"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
「アクア、ママちょっとお散歩してくるね?」
アイ、こんな時間から出かけるのか。
寝起きで上手く思考が回らない中で彼女に問いかければ、その様に返ってきた。
軽口を叩けば、明るい声が帰ってきて、彼女は玄関から出て行った。
やっぱり、アイと言えど今日のドームライブは緊張してるのか……?
いつもと違う彼女を見て、そんな事を思いながらテレビを点ければ、ニュースで今日のB小町のドームライブについて軽く触れていた。
それを見ながら、思う。
アイはついにここまで来た。
一人のファンとして、そして今は彼女の子どもとして、それがとにかく嬉しい。
そして彼女はこのドームライブから、また新たなステージに大きくステップアップするだろう。
そんなアイの輝きを、これからもずっと見ていたい。
今日は妹であるルビーと、引率者であるミヤコさんと関係者席で一緒にライブを観る予定で、俺もテンションが上がっているのか、いつもよりも早く目覚めてしまった。
アイは、アイドルの傍ら精一杯子育てもしてくれているが、正直、完璧な母親かと言われると、そうでもない。
最近はなくなったが、少し前までは俺とルビーの名前をしょっちゅう呼び間違えるし、子育てという業務においては、言っちゃ悪いがミヤコさんがメインでやってくれてる。
正直、アイの子どもが仮に、俺やルビーといった前世の知識を持った転生した赤子でなかったなら、彼女はここまで母親の様に振る舞えていたのか定かではない。
大人気のアイドルとなり様々な番組や取材、ライブと大忙しな為、子どもと接する時間は一般的な家庭に比べればかなり短すぎる。
けれども、子どもに不自由がない様にお金の事を考えたり、親らしい姿も見えているので、詰まる所"しっかりとした"母親にはなれていないが"しっかりと"母親は出来ている様に感じていた。
何せうちのアイはアイドルとしても、母親としても、女としても全ての幸せを手に入れる欲張りなアイドルなんだから。
「んんー……あれぇ、ママはぁ……?」
不意に聴こえた声。
そちらを向けば、寝起きでよたよたと歩く妹の姿。
「散歩に行ったよ」
えー、と駄々をこねる声にため息を吐いた。
妹、ルビーは前世の記憶があり、そしてそれは厄介なまでにアイドルオタクな女。
互いに転生している事は知っているが、それを他の人に言う事はない。
アイの事が異様に好きな妹。
そんな彼女の姿を見ていると、前世で出会った少女の姿を夢想してしまうのは、俺の悪いクセなんだろうか……。
けれど、この妹のアイに甘える姿を見ていると、やはりアイはしっかり母親を出来ていると思う。
無論、推しだからという前提条件もあるだろうが、それでも親として子どもを幻滅させない様に接している姿は、アイドルではなく母親だった。
玄関のドアが開く音がする。
どうやら、アイが帰ってきたみたいだ。
続いて、玄関に続くリビングの扉が開き、目的の彼女が姿を現した。
「あっ、ママー!」
妹が駆け出し、アイに勢い良く抱き付く。
「ルビー、ただいまっ」
そう言ってアイもまた、その場にしゃがんでルビーを抱きしめた。
その光景が微笑ましく、小さく息を吐く。
「アクアも、こっちにきて」
不意に名前を呼ばれたので、立ち上がり二人の下へと向かう。
手の届く距離まで近付けば――。
抱きしめられた。
ルビーと共に、彼女の懐に抱き寄せられる。
たまに抱きしめられる事はあったが、前世の記憶があり照れくさく、恥ずかしかった。
だけど。
今回は不思議と、そんな気持ちは湧かなかった。
「――愛してる」
心臓が、大きく鼓動した。
「……ママ?」
隣から妹の困惑した声が消える。
それは俺も同じだった。
「ああっ、やっと言えたっ……これも絶対に、嘘じゃないよっ……!」
聞こえてくる声は震えており、それがこちらに向けた言葉なのかは分からない。
更に強く抱きしめられた。
「アクアっ、ルビーっ……こんなに遅くなってごめんねっ」
触れる彼女の身体が、微かに震えている。
アイ……泣いているのか……?
その事実に驚愕し、言葉にならない。
アイはいつだって完璧に笑い、完璧に魅せる。
そんなアイドルだ。
彼女が泣く、なんてことがあるのか?
アイドルとして、彼女が泣く姿なんて想像出来ない。
なら、このアイの姿は一体……。
そこまで考え、ハッとした。
彼女がこちらに向けるその気持ち。
それは俺が、前世で見てきた事じゃないか。
アイに対してではない。
そう、産婦人科医として。
彼女から伝わってくる気持ちは、
――母親としての愛だ。
そう考えると、自然と納得した。
何故、アイに抱きしめられて恥ずかしいと思わないのか。
それは、俺の身体が……彼女を母親として受け入れたから。
目の前にいる女性は、決して大好きなアイドルではなく、自分の母親として認識出来たから。
「これからは二人に……数えきれないくらい言っていくよっ……私からの、絶対に嘘じゃない愛してるをっ」
「――ママぁッ!」
ルビーが泣きながら、彼女に強く抱き付く。
妹の言葉は、先程までと何かニュアンスが変わった様に感じた。
けれど、どう変わったのかなんて分からない。
……でも。
妹が何か変わったのに、兄が変われないなんて何だか子供っぽいじゃないか。
ルビーの真似をして、ゆっくりと彼女に手を伸ばす。
「――母さん」
そう言ってぎこちないながらに、俺からも抱きつく。
同時に、アイ……母さんの身体が大きく震えた。
「アクアっ、ルビーっ……愛してるよっ! 愛してるからねっ!」
今日という日を、俺は絶対に忘れないだろう。
誰もがはっきりと言葉にした訳じゃない。
けれど、この三人が同じ心になったのだと、何となく分かった。
ようやく俺たちは、
本当の家族になれたんだ。
ルビーの泣く声だけが、部屋に木霊する。
それをうるさいと感じる事はなく、俺も母さんの身体に顔を寄せた。
……そして気付いてしまった。
彼女の膝の辺りから、血の匂いがする事を。
斉藤社長の運転で、ライブの会場に向かう。
裏手からドームに入ろうとすると、少し後方が何やら騒がしくなった。
振り返って見れば、何やら警備員に取り押さえられる男の姿。
黒のパーカーのフードを目深に被り、顔は見えない。
暴漢かストーカーか……?
そう思いながらちらりと母さんを見れば、その光景を真剣な表情で見つめる星野アイの姿。
驚くでもなく、恐怖する訳でも無く。
だが、同時に納得もした。
……これでも動じないのが
母さんは社長に腕を引かれて、足早に室内に連れていかれる。
この状況で誰が一番狙われるか。
そう考えれば、社長の判断は正しいと思った。
俺とルビーもミヤコさんに連れられて、社長たちの後に続く。
……とりあえず、ここまで来てしまえばもう心配はないだろう。
そう考え、思考をこれから行われるライブの夢想へと切り替えた。
間もなくライブが開演する時間。
俺とルビーはミヤコさん引率のもと、予定通り関係者席からライブを観る。
関係者席から辺りを見渡せば、数えきれない程の人がB小町を、星野アイの登場を待っていた。
この光景を見るだけで、彼女の努力が実を結んだという実感が湧き、早くこの無数の人々の目を奪う完璧なアイドルの姿を見たいと焦がれてしまう。
隣に座るルビーも同様なのか、先程から辺りを見てはステージを見てというのを繰り返していた。
そう、俺たちは双子は母親でありアイドルである星野アイを――。
どうしようもない程に想い焦がれる
ステージに照明が灯り、いよいよライブが幕を開けた。
そして登場した
輝かしいまでのその姿で、煌めきながらステージ上を移動する姿は、さながら流れ星。
そんな彼女に届けられる数えきれない程の声援は、まるで星に届ける願いの様。
その全てが熱気となり、俺の心を熱く燃やす。
今ステージに立つ彼女に抱く思いは、決して母親への思いじゃない。
どうしようもない程に、
家に帰ったら母親として、外に出ればこうしてアイドルとして。
近くで推しを見られる現在の人生に、今一度感謝をした。
こうして熱狂に包まれたドームライブは大成功で幕を閉じ、一番星の輝きはより大きなものへとなった。