で来てくれるから、そう時間はかからないはず。
胃からせり上げてくるものを感じ、耐え切れず吐き出すと、それは血だった。
ああ、死ぬかもな……。
まるで他人事の様にそう思った。
死ぬかもしれないなら。
最後に、彼女がいるであろう場所を見たかった。
彼女住むマンションへと顔を向けて――目を見開いた。
「…………カズ、ヤ?」
――何故、目の前にあいがいるんだ。
……あ、やば……力入んなくて、倒れる……!