"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」   作:あるミカンの上にアルミ缶

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第59話

 入院してから二週間が経った。

 担当医からの話だと、そろそろ退院でも良いとの事。

 本当は数日前には退院しても大丈夫だったみたいだが、事務所から念押しされて経過観察をじっくりしたらしい。

 そして俺はその間、あり得ないくらい悠々自適に過ごしていた。

 数日前に腹の抜糸を済ませたが、それまでの間はずっと風呂に入る事は出来ず、天使ちゃんが甲斐甲斐しく身体を拭いてくれたりと世話を焼いてくれる。

 更にはそれ以外のサポートも、割合付きっきりで行ってくれたしありがたい。

 食事の時にからかって、たまにあーんを強請ってみたら、顔を真っ赤にしながら食べさせてくれたし、「身体の調子はどうですか?」と聞かれたので「天使ちゃんが介護してくれたお陰で大丈夫だよ」って言うと「てっ、天使じゃないですよぉ」と酷く照れてくれる。天使ちゃんはやっぱり天使ちゃんだった。

 そんな、身体だけでなく心も癒された入院生活も、間もなく終わりを迎えようとしている。

 天使ちゃんに関して、かなり専属看護師みたいな立ち位置になっていたので聞いてみたら、何やら俺が入院した翌々日から、看護師長にその役割を任命されたとの事。よく分からん。

 佐山さんに「看護師さんはどんな感じ?」って聞かれたので「可愛いし良い感じよ」と答えたら、何か考える様にして頷いていた。

 自堕落に過ごす時間ももう少しかあ、なんて考えると少しセンチメンタルな気分になった。

 

 あいは、短時間の時もあったが、ほぼ皆勤賞の頻度で見舞いに来てくれた。

 けれども、どうやら折が合わないっぽい。

 いや、厳密には間が合わないが正しいかもしれない。

 あいと雑談をしていて彼女が不意に真剣な表情になると、天使ちゃんが仕事で部屋に入ってくる。

 身体を拭いてくれる蒸しタオルを持ってきてくれて、身体を拭くからとあいに退室を促す。

 あいは笑顔で「カズヤの身体は私が拭くよっ」って言えば、天使ちゃんが「いっ、いえっ、お見舞いに来て頂いた方にお任せするのはっ」と申し訳なさそうに拒否。

 あいが笑顔で蒸しタオルを天使ちゃんから取ろうとすれば、それを必死に取られまいと抵抗する。

 そして俺は、身体が早く拭いてくれないと気持ち悪くなるくらい、汗を掻いた。

 

 そんなやり取りが何日も続き、未だに解決の糸口が見えない。

 あいは持ち前の独占欲を発揮して、天使ちゃんにやらせたがらない。

 天使ちゃんは純粋に申し訳なさと職務執行から、あいにやらせない。

 俺からすればどちらでも良いので、早く身体を拭いてくれるとありがたいと、いつも思ってた。

 

 そして芸能界を辞める野望だが、すぐには出来そうになくなった。

 佐山さんが退院後のスケジュールを見せてくれたが、点々と休みがきちんとあり、仕事の日も本数は少なく余裕たっぷり。

 その仕事の内容を確認しても、座りの仕事ばかりで身体に負担がかからない。

 至れり尽くせりな復帰スケジュールだった。

 それを見て俺は、佐山さんを、事務所を舐めていた事を実感。

 いや、自己評価が過小だった事を悟った。

 想定ではさ、仕事が溜まってるから前みたく過密スケジュールがドンッ、になるもんだと思ってたから、それにかこつけて古傷が疼くんで辞めますが出来ると思ってたんだ。

 けれども実際は明らかに俺への労りスケジュール感満載で、ここまで気を使われた仕事内容だと、痛くないのに古傷がとも言い辛い。

 佐山さんの「これでも多いなら減らすから、疲れたらちゃんと言うんだよ?」なんて慈愛に溢れた心配の言葉と表情が、更に俺の決断を鈍らせる。

 辞めたいけど辞めるっていうのが申し訳ない、そんなジレンマに陥っていた。

 ホワイト過ぎない? うちの会社……。

 結局、決断出来ないままに、気付けば退院日を迎えてしまった。

 

 退院当日。

 エントランスから出るのは不用心という事で、関係者用の出入り口から出る事となった。

 時間は、徐々に薄暗くなり始めた頃合い。

 その入り口の前で振り返る。

 そこにはお世話になった病院関係者の人たち。

 あいは当然ながら居らず、彼女は番組の収録がいくつかあるらしい。

 ささやかながら、お見送りをしてくれていた。

 それぞれに対してお礼を述べ、今後の仕事への激励をもらう。

 人数は然程いないので、それ程時間はかからなかった。

 最後、涙ぐみながらも毅然と立ち振る舞おうとする女性の前に立つ。

 そう、我らがエンジェル……天使ちゃんである。

 

「木村さん、元気になって良かったですっ」

 

 そう明るく告げる表情に浮かぶ涙は、俺が元気になった事への嬉し涙なんだろう。

 入院期間で、芸能人だと既にバレててカズヤと名前で呼んでもらえる様になったが、人目があるので偽名としていた本名の苗字で呼んでくる彼女に笑みが浮かぶ。

 

「ありがとう。天使ちゃんが看病してくれなかったら、元気にならなかったかも」

 

「そっ、そんなことないですよっ」

 

 照れたようにそう言い「あとっ、天使ちゃんって言わないでくださいっ」と頬を膨らませて怒ってくる。うむ、可愛い。

 

「もしまた入院したら、看病お願いね?」

 

「ふぇっ、は、はいっ……じゃなくてっ、入院しないようにしてくださいっ」

 

 流れで受け入れてしまったが、俺の入院した原因を知ってるからだろう、再び怒った顔で注意してきた。

 これだから天使ちゃんはやめられない。

 ま、そろそろやめとこう。天使ちゃんの涙も引っ込んだみたいだし。

 

「ありがとう。君が俺のサポートをしてくれて本当にありがたかった」

 

 頭を下げれば「……そっ、そんなこと」と再び震える声色が聴こえた。

 またここでからかったりしては、いよいよ無限ループだ。

 皆、仕事もあるからこの辺で幕引きに。

 見送りに来てくれた人を見渡し、再び頭を下げる。

 

「本当にお世話になりました。俺、入院したのがこの病院で良かったです」

 

 そう告げて頭を上げ、真後ろの出入り口へと振り返る。

 一瞬、天使ちゃんが動く姿が見えたが、それを見る事は無い。

 あーこれからまたきびきびと仕事かあ、そう考えて出入り口のドアを潜った。

 いつまで続けるか分からないが、それは事務所と話し合っていくしかなさそうだ。

 病院から出る。

 ……さ、ここからは芸能人としてのカズヤだ。

 思考を切り替えて、前までの様に次のスケジュールについて考え始めた。

 

 

 

 

 佐山さんに運転してもらい、自宅へと戻る。

 

「カズヤ君もそろそろ引っ越さないとね」

 

 その車中で、不意に告げられた脈略の無い言葉。

 

「そうなの?」

 

 特段引っ越す理由が無かったのでそう返せば、頷きが返ってきた。

 

「だってあんな現場に遭遇しちゃ、セキュリティを考えざるを得ないでしょ」

 

 身から出た錆だった。

 佐山さんが言ってるのは、間違いなく俺が刺された時の事。

 

「まあ、あれはあいが女性だから起こった事じゃない?」

 

 そう伝えれば、首を横に振られた。

 

「そうかな? 君にもガチ恋勢がいるからねえ」

 

 え、何それ。初耳なんだけど。

 あいみたいなストーカー被害はちょっと怖さはあるが、何故か少しテンションが上がってしまうのは俺だけだろうか。

 女性から、そんな盲目的に愛されるなんて、男としての株が上がった様に感じる。

 SNSをやってないから知らんだけか?

 ならSNSをやってみても良いかもしれないと思ってしまう。

 

「ところで」

 

 佐山さんが言った。

 

「入院中は聞かなかったけど……アイさんとはどういった関係なの?」

 

 彼の言葉に考える。

 あいとの関係か……。

 幼馴染という関係。

 昔からの刷り込みになってしまったんだろうが、俺への強い執着心を持ってくれている。

 子どもたちからすれば無関係らしいが、記憶にない子づくりをした。

 けれど、恋人や夫婦という関係性にはなってない。

 

 

「幼馴染の友達ってとこかな」

 

 

 現状を総評した俺の言葉に些か間があってから「そっか」という佐山さんの声が聴こえた。

 幼馴染の友達。恐らくそれが伝わりやすい表現だと思う。

 友達って言っても別にセフレじゃないよ? やったらしいけど記憶にございません。

 まあなんにせよ、友達って言葉は非常に広義的に使えるんだから、幼馴染の友達っていうのが正しいだろう。

 

 

 

 自宅のあるマンションの前で、佐山さんが車を停めてくれた。

 ありがと、そう言ってドアを開けようとすると、呼び止められる。

 

「カズヤ君のスマホ、ちょっと借りてもいいかな?」

 

 そう言うので、ロックを解除して佐山さんに渡す。

 別にエロいのとか何も入ってないし、あいとの関係も知られてるから渋る必要は無し。

 俺の座っている場所からは見えないが、何やら操作している模様。

 まあ佐山さんなら変な事する訳がないから、特段気にせずに待つ。

 

「……応援だけはしますが、チートは反則ですからね」

 

 ……何の事?

 そうしてる内に、終わったのかスマホを返してくれた。

 分からんもんは仕方ないと忘れる事にする。

 佐山さんに挨拶をして、車を降りた。

 明日から仕事を再開するから、今日は早めに寝るか。

 そう考えながら部屋に入り、久々の自室を眺めた。

 二週間ちょいしか空けていないはずなのに、それよりももっと長く部屋を離れていた様に感じる。

 それは、あの時で俺は死ぬんだと思っていたからかもしれない。

 もうここには帰ってこれない、その気持ちが蘇って、余計に懐かしく感じたんだろう。

 冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、コップに注ぐ。

 それを持ってダイニングテーブルの前にある椅子に腰かけた。

 そこで、ようやく帰ってきたんだと実感した。

 何故かは分からない。

 ここから見るいつもの光景。

 テーブルを挟んだ向こうの椅子には、たまにあいが座っていた。

 帰ってきたという感想と、あいをちゃんと救えたという実感が心に押し寄せる。

 理由は分からないが、笑みが抑えられなかった。

 

 お茶を飲み終わった頃。

 テーブルに置いていたスマホから通知音が聴こえた。

 それはメッセージアプリの通知。

 スマホを手に取り画面を見れば、送信主の名前は『星野』。

 あいからのメッセージだった。

 画面ロックを解除し、中身を見る。

 

『……スマホ替えた?』

 

 謎の文章だった。

 

『いや変えてないけど。どした?』

 

 ありのままを返す。

 即既読になった。

 

『いまどこ?』

 

『家』

 

『ホントに?』

 

『ほんと』

 

『うそじゃない?』

 

『ほんとほんと』

 

『ぜったいに?』

 

『ほんとほんと』

 

『嘘だったら許さない』

 

『おけーい』

 

 なんだこりゃ。

 とんでもないレスポンス能力で返信が返ってくる。

 ほんとにどしたよ?

 

『あの女と一緒にいないよね?』

 

 あの女とは誰よ。

 しかしここ最近で思い当たるのは一人。

 

『あー天使ちゃん?』

 

『ちゃん付けしないで。名前呼ばないで』

 

 こえーよ。

 それに彼女、天使って名前じゃないし。

 

『一緒にいないよー』

 

『あやしい』

 

『今家で一人だから』

 

『その証拠撮って』

 

 良く分からんが、怒涛の勢いで謎に疑われてる。

 一人で家にいるのは間違いないので、目の前の景色をカメラで写真に収め、添付した。

 これで落ち着いてくれればいいが。

 即返信が来た。

 

『全部、動画撮って』

 

 どゆこと?

 全部とは、家の中全部なんだろうか。

 とりあえず彼女を納得させる為に、立ち上がって動画を回し徘徊する。

 ダイニング、居間、トイレ、風呂。

 全部撮り終えて送信した。

 然程時間をかけずに送ったから、怪しさとかは感じない……と思う。

 そこから返信が来なかった。

 納得したんかな? そう思い、風呂に入る準備をして、シャワーを浴びる。

 シャワーから上がり、スマホを見るが返信は無かった。

 とりあえず納得したんだろう。

 そう思い居間へと行き、テレビを点ける。

 その時、スマホから通知音が鳴った。

 

 

『明日電話するから全部教えて』

 

 

 そんなに信用ないかね、俺?

 彼女の返信に苦笑しつつ『あいよー』と返す。

 

 静かだが騒がしい、それが退院一日目の思い出となった。

 

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