"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
なにも考えたくない……考えるのが怖い。
カズヤが。
カズヤが、いなくなってしまう。
今までも、カズヤが離れてしまった事はあった。
だけどそれは、私から離れてしまった時だけ。
バカで、幼稚で、心が弱い私が彼を突き放してしまった。
けど、カズヤはどんな時でも私と一緒にいてくれた。
距離の問題じゃない、心の問題。
こんなにもダメな私がカズヤを嫌っても、こうしてカズヤはいつでも私を思っててくれた。
ずっと、小さい頃から変わらずに愛し続けてくれた。
だけど今は?
初めて……カズヤの方から、私と離れてしまう。
今までは、私が勝手にカズヤから離れて、勝手に戻りたいと思っても、優しいカズヤはいつでも許してくれた。
でも、カズヤの方から離れてしまうなら……私は、それをどうにかする方法を知らない。
だって、優しいカズヤがいつも受け止めてくれるだけだったから。
ずっと待っててくれるカズヤの所に戻る方法しか分からない。
カズヤの追い方なんて、私は経験した事がなかった。
どうにかしたい、だけどどうすればいいのか分からない。
鼻の奥がつんとし、目頭が熱くなる。
カズヤ、どうしたらいいの?
わたし、バカだから分かんないよ……。
涙がこぼれ落ちる感覚が、頬に伝った。
私、カズヤがいなきゃ、なんにもできないよ。
無力感に苛まれ、ただ泣いている事しか出来なかった。
その時、大きなため息が聞こえた。
「……アイさん」
声をかけられたので、何も考えずに顔を上げる。
「カズヤ君の事、愛していますか?」
真剣な表情の田山さんから、そんな事を言われた。
カズヤを愛してるかって?
なにをバカな事を言ってるんだ。
当たり前に決まってる。
そう思い口を開き――、
言葉には出せなかった。
田山さんには頷きで返す。
聞かれた質問なんだから、そのまま答えても全く問題なかった。
だけど、声に出す事は出来なかった。
……だって。
――カズヤに対しての最初の愛してるは、直接カズヤに言いたかったから。
傍から見れば、無意味な意地なのかもしれない。
だけど私にとってみれば、絶対にゆずれない思いなんだ。
やっと思えるようになった、やっと言えるようになったカズヤへの"愛してる"。
その一言目は、絶対にカズヤに向けて言いたかった。
言葉に出さずとも、私の気持ちが通じたのか、田山さんはまるで何かを観念した様に、改めて強く息を吐いた。
「では……貴女の愛で、カズヤ君を逃がさないでください」
「えっ……?」
田山さんの突然の言葉に、呆然としてしまった。
遅ればせながらに、徐々に言葉の意味を理解する。
私の愛で、カズヤを逃がさないようにする……?
そんな事、出来るんだろうか。
愛で、逃がさない。
そんなの聞いたことがない。
どうやればいいのかも分からない。
困惑と不安が、心の中でせめぎ合う。
「貴女がカズヤ君を、本当の愛で包み込んであげれば……彼もきっと逃げられなくなるでしょう」
彼の言葉に考える。
本当の愛で包み込む。
それを考えれば、ふと一つのイメージが湧いた。
それは、カズヤ。
カズヤの愛は、いつでも私を包み込んでくれていた。
何があっても、カズヤは私を愛して受け入れてくれる。
そんな安心感が、浮かんできた。
だけど、それは強くて優しいカズヤだから出来ること。
こんなにも心が弱い私には、出来るんだろうか。
「……本当の愛で包み込むなんて、私にできるのかな?」
心で思っていた事を口にしてしまう。
田山さんが私の言葉を聞いて、何やら考えている。
「……では、言い方を変えましょうか」
不意に告げられた言葉。
「――カズヤ君が逃げたくないと思えるくらい、貴女の愛で惹きつければ良いんじゃないでしょうか」
その言葉にハッとする。
愛で、惹きつける。
何故かその言葉が、自分にとってやけに腑に落ちた。
愛で惹きつける……うん、なんか分かった。
まるで心が軽くなった様な感覚。
今まで心にのしかかっていた重く暗い気持ちがなくなり、残ったのは軽く暖かい感情。
そうだ、そうだった。
アイドルとして、ファンを愛して惹きつける。
母親として、子どもたちを愛して惹きつける。
なら、女としては?
……女として、カズヤを愛して惹きつけられなければ、そんなのは星野アイじゃない。
女としても、カズヤを愛して惹きつける。
私の、
「カズヤ君は、仕事が立て込んでいて貴女のライブこそ行ってませんが、事務所内で貴女のファンを増やしたりしているくらいなので……意外と難しくないかもしれませんよ?」
田山さんの言葉に驚く。
一回もライブに来てくれないから、仕事としては応援してくれてても、アイドルとしては特に応援してくれてないのかと思ってた。
過去のカズヤの反応を思い出してもそうだ。
世間話の一つくらいのトーンでしか、アイドルについて聞かれた事がないんだから。
でも、それでも関係ない。
「おや、もしかして自信ありませんか?」
からかい混じりの声色でそう告げる田山さん。
自信がないだって……?
「――そんなわけないじゃんっ!」
そんな事を言ってくる田山さんには笑顔で言い返してやる。
私は、星野アイ。
アイドルとしての幸せも、母親としての幸せも……女としての幸せも全部、全部つかみ取る。
どの幸せでも、誰よりも一番輝いてやる。
ファンの愛も、子どもの愛も、カズヤの愛も、全部手に入れる。
だって――、
――星野アイは、欲張りなんだ。
だから覚悟してね、カズヤ?
私の愛は誰よりも眩しいだろうけど、絶対に目は逸らさせないから。
私の愛の眩しさに目が眩んで、他の女なんて見えなくさせるから。
そして何よりも……。
ファンへの愛は、多くの人に向く。
等しく、平等に。
子どもたちへの愛は、二人の我が子に向く。
二等分して、分け隔てなく。
だけどカズヤへの愛は――きみ一人にだけ向ける。
私の全力の愛を、カズヤ一人だけに向けるんだよ。
だから……覚悟しててね?
カズヤの病室へと戻ってきた。
田山さんは「今後のスケジュールを会社と調整してきます」とか言って一緒に来なかったけど、嘘。
私に気を使ってくれただけ。
そんな田山さんを見て、思った。
やっぱりカズヤはすごい。
だって、田山さんもカズヤの事が大好きで、大切に思ってるから、カズヤが行った自己犠牲にあんなに怒ってた。
ま、総合的に見て私の方が、カズヤのこと大好きで大切に思ってるけどっ。
カズヤの寝顔を見る。
穏やかな表情だった。
……こっちの気も知らないで。
そんな事をちょっとだけ、思ってしまう。
けれど気持ちは、ちっとも怒りが湧かない。
表情だって、意識や計算をさせてくれず、笑顔にしかなれない。
幸せ。
その気持ちだけが、心を埋め尽くしていた。
そんな中、彼が眠るベッドの横の台に、何やら見覚えのあるものを発見する。
近付いてそれを手に取った。
――B小町のドームライブチケット。
それを見て、心が更に暖かくなる。
やっぱりカズヤは、観に来てくれるつもりだったんだ。
昨日、田山さんから言われたカズヤの伝言。
――ドームライブ、楽しみにしてる。
やっぱり、嘘じゃなかったんだね。
嬉しい気持ちが、更に心を埋め尽くす。
「……ん?」
台に置かれているスマホや財布とかの小物に紛れて、裏返しになっている紙を見つけた。
プラスチックケースに入れられた白一色の紙。
なんだろ、これ……?
気になったので手に取り、裏返した。
「――――えっ」
それには見覚えがあり、今でも忘れられない記憶。
昨日ドームライブを達成した私たちの……スタートライン。
記載された日付を見ても、間違いない。
B小町のデビューライブチケット。
約八年前のチケットの半券が、色褪せることなくそこにあった。
な、なんでカズヤがこれを……?
疑問に思う心。
呼び起こされる記憶。
……カズヤは一度もライブに来たことがない。
――デビューライブの時、歌が終わり一人だけすぐに帰ってしまった男の子の後ろ姿。
やがて二つが混ざり合い、一つとなった。
「……あの時の男の子が、カズヤだったんだねっ……」
涙が頬を伝う。
なんで自分が泣いているのか分からなかった。
心が、苦しくなる。
だけど苦しくなっても、湧き上がってくる想いが止まらなかった。
もしかしたら、抑えきれない想いがあふれて、涙になったのかもしれない。
カズヤは、最初から私を見ていてくれた。
私の一方的なわがままで仲違いしてたはずなのに、カズヤはデビューライブに来てくれてた。
すぐに帰っちゃったのも、もしかしたら仲直り出来てなかった私に気を使ってくれたのかもしれない。
ただの星野アイとしても、アイドルの星野アイとしても……最初から私を見守っていてくれた。
どうしよう、心臓の音がうるさい。
これがカズヤの耳にも届いてるんだとしたら、恥ずかしい。
だけど、カズヤのことを考えれば考える程、どうしても胸の高鳴りが大きくなってしまう。
涙で視界が滲んだまま、未だに眠るカズヤに顔を向けた。
カズヤを見ているだけで、更に鼓動がうるさくなり、徐々に顔が熱くなってくる。
そんな私を知る由もない彼の寝顔は穏やかで。
「…………ずるいよ、カズヤ」
つい、そんな事を言ってしまう。
私がこんなに想い焦がれて心が落ち着かないっていうのに、カズヤは気付いてくれない。
手に持っていたチケットを戻し、静かに彼の前髪を撫でる。
私の心を乱して、弄ぶ……酷い人。
だけど、それ以上に。
――愛してる。
この言葉を、
「はやく言わせてね……カズヤ」
夕方、田山さんが戻ってきて私が帰るまでの間、この二人だけの時間を噛みしめていた。