"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
星野アイが俺の病室にいる。
帽子とサングラスをかけて変装してはいるが、最早それは過去に見慣れたもの。
何故彼女がここに。
何故彼女がここを。
幾つもの何故が思考を埋め尽くす。
だが同時に、無事を確認出来て安堵した自分もいた。
彼女は完璧な笑顔を浮かべて、俺を見ている。
「はっ、はわわっ」
背後に人が居る事に気付いた白衣の天使ちゃんが、慌てて俺から飛び退く。
はわわって実際に言う人がいるんだと、頭の片隅で思った。
俺と、奥の人物をきょろきょろと忙しなく見やり。
「あっ、あのっ……忘れ物を取りにいってきますうっ」
そう言って走り去って行った天使ちゃん。
何がとは言わないが、揺れていた。
視界の端でそれを捉えながらも、俺は視線を動かす事が出来ない。
やがて、入り口のドアが閉まる音がした。
沈黙の中、二人きりとなった室内で視線が交差する。
彼女の完璧な笑顔は変わらず、思考が疑問で埋め尽くされている俺は言葉が出ない。
しばらく見合う時間が続き、やがて口を開いた。
「あーっ、もしかして私ってばお邪魔虫だったかなっ?」
表情に見合った明るい声色で、彼女は発した。
そこには言外の意図は感じられず、まるで本心からの言葉のよう。
「なんだか、あの子にも悪い事しちゃったねっ」
いやーアイちゃん大失敗っ、そう続けて自分の頭を軽く叩いた。
彼女の声、表情、仕草を俺はただ見ている事しか出来ない。
「それにしても、こんな場面に出くわすなんて、やはり隠しきれないアイドルのカリスマが発揮されてしまったかっ……!」
にやり。そんな表情に変わった。
それでも微塵も魅力を損なう事は無く、そんな姿を見ながら纏まらない思考の中で、唯一理解出来た事。
――やはり、俺にはもう彼女の言動が嘘なのか分からない。
同時に、思考が整理されていく。
何故、彼女がここにいるのか、俺が入院する病院を知っていたのか分からない。
けれど、彼女の反応を見ると、考えていた通りに俺の事を割り切って前を向いたのかもしれない。
元々嫌われた訳だし、刺された時はもしかしたら突然の事態に動揺して、あの様な言動をしたのかもしれない。
そう考えると、思考が正常に回り出す。
ならば俺は、彼女に合わせて存在しない様に振る舞うだけ。
――俺はもう、完全に星野アイとの関係がなくなった。
「じゃっ、お邪魔虫は早々に退散しちゃいますっ」
再び笑顔に変わり、直下に落ちた花を拾う。
そして、踵を返して入口の方を向いた。
そんな姿を見ながら、これで彼女と会うのは最後か、漠然とそう思った。
一瞬、入り口へと身体を向ける彼女に対して腕が上がりかけたが、それは恐らくただの反射みたいなものだろう。
俺は、登場人物の流れに身を任せるしかない。
それが、存在しない人間の、立ち振る舞いだから。
僅かな寂しさは、やはり女々しい俺の未練。
今まで近くにいると思っていた可愛い女の子と関係がなくなってしまった、そんな感情に違いない。
入口へと身体を向けた星野アイはその足を――。
いつまで経っても上げる事は無かった。
入口の方を向き、立ち止まったままに動かない。
顔が見えず表情は分からない。
けれど唯一分かるのは……彼女の身体が小刻みに震えていた。
「…………とめてよ」
不意の言葉に、心臓が一際大きく鼓動する。
声色が、雰囲気が、仕草がアイドルには見えなかった。
「……とめてよ」
「えっ……?」
再びの言葉に、今度は疑問の声を上げてしまった。
とめてよ、とは何なのか。
再び彼女の声が聴こえる。
「とめてよっ……このまま、帰ってもいいのっ?」
その言葉で理解出来た。
彼女は、帰るのを俺に呼び止めてもらいたいらしい。
何故。
その言葉が思い浮かんだが、すぐに消えた。
微かに心臓の鼓動が速くなっているのを感じたが、それが何故かは分からない。
だが、彼女に対して――俺が言うべき言葉は分かっていた。
「帰らないで。一緒にいてほしい」
彼女の質問は断定。それが星野アイのトリセツ。
俺の言葉に、彼女は一度大きく身体を震わせたが、動く事はなかった。
「……だれに?」
そのままで告げられた言葉。
「だれに……一緒にいてほしいの?」
続けられた声に、何故か笑みが浮かんでしまった。
「――あいに、一緒にいてほしい」
その言葉を届ければ、僅かに立ち止まった後、あいは踵を返して歩き出した。
わざと足音を立てる様に床を踏み鳴らし、室内を歩く。
ずっと俯いており顔を合わせる事がないまま、ベッドの横に置いてあった椅子に、勢いよく腰掛けた。
未だに俯いており、表情は見えない。
「…………したの?」
不意に呟かれた言葉。
「ん?」
疑問の声を返せば「だからっ」と語気が少し強まった。
彼女は顔を俯けたまま。
「……キス……したのっ?」
そんな彼女の言葉に、思わず笑いそうになってしまった。
だが笑い声をあげてしまっては彼女の反応が怖いので、必死に堪える。
「してないよ」
短的に結論を告げた。
「……ほんと?」
俯いたままに再び問いかけてくる。
「ほんと」
「……うそじゃない?」
「嘘じゃないよ」
「……ほんとにほんと?」
「ほんとにほんと」
僅かに言葉のリレーが続き、やがて沈黙。
しばらく沈黙の後、彼女が口を開く。
「…………じゃあ……特別に、許す」
絞り出す様に発せられたその声は、渋々という色が濃かった。
そんな彼女に幼い印象を抱き、堪え切れずに軽く笑ってしまう。
「なんで笑うのっ!」
俺の笑い声に、ついにあいは顔を上げて、俺を見てきた。
表情は少し怒り交じりといった様相だろうか。
先程までの完璧な笑顔は、そこにはなかった。
サングラスというフィルター越しで睨み付けてくる彼女に、思った事を告げる。
「いやー、可愛いなあって思って」
彼女の表情が驚きに変わった。
「えッ……かっ、かわっ、かわいいッ?」
耳まで真っ赤に染まり、僅かに俯いた表情は何やら恥ずかし気。
なに、この可愛い生き物……。
何か以前もこんな事あった気がする。
ファンからいっつも言われてんだろうに、何故かここで恥ずかしがってるのは面白い。
口をぱくぱくさせているあいを見ながら、そんな事を考えた。
彼女はやがてハッとした表情を浮かべ、胸に手を当てて大きく深呼吸を繰り返す。
落ち着いてきたのか「よしっ」と小さく呟いた。
そして、僅かに頬の赤みを残すその顔で、サングラス越しだがしっかりと俺を睨み付けてくる。
「…………ずるい」
不意に告げられた言葉。
「カズヤは……ずるいよ」
ずるいとは、一体どういう事だろうか。
脈略の無い言葉に頭を悩ませる。
あいは言葉を続けた。
「……カズヤは、倒れて悲しく苦しくさせて、キスしてると思って怒らせて辛くさせて、可愛いって言って恥ずかしくさせて……でも、やっぱり目が覚めて嬉しくさせて私の心を乱してくる」
――ずるいよ。
その言葉に、彼女の中でどれだけの思いが込められていたのか分からない。
だけど、俺の中には一切の不満や疑問はなく、落ちてきた。
その理由を、俺は知っている。
……これが、星野アイなんだ。
傍から見れば、彼女が一方的に感情をぶつけてきていると映るかもしれない。
勝手な言い分だと思うかもしれない。
けれど、俺から見れば違う。
紆余曲折あれど、最後はこう思うんだ。
これが……星野アイなんだって。
「ごめんね」
だから彼女に謝る。
もしかしたら、俺は悪くないのかもしれない。
けれど俺が、星野アイが星野アイでいてほしいから、謝る。
所詮は自己満足だろうけども。
「……ゆるさない」
彼女から拒絶の言葉が返ってくる。
こっちは許してもらえなかったかあ、なんて頭の片隅で漠然と思考。
「……だから、私が許すまで…………私から離れるの、禁止」
ああ、言われちゃったか。
存在しない人間なのに、登場人物からその存在を縛られるとは。
内心で苦笑してしまった。
だが、自分でもどこか思ってはいたんだろう。
それがどんな感情なのかは分からない。
小さい頃から見てきた親の様な視点もあれば、友達の様に接してきた視点、そして前世からのにわかではあるが作中の人物という視点。
それに、彼女が俺に抱く感情もまた、俺が彼女の嘘を見抜けなくなってしまったから、はっきりと認識出来ていない。
彼女に対して、どんな感情に固まっていくのか、全く想像出来ない。
だけど……それを探すのをこれからの人生にしてみるのも、面白いかもしれない。
「分かったよ」
原作の修正力がどの様に働くかは分からないので、一緒に暮らすといった原作に相違を出すのは怖いから出来ない。
だけど、今くらいの距離感を保って接する分には、原作の修正力は強く働かないんじゃないかと思う。
原作には存在せず、彼女の流れのままに過ごす。
そんな人生、十何年続けてきて……結果的にあいを救う事が出来た。
なら、やはりこの距離感なら問題ないんだろう。
「……覚悟しといてよ」
そして……俺の女々しい未練、それを納得するしかない。
「……一生、許さないかもしれないんだからねっ!」
だって、こんなにも優しい笑顔を見たら、ずっと関わっていたいと思ってしまうんだから。
一生許されない人生……それもまた面白いのかもしれないな。
まあ、だが芸能界は辞めてやる。
星野ママを一目だけでも見たいという未練も残ってはいるから。
けど、バレたらヤバいから絶対に隠し通す、俺の密かな願望。
――あいと関わりを続けながら、星野ママを探す。
何だか小学生の頃から、思考が変わってないなあ……。
なんて思ったり。
「……それでね?」
不意に彼女が呟く。
「カズヤに言いたい事があるの」
真剣な表情を浮かべる彼女につられ、こちらも表情を正す。
「やっと分かった、やっと言える様になったの」
僅かに頬が赤らみ、今までに見た事のない真剣な眼差し。
その表情に何故か見惚れそうになりつつ、何を言われるのか分からない為、言葉を待つ。
「カズヤ――」
名前を呼び、彼女は言葉を紡いだ。
「――あい」
その瞬間、ドアが開いた。
「……あっ、あのぉ……こちらに、忘れ物しちゃいましてぇ……」
恐る恐ると現れた天使ちゃん。
ベッド脇に落ちていた物を見つけて駆け寄り、拾い上げたバインダーを胸に抱え「よかったぁ」と安堵の息を吐いた。
そして見つめられてる視線に気付いたのか、俺たちの顔を交互に見る。
「あっ、突然お邪魔してすみませんでしたっ」
そう言って頭を下げ、ぱたぱたと部屋から出て行った。
閉まるドアの音。
沈黙が部屋を包んだ。
あいが、何を言いたいのかは分からなかった。
けれど今は、続きを言える雰囲気でないという事だけは分かった。
彼女に視線を戻すのが怖い。
だけど同時に、顔を向けなきゃいけないのだろうとも思った。
やがて覚悟を決めて、顔を元の方向に戻す。
頬を思い切り膨らませながらぷるぷると身体を震わせ、サングラス越しでも分かる涙目でこちらを睨みつけてくる、